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2018年10月

2018年10月20日 (土)

磨墨知39 天命と信じ人事を尽くす

人事を尽くして天命を待つ」は間違い

 今までは「人事を尽くして天命を待つ」が正しいと私は信じていた。しかし、これは間違った生き方である。待っていては、時間は無為に過ぎていく。世の移ろいは速く、その間には状況が刻一刻と変わる。1300年前の鴨長明も「方丈記」で、「ゆく河の流れは絶えずしてしかも元の流れにあらず」と描写している。これは危機管理、時間管理の言葉である。だからこそ、更に変化の激しい時代の現代で、勝ち組や事を成した人は、待つ間も寸時を惜しんで、人事を尽くし、「志を天命と信じ人事を尽くす」で行動している。

 

天命と信じ人事を尽くす

 「志を天命と信じ人事を尽くす」との信念が無ければ、コロンブスのアメリカ大陸発見もアポロ月到達もなかった。アメリカ大陸を発見する(実際はインドを見つけるのが目的だったが)とのコロンブスの信念が、人々の嘲りや船員たちの動揺を抑えてその行動したからこそアメリカ大陸が発見された。

 アポロ計画も同じである。ケネディ大統領の声明を米国の威信を掛けた志とし、期限を1970年代末と宣言し、天命を信じてNASAの全員がその目標に向かって行動したからこそ、アームストロング船長は、「人間には小さな一歩であるが、人類には大きな一歩を」月面に残したので(1969年)。

 時に、30万Kmも離れた日本の国会では、野党と自民党の間で議決に対して愚かな「牛歩戦術」が繰り広げられていた。同じ「小さな一歩」でもなんとした違いであろうか。まさに月とスッポン。月という理想に向かった志、利権や党の愚かな方針にスッポンのように食らいつく議員根性、まさにこの違いである。これは行動に志の有無の差でした。志の有無が人間に品格の差を与える。

 2003年7月18日、元社民党の辻元議員の秘書給与詐欺問題で、辻元議員と土井党首の元秘書の逮捕が報じられた。当時の牛歩戦術の主導格は社会党である。社民党の前身である。四半世紀経っても組織のDNAは変わらないなと感じた。

 そして翌日の19日の記者会見で、土井党首は党首辞任を否定して、「社民党の信頼回復に努めることが天命と心得ている」と発言した。こんな場面で「天命」を使うのは不遜である。

 

--- かたえくぼ ----

 牛歩戦術』

   この一歩は小さいが....

       ----野党

      (大垣・百舌鳥)

   (朝日新聞「声の欄」 1979年7月28日、「百舌鳥」は著者のペンネーム)

 

天命と信じる

 やったことが正しいだろうかと、不安の心で天命を「待つ」のは愚かである。人事を尽くして待つとは、俺は十分にやった、との傲慢さの現われだ。誰もそれが正しいとか、完璧なんて言えない。言えるのは神様のみ。そんな待つような暇があれば、更に人事を尽くすべきだ。間違っていてもそれが信念となれば、世の中の方の価値が変わる。そんな事例が歴史にごまんとある。そして謙虚でない人は、あたかも「当時から私もそう思っていた」などとほざくのだ。私はそんな人にはなりたくない。

 

「志」とは何か?

 「志」とは字の構成から、「十」のあれもやりたい、これもやりたいとの思いの内、たった「一」つを「心」に決めて取り組むと書く。限られた人生時間内で、あれもこれもはできない。並みの人間にできるのは、たった一つだ。孫子もランチェスターも戦力の分散を固く禁じている。戦力は一点に集中すべき。

 

起き上がりこぼし、投げられた所で起き上がり

 何処かどこかいい所はないかと、あちこち模索して無駄な時間を過ごす人は多い。それより、投げられた場所で、天命として与えられた業務に全力を尽くす生き方が、結局は人生の時間節約と成果を出す結果となる。「天命と信じ人事を尽くす」と同じこと。

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2018-10-20  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

