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2018年2月

2018年2月28日 (水)

佛様の顔に泥を塗らない

自分の佛とは

 自分のとっての佛様とは誰か。その佛様の顔に己の我儘で泥を塗って、幸せになれるわけがない。今まで、佛様が段取りをしてくれたご縁の多くを、自分は蹴とばしてこなかったのかを、還暦を超えてから遅まきながら反省している。

 己にとって佛様とは、両親であり、恩師であり、上司、部下であった。意図せず、己に降りかかる種々のご縁が、佛様である。過去に若気の至りで、愚かなことをして、佛様の顔を汚していたことに、今になって気が付くのだ。その仏様は何も言わず黙って見守っていてくれた。気が付いた時には、両親も恩師も上司もこの世にいない。降りかかってきたご縁も今は、浦島太郎の玉手箱の煙のように消えた。いつか「親孝行したいとき親はなし」が訪れるのだ。

 巡り逢った仕事にも佛が宿る。その佛様の顔に泥を塗らないような仕事をせねばならぬ。その仕事に己の魂を宿すのだ。仕事に泥を塗るとは、己の魂に泥を塗ること。名誉欲と権力欲だけで、市長の座の長くいることは、その職と市民の顔に泥を塗ることだ。仕事の佛の顔が汚れたかどうかは、仕事の出来栄えを見れば良い。大垣市のように経済、人口が衰退していれば、大垣市長としてやるべきことを放棄して、仏様の市民の顔に泥を塗ったのだ。

 佛様が巡らすご縁は、その時は逆縁のように見える場合も多い。それが後年に、幸いの華として咲くのだが、その時は、自分の身を嘆き、神仏を恨むこともあろう。しかし、その逆境こそが自分を成長させてくれるご縁であった。それを恨むとは、佛様の顔に泥を塗る行為なのだ。冬の時は、自分に与えられた修行として行に励めばよいのだ。

 己の心には佛も住めば鬼も住む。鬼の心が悪事に手を染める。鬼の心が支配する心で、己の佛の手を黒く汚してはなるまい。佛の手を汚すのは餓鬼道である。

 

何故、佛の顔に泥を塗るか

 佛の顔に泥を塗るのは、心身が餓鬼道に落ちているからだ。自分の我儘、強欲、身勝手でモノと見るから、佛の心が分からないのだ。餓鬼は畜生にも劣る存在である。畜生は自然界に生きている。中立である。だから畜生は自然に合わせて生きている。だから畜生には飽食もなく、権力欲もなく名誉欲もない。それに対して餓鬼は、食べても食べても飽き足らず、集めても集めても飽き足らず、権力を持てば17年経ってもその座を離さず、それでいて名誉欲も限りない。自分で自分の欲を制御できないのだ。だから、己のために身を捧げてくれる仏様の顔に泥を塗るのだ。他山の石としたい。

 

和文の般若心経と佛法僧

 2018年2月22日、馬場恵峰先生宅を写真撮影のため訪問したとき、和文の般若心経の写経軸が目に留まった。和文の般若心経の写経は初めて見た。恵峰師の和訳の般若心経で、その上に、お釈迦様の顔が金色で印刷されていた。その周りに「佛法僧」の文字が揮毫されていた。その3文字は、お釈迦様の顔と手に墨が付かないように揮毫されていて、思わず見とれてしまった。馬場恵峰師の雅号「三寶齋恵峰」の三寶とは、「佛法僧」を意味する。

 2011年10月の明徳塾で恵峰師が、亡くなられたお弟子さんためにお棺に納めた書と同じ書(控えとして揮毫)を持参され、披露されたことがあった。お弟子さんはその書をまとって旅立たれた。その書には、お釈迦様のお顔が3面印刷されており、恵峰師が「南無阿弥陀仏」と、お釈迦様のお顔を汚さないように揮毫されていた。私はその書のことを思い出して、即、この軸の入手を決めた。

1img_6348  2011年10月8日撮影

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 2018年2月22日撮影

 

2018-02-28

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年2月27日 (火)

閻魔様の前の待合室で

 2018年2月26日、前職の会社の同期会が、定年退職後に初めて開催されたので刈谷に出かけた。中には45年ぶりの再会の仲間もいた。昭和48年に入社した26名中、22名が出席で和気あいあいの同期会であった。

 

ビジネス戦争の戦死者

 その内1名が仕事上で欠席だが、残りの3名が音信不通である。同期のネットワークで、中途退職者の大半に連絡がつき、今回、1名以外は参加なので、多分、3名は死去していると推定される。この同期会の直前に面会した現在59歳の仕事仲間が、同期生50名中で既に3名が病死しているという。だから3名が音信不通は、死去していると確信した。先年に開催された中学の同窓会では、クラス仲間の2割が亡くなっていた。67歳で11%の死亡率は、妥当な数かもしれない。

 思えば、昭和48年はオイルショックの年で、今後どうなるのかと不安を抱いて始めた会社人生であった。バブル崩壊、911、湾岸戦争、社内リストラ、リーマンショック、会社合併で会社消滅、と波乱万丈の日本経済の状況の中で、会社の振り回されながらも会社人生を無事に生き延びてきたね、と今にして感慨を新たにした。

 

人生も生老病死

 どんな人生も生老病死である。会社の人生も生老病死。生が入社で、死が退職である。長い人生で言えば、退職後の期間にも、生老病死があり、そこでの生き様が、次の界の行き先が決まる。退職して今の界に位置した時が生で、そのまま本当の死を迎える人も、身近で数多かった。私は66歳から出版業を始めて、少し誇りに思う。儲からないのが辛いが…….。何事も始めるのに遅すぎることはない。始めるに必要なのは決断だけである。退職後に、もうやることがないと、ボケーとすごしていると、閻魔様との早期面談通知が舞い込むのも故あること。

 

団塊世代のアンカー

 昔、仕事で張り合った口煩い喧嘩仲間もお人好しの爺になってしまい、構えて向かい合ったら「貴方は誰でしたか」と言われて、こちらがずっこけてしまった。同期の仲間では、突出して偉くなった人もおらず、皆さんも38年間の会社人生で、会社を支えてきた自負だけはある。会社を消滅させた責任ある役員には、誰も就任していないのが幸いであった。昭和48年組は、団塊の世代の最後の組で、過当競争でのし上がった強者どもの団塊世代には椅子取り合戦で負けて、その後にその座に座ろうとしたら、年齢的に賞味期限切れで、後の世代がその座に座った。それは能力の差ではない。この世は、全てめぐり合わせである、を実感した。人として、その時に最大の努力をすればよいのであって、成果は仏様の差配の世界である。

