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2018年10月

2018年10月28日 (日)

磨墨知127. 狂おう

 「人間は本質的に狂の部分を持っている。狂っているときが一番正常で健全だ」とは、ギリシャの哲学者セネカの言葉。狂は純粋なのだ。純粋だから成果がでる。革命は狂から発する。

 私も青春の一時期、団塊の世代の受験戦争で、狂ったように受験勉強にまい進した。受験というレールに乗せられて走らされたが、今思うと純粋であった。狂っていた。当時はそれが正常で、健全な時期だった。

 それが年老いると、狂いたくても、狂う情熱も体力も気力もなくなる。周りの雑音(もっと誘惑的なもの)が多すぎて、覚めてしまった今の状態では、狂いたくても狂えない。それは逆に人間的に堕落ではないかと反省している。

 狂える時は狂うがよい。狂う対象を見つけて、若さの気を取り戻し、青春を謳歌しよう。青春とは心の状態を表す言葉で、肉体的な状態をいうのではない。狂えば、精神は若い状態を保つ。世に貢献するために狂おう。

 

青春                    サムエル・ウルマン

青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ちかたのを言う。

青春とは、薔薇の頬、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、強靱な意志、豊潤な創造力、炎える情熱をさす。 

青春とは、人生の淵泉の清新さと、夢およびそれを実現させる計画を抱だいた心の状態を言う。

青春とは、怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青春よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想・夢を失うときに初めて人は老いる。

宇野収・作山宗久著 『青春』より一部抜粋,加筆    (産業能率大学出版部刊

 

2018-10-28   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知126. 自燃(=自然)

 人間は燃えているときに仏性を持つ。魂の燃える情熱が時間と障害の壁を打ち破る。仏性には無限の時間を有する。

 醒めた人間は、燃える人を冷ややかに眺めるだけで、何も行動に移さない。覚めているから、すぐ損得計算をして、「ワシには関係ない」と無視である。暇だから悪魔の囁きに耳を傾け、悪魔に魂を売る。悪魔は無為無策無志無動の極楽切符をくれる。その切符は認知症街道にまっしぐらである。

 感動とは心を動かすこと。覚めていると心は動かず、無動である。それでは何も成し遂げられない。

 

用を作って、用に燃える

 馬場恵峰師は、還暦の時、社会貢献として、家屋敷を担保に私財を投じて1億円の借金をして350坪の土地に日中文化資料館を建てた。その借金を24年間かけて、84歳で完済した。

 恵峰師は中国に私費で240回も渡航している。旅費だけで約7千万円が消えた。しかし智慧という財産が残った。人から見れば、「馬鹿かいな、アホかいな、中国にどげんか用があるばってん?」である。恵峰師曰く、「用があるから行くではない。用を作りに行くのだ」。恵峰師は92歳の現在(2018年)も、現役でバリバリである。馬鹿かいな、とあざけった人たちは、早くあの世に旅立って行った。

 馬場恵峰師に健康の秘訣を聞いたら、今は時間があるから、若い時よりも多く勉強している。毎日、朝晩の庭の草取りは欠かさない」。健康とは、体の健全さと心のやすらかさをいう。心身が健康でないと、時間を作れない。

 自分が燃えなければ、勉強はできまい。時間を持て余し、食っちゃ寝、食っちゃ寝では、確実にボケる。「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」では人生の末期が哀しい。老いるほど、人に負けないように自分で燃えよ。それが人生時間を創る。

Photo 日中文化資料館(敷地350坪) 平成元年 建設   

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三昧楼(付属図書館) 平成五年 建設

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2018-10-28   久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月27日 (土)

磨僕知97. 春風秋雨 

 前倒しの取り組みをしよう。今やるべきことで、できる状況になったら即実行しよう。見切り発車する先見性を持とう。後からでは余分のエネルギーが必要だ。明日では遅い。敵は昨日済ませている。今日でも遅いのに明日なんて。まして来年なんて。やってみて判断ミスと思ったら、直ぐ修正すれば良い。決断を出さなければ、修正も出来ない。朝令暮改もリーダーのPDCAを回しての必要行為である。

 