刃物の握り方

 仏像彫刻の場合、刃物を持つ手の指の関節部の骨の硬い部分で支えると、刃物に力が入らない。指にタコができやすい。その人が握る刃物を引っ張れば、簡単に引き抜くことができる。

 それを人差し指の関節部と関節部の間の柔らかい腹の部分と親指の柔らかい腹の部分で抱える様に支え、握ると簡単には指から抜けない。いくら刃物を使って仕事をしてもタコもできない。

 これは2018年10月12日に松本明慶先生から教わったこと。明慶さんが握ったノミを、明慶さんは「引いてみろ」と言われたが、私がいくら力をいれてもビクともしなかった。

 

筆の持ち方

 書道における筆の持ち方は、明慶先生の刀の持ち方と相通じるものがある。恵峰先生にとって、筆は刀である。筆を左手で筆の上部を持ち、自然にぶら下がるようにして、力を入れずにそっと右手の3つの指先で抱え、添える様に持つ。そうすると、自由自在に筆を動かせる。筆を握りしめると、動きが制限されて、字がうまく書けない。

 これは2006年、明徳塾で馬場恵峰先生から教えてもらったこと。

 

人の心の握り方

 組織を動かすのは人である。組織長は、組織で動いてくれる人の心の握りしめ方を学ばねばならぬ。組織を自分の動かしたい方向ではなく、動かさねばならない方向に向けるには、部下を硬い規則や強い命令でガチガチに縛ると、人はその方向には動かない。それよりも、部下を自由に任せて、優しく柔らかく温かくシッカリと包み込むように抱え、行き先を明確にして、心に火をつければ、部下はその持てる力を全て発揮して動いてくれる。明慶さんが仏像彫刻で、刃物・ノミを扱うのと同じである。良きノウハウを教えていただいた。

 

心臓を一突き

 馬鹿と鋏は使いよう。要点と持つべき部位で優しく掴んで、組織を動かさねば、己に課せられたお役目が務められぬ。力を抜いて、優しく一太刀でズバっと心臓を一突き。それが物事を成し遂げる宇宙根源の法則である。無駄な力を無くせば、短刀直入で、時間が節約できる。人生が儲かる。

 

魂の握りかた

 物事がうまくいかないのは、対象を切る「刃物」の握り方、扱い方が間違っているのだ。物事には精霊が籠っている。その精霊の心臓(魂)を一突きでグサッと刺さないとうまくいかない。失敗とは、「そのやり方では、うまくない」との仏様からのメッセージである。それが、天地が唱える声なき経である。

 もっと素直に天地宇宙の声を聴こう。己の魂を天地宇宙の御手にゆだねて、天の使者として天命の仕事をしよう。

 

2018-10-20 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月19日 (金)

磨墨知754  ポイント20倍獲得の裏技

 私は、お店が発行する買い物でのポイント2倍の特売日には、買い物に行かず、別の日にポイント20倍を獲得している。

 ポイント5倍とは100円につき2.5円か5円の割引の表示である。それに騙されてはならぬ。通常は100円につき0.5円か1円の割引が5倍になっても、2.5円か5円になるにすぎない。それにつられて買い物に行き、余分に買わせるのがお店の魂胆である。

 客寄せの景品やポイントにこだわると、時間をロスしがちである。受けるであろう金銭メリットとそれによって失う時間ロスを考えよう。それに惑わされて、もっと大きなチャンスを逃がしがちになる。 

 

大きなロス

 ポイント特売日に買い物に行くと、駐車場は一杯で、駐車するのに10分間も余分の時間を取られる。レジも長蛇の列で、10分ほどの列で、時間ロスである。一分100円の時間価値として、2,000円のロスである。その日以外に行けば、駐車場はがらすき、レジも並ばなくてよい。

 ポイントをもらおうとすると、ポイントカードを出して、ポイントを付けるのに10秒ぐらいはかかる。1秒1円として10円のロスである。本当に得をしたのか?