 

生涯現役の願い

 同期会で集まって、病気の話しや介護の話しが多いのは哀しい。今何をやっているかと聞いても、「別に何もやっていない」のと話では、話が進まない。後ろ向きの話ばかりでは、楽しくない。

 今回の同期会参加者22名中で、明確に仕事をしているのは、4名のみ。その中で、社長として仕事をしているのは3名のみであった。その仲間は外見も話し方にも精気がみなぎっている。これでは閻魔様も呼びつけるのに遠慮をするだろう。他の仲間を見ると、何時お呼びがくるのやらと心配になった。まるで閻魔様の審判の下る前に、その待合室のベンチに座って、前世の世間話しに盛り上がっているようである。そんな待合室には行くまいと心に誓った。私はまだこの世でやることがある。行くなら閻魔様の前に直行である。

 同期会で話を盛り上げるなら、未来の夢の話をして場に花を咲かせたいものだ。8年ぶりに再会して、病気や介護の話ばかりでは、哀しい。私は馬場恵峰師とご縁ができて、生涯現役という教えを師の後ろ姿で学んだ。馬場恵峰師は現在、92歳、現役である。感謝。

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2018-02-27

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2018年2月25日 (日)

「大垣市民のために、」だから衰退した

 大垣市は大垣市民のために、税金と人を使って行事を開催し、施設を造っている。だから大垣市は衰退した。それは上から視線で、市長と役人が思い込みで、間違った政策を執り続け、「見直し」をしないために起きた失敗である。行事の運営で経営の基本のPDCAも回せず、大垣市の経営が上手くいくはずがない。

 

市民の立場に立って

 お役人達が立案した「大垣市民のために」の己の計画に目が眩み、自分の実績を作るために、また予算を消化するために、「市民の立場でなく、自分達の都合で、業者の立場に立って、イベントや建設を業者に丸投げして、金をばらまき行事を開催するから、大垣市と大垣駅前商店街が衰退した。大垣市は行事の見直しもせず、PDCAも回さない。

 元気ハツラツ市を、7年間も見直しもせず下請け業者と大垣駅前商店街組合理事の利権確保のために開催を続けている。だから天罰で、2017年ロボフェス大垣のドローン墜落人身事故が起きた。業者に丸投げだから、ドローン墜落人身事故を起こしても、大垣市役所はその責任を業者に押し付けて逃げた。大垣市が主催する行事や市が作る施設は、大垣市民や大垣駅前商店街のためにはなっていない。その施設の維持管理費がやがて市民に肩に重くのしかかる。大垣市はハコモノの作り過ぎのワースト204位の都市なのだ。

 大垣市長は、誰のために大垣市を経営しているのか?

 

「企業経営というものに唯一絶対の答えはない。「見直し」が必要である。」ドラッカー著『企業とは何か』1946年

 本書はドラッカーの第3作目の著作である。第二次大戦の末期、GMの経営を内部から企業経営の観点で調査した。その分析をもとに、企業とは何か、組織とはどうあるべきか、という根源的な問題に焦点を当てた。当のGM関係者からは、反GM、反企業の「禁書」扱いとなったが、本書を契機として、「現代経営」は学問領域として認められていった。本書は現代経営論の金字塔である。

 そのGMは1950年代から1960年代には世界最大の自動車メーカーとして繁栄した。しかし1970年代以降は輸入車との競争に苦しみ経営が低迷した。GMはその原因を日本車の輸出のせいにしたが、GMの経営自体は改善はされず、GMの経営陣はドラッカーの諫言には馬耳東風であった。GM は2009年6月に倒産して、国有化された。自業自得である。その後、2013年にアメリカ合衆国財務省が保有するGMの株式全ての売却が完了し、国有化が解消された。

 大垣市もGMや2007年に倒産した夕張市のようにならないことを祈る。

 

デフレの時代の経営

 モノが売れないデフレの時代、経営の要点は「顧客の立場に立って」である。「顧客の立場になって」は、セブン&アイ・ホールディングス元会長の伊藤敏文氏の言葉である。それを「売ってやる」との上から視線で「お客様のために」と驕った考えで商売をするから売れない。自分の思考エリアで戦うから、売れない。自分の固定観念を捨て、顧客の立場で考えないから、勝てない。商売とは、経営とは、創造なのだ。大垣市民のために」と行事を開催するから大垣市が衰退する。顧客の立場に立って商品開発、商品の販売をしないから、よい製品が作れないし、売れない。使いもしない機能のテンコ盛りの電子機器を作るから、近隣アジア諸国が作った携帯、スマホ、パソコンで、日本メーカーが負ける。顧客は、そんな高機能の製品は求めていない。私の携帯はガラケーである。それでも機能が多く過ぎて使いこなせない。

 

自分の人生経営は誰のため?

 人生経営も、自分のために人生を歩くから、上手くいかない。自分が今あるのは、ご先祖があってのこと。自分に課せられた使命は何かを考えて、「己をこの世に生んでくれたご先祖の立場に立って、」自分の道を歩めば、ご先祖のご加護があるのだ。もうじきご先祖と対面する時がくる。その時、胸を張って、「只今帰りました」と言えるのかが問われる。その時は万人に訪れる。早いか遅いかの違いだけである。

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2018-02-25

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2018年2月24日 (土)

「仏心大器」の佛に出会う

 2018年2月23日、広島県廿日市市宮島町にある大願寺に納佛されている松本明慶師作の総白檀の不動明王坐像(八丈大仏・約5m)を拝顔した。その大仏を制作する過程を記録した『仏心大器 平成の仏師・大仏に挑む』をビデオで7年ほど前に見て、感銘を受け、いつかは参拝したいと思っていた。今回、馬場恵峰先生宅を訪問した帰路、厳島神社に寄って、不動明王の尊顔を拝み、手を合わせて、なにかほっとした。長年の思いが叶った喜びである。

