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2018年3月

2018年3月31日 (土)

磨墨智37. 使命感を持って生きよう

 命とは、この世で自分が使える「持ち時間」である。人生ゲームにおいて、命を考えて真剣に物事に取り組めば、たいていの事は成就する。中途半端に取り組むから、かけた時間が無駄になる。

 命を使って、命をかけて、命に報い、命を輝やかせよう。それが命を授けて頂いたご先祖様へのご恩返し。

 使命感もなく惰性で生きてくると、早く惚けて、人様に迷惑をかける。お役人の中途半端な偉いさんや、警察署長、校長先生にその類が多い。そんな人は、定年後、「起きたけど 寝るまで特に 用もなし」、「辞めたけど やること無くて 徘徊す」、「妻旅行 俺は徘徊 猫ホテル」の生活に落ちぶれる。

人は何のために生きているのかを考えず生きてきた咎である。その一方で、その命を下さいと泣いている業病の人がいる。もっと命を大事に使いたい。

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  馬場恵峰書 老いの川柳  2016年

 

燃える人生でありたい

 佛様が人の「命」の使い方を観音帳(閻魔帳ではない)に記述する。その使い方の真摯さが、人生ゲームの勝敗を分ける。天は自ら燃えない人を燻らせ、その燻った煙で回りに迷惑をかける。燃えない樹木ほど、煙(ぼやき)が多い。燃える人はその情熱で周りを暖める。功徳を積んで命を大事にしよう。

 人間の命は、たかだか百年である。佛師は千年後にも拝まれ続ける佛像造りに命をかける。松本明慶大佛師の言葉、「私は、みほとけを謹刻することによって生かされている」。 

 

人生三観を明確に

 使命感は、人生観・仕事感・人間観の明確化から生まれる。いくら小手先で時間を作っても、この3つの価値観が明確でないと使命感溢れる仕事はできない。仕事をするとは時間を作ること。

Photo  「修身」小田 2005年

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 馬場恵峰書 「恵峰書_恵峰ひと月教訓」2006年

 あるプロジェクトで一緒になった人たちが、この価値観を全く理解していない事が判明した。このままでは私と師の命が危ないので、私はそのプロジェクトから身を引き、その人達と縁を切った。

 

2018-03-31

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年3月29日 (木)

祝 大垣市長の呪い成就

 大垣駅前商店街の衰退が頂点に達した。2018310日、大垣駅前商店街で、街の商売上でも、大垣駅前商店街組合活動でも理事として運営をリードしていた大型衣料店「正札堂」が事業を停止した。「正札堂」は大垣駅前商店街の中央部に本店を構えていた。負債総額2億円。1952年創業で、岐阜・滋賀県下に13店舗を構え、一時は28億円の売り上げを誇った。(信用交換所岐阜支社の情報より

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   シャッターを降ろした正札堂  2018‎年‎3‎月‎30‎日(金)‏‎9:40

 大垣駅前商店街

呪いの原点

 状況証拠と憶測だけであるが、大垣市長は本町に紙屋の店舗を持つ実家に育ったため、親族から「金のかかる政治家など言語道断」と大反対され、氏は希望の進路に進めなかったようだ。それで大垣駅前商店街に逆恨みを抱いたと推定される。日本最高学府を卒業後、前職の超一流の商社を辞め、超超零細下請け企業の社長として細々とした仕事しかできなく、鬱積した思いを抱いていたようだ。その鬱積した思いを大垣財界のお遊びとしか思えないサロン活動でうさを晴らしたようだ。大垣財界の正しい見識と方向性の指示の活動があるなら、大垣駅前商店街や大垣市全体は衰退しなかったはずだ。その衰退を防げなかったのだから、大垣財界活動は不要な活動と断定せざるを得ない。しがない辺地の財界でも、日本最高学府卒業はブランドとして光り輝き、チヤホヤされ大垣財界活動の長に祭り上げられて、その後、前市長の死去に伴い、市長選に出場したようだ。

 

大垣市長の呪い

 その結果が「大垣駅前商店街など潰れてしまえ」としか思えないこの17年間の市政である。「お陰様で?」大垣駅前の本町通りは、約70店舗が店を並べるが、休日のかき入れ時に、11店舗しか開いていないまでに落ちぶれた。「祝大垣市長の呪い成就」である。本町通りの他の約60店舗はシャッターが下りたままの人通りが閑散とした幽霊通りである。土日の商店街の稼ぎ時に、歩行者は誰も歩いていない。一部は店舗ビルが消えてマンションや予備校、駐車場にもなっている。新しい店が開店しても夜の店で、昼間は閉店である。大垣市長は、駅裏にアピタと郊外にイオンがあるので、それで買い物の商店街としては十分だと思っているようだ。

 

図1~17  大垣駅前本町通り商店街の惨状

 新大橋から東側商店街を南方向に歩き、守屋多々志美術館から西側に渡り、西側商店街を北方向に新大橋まで歩いて撮影。

2018年3月25日(土)16:29~16:38

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10p1100209 数か月前はここに商業ビルがあったが、駐車場に変った。閑散とした駐車状況。守屋多々志美術館の西側。これ以降、西側商店街の風景

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他市の繁栄と比較して恥さらし

 日曜日は勿論平日でも人通りの多い長浜市商店街(人口11万人)、犬山市商店街(人口7万人)、彦根市キャッスルロード(人口11万人)と比較して大垣駅前商店街の没落ぶりは、異常すぎる。その原因が大垣市長の悪政であることが明白なので、大垣市民として恥ずかしい。大垣市の人口は、16万人である。これだけの惨状は意図して作り出さないと実現できない。