 その買い物は本当に必要か? ついでに無駄なものを買ってはいないだろうか。

 無駄なものを買わなければ、ポイント100倍のゲットである。(100円で1ポイントの場合)

  

己の価値観とは

 そのポイントのお得日に買い物をするとは、己の価値観が、ポイント獲得(値引き)が価値観となっている。何かおかしくないか。特売日に、買い物を集中させるのは、ものを安く買うとの価値観が、己を支配している。そんな人生でよいのか。高くても、厳選して己の価値観に合った買い物をしたい。モノを買うとは、己を買う事。安く買い叩かれたモノに囲まれると、その品物の魂が乗り移り、人間が安っぽくなる。その品物を作り出すため、職人さんや、製造者や自分自身をディスカウントしていることになる。「ディスカウント」とは心理学用語で、「値下げ」「見下し」である。そうやって己を安売りすれば、おのずと人品卑しくなる。

 「俺は、これをこんなに値切って安く買ったんだ」と自慢する人も多いが、それは「そこまで安くしないと、買えないほど、私は貧乏なんです」と自慢しているが如し。お金持ちは、逆にチップをあげるではないか。それよりも「オレはこんな高いものを正価で買ったんだ」と自慢したほうが、どれだけ心豊かになれることか。安く買い叩けば、売って泣いている人も発生する。女を泣かすのは良い(?)が、商売人を泣かせてはいけません。商売は三方三得でなければ、自分の人生も儲からない。

私の買い物方針

 私の買い物時は、値切りは一切しないのが方針である。値切らなくても、相手が勝手に値引いてくれる。私はそういう信頼関係のあるお店でしか買わない。値切っては、丹精込めて作ってくれた人、数多くの商品の中から、これはと選んで店頭に並べてくれたお店の人に失礼である。値切るとは己をディスカウントすることだ。それは己の人生の生き方そのもの。それより人生の大事を考えよう。

 

2018-10-19   久志能幾研究所 小田泰仙

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行政と密着して演じるカラクリ報道

岐阜新聞・中日新聞に見る報道の欺瞞

 2018年10月14日の元気ハツラツ市で、大垣祭りの山車13輌のそろい踏みがあり、370年間続く伝統のカラクリ諸芸の披露があった。その内容を報道した両紙の紙面を観察して、つくづくと両新聞社の劣化を感じた。その故意の報道の偏向ぶりに呆れた。両新聞社は、大垣市民に正しい事実から、目を逸らさせている。これでは、大垣は良くならない。

 

報道の基本

 岐阜新聞、中日新聞は共に、新聞報道の基本ができていない。報告の基本を知らない。いや知っていて、あえて小川敏市長に媚びを売るため、必須の情報を隠しているとしか思えない。

 報告、報道の基本は、5W2Hである。何時、誰が、何処で、何故、何を、どのように、どれだけ、の7つの要素が文書に必要だ。

 

元気ハツラツ市の偽装報道

 岐阜新聞、中日新聞の両紙は、10月14日、大垣市政100年記念の一環として開催された10月度元気ハツラツ市を報道した。両紙とも、どれだけ人が集まったかが、どれだけ金がかかったか、意図的に隠している。その報道内容の結論は、「大垣のお花畑で、お祭りがあった」である。いつものように、その問題点などの記載はない。大事な情報を隠すのは、フェイクニュースも同然である。大垣市民を騙すカラクリ報道である。先週のТDLパレードの時、30万人が集まったと大々的に報道したのに、今回は何人集まったかをダンマリである。当日の人出はせいぜい1万人である。いつもの元気ハツラツ市よりもはるかに人出が少なかった。それを書けば、小川敏市長の顔が丸つぶれになるので、大垣市広報部から泣きつかれたのかも知れない。

 両紙ともカラーの写真を載せての記事だが、何ら読む価値がない。「大垣市制100周年記念」のキーワードを省けば、毎年使える文章である。これを読んで、誰が喜ぶのか。新聞の購読者数の減少傾向は、当然の帰着である。新聞社は自分で自分の首を絞めている。

 

