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2018年10月28日 (日)

磨墨知127. 狂おう

 「人間は本質的に狂の部分を持っている。狂っているときが一番正常で健全だ」とは、ギリシャの哲学者セネカの言葉。狂は純粋なのだ。純粋だから成果がでる。革命は狂から発する。

 私も青春の一時期、団塊の世代の受験戦争で、狂ったように受験勉強にまい進した。受験というレールに乗せられて走らされたが、今思うと純粋であった。狂っていた。当時はそれが正常で、健全な時期だった。

 それが年老いると、狂いたくても、狂う情熱も体力も気力もなくなる。周りの雑音(もっと誘惑的なもの)が多すぎて、覚めてしまった今の状態では、狂いたくても狂えない。それは逆に人間的に堕落ではないかと反省している。

 狂える時は狂うがよい。狂う対象を見つけて、若さの気を取り戻し、青春を謳歌しよう。青春とは心の状態を表す言葉で、肉体的な状態をいうのではない。狂えば、精神は若い状態を保つ。世に貢献するために狂おう。

 

青春                    サムエル・ウルマン

青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ちかたのを言う。

青春とは、薔薇の頬、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、強靱な意志、豊潤な創造力、炎える情熱をさす。 

青春とは、人生の淵泉の清新さと、夢およびそれを実現させる計画を抱だいた心の状態を言う。

青春とは、怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青春よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想・夢を失うときに初めて人は老いる。

宇野収・作山宗久著 『青春』より一部抜粋,加筆    (産業能率大学出版部刊

 

2018-10-28   久志能幾研究所 小田泰仙

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