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2017年10月

2017年10月17日 (火)

人生とはリースの大黒袋

 松下幸之助翁は「人生は90%までが、いわゆる人知を超えた運命の力によって既に決まっている。人間の知恵才覚で左右できるのは、残りの10%に過ぎない。そう考えれば、人生、得意のときも、淡々と素直に謙虚に、わが道を歩んでいくことができよう。」と運命を断じた。しかし今回のお墓作り、ご先祖探しの旅で、人知を超えた運命の力は90%どころか、人生の95%から99%にも及ぶことを感じた。人間の人生とは、運命を運ぶ大黒天に背負われた大黒袋ではないかと思うようになった。

 

袋に入れるもの

 人は生まれたときに、天より人間という形の袋が授けられる。その袋は運命を運ぶ大黒天によって担がれて、ひたすら死という終着地に向かって運ばれてゆく。人間にその行き先を拒否はできない。人生旅の終着地に着いたとき、大黒様はその袋を火葬場にお役目として放り込む。お釈迦様を含めて一人の例外もない。袋としての人間に、死後で残るのは僅かな灰でしかない。人間として生きた証として、運んでもらっている間に、その袋の中に何を入れ、それをどう昇華するか、どう料理するかが問われる。袋に入れて集めた多寡が問われるのではなく、集めたものをどう活用したかが問われる。

 幸いなことに、その袋は人間の成長に合わせて伸縮自在に変貌する。その変貌の程度は自己鍛錬に依存する。その袋の中に何を入れて、何を入れないか、入ってきた縁の整理整頓清潔清掃(4S)ができるかであり、入ったものをどう料理するかが問われる。その如何によってその袋が価値ある宝袋にもゴミ袋にも変身する。その中身がダイヤモンドにも毒にも変身する。

 その袋の布は、血も肉も通う生身の生命体である。その袋に過度な美食美酒を入れすぎて、袋がアルコール侵蝕されて穴があくこともあろう。節制を忘れた人間の強欲のなせる業である。その袋は天からのリース物件である。大事に使わないと、契約途中で天から解約通知が舞い込む。その袋を大事に使っても、最大100年後には、天にリース返却しなければならない。自分の体はご先祖が天にお願いして手配してくれたリース物件である。それを忘れて、酒池肉林、甘味飽食に溺れるから、契約違反としてリース途中解約となる。

 その袋に分不相応に財を入れすぎて、袋の底が破れ、破綻することあろう。己の器の大きさを自覚せずに、棚ボタの財宝を入れすぎたためである。集めることだけを考えて、利他として分けることを忘れた天罰である。

 

大黒袋を守る

 その袋を目掛けて飛んでくる非難や試練という攻撃の矢で傷つき、穴があき袋が破損することもあろう。どれだけ袋の表皮の強度を上げる鍛錬をしたかである。試練という鍛錬をしない限り、か弱い材質の袋のままでは、人生に価値あるものを袋に入れることが出来ない。天は心という器だけは、傷つきやすい裸のままに創られた。それを自覚して人生を歩まねば、言葉と言う凶器で自他の心を傷つける。人生道は担いだ大黒袋を大事にして歩みたい。その自覚なき人生では、道半ばで沈没する。

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久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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「ご縁硬化係数」との出会い

 心房細動という心臓の病を患い、動脈硬化係数という指数に出会うご縁を頂いた。動脈硬化係数とは、加齢に伴って血管の内壁が硬くなってくる状態を、コレステロールの値から推察する指数である。

 動脈硬化係数=LDL÷HDL

 悪玉コレステロール(LDL)を善玉コレステロール(HDL)で割った値が、動脈硬化係数で、2を超えると動脈硬化が進んでおり、脳梗塞や心筋梗塞の危険性が高まるという。そのシグナルが肥満・高血圧で、糖尿病、眼病、心臓病と体を蝕む病気の警報信号となる。肥満も高血圧も病気ではない。「そのままにしておくと病気になるぞ」との佛様の助言である。助言が悲劇であるのは、聞くほうが覚悟を決めて聴かないからである。図1は、私が高脂肪体質の改善に取り組んだ経過である。図2は、血管内部に付着したプラークの状況(図は厚み2.45mm、正常値0.9mm以下)のエコー検査写真である。一時、動脈硬化係数値が2.6もあったが、食事療法、減量に取り組んで1.4迄に改善した。

 

