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2018年4月

2018年4月23日 (月)

餓鬼道と人の道

儲けるは欲、儲かるは道 (田辺昇一氏の言葉)

  金を目的に動くから餓鬼道に迷い込む。金を追うのではなく、人を追えば、自然と儲かるようになる。それが人の道。

 金を目的にすると、金を集めても集めても満足できず、餓鬼道、修羅道、畜生道に迷い地獄を見る。足るを知るという世界から外れていく。グローバル経済主義の行き着く先が、1%の富裕層と99%の貧困層の分離である。

 

お金の意味

 お金は単なる数値の羅列でしかない。独居老人が亡くなって、床下から数千万円の札束が出てきたという新聞記事を良く見かける。お金の真の意味を理解していない人は多い。お金は使ってこそ価値が出る。お金は道具でしかない。その道具のために、働くのはお金の奴隷となること。手段と目的を取り違えるから起こる間違いである。下手にお金を後進に残すと、財産争いが起こる。働く意味を理解できないと、10年後に子孫を醜い相続争いで不幸にすることになる。それはお金からの復讐である。

 死ぬときに、預金通帳の残高が100万円多いか少ないかなどは、何も持たずあの世に旅立つ身には、煩わしい雑事である。人生では小さな問題である。

「人生で生きていくのに必要なのは、勇気とsome moneyである。」(チャップリンの言葉)

 

お金を稼ぐ能力と使う才覚

 人生で必要なのはお金ではなく、お金を稼ぐ能力と使う才覚である。両方が身に付けば、お金のほうから擦り寄ってくる。お金も人間が作り出した人の子である。お金にも魂があり、現金なものである。お金は経済状況が変われば消えてしまうことがある。しかし身につけたお金を稼ぐ能力は、どんな経済状況になっても消えない。その能力がお金に勝る財産である。

 母方の祖父は、銀行に預けた虎の子の退職金が戦後の新円切替(1946年2月16日)で、紙くず同然となった惨めな体験をした。私の生まれる4年前のことである。母がその話を何回もしてくれた。その時期、母と結婚前の父は、シベリア抑留の身であったが、洋裁の才能という芸があったので生きて帰国できた。

 

悪縁を切る道具

 お金は道具であるから、悪縁を切るための道具として使えばよい。札束で相手の頬をひっぱ叩いてやれば、道具としてのお金の価値が出る。それで自分の大事な時間を有効に活用できる体制がとれれば安いもの。それで相手が目を覚せば救いがあるのだが、縁なき衆生度し難し、で目を覚ましてくれないのが現実である。

 

使命感

 仕事は「使命感」をもって取り組むもの。しかし「使金感」をもって生きるとは言わない。言うのは「資金力」であり、お金が道具、手段であることは明白である。そのお金を人生の目的にするから、にわか成金が晩年を汚すのである。お金も大事に扱ってあげて、心を込めて旅出せてあげれば、お金がお友達をつれて帰ってきてくれる。可愛い子(お金)には旅をさせよ、である。人の道に反したりせず、使命感を持って仕事に取り組めば、お金の方からすり寄ってくる。

 

2018-04-23

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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素晴らしい人生よりも、楽しむ人生

 うまくなったら良い紙に正式に書こうと思って、安い半紙に書いているから上手くならない。どうせ皆さんは上手くないのだから(爆笑)、今、持てる技を全て使って、良い紙に丁寧に、毎日書くことを継続すれば、必ず上手くなる。どんな揮毫も丁寧に一期一会のつもりで真剣に書く。だから後世に残る作品ができる。(馬場恵峰師談)

 

未熟時代の心がけ

 偉くなったら良い品を使おうと思い、お金持ちになったら寄付しようと思っても、今それをしていないから偉くなれないし、お金持ちになれない。貧乏ではないが普通の生活なら、少しお金があれば少し寄付をする。たまには良いホテルを使い、一流のお店で食事、一流の人を選んで付き合い、その一流の空気に触れれば、偉くなれるしお金持ちになれる。ユダヤ人は、貧しい時から収入の1割を寄付に回すという。学者やノーベル賞受賞者、富裕層の成功者に、ユダヤ人が多いのにはワケがある。