 どの街も商店街がシャッター通り化はしていないのが素晴らしい。

 

18 長浜市商店街 2017‎‎9‎‎10‎日(日)11:41

19 犬山市商店街 ‎2018‎‎3‎‎23‎日(金)15:34

20 彦根市商店街 2017‎‎9‎‎2‎日(土)‏‎12:24

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商店街との意見交換会を拒否

 大垣市長に当選後、市長は1回だけ商店街との意見交換会(タウンミーティング)を開いたが、その後は、商店街がその開催を要請しても「今はその時期ではないと」言い逃れして逃げ回り、それ以降17年間、一回も開いていない。その第一回目の意見交換会も、市長の意向を汲んだサクラだけを準備して、実際の商店街の店主達の意見発表を封殺した。

 

騙しの「大垣元気ハツラツ市」

 大垣市民を活性化のためと騙して開催している「大垣元気ハツラツ市」は、他市の業者は潤うが、地元の商店街には営業妨害の行事である。その証拠に、当日は開いても儲からないので、店を閉めている地元商店が大半である。大垣市民は基幹道路が封鎖され、渋滞で大迷惑である。市の中心地に買い物にも行けない。「大垣元気ハツラツ市」に来る他市の観光客は寂れた大垣市を見て、他に日には絶対に来ない。それでこの7年間に市民税の1億2千万円以上を散財(散罪?)して、会計報告さえない。だれかうまい汁でも吸っているのか。

 

「大垣市未来ビジョン」の滑稽さ

 2018年3月、大垣市が公開した「大垣市未来ビジョン」では前の「大垣市中心市街地活性基本計画」(平成27年~33年)が、失敗に終わっているのに、そのPDCAを回さずに、同じ戦法で、「中心市街地の商店街は、周辺住民の日常的な買い物ニーズを満たす役割を担っていますが、商店数、販売額等が減少を続けており、今後も減少を続けると予想されます」(p56)と無責任な記述ぶりである。誰の原因で商店数、販売額等が減少したのか。大垣市長が意図して商店街を衰退させる為の巧妙な戦術を取ったとしか思えない。反論があるなら、そうでない証拠とデータを示して欲しい。

 143頁もある分厚いだけの計画書「大垣市未来ビジョン」中で、商店街の活性化の記述はたった2頁である。これは分厚いだけで中身はスカスカである。大垣の産業就業者は商業が69%にも及ぶ。いかに大垣市長が、商業を軽視しているかが、その記述量からも推定される。大垣市長は商店街を見たくも書きたくもないのだ。それがこの計画書に露骨に現れている。文書は嘘を言わない。市長の心の本音が現れている。

 大垣市民の第一次産業の従事者は0.4%である。第三次産業従事者は69%である。大垣市は商業の街である。第一次産業の農業に関する記載は、商業と同じ2頁である。大垣市長は、鯛の一匹とジャコ一匹を同列に並べて未来の料理法を語っていると同じである。結婚式の引出物の料理で、同じお魚一匹だから、同じ量でいいでしょうというが如しである。市長には、行政として、何が重要かの状況判断が、全く理解できないようだ。大垣市長には、0.4%の農業も69%の商業も同じに見えるのだ。

 

復讐の挙句

 大垣市長は、大垣駅前商店街に十分に復讐をした。その結果、大垣駅前商店街は潰れたも同然となった。市長の呪いが達成できたと言える。だから「大垣市未来ビジョン」でも、商店街の活性化に関する記述は、お飾りで2頁だけをお情けで書いた、である。大垣市長は自分の呪いが成就して嬉しさのあまり、新市庁舎の建設にうつつを抜かしている。市民の暮らしには目も向けない。

 こんな市長で大垣市の未来はあるのか。

 

2018-03-29

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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報告 ブログ記事総数600

皆様の多くの閲覧という励ましのお陰様で、ブログ記事総数が600に達しました。その記事リストを送ります。対象の記事を日付順で探すのが大変なので、カテゴリーから探してください。

エンジョイブログ事務局のカウントと自分のカウントが2通違いますが、事務局のカウント数を基にしました。

現在、エンジョイブログ「人気ブログランキング」8

累計閲覧総数23,640 (201832913時現在)

記事リスト  _20180329.pdfをダウンロード

 

2018-03-29 小田泰仙

2018年3月28日 (水)

馬場恵峰先生宅に出張

本日、5時起きで陸路、長崎の馬場恵峰先生宅に出かけて、23時に帰宅しました。訪問目的は、先生への報告とお詫びです。この4月の恵峰師岐阜講演会の計画が、私の力及ばずで、他の幹事達のご都合主義で勝手に変更されてしまい、結果として恵峰先生の志に反する事態になりました。詳細は後日ブログで報告します。

2018-03-28   小田泰仙

2018年3月27日 (火)

2-3.日産の反面教師

 ネッツトヨタ南国の大原光秦社長の講演会を聴いて、欧米の成果主義の弊害事例として、ルノーに飲み込まれた日産の社内変化を思いだした。『週刊新潮 2000年2月10日号』に記載された「アフター定年 人生終章の光と影『日産の元中堅幹部が選んだ「花」と「カレー」を売る人生』を読み、その記事中で、成果制度の裏に隠れた弊害と部下育成の衰退の言葉が目に焼き付いた。

 

『日産の元中堅幹部が選んだ「花」と「カレー」を売る人生』の要約

 その記事は、主人公の安藤宏氏(52歳)の日産のサラリーマン生活から新ビジネスの取り組みの苦労話であった。氏は40歳代に入ってセールス部門の環境が変わり始めた。それまでの日産の伝統の車種別の営業体制が、地域別のそれに代わり、氏は中国、四国、九州地区の営業部長代理となる。それは新しい時代の到来であった。