ご縁硬化係数

 上式を見て、人生の運不運の関係を示す人生方程式に思いが至った。悪縁の出会いの総量と良縁の出会いの総量の比率が、人生の運勢をきめる。

 ご縁硬化係数=悪縁の総量÷良縁の総量

 悪い縁との出逢いが人生を狂わせるが、強力な良きご縁があればそれも相殺される。良きご縁のレバレッジ(テコの原理)を利かせて、良き道に進みたい。袖擦りあう縁を如何に料理して良きご縁に味付けするかが問われる。フグの卵巣や肝臓のような悪縁をうまく捌き、取り除くが人生の名料理人である。

 川崎市の中一生惨殺事件(2015年3月)は、被害者が付き合っていた悪友の悪縁が原因である。人生の豊かさは、付き合う人のご縁硬化係数の大小で決まる。良い縁だけを得るのは難しいが、悪い縁に近づかないようにするのはそんなに難しくない。悪縁を避ければ、少しは良きご縁の環境になれる。「人生の管」内の環境整備が大事である。その管内を正常に、通過できる人生であるためには、その維持・管理と定期的な保守点検が必要である。管内の5Sで、悪縁を清掃すべきである。悪縁の蓄積からは腐臭が発生する。

 

人生舞台の美学

 人生は生老病死である。何時かは所属している界を去らねばならない。学校でも4年、修行も10年、会社も37年で去るのがこの世の掟である。去るときは迷わず、あせらず、胸を張って、受けたご縁を心にきざんで去っていきたい。その界のシガラミに囚われたり、その界が永遠にあると錯覚したりするから、回りの冷たい視線が目に入らず、皆が寝ている雑魚寝の寝室で、口に泡を飛ばして延々早朝まで議論をする醜態を晒す。

 毎回、ご縁がある度に、今の界を去る覚悟を決めれば、浄土に行くときの事前練習となり、じたばたせずにお別れができる。少しでも人格を高めて、惜しまれてその界を去りたいもの。生が素晴らしいように、人生を全うする死も素晴らしい。生も死も同じステージであり、二つの価値に優劣は無い。人生の一つのステージである死を美しく飾るためにも、日々を精進する決意を新たにした。

 

図1 血液検査の推移

図2 私の血菅内部のプラークの堆積状況 2.45mmの堆積    

    2016年10月14日 真島消化器クリニックにて

図3 馬場恵峰書 2011年10月

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2017年10月16日 (月)

中門とは曼荼羅への入口

 弘法大師が高野山の立体曼荼羅が広がる根本大塔の前に中門を設置して、門の四隅に四天王を配した意味は深い。その先に人間の歩く道がある。まずその門を通らないと始まらない。人生の目的地までは、千里の道のりである。

 曼荼羅とは、サンスクリット語のnandalaの音写した言葉で、本来の意味は“本質、中心、真髄などのもつもの“を表し、仏教では仏の悟りとその世界を意味する。

  

人生の狭き門

 『新約聖書』マタイ伝第七章に「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きくその路は広く、これより入る者多し。いのちに至る門は狭く、その路は細く、これを見出す者なし」という。「狭き門」は、キリスト教で天国に至ることが困難であることを例えた言葉である。転じて、入学試験や就職試験など、競争相手が多くて突破するのが難しいことの例えである。

 仏教でも同じことを教えている。人は狭い門の母の経道を通り、母親を苦しめて人間界に生まれてきた。決して大門を楽に通ってきたわけではない。大門は人も動物も生き物が通ってくる。その中で魂を持って生まれてくるのは人間だけである。魂を持った人のみが、その次の中門に入れることができる。人は自分の使命に向って進む。動物は欲望のまま生きる。高野山の大門には仁王様が立ち、中門に「入界審査官」の四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)が立ち、通る人の心に問うている。自分はその四天王の目を直視できるのか。その先には、大宇宙を表す立体曼荼羅が広がっている。自分の目的地はどこか。

 

人生の門の下に何を置くか?

 人として生まれたのなら、構えた門の下に何を置くかである。門の下に「人」を置けば「閃き」である。門の中に人がチラッといるのを見るという意味である。閃きは生きている人間にだけに与えられている。閃きは仕事、修行において求めるものを探求し艱難辛苦の果てに天与されるもの。贅沢三昧の極楽温泉に浸かり心が緩んだ人には授からない。

 「間」とは門を閉じても日光、月光がもれるさまから、隙間を意味する。月の光は日に照らされて放つ光である。だから「閒」とも書く。言動から佛性の光が漏れ出るのが人間である。己は縁ある人に何を照らし与えているのか。功徳ある照らしでありたい。光を吸い込むブラックホールの存在では哀しい。

 「開く」は「門」+「幵」で、「幵」は、両手の象形である。門に両手をかけて開くの意味を表す。己の人生の新しい門は、己の両手で渾身の力で押さないと開けられない。開けられないのは門が重いからではなく、力の出し方が足りないのだ。