 

素晴らしい人生の末路

 日本の最高学府を出て、エリートコースに乗り、役所や企業で栄華を極め、素晴らしい会社人生を送っても、いつかはその座を去らねばならぬ。その座にいた時は、その地位に部下はかしずいていたが、肩書の外れた定年後には誰も寄りつかず、日々やることもなく過ごす高級官僚や元会社役員が多い。そういう人が認知症に係りやすい。特に校長先生、警察署長など、人の面ばかりに気を使って、頭を使わなかった人が認知症になりやすい。そういう人は、壮年期には素晴らしい人生を送るが、晩年の末路は惨めである。

 2010年の厚生労働省の資料によれば、65歳以上の高齢者の15%が認知症である。今はもっと増えているようだ。この2018年4月7日、長年、自治会長を務めた老人が、地域の会合で痴呆に似た質問を乱発してその場を白けさせた。痴呆は身近なのを目のあたりにした。その老人は、人の話を聞かないことで有名であった。人との付き合いもない。痴呆になるにはワケがある。自分が痴呆症であることが自覚できないほど、不幸なことはない。痴呆症は脳死である。それは日頃の生活の心がけで、防げる病気である。

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 (日本経済新聞2014/07/09より)

 

楽しむ人生

 恵峰師は、どんな書でも直接、表装された軸に揮毫される。85年に及ぶ修行の賜物である。この世の出来事は、偶然はなく必然である。人生で練習の事象はなく、人生二度なし、一期一会。どんな事象にも、冷静に丁寧に誠意をもって対処すれば、後悔のない楽しめる人生となるはずだ。

 そのご縁の舞台で、良きを選び、良き場所を選び、良き人物とのご縁を選択する。そうすれば素晴らしい人生ではないかもしれないが、素晴らしく楽しめる人生が実現する。素晴らしい人生とは、運が支配する世界である。しかし楽しめる人生は、自分が生み出す世界である。運に振り回されてはならない。自分が人生の主人公として主体性をもって生きたい。人からやらされる人生より、自分でやりきる人生なら、苦労ある人生でも楽しむ人生に出来る。

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2018-04-23

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2018年4月22日 (日)

恵峰師が彦根城と犬山城を訪問

彦根城

 2018年4月12日、馬場恵峰先生ご夫妻を彦根城にご案内した。当初、彦根城への坂がきついので三根子先生は、彦根城博物館か人力車での周辺観光をしてもらおうと思っていたが、三根子先生が途中まで、ゆっくりでも上がりたいといわれるので、一緒にご案内をした。結局、天守閣のある場所まで到達できて大変良かった。三根子先生もお大変喜ばれて、よきご案内となった。

 最大の懸案であった彦根城天守閣への登城は、恵峰先生は奥様のことを考えてやめられたのでほっとした。当初の予定は、奥様は一階だけ見てもらって、恵峰先生だけ上がってもらおうと心づもりをしていた。それもすぐ下で構えながら登ろうかと心づもりであった。

 天守閣への坂道の途中にあった櫓の見学で、彦根城の内部の構成がよくわかり、急角度の階段を上らなくても済んだ。恵峰先生が櫓を見学して、三根子先生にされた説明が感慨深い。三根子先生の親は大工の棟梁とか。その仕事ぶりを垣間見たようだ。(プライバシーの問題で、三根子先生の写真の掲載は控えます)

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 2018年4月12日 彦根城の外堀の前で

 

犬山城

 4月15日、ご夫妻は犬山城に行かれたが、私の想定外で、ご夫婦で犬山城に登られたと聞いて呆れた。冷静に考えると、周りに人には犬山城の階段の危険性は通達してあるので、皆さんが構えて先生のガードをされたようだ。事故は身構えていないときに起きる。今回は身構えて対処したので事なきを得た。もし彦根城に登るとすると、何かあった場合のガードは、私一人なので、先生も気を使って、登るのを遠慮されたのだろう。

