大垣市制100周年記念行事は「醜い姉妹」作戦
大垣市制100周年記念行事で、同じような行事を100個も実施しても、数が多すぎて、「醜い姉妹」の問題となっている。小川敏市長が、100周年記念行事で、何が何でも100個の行事をしたいというは異常行動である。大垣市民の大多数はそんなことを望んでいない。
何が一番大事か
大垣市制100周年記念行事で、何を後世に残したいのか。何を市民に残したいのか。何を祝いたいのか曖昧である。市民には、行事の数が多すぎて理解不能である。誰が喜ぶのか。本当の記念すべき行事は何なのか。やるべき祝賀行事だけを実施すれば、総額費用3億4千万円など不要である。それは市民税と言う血税であるが、小川敏市長にとっては、それは人の金で、あぶく銭であるようだ。なぜその金の一部を小学校エアコン設備に回せないのか。
あぶく銭で「醜い姉妹」作戦
小川敏市長には、「醜い姉妹」を前面に出して、どうしてもその金をばらまきたい理由があるようだ。それをカモフラージュするための100の行事(「醜い姉妹」作戦)であるようだ。あぶく銭が動けば、何かが裏で動く。
小川敏市長にとって、大垣市制100周年記念行事予算は、あぶく銭である。あぶく銭には虫がまとわりつく。だから、その使途用途は条例でマル秘扱いにしたのだ。
2018年11月17日 熟年式のオープニングセレモニーでの挨拶で、
「この行事が75番目で、あと25の行事をします」と豪語する小川敏市長
「醜い姉妹」
イギリスの心理学者ジェームズ・リーゾンは「醜い姉妹」という概念を提唱している。童話『シンデレラ』では、真夜中にガラスの靴を落としていったシンデレラを、王子様が捜し回り、シンデレラ宅にたどり着いた時も、「醜い姉妹」たちがガラスの靴の持ち主は自分たちだと言い張り、王子様のシンデレラとの再会を妨害する。
つまり、目当ての物を探し当てようとしているのに、「醜い姉妹」が邪魔をしている。「醜い姉妹」とは「対象物の混乱」であり、目的の曖昧化である。やるべきことが多すぎると、本来の目的が見失われる。類似項目は、さらなる混乱を引き起こす。これが「醜い姉妹」である。
それらを1つに絞り込めば、「醜い姉妹」の問題に悩むことはない。似たような複数の物を管理手段として使う限り、「醜い姉妹」の問題は現れる。やるべきことを絞れば、その目的は明確化する。醜い姉妹と付き合っている時間は価値を生まない時間である。
2018-11-25 久志能幾研究所 小田泰仙
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