岐阜新聞の記事要約

 「大垣市制100周年記念で、山車の特別曳揃えで・・・・・・・からくりや踊りなどで見物客をたのしませた。

 同まつりは     ・・・世界遺産に登録された。

 各山車は      ・・・大きな拍手が送られた。」

 

中日新聞の記事要約

 「山車13両が ・・大垣市制100周年記念で、・・・・大垣駅通りに勢ぞろいした。

 山車は  ・・・・ ・・・大きな拍手が送られた。

 ・・・・・・児童が舞踏などを披露する山車もあった。」

1p1110746  岐阜新聞 2018年10月15日 

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 中日新聞 ‎10‎月‎15‎日

観客が少なかった原因

  1. 駅前の基幹道路の中央部を山車の練り歩きのため封鎖したので、露店商の出店がなく、観光客も少ない。
  2. 前週のTDLパレードで30万人の人出があったので、連続の週で観光客が大垣に来るわけがない。もっと魅力的な行事が各地で開催されている。もう370年間も、毎年、2日間も山車の演技は続いている。今更、そのために見学に来る人がいるわけがない。
  3. それを無理やりに100個の行事をするために、13両曳きまわしを開催したのが、原因である。行政の驕りで判断ミスである。企画の失敗である。税金の無駄遣いである。小川敏市長の市制100周年記念行事への意固地な執着心が原因の失敗企画である。

なぜ両紙が偏向報道をしたか(推定) 

 行政と癒着していると推定。

 記者が報道の基本を知らないはずがなく、上から圧力がかかったと推定。

 なぜ圧力をかけた? 上司が行政と癒着していると推定。

 日頃、両紙は行政から便宜を受けているので、真実を書けなかった。

 先週の人出が30万人で、今週が1万人では、小川市長が気の毒で、忖度した。

 人出の数が、事実の1万人と報道しては、新聞紙の売り上げに響く。

 

新聞社のDNAと戦争責任 

 新聞報道は、イケイケどんどんの景気の良い記事でないと、新聞が売れない。先の戦争中は、各地の戦場での惨敗を報道する場合でも、「日本軍の被害軽微」と軍部に忖度して、ごまかして報道し続けた歴史事実がある。戦前、戦中は、新聞社は真実を報道せず、景気の良い話ばかりを掲載して日本を戦争に引きずり込み、戦争を煽動した。戦後、その責任をどの新聞社も取っていない。その悪しき伝統が、今回の報道ぶりである。岐阜新聞と中日新聞の現在の報道ぶりは、太平洋戦争中の新聞社の報道ぶりと何が違うのか。そうやって、大垣市は衰退していく。もうじき、第3の敗戦が大垣市を襲う。新聞社の責任は大きい。両紙はこうやって、自殺報道の道をまっしぐら。

 

弊害

 恒例の大垣祭り以外に、特別の枠外の山車曳きまわしの行事は、子供の教育上でもよくない。そのために、予定外に練習をせねばならぬ。子供の勉強時間が予定外に削られる。何が子育て日本一なのか。子育て妨害の行政である。 

 山車を曳くために、各町は学生アルバイトを雇わねばならぬ。余分の出費である。現在の高齢化した町内には、1トンから4トンもある山車を曳く若人や中年は殆どいない。どの町内も山車を曳く人は、学生アルバイトである。その費用は市民税である。町内の人も、山車のカラクリ芸の出し物で、練習をせねばならぬ。それで1万人程度の人出しかないのでは、経済効率が悪い。

これでは、大垣の経済は好転しない。一事が万事で、大垣市役所は、こんなお粗末な考えしか出せないから、その延長上の経済政策の顛末で、大垣市は衰退していく。

顛末

 これでは、大垣の経済は好転しない。一事が万事で、大垣市役所は、こんなお粗末な考えしか出せないから、その延長上の経済政策の顛末で、大垣市は衰退していく。

 最大の問題は、これで大成功だと思い込んで、それを吹聴している小川敏市長である。それを新聞報道は、助長させている。まるで裸の王様である。正しいPDCAを回すには、正しい事実を知る必要がある。現在は、それを岐阜新聞と中日新聞が故意に偏向報道をして知らせないように妨害している。両紙は大垣を衰退に導く共犯者である。