 新車を出せば売れる時代が終わり、成熟した市場になってきた。その中で地域戦略や販売網の合理化など競争力を高める為、経営指導をすることになったが、それは店の統廃合も含まれており、現場との軋轢で、学者肌の氏は、精神への負担が大きくなりノイローゼ気味となってしまった。

 それで氏は平成8年に早期退職制度を利用して退職し、新しい道の新ビジネスの立ち上げにチャレンジした。その過程で、失敗もあり多くの苦労をしてきて、ホームレスになるか、家族崩壊かと、地獄の苦しみを味わうことになる。つい最近、そのビジネスにやっと少しの希望が出てきたという。

 そんなに苦労をしているのに、安藤氏は日産自動車を辞めたことに後悔していないという。「一時は悔いたこともありました。しかし今のニッサンは社内の雰囲気も変わったと聞いています。昔は上司が部下に仕事を任せていた。今は自分の代わりが育つと、自分は要らなくなるかもしれないと恐れ、後輩に仕事を教えなくなったそうです。悲しいね。早くリタイアしたのは間違いではなかったと思っています。」

『週刊新潮 2000年2月10日号』

 

成果制度の弊害

 この事象は欧米式経営の個人主義、成果制度の裏に隠れた弊害の極みである。ネッツトヨタ南国のように共に組織として成果を出すことで、お客さまに喜んでもらうことを目的とすれば、個人主義、成果主義制度など採用できるはずがない。

 日産はルノーに吸収合併されてから10年余以来、一見、利益は出ているようだが、肝心の魅力ある車が生まれない。財務の改善、過去の財産の切り売りで、本業では成果が出ていない。成果主義の見えざる圧力で、現場はノルマ達成に尻を叩かれる。その結果が、無資格者に車検を任せる不詳事に発展する。現場は、違法でもノルマを達成せよ、とまで追い詰められていたのだ。

 ゴーン氏の人相は、狩猟民族の顔で、野獣的な下品さがある。ルノーは、日産を食い荒し、その後、隙をみせた三菱自動車に食らいついた。日産も三菱自動車も、官僚主義、権力闘争で会社の競争力を弱め、その結果として経営不振に陥り、外資の餌食となった。社員を不幸にした官僚主義の経営者の責任は重い。我々は他山の石として、グローバル主義経済を見直さねばならぬ。

 グローバル主義経済の象徴として、1%の支配層が99%の富を独占する。その象徴として日産では、ゴーン社長(当時)が10億円の報酬を独り占めし、役員の報酬も数億円に上るが、トヨタの役員の報酬は数千万円である。その一方で、一般社員の給与は、トヨタの社員より低い。なにかおかしい。

 

2018-03-27

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2018年3月26日 (月)

2.新価値観営業の成果

2-1.日本経済の近未来

 国内販売台数が伸びない中でも、ネッツトヨタ南国の売上高は伸び続けている。各自動車販売店が、この十年(2011年当時)で売り上げを30%も減らすのが珍しくない中、ネッツトヨタ南国は約2倍にも売り上げを伸ばしている。特にリーマンショック後も続く伸びには敬服である。

 私が新人向け技術講座で「IT時代のナレッジと自己研鑽」で、「これからの日本経済はどうなるのか」と受講者に質問をした。私は、これからのデフレの時代、勝ち組は益々勝ち、負け組はさらに負けていくと予言した。このデフレの流れは、全世界の国が同じ給与水準になるまで続くと断言した。これはリコーの業務改革の講演や、各種の本を読んで、理解した内容を解説したまでである。その近未来をネッツトヨタ南国の経営が現実として証明している。 

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 ネッツトヨタ南国の売上高推移『PRESIDENT 2011年5月2日号』より

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 2011年5月12日の大原光泰社長の岐阜講演会で

  2002年を境に伸びるネッツトヨタ南国、下がる同業他社

  黄線がネッツトヨタ南国の販売台数 

  青線が同業他社の平均販売台数

13年前の予言

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  2018年現在もデフレ傾向で景気は完全には回復していない

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  「IT時代のナレッジと自己研鑽」 2005年 小田

2-2.欧米式経営を選択した過ち

 Japan as No.1 と持てはやされた日本企業と日本式経営は、バブル崩壊後いつしか、おかしくなってきた。私はその原因を、欧米型経営の導入に見出している。

 日本企業が採用してきた人事制度は、三種の神器といわれる日本式経営の特徴すなわち「終身雇用制」、「年功序列制」、「企業別労働組合」である。これらは、日本企業の強さの源泉とされてきたが、90年代初頭のバブル経済崩壊以来、大きく揺らいできた。グローバル経済化の荒波の中、欧米が日本の競争力を弱めようと、欧米式経営の一見、合理的で素晴らしく見える手法を経営者の高額報酬を餌として導入させたように思える。

 その1つは個人主義であり、年功序列の崩壊であり、契約に基づいた労働であり、派遣社員の増大、その究極が成果主義の導入であった。その結果が現在の日本の限りなく続く経済停滞であると思う。

 不況とは、好況と好況の間の1,2年の経済調整期間であり、今の日本が塗炭の苦しみを味わってきた30年にも及ぶ経済停滞でない。あきらかに、欧米が盛った毒が全身に効いてきたのである。その最大の項目が成果主義であると思う。

 