◆明日があると思うな、もう一度チャンスがあると思うな

 ああ、いい梅が咲いたな、明日にでも花見に行くか,と思っていたら春風が吹いて一夜で全ての花が散ってしまった。ああ、美しい椿の花が咲いたな、明日にでも見にいこうかと思っていたら、夜に秋雨が降り,全て散ってしまった。「春風秋雨」とは「今、ここの精神でやらないと、時間は待ってくれない」との警句である。明日があると思うな。次ぎの時にやればいいと思うな。それは一期一会と同じ言葉でもある。

 

組織の別れ

 私の前職の会社の組織長は、普通3年で交代の不文律がある。それでも普通はその1,2か月前に事前の話があるもの。上司から前の組織変更の話を聞いたのが、2001年4月5日(木)午前11時、実際の組織変更は、4月9日(月)からという(書類上は4月1日付)。その日の午後、私はずっと会議で、実質1日しかない慌ただしい組織変更を通告された。グループのリーダーとして、次ぎにあれもやりたい、これも段取りしようと思っていたが、メンバーとの別れは1年余で突然にやって来た。

 

家族の写真

 この組織異動の話があって、何故か昔にNHKで「家族の写真」とかのドキュメンタリーを見た記憶が鮮明に甦った。思いついて週末に家族の写真を写真館で撮った。

 そのNHKドュメンタリーでは、毎年家族そろっての写真を撮り続け、その家族の歴史を綴っていた。家族の出生や病没による増減、家族の老いなど、楽しい記録や辛い記憶などが綴られていた。私の家族を振り返ると、各個人では写真を撮っているのだが、いざ家族揃っての写真というと無いのである。カメラは持っているのだから、たまに撮るのだが、親が年老いてから家族揃っての写真が無いことに気づいて愕然とした。父の入院の前日に、今しか撮る機会はないと思い、写真館に行った。今後は毎年か隔年くらいで家族揃っての写真を撮ろうと心に決めた。

 

 現実問題として、今できないことは、後からやろうとしても意外と出来ない。時間は人を待ってくれない。結局、この写真が最初で最後の晩年の家族写真となってしまった。この写真が父の霊前を飾ることになった。それでも、縁ある組織異動との出会いで、父の元気な姿の写真が間に合って良かった、とそのご縁に感謝している。

 

家族への贈り物

 現在、家族同然と思って接している馬場恵峰先生と三根子先生を、2018年10月20,21日で伊勢神宮と岩村への旅にご案内した。大垣フォーラムホテルでは、スイートルームにお泊めした。今日10月27日に三根子先生から礼状が届き、「とてもいい冥途の土産となりました。とても有意義な米寿の記念です」と喜んでいただけた。ありがたいこと。

 「冥土の土産」の言葉でドキッとして、春風秋雨の言葉を思い出した。思えば恵峰先生は92歳、三根子先生は米寿なのだ。その前に、よき贈り物ができたと喜びである。改めて恵峰先生ご夫妻の歳を感じた。何時までも元気で過ごしていただきたい。

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   馬場恵峰先生書

2018-10-27 久志能幾研究所 小田泰仙

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小川敏市長がケンチャナヨ汚染

「朝鮮通信使」時代考証の出鱈目さ 

 大垣郷土館で開催中の「朝鮮通信使」特集展で展示中の「朝鮮通信使行列絵巻」、google画像検索での「朝鮮通信使行列巻物」と大垣大パレードの姿を比較検討した。2018年10月17日、大垣10万石まつりでの「朝鮮通信使のパレード」の様子が、時代考証的にでたらめだと断定した。

 絵巻と比較して、大パレードの御輿に乗った長官の冠がおかしい、御輿の形態がおかしい、随行婦人の様子がおかしい、服装がおかしい、靴がおかしい、旗がおかしい、のだ。

 今回のパレードの様子は、単に市制100周年記念で獲得した予算消化の見世物の行列となっている。韓国のケンチャナヨ文化が、大垣市制を汚染した。韓国人の行列には破顔で無邪気に喜んでいる小川敏市長の顔は見られたものではない。それなのに大垣少年少女合唱団が大垣の歌を歌っている最中、大垣の青少年たちが市長の面前で整列しても、にっこともしないぶすっとした小川市長である。