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2018年10月7日14:03 30万人の人出  原因はTDLのパレード

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2017‎年‎10‎月‎1‎日‏‎12:31   昨年の元気ハツラツ市

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2018‎年‎10‎月‎14‎日、‏‎10:42 大垣駅前通り 閑散、閑散6dsc04480

2018‎年‎10‎月‎14‎日、‏‎10:54 大垣駅前通り 閑散、閑散

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2018‎年‎10‎月‎14‎日、‏‎11:02 大垣駅前通り 閑散、閑散

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 例年とは予定外の山車の踊りの出演準備やお囃子で子供達の勉学時間が削られる

 

2018-10-17 久志能幾研究所 小田泰仙

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小高いお鼻畑に咲き狂う惚けの花

 この世はとかく住みにくい。理に走れば大喧嘩。利に走りボロ儲け。拝金主義でお鼻が高い。義に走れば絶滅種。陰徳なんて隠匿だ。皆で偽すから恐くない。情けをしても裏切られ。真面目な人が鬱病に。まともに行けば幻滅だ。この世は、狂気、認知、KYばかり。まともな己が泣きを見る。こんな日本に誰がした。

 

ドイツ車虚栄性認知症(kYシリーズ2)

 元天下りの元公僕なのに、「息子が1100万円のベンツを買った」と自慢する親バカがいる。それで約三千万円分の日本の雇用が消滅する。三千万円は約7人分の雇用の減少に相当する。車の価格が1千万円でも、それに付帯する経済効果は三倍である。

 

恩を忘れた親ばか

 その経済原則が理解できないのは、親ばかである。碁の出入りの考えと同じで、ドイツ車を買えば、その分、日本車が売れず、日本の雇用が減少して、日本の景気が回復しない。今まで誰のお陰で飯が食えたのだ。誰のお陰で天下りができたのか。私人ならともかく、元公人なら、日本に対して御恩と義理がある。そういう教育を親はしてこなかったので、バカ息子になった。

 

セレブな痴性

 経営者のセレブにも、ドイツ車盲信凶徒が多い。誰のお陰で、日本で仕事ができたと思うのか。回りまわって、国産品の恩恵を経営で受けている。それを忘れ、虚栄心でドイツ車を乗り回すセレブが多い。そんな考えでは、経営がうまくいくわけがない。知人のセレブは、会社を潰した。私はその人に裏切られて、縁を切った。

 

ドイツ車のコスト

 そのドイツ車の多くは中古車である。正規販売店で買わないと、後の車検費や修理費がべらぼうで、次回の車検時に驚いて手放す人も多いという。業者は中古で安く売り、車検時の部品代で稼ぐ。中古とはいえ、車検で80万円程を取られるという。正規で買えば、クラウン、マークⅡクラスのドイツ車は、国産車より100万円~200万円ほど高いだけで、入手しやすくなっている。

 

高貴の義務と責任

 校長先生や警察署長は、気だけは使うが、頭を使わないので、認知症になりやすい。誰のお陰で育てられたか理解できないバカ息子が、ベンツを買えば、付帯の部品や車検で金がドイツに流れる。社会的に偉くなり、公僕で飯を食ってきたのなら「貴人の義務と責任」が発生する。お国のことを思い、黙って国産車を買うのも「貴人の義務と責任」だ。公僕で勤めたのに、その意識がないから、役人の不祥事が絶えない。日本人の劣化の現象だ。

 

ドイツ車のデメリット

 何故、割高の、故障時に対応が遅く、移民の労働で作らせた車に乗るか。日本ではドイツ車に乗るメリットがない。それが分からなければ、認知症である。

 私は輸入車には乗らない。私はトヨタにお世話になったので、ずっとトヨタ車である。私には国内で輸入車に乗る人の知性が理解不能である。ドイツ車を買う人は虚栄心丸出しの人としか思えない。我々は日本に住んでいる。世界一の品質であるトヨタ車が、国内マザー工場で作られた産地直送車に乗れる。国内で故障があれば、どこでも修理が即日可能である。それが輸入車では、不可能なことが多い。それなのに、何故そのメリットを捨て、リスクを取るのか。ドイツ車を買う人の理性を疑う。