 

犬山城の漢詩

 恵峰先生も下記の漢詩を作られて喜ばれた。漢詩の意味は、「中国四川省長江北岸の古城白帝城正に犬山城の風景正に類似。平成30年4月明徳有志集り、思いやりの風和気をみちびき真に安じたり 古言訓学び新たな人生の歩みいやさか盛業輝いてほしい」である。

 「閑(のどか)」がキーワードである。閑でなければ、新しい発想も生まれない。静かな水流を見ても何も感じられない。学問もできない。Schoolの意味は閑である。閑であるから、学問ができる。哲学者scalar とは、閑という時間があるので思索を巡らすことができる人である。

 各行の末に「徳、得、篤」と韻が踏まれていることを着目ください。3行目の末は韻を踏まないのが漢詩のルールです。

 三根子先生からは「彦ニャンちゃん天守閣へ登り、犬山城へ登り人生最高です。ありがとうございました」との礼状を頂き、結果オーライで良き旅を提供できて、本望です。

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2018-04-22

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無物語の「平家物語歴史館」4/4

 博物館も書物と同じで物語がある。どういう導入で観客の心を捉え、ストーリーを考え、最後の結論で何を観客、読者に伝えるかが問われる。この歴史館の伝えたいことは、お涙頂戴なのか、歴史の流れなのか、何を伝えたいのかが曖昧である。

 

全体構成

 「平家物語歴史館」は1階と2階で構成されているが、全体の位置づけが曖昧である。「平家物語歴史館」と名を売っているのだから、平家物語を主体にすべきだと思う。1階に四国に関係する偉人のロウ人形の展示があるが、だからなんなの? 印象に残るのが、ごちゃごちゃで盛沢山すぎるのだ。また館全体が暗い雰囲気なのだ。歴史の一コマをロウ人形で表現するにも、歴史の観察者の第三者の目で見るためには、美しく表現して欲しい。暗く、お涙頂戴で、見世物みたいな展示では、再度、訪問したいと思わない。

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 壇ノ浦の戦いの後

 この場面をロウ人形で表現するのは異様である。見世物小屋の雰囲気である。

42p1040576  政治家 

43p1040578  文人

44p1040579  文人

45p1040581 岩崎弥太郎 

 

人の顔に人物の歴史が刻まれる

 ロウ人形は、モノの展示ではなく、人物をロウ人形の形を介して、その人物の歴史を伝えている。ロウ人形の作者は、その作品を通して、その人物像を伝える使命がある。この歴史館では、それが観客に伝わってこない。

 人には、顔に刻まれたその人の歴史がある。その顔にどういう人格を表現するかが、彫刻家、ロウ人形師に問われている。その人物の人格や性格が現れる表現力が問われる。リンカーンが言うように「人は40を過ぎたら、自分の顔に責任を持たねばならぬ」。自分の顔には、自分の生き様の歴史が刻まれている。

 私の趣味は、人間観察である。そのため、人相、手相、体相、しぐさでの性格等を研究している。顔を見れば、その人の歴史が透けて見える。だから危ない人と縁が出来るのを避けることが出来る。それも人生の危機管理である。

 

2018-04-22

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2018年4月21日 (土)

50m巻物「静楽養愚詩文録」を撮影

 2018年4月19日~21日で、長崎県大村市の馬場恵峰先生宅と福山市の三好眼科を訪問しました。陸路で片道7時間の旅でした。馬場恵峰先生宅では、この春に恵峰師が書き上げた50m巻物「静楽養愚詩文録」の写真撮影をいたしました。3人がかかりで撮影を完了しました。他に日本の唱歌5本の巻物を撮影しました。今から、編集作業にかかり、5月末には出版にこぎつける予定です。

 三好眼科は、私の眼の検診と、新しく完成した診療建屋の見学・撮影です。あいにく三好輝行先生は学会出席のため不在でしたが、事務長の寺本様に全館を案内していただきました。これは後日報告します。

 

