浜松国際ピアノコンクール(10) 調律師の闘い
ピアノコンクールは、勿論ピアニストの戦いであるが、その舞台裏で調律師達の戦いがある。その過程はNHK BSプレミアム「もう一つのショパンコンクール~ピアノ調律師たちの闘い」に詳しい。オンデマンドでご覧ください。
調律師の激務
浜松国際ピアノコンクールは20分の演奏、それが3人続き、20分の休憩。その間に調律師の戦いが繰り広げられる。当然、昼休み、夕休みの1時間、その日のコンクールが終わった深夜に、調律師の出番である。コンクールでの調律師は一見華やかだが、社運を賭けた戦いであるので、現場は3Kの世界である。海外のコンクールでは、他社を含めての調律のスケジュールが組まれており、深夜の2時、3時しかピアノに触れないことも多い。その間、床で仮眠をする場合もあるとか。調律学校の卒業生は7~8割が女性だが、コンクールでは、激務のせいで女性は殆ど見ない。
ピアノメーカの体力勝負
ヤマハ、カワイ、スタインウェイの 3社で30台のピアノを会場に持ち込んだという。舞台の本番用のピアノ以外に、参加者の練習用に27台のピアノを持ち込んだのだ。先のショパン・コンクールでは、ヤマハは電子ピアノを50台無償提供して、参加者のホテルの部屋に準備したという。それに随行する調律師も10人単位である。ベーゼンドルファーの支配人が、「弱小メーカの我々は、資金的に耐えられないので、参加が難しい」という。世界的ピアノコンクールは金がかかるのである。ちなみにヤマハのピアノ生産高の1/10 がスタインウェイ、その1/10がベーゼンドルファーである。
だから、2018年春の高松国際ピアノコンクールで、ベーゼンドルファーが参加したのは驚きであった。私には、ベーゼンドルファーのピアノと他社との比較が出来て幸せであった。そのピアノは280VCで、お披露目の意味もあったようだ。
ピアノの選定
今回の浜松国際ピアノコンクールでは、第一次予選で、ヤマハ39人、カワイ28人、スタインウェイ24人が各ピアノメーカを選定した。どのメーカのピアノが一番多く挑戦者に選定されたかが、一番気になるところ。
過去9回のコンクールで優勝者が使ったピアノはヤマハが7回、カワイが2回である。第10回の今回はカワイSK-EXが優勝を飾った。
コンクールやコンサートでの調律
ピアノの調律は、基本的に音程比を扱った理論である。調律は、理論的には測定器だけでも出来る世界である。しかしそれが音楽的かどうかは全く別の世界である。だら、測定器の理論通りの調律では、蒸留性の水を飲んでいるみたいで、全く味気の無いものになりがちである。それでは演奏家から「音楽的でない」とそっぽを向かれるという。
感性の世界
音楽の響きというのは、数学的に完全に割り切れるものではない。それはギターみたいに弦が 6 本しかないと、測定器でやっても、それほど気になるものにならない。しかしピアノは一つの音でも 3 本の弦が張ってあり、全体では約230本の弦があり、全体が調和して鳴るためには、数学的にビッシと割り切れる世界ではない。そこは感性の世界が広がる。それを音楽的に調律せねばならぬ。当初は、本当に胃が痛くなる毎日であったとヤマハの鈴木俊郎さんはいう。
それを重ねてていって、どうしよう、どうしよう、こうしてもダメ、ああしてもダメという中で、一つひとつ答えを見つけていくと、なぜか音楽的な調律ではなくなってしまう。ただ、調律の制度から言うと、きちっと音は揃っている、音程感も合っている。誰が見ても、全然悪くない。しかし音楽の芸術家の世界ではそれが通用しない。
これは永遠のテーマであるし、そこの 1点が、ある程度ポイントをつかめれば、非常にいい響きになると思うけども、要は音を音楽として聞いてないとだめなのだ。それは調律だけの音なのだ。
特にホールに行くと、いろいろな音が返ってくる。ホールの場所によって、饗きが全然違う。それは一般の家庭でも、同じであるが、色んな音が返ってくる。それを、トータルとして捉えてなければ、音楽の音にならない。ーつのトータルバランスとして、整合が取れない。鈴木さんは今まではピークだけを捉えていて調律をしていたので、演奏家から総スカンを食ったのだ。。
コンサート技術者の仕事
調律師は芸術家ではなく、コンサート技術者である(鈴木俊郎さんの持論)。コンサートの場合は、調律とそれから整調である。それから整音の 3 つが欠かせない作業である。全部が大事である。3つともきちんと揃っていないと、だめなのだ。
調律は、聴力のバランスを整えて正しい音律にする。整調というのは、アクション機構の、鍵盤を押してハンマーが弦を打ってハンマーがキヤッチするまでの一連の行動のアクションの動きを調整する。整音というのは、いわゆるハンマーに弾力感をつけたり、針を入れることによって弾力感をつけたり、音の飛ばし方、音の広がり方を変える。ただ、音色には関係するんだけれど、整調をやることによって、音色に関係する。調律をやることによって、タッチにも関係する。
調律師の仕事
だから、この3つが全ていい方向で絡み合わないと、コンサートピアノは調整できない。そこからが調律師の勝負である。具体的には、ここはこういう響きだから合うかな、といじってみる。直らない、鳴らないなあ。調律やってみようか。ああ、これでいけそうかな、こんなもんかなあ。もうちょっと良くなるかなあ、余計ダメになった。この繰り返しでである。
作業的には、一つひとつやって重ねていくが、1個だけ突出しても、絶対いいものにはならない。だから 3つずつ重ねながら頂点へ持っていって、この辺の擦れ違う所で、どういうふうに持っていこうか、これを上に持っていこうか、ちょっと調律を変えてみようかとか。それでやはりうまくいかない。ちょっと鍵盤を深めにしてみようかと。そういうことをやって、ああこれでいいかな、こんなものかなあという作業の繰り返しである。
鍵盤の重さ?