 「才」を置けば「閉じる」である。「閂」も同じである。門を木のかんぬきでとじた様を表す。己という人生の門にかんぬきをしては、人生は始まらない。

 門の下に「口」を置けば「問う」耳」を置けば「聞く」。人生を生きていくために、己の門の下に何を置くかが問われている。かんぬきだけは置くのを避けたい。見ざる聞かざる言わざる、ではサルの畜生である。

 門の下に心を置けば、「悶える(もだえる)」。口には出さずに、心を門の下に置いて公衆に晒す状態である。智者の行為では、ない。

 

図1 大門 高野山

図2 中門 高野山 2015年再建

図3 四天王 持国天 大併師塩釜浄而作 松本工房修復

図4 四天王 増長天 松本明慶先生作 2015年

図5 四天王 広目天 松本明慶先生作 2015年

図6 四天王 多聞天 大併師塩釜浄而作 松本工房修復

図7 「道」 馬場恵峰書

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2017年10月15日 (日)

大垣行政が子育て世代に嫌がらせ

状況

 大垣城公園の西側の道が平成27年1月より全面駐車禁止となった。今まで50年間、何の問題もなく大垣城公園を訪れる家族連れの無料の駐車帯として使われてきた。それが駐車禁止となった。

 

問題点

 大垣城公園では子供を連れた家族連れが、ブランコや滑り台、ジャングルジムで子供を遊ばせている。微笑ましい風景である。青少年がボール遊びに興じている。その家族は、市内の遠くから育児車を乗せて、楽しみにやってくる。それが駐車禁止となり、有料の駐車場に停めないと検挙される事態となった。

 「(10月1日、)大垣公園では、ダンボールの積み木、巨大ジェンガやふれあい動物園などがあり、家族連れなどが大盛況でした。(中略)子どもの笑い声にあふれ、安心して子育てができるまちづくりを、さらに進めてまいりたいと思います。」(2017年10月15日付『広報おおがき』小川敏大垣市長の「かがやきメール」より 

 子育て世代は、数百円の駐車代でも大変である。つい最近までは無料であったのに、なぜ有料になるのか。親は駐車違反でびくびくし、子供は笑い声に溢れ、いつか親は駐車違反で検挙されて反則金に泣く羽目となる。

 

駐禁になった経緯

 伝聞では、一クレーマーが、「公園の出入り口からの子供の飛び出しが危ないので駐禁にせよ」と言ったらしい。噂ではこの道路沿いの住民が、家の前に停めているのが己の都合が悪いので文句を言ったとか。真実は不明で憶測でしかない。事実は全面駐車禁止になったことだけ。

 クレーマーとは己の利益だけを考えて文句を言う。市民全体の利益は全く考えない利己主義者である。

 

行政の対応の疑問

 なぜ大垣市はもっと全体的視野で物事の対応ができないのか。公園の出入り口からの子供の飛び出しは、その土手の高さから、見えないわけがないし(図1、4)、どうしても必要なら、入り口部だけ三角ポールを立てて駐禁にすればよいだけである。側道で一方通行だから車の通行は極端に少ないし、道幅も広い。全面駐禁にする必要は全くない。理不尽なクレーマーの言動に右往左往するのでは、「市民の幸せなど全く考えていない事なかれ主義の役人」と言われても致し方なかろう。出てきた問題を、市民の立場でどう解決するかが、見識ある行政マンの勤めである。単なる利己主義のクレーマーの言動のことを、そのまま聞くなら新入社員でもできる。行政の経験不要である。隣には検察庁の敷地があり、休日はだれも車を停めていないのだから、それを有効活用すればよいではないか。全て市民の財産としての敷地である。もっと知恵を出して欲しい。

 事なかれ主義、市民の幸せなど知ったことではないとのお役人なら、お役人ファースト主義で、今回の対応となってしまう。それで大垣市民の幸せに貢献できるのですか。このような対応では、小川敏大垣市長の口癖の「子育て日本一の大垣を目指す」と言う言葉に疑問を感じる。善処を期待したい。

 

図1 H27年1月10日より全面駐車禁止の表示

図2 駐車違反覚悟で駐車の家族連れの車 2017年10月14日(土)

図3 駐車違反覚悟で駐車の家族連れの車 2017年10月14日(土)

    ほとんど車は通行しない。

図4 大垣公園でベビーカーの家族連れ  2017年10月14日(土)

図5 大垣公園で子供を遊ばせる家族連れ 2017年10月14日(土)

図6 大垣公園で遊ぶ青少年       2017年10月14日(土)

図7 大垣公園             2017年10月8日(日)

図8 すぐ横の検察庁の敷地。      2017年10月14日(土)