50m巻物「静楽養愚詩文録」

 この50m巻物は、恵峰師が92年に及ぶ自分の人生の集大成として書かれた作品である。百人一首の藤原家の事から始まり、幕末の歴史、訪中が240回に及ぶ経緯、訪中漢詩、中国の小学校を寄付した経緯、今の若人に言って聞かせ置きたい事、人としてのあるべき姿を様々な形で取り込み、一行一行にその思いを込めて、何かに役立てばと揮毫された。

 この巻物の揮毫は、先に揮毫された100m巻物よりも、疲れたと言われる。その分、多くの精力を使われて、後世へ託す言葉として思いを込めて揮毫されたようだ。それにしても、92歳の現役で、どげんばしてそげん元気ばってん?である。

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 50m巻物「静楽養愚詩文録」を前に馬場恵峰先生  2018年4月20日

24k8a9036 50m巻物「静楽養愚詩文録」の一部

 

2018-04-21

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2018年4月20日 (金)

時間創出 緩慢なる死刑台への13段

 エスカレーターとは、あの世に早く到達するための動く階段である。別名「緩慢なる動く死刑台の13段」と私は呼んでいる。それを使えば歩く量が減り、足腰が弱くなり、認知症、各種の病気に原因の遠因となる。結果として安易な考え方になり、生活の全般にわたって楽をしようという生活姿勢になる。

 人は足から老化するのだ。楽をすれば、後年、どこかで落とし前を払わなければならぬ。その落とし前が病気である。

 私は病気をしたご縁を機に、エスカレーターは使わない方針に切り替えた。隣にエスカレーターがあると、階段を横のエスカレーターに乗った人よりも早く歩いて階上の到達するように心がけている。隣に競争相手がいるとよき励みとなる。

 

2018-04-20

久志能幾研究所 小田泰仙

2018年4月19日 (木)

道の学びかた

書道の学び方

 見ながら真似して書くから上手くならない。字体を覚えて、考えながら書かないから上手くならない。真似るのではなく、先人から学ぶのだ。何時でも何処でも通用する書法を学んで、書法に則って書くのだ。(馬場恵峰師談)

 

生きる道の学び方

 人の経営を真似して、経営するから上手くいかない。経営の原則、人生道の基本を覚えて、人から学んで経営しないから、うまく経営できない。先人の経営から学んで、己の経営と比較してそれを応用するのだ。先人の生き方を学んで、自分の生き方を見つけるのだ。これは全てのことに共通する要点である。

 

学ぶとは

 今の書道は、真似るだけで学んでいないので、本物の書が書けないのだ。書法から外れた読めない字を「これが芸術だ」と誤魔化して踊りながら書くから、書道の本道から外れていく。それが外道である。

 「学び」の意味は、旧字体の形から見れば、その原則は一目瞭然である。学びの館の下で子供達(我々)が、お互いに議論をして、切磋琢磨して修行している様を表現した象形文字である。相手から学ぶから成長するのだ。真似ではダメなのだ。

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     「武道としての情報設計」小田 2006年より

 

2018-04-19

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2018年4月18日 (水)

無知・不敬の「平家物語歴史館」3/4

第六景 物怪

 桓武天皇が平安京(現在の京都)を建てて以来、遷都はなかった。それを人臣の清盛が1180年、福原(現在の神戸市)に遷都した。人々は動揺して、新都では、いろんな物怪が出現した。この遷都には帝も臣下も嘆き、全ての神社も異を唱えたので、清盛はついに旧都に戻ったとされた。(『平家物語』)第五「物怪之沙汰」の要約)

 

 上記の情景を下図のロウ人形のお化けで表現するのでは、歴史館には違和感があり、単なる見世物のお化け屋敷の表現に成り下がっている。

 「歴史館」と謳っている以上は、「いろんな物怪が出現した」という文学表現を、歴史と史実に基づいた表現にすべきだと思う。

 このお化けのロウ人形で表現された情景から、人は何を学ぶのか、それが歴史館として問われている。これでは、見学者の時間泥棒である。見学する方にも、時間という命がかかっている。学ぶべきことがなければ、付加価値がゼロである。当時の状況を伝えたのなら、説明パネル1枚だけで充分である。

