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2018年2月19日 (月)

佛は寿司を回さない

 時間と命を惜しむなら「回転寿司屋」には行かないこと。回転寿司屋では、食べている間に次の皿が回ってくるのに気を取られ、思考が散漫になり、落ち着いて食事が出来かねる。待っている間が時間の無駄である。思考が飛んでしまう。回っていた皿の寿司は、一定時間食べられなければ、廃棄される。食べるという他の命を頂くという行為が、金儲けと遊びに堕落している。

それより、普通のすし屋で1半の寿司を食べたほうが合理的である。その方が安いし、時間節約である。自分が惨めにならなくて済む。

 

ブロイラーの鶏の如き

 回転寿司のテーブルに座っていると、餌が回ってくるのを窓越しに待っているブロイラーの鶏のようで惨めである。それを感じない人は幸せである。

 家族で回転すしに食事に来ても、子供は回ってくる皿に目が走り、家族団らんの会話など消え失せる。ブロイラーの鶏のように食べるのに必死である。情けない飽食の日本の姿である。

 

「猿の惑星」なら

 たまたま人間が霊長類の頂点として地球上に君臨するからよいが、映画「猿の惑星」のように猿が支配する惑星だと、大変だ。人間が回転すしのネタにされて、白人か黒人か黄色人種か、どの人種が美味しいかと舌なずりされるやも知れない。猿もクマもライオンもラクダもパンダ(熊科)でさえ、人間を襲って食べる習性がある。たまたま人間に佛様が知性を与えてくれたので、人間様の支配する世界があるだけである。人と猿のDNAは大して違わない。すべて仏様のさじ加減で今の世界が出来上がっている。

 

畜生に戻る訓練

 生物は他の命を頂かないと生きていけない。人間も同じである。徳性ある人間だからその命を食べる前に「いただきます」と手を合わす。その代わり知性のないライオンは、満腹になれば、目の前にウサギが通っても手を出さない。人間様だけが、満腹でも目の前のサラに手を出して飽食を繰り返す。満腹でも食い物に手を出すのは畜生に劣る。満腹でも食い物に手を出すのは、畜生に戻る訓練をしているようだ。

 それも回転寿司のように見世物のようにして食べるのは、命への冒涜ではないか。猿が地球を支配して、白人、黒人、黄色人種の肉がネタの回転すし屋で猿が舌なずりをしている様を想像するとぞっとする。猿が地球を支配すれば、そういう世界が実現する。

 

戦前の植民地は回転すし

 太平洋戦争前のアジア・アフリカは、欧米列強にとって、美味しい回転すし如き状況で、大半の国が欧米列強の餌食になり、美味しい国から手当たり次第に植民地にされた。列強諸国は、植民地の人間を人間扱いせず、その生き血を啜り、母国で優雅な飽食の生活を送った。アジアで唯一といっていい日本だけが、刀という護身の武器と武士道と教育レベルの高さで、その毒牙から逃れることができた。その欧米列強は、今、移民の洪水という洗礼を受けている。全て先祖が撒いた悪の種が、花咲いているだけである。それを因果応報という。今の欧米の繁栄は、植民地の人々の死屍累々たる土壌の栄養を吸って咲いたあだ花である。

 当時、護身の刀と武士道で身を守った日本なのに、今は、自堕落な飽食に明け暮れて、内部から衰退・崩壊しようとしている。飽食の果てが、肥満の増加と日本の総医療費40兆円超えであり、認知症の氾濫である。

 

食の安全と懐の安全

 一皿オール100円の回転すしでは、何を食わされているか不安で行けない。安いものにはワケがある。なおかつ普通の回転すし屋では、大抵2000円くらいは食べてしまう。我慢して安い皿だけを選んで食べていても、たまに高い皿が回ってくると、一つくらいいいかと食べると、それが2つになり3つにもなる。大抵それで2000円の大台が簡単のオーバーである。また、どうしても好きなネタばかりを選んで食べるので栄養バランスも悪い。「回転寿司屋」は過剰な食欲を起こさせる細工がテンコ盛りである。普通のすし屋では、バランスよく盛り付けられている。それでも1500円も出せば十分である。過食もない。

 

2018-02-19

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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