« 2018年10月 | メイン | 2018年12月 »

2018年11月

2018年11月22日 (木)

魔墨知381. 悪魔のささやきに惑わされない

 「一杯くらいいいではないか」

 「もう一本くらいいいではないか」

 「このくらいの悪さはいいではないか」

 私が、馬場恵峰先生宅の写真撮影時のお昼時、九州女性に、いつも言い負かされる「小田さん、ダイエットは明日からやればいいのよ。今日は食べましょうよ」にコロッと負けてしまい、つい九州の家庭料理を食べ過ぎる。家庭料理が美味し過ぎて、九州から帰ると体重計に乗るのがいつも恐ろしい。

 

ノーパンしゃぶしゃぶ

 大きな堤防も小さな蟻の穴から崩壊である。崩壊とは今まで築き上げてきた時間を失うこと。高き志を持ち、御国のために入省した誇り高き優秀な高級官僚達でも、悪魔のささやきに負けて最後はノーパンしゃぶしゃぶの世界に身を落とした。でも、悪魔の囁きはとっても魅力的......ああ、私もそんな世界に誘われたい....

 

Gone with Money

 一つの小さな成功の傲慢さが、会社の経費を私物化する習慣となり、それが積み重なり、2018年11月19日日産のゴーン容疑者は会社の金を不正使用が露見して追放された。社員の首を切り、会社の資産を切り売りすれば、だれでも会社は建て直せる。ゴーンが来るまでの状態が放漫経営すぎた。会社の経営が袋小路に入っていて、外人部隊でないと荒療治はできなかっただけだ。それは経営ではない。だからゴーンが来て以来、ニッサンでは、魅力的な車は生まれていなかった。戦略車のEV車も売れていない。不正が露見しなくても、ゴーンの自動車メーカとしての経営の失敗は露見寸前であった。

 経営は金ではないのだ。トップは社員の雇用と生活を守り、社会に付加価値を生みださねば、存在価値がない。欧米の拝金主義の経営は、日本とは水と油の関係である。欧米の拝金主義の延長が、戦前の植民地獲得戦争であった。それが現代はグローバル経済主義とカンバンを変えただけで、本質は変わっていない。それをゴーンは証明した。日本経営の良さを見直そう。

 

2018-11-22 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

魔墨知377. 何かをやろうとする人たれ

 世に2種類の人種が存在する。「何かになろうとする人」と「何かをやろうとする人」である。

 前者は、お役所の減点主義に耐えて何もしない。任期中、無為の時間が過ぎていく。そして老人ホームで「私の上席はどこですか」とのたまう。

 時間を創るのは後者である。後者は目的達成のためには全精力で物事を進める。失敗非難誹謗もあるが成果を上げる。費やした時間が成果にならない場合もあるが、目的達成という使命があるから経験という時間財産を得る。

 

何が目的?

 ある国家資格者になるのが目的か、その資格の仕事をしたいのか? 仕事をしたいなら資格はなくてもよい。

 その有名会社の入るのが目的か、人生の夢を仕事で実現するのが目的か?

 己は何になりたいのか、それとも何かを成し遂げたいのか、自問したい。

 

2018-11-22 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

チンはしない、チンチンもしない

 電子レンジに私は健康上の疑問を抱いている。だから私は15年前から電子レンジで、チンはしていない。一膳めし屋に行っても、料理済みの魚や煮物等を電子レンジで温め直しはしない。しかし最近、周りの知人の聴いても、この件は危険との認識が全くないようで、驚いた。それで改めて再考のためこのブログで記載する。

 

技術者の目

 この件は、ネット上でも賛否両論が氾濫して判断がつきにくい。昔の上司に、この件を話したら笑われたが、私は持論を通した。その上司はお酒を電子レンジでチンして毎晩、晩酌をしている。それもそのチンの仕方を滔々と述べて、自慢して美味しいという。私は晩酌する人間を評価しない。私は今までの技術者の経験と常識的判断と経済関係の考察、危機管理の点で、電子レンジの使用は問題ありと判断して、電子レンジの使用を15年前に止めた。それで、世の中は理論通りには動かないことを再確認した。