31p1040607  物怪に怯える平清盛

第9景 清盛、高熱を発して死去

 清盛の最期の言葉は「現世の望みは全て達せられた。ただ一つ思い残すことは、源頼朝の首を見なかったことだ。その首を私の墓の前にかけよ」。享年64歳。

『平家物語』第六 「入道死去」より

 

 清盛の最期の言葉が虚しい。清盛は後年、僧侶になっている。その立場で、人生最期の言葉が上記では哀しい。人臣の位を極めても、人としての魂の位は、下賤の民と同じである。

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死者を晒し物に。死者への敬意なし

 平家物語で、戦いの場面が多いのは致し方ないが、熊谷直実が平敦盛を倒した時の情景をロウ人形として表現して、どういう付加価値があるのか。それよりも戦う場面の姿を表現した方が、見る方も安堵する。死者を晒しものにする表現では、死者への冒涜である。現代のゲーム感覚で、簡単に死ぬ場面が氾濫するテレビと同じである。それよりも戦う姿を表現して、結果として一方が斃れたと文章で表現すればよい。

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那須与一が扇を射る

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 上図は那須与一が沖合の舟上の扇を射る名場面である。その扇を手に持つ美女の場面で、美女であるはずの女性のお顔がなっていない。横にいる船頭も、姿勢が異様である。

 

第13景 安徳天皇、入水

 最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた母方祖母・二位尼(平時子)に抱き上げられた安徳天皇は、「尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかける。二位尼は涙をおさえて「君は前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。この世は辛く厭わしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」と言い聞かせる。天皇は小さな手を合わせ、東を向いて伊勢神宮を遙拝し、続けて西を向いて念仏を唱え、二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4か月、6年124日)で崩御した(『平家物語』「先帝身投」より)。

 

天皇に対して不敬

 手を合わせて入水する前の幼い安徳天皇のお姿は、作り物の匂いがプンプンである。まるで見世物の様で不敬ではないかと思う。幼い天皇を抱いて二位尼(平時子)が入水するなは納得できるが、入水前に安徳天皇が手を合わせるお姿は、お涙頂戴の雰囲気で幻滅である。当時、安徳天皇は満6歳4か月である。そんな歳で、覚悟を決めて手を合わせるとは思えない。そのお顔の造りも、高貴な趣きが感じられない。こんな情景は天皇に対して不敬と思う。『平家物語』の記述ではなく、別の解釈をして荘厳な情景を再現して欲しかった。『平家物語』は史実に基づいた創作であり、脚色があり、史実ではない。

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第16景 祇園精舎の鐘の声

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 上は建礼門院が安徳天皇と一門の菩提を弔う情景である。しかし、そのお顔は、天皇を生んだ高貴なお方としての品がない。黒目もバランス的に大きすぎて異様なお顔となっている。ロウ人形で表現するなら、もっと美くしい人であって欲しい。美人でなくてもよいから、気品のあるお顔にして欲しい。これでは漫画である。

 上の情景で、右端の尼僧(佐の局)は安徳天皇の乳母である。高貴な生まれの方なのに、どこにでもいる農家の老婆のようなお顔の造形である。これは高貴な方の面立ちではない。これでは笑ってしまう。

 

六道の道

 建礼門院は後白河院に「生きながらにして、天上・人間・畜生・餓鬼・修羅・地獄の六道をめぐりました」としみじみと語った。(『平家物語』灌頂巻)

 その情景で、上図の雰囲気が全くない。六道という重い言葉を噛みしめて、それをロウ人形で表現するのが、芸術家なのだ。それが表現できなければ芸術家では無い。芸術家は、地獄界から始まって、天上界までの長い道のりを歩む。その途中で地獄にまた落ちていく人がなんと多いことか。

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 上図は山下泰文陸軍大将のロウ人形である。山下大将はマレーの虎の異名をとるが、実際は紳士的であり、人格者であった。それが上の図のロウ人形の表情からは、そうは見えない。作り物の表情である。山下泰文陸軍大将に対して失礼である。