 不動明王はいかつい顔つきで拝む者を睨んでいるが、その顔は怒りと慈愛に満ちた厳父のような雰囲気である。右手に持って剣で、我々の煩悩を断ち切り、左手に持った羂索で、我々を迷いの世界から救い上げる。不動明王は救いの仏様である。

 大願寺の不動明王像は撮影禁止のため、映像はNHKオンデマンドで『仏心大器 平成の仏師・大仏に挑む』をご参照ください。ビデオの画像も著作権者が多く存在する理由で、NHKは画像のブログ等への掲載を一切禁止しています。

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 大願寺は船着場から厳島神社内の回廊を通って、その出口の前に位置する。

 

仏師の仕事・人生の仕事

 その松本明慶師の大仏製作の記録は、仕事とは何か、人生とは何か、を考えさせられた。明慶先生の手による目の彫りの工程で、図面も下書きもなしに、直接、眼をノミにて彫りにいく様は神業としか思えない。神業でも人間としての迷いを持ちながらの彫りの工程である。またそこにもドラマがあった。「今日の自分は最高の自分ではないかもしれない」と、自分を超える自分に遭うため、日を改め、時を待つ姿がそこにあった。

 彩色師の長谷川智彩師が、不動明王座像の目に瞳を描き入れる時、不動明王座像を見つめる彼女の眼には凄みがあった。

 今まで不動明王像には、なにか近寄りがたいものを感じていた。しかしその眼差しは、怒りで慈悲を表していることをこの記録が教えてくれた。その静かな怒りは上品なのである。その両方を表現するために、全神経を集中させている明慶先生と長谷川智彩師の姿に感動である。大佛の寿命は千年、人の寿命はせいぜい百年である。それゆえ千年の間、人の評価に耐える大佛を作るために、佛師は命をかけて刀を入れる。

 松本明慶先生は、(技のレベルを上げるため、ミケランジェロが第二の師匠になるかもしれないが「それを学べるなら命に代えてもいい。絶対に無駄にはしません」とまで言いきる(NHKBSプレミアム 松本明慶ミケランジェロの街で仏を刻む『旅のチカラ』2013年)。

 人生で、一番多くの時間を費やすのが仕事である。人生において、命を賭けられる仕事に出逢えるのは、人生冥利に尽きる。それも生涯現役で働けられれば最高である。仕事は生活の糧を得る手段だけではない。

 

佛像彫刻の基本

 「佛像彫刻をすると皆さんはすぐお顔を彫りたがる。たとえば佛像彫刻で佛様の鼻を彫ろうと思ったら、まず回りを彫らないといけない。直接鼻を彫って高くしようと思ってもうまくいかない。周りを彫ると自然と鼻が浮かび上がってくる。耳を彫る場合でも周りを彫れば耳ができてくる。彫りたい箇所を直接攻めるのではなく、周りから彫っていく。口元を掘る場合も同じだ。これは根回し、段取りの仕事である」(小久保館長)

 「松本工房の佛像は、概略のデザインを師匠が行い、細部はお弟子さんが彫っていく。基本のお顔は師匠がすべて仕上げる。木の材料には、節や傷が必ずあるのでそれを避けて、材料取りのデザインを師匠が行う。これが難しい」(小久保館長)

 

仕事の要点

 仕事でも避けなければならない難所、ポイントがある。それを見極めて、弟子に細部を任せていく。なるほどと思い、人生も仕事も同じだと納得した。佛様のお計らいで、いい話を聞かせていただけた。求めるモノを直接攻めても相手は逃げていく。周りから、そして自分の内面を充実してじっくり取り組むのが人生の正道である。これからの人生の旅の歩き方のヒントを得た。

 

仕事に必要な総合力――芸術も同じ

 「佛像を彫るには、彫刻の技量だけでは不十分で、仏教の知識、人体の知識等の総合知識力もないと、人に感動を与える本物は彫れない。なぜなら、佛様や布袋様などは架空の存在である。それを形にするには仏教の知識、人体の知識等の総合力が必要であるからだ。時には密教の経典の知識も必要となる。」(松本明慶大仏師)

 「高名な某彫刻家がいて、実在する(モデルのある)動物や人物では優れた作品を残している。しかし、架空の存在である大黒天や七福人の彫刻は形がなっていない。それは彼の彫刻の技術は卓越していても、基盤となる総合知識がないからだ。たとえば、彼の作った布袋さんの顔には品と知性がない。これではこの布袋さんに相談しに行く気が起こらない。また座っているこの像は、もし立ったらこの足の太さでは、体を支えきれない不自然な構成となっている」(松本明慶大佛師)

 2つの写真集で作品を見比べると、その高名な彫刻家の布袋さんのお顔と松本明慶大仏師の彫ったお顔には、表現できない大きな差があった。その昔、人相学をかじったことがありその知識からみれば、その違いはすぐ理解できる。

 その昔、私はCNC研削盤の開発でNCソフト開発に携わり、その経験から言うと、会計学のソフト開発でも、単にプログラミングの技量だけでは、使い物になるソフトはできない。会計学のソフト開発には会計学の知識と実務での総合知識が求められる。それと同じことが、佛像彫刻の世界や全ての仕事で、この基本は、当てはまる。

 

仏像彫刻の世界

 最近は安い労働力を武器に中国、東南アジア製の佛像が出回ってきていて、日本佛像彫刻界の脅威となっている。しかし、その大半は部品を別体で作っている。それに対して日本の本物は本尊一本彫りである。各部の継ぎ足し修正は、佛師の恥である。これは西洋の大理石の彫刻でも同じで、全て一体の大理石から彫られている。西洋でも修正のため部分の継ぎ足しは、軽蔑される。

 観音様の見えない後ろ側の御頭の髪も手抜きもなく、一本ずつ髪があるがごとく克明に彫刻する。松本明慶大佛師のお話では師の工房の技術は世界一の技術だと自負されていたが、実物をみると、技量と仏教の知識に裏づけられた彫像のありかたに納得させられる。心が洗われ、眼の保養になった。800年前の運慶・快慶の技術が、口伝により脈々と伝承されている日本の佛像彫刻伝統に誇りを感じた。ヨーロッパの彫刻文化とは一味もふた味も違う。