 

電子レンジ危険論(以下はネット情報を整理して記載)

電子レンジの原理

 電子レンジは「マイクロ波」を使用して料理する。マイクロ波は、まっすぐに進み、水を含むものに吸収される性質がある。電子レンジは、熱効率が最高の2.45ギガヘルツ(24億5千万ヘルツ)のマイクロ波が使われている。食品の中の水分子は、マイクロ波によって激しく動かされ、熱が発生する。それで料理される仕組みである。

 

電子レンジで指摘される問題点

 この問題点は、下記3点である。

(1)食べ物の栄養の破壊、(2)発がん作用、(3)マイクロ波と電磁波

 

 1991年、電子レンジで人肌に温めた血液を輸血したら、米国女性の患者が死亡して、オクラホマ州で裁判が起こった。

 水分が熱を産むほど「激しく動かされる」ことは、温めると同時に何かしらの組織が破壊されたと考えられる。このアメリカ・オクラホマの医療事故の裁判は、血液の中の水分を激しく動かしたことにより「血液中の成分が破壊された」証明であると推定される。組織を超超高速で動かせば、組織の中のものは傷つき、もしくは壊れるのは当然のこと。それは例えば栄養分であったり、生の酵素であったりする。

 

(1)栄養素の破壊

 毎秒24億5千万回もの超高速振動による摩擦熱の調理では、食品の分子・原子レベルで深刻な破壊がおき、栄養素が壊され、体内では代謝できない構造に変性する。ビタミンは破壊されている。ビタミンが破壊された野菜は、分子レベルで破壊が起こり、野菜ではなく、自然界に存在しない異物に変質する。残っているのは、外見は野菜で、中身は野菜ではない。

 また、調理法の違いによる野菜のファイトケミカル(フラボノイド)の変化は、ゆでた場合は66%、圧力釜では47%、蒸した場合には11%しか失われない。しかし、電子レンジで調理したものは、97%も失なわれる。

 

(2)発がん作用

 米オレゴン州、アトランティス・レイジング教育センター出版のロシア実験研究の論文集の中に、「電子レンジの実験対象となった食べ物全てに、発がん物質が生じた」と発表されている。肉類にはDニトロソディンタノラミンという発ガン物質が発生している。さらに活性酸素も大量に作られ、発がん作用があると推定される。

 

(3)マイクロ波と電磁波

 この電子レンジからマイクロ波が漏れ出ると、その発熱効果が人体を襲うことになる。事実、電子レンジが使われ始めた初期には、主婦の間で白内障が多発し、社会問題になった。現在は、その対策はされたようだ。

 電磁波の問題点は、この項では割愛する。問題は食品の変質であって、マイクロ波と電磁波の問題ではない。これは物理的に防げるのだ。

 

以上は下記等の記事を参考にした

電子レンジで人肌に温めた血液を輸血し死亡。アメリカの医療事故が証明 ...

https://macrobiotic-daisuki.jp/densirenji-134661.html

電子レンジが危険!? 使って良いのか悪いのか、必須家電にまつわる噂を大 ...

https://macaro-ni.jp/36680

 

電子レンジは絶対に使ってはいけない!人体に極めて危険!栄養素を全部 ...

https://biz-journal.jp

 

電子レンジは安全か

https://www.facebook.com/notes/minoru-ishigaki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%81%AF%E5%AE%89%E5%85%A8%E3%81%8B/331080936979237/

 

電子レンジ調理は危険

http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-112.html

 

 ネットで「電子レンジ  危険」で検索すると、以上を含めて多くの情報が出てくるので、それを見て、皆さんで判断してください。

 

状況証拠

 40年前に10兆円だった日本の医療費は、現在40兆円を超える。それなのに、なぜ40年前に比べてガン患者が3倍に増えたのか。40年前は話題にもならなった認知症患者、鬱病患者が増えたのか、なぜ、すぐキレる子が増えたのか。

 なぜ、シャープは電子レンジより不便なヘルシオを開発したのか。ヘルシオは高温蒸気で食品を温める調理器である。調理時間が電子レンジよりはるかに長くかかり、値段もド高い。

