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2018年10月24日 (水)

ボロを着てれば、心もボロ

惜福

 惜福とは、ご先祖や親から頂いた贈り物を、先祖・親に感謝しながら大事に惜しみながら使う心が、次の幸福をもたらすという意味である。

 

鉄槌

 2018年10月14日、大垣市制100年周年記念行事「大垣祭山車特別曳揃え」で、大垣市長は新大橋のイベント会場で得意満面で挨拶をした。挨拶する小川敏市長の後ろに、築70年の歴史ある古びたビルがそびえていた。その背景の姿は、今の小川大垣市長の考えと大垣駅前商店街が衰退している状況を象徴していた。大垣駅前商店街の服装、身だしなみは、その商店街の建屋と街並である。

 その小川敏市長の傲慢さに鉄槌を下すように、「大垣祭山車特別曳揃え」行事の見物客はたった1万人であった。先週の大垣大パレードの見物客30万人とは別世界である。恥ずかしくて、岐阜新聞も中日新聞もその見学者数を報道しなかった。知らせるべきことを報道しないのは、報道機関としては恥さらし。

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   2018年10月14日 大垣駅前商店街の中央部で挨拶をする小川敏市長

   後の聴衆は、皆そっぽを向いている。鼻をほじくっている人も

 

ミッキーにも大垣はお呼びでない

 中途半端な浮ついた大垣市制100周年記念行事をするから、大垣が寂れ見物客が来ない。10月7日に30万人の見物客が大垣に来ても、それはミッキーだけが目当てで、大垣はお呼びではないのだ。ミッキーマウスを見に来た見物客は、大垣市制100周年記念行事など知ったことではないのだ。大垣に来ても飲み食いだけで、大垣駅前商店街には金を落とさない。翌日の大垣駅前商店街は、何時もの幽霊通りに戻った。

 

私が大垣市長なら「大垣のあるべき姿」を下記に掲げる

 大垣を「住みよい街、日本一に」

 大垣を「働きたい街、日本一に」

 大垣を「子育てしたい街、日本一に」

 大垣を「歴史を感じる街、日本一に」

 大垣を「文化・芸術の香り高い街、日本一に」

 大垣を「何度も訪問したくなる街、日本一に」

 

 上記の取り組みの正反対を小川市長は20年弱も継続しているから、大垣市は寂れる一方である。やることなすことが、金だけを使い、見栄えだけをよくするだけである。市長の座に長く居座りたい取り組みばかりである。

 

赤福(福の赤字)

 大垣市制100周年記念行事を惜福の考えなしに、市民から巻き上げた税金を、何が何でも3億4千万円を消化して使い切りたい小川敏大垣市長である。小川敏市長には「惜福」という考えがない。福の大赤字である。大垣の先人が貯めた財産を、少しでも残して、未来の子供たちに使うという考えがない。だから遮二無二、100の事業をでっち上げて金を使いまくっている。1年で100回の行事なら3日に一回である。お祭りは年に数回だから価値がある。それを3日に一度など、狂気の沙汰。そんな付け焼刃のような行事を市民は喜ばない。やましいことがあるようだから、その使用用途は条例でマル秘扱いにしているのだろう。

 

人と街は見た目が大事

 人は外見で判断される。外見とは、己の心の表れである。心が美しければ、その振る舞いも美しい。街もその街にそびえるビルの外観で評価される。繁栄している街は、その街並みが輝いていて美しい。この場所を大垣市制100周年記念事業の舞台にするなら、このビルの外装だけでも塗り直す配慮ができないのが情けない。大垣を訪れて、大垣駅前通り商店街に立ち並ぶビルのあまりの古さ、みすぼらしさと汚さに驚く。ビジネスで求められるのは、古くても清潔感である。大垣駅前商店街にはそれがない。商店街のビルに再投資をする力がないほど、大垣駅前商店街は衰退している。

 小川敏市長には20年弱の時間があったのに、大垣の発展のために何もできなかった象徴が、大垣駅前商店街の中央部の新大橋前ビルのみすぼらしい姿とそれを背景に得意満面に挨拶する姿である。この人は現実が何も見えていない。

2018-10-22   久志能幾研究所 小田泰仙

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