 私の前職の業務は工作機械事の開発業務で、5次元研削加工機を設計したこともある。それですぐに悟ったことは、5次元加工機でこの佛像をNC加工で製作することは不可能であることだ。仏像彫刻展に展示してある佛像には、手の細かい細工をしても加工が困難な部位が無数にあり、物理的に5次元加工機の刃具を干渉させずに加工はできない。しかし、人の神業にして初めて可能なのだ。

 

AIの限界

 英語と日本語を少しかじった経験から、自動翻訳がコンピュータでは無理(大雑把な訳はできる)なのと合い通じるものを感じた。人間には感情がある。仏様を彫るのにも、その人の心が現れる。翻訳するにも、原作者の心を読まないと翻訳はできない。ある意味、原作者以上の人間力がないと翻訳は無理なのだ。人間の技と頭脳は、いくらコンピュータや機械が進化しても、次元の違う神秘的な素晴らしさがある。

 

2018-02-24

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2018年2月23日 (金)

連絡 馬場恵峰師の岐阜講演会の演題

 この3日間、九州へ出張のため、ブログを休載しました。

 4月、岐阜開催の講演は「自分という家をどうリフォームするか」という演題でお話をされます。下記はその紹介です。

 

自分という家のリフォーム

 家族の家のリフォームは業者にお金を出せば簡単にリフォームが完成する。しかし自分という魂が住む家のリフォームは、自分が精進しないと完成しない。そのリフォームをしないから、新しい発想が生まれないのだ。だから進歩しない。それを日々、新しい挑戦をすることで、自ら学び、後世に残す仕事をするという行動が、自分という家が成長してリフォームされる。学びもせず、後世への貢献も意識がないと、衰退の一途である。だから早くボケる。

 

和文の写経軸は本邦初

 馬場恵峰師は後世に残すために、この2か月間で、15年前購入した10本の軸に、和文の写経をされた。和文の写経は日本初だという。売るためではなく、日中文化資料館の財産として、後世に残すために揮毫された。今回、この軸を写真撮影して驚嘆した。宗派に関係なく、各宗派の漢文の経典が、先生による和訳と美しい書体にて、生まれ変わった写経となっていた。

 この軸に何を書くか、それを考えていると、新しい発想がうまれて、本邦初の和文の写経軸となった。それを考えることが、自分の意識のリフォームとなるという。10本の軸を買うことで、表具屋も儲かるし、それが世にためになるし、この軸に何を書くかを考える事で自分の勉強にもなるし、後世に残れば、世のためになる。それが己のリフォームとなる。自分の事ばかり考えるから、幸せになれない。世間へに貢献が自分を磨き、やるべきことがあるので、長生きが出来るのだ。人はこの世でやることが無くなると、あの世に旅立つ。

 師は現在、92歳。現役で毎日、夜遅くまで揮毫をされている。血圧正常、薬は飲まない。間食なし。

 

50mの巻物を揮毫中

 師は現在、50mの巻物に揮毫中である。なんでも、まだ白紙の50mの巻物が3本もあり、継続して揮毫する計画である。何を書くか、それを考えためには、自分が成長しないといけないという。

 今回、10本の軸とは別に6本の和訳の写経軸をお弟子さん用に揮毫された。それを見て、私は般若心経の一本の軸を入手した。それは後日紹介します。

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P1100006_2 馬場恵峰師 50M巻物揮毫中 2018年2月22日撮影

 日中文化資料館(大村市)にて

 

お願い

 会議室の手配と配布資料準備の関係で、講演会の参加人数把握が必要です。聴講希望者は4月4日までに小田まで連絡をお願いします。準備の関係で、早めの連絡をお願いします。

 

日時  2018年4月14日(土) 13:00~17:00 

講師  馬場恵峰師

演題 「自分という家をどうリフォームするか」

場所  長良川温泉 十八楼

    〒500-8009 岐阜市湊町10番地 電話:0582-262-1551

費用  2,000円

 

2018-02-23

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2018年2月20日 (火)

大垣市のメタボ化にご熱心な大垣市長

 大垣市はハコモノ作りに貪欲で肥満体になった。それが街の時限爆弾となって大垣市を潰す危険性がある。現在でも公共施設の維持管理に手が回らない状況である。近い将来、破綻寸前に追い込まれるかも。

 大垣市はハコモノの作り過ぎで、全国の702都市中でワースト205位の上位にランクされるハコモノ作り過ぎの都市である。『週刊ダイヤモンド』2013年3月2日号の試算では、余剰ハコモノ削減目標値は43.8%の過剰ぶりである。5年後の今はもっと順位が上がっているはずだ。岐阜市は702都市中ワースト465位で、余剰ハコモノ削減目標34.2%の過剰であるが、全国平均に近く良い方でである。大垣市が異常である。

 それでいて更に、岐阜市よりも5割も豪華な(単位人口当たりの費用で)新市庁舎の建設に余念がない。大垣市長は、ハコモノには金をばらまくが、大垣市は寂れる一方である。このままでは乱造した公共施設の維持管理に金がかかり破綻寸前の追い込まれる恐れがあると、『週刊ダイヤモンド』誌は、全国の自治体の過剰ハコモノに警告をしている。その警告の予言通り、大垣市は既設のインフラの維持管理の保全整備が追い付かず、ちょっと雨が降るだけで大垣経済がマヒする事態が頻発である。大垣市の衰退が始まった象徴である。それでいて、「節約、節約」と言いながら、新しいハコモノの新設ラッシュである。大垣市は学習能力がない、危機管理能力がないとしか言いようがない。大垣市長は、ハコモノ作りという至福の境地を味わっている。その間に、大垣市はメタボ化して瀕死状態に陥っている。メタボは緩慢なる自殺である。

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 『週刊ダイヤモンド』2013年3月2日号

   「ハコモノがあなたの街の時限爆弾。地方を潰す。」より

文化に金を出さない大垣市長

 おバカ芸人ギャラの1/5しか著名歴史学者に謝礼を払わない

 大垣市長は、肝心のソフトである文化事業には金をケチり大垣を文化的に退廃させた。「おバカタレント」の代表格としてバラエティ番組への出演が多い某タレント(wikipediaの表現)を大垣市のお祭りのトークショウに呼び、大垣市は50万円程の金を払った(伝聞)。