    休日はだれも停めていない。市民に開放すればよい。

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2017-10-15

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佛とは何か  マイナスGの世界

 佛を数式で定義すると 佛=人間-G で表される。「マイナスG」とは地獄から発生する引力からの解脱である。Gとは業であり、強欲であり、身にまといついた餓鬼である。佛に最も近い存在が純粋無垢な赤子である。その赤子も成長するにつれ、浅知恵を身につけ、小欲が強欲になり、色ものを集め出す。集めても集めても、食べても食べても満ち足りぬ餓鬼の世界に堕ちてゆく。餓鬼道に堕ちた人間も何時かは年老いて、次第に惚けが始まり、赤子のような状態になってあの世に旅立つ。人は裸で生まれて裸で死んでいく。生まれてから身についた重い業(G)を捨てれば、煩悩もなくなり幸せになれるのに、谷に蹴落とされても欠ない欲を持ったまま生きる。持つ欲を少なくすれば、佛の世界に近づけられる。小私少欲の世界に近づけば、心の平和が訪れる。今の欧州の難民問題、世界の貧富の差の拡大は、強欲主義のグローバル経済主義に起因する業なのだ。グローバル経済主義とは、昔の欧米列強による植民地強奪主義の化身なのだ。己ファーストなのだ。

 

自然の理法

 松下幸之助翁は真々庵の庭の一隅に「根源の社」を作り、悩みがあるとその場所に座って何時間も思索をしたという。松下幸之助翁にとって根源様とは、かくのごとくあるべき姿の如来様と同じで、人の根源にあると考えたようだ。その根源である己に何時間も自問自答をして、悩みを解決した。佛とは己の根源である。弘法大師が高野山に建てた塔に、根本大塔の名をつけて、中に立体曼荼羅を創造したのも、同じ由来のようだ。

幸之助翁は、宇宙根源の真理を追究して「宇宙に存在するすべてのものは、常に生成し、たえず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である」と結論に達した。

 

新しい人間観の提唱

 宇宙に存在するすべてのものは、常に生成し、たえず発展する。万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である。

人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。人間はたえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができる。かかる人間の本性は、自然の理法によって与えられた天性である。

  昭和47年5月 松下幸之助著『人間を考える』PHP研究所

 

無理

 私が2012年の松下幸之助経営塾第4期で学んだ重たい言葉が「無理」である。「無理」とは、理に合わないこと。宇宙根源の法則に反すれば、必ず破綻する。「理」とはかくの如くあるべき姿である。それは真理、つまり如来である。

 

図1 「根源の社」前で、松下幸之助翁の心境を模擬体験する著者

    PHP京都本社内にて  2013年5月17日

図2 高野山 根本大塔 2013年3月31日

 

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2017年10月14日 (土)

朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり

 2015年10月22日、全5回の伊與田塾「百歳の論語」(致知出版社主催)の最終講義が品川プリンスホテルで行われた。その講義で一番心に残った言葉が上記である。

 「朝に道を聞けば」とは「天命を悟ること」である。「夕べに死すとも可なり」の境地は、死線を越える苦労をした人しか分からない。いくら万巻の書を読んでも、悟りに境地には至らない。理屈で考える学者には分からない。理屈で考える人は、道を聞いても死んでは意味がないと考える。だからいくら学問を積み重ねても、この境地には達しない。芸術でも職人の世界でも、同じである。単にルーチンワークで年月を重ねるだけでは、この境地に達しない。

 1400年前に造った五重塔は台風が来てもびくともしない。それは天命を知った職人が造った塔であるからだ。ところが、最新技術を駆使したはずの高層マンションが、傾く不祥事が頻発している。何で後から直ぐ露見するごまかしをするのか。これは技術の問題ではない。効率、売上至上主義に走り、道から外れた仕事をした結果である。

 

道と術

 論語に曰く「吾十有五而志干学三十而立四十而不惑五十而天命」。この言葉は単に年齢を重ねれば悟れることを言ってはいない。死線を越えるような無限の苦労の後に閃きがあり、天命を知ることになる、である。

 単に経験の積み重ねるやり方だけだと「術」に終始する。あくまで「道」に達しないと、本物にはなりえない。柔道、書道、茶道、華道等の全てに当てはまる。

 最近、芸術の字とかで、読めない毛筆の字が、テレビ番組の題名や展覧会での書展で、氾濫している。字は読めてこそ存在がある。それを感性で書いたから、読めなくても良いでは、「道」から外れる。それは「書芸」、「書術」であり、「書道」ではない。「芸」とは草冠に「云」である。意味は匂い草のことで、特定に人には良い匂いの意味である。時代が変わり、人が変わるとそれが良い匂いだとは限らない。