 電子レンジは日本の産業界で売り上げに貢献している。経産省もそれをつぶす訳にはいかない。冷凍食品業界も、電子レンジがなければ成り立たない。食品産業も、マスコミの大きなスポンサーで、それが故にスポンサーに弓を射る電子レンジ批判はマスコミにはタブーのようだ。

 

私の判断 

 常識的に、毎秒24億5千万回も振動で痛めつけられた食物細胞が、加熱前と同じとは思えない。我々は、戦後に出てきた食品、食品加工手段に警戒をすべきだと思う。敵は添加物だけではない。当初、安全だと言われた人工甘味料も後日発癌性が発見され、禁止された。料理器具も警戒すべきである。我々は便利さと引き換えに、悪魔の食べものを手に入れたのかもしれない。その結果がガン患者、認知症患者、キレる子の氾濫ではないか。電子レンジで料理されたものは、なぜか不味い。それをごまかすため、添加物の氾濫ではないか。

 確証はないが、君子危うきに近寄らずで、正式の結果がでるまで、手を出さない方が良いと思う。今の利害関係者から、まともな回答は出まい。正式の回答をする方(政府)も、経済産業省では、電機業界や冷凍食品業界に慮って、まともな調査結果が出るとは思えない。調査さえしていないのが現状である。

 

私は冷や飯食い

 私はご飯をチンせず、冷えたままで食べている。まったく苦にならない。駅弁でもチンなどしないではないか。強いて食べる場合は、お茶づけか、シャープのヘルシオで、高温蒸気を使って温めて食べている。ヘルシオに電子レンジ機能があるが、使っていない。

  

チンチンをする岐阜新聞、中日新聞

 どう考えても、常識的に、論理的にも、道徳的にも、世のコンプライアンス上からも、小川敏大垣行政のやり方が異常である。しかし、岐阜新聞、中日新聞、議会、大垣財界は、小川敏市政に媚びを売り、チンチンである。岐阜新聞、中日新聞は、大垣市の利害や批判に関係することは、絶対に記事にしない。ヨイショ記事ばかりである。マスコミの電子レンジの危険性の取り扱いと同じである。腐敗分子が超高速で、行政と地方紙の中を走り回っている。

 19年間にわたりカルロス・ゴーンにチンチンしてきた日産の幹部が目覚めて、ゴーンの悪行を調査して、警察に売った。2018年11月19日、ゴーンは逮捕された。そのやりたい放題の腐敗ぶりを報道で見て、当時からおかしいと感じていた己の感性が正しかったことに安堵した。この逮捕は日産の夜明けとして喜ばしいこと。

 18年間も続く大垣市の独裁的暗政に夜明けを期待したい。条例で、自分達の行事費用の使用用途をマル秘にするなんて、ゴーンと同じレベルである。長期政権は、かならず腐敗する。それは歴史が証明している。

 私は、権力者に媚びを売って、チンチンなどしたくない。良識ある目で、世の中を見て、自分の生活と大垣を守りたい。

 

2018-11-22 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月21日 (水)

言葉との出会いが運命を創る

出会い

 男と女が出会うと子供ができる。男と男が出会って、それで仕事が生まれなければ、本当の出会いではない。単なる飲み会の出会いは、本物の出会いではない。

 2018年11月21日、致知出版社主催の講演会で藤尾秀昭社長のお話しを聴いた。そこで教えられたのが上の森信三師の名言である。これは本に書かれざる名言という。今日は森信三師の命日(1992年11月21日)である。

 

人と言葉の出会い

 人と言葉が出会って、人生の運命という子を生む。いかに良い名言に多く出会うかで、自分の運命が決まる。私もいろいろと辛いことに出会う度、また新しいプロックトの推進で悩むとき、本から多くの元気と示唆をもらった。そのたった一言で、新しい道に進めることができたと思う。

「新しき計画の成就は只不屈不撓の一心にあり。さらばひたむきに、只想え、気高く、強く、一筋に。」(中村天風)