 それと同時期に、大垣文化事業団が文化ホールで主催した歴史講演会に静岡の著名な歴史学者を呼んでも、講演料は10万円しか出さなかった。正式に依頼すれば講演料50万円が必要だろう。テレビに高頻度に出演している日本一の知識人講師である。この先生は口には出さないが、心の中で大垣市を軽蔑しているだろう。私でも大垣市民のためになら、安い講演料でも講演は引き受けるが、文化が分からない大垣市だねと、何時かそのことを言いふらすだろう。その先生は高徳者なので、そんなことはされまいが、何かの折に口が滑るかもしれない。それは大垣が文化都市として恥さらしである。大垣市民として赤面の至りである。

 

大垣市長は芸術・文化に無理解

 世界的に著名なドイツの音楽家TIMMとドレスデントリオの演奏会を、有志が大垣で開催するプロジェクトを2017年末と2018年初頭に、2回も計画・実行しても、それには大垣市はビタ一文ださない。本来、大垣市政百年記念行事で行うべき演奏会である。私が文化事業の支援にお願いに行っても教育長は「大垣市は金がないんですよ。貴方もよくわかるでしょう。稟議書を書くのが大変なんですよ」の一点張りであった。ない金を作るのが長の仕事である。ある金でやるならバカでも出来る。そんなレベルのヒラメが教育長に居座っている。大垣が良くなるワケがない。

新市庁舎の建設時期の愚

 東京オリンピックで建設資材が高騰している折、大垣市は新市庁舎を建てるカネは岐阜市よりも多く出すという非常識さである。2年ほど、その建設時期をずらせば、かなりの節約となるはずだ。「この時期でも同じ費用だ」と大垣市長は議会で強弁するが、業者はどこかで手を抜くはずだ。私が建設会社の経営者ならそうする。なにせ購入資材が高騰しているのだ。原価が上がっていて、販売価格が同じでは経営がやっていけない。どこかで手を抜かないと、建設業者が赤字になり、従業員に給与が払えず、従業員が路頭に迷う。子供でも分かる話である。それで何故、文化都市、子育て日本一を豪語するのか。

 

都市の発展は、指導者の器次第

 「結局一つの団体、組織の運営がうまくいくかいかないかは、ある意味ではその指導者一人にかかっていると言えましょう。その責任は全て指導者一人にあるといってもいいと思うのです」(松下幸之助著『指導者の条件』)

 

 大垣市を発展させようと思ったら、指導者自身が成長し、ハードだけではなくソフト面にも注力しないと市の発展は無理である。図体ばかり大きくなっても、頭が空っぽの人間には、組織を大きく成長をさせることはできない。大垣市は過疎地の上石津町との合併で二倍の面積の都市となったが、人口密度は半減した。つまり過疎化したのだ。

 それでいて大垣市は、将来の人口減を見越してコンパクトシティ化を目指すという都市計画を立ている。それなら岐阜市よりも5割も金のかかる新市庁舎は不要である。行政の頭が支離滅裂である。訳が分からない大垣行政である。

 昔の優等生で昔の固定観念でカチンカチンの頭では、今の価値観の多様化した社会には通用しない。現に大垣市は衰退し続けている。まずその現実を直視しないと、いくら市庁舎が立派になっても、そのハコモノの維持管理費用が膨大となって、市民の税金負担を増やし、大垣の衰退の速度が速まるだけだ。「広報おおがき」で、「大垣市は発展している」と豪語するようでは、自分の無知と不見識を晒しているようなものだ。金勘定だけ分かって、文化に理解のないリーダーでは、組織はカルタゴのように自滅するしかない。リーダー交代が必要である。市民の目覚めが必要だ。

 

カルタゴ消滅の教訓

 カルタゴは紀元前250年頃、地中海貿易で栄え、地中海地方でローマと張り合い、覇を唱えていた大国である。しかし、金勘定ばかりが熱心で、市民の教育、文化の育成には全く目を向けなかった。その国の指導者のレベルと国民の意識が低かったので、結局、ローマに滅ぼされて消滅した。

 カルタゴはローマと戦争をして、たった3年で敗戦を迎えた。生き残ったカルタゴ市民は約5万人で、その全てが奴隷にされた。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれた。

 滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしなかった。逆に「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえ出た。最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれた。

 平和ぼけした市民は、ローマから過酷な要求を次々に突き付けられてから、やっとハンニバルの警告の意味を悟るが、時すでに遅く、徹底抗戦でもカルタゴの陥落を防げなかった。この間、たった3年の出来事であった。

 詳細は塩野七生著『ローマ人の物語』第二巻(全15巻)新潮社刊を参照。

 

大垣市が他山の石になる?

 大垣市と同じような商業都市・商業国家で、カルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として、我々は大垣行政を見直す必要がある。これは大垣市だけでなく、他市も同じある。日本国の防衛自体も同じ問題である。米国に頼って、有事の際に本当に守ってくれるのか?

 

カルタゴ消滅の理由 = 大垣衰退の理由

1.カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だった。自国の防衛は全て傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくことはなかった。

 大垣市民が大垣市の衰退を防ぐことに無関心であることによく似ている。大垣市が、行事を業者に丸投げするのによく似ている。2017年の台風22号で室村町アンダーパスが水没して基幹道路が麻痺しても、現場での交通整理の仕事を槌谷組に丸投げで、市役所の職員が誰も現地にいない。現場の作業者に聞いても、「私は大垣市から依頼されて立っているだけで、私は何も分かりません」という情けない姿が実態であった。市民に状況説明もできない業者に交通整理をさせている。大垣市の担当者は、机の上でふんぞり返っていて汗をかかない。

 市民が市政の無関心だと、大垣行政はやりたい放題、大垣経済が麻痺する有事が発生しても、市の役人は業者に丸投げ放題、無責任の極みである。この事態は大垣市長が、金をケチり治水行政を放置した結果なのに「広報おおがき」で防災視察をしましたと大威張りである。笑止である。長期政権に胡坐をかくと、人はここまで劣化するのか。

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 2017‎年‎10‎月‎23‎日、‏‎9:54 室村町アンダーパス水没現場

 大垣市の職員は誰もいない。槌谷組の作業員が交通整理(下写真は上の拡大図) 

 