ケンチャナヨ主義:本来の意味は「問題ない」「関係ない」。細かいことに拘らない韓国人の適当な精神を指す。(小倉紀蔵・京都大学大学院教授)

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韓国人の行列時はご満悦の小川市長

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大垣市の子供達が韓国民族衣装で「大垣の歌」を歌う間、ずっとしかめっ面の小川敏市長

時代考証

長官の冠

 「朝鮮通信使行列絵巻」で描かれた使節長の冠は布製である。それも地味な色と形態である。金ぴかの冠を付けた姿は巻物では見当たらなかった。金ぴかの冠なら王様である。朝鮮通信使の長は単なる使節の長官である。当時の朝鮮には染料がなく、中国から輸入していた。

 

長官の乗る御輿

 パレードで示されたようなトロッコのように下部に小車を付けて、朝鮮人が神輿を曳いている形態は、巻物には描かれていない。歴史の巻物に描かれたのは、全て、8人ほどの日本の人足が長官を乗せた籠を担いでいる。通信使長の籠の上を覆う天蓋もない。扇のような旗もない。その後の玩具のようなキャスターを付けた派手な台車の行進はお粗末すぎる。そんな染料が当時の朝鮮にはなかったのだ。大垣市はケンチャナヨ。

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お粗末なキャスターで馬脚が現れている。こんな状態で、舗装の無い江戸時代の道を行けるわけがない。ケンチャナヨ

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出典konn.seesaa.net

 上図は、写真ができた当時の韓国貴族の写真。写真技術ができた時代でこの有様だから以前の朝鮮通信使が何度も来た江戸時代中期は、その姿が想像に余りある。当時の朝鮮には二輪車を作る技術さえなかった。車輪を左右均等に作れないのだ。日本は平安時代に二輪、天蓋付きの漆塗り牛車があった。それと比較すると、当時の韓国の文化レベルが推し量れる。

 

女性陣の参加の疑問

 当時の朝鮮は儒教の影響で、男尊女卑である。今でもその男尊女卑の風習は色濃く残っている。当時は貴族階級の女性でも外出はできなかった。だから晴れ晴れしい行列に女性は参加など言語道断である。

 大垣郷土館に展示された「朝鮮通信使巻物」に描かれた行列風景でも、95人の男性が描かれているが、女性はたった8名だけである。その女性の全ては、馬に乗って、日本人の人足に曳かれて行列している。多分高貴な女性であろう。それも派手な赤の服装ではなく、地味な服装である。もしかすると日本女性かもしれない。当時、女性が10か月間、2000キロに及ぶ朝鮮通信使の行列に同行するのは実質的に困難である。

 ユネスコ登録記念の歴史再現行列なのに、女性陣は運動靴での参加で、雰囲気が台無しである。それを許した大垣行政は、ケンチャナヨ。

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派手な色の服装と運動靴で馬脚が現れている。朝鮮の昔の歴史上では、女性は外出禁止。これは歴史の大嘘

 

子供達への反逆者・小川敏市長

 だから、大垣大パレードで赤の派手な韓国女性が、ほぼ半数の大勢でパレードするなど、歴史的に大嘘である。これでは大垣の子供たちに間違った歴史観を植え付けてしまう。大垣市長は、子供への教育の反逆者である。歴史を捻じ曲げてまでして、韓国に媚びを売りたいのか。何が子育て日本一を目指すのか。

 

原色の派手派手の衣装 

 大パレードの服装も、原色の派手派手で、絵巻物に描かれた姿と大違いである。当時の朝鮮には染料がなく、中国から輸入していた。だから大嘘の大パレードである。

 

旗の存在の疑惑

 大パレードで掲げた旗も、絵巻物では、その形跡が歴史上に存在しない。当時の朝鮮には染料がなく、中国から輸入していたので、こんな派手な旗は大嘘である。

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こんな旗は絵巻物に描かれていない。大嘘

歴史の事実

 当時の朝鮮通信使の中には狼藉を働く使用人も多く、殺人事件まで起こす人種が同行したとの記録がある。宿泊先の建屋内の階段で小便をまき散らす男たちもいて、それが記録に残っている。そういうレベルの人が同行していたという事実を知らねば、この行列を観察する意味がない。だからその警護で大勢の大垣藩の村民が駆り出された。それを認識しておかねば、歴史認識を誤る。ユネスコ登録という名目での再現行事なら、時代考証を綿密にしなければ、単なる見世物行列となり、税金の無駄遣いである。今回の朝鮮通信使行列の状況を検証したら、税金の無駄使いと断定した。