 組織として、プロジェクトを成功させるには、個人の力だけではなく、組織の力を出すことが必須である。そのために、メンバーが足りないところを補い合って、組織が一丸となって新しい力が沸き起こる。

「才は不才を助け、能は不能を憐れみ、一円一体となるところ、生々の徳が現われる。」(二宮尊徳)

 

天を師として

 多くの人は、本から、人から、経験から学ぶ。しかし、偉人は天からも学ぶ。二宮尊徳は天から学んだ人である。

「音もなく 香もなく 常に天地は、書かざる経を 繰り返しつつ」(二宮翁夜話巻の1の冒頭)

 森信三師の年譜に「1928年(昭和3年)33歳、二宮尊徳の「二宮翁夜話」の開巻劈頭にある『天地不書の経文を読め』との一句により、学問的開眼を得たり。」とある。

 それと同じことを佐藤一斎は「太上は天を師とし、その次は人を師とし、その次は経を師とする」で表現した。この言葉は天地自然を師とする人間の偉大さを表している。

Photo

 この書は馬場恵峰師が2018年10月31日に『佐藤一斎「言志四録」51選訓集』として揮毫を完成された。この書は、私が12月末に先生の書の写真集として出版する予定で、その中の一頁である。私が、2018年10月21日、馬場恵峰師を佐藤一斎の町・岩村にご案内して生まれた作品である。私は恵峰先生と出会って、よき仕事を生むことができた。これが男と男が出会ってできる仕事(子)である。

 

2018-11-21 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

魔墨知269. 本の価値、本の実戦

 本の内容を自分で実践しようしたら1年はかかる。それを1000円前後と1時間程度で手に入る。その価値を認識しよう。わずかなお金で時間が買えるのだ。本を読むとは、著者に課題のプロジェクトを実行してもらい、その報告を受けているのだ。

 

立花式「実戦」に役立つ14カ条      立花 隆                                                     

①金を惜しまずに本を買え。本が高くなったといわれるが、基本的に本は安い。1冊の本に含まれている情報を他の手段で入手しようと思ったら,その何十倍、何百 倍のコストがかかる。

②1つのテーマについて、1冊の本で満足せず、必ず類書を何冊か求めよ。

③選択の失敗を恐れるな。失敗なしには、選択能力は身につかない。

④自分の水準に合わないものは、無理して読むな。読むだけ時間のムダである。

⑤読むのを止めることを決意した本についても、一応終わりまで1ページ、1ぺージ 繰ってみよ。

⑥速読術を身につけよ。

⑦読みながらノートをとるな。

⑧人の意見やガイドブックのたぐいに惑わされるな。

⑨注釈を読みとばすな。

⑩ 本を読むときには、懐疑心を忘れるな。活字になっていると、何でももっともらしく見えるが、世評が高い本にもウソ、デタラメはいくらでもある。

⑪オヤと思う(いい意味でも、悪い意味でも)に出会ったら、必ず、この著者はこの情報をいかにして得たか、この著者のこの判断の根拠はどこにあるのかと考えてみよ。

⑫何かに疑いを持ったら、いつでもオリジナルデータ、生のファクトにぶちあたるまで疑いを押し進めよ。

⑬翻訳は誤訳、悪訳がきわめて多い。翻訳書でよくわからない部分に出会ったら、自分の頭を疑うより、誤訳ではないかとまず疑ってみよ。

⑭大学で得た知識など、いかほどのものではない。社会人になってから獲得し、蓄積 している知識の量と質、特に20代、30代のそれが、その人のその後の人生にとって決定的に重要である。若いときは、何をさしおいても本を読む時間をつくれ。

立花隆著『ぼくはこんな本を読んできた』文芸春秋社 1995年 1500円

 

 本を読むとは、安岡教学で説く「思考の三原則」の、広い目で全体を見る、長い目で長期的に考える、元の目で原理原則に照らすを考える、である。

 

2018-11-21  久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知255. それを言っちゃ~お終いよ