 「術」とは小手先のノウハウである。それではその道の本質には達しない。書道について言えば、あくまでも「何時でもどこでも誰にでも分かる字」を書くのが書の「道」である。これは全ての諸芸や、仕事道、生きる道に通じることだ。「道仙」という名に思い馳せると、今回の伊與田先生に言葉が重みを感じる。

 

伊與田覺先生の生き様

 伊與田覺先生は現在100歳(2015年10月)で、体調は決して良好ではない。腎臓は1つを摘出、残った腎臓も20%しか働いていないという。右目は加齢黄斑変性症でほとんど見えない。幸いに左目は小さい字でも読める視力である。心臓がかなり悪い。先生自身でも生きているのが不思議だと言う。移動は車椅子である。そんな体で、月に1回、3時間の論語の講義を半年に亘り、5回続けられて、この10月22日に最終講義となった。

 

天命

 そんな先生の天命が、論語を世に伝える仕事である。10歳から論語を読みだし、この92年間、毎日論語を読んでいるという。先生に言わせると生かされている人生であるという。「朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」を実感するという。

 天命に生きる道は、なによりも健康が最優先である。自分の健康を支える周りの人への感謝の念が、自分の体を生かさせてくれる。ご先祖と両親、回りの人への感謝を忘れたとき、その人のお役目が終ったとき、天は命を取り上げるようだ。例えタイムラグがあっても、である。自分の天命は何か、それを考えたい。それが第二の人生の課題である。

 その伊與田覺先生も、2016年11月25日に逝去された。ご冥福をお祈りいたします。

 

図1 恵峰書「迷って百年、悟って一日」の言葉に惚れて入手

図2 恵峰書「あせって」の「せ」の字に魅了されて入手

図3 記念撮影の伊與田覺先生 2015年10月22日

図3 手を振って元気に退場される伊與田覺先生

    後ろで介助者が手を握って支えている

    品川プリンスホテル 2015年10月22日

図4 恵峰先生よりの贈り物

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2017年10月13日 (金)

お墓の文字彫り完成

 自家のお墓の再建で、恵峰先生に揮毫していただいた書体で、墓石の文字彫りが大阪で進められた。その墓石に字を彫る工程が終り、2015年11月14日(土)、松居石材店に完成した墓石が到着した。私は名古屋での授業が終ったあと、雨の中、新幹線を飛ばして(?)、彦根に確認に行った。現地に16:40到着した。

 入庫した墓石は見事の出来栄えで、恵峰先生の字が光っていた。この一体構成の墓石作りに携った方々への感謝の念で一杯である。機械設計者としての見地で、墓石の角の加工や2面の交差線の加工状況に驚嘆である。隅の加工では刃具の固定フランジが干渉するので、最終加工は手仕上げと推定した。石職人の大変な技能と労苦がかかっており半端な仕事ではない。チャイナの石材加工技術の高さに脱帽である。

 当日は大雨であったが、据付工事予定の週明け月曜日・火曜日は天気予報で晴れとのことで、神仏の配慮に感謝である。

 墓石の表には、「黄鶴北尾道仙」、裏面に「享保19年甲寅4月27日に近江で死去」との刻印を再現した。享保19年は1734年で、元禄文化が栄えた時代から少し時が経った時代である。生誕年は元の墓石が風化で判別不能のため、判別ができた「12月17日濃州大垣で生まれる」とだけ刻印をした。2017年9月の今になって、チェリストのティム愛用のチェロが、ほぼ同じ時代に製作されたことを知り、何か因縁を感じた。

 

図1 字彫りが完成した墓石

 

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チェロ様の離日

 2017年10月10日、ティムが中部国際空港から午前9時45分発のルフトハンザ航空機で出発するので、7時20分に中部国際空港に着くように、お見送りに出かけた。お見送りには熱烈な女性ファンの3名がティムに同行して中部国際空港にやってきた。

 

チェロ様特別扱い

 ティム愛用の齢300歳のチェロ様は、貨物室ではなく、特別料金でティムさんの横の席に座るとのこと。座席シートの乗客名には「チェロ様」と書かれるとのことであった。大垣の演奏会でのチェロの紹介時には、280~300年前の制作のチェロと聞いたが、直接ティム本人に確認したら、300年前の製造品とのこと。私のご先祖の北尾道仙(1734年没)が、観世流の能の謡で油の乗って活躍した頃の生まれであり、益々チェロ様に親近感を感じた。

 なおドイツ語の名詞には男性、女性、中性の性別があるが、「チェロ」はその形からてっきり女性名詞だと思っていたが、この際、気になって辞書で確認したら中性名詞であった。ピアノも中性名詞であった。少し賢くなった。