 

 ロウ人形とは、作者に心が現れた鑑なのだ。作者の人格以上の作品は創れない。この歴史館で、その鑑の羅列を見て落胆した。自分が作る仕事も、自分の心が現れる作品なのだ。その出来栄えを観れば、その人の人格が透けて見える。私はそういう目で、回りの人の仕事ぶりを観察している。

 

2018-04-18

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2018年4月17日 (火)

気配りセンセーの感度ゼロ

遠回しに言って、気が付かない人に、直接言うと、恨まれる。

 これは2018年4月15日、岩村を見学中に新戸部さんから教えてもらった言葉です。

 

固定観念の訓練

 遠回しに言って気がつかない人に出会ったら、その時点でその人と縁を切らないと、禍が己に及ぶ。要は、その人とは30年間に亘って培ってきた価値観が違うのだ。そんな人にいくら言っても無駄なのだ。その人は、そういうことは感じないという訓練を、一日に10回として、30年間で109,500回も繰り返してきたのだ。その強固な感性を固定観念という。そんな固定観念は、少しくらいの助言では、変わらない。

 逆に、賢者からそう思われないように、全方向の気配りセンセーを最高感度にすべきなのだ。そうすれば良きご縁に気が付き、良きご縁が回ってくる。

 

2018-04-17

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無知・不敬の「平家物語歴史館」2/4

2018年3月17日、高松市の平家物語歴史館を訪問した。

驕り

 この歴史館は展示パネルの見せ方に違和感を覚える。何か展示者の見せてやるとの驕りを感じる。「平家物語絵巻」の写真の下に掲示された説明のA4の用紙が、異様なのだ。薄暗い場所で、A4サイズの紙に小さな字で書いてあり、読む気になれない。まるで「読みたければ、勝手に読め」と言っているかのようだ。何を来訪者に伝えたいのか、それが分からない。その紙も画びょう止めである。入館料を取る歴史館でそれはないだろう。

 展示パネルの表題の字体にしても、機械的に明朝体を選んで記されているが、見やすさ読みやすさから言えば、ゴシック体で記載すべきである。

 各場面の情景説明パネルも、黒地で白の文字であるが、全体が暗いので、読みにくい。なぜ白地の黒文字にして、照明で照らさないのだ。

 平家物語歴史館の建屋全体が暗い雰囲気で、平家物語の悲哀を表現したつもりかもしれないが、歴史を白日の下に晒して、現代の我々が学ぶべきことは何か、までに掘り下げて展示を考えて欲しい。お涙頂戴の展示では、情けない。日本最大のロウ人形館と宣伝するなら、相応の品格と内容にして欲しい。国際コンテストが開催される都市の歴史館として、英文の表記や、外人にも恥ずかしくない展示形態として欲しい。

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 平家物語絵巻の説明パネル

22p1040614  平家物語絵巻のA4説明紙

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 第六景 物怪の説明パネル

 

第六景 物怪

 桓武天皇が平安京(現在の京都)を建てて以来、遷都はなかった。それを人臣の清盛が1180年、福原(現在の神戸市)に遷都した。人々は動揺して、新都では、いろんな物怪が出現した。この遷都には帝も臣下も嘆き、全ての神社も異を唱えたので、清盛はついに旧都に戻ったとされた。(『平家物語』)第五「物怪之沙汰」の要約)

 

 上記の情景を下図のロウ人形のお化けで表現するのでは、歴史館には違和感があり、単なる見世物のお化け屋敷の表現に成り下がっている。

 「歴史館」と謳っている以上は、「いろんな物怪が出現した」という文学表現を、歴史と史実に基づいた表現にすべきだと思う。

 このお化けのロウ人形で表現された情景から、人は何を学ぶのか、それが歴史館として問われている。これでは、見学者の時間泥棒である。見学する方にも、時間という命がかかっている。学ぶべきことがなければ、付加価値がゼロである。当時の状況を伝えたのなら、説明パネル1枚だけで充分である。

Photo

 物怪に怯える平清盛

 

2018-04-17

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