鍵盤は軽ければいいというものでもない。その軽い重いとか、よく言われるが、演奏家からも「ちょっとこの鍵盤、軽すぎるわ」「重すぎるわ」とかの表現がされるが、物理的に重くするか軽くするというのは、できない。そこは音のタイミングをちょっとずしたり、一瞬速めたりとか、音の立ち上がりの頭の音を少し広めたり小さくするような、調律をする。
音の立ち上がり
音の立ち上がりで、感じが変わる。感じが、ピシッといくか、ちょっと柔らかくいくかとかになる。タイミングというのは、ハンマーを叩いて、押し上げてカクッと外れるような構造になっている。そこの外れるタイミングを変えたりすることで、音の立ち上がりが変わる。一つのキーあたり、整調という作業は、一つのキーあたり、10 箇所ぐらいある。それが 88 鍵あり、後はアクション全体で機械的に行う作業がある。
バランスよく揃えるということが基本である。しかし、それが生楽器だから、揃わないのだ。そこがまた楽器としての魅力にもなってくる。もちろん、一つひとつ音は揃えていくというのが原則である。
耳で聴き、耳で判断
最終的には弾くほうが耳で聴くわけで、決して測定器を持ってきて聴くわけではない。調律する方も、自然に聴いていて心地よい、弾いていて、弾きやすいとか、音楽的な調律というのが重要だ。調律のための調律ではだめで、音楽のための調律が大事なのだ。
コンクールの調律は、調律師の腕の見せ所である。ヤマハの花岡さんの前任者の鈴木俊郎さんも「音楽的でない」と言われて悩みぬいた方だ。コンクールで戦う調律師のリーダーは、全てこの思いを持っているのだ。
2018年11月12日 花岡昌範氏の調律風景
前回のショパン・コンクールでの調律師の闘い
2015年のショパン・コンクールでの優勝者のチョ・ソンジンが選んだピアノはスタインウェイであった。しかし彼は予備戦のときはヤマハを使っている。それは、彼がソロはヤマハの方がコントロールしやすいと判断したためであった。その彼も、1~3次予選ではスタインウェイに変更した。彼はスタインウェイ社に調律上の要望を強く出していたが、スタインウェイを選定したピアニストが多かったので、なかなか彼の要望を聞いてもらえなかったという。ファイナリストに選ばれた中では、スタインウェイを選んだ演奏家が少なく、結果的に彼の要望を聞いてもらえるようになって幸いしたという。
1次、2次、3次予選の課題曲は各ステージで異なり、その課題曲の雰囲気が異なる。また決勝の課題曲は、オーケストラを背景にしての演奏である。チョ・ソンジンは「ソロはヤマハでよいが、オーケストラを背景にしての演奏では、オーケストラに負けないような豊かな響き(派手な音)が必要で、それはスタインウェイのほうがよい」としてスタインウェイを選んだ。ヤマハからスタインウェイに機種変更をした他の2名も同じようなコメントをしている。
かようにソロ演奏とオーケストラとの協演では、最適な響きのピアノは違うようだ。派手の音ではソロのショパンの静かな曲では相性が良くないだろうし、また全てに合わせた調律も難しい。ピアノにも個性があり、合う合わないということがあるようだ。
ショパン・コンクールは、ショパンの作品だけによって競われる特殊なコンクールである。それに対してチャイコフスキー・コンクールは、それぞれの楽器を弾きこなし、世界で活躍していく演奏家を発掘するのが目的である。「どんなに演奏家に腕があっても、どんなに音楽的才能があっても、どんなに素晴らしピアノでもショパンにふさわしい演奏でないと優勝は難しい」と音楽評論家の青柳いづみこ氏は言う。またそれを評価する審査員も絶対的な基準があるわけではない。その人の感性で評価が変わる。極端な評価をする審査員がいるのも現実である。
「対象に合わせた調律も、弾くピアニストが多いと、誰の好みに、またどの曲に焦点を当てて調律するかが難しい。全ての演奏家に満足した調律は困難だ」と調律を担当したヤマハ調律師花岡昌範氏は嘆く。どこで落とし所を見つけるかが、多くのファイナリストがヤマハを選んだがために出てきた悩みである。