  どうせ言わなきゃ分からない人だから言ってしまおう、寅さん! 言わなければならないことを言わないから、後で時間をロスする。言いたいことを内に込めて悩むから、自分がうつ病になってしまう。それでは人生が終わる。相手は、言ってもわからないレベルの人だから、言うだけ言って、さようならにしよう。それで己が首になっても、自分がつぶされるよりは良い。何時かは真実が露見する。相手が理解できなくても、言えば周りが自分を理解してくれる。

 バカは死ななきゃ、分からないんです。自分はそれまで付き合えない。時間の無駄である。

 日産のゴーン氏に、いくら利他の心を説いても無駄である。20181119日、天が彼を刑務所に導いてくれた。「天網恢恢疎にして漏らさず」を再確認した。

 トヨタは日産よりはるかに利益をあげている。ゴーン氏の年収は20億円、豊田章男社長は3億円。トヨタの役員の給与は日産よりはるかに低い。トヨタの一般社員の給与は、日産より高い。それを言っちゃ~お終いよ、ですませないこと。

 

2018-11-21  久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月20日 (火)

魔墨知268.  本の選択、何を読まないか

 本はその価値から見て安い。その本の中身を自分で体験しようと思ったら、数年はかかる。

 しかし、一冊の本を選択するとは、一生で読む本の全体量で、読めない本が一冊生まれるという現実に目を向けよう。50歳のビジネスマンなら残り人生30年として、一生で読める本は3,000冊(年100冊×30年)しかない。人生の残り時間は有限なのだ。本はどんなに買ってもよいが、実際に読むかどうかには選択が必要である。くだらない本を一冊読むことは、大事な本を読めるチャンスを逃す事になる。それは大事な時間の浪費である。本を読む努力より、本の選択が重要である。

 会う人の選択も同じである。ある人と面会するとは、大事な一人との出会う機会を逃すかもしれない。だからこそ、人を見る目とご縁の選択が大事なのだ。

Photo

     馬場恵峰書 

 

2018-11-13 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

大餓鬼饒ホールに熟年痴女の歓声がこだまする

熟年式での老女の痴態に唖然

 2018年11月17日13;15から大垣城ホールで、大垣市は今年65歳になる人を約200名を招待して「かがやき熟年式」を開催した。大垣市制100年記念事業の一つである。熟年式だから、酸いも甘いも経験してきた人が、第二の人生を始めるための記念すべき開始式で、その後のイベントだからと期待した。ところが、その記念アトラクションで、メインゲストが美川憲一と野村美菜の歌謡ショーなのだ。それも岐阜ちゃんラジオの生放送で、熟年のお祝いなどに関係ないのだ。要は岐阜ちゃんラジオと美川憲一プロダクションの営業活動なのだ。軽薄な司会者のコンビが絶叫して、歌謡ショーを盛り上げていた。私には聞くに堪えなかった。大垣の老女軍群が美川憲一に奇声を上げて熱狂していた。大垣の熟年の知性は地に落ちた。小川敏大垣市長が落としたのだ。

1dsc04578

   オープニングセレモニーで挨拶する小川敏市長 2018年11月17日10:20

 会場右側が熟年式に招待の席  大垣城ホール

 

税金無駄遣い、平成末期猿芝居

 何故、「かがやき熟年式」のメインゲストが美川憲一で、その歌謡ショーが市民税で行われるのか。なぜ71歳高齢歌手の地方ドサまわり歌謡ショーが大垣市制100周年記念行事なのか。私は当初、なぜメインゲストが熟年の模範者として美川憲一かと思い、それなら大いに噛みつこうと思ったのだが、実態を見れば、単なる客寄せの歌謡ショーであることが判明して、振り上げた手が、困ってしまった。

 大垣市民が65歳の熟年になった記念に、今後の世の中と大垣と自分の人生を考える機会として、有識者のパネルディスカッションや講演があるなら理解できる。しかしそれのアトラクションが、美川憲一の歌謡ショーでは、ド田舎感覚の大垣行政の平成末期猿芝居である。

2dsc04823

 会場に張られたポスター

 

