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2018年10月22日 (月)

馬場恵峰先生と伊勢神宮・岩村の旅

 恵峰先生は、2018年10月20日、長崎空港から朝一番のセントレア11時10分着のANA機で来名して、名古屋経由で伊勢神宮に行き、夜、大垣のホテルでF先生と会食、大垣宿泊の行程であった。翌日は岩村である。92歳、88歳の高齢者のご夫妻には強行軍で、少々恐縮ではあった。

 当日、宿泊する大垣フォーラムホテルに着いたのは、予定より2時間遅れの夜8時半であった。休日の伊勢神宮の混雑ぶりを見込み違いした。今回、初めて休日に伊勢神宮に参拝した。休日の混雑具合を甘く見たのが原因で、休日の夕刻は、伊勢神宮の周りは大渋滞でタクシーも動かない。渋滞の為、タクシー料金が、五十鈴川駅から片道1130円が1450円に跳ね上がる。

 

伊勢神宮参拝

 今回、伊勢神宮に参拝して、神楽殿での雅楽の奉納、正宮の板塀内での特別参拝と馬場恵峰ご夫妻に喜んでいただけた。恵峰先生は、このために揮毫した「天照皇大神」の軸を伊勢神宮に奉納された。それは斎戒沐浴しての揮毫である。それと同じ軸をお土産として、私も頂いた。

 今年、恵峰先生は、中国の黄山(1840m)の頂上を5時間も走り回ったという呆れた話を聞いた。現地の中国人も先生の齢を聞いて祝意を述べたという。先生の元気さには脱毛(?)である。今回、足の悪い三根子先生に少々負担をかけて恐縮である。

 

伊勢神宮異聞

 伊勢神宮への参道沿いに、石灯籠が整然と並んでいた。岸信介や吉田茂奉納の石灯籠もあったという。最近、それの上部がバスのバックミラーと接触して、上部が落下して老人が亡くなられたという。その上部は固定されていなくて、置いてあっただけという。そのため安全のため、参道の石灯篭の全撤去が決まった。現在撤去工事中で、今残っている石灯篭が今回の見納めだという。タクシーの運転手さんが教えてくれた。

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 撤去工事中の石灯篭

会食のご縁

 当日の夜、私の30年来の師であるF先生に、恵峰先生との会食に付き合っていただいた。恵峰とF先生の波長が合い、人生論・教育論を当夜と翌朝の朝食会場で長い時間語り合って頂いた。私もその場に同席させていただき幸せであった。それが夜10時半まで続き、レストランに迷惑をかけたが、快く対応して頂いた大垣フォーラムホテルさんに感謝です。

 その翌日の会話も盛り上がり、懇談時間が想定外に延びたので、10月21日の朝の岩村への旅があわただしくなった。また大垣駅に行く途中で、大垣市制100周年記念行事の未来博で、ソフトピアジャパンの近辺の大渋滞に巻き込まれたのも想定外であった。

 

運命のいたずら

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人間の人知では到底はかり知ることができない。今回、それを実感した。

 F先生とのご縁は、私が仕事の関係で別の事業部に飛ばされて(元の部署ではポスト不足で昇格できないため、異動となり別の事業部で課長に昇格した)、そのご縁でF先生とご縁ができた。

 恵峰先生と私のご縁も、所属していた会社が合併で消失したため、奈良に異動となり、そのご縁で知り合うことになった。

 この二つの私には不本意な異動がなければ、絶対に会うことのない3名のご縁であった。自分が天の大きな差配の力で動かされているのを感じた。今回、恵峰先生とF先生の出会いは初めてである。F先生が、恵峰先生の経歴と書に興味を持たれて、今回の会合が実現した。一流の人は、一流の人の匂いが分かるようだ。他の人を会食に誘うため探したが、適任者がおらず、藁をもすがる思いでF先生に打診したら、快諾を頂いた。それが、大正解であった。恵峰先生とF先生は、私の人生の4人の師天王のうちの2名である。

 

お弟子さんの霊が呼んだ

 恵峰先生ご夫妻が、JR中央線の途中の武並駅と恵那駅の街並みを見た時、非常に懐かしがれて、大感激された。それは私には想定外。聞けば、昔のお弟子さんが、恵那におられて、8名ほどで京都の日本習字本部に先生から学ぶために頻繁に来られたとか。生きておられれば80歳90歳のため、「多分そのお弟子さんたちの霊が恵那に我々を呼んでくれたのだ」と感謝された。大村市では、恵那市の知人は誰もいないとか。