 

演奏会時のビデオ・写真を進呈

 ティムが搭乗手続きを終えて、しばしティムと女性ファン3名と私で、喫茶店でお別れのお話をして過ごした。その時、2日前の演奏会のビデオを写真フレームで映し、また演奏会時の写真をiPadで見せて喜んでもらえた。ティムにビデオBDと写真データ300枚の入ったSDカードで進呈した。大層喜んでもらえてよかった。多分、こんなに早く、またこんなに多量の自身の演奏会時の写真を撮ったモノ好きはいなかったと思う。プロが演奏家の写真を撮れば、ベストショットの数枚をかなり後から演奏家に渡すだけだと思う。結果として、ティムの大変喜んでもらえて光栄である。

 

離陸

 搭乗時間が来たので、出発ゲートまで4人でお見送りしてティムは搭乗チェックゲートに消えた。名残惜しそうにいつまでも手を振っていた。

 その後、皆で空港展望台に行き、ルフトハンザ航空エアバスA340の離陸を見守ることになった。私は、それを兼ねてSONY RX10Ⅳの100~600mm望遠レンズの性能をルフトハンザ航空機の離陸で確認することにした。しかし飛行機の撮影が1年ぶりであったので、撮影位置を間違えて離陸直後の写真が、展望台のフェンスに邪魔されて撮れなかったのは残念であった。SONY RX10Ⅳは小型で軽快で、連写性能も高く、なかなかの性能であることを確認した。演奏会時の私の右腕に出世である。

 しかし飛行場の撮影では、飛行機マニア達がでかい一眼レフ、超望遠レンズの見せびらかしの競演で、小型カメラでは見劣りがする。これはマニアの世界。その見栄での出費が日本経済の活性化に寄与する。人生二度なし。人生は有効に楽しまなければ意味がない。お金を使うから知恵がつく、よきご縁に巡り逢える。家に閉じこもって、預金通帳をにたっーと眺めていれば、認知症への道をまっしぐら。

 

図1 皆さんとお別れの握手をするティム

   愛用のチェロを手元に

図2 出国ゲート前のティム

図3 ティムの搭乗したルフトハンザ機

図4 離陸したルフトハンザ機

   飛行機の搭乗口のドアを閉めた時が、飛行機は離陸とされる。それが時刻表に記載される出発時刻である。

図5 ドアが閉まってからも入念なチェックをする地上員

図6 駐機場を離れて最後のチェックをする地上員

図7 離陸スタート地点までタキシング中

図8 離陸スタート地点で待機中

図9 離陸滑走中

図10 ドイツに向かけて去り行くルフトハンザ機。

   さようならティム。また2年後にお会いしましょう。

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2017年10月12日 (木)

音の暴力発生装置 元気ハツラツ市

 大垣市商店街振興組合連合会は、営利企業の業者に対して、元気ハツラツ市予算の税金年間1800万円を使って、国の環境基本法、岐阜県騒音防止条例に違反した騒音という音の暴力を、商業地兼住宅地にまき散らしている。

 国の騒音に係る環境基準として、環境基本法大6条の規定に基づく騒音に環境基準で、商業地の昼間の騒音は60デシベル以下である。現在の元気ハツラツ市での拡声器を使った大音量の歌、音楽の騒音は80~90デシベルと想定される。

 

現状の問題点

 元気ハツラツ市が開催されている周りの住宅地やマンションの赤ちゃんが安眠できず泣いている。夜勤者が寝られず困っている。病人が不快な思いをしている「子育て日本一の大垣」などの宣伝に疑惑が湧く。

 以前に、マンション住民から大垣ハツラツ市実行委員会に苦情が寄せられたが、「裁判事例でお祭りは例外だ」との詭弁で騙され、追い返されたという。

 しかし大垣・元気ハツラツ市は一営利団体の商店街が己の金儲けのためにやっている営業活動である。それは公的な祭礼には当たらない。祭礼なら、非営利であるし、年に1度であるが、営利の毎月の行事ならその被害は甚大である。それも来年は倍増するという計画があると言う。祭礼で出る音は、電気での拡大機能などは使わない。

 元気ハツラツ市は近所迷惑甚だしいと住民が泣いている。文化都市大垣を豪語するなら、他市に模範になるような文化レベルの高い行事を開催して欲しい。現在の元気ハツラツ市はそれに値せず、他市に対して恥ずかしい。

 土佐の阿波踊りでも、時間帯によっては警察から、騒音防止条例で、中止勧告があるという(報道番組で)。今時、街のど真ん中で、演歌の大音量の騒音は暴力である。そんな例など、最近は聞いたことも見たこともない。文化都市大垣として恥ずかしい。  

なぜ、岐阜県警察、大垣市警察は中止勧告をしないのか?