美川憲一ショーでの痴態

 美川憲一が舞台に登場すると、バル(ギャルの老人版)が熱狂的な歓声でお出迎えである。観客約1000人で、立ち見まで出る有様である。その午前中のオープニングセレモニーの時は、会場はがらスキで、2階席は誰も座っていなかったのに、美川憲一歌謡ショーが始まると2階席も満席で立見人まで出て大満員の有様である。美川憲一にこれだけ人気があるのには驚いた。

 これが大垣市制100周年記念事業の一つで75番目の行事だという。税金の無駄遣いの最たるものだ。東京では売れなくなった高齢の71歳の歌手が、地方のドサまわりで稼ぐため、大垣市民税を食い物にした。美川憲一歌謡ショーが悪いと言っているのではない。美川憲一歌謡ショーを見たければ、市民税を使わず、身銭を切って見て欲しいだけだ。まさに市民税の私物化だ。これでは会社の金を私物化して、11月19日の昨夜、逮捕された日産のゴーン氏と同じレベルである。

3dsc04598  オープニングセレモニー 10:33 

 階段席は観客がいない。招待席も空席が目立つ

4dsc04782

 熟年式 13:15 これ以降撮影禁止  階段席が満席で、立ち見までいる

 

熟年式のお粗末

 式の祝辞で、大垣市長は「65年間の長年にわたり社会の発展に尽力された経験を今後の大垣のために使って欲しい」と祝辞を述べた。その言葉とは裏腹の熟年式の式次第である。式次第は、国歌斉唱、市長、議長の挨拶、「今伝えたいメッセ-ジ」表彰、「大垣の歌」全体合唱である。

 

小学生向けの言葉遊び

 熟年者に対して、65文字の「今伝えたいメッセ-ジ」の募集があり、233通の応募があった。知性と経験あふれる熟年者の今後の決意表明が、たった65文字での言葉遊びである。熟年なのだから、せめて1600文字(原稿用紙4枚、A4レポートで1枚)の論文形式で募集できないのか。65文字なら小学校生でも作れる言葉の遊び文である。それでは、これからの生き方の熱意が表現できまい。熟年として、知性あふれる書式があるはず。

 230通集まった中の最優秀作品が「あの時できなかったこと、いつの頃からか諦めていた夢、充分できなくてもいい、今こそ再チャレンジして第二の青春の花を咲かせよう!!」なのだ。なぜ65歳で今からやるの? やるのはいつでも、思いついた時なのだ。何も65歳だからと再チャレンジしなくてもいい。65歳までで待つなど愚の骨頂である。それで最優秀賞とは、情けない。

 

大垣の歌の強制

 その後が、意味なきお粗末な「大垣の歌」(別ブログで講評済み)の合唱である。この歌は3拍子なので、訓練しないと歌いにくい。ほとんどの人が合唱していなかった。その点でも問題である。熟年式で、この歌を歌う必然性が全くない。合唱時、立たずに座ったままの人も多かった。

 その後のアトラクションが美川憲一歌謡ショーでは、止めのお粗末すぎる極地である。

 

「かがやき熟年式」の真の目的が露見

 今回、「かがやき熟年式」に参加して分かったことは、「かがやき熟年式」の目的が、イベント会社に金をばらまくための仕掛けであること。「かがやき熟年式」という名目を付けて、アトラクションで歌謡ショーを開催して、業者に儲けさせることだ。美川憲一を呼べば、それだけで500万円くらいは金が動く。東京都民は騙せないが、大垣市民なら騙せるのだ。

 小川敏大垣市長は、大垣の次の100年を全く考えていないことが、これでよくわかる。大垣市民を痴呆状態に追いやって、市政を考えさせず、長期政権のゴリ押しで税金を浪費させ、業者に金をばらまいている。

 「かがやき熟年式」は、小川敏市長が14年前から実施しているという。「かがやき熟年式」は表向きのお飾りで、メインゲストを招いた歌謡ショーが主目的なのだ。それが派手な行事として実施され、それで「かがやきライフ大垣実行委員会」の役員が所属するイベント会社が儲かるのだ。誰かがうまい汁を吸っているとしか思えない。これは市民税でやるべき行事ではない。

 この行事にいくら使ったのかは、小川市長は条例を盾にマル秘扱いで公開しない。

 