 いくら安くなっても、ドイツ車は国産車に比べれば割高である。ドイツ車は、多くの安給与の移民が作っている。ドイツや欧州では、移民と純粋ドイツ国民との間には、目に見えない明確な差別がある。ドイツはそんな差別を利用して外貨を稼いでいる。私は、ドイツ車を不買(不快)である。

 

2018-10-19 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月18日 (木)

磨墨知137 スロットルレバーを引こう

 離陸しないことには目的地に着けない。まず離陸しよう。離陸したら、わき目も振らず、最初に集中的にエネルギーと時間を使おう。飛行機は、離陸時が一番不安定な状態だ。そこで手を抜くから、うまくいかず、墜落する。そうすると、全ての時間を失う。

  「創業時(新しい仕事)には、平常時の20倍のエネルギーが要る」

         森下篤史

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2018-10-18 久志能幾研究所 小田泰仙

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天才に見る表現方法の変化

 2018年10月11日、馬場恵峰先生に、30年前の作品と今の作品の違いを聞いた。曰く「30年前の作品には勢いがある。今の作品には、艶がある」との回答であった。

 10月12日、訪れた松本工房で、松本明慶先生に某資産家所有の七福人像の修復作業を見せてもらった。明慶先生作の30年前の七福神は、粗削りだが、勢いがある姿である。今の明慶先生の作る佛像には艶があると再確認した。前日の恵峰先生の言葉を思い出して、それを再確認した。世界の美術館にある芸術作品を、そういう眼でみると、芸術の奥の深さが分かり、鑑賞が楽しくなるはずだ。

 

格物致知

 自分の人生を振り返ると、確かに若い時は行動に勢いがあった。若気の至りの失敗も多かったが、それも自分が成長するために必要な一過程であったと今にして思う。失敗をして、やはりやってはいけないことだったと体得する。それが知に至るである。それから格物致知という言葉が身につくのだ。本を読んだだけでは、分からない世界である。天才でない凡人の我々は、還暦以上の歳を頂いたならば、それに見合った人生を送りたいと思う。そうすれば人生と言う艶のある自分の作品が完成する。

 今の社会は、年寄りがいのない人が多すぎる。尊敬に値する人が少なすぎる。心の修養が足りないのだと思う。欧米の拝金主義の世界に浸り過ぎているようだ。

 

2018-10-18 久志能幾研究所 小田泰仙

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郭町交差点地下道の封鎖 裏金疑惑

 2018年10月7日、市制100周年記念大パレードのたった1時間のTDLのパレードのために、なぜベニヤ板の「立派な」過剰品質の作りで、不必要な上部までを覆う状態で、郭町交差点の地下道を封鎖したのか。それも、パレードの翌日朝には撤去で、わずか実質2日の命であった。大垣大パレードでの汚職工事が疑われる事象である。大垣市民の誰に聞いてもおかしいと言っている。大垣市民の多くが、この横を通って疑問を感じたのだ。

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 郭町交差点 南西入口‎10月‎8‎日10:01 ベニヤ版 撤去前

2p1110686  郭町交差点 北西入口‎10月‎8‎日10:01 ベニヤ版 撤去後

4p1110687  郭町交差点 北西入口‎ 10月‎8‎日10:01 ベニヤ版 撤去前

 守屋美術館前

4p1110688  郭町交差点 北西入口‎ 10月‎8‎日10:01 ベニヤ版 撤去前

 大垣共立銀行前

郭町交差点地下道の封鎖

 なぜ郭町交差点の地下道の入り口以外に、その上部までベニヤ板で覆うのか。理解不能である。余計の金を沢山使い、裏金を作りたいとしか思えない。業者への便宜誘導である。汚職ではないのか。