条例

環境省 騒音に係る環境基準について(国の基準)

 環境基本法(平成5年法律第91号)第16条第1項の規定に基づく騒音に係る環境基準について次のとおり告示する。 環境基本法第16条第1項の規定に基づく、騒音に係る環境上の条件について生活環境を保全し、人の健康の保護に資する上で維持されることが望ましい基準(以下「環境基準」という。)は、別に定めるところによるほか、次のとおりとする。

Cの住居の昼間の騒音規制  60デシベル以下

Cを当てはめる地域は、相当数の住居と併せて商業、工業等の用に供される地域とする。

平成10年9月30日環告64 改正 平成12年3月28日環告20 改正 平成17年5月26日環告45 改正 平成24年3月30日環告54

 

岐阜県 拡声機による暴騒音の規制に関する条例

(目的)

第一条 この条例は、県民の日常生活を脅かすような拡声機の使用について必要な規制を行うことにより、地域の静穏を保持し、もって公共の福祉に寄与することを目的とする。

(適用除外)拡声機の使用の例外規定

六 祭礼、運動会、文化祭等地域の慣習としての行事を行うためにする拡声機の使用

(拡声機による暴騒音の禁止)

拡声機による暴騒音の規制に関する条例

平成二年三月三十日 岐阜県条例第二十二号

改正 平四県条例六号、平十県条例二十六号、

平十七県条例九十二号

 

原因 大垣市長の思惑(推定)

 大垣市長は、商店街の空き地をマンション、駐車場に転換を推奨している(としか思えない状況)。つまり大垣駅前商店街など潰れてしまえ、としか思えない状況を作り出している。状況証拠の結果として、タマコシ跡、ヤナゲンB館跡、ヤナゲン前のマンションビルと大垣駅前商店街は、大垣市長の思惑通り、多くの高層マンションが建ち住宅地になりつつある。その結果としての住宅地なのに、一営利団体の商店街と一部の業者の利権の為、大音量の騒音を住宅地兼商業地にまき散らして大垣市民の生活に甚大な迷惑をかけている。大垣市長の役目は安心安全な市民の生活の確保である。それが全く逆の行政で、市民に対して背任行為を働いている。市民税、県民税の血税年1,800万円(7年間で総額1億2千600万円)を一営利団体に垂れ流して、住民の静かな環境を壊し、市民に甚大な迷惑をかけ、赤ん坊の安眠を阻害している。子育て日本一どころではなく、子育ての母親泣かせ日本一であるとしか思えない。行政として、元気ハツラツ市の運営の管理監督不行き届きである。市民税の使い方の指導が不適切である。大垣市長の責任は重い。

 その元気ハツラツ市会場中央の踊り舞台に、小川大垣市長がしゃしゃり出て、もろもろの行事を得意げに執り行っているので、大垣市長がその音の暴力を黙認し、その行事を率先してやっていると言われても仕方が無かろう。市役所の職員を使って宣伝写真を撮らせているので、市の行政活動そのものである。撮影する市職員の休日出勤手当も市民税からのお金である。

 

図1 マイクの拡声器を使って挨拶をする小川大垣市長

 なぜ、一営利団体主催の営業活動の場で、私企業同士の営業活動儀式に大垣市長が静かな住宅地で県条例違反の拡声器を使って挨拶をするのか?    

 図2、3 元気ハツラツ市での大垣市長参加の宣伝活動

    2017年10月1日(日) 元気ハツラツ市の中央演台

   市役所の職員を使って宣伝写真を撮らせている。新聞社を呼んで、自身の宣伝活動として便乗している。

図4 行事を写真撮影する大垣市役所職員

 なぜ、一営利企業団体の営業活動を大垣市役所の職員が写真撮影をするのか? 元気ハツラツ市を大垣市の公式行事として大垣市が認定している? 人件費も税金である。

図5,6 拡声器のある場所のすぐ後ろは、住宅地である。

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2017-10-12

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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TIMMフェアウェルコンサート