美川憲一の歌の実態

 美川憲一の歌も「かがやき熟年式」に相応しい話と歌かと思いきや、全く関係なく、下記の歌で私はずっこけた。まさに地方痴呆老女向けのドサまわり田舎舞台なのだ。熟年とは関係ない痴呆老女たちが大喜びである。この場面は撮影禁止で、状況が撮影できなかったのが残念である。痴呆状態の露見はマル秘である。

 当日の美川憲一が歌った歌:さそり座の女、新潟ブルース、柳瀬ブルース、春待ち坂、愛の賛歌、生きる

 

時限爆弾

 この大垣城ホールは、昭和28年8月(1953年)建設で、大垣市指定の避難所なのに、耐震補強が不可能な危険な施設である。この施設はIS値0.33で、公共施設はIS値0.6以上が必要であるのに、放置されたままになっている。それなのに、大垣市は愚劣な行事には金を浪費して、市民の命を保全する設備更新には金をケチる。

 

古代ローマ帝国の末期を連想

 ローマ帝国の末期には、ローマ皇帝は、市民の政治への不満を逸らす目的で、円形の闘技場コロシアムが建設され、市民は奴隷と決闘者(犯罪者)、奴隷と野獣の殺し合いのショーが開催され、市民は殺し合いの見物に熱狂した。世界最大のローマ帝国のやることはスケールがでかい。その舞台で流れた血を砂(arena)で落とした。それが階段状の観客席のある演劇場、決闘場の建物のアリーナの語源である。

 ローマ市民の政治への関心を逸らすための決闘ショーと今回の大垣城ホールでの無料歌謡ショーとは同じ趣旨である。会場に市民の血税が流れている。小川敏腐政の末期、階段状の観客席のある大餓鬼饒ホールに、71歳の高齢演歌歌手に血迷った熟年痴女の歓声がこだまする。小川市長の意図通りことは運んで、市長は笑いが止まらない。小川敏市長は舞台の袖で、美川憲一歌謡ショーをニンマリと見守っていた。そんな時間があるなら、大垣市長として100年後の大垣の姿を考えることに時間を割くべきだ。愚劣な行事の付き合いは代理に任せればよい。これで小川敏氏に大垣は任せられないのを再確認した。

5img_2380 ローマのコロシアム

6img_2328

コロシアムの内部  2010‎年‎11月‎16‎日 ‎撮影

 

2018-11-20 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月19日 (月)

組織のかかる死病

 会社とは、社員を支え育成に限りない援助を与えてくれる親的な存在である。会社も長く存続すると、それ相応に成熟し安定成長に入る。自然現象として、大事な情報がトップに伝わらない現象である「情報の動脈硬化病」、「組織の硬直化病」という死病がじわりじわりと迫りくる。企業の寿命は30年といわれる。入ったときは若かった会社もいつかは老いる。社会を見渡しても、2000年の雪印乳業の食中毒事件、2001年の三菱自動車のリコール隠し、2002年のみずほ銀行のシステムダウン等、この病気に起因する不祥事が続いている。発病後のトップの発言は不思議と同じで、「そんなことは聞いてなかった」である。情報が流れない情報ルートの詰まり、組織の硬直化といった死病に罹った企業の症状である。そして倒産の危機に面する。

 病気にかかれば治療する。事前予防をする。当たり前のことを当たり前にするのが自然の理にかなった経営である。その治療が業務改革である。(2003年7月31日記)

 

13年後の真実

 以上を13年経った今の目で見直しても、問題企業の体質は何ら変わらない。最近の燃費偽装問題で、三菱自動車の隠ぺい体質は、13年経っても変わらないことが露見した。人も企業も変わらない。なぜそうなったかの真因を追求せず、表面的な対処療法で済ませるからである。よき反面教師の教えを頂いた。(2016年9月23日記)

 

行政のかかる死病

 大垣市のように独善的な市長が18年間の長きにわたり君臨すると、市役所はヒラメの職員ばかりになり、正論、諫言が通らなくなる。言えば唇寒しの状態が蔓延して、情報の流れが止り、腐敗の原因となる。情報は現代組織の血液である。自分達で行事の使用用途を非公開のマル秘にする条例を作り、やりたい放題に金を使えば、不正が起きない方がおかしい。それが民主主義社会で如何に異常なのかが、分からないほど大垣市長は病が進んだのだ。