欧米が盛った毒が効いてきた

 何時の間にか、最近の若者は眼の輝きを失せてしまっている。これも西洋の個人主義、ゆとり教育、仕事の価値観の崩壊等、が原因である。しかしネッツトヨタ南国の社員の働きぶりを調査すると、まだまだ見捨てたものではない。単に、価値観教育の欠如、労働環境の劣化と、上に立つ人の人格崩壊だとの結論を得た。

 自分は、会社での技術者教育に長年携わり、新人の劣化と会社の成果主義、官僚主義での影響の大きさに失望し、経営とは何かを悩んでいた。その弊害の究極の結末は、私の元上司の言葉「技術以外の余分なことは教えるな」であった。私が体験した成果主義、官僚主義の弊害は、会社をおかしくする。若者にモチベーションを沸き起こす教育体制はなにか。私はその答えをネッツトヨタ南国の経営に見出した。

 

2018-03-26

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2018年3月25日 (日)

無知・不敬の「平家物語歴史館」1/4

 2018年3月14日~17日、高松国際ピアノコンクールを聴くために高松に滞在したが、朝10時から夜7時まで会場に拘束されたので、高松の観光地には行けなかった。最終日前日になって、平家物語歴史館が会場の近くに(2キロ)にあることを発見した。開館時間は朝9時からなので、十分に間に合うので見学に出かけた。パンフレットでは、日本最大のロウ人形館とある。朝9時に会場に着いても、時間と平日のせいもあるが、滞在時間中は他の観客は誰もいなかった。料金1200円、見学時間40分。人気はないようだ。全館を見学してその理由を納得した。

 1階が四国にご縁のある偉人のロウ人形の陳列、2階が平家物語絵巻の各場面をロウ人形で再現している。全部で150体ほどのロウ人形が展示されており、一見壮観ではある。

 詳細に観察して、この平家物語歴史館は無知・驕り・不敬・物語性なしの博物館であると結論付けた。

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    高松市の平家物語歴史館

 

全体印象の総括

 よくよく見ると、人間の骨格、表情、人相の専門分野で、ロウ人形師の人物の造詣の無知をさらけ出してているの多々発見した。

 またロウ人形をただ並べただけ、小さい字で説明書きを展示しただけという、後は観光客が勝手に見るだろう、見させてやる、との博物館の企画設計運営屋に驕りが見えた。

 2階が平家物語絵巻の各場面では、わざと暗くしておどろおどろしく展示がされ、まるでお化け屋敷のような雰囲気がある。全体に詰め込み過ぎで、見ていて見苦しい。見世物としての展示の形態で、事務局のやっつけ仕事の驕りを感じた。

 安徳天皇や建礼門院、乳母、義経らは、高貴なお方だからそれ相応のお顔の雰囲気がないと困るのに、まるでその雰囲気がなくド田舎の民衆の顔である。それが気の毒である。人形のモデルに対して不敬でかわいそうである。またそのガサツな造りでは、安徳天皇やその母の建礼門院、乳母に不敬である。

 博物館の展示は、本を読むと同じようにストーリーが無ければならない。その背景は何か、結論は何か、何が言いたいのか、それが不明で、ただおどろおどろしくお化け屋敷のように並べただけという印象である。

 

無知

 1階から入場して、正面に空海が鎮座して、自分を睨んでいるのを発見して、思わずぎょっとした。勿論ロウ人形であるが、出来はなかなかにリアルである。

 

やり手のIT社長の趣

 しばらく見つめていて違和感を覚えた。空海さんであるから偉い人なのだ。それがまるで感じられないのだ。まるで青年実業家のやり手のIT社長といった雰囲気である。その横顔はふてぶてしい「おい、〇〇君、ちゃんと修行の成果は上がったのか? 成果が出ないと地獄行きだぞ」と言われているようだ。リアルであるので、余計にぶきみである。それは全体の雰囲気が薄情な人の印象を与えるからだ。その顔は細面で上唇が薄く作られていた。人相学には、薄い唇の人は、強情で人情が薄いと言われる。この唇の相は、私の昔の上司の唇の形態と同じである。その上司は強情さから最後は会社を潰すことになった。

 このロウ人形は若いころの空海を再現したようだが、全体的な雰囲気として人徳が全く感じられない。人を表現した造形なら、その人の風格がにじみ出る作品でないと、価値がない。ロウ人形は学芸会の余興ではないのだ。

 後日、京都の松本明慶佛像彫刻美術館で、同じ弘法大師座像を拝顔して、ロウ人形との差が明確になった。こちらの方は福々しく人徳溢れた形相で、それでいて威厳あるお姿である。思わず手を合わせてお祈りしたくなった。流石に松本明慶先生作の佛像である。それほどの人相に差があるのだ。

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3p1040657 平家物語歴史館の空海(ロウ人形)

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5p1040724 大仏師松本明慶作「弘法大師座像」松本明慶仏像彫刻美術館にて 

 松本明慶仏像彫刻美術館の許可を得て掲載しています。2018年3月21日撮影

 

百科事典の説明書きの驕り

 パネルの説明も「空海」としての事務的な説明で、敬称もなく単に一僧侶の説明を記述しているだけである。本来なら「空海」でなく「弘法大師」として、日本に仏教を広めた開祖として、敬意ある説明文でなければおかしい。そこに、単なる僧としての説明展示である。日本の偉大な宗教家に不敬だと思う。空海さんは客寄せパンダではないのだ。真言宗の宗徒の方に不敬である。これはやっつけ仕事で、まさにお役所的仕事である。

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法具の持ち方

 また、両方を観察して分かったことが、ロウ人形の右手に持つ五鈷杵という法具の持ち方がデタラメなのだ。その辺の仏教の基礎知識が全くないロウ人形師が、何も考えずに造形している。