FAZIOLIのピアノ調律師越智さんも、ショパンの曲だからと、柔らかな温かい音つくりをして、会場に乗り込んだが、他のメーカが派手な音作りの調律をしてきた影響のためか、78名の参加者中、1名にしか指名されなかった。かように音作りは調律での命である。
越智さんは「ハッと思わせる音、ぞくぞくするような音の仕上げたい」と現地に乗り込んだが、音の好みは芸術家と環境により大きく変わるという現実の壁にぶちあったたようだ。
花岡昌範氏はコンクールでのピアノの調律方針を、「心を震わせるような音、聞いていて感動させるような音、響きを重視した音作りをしたい」として取り組んでいる。
車とピアノの関係
ピアノは、よく車をたとえられる。ピアノの調整と、アーティストの好みというのは、車の特性のようなものだ。ドイツ車はサスペッション硬いとか、日本車は足回りがやわだとか、言われるが、硬くても、ガチガチのペコペコはねるような形じゃダメなのだ。柔らかくても、攻める時には、がんがんロールしていて、どこまでロールしていくか分からないのでは不味い。つねに硬くても柔らかくても路面に吸い付き、ふんばっている感触が運転者に分からないとダメ。だから硬いとか柔らかいというのは、好みである。それからメーカーの個性差である。きちっとサスペンションが動いているというか、そいうイメージがピアノにもあると思う。(鈴木俊郎氏談)
ピアノの個性の発揮
調律といっても、ハンマーの状態、アクションの状態とか、全部が関わって、最終的に調律の音として出てくる。これでまたアクションの調子を変えたりすると、響きも変わってしまう。その辺の噛み合いの調整の仕方は、ホールへ行って実際にやってみないと分からない。また、ピアノは生楽器であるので、弦でもハンマーでも、全て均ーではない。フレームの材質にしてもそう。だから同じ3本の弦がありながら、1本ずつ叩くと、みんな音が違う。それは整音だけの違いではなくて、ある種のバラつきの差というのもある。だから、やはりそこを調律でうまく一番伸びるところを探しているのが調律師の仕事である。まるで人間の個性と同じである。
調律とは(教科書用語説明)
ピアノ調律(piano tuning)とは、ピアノの音程を整える作業、または調律時に行う鍵盤タッチの調整や音色を整える作業などをいう。
- 調律
チューニングハンマーと呼ばれるピアノ専用の調律工具を使用し、弦が巻かれているチューニングピンを回して音の高さを調節していく。 ピアノは構造上、弦楽器の一種であるが、一般的なギターやバイオリンなどと違い、ほとんどの鍵盤1音につき2本または3本の弦張られている。このため、ミュートと呼ばれるフェルト状の工具を使用し、1本のみ音が出る状態にして音を聞き分ける。
- 整調
鍵盤のタッチ(弾き心地)を調整する作業を整調という。鍵盤を指で押し始めてからハンマーが打弦し音を出た後、鍵盤から指を離して音が止まるまでのアクションとよばれる各種部品の動作を調整する作業であり、これらは単に鍵盤が押し下がる負荷、重い・軽いの調整だけではなく、アクションの動きが複雑に関係している。
- 整音
ピアノの音色・音質を整える、または音色を変える作業を整音という。ピアノの製造段階では最初から工程に組み込まれているため、仕上げと呼ばれる最終段階では「整える」ことに主目的があり、ここから「整音」という言葉が生まれた。
鈴木俊郎氏のコメントは、自動車技術会中部支部でインタビューした時の記録(2002年)を基にした。鈴木俊郎氏は中村紘子さんの御指名の調律師であった。先日、名古屋ヤマハホールでのコンサートで、その姿を見つけて、名刺交換をさせて頂き、光栄であった。
今回の浜松国際ピアノコンクールで、花岡昌範さんと名刺交換をさせて頂いた。
2018-11-18 久志能幾研究所 小田泰仙
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