 

朝鮮通信使行列は朝貢外交

 朝鮮通信使は、日本の将軍への朝貢使節団であり、文化は伝えるためではない。「日東壮遊歌」を読めばそれが明白である。高い文化を所有していると自慢する国が、なぜわざわざ日本へ団体で頻繁に来るのか。日本が文化を教わる立場なら、出向くのは日本の方のはずだ。

 朝鮮通信使に同行した書記が書いた記録にも、大阪の風景は、当時の朝鮮の首都より万倍も立派と書いて感激している。

 朝鮮通信使についても、あくまで「日本に対し文化を教えてやった立場である」としないと、韓国が捏造する歴史の整合性がとれない。それでは、日韓の共同ユネスコ申請に際し、当時の両国は対等であったと妥協したのだ。そうでないと韓国が納得しない。だからユネスコ登録は妥協の産物である。本来、登録すべき事例ではなかった。これは事実を捻じ曲げて広報した慰安婦事件の変形版である。それをありがたがる大垣市長がおかしいのだ。小川敏市長よ、あなたはどこの国の市長なのか。

 

『朝鮮紀行』

 『朝鮮紀行』はイザベラ・バードが1894年(明治27年)から1897年(明治30年)にかけて、最末期の李氏朝鮮(朝鮮王朝)の4度の旅行記録。当時の朝鮮の風俗、社会、政治情勢などを知ることのできる歴史的資料である。李朝末期(約100年前)の朝鮮の姿は凄まじい。「朝鮮紀行」では下記が記載されている。

・貨幣制度が皆無に等しい。

・ソウルは世界有数の汚く悪臭のする都市。

・一般民衆の住む場所は藁葺きのあばら屋で、通りからは泥壁にしか見えない。

・道はとにかく悪い。

 

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出典blog-imgs-45-origin.fc2.com

「朝鮮通信使」の実際は「民度の低い盗人集団」

 江戸時代、大名たちは、家の格を守るために幕府に忠誠を尽くす必要があった。戦争があれば武功で忠義を示すことができる。しかし、江戸時代は戦争がない時代で、大名たちは幕府のために熱心に朝鮮通信使を接待した。江戸への旅で、過剰な接待を受け続けた朝鮮通信使の一行は、甘やかされた子供のように、しつけをしていない犬のように、どんどん傲慢になり、有頂天になって傍若無人な態度をとるようになっていた。それは、もはや不良中学生の修学旅行の一行であった。(出典 歴史投稿朝鮮通信使

 「朝鮮通信使」が、鶏を盗んで乱闘になっている有名な絵が残っている。船着場から上陸して町の中をうろついていた朝鮮通信使一行が、町人が飼っている鶏を盗んで逃げようとし、日本人と喧嘩になっている絵である。朝鮮人は、欲しいと思った物は、力ずくだろうとなんだろうと、何がなんでも手に入れようとする執念を持っていた。(出典朝鮮通信使の真実

 出典朝鮮通信使の宿泊施設の旅館では、部屋にある布団から、花瓶や、食器、掛け軸まで盗まれた。朝鮮通信使が去った後の部屋は、まさに「引っ越した後の空き家」状態になったという。朝鮮通信使の随員の中には、段々と尊大な行動をする者も現れた。食事に難癖をつけて、魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求したりというような些細なことから、予定外の行動を希望し、拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかけたりするようなこともあったという。(出典BBの覚醒記録)

 

韓国ドラマのいい加減さ

 韓国ドラマの衣装の素晴らしさは、作り話のテレビドラマだけの世界である。時代考証をした実際の姿とはかけ離れているとは、多くの識者の見解である。時代の捏造は韓国のお得意技。それに迎合する小川市長は誰の味方?