7p1040580   ロウ人形 

8p1040725_2     松本明慶師作

耳の造型

 ロウ人形の空海の耳の大きさも大きすぎるし、形も不自然である。その位置もロウ人形は下過ぎて、人の耳として違和感がある。これでは人の耳ではない。耳も耳たぶが普通の造形で、福耳ではないのだ。

8p1040656 ロウ人形

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  松本明慶師作

 

 

顔の品格

 一階の入り口部に壮年の平清盛像が立っている。緻密な作りでリアル感がある。2階の「第二景」に太政大臣に上り詰めた平清盛像がある。それを比較すると同じ人とは思えない。どうも作者が違うようだ。太政大臣に上り詰めた平清盛像は、空海と顔の骨格がよく似ている。その骨格を応用して製作したのだろう。問題は、壮年の平清盛像のお顔である。どう見ても下品な成り上がりものの顔としか思えない。大将なのだから、なにか気品がある顔立ちであるはずだ。それがないので、ロウ人形作者の人格を疑ってしまう。

10p1040658 壮年の平清盛像

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 太政大臣に上り詰めた平清盛像

人形作りの基本

 ロウ人形を作るにも人体の骨格、肉付き、人相を熟知しないと、本物の命あるロウ人形はでできない。特に写真が残っている実在の人のロウ人形の製作では三次元データ等を使うので、そこそこの形には出来る。しかし、写真もなく、1300年前の人物のロウ人形の製作は、ロウ人形師本人の人格と技量が問われる。そのロウ人形師の人格以上のロウ人形はできない。会計ソフトを作るにも、ソフトの技術だけなく会計学の知識が必要である。それと同じように、人間の骨格、表情、人相の専門分野で、プロでなければ本物のロウ人形はできない。人物の内面にまで踏み込まないと、命ある像はできない。形はできても、人を感動させる作品はできない。平家物語絵巻の第五景『俊寛のみ赦されず』の中の船頭の体の姿勢がデタラメなのだ。こんな格好では櫂を扱えない。一時が万事で、他も同じである。

13p1040598 第五景『俊寛のみ赦されず』

 

見世物として

 ロウ人形とは何か、その位置付けを考えて悩んでいたが、結論としてロウ人形は見世物、客引き、アトラクションが結論である。芸術作品ではないようだ。この空海は、仏像とは全く別の作品で、見世物である。だから展示が美術館ではなく博物館なのだ。本来、芸術作品として展示も可能のはず。そうでないのは、ロウ人形師とその企画・製造・展示させた主催者の姿勢に問題がある。

 

2018-03-25

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2018年3月24日 (土)

4-7.五右衛門風呂の幸せ

五右衛門風呂の定理

 日本では相手に対して与えた陰徳が、後から倍返しで返ってくる社会である。陰徳とは佛様への長期定期貯金である「積善の家には必ず余慶あり」(『易経』)が佛の御心である。その余慶を自分が受けなくても、子孫がその恩恵を受ける。それは五右衛門風呂で、温かいお湯を向うに押し出すと、回りまわって背面から自分に返ってくる現象に似ている。それが利他の精神である。足るを知らず、いくら己の方にお湯をかき寄せても、お湯は向うに逃げてゆく「利他、足るを知る」の東洋思想は、西洋の総取りの思想、短期収穫思想とは相いれない。私は西洋式のバスタブよりも、五右衛門風呂の方式で、ゆっくりと温まりたい「情けは人のためならず」とは五右衛門風呂の定理である。弘法大師の教えと眼差しには、その温かさがある。ネッツトヨタ南国の新人は、そういう温かい眼差しを向ける心を「バリアフリーお遍路の旅」研修で、体得するのだろう。

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 大仏師松本明慶作「弘法大師座像」松本明慶仏像彫刻美術館にて 

 松本明慶仏像彫刻美術館の許可を得て掲載しています。2018年3月21日撮影

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    教育資料「修身」 小田 2005年

「私」と「自分」の戦い

 「私」とは自己主張の言葉で、「自分」とは共同体での自称である。「自分」とは社会全体に対して「自らに与えられた分」である。仏教用語である。「私」とは、自己主張の総取りの意思表示である。

 人の考え方は言葉に現れる。だから言葉とは文化である。言葉には言霊がこもる。英語で「私」を表す言葉は、Iと Myself くらいしかない。それが英語圏の自己主張の文化を象徴している。それに対して、日本語では、私、自分、俺、朕、某、予、我輩、及公、手前、小生、愚生、拙者、不肖、老生、愚老、拙僧、愚禿、小職、と数多くある。日本社会は、状況に応じて自分の位置を変える大人の社会である。

 文化の違いは、同じように魚名1つをとっても、欧米と差がある。出世魚であるブリは、ワカシ(15 cm くらいまで)、イナダ(40 cm くらい)、ワラサ(60 cm くらい)、ブリ(90 cm 以上)と名前を変える。しかし英語ではyellowtail だけである。

 ネッツトヨタ南国の経営方式が、欧米でうまくいくかどうかは、疑問である。どんな手法もその国の文化、風土にあった方法がある。

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   教育資料「道と価値創造」 小田 2005年

 

農耕文化と狩猟文化

 この日本語と英語の違いは文化の違いである。欧米は、自己主張を最優先に考える狩猟民族の文化である。それに対して、日本語は、共同生活で生活を成りたたせてきた農耕文化である。共同生活が第一にあるため、話す相手に合わせて、自己の表現を変えている。自分が社会と共にある一員を表現している。その典型的な言葉が「自分」である。つまり全体の中の「自ら」の「分」の存在を表している。これは禅の言葉でもある。