 また恵峰先生の曽祖父が、日本中を探して、ここの土地の会社を探し当て、陶器用の特殊機械の製造をお願いした歴史があるという。遠く九州の波佐見町から恵那まで会社を探しに来たという。曽祖父は、その家に泊めてもらい、機械の発注の手配をされたとか。この関係で、今でも岐阜からは多くの年賀状が届くという。今回の恵那への旅行を案内して、翌日にその件で九州の恵峰先生から電話がかかってきて、そのご縁を感謝された。耳の不自由な先生が電話をかけて来るのは稀有のこと。よほど嬉しかったようだ。佛様のご配慮である。

 

岩村への道中

 岩村に行く行程では、移動時間の関係と三根子先生の足を考えて、恵那駅からタクシーを飛ばした。以前に岩村を事前調査した時、岩村にはタクシーが一台しかなく、それもその当日にお休みであったので、安全を見て恵那駅からタクシーを利用することにした。タクシーの道中で聞けば、女性の運転手さんは九州出身とか。岩村に3人いる運転手さんの内の一人が、入院中とか。恵那駅からのタクシー料金は5500円ほど。恵那駅から岩村駅へいく明知鉄道は本数が少ないので、時間制約がある場合は、タクシー利用がおすすめ。

 

岩村散策

 岩村の街並みの外れまで行くのには、岩村駅からずっと上り坂であり、三根子先生の足では辛いのだ。それでタクシーで岩村の町並みの外れの高い位置まで行き、そこで車を下ろしてもらい、緩やかな約1㎞下り坂を岩村駅に向かって、岩村の街を見学しながら歩いた。

 当初の予定は、岩村山城と佐藤一斎記念館を訪問する予定であったが、時間の関係で割愛せざるを得なかった。

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岩村の街並みを散策する恵峰先生

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出版・寄贈の事前調査

 岩村で、今度、出版予定の恵峰揮毫佐藤一斎の『言志四録』の中の金言をどのようにするかを、恵峰先生と現地で確認しながら、岩村の街を散歩した。また各家の軒先に掲げられた佐藤一斎の金言の約200枚の木板を、別の形にする案を先生と相談しながら散策である。軒下の掲示された木板への揮毫では、どうしても風雪での劣化が避けられない。その対策を検討中である。

 もう一つの構想は、現在の佐藤一斎の金言の板を、恵峰師の揮毫で、有志を募って岩村に寄贈する。その板材にその寄贈者の名も小さく入れる。そうすれば寄贈者は、これを目当てに何度も岩村を訪問するし、知人に自慢もできるだろう。そうすれば岩村の町おこしのお手伝いにもなる。

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 この文言が人気あるようで、多く飾られていた。下図の板は風化している。

 2018年3月4日撮影

石碑からの学び

 道中に置かれた石碑の佐藤一斎の言葉の書体についても、恵峰先生より書道の面で教えて頂いた。文字の配置の点で、3文字の部分と4文字の部分の配置を逆にするとよいとのこと。これではバランスが悪いという。また全体の字の形は良いのだが、「一」の字体についての一言、解説があった。「一」の長さや形についての解説である。「憂」の上の「一」と中央部の「一」とが、長さの点でバランスが悪いという。

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岩村で出会った佛様

 帰路、岩村駅に歩いていく途中で、今の三根子先生の足では、明知鉄道の電車の出発時間14時15分に間に合わないことに気が付いて焦った。思いついて、街路の前方に停車中の車を見つけ、運転席の女性に、駅まで乗せてもらうことをお願いした。この電車に乗らないと九州への飛行機便が間に合わない。実に厚かましいお願いであったが、主婦の方は快く、進行方向の逆方向の駅まで乗せて頂いた。仏様の助けにあったようであった。名前は告げられなかったが、厚くお礼申し上げます。岩村の方の人情の温かさに感激である。

 その電車も遅れてきた我々3名を待って、出発してくれた。明知鉄道さんにも大感謝です。電車を待たせてごめんなさい。おかげで無事、18時10分セントレア発のANA便に間に合った。実にきわどい行程であったと思う。岩村からタクシーの手配は難しいのです。間に合ったのは、全て岩村の皆さんの人情の厚さのお陰と仏様のご配慮の賜物です。ありがとうございました。

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 明知鉄道 岩村駅    2018年3月4日の事前調査時

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 恵那駅  2018年3月4日の事前調査時

 

2018-10-22  久志能幾研究所 小田泰仙

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