 

結論

 要は、大垣大パレードでの朝鮮通信使の格好は、3億4千万円の記念行事予算の消化のための大芝居なのだ。税金の無駄遣いである。行事で大きな金が動けば、陰で裏金が動くとみるのは、常識である。「大垣さん大集合」の行事一つ見ても、予算の半額が使途不明金である。下品な「水饅頭共食い挑戦」にも、使用用途の半分に疑惑があるようだ。なにせ今回の市制100周年記念行事の予算の使用用途は、条例で公開禁止なのだ。すべてそのためのカモフラージュと見るのが、常識のある人の見方である。

 

大垣丸の行く末

 近未来に大垣丸フェリーの横転、沈没が予想される。頭でっかちの船体で、未来を見据えて作った海図がケンチャナヨで、航海コンパスが狂い、燃料駄々洩れで、船底に穴が空いて浸水しているが、甲板上では、お祭りでどんちゃん騒ぎ。大垣船長は宴に酔い痴れている。大垣丸の行く末や、如何?

 

参考文献

日本人なら知っておきたい「朝鮮通信使」の嘘と真実https://matome.naver.jp/odai/2143457548330480301?&page=3

韓国のナンチャッテ時代劇

2015-03-20 | 歴史・政治

https://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/4596479e1def02a733f1cb62c761fcdb

 

2018-10-27 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月26日 (金)

磨墨知590-3. 何を置いて逝くのか

老いて、追いて、負うて、

 人間は一生をかけて(80年×365日=29,200日)、何を現世に置いてあの世に旅たつのか。土でできた肉体は、いつかは土に帰る。土でできた肉体は大きな器である。その器に何を入れて昇華させるのか。それが人間の生き様であり、成果である。それが時間の創造である。かけた時間に相応して、人生が決まり、昇華する価値が決まる。人は何にお金を使い、何に時間を使い、誰に出会い、何を志したかで、人生が決まる。

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人生ホテルのチェックアウト

 人は人生ホテルに、裸でチェックインして、裸でチェックアウトする。どんな立派なホテルに泊まっても、いつかはチェックアウトしなければならぬ。それも自分の意思ではなく、ある日突然に追い出される。その時、身につけるのは経帷子のみ。その時、己は此の世に何を置いて逝くのか。それを意識して生きよう。

 

2018-10-26  久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知590-2. 時間とは何か

 人生では言葉の定義で生き様が変わる。言葉をどのように解釈して行動に移すのか、それによって人生の歩き方が変わる。解釈の仕方は国や民族の人生観そのものである。人生をつまらないものと定義すれば、つまらない人生を送る。価値あるものと定義すれば、価値を作るための生き方をする。それ故、時間を「量」と捉えるか、「命」と捉えるかでは、生き様に大きな差が出るはずである。

 辞書での解説とは、辞書を作った各編集者の解釈にすぎない。解釈が同じでないことは下記を見れば一目瞭然である。辞書の定義は、あくまで編集者の個人的見解である。自分の人生を創る為に、自分で時間の定義をしよう。私の定義は下記、

「時間とは与えられた命である。私の辞書に「量」の意味はない。」

 

  1. A continuous measurable quantity forum the past, through the present, and into the furture (Longman)

   過去から現在を通して未来に向って連続的に数えられる量

   2. What is measured in minutes, hours, days, etc. (Oxford Adbanced Learner’s Dictionary)

   分、時、日等で測定できるもの

   3.  the quantity that you measure using a clock (Macmillan Egnilish Dictionary)

  時計を使って計測する量

  4. the part of existence which is measured in seconds, minutes, hours, weeks, months, years, etc. (Cambridge Adavanced Learner’s Dictionary)

  秒、分、時、週、月等で計測される存在の一部

 5.  a quality that goes on and on without end, separating things that happened before from those that will happen. (The Lincolm Writing Dictionary)

   起こってしまった事象を起こるであろう事象を分離する終りなき継続する品質

 6. the past, present, and future; every moment that has ever been or ever will be      (Webster’s New World Children’s Dictionary)    