 常に社会の中での自分を考える風土が、共生の思想で運営されている。そこに西洋の個人主義の経営手法が入ってきたからおかしくなった。日本の風土には、日本の風土に合った制度がある。年功序列であり、終身雇用であり、会社別組合である。

 

日本で成果主義導入の違和感

 西洋の他人を押しのけて自己の利益を主張する成果主義は、日本風土に合わない。西洋にも日本式経営はあわないのであろう。弱肉強食の世界で、アジアアフリカ諸国を植民地にして、その生き血を啜って贅沢な生活をしてきた列強諸国は、成果主義万能の世界である。負けた方が悪いのだ。勝てば、相手を皆殺しにするか根こそぎ強奪して奴隷にして働かせるのが、神の思し召しなのだ。キリスト教徒でなければ人間ではないので、何をやっても罪悪感を感じない。そこに一神教の恐ろしさがある。

 イギリスは、植民地インド経営で、19世紀だけでインド人2,000万人以上を餓死させ、虐殺したといわれる。イギリスの植民地支配は、人民の愚民化と貧困化で、反英派や独立派は徹底的に弾圧し、インド人に密告・誣告を奨励して告発されたインド人は冤罪であっても女子供でも容赦なく叛逆罪として処刑した。そんな残虐なことが平気でやれたのは、相手を人間として見ていなかっただけである。

 しかしそれが、19世紀初頭の白人社会の常識であった。その考えで植民地強奪政策を推し進めたので、その因果応報として現在の移民の氾濫、テロになって欧米を襲っている。

 グローバル経済、成果主義を発達させてきた西洋は、日本式経営は取り入れない。西洋かぶれした浅知恵の日本の経営者が、西洋文化でしか機能しない成果主義を取り入れたといえる。今の日本の停滞と混乱は、風土とのミスマッチから生まれている。

 

「人は資源」と「人は経費」の闘い

 「人は資源」として大事にするウィンウィンの経営が、ネッツトヨタ南国の経営方式なのだ。日本で人を大事にする経営をすれば、成功する。人を大事にしないから、多くの日本企業が没落した。

 西洋の成果主義では、人は経費なのだ。経費だから利益確保のためには削減しなくてはならない。まして移民の有色人種は、安い労働の使い捨て消耗品扱いである。ドイツがそれをフル活用して経済を発展させた。勝者独り占めの政策として、EU内関税政策フル活用で、弱者のギリシャは弱者をままに置いて漁夫の利を得た。そのため、ギリシャは貧乏になった。EU内では弱者と強者の関税が同じだから、洪水のようにドイツ車を筆頭に安いコストで作った工業製品が、弱小国家に流れ込む。その結果、自動車産業を筆頭に多くの産業は衰退する。それがギリシャ問題である。

 その昔は、多くの列強がアジア、アフリカに殺到して、植民地分捕り合戦をして、富を欧米に持ち帰り、それを独り占めした。アジアの植民地の住民は、欧米にとって人間ではないのだ。それの後継者が、グローバル経済主義者となって、99%の富を1%の富裕層が独占する世界を作った。

 だから私はドイツ車を絶対に買わないし乗らない。ドイツ車に乗って自慢しているセレブ経営者を軽蔑する。その分、日本の雇用の喪失、日本労働者の賃金抑圧、欧州での移民への差別が増長されるのだ。その中小企業社長のセレブは、世界経済流動の実態も、従業員がどういう目で己を見ているかには、思いを馳せないのだ。

 

和洋で戦闘戦略を切り替え

 私は日本人なので、その日本で共生、無私の世界に生きている。なるべく事を荒立てないようにするのは、日本人としての特性である。だから私は問題が起きても、相手を見てどれだけクレームを付けるかは、相手を観察してから慎重に対応している。

 昔の正義感溢れてエネルギーに満ちていた時は、テクニカルライティングの論理構成、危機管理の思想、倫理観でビジネス戦争を戦っていた。正論で論理的にガンガンと攻めるから、敵(某世界的大手IT企業)の営業マンからは、一目置かれていた。

 最近は悟りの心境になり、戦っても時間の無駄だと思う相手とは、最初から戦いを略する「戦略」に切り替えた。アホな相手と議論しても私だけが疲れるだけで、相手は極楽とんぼモードのままである。それでは私の人生ロスであると悟った。諫言を言われなくなったら、戦ってもらえなくなったら、その人は終わりなのだ。私が、「相手にするだけ無駄」と経営判断をしたのだから。人は言われるうちがハナなのだ。無駄と判断されると、鼻にもかけられない。

 私は、いまでも欧米に旅行等で出かけた時は、ハッキリと自己主張をして過ごす。日本では和の精神で言いたいこともある程度我慢するが、欧米に出かけた時は英語での戦闘態勢である。特にビジネスの場合は、西洋人になりきって行動する。ホテルや空港で問題があれば、西洋人のように、はっきりと「I」を主語にクレームを付ける。そうしないと生きていけないのだ。

 特に仕事で西洋とやりあう場合は、自己主張をしないとやり込められてしまう。私は、欧米ではできるだけそういう会社や組織とは付き合わないようにしている。一流ブランドの飛行機会社やホテル等なら、そういう嫌なことは少ないので、日本人として品格ある行動ができる。

 

マネジメント的視点が鍵

  仕事の最前線にマネジメント的視点をもたらすこと。 

  それ自体が1つのイノベーションである。

 あらゆる生産手段のうち、人的資源ほど効率の悪いものはない。この人的資源の活用に成功したわずかな企業が、生産性と算出量の飛躍的な向上を実現する。人的資源こそ生産性向上の主たる機会である。したがって、今日関心を集めている設備や技術のマネジメントではなく、人材のマネジメントこそが最大の関心事でなければならない。