 2017年11月5日の大垣市ドローン墜落傷害事件を起こしても、行政の責任者は、業者に責任を押し付けて遁走した。大垣市制100周年記念行事の大判振舞いで、大垣さん大臭合、水饅頭偽ネス記録造成、ミッキーパレード等の予算には疑惑点が多いが、小川市長は条例を楯に使途用途の公開を拒否して何も言わない。

 それでいて、エアコン設備率が県下最低水準で、小学校の子供たちが夏の酷暑に泣く声は、市長の耳に届かない。市民の声は聞かざる市長である。

 大垣駅前商店街の61%がシャッターを下ろしても、それが市長の目には入らない。小川敏市長は、見ざる聞かざる言わざる。これは死病に罹った状態である。

 

身内というカス

 名経営者と言われた人でも、企業が公器であることを忘れて、身内の人間には甘くなることが多い。その身内の人間が経営者として失格でも、身内ゆえ、切るに切れず、経営の中枢部が侵食されてゆく。そうすると本体の経営がおかしくなる。血管のプラークのように経営の中枢の障害物となって経営情報の流れを阻害する。経営の血の流れに付いた不純物は、身内というカスなのだ。身内ゆえに切るに切れない。経営情報という血が正常に流れないので、じわじわと企業の生命力を削いでいく。業病である。

 

松下電器の過ち

 かの松下幸之助翁も娘婿の経営者を切れなかった。そのため娘婿を辞めさせる汚れ役を後進の社長に任せたが、反撃され返り討ちにあって消えてしまった。そして松下電器はおかしくなっていった。それは企業が公器であることを忘れた罰なのだ。

 地元の企業でも名経営者と呼ばれた方も、身内におかしな娘婿を入れたがため、経営がおかしくなった。そんな娘婿を選ぶような娘の男を見る眼が問題で、娘の育て方を間違えたのだ。

Photo_4

     2016年9月28日 揮毫

 

情報  今夕、本ブログの累積閲覧数が49,000回を超えました。

2018-11-19 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

浜松国際ピアノコンクール(9) 二番じゃダメなんです

一番をめざせ

 日本で一番高い山はどこか? 答えは富士山であるが、では二番目は?と聞くと誰も答えられない。私も二番目の山の名を一度は覚えたが、すぐ忘れて次に名前が出てこない。それくらい1番と2番の差は大きい。

 浜松国際ピアノコンクールで選ばれた一番は、名前を憶えてもらえ、世界で活躍するピアニストに成長する機会を与えられる。しかし2番目以降は一番ほどには名前を覚えてもらえない。それが社会なのだ。だから一番を目指して全員が頑張るのだ。二番とは、限りなくビリに近い順位なのだ。

 一番になるためには、まず一次予選を通過しなければならぬ。95人の挑戦者中、24人しか通過できない。過酷なレースは続く。その挑戦は一生続く。

2p1050985 1次予選通過者の発表式の直前    2018年11月13日19時3p1050989

       1次予選通過者

ピアノのレース

 コンクールでは、挑戦者が本番で弾くピアノを15分間の試弾のうえで選べる。コンクール挑戦者が自分の中で、これが一番だと思うピアノを選べば、2番目のピアノの出番はない。舞台の片隅でお休みである。だからピアノメーカも一番に選定されるために、開発に金と人の投入を惜しまない。

 

明日の一番  

 今日の1番以外は、全員が敗残者である。そこに明日の勝利者になるネタが埋まっている。それを見つける挑戦を諦めたら終わりである。それを糧に敗残者は明日の一番を目指すから、成長がある。一番になっても自惚れるとすぐ没落である。その挑戦は生涯続く。前回のコンクールでは、カワイさんが優勢だったが、今回はヤマハさんが巻き返した。

1p1050865

選ばれた舞台のピアノ。他社は後ろで控えている。

Photo_3

 

2018-11-19 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。