    過去、現在、未来;  継続するか継続するであろう各瞬間  

 7.  The past, present, and future measured in seconds, minutes, hours, and so on.(Scholastic Children’s Dictionary)         

     秒、分、時、等で計測される過去、現在、未来

  8. Indefinite, unlimited duration in which things are considered as happening in the past, present, or future; every moment there has ever been or ever will be. (Webster’s New World Dictionary)           ]

 9. A nonspatial contimuum in which events occur in apparently errebersible succession form the past through the present to the future.(The American Heritage Dictionary)

   10. System of distinguishing events; a dimension the enables two identical events occurring at the same point in space tobi disitinguished, measured by the intervalbetween the events. (Encarta World English Dictionary)

  1. A period during which something(as an action, process, or condition) exists or continues; an interval comprising a limited and continuous action, condition, or state of being; measured or measurable duration. (Webster Third International Dictionary)
  2. A rasional system in which events, following from one to another, can be measured; the passing of minutes, hours, days, or years (Randoum House Webster’s Intermediate English Dictionary)
  3. A certain point in the day or night, that you say in hours and minutes/ all the seconds, minutes, hours, days, weeks, months and yeaes. (Oxford Elementary Learner’s Dictionary)
  4. Time is what we measure in minute, hours, days, and years. You use time to ask or talk about a specific point in the day, which can be stated in hours and minutes and is shown on clocks. (Collins COBUILD New Student’s Dictionary)

   15. The passing of hours, days, years,etc. measured by clocks./ the passing of time/yeas,/ the process of time/ the years happnening and becoming past of the past. (Larousse English Dictionary(france))

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2018-10-26  久志能幾研究所 小田泰仙

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なんでもマル秘認知症

(4) 孤高い汚鼻畑に咲き狂う惚けの花

 とかくこの世は住みにくい。理に走れば大喧嘩。利に走れば墓穴掘り。義に走れば絶滅種。情けかければ裏切られ。皆でピンはね恥が消え。真面目であれば鬱病に。ブラック企業、正論言えば村八分。とう大出で鼻が高いのよ。惚けたふりして公金隠ぺい。認知を装い会計報告とぼけ体。痴気恥気馬鹿莫迦大行進。この世は狂気、認知、KYばかり。正気の己が泣きを見る。今に見ていろ、俺は健康長生き、此岸で勝ち。

 

なんでもマル秘認知症 

 自分が使う公金の使用用途を、自分で条例を作り、会計報告をマル秘扱いにすればバレないと思う大垣市長は認知長だ。会計で、辻褄が合わなくても、マル秘だから大丈夫なのだ。それを追及しない地方紙も痴呆死だ。その条例を通した議会も、皆で黙り込む認知会だ。それにワル乗り大垣市商連も認知商である。

 それで罪の意識を感じないから、全員が認知極楽逝きで幸せである。認知な世界に住むには、認知に徹しないと、精神異常にされる。

 

何処がマル秘?

 そのマル秘の資料(小学校エアコン助成金の申請書)を岐阜県庁で請求すれば、閲覧可でコピーをくれた。「これが何故、大垣市議会議員にマル秘なの?」と県職員が呆れた。と、岡田まさあき市会議員が、9月10日の大垣市議会一般質問で追及した。それでも小川市長は少しも慌てず、のらりくらり。この神経でKYでなければ大垣市長は務まらない。何のために、マル秘にしているか、知りたいもの。

 

2018-10-26   久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月25日 (木)

磨墨知633. おまけは拒否しよう

 おまけは無料である。しかし使いもしないグラスや皿、ポリ容器等は貰うのを拒否すること。結局使わずに、その処分の時間、収納場所等を無駄にする。今は不用品の処分にもお金が懸かる。

 「ものには精霊が宿っています。使われないと悲しみます。」とは私の師の奥様の言葉。自分が使うものは、お金を出して手に入れよう。使いもしないものは、貰わないこと。それの製作に時間をかけて(命を使って)作ってくれた人への礼儀である。有意義に使ってもらえる人に行くのが、精霊の籠ったモノへの心遣いである。モノには妖怪が宿っている。

 

命の消滅

 タダの情報、タダの本をもらえば、聞かなければならぬ、読まなければならぬ、情報が多くなりすぎて混乱の元である。聞いた時間、読んだ時間が無価値の内容なら、その時間分だけ、自分の人生の時間(命)が消滅したのだ。その分、寿命が短くなったと同じで、怖ろしい事態なのだ。

