磨墨知39 天命と信じ人事を尽くす
「人事を尽くして天命を待つ」は間違い
今までは「人事を尽くして天命を待つ」が正しいと私は信じていた。しかし、これは間違った生き方である。待っていては、時間は無為に過ぎていく。世の移ろいは速く、その間には状況が刻一刻と変わる。1300年前の鴨長明も「方丈記」で、「ゆく河の流れは絶えずしてしかも元の流れにあらず」と描写している。これは危機管理、時間管理の言葉である。だからこそ、更に変化の激しい時代の現代で、勝ち組や事を成した人は、待つ間も寸時を惜しんで、人事を尽くし、「志を天命と信じ人事を尽くす」で行動している。
天命と信じ人事を尽くす
「志を天命と信じ人事を尽くす」との信念が無ければ、コロンブスのアメリカ大陸発見もアポロ月到達もなかった。アメリカ大陸を発見する(実際はインドを見つけるのが目的だったが)とのコロンブスの信念が、人々の嘲りや船員たちの動揺を抑えてその行動したからこそアメリカ大陸が発見された。
アポロ計画も同じである。ケネディ大統領の声明を米国の威信を掛けた志とし、期限を1970年代末と宣言し、天命を信じてNASAの全員がその目標に向かって行動したからこそ、アームストロング船長は、「人間には小さな一歩であるが、人類には大きな一歩を」月面に残したので(1969年)。
時に、30万Kmも離れた日本の国会では、野党と自民党の間で議決に対して愚かな「牛歩戦術」が繰り広げられていた。同じ「小さな一歩」でもなんとした違いであろうか。まさに月とスッポン。月という理想に向かった志、利権や党の愚かな方針にスッポンのように食らいつく議員根性、まさにこの違いである。これは行動に志の有無の差でした。志の有無が人間に品格の差を与える。
2003年7月18日、元社民党の辻元議員の秘書給与詐欺問題で、辻元議員と土井党首の元秘書の逮捕が報じられた。当時の牛歩戦術の主導格は社会党である。社民党の前身である。四半世紀経っても組織のDNAは変わらないなと感じた。
そして翌日の19日の記者会見で、土井党首は党首辞任を否定して、「社民党の信頼回復に努めることが天命と心得ている」と発言した。こんな場面で「天命」を使うのは不遜である。
--- かたえくぼ ----
『牛歩戦術』
この一歩は小さいが....
----野党
(大垣・百舌鳥)
(朝日新聞「声の欄」 1979年7月28日、「百舌鳥」は著者のペンネーム)
天命と信じる
やったことが正しいだろうかと、不安の心で天命を「待つ」のは愚かである。人事を尽くして待つとは、俺は十分にやった、との傲慢さの現われだ。誰もそれが正しいとか、完璧なんて言えない。言えるのは神様のみ。そんな待つような暇があれば、更に人事を尽くすべきだ。間違っていてもそれが信念となれば、世の中の方の価値が変わる。そんな事例が歴史にごまんとある。そして謙虚でない人は、あたかも「当時から私もそう思っていた」などとほざくのだ。私はそんな人にはなりたくない。
「志」とは何か?
「志」とは字の構成から、「十」のあれもやりたい、これもやりたいとの思いの内、たった「一」つを「心」に決めて取り組むと書く。限られた人生時間内で、あれもこれもはできない。並みの人間にできるのは、たった一つだ。孫子もランチェスターも戦力の分散を固く禁じている。戦力は一点に集中すべき。
起き上がりこぼし、投げられた所で起き上がり
何処かどこかいい所はないかと、あちこち模索して無駄な時間を過ごす人は多い。それより、投げられた場所で、天命として与えられた業務に全力を尽くす生き方が、結局は人生の時間節約と成果を出す結果となる。「天命と信じ人事を尽くす」と同じこと。
2018-10-20 久志能幾研究所 小田泰仙
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