 しかもわれわれは、人的資源の生産性をもたらす鍵が何であるかを知っている。報酬は手段でない。考え方としてのマネジメントである。仕事と製品のマネジメントで見ること、すなわち、それらのものを全体との関連においてみることである。

P.F.ドラッカー『新しい社会と新しい経営』上田惇生訳 ダイヤモンド社

 

2018-03-24

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年3月23日 (金)

新人は弘法大師を目指す

4-6.入社後の教育

1)「バリアフリーお遍路の旅」新人研修

 ネッツトヨタ南国の1ヶ月間の新人研修の最後に、4泊5日「バリアフリーお遍路の旅」研修がある。新人が全国から応募した視覚等に障害がある方とペアとなって、手取り足取りお世話をしながらの、四国霊場を回る研修旅行である。泊まる宿は、民宿や普通の宿である。当然、バリアフリーの設備が完備されているわけではない。全盲の方や障害のある方のお世話するのは初体験の新人ばかりである。

 彼らは、失敗のないようにと一生懸命にお世話をするのだが、当然、ミスもして全盲の方に辛い思いをさせることもある。トイレでの粗相もあろう。しかし、奉仕だけがこの研修の目的ではなく、真の目的は別である。24時間5日間、全盲の方をお世話する間に、人への真の心配りに気づかせる実習である。障害者だからといって、全てをサポートして欲しいわけではない。彼らにも人間としての尊厳があり、できるだけ自分で処理をしたいのが本能である。構いすぎは、却って彼らの自尊心を傷つける。ほんの少しのサポートが、彼らの心の琴線に触れるおもてなしとなる。

 「あなたが、私が不自由そうだな、と感じることがあったら、そのことだけ、ほんの少し力を貸してくれればいいのですよ」の言葉は、一緒に旅をして、お風呂で背中を流し、布団を並べて寝る前に話し合う中で、心を開いて始めて語られる仏様のような言霊である。

 「バリアフリー」の言葉の意味は何か、相手が求めていることは何か、それを感じ取り、実践するために、先入観、固定観念という心のバリアを捨てることの大切さを体験する。

 研修後の体験発表会では、涙、涙の報告である。今後の人生を、真心でお客様や仲間、家族と向き合い、生きていく決意をする新人たちの姿がそこにある。

 

弘法大師になりきる修行

 私はこの研修を弘法大師との「同行二人」になりきる修行だと解釈した。お遍路さんは、その傍に弘法大師が同行してくれていると信じて霊場を巡る。真言宗では、空海が山岳修行をしていた時代に遍歴した場所は、四国八十八箇所に代表される霊場として残っている。四国八十八箇所霊場を巡るお遍路では、「南無大師遍照金剛」を唱えながら巡礼する。

 「南無」とは弘法大師空海に帰依するという意味である。「遍照金剛」の名号は、空海が唐に留学し、真言密教を極めた時の灌頂名で、「太陽のごとくすべてを照らす慈悲と、人を幸せにする仏さまの砕けることなき智慧の持ち主」という意味があり、大日如来の別名でもある。

 お遍路さんの白衣の背中にも「南無大師遍照金剛」の文字を背負う。お遍路さん同士での挨拶も、この言葉を使う。歩き遍路で「南無大師遍照金剛」を唱えるのは、自分の後ろには大日如来が控えているから、大師と二人で同行してお遍路を歩くという意味がある。

 同行する弘法大師は、けっして出しゃばらない。困った時にだけ助けてくれる存在である。ディーラマンとして、弘法大師のような存在を目指して修行するのが、「バリアフリーお遍路の旅」研修だと私は解釈した。

車を買うのも一つの人生

 車を買う人は、趣味の世界もありディーラマンよりも知識を持っている場合が多い。それがディーラマンから知っている車の知識など押し付けがましい話は聞きたくない。己に足りない情報だけを教えてくれれば良いのだ。車を買うのも一つの人生である。暗夜を歩く人生と同じである。困った時に、そっと助けてくれれば良いのだ。車を買ってからその販売店とは10年間の長いお付き合いの人生が始まるのだ。

暗夜に自分の人生を歩む

 人生を歩くとは、暗夜を手探りで歩く様に似ている。すべて手を引かれて行けば、自分の存在意義がない。自分の尊厳は守りたい。失敗してもいいから、自分の足でそろそろと歩む。必要な時には、佛様が助けてくれると信じて。「そういう佛様のような存在になれ」というのがこの研修があると思う。新人がこの研修の本当の意味を知る時をネッツトヨタ南国の社長は、首を長くして待ち望んでいるのだろう。

管理職の立場になって

 新人が後年に管理職の立場になった時、この部下の指導で弘法大師のような存在の価値を悟るのである。その時、バリアフリーお遍路の旅」研修の真意に気が付くのだ。

極楽とは

 新人は、お客様のためにと発心して、お客様のために修行をして、菩提の修行をして、涅槃の境地に達する。それを「バリアフリーお遍路の旅」研修で垣間見る。

 菩提とは悟りの境地、涅槃とは全ての煩悩から解脱した状態である。新人は涅槃を目指す。我々も煩悩を解脱して生きていきたい。お客様の喜ぶ顔が目指す極楽涅槃である。

Photo

   馬場恵峰書『四国八十カ所の発心・修行・菩提・涅槃の四道場に読まれた歌・各寺の本尊集』(2016年)より(現在、出版準備中)

1p1040722 大仏師松本明慶作「弘法大師座像」松本明慶仏像彫刻美術館にて 

 松本明慶仏像彫刻美術館の許可を得て掲載しています。2018年3月21日撮影

 