大垣駅前歩行者用地下道の不祥事

 昨年の10月22日の台風21号での被害なのに、大垣駅前の歩行者用の地下道が、5か月経ったこの2018年2月20日現在でも、いまだ水没の影響で封鎖中である。最近になって3月20日修復予定と表示された。水没事故から半年である。年度末になったので、予算消化のため、しぶしぶ工事をするようだ。これが大垣駅前の大垣市の看板交差点で、大垣の恥を晒している。大垣市は、市民の生活を防衛する意識が全くない。ハコモノの維持管理という保全の意識がない。それでいて、すぐ横の不要不急の「亀の池」の新設工事と大垣新市庁舎の工事は、業者も儲かるから熱を上げてピッチを上げて進めている。順序が逆である。とても正気の沙汰とは思えない。大垣が衰退するのもワケがある。これはカルタゴより酷い。大垣市議会は、大垣 行政の怠慢を議会で追及しないのか。職務怠慢である。

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 地下道がこの状態で、5か月間も放置である。向う側の「亀の池」と大垣新市庁舎は、急ピッチで建設が進む。「工事する 気配も見せず 半年間 (百舌鳥)」

 

2.カルタゴ市民が金儲けに熱心で、教育や文化の育成には無関心。市民の意識も指導者の意識も低いままで、都市としてのあるべき姿がなかった。

 大垣市民は文化的に高いレベルだが、その指導者のレベルが文化的に低い。大垣市民が、行政に声を上げないから、大垣市長はやりたい放題である。市民の代弁者は市議会議員である。市議会議員は何をしているのか。

 

3.国内の組織が分裂状態。挙国一致して対応せねば、有事を乗り切れない。しかしカルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は無関心であった。そして、ハンニバルをローマに売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達であった。自らの手で愛国者を切り捨てた。カルタゴは「滅ぶべくして」滅んだ。

 大垣駅前商店街組合がまとまっていないのに酷似している。大垣市議会がまとまっていないのにも似ている。目覚めた人が正論を述べても、利権にしがみ付いているボス達が、それを邪魔して排除する。ボス達と大垣市役所担当者が、大垣を衰退に導く元気ハツラツ市で、専横を極め利権を守り、お祭り騒ぎに興じているのによく似ている。そのボス達は、大垣駅前商店街にお店を持っていないのだ。店を持たない御仁が大垣駅前商店街組合の理事に就任し、1年交代の規約にも関わらず、その座を長年手離さない。よほど美味しいものがあるのだろう。

 大垣市役所の担当者が、大垣駅前商店街が寂れるように、保身に汲々としてその加勢をしている。大垣駅前が寂れたのは、寂れるべくして寂れたのだ。その引導者は大垣市長の顔色を窺っているヒラメ役人達である。なにせ17年間の長期政権である。腐敗も癒着もなれ合いもゴマすりも発生しないほうが稀である。

 大垣市議会も利己主義の団体で、市の不手際を追及しても自分達の利権の取引材料に使って、利権が得られれば追及がウヤムヤになるという伝聞がある。これでは市議会議員は、大垣市民の事を考えている市民の代表ではない。

 地元の新聞紙でその西濃版を見ると、お花畑の学校新聞のような、どうでもいい記事ばかりである。本来、広告欄に載せるべき特定店の菓子やラーメンの宣伝まで、大きく記事として扱っている。大垣市の抱える問題点は、西濃支局長が大垣市に遠慮して(結託?)、全く書かせないようにしているようだ。岐阜支局長は柳瀬の問題点を追及している。それに対して西濃支局長は、見ざる言わざる書かざるに徹している。大垣市と癒着があるとしか思えない。ドローン墜落事故でも、奥歯にモノが挟まったような記事であった。現在の日本のマスコミが、書くべき記事を書かずに、不要不急の記事ばかりで紙面を埋めている状況と全く同じである。マスコミがその責任を果たしていない。だから新聞の購読数は減少を続けている。2016年は2.2%、2015年は2.5%、2014年は3.5%の減少である。減少にはワケがある。読者はバカではない。新聞社は、自分達で自分の首を絞めているのだ。

 私は中日新聞の購読を中止した。それしか意思表示の方法がない。

 

カルタゴ大垣市の炎上

 その間に、大垣駅前商店街のお店の61%がシャターを下した。小川敏市政になって、人口も実質的に10%近くが減った。商業もこの5年で5%の衰退である。大垣市は投資価値がないと見切りをつけた商人たちが、大垣市から逃げ出したのだ。他の市は、アベノミッックスの恩恵で景気が良いのに。

 大垣市をカルタゴの二の舞にしてはなるまい。それを防ぐのには市民が声を上げることである。

 

2018-02-20

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年2月19日 (月)

佛は寿司を回さない

 時間と命を惜しむなら「回転寿司屋」には行かないこと。回転寿司屋では、食べている間に次の皿が回ってくるのに気を取られ、思考が散漫になり、落ち着いて食事が出来かねる。待っている間が時間の無駄である。思考が飛んでしまう。回っていた皿の寿司は、一定時間食べられなければ、廃棄される。食べるという他の命を頂くという行為が、金儲けと遊びに堕落している。

それより、普通のすし屋で1半の寿司を食べたほうが合理的である。その方が安いし、時間節約である。自分が惨めにならなくて済む。

 

ブロイラーの鶏の如き

 回転寿司のテーブルに座っていると、餌が回ってくるのを窓越しに待っているブロイラーの鶏のようで惨めである。それを感じない人は幸せである。

 家族で回転すしに食事に来ても、子供は回ってくる皿に目が走り、家族団らんの会話など消え失せる。ブロイラーの鶏のように食べるのに必死である。情けない飽食の日本の姿である。

 

「猿の惑星」なら

 たまたま人間が霊長類の頂点として地球上に君臨するからよいが、映画「猿の惑星」のように猿が支配する惑星だと、大変だ。人間が回転すしのネタにされて、白人か黒人か黄色人種か、どの人種が美味しいかと舌なずりされるやも知れない。猿もクマもライオンもラクダもパンダ(熊科)でさえ、人間を襲って食べる習性がある。たまたま人間に佛様が知性を与えてくれたので、人間様の支配する世界があるだけである。人と猿のDNAは大して違わない。すべて仏様のさじ加減で今の世界が出来上がっている。

 