 大垣駅前の高屋町の地下道は、進入禁止のテープで封鎖しただけである。高屋町の地下道の入り口には、市役所の担当者が、入り口毎に人が立って、警備をしていた。その人に聞いたら、安全のために立っていると証言した。

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 高屋町地下道入り口 2018‎年‎10月7日9:52  

 入り口の横に市の職員が立っている 

       

歩道橋の封鎖

 なぜ寺内町の横断歩道橋を高さ2.5mのベニヤ板で過剰な状態の封鎖したのか。高屋町の地下道のように通行止めのテープか張り紙で済むではないか。非常識な外国人ではあるまいし、張り紙があれば、日本人なら歩道橋には登らない。なにせ市民税600万円をかけた警備員がうじゃうじゃいた現場である。

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 寺内町歩道橋を封鎖‎ 10月‎7‎日13:01

 

疑惑

 なぜ廓町の地下道は、上部まで完全封鎖の作りなのか。なぜ歩道橋まで封鎖なのか。あえて不必要なお金を使って、業者の利益に貢献しているとしか思えない。汚職が疑われる。この大垣市役所の担当部署と上司の小川敏大垣市長の見解を聴きたい。部外者の私には正式担当部署は不明である。

 

新聞報道

 岐阜新聞も中日新聞も、この日のパレードで30万人の人出であったとしか報道しない。平和な新聞社である。何処に目をつけているのやら。それとも同じ癒着なのか。この工事の会計報告も、条例でマル秘のようだ。

 

2018-10-18 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月17日 (水)

磨墨知610 釣りをしない

 生業で魚を捕るのは許せるが、生物の殺生で遊ぶのは許せないと思う。それで遊んでいては、時間は創れない。娯楽としての釣りは、自然界の原則に反する行為である。釣りをするならスーパーでお魚を買おう。

 だから私は、魚釣りはしない。生き物を遊びの道具にするのは、命の冒涜だと思う。漁師のように仕事として、お魚を取る行為は別である。漁師は、毎年、その命に感謝する神事を行っている。趣味で魚を取る人が、神事をして、生き物に感謝の神事をしているという話を聞いたことはない。我々は、他の命を頂かないと生きていけない。せめて感謝をして頂こう。

 それなのに、生物で他の生き物を殺して遊ぶのは人間だけだ。しかし、遊びでその命を弄ぶのは、神仏への冒涜だと思う。昔の欧米人が、アフリカやアメリカ大陸で人間狩りをしたのと同じではないか。

 ある和食料理店で、今までやっていなかった魚の供養を、毎年するようになって、お店が繁盛するようになったという話を聞いた。万物の頂点に立つ霊長類の人間として、生き物を遊び道具に使うのは、命への冒涜である。私は『釣りバカ日誌』の映画は見ない。私は、現代日本の魚釣りブームを、日本の退廃の象徴として見ている。

 

2018-10-17 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨痴827 命綱を付けよう

 私は、財布とかカギを身に着ける時は、それには命綱を付けている。それは命の次に大事なものだから。外で落としたら、致命的な損害を被る。その昔、自宅マンションのキーを落として、大騒ぎをしたことがある。時々、車に乗り降りするとき、ズボンポッケトに入れた財布を座席シート隙間に落とすことがある。

 財布や鍵を落とすとは、自分の時間を失う事。時間とは命である。だから、その喪失の危険性を防ぐために、それに命綱を付ける様にした。簡単な紐で衣服に結べば、それを落とすことを防止できる。体に付けた紐がそれを防いでくれる。

 

蜘蛛の糸

 何かあったとき、命綱となる人が、己にはいるだろうか。その目にみえない命綱を作るのは、陰徳である。徳を積みたまえ。そうすれば仏様が大事な時に、蜘蛛の糸を下ろして助けてくれる。しかし、徳がないと、その糸も簡単に切れてしまう。仏様が己の運命の命綱を握ってもらえるような生き方をしよう。

 

2018-10-17 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。