日本で一番大切にしたい会社

 『日本でいちばん大切にしたい会社 2』の著者坂本光司浜松大学教授は、講演「日本でいちばん大切にしたい会社」(KBC主催の講演会 2011年4月25日 岐阜グランホテル)で、このお店を訪れて、「なんともいえない温かい雰囲気を感じた」と述べられていた。このオーロラを発するおもてなしの温かさは、この研修の成果なのだろう。ネッツトヨタ南国の社員が佛様のように見えたのだろう。

 

2)職場実習

 入社後は「教えない」が基本。社員が「気付き」「考え」「行動する」まで待つ風土が、社員が最大限の能力を発揮する風土を育てた。

 この手法は、直ぐに結果を求める欧米式の経営では、絶対になりたたない。促成栽培された生物は成長が早いが、衰退はさらに早い。それに対して、じっくり育てられ、風雪に耐えた生物は長生きで、元気が良い。

 南方のラワンの木は、生長が早い。それゆえ、安い建材として広く使われている。この木は直ぐに大木になるが、自身の体重を支えきれず、倒れてしまう木も多い。なにか現代の若者を象徴している。

 

「何かのマニュアルを与えればミスは確実に減るでしょうし、売り上げは簡単に伸びるでしょう。しかし逆に従業員の思考が停止してしまう。お客様へのよりよい応接を自分自身で模索するプロセスや失敗の中にこそ、大事な気づきがある。そんな経験と努力を通じて従業員には人生の勝利者となって欲しいのです」(大原光泰氏)PRESIDENT 2011年5月2日号』

 

あなたの部下、子供にはどんな教育を施していますか?

自分は、自分に対してどんな教育をしているのか?

自分は、人に助けられるよりも、黙って見守って必要な時に助けてあげる存在になりたい。

 

2018-03-23

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年3月22日 (木)

4-5.ネッツトヨタ南国の採用試験

 ネッツトヨタ南国の採用試験では、応募枠4~5名に全国から700名の学生が殺到する。競争倍率150倍。頭のよさ、学校の成績で採用されるわけではない。あなたが応募したとしたら、全国から殺到する応募者150名中で、1位を取れるだろうか。私は自信がない。

 

人を観る眼の難しさ

 一般的な採用面接では、人の見分けはできないと思う。イトーヨーカ堂の前会長の鈴木敏文氏でさえ、10分程度の面接では、異常値を排除するだけで、真の人物は分からないという。私も途中入社希望者の面接をしたことがあるが、入社後にその人に裏切られたことがある。短時間で人を見分けるのは難しい。

 企業にとって一人の新人採用は、数億円の設備導入に匹敵する。企業はその人に40年弱の間、給与を払うのだ。それは総額で数億円にもなる。それなのに、採用もいい加減、新人教育もいい加減、それで人が育つわけがない。業績に貢献する人材になるわけがない。10万円の稟議にケチをつける役員が、新人採用、新人教育に、熱意を示さないのだ。むしろ妨害さえする。

 保守的な大企業だと学閥だけで採用して、学閥だけで昇進させる。特定大学を出たというだけで、鼻持ちならぬ新人でも、優遇されているのも数多い。私もその影響で冷や飯を食わされた。鼻持ちならぬ新人は、会社から特別扱いで博士号まで取らせてもらって、気に喰わないと会社を辞めた。その依怙贔屓をしていた役員が経営してきた会社はおかしくなった。当然の因果である。

 

ネッツトヨタ南国の受験資格

 競争優位性を人財に置くネッツトヨタ南国での採用試験は、ユニークである。下記は同社のHP(2011年)での採用条件紹介である。

http://www.vistanetz.com/recruit/16.html 2011/4/20

(現在はこのHPは変更されているが、基本的に内容は変わっていない)

 受験資格

・会社訪問などを通じて、あなたの人生においてネッツ南国で働くことの意義が明確にできていること。

・採用試験は、1次選考方式(つまり1回勝負)! 

   ・・・でも長い人生。3回ぐらいチャレンジするのも可です。

・通年で I ターン、U ターン中途採用も実施しております。関心をお持ちの方はお問い合わせください。

・エンジニア志望高校生の採用試験については、各高校の進路指導部経由でお知らせいたします。(高校生こそ、夏休みにしっかり職場体験しておこう!) 

就職活動中のみなさんへ(新卒、中途、学歴は関係ありません)

 VISTA(ネッツ南国)では、当社でイキイキと活躍していただける方を全力で探し求めています。「価値ある生き方をするためにも自分を磨きたい!」というあなた。季節は問いません。今すぐアクセスしてきてください。

■中途応募の方、必読!

 中途入社希望のご連絡をいただいた方には、会社案内資料とあわせて応募フォーム(エントリーシート)をお送りさせていただきます。このエントリーシートと履歴書をもって一次書類選考が実施されますので、ホームページや会社見学(ご自由にどうぞ!)などで企業研究をして、「私はこういう理由でVISTAで働きたい!」をしっかりアピールしてください。一次選考では「自分の想いを表現する力」が試されるのです!

 

ご注意!  

次のタイプの方には向かない職場です (ホントですからね)。

■ 家族を大切にする気持ちがない方   ■ 仲間を大切にできない方

■ 笑顔のない方                        ■ 夢を諦めた方

■ 人の話を聴けない方               ■ 人間が嫌いな方

■ 可能性を信じない方               ■ 自分が嫌いな方

■ 言われた仕事しかしない方

■ 会社のためなら何でもやります!というタイプの方

 

2018-03-22

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