畜生に戻る訓練

 生物は他の命を頂かないと生きていけない。人間も同じである。徳性ある人間だからその命を食べる前に「いただきます」と手を合わす。その代わり知性のないライオンは、満腹になれば、目の前にウサギが通っても手を出さない。人間様だけが、満腹でも目の前のサラに手を出して飽食を繰り返す。満腹でも食い物に手を出すのは畜生に劣る。満腹でも食い物に手を出すのは、畜生に戻る訓練をしているようだ。

 それも回転寿司のように見世物のようにして食べるのは、命への冒涜ではないか。猿が地球を支配して、白人、黒人、黄色人種の肉がネタの回転すし屋で猿が舌なずりをしている様を想像するとぞっとする。猿が地球を支配すれば、そういう世界が実現する。

 

戦前の植民地は回転すし

 太平洋戦争前のアジア・アフリカは、欧米列強にとって、美味しい回転すし如き状況で、大半の国が欧米列強の餌食になり、美味しい国から手当たり次第に植民地にされた。列強諸国は、植民地の人間を人間扱いせず、その生き血を啜り、母国で優雅な飽食の生活を送った。アジアで唯一といっていい日本だけが、刀という護身の武器と武士道と教育レベルの高さで、その毒牙から逃れることができた。その欧米列強は、今、移民の洪水という洗礼を受けている。全て先祖が撒いた悪の種が、花咲いているだけである。それを因果応報という。今の欧米の繁栄は、植民地の人々の死屍累々たる土壌の栄養を吸って咲いたあだ花である。

 当時、護身の刀と武士道で身を守った日本なのに、今は、自堕落な飽食に明け暮れて、内部から衰退・崩壊しようとしている。飽食の果てが、肥満の増加と日本の総医療費40兆円超えであり、認知症の氾濫である。

 

食の安全と懐の安全

 一皿オール100円の回転すしでは、何を食わされているか不安で行けない。安いものにはワケがある。なおかつ普通の回転すし屋では、大抵2000円くらいは食べてしまう。我慢して安い皿だけを選んで食べていても、たまに高い皿が回ってくると、一つくらいいいかと食べると、それが2つになり3つにもなる。大抵それで2000円の大台が簡単のオーバーである。また、どうしても好きなネタばかりを選んで食べるので栄養バランスも悪い。「回転寿司屋」は過剰な食欲を起こさせる細工がテンコ盛りである。普通のすし屋では、バランスよく盛り付けられている。それでも1500円も出せば十分である。過食もない。

 

2018-02-19

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2018年2月17日 (土)

衰退を「発展」と詭弁する大垣市

人口推移データで衰退を発展と詭弁

 2018年2月15日付「広報おおがき」は、人口推移グラフに騙し絵のような技法で大垣の衰退の現象を「統計でみるまちの発展」と誇示していた。これは詐欺的な表現で、市民に誤解を与える図である。小川敏氏になってから大垣市の人口は、上石津町が編入されて増えたにも関わらず減少し、人口密度が半減(過疎化率が倍増)した。大垣は、小川敏氏が大垣市長に就任してから衰退が始まった。

 

  大垣市という船が沈没しつつあるのに、「大丈夫、船は快調です(人口が増えて発展中)。客室で安眠していてください。今年は出航100年の大宴会を開催します」と真実の事(衰退)は乗客に告げず、船を脱出した韓国セウォル号の船長如きではないか。大雨が降れば基幹道路が頻繁に水没する。その治水行政を放棄をして、朝夕の道路渋滞の解消の道路行政の政策も立案せず、大垣市長は、間もなく多大な退職金をもらって船長の座を去る。大垣市が衰退したのは、大垣現市長が、船が沈没する方向に舵を急旋回(投資をせず節約ばかり、トンチンカンな政策)したために起きた事故である。市民や商店主は、大垣市の悪政に壁壁して大垣市から逃げ出したので、人口が減少したのだ。墨俣町、上石津町(約11,000人)を合併したのにも関わらず、人口減少である。

 下記は人口と単位面積当たりの人口密度の推移データである。国政調査のない年は、補完法で推定した。墨俣町、上石津町(約11,000人)の人口を除けば、大垣市の基幹部分は、2015年の国勢調査で、約12,000人(約10%)の人口減である。これを発展といえるか。

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グラフで発展していると見せかける細工

 大垣市が作成した下図のグラフでは、横の目盛り幅が途中で変えられている。大正7年から昭和60年迄が10年単位、それ以降が5年単位の目盛りで作図されて、この細工で、この百年でいかにも急成長しているように見せている。

 上石津町と墨俣町の編入を無視して統計されている。

 大正7年から平成7年迄の高度成長の有様が大きく図示され、小川市長が市政を担当した平成12年から平成27年迄が、印象が薄くなるように図示されている。現実は、小川敏市長になって人口増加に急ブレーキである。

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  2018年2月15日付「広報おおがき」より

 

大垣市長のモルヒネ的な経済政策

 大垣市長は、この人口減が分かっているから駅前商店街を潰してマンション建設、工場跡地を住宅地にして人口増の政策を推進しているのだ。人口を増やすためだけのため、周りの弱者連合でもよいから、町村の合併を推進している。農業が主体の過疎地の町村のエリアを増やしても、大垣の経済発展への寄与は少ない。これは麻薬のようなもので、一時的には人口が増えるが、商店街にマンションが侵入して、長期的には経済都市としての大垣の体力を衰退させる。市として金をつかう人だけ増やして、金を稼ぐ人を減らす政策なのだ。

 

主要産業の推移話題で肝心な話を逸らす

 大垣経済は、この5年で商業・工業に従事する人口は減少している(年率1%の減少)。それを主要産業の変貌の解説で真実を隠して、繊維産業から電子産業に変貌しましたと誤魔化している。どれだけ全体が衰退したかは、記述を避けている。

 この5年で大垣市の就業者で、介護・医療の従業員は40%の急増である。現実は、工業に対するインフラ(道路整備、駐車場整備、治水行政)の整備を怠っているので、工業も衰退しているのだ。

 

大垣市の未来

 このままでは、大垣の未来は年金生活者の要介護人ばかりになってしまう。人口が増えても、産業は衰退し、名古屋のベットタウンに成り下がってしまう。街の賑わいが消え活性化がなくなる。

 