 

命を召す新興宗教から誘い

 タダの情報でも、提供する方には下心がある。相手も生きていかねばならぬ。この世でタダのものはない。タダの利用目的を確認してから、受け入れよう。新興宗教の最初の勧誘の多くは、ただで迷える羊を誘い込む。ときにはそれが絞首台の道につながるかもしれぬ。

 

命を削るタダの食いもの

 タダの食い物、おまけは貰わない、食べない。無料だからと大盛りを食べれば肥満になり、間接的に多くの時間が盗まれる。タダの食品には「毒」がある。食べ物は、自分の目で確認して、己の意思で選択して購入しよう。病気になれば、多大の時間が失われる。病気の原因の多くは、食事からである。

 

2018-10-25   久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知47.  いい仕事は必ず重なる

 いい仕事、いい企画、いい行事は必ず重なってくるもの。それが集中してやってくる時は、こなすのに困ることが多い。それは神様が与えた運試し。その時は、人生の波が高揚しているときで喜ばしい。何もないよりはるかに良い。それをこなす知恵を出すことが人生の仕事である。それを安易な選択をするから、人生が下降する。その選択のために、己の価値観を明確にせよ。価値観が明確なら、選択に迷わない。

 

人生経営はいつも赤字

 いつもどんな場合も時間は十分にはない。自分が社長の時間株式会社は、いつも赤字経営なのだ。その赤字幅を少しでも少なくする取り組みをするのが人生経営。どうせ人生の先は、死という負け戦なのだ。負けるにしても、その負け方を最小限にせよ。負ける時を最大限に遅らせよ。それが人生ゲームで、負けないためのルールである。

 人生ゲームで勝つ必要はない。自分に負けずに、自己満足で終われば立派なもの。あれもこれもやりたかったのに、で終わるのも可である。認知になれば、それさえない。

 

人生ゲームの妨害者

この人生ゲームは、己の条件が悪くなるように仏様が意地悪をしている。人生、うまくいく方が稀なのだ。仏様は、難題を突き付けて、己の智慧と熱意を試しておられる。うまくいかなくても、戦い甲斐があったと喜べるように、せめて心を込めて戦いたい。

 

2018-10-25   久志能幾研究所 小田泰仙

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貴賓席の痴態「朝鮮通信使行列」「山車揃い曳き」

議員・貴人・公人が痴態乱舞

 2018年10月7日、大垣市制100周年記念「朝鮮通信使行列」行事、10月17日、同記念「大垣祭山車特別揃い曳き」行事の真っ最中に、貴賓席の招待議員や公人・要人が私的用のスマホ撮影をしたり、携帯電話をいじったりと、マナー違反、無礼千万行為の氾濫であった。対外的に大垣のマナーの低さの恥を全国に晒した。

 この行事には、公式カメラマンは数多く配置されていたので、議員権限やその立場でその写真を入手するのは容易である。スマホやデジカメで撮影する必要がない。してはいけないのだ。

 貴賓席は、そんな美味しい特権を行使するための席ではない。貴賓席に座るのは、市民の代表として座ったのだ。座った以上、大垣市の公人である。公人なら、その責任を自覚してもらわねばならぬ。その不文律が分からなければ、貴人・公人としての資格はない。

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 「朝鮮通信使行列」行事  貴賓席

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8dsc04532 「大垣祭山車特別揃い曳き」行事  貴賓席

貴人の義務と責任

 貴人や公人には「貴人の義務と責任」が発生する。その地位を利用して、特等席で私的なスマホ撮影するのはルール違反である。職権乱用である。己を下衆に貶める行為である。我々は情けない議員どもを選んでしまったのだ。これは貴人ではなく、奇人である。貴賓席に座らせてもらった意味が、理解できない小人である。貴人が愚かに行動すれば、それを選んだ選挙民やそれを頂く立場の市民は恥をかく。そんなレベルの人が政治をするから、大垣市民の生活は向上しない。市民は心して議員や市長を選ぶべきだ。

 

2018-10-25 久志能幾研究所 小田泰仙

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