デフレ時代はトップの頭が勝負 

 高度成長期はどの街も成長したのだ。大垣市だけが成長したのではない。平成になりデフレ経済になって、市長の経営手腕の差で、伸びる市と衰退する市に差が大きくなった。他の市は、アベノミッックスで経済が活性化しているが、大垣市は不況の嵐が舞っている。市長の頭の使い方の差が原因である。

 大垣市は周辺の町村を合併して、いかにも成長しているようだが、単位面積当たりの成長で言えば、衰退している。弱者の企業を吸収して図体ばかり大きくなった企業に似ている。売り上げは伸びても、一人当たりの収益性が落ちた衰退企業と同じである。収益体質が益々落ちている。

 デフレ経済でも才覚ある市長を頂く都市は成長し、必死に努力する市や企業がやっと現状維持で、並みにしか努力しない企業や才覚が無い企業が衰退していった。問題は、デフレ期にどれだけ成長したかである。知識はあっても智慧の無い市長が舵をとると都市は衰退する。大垣市がその例である。

 

大垣経済衰退の象徴

 つい最近、大垣駅前商店街に新しいお店が2店開店したが、両方とも飲み屋で、夜しか営業しないのだ。昼間のシャター通り化が益々促進された。飲み屋なら、メイン通りの表に店を構えなくても、一本裏の通りにすればよい。駅前の表通りの一等地に飲み屋が相次いで出来るようでは、その街は終わっている。次に開店するのはピンクサロンである。これが街の衰退の定石である。大垣経済衰退の象徴の現象である。

 

リーダーの使命

 リーダーは未来に種を蒔くのが使命である。大垣市の現リーダーは未来に負の種を蒔き続け、現在の衰退が始まった。それなのに、リーダーは百年の宴に酔い痴れている。

 

2018-02-17

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年2月16日 (金)

案内 馬場恵峰先生の岐阜講演会

馬場恵峰先生が来る4月14日に、明徳塾の同窓会のため岐阜市に来られます。午後に先生の講演、書の実演をされます。夜は塾生同士で懇親会ですが、午後の部の講演会は一般の方も参加を歓迎します。懇親会への参加は個別にご相談ください。

講演では、人生とは、経営者とは、人生の経営者の己の生き方とは、についてユーモアも交えた含蓄ある深いお話しがあるかと思います。参加希望者はメールにて小田まで連絡下さい。

 

日時  2018年4月14日(土) 13:00~17:00 

場所  長良川温泉 十八楼

    〒500-8009 岐阜市湊町10番地 電話:0582-262-1551

費用  2,000円

 

小田泰仙   e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

 

馬場恵峰師 新潟講演会 要旨

 2017年4月8日、明徳塾同窓会として、新潟市で馬場恵峰師による講演会が開催された。その要約を記します。このレベルのお話が、今度の岐阜の講演会でされます。

 

人生の4つの目標

下記の4つの目標を定めないと人生の道に迷う。

・宗教を知る

 信が生まれる。宗教とは人を信じる勉強。仏に手を合わすことではない。

・文化を知る     

   智慧が生まれ、物事を正しく観られる。

   知識では正しく観れない。社会の流れをみて、顧客の顔を見て、商品を開発せねば、モノは売れない。それは智慧の世界で、知識だけでは商品開発も経営もできない。

・道徳を知る     

    掟を知り、命を正しくする。

・社会を知る

   定(おきて)を知り、定を正しく運用する。

 

人生での自己表現

 自分が長生きをすること。「あなたがいなくては困る」という人間になること。一番大事な経営とは、人としての経営である。人は裸で生まれた裸で死んでいく。 恵峰先生はよく人から「何でそげん、元気ばってん?」と聞かれるという。それは「私にはまだやることがあるから」と思うからだという。市長、議員、社長のバッチが外れた後が大切である。バッチが外れた後は、多くの人は国立病院が待っている。だから早く死ぬ。やることがないのだ。己がバッチを外して風呂の入る姿で、どれだけの人が付いてくるか。その姿で人を引っ張っていくのだ。それが本当の指導者である。市長のバッチでは、人はついてこない。

 頭で学ぶから成功しない。「無理、無理」、俺には関係ない」という人が多い。体で学ぶから、頭に入る。馬場恵峰師は230回も中国に自費で行っている。一回の旅費30万円として7千万円近い金が消えた。その金は、今はポケットにはない。しかしその経験の知恵が頭に入っている。それは誰も盗めない。

 身を殺さず、盗まず、犯さず。物真似では出はダメ、自分のものにしないから、身に付かない。規則を破るからうまくいかない。自然の法則を守ること。

 口を偽らず、飾らず、二枚舌を使わず。心をむさぼらず、そねまず、過たず。人生で自分を磨き、最善を尽くすとは、「忙中に閑あり」である。

 文学は感情の表現で、心情の輝きを表す。詞は和、詩は漢文である。工学は数値での感情表現で、技の輝きを表す。音楽は観性の物理的表現で、心の振幅を表す。政治は人の差配の技で、人々に安堵を与える。

 「身口意」を三業という。その三業を晴らすために人間に生まれたのだ、と阿含経に書いてある。

 

知恵の光

身口意が全て出来るのが知恵

 身  殺さず、盗まず、おかさず

 口  偽らず、飾らず、二枚舌を使わない

 心  貪らず、そねまず、過たず

 

 そうして身口心を、全て完遂するのが「智慧」である。体で分かったことが知恵である。それは智慧の光。本を読んだだけで料理はうまくならない。体で覚えないと料理はうまくならない。人生も同じである。

 

人生の基本姿勢

以下の3つが出来てこそ生命の責任が生まれる

1.なりきれる

 しっかりと自分を見つめる。

 男になりきる、女になりきる。 結合されたあり方。

 志、夢を持ち実現者になりきる。

2.やりきれる

3.捨てきれる

   自我没却

 

 小事を侮らず、大事を畏れず。気配り、見配り、心配り、で人生を送りたい。

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馬場恵峰師 90歳  2017年4月8日 新潟での講演会

 

予告  2018年4月14日(土)13時~17時、岐阜市観光旅館「十八楼」にて、第三回同窓会で馬場恵峰師の講演会を開催します。一般の方の聴講も可能です。別途、その案内をブログでします。

 

2018-02-15

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