「ユルンヤーコブ ティムを迎えて優雅な藤本真実のピアノの響きと秋を呼ぶチェロの響き」

 2017年10月8日、名古屋市日赤八事の「ジャルダン・ドゥ・ビジュ―」で、チェリストのユルンヤーコブ ティムとピアニスト藤本真実さんとの協演でコンサートが開催された。今回、ティムさんは9月19日から10月10日までの来日で、計9回のコンサートをこなされた。今回が2017年来日の最後のコンサートとなった。場所は定員40名ほどのサロンのような会場であった。事前の食事会も含めてアットホーム的な雰囲気での演奏会であった。通常のコンサートでは、あまり喋らないティムさんであるが、氏のお話や、通訳の小出さんとのお話しもあり、楽しい場であった。ピアニストの浜野範子さんは今回の演奏旅行で2回もティムさんと共演して、客席でティムさんの演奏を聴きたいと、東京から駆けつけた。追っかけのホットレディー達(熱女と称したら苦情がきてレディと言って欲しいと!)も駆けつけて、盛り上がった会場であった。若きバイオリニスト小坂井聖仁さんも熱心に聴き入っていた。

 

ティムの経歴

 ティムさんはライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団で、41年間主席チェリストを務め、2014年からソロチェリストとして活躍をされている。「ゲヴァント」とは市民階級の音楽という意味で、1743年から続いている楽団である。昔の宮廷音楽と対比をなす音楽活動で、メンデルスゾーンが力を入れて推進した。演奏家も生活が守られて安心して音楽活動ができるようにと、年金制度等を取り入れた活動も有名である。

 ティムさんは音楽学校で知り合った素敵な奥さんとの間に二人の子息がおられる。愛妻家で有名である。長男はベルリンフィルの第二首席バイオリニスト、次男は同じチェリストである。今回、大垣でのコンサートでパパティムとピアニスト河村義子先生との協演のコンサートに出演した。

 

ティムのアドバイス

 音楽の上達には、「才能、努力、よき指導者」が必要と力説された。

 

 毎回、今回が最後と言いながら、2年毎くらいに来日していて、日本での演奏活動を続けている。取り巻きの熱血レディたちは、ティムさんの誠実で律儀な性格にほれ込んでいるようである。

 今回、私はバッハの無伴奏組曲二番ニ短調BWV1008を聞いて、チェロを見直した。チェロはバイオリンに比べて人の声に似ている。その楽器を駆使して、一つの楽器とは思えない多重奏での技法で演奏された。私はあまりクラッシクに詳しくないので、通訳の小出さんに解説をしてもらって、少し理解が深まった。今まであまりチェロの演奏を聴いていなかったが、真近かで聞いて、この曲を見直した。

 

撮影準備

 私は当日、写真撮影とビデオ撮影で忙しかった。カメラも10月6日発売(10月8日入手)のSONY RX10Ⅳ(100~600㎜ズーム、サイズ1型のCCD)を用意した。このカメラは無音シャッターで、高感度撮影も可能であるので、急遽、購入を決断して入手した。多分、日本国内の本格的コンサートで、このカメラを使うのは、私が初めてだと思う。9月29日の河村義子先生との演奏会では間に合わなかったが、今回のティムの離日前コンサートに間に合って、良かったと思う。前回の大垣市でのコンサートでは、CCDフルサイズのCANON一眼レフに100~400mmのズームレンズを付けての撮影で、シャッター音が気になっていた。リハーサルでは、会場の一番後ろで撮影したのと、回りに観客がいないので問題にならなかったが、本番の時の撮影では、そうもいかず、普通のLumixデジカメ(CCD1型、ズーム10倍)で対応した。

 図5に普通のデジカメの1/2.3サイズと1サイズ、フルサイズのCCDの大きさの比較をする。受光面積が多きい程、豊かな色彩の画像が撮れる。高いものにはワケがある。ISO感度は10,000に設定した。それでも会場が暗いので、ときおり、オートフォーカスが合わない。今回はサロンのようなホールであるので、演奏者を写すと画面に手前の人影が入ってしまうが、逆に小さいサロンの雰囲気が出ていて、趣きはある。

 

打ち上げ会

 演奏会後、急遽打ち上げ会に誘われて出て驚いた。総勢10数名中で男性はホールのオーナとファンの熱女のご主人の技術者(P&W)と私だけ。後は全てティムさんの女性ファンである。ダンディでもの静かな佇まいのティムさんはモテるんです。うらやまかしい…….

 ご縁とは良いもの。今回の演奏会も小出さんに誘われて参加して、多くのご縁を頂いた。なんでもご縁があれば出かけるものである。馬場恵峰先生はチャイナに240回も出かけて、近所の暇人から、「どげんかして、そげん用かあるばってんん?」と陰口をたたかれているようだ。恵峰先生曰く「用があるのではない。用を作りに行くのだ」と。それの意味を、今の活動を通して感じている。ピアニストの浜野範子さんともご縁が出来た。今回はバイオリニスト小坂井聖仁さんと知り合いになり、ドイツからの完全帰国記念の演奏会に招待をされた。感謝。

 

図1 司会の水野さん

図2 ティムさんと藤本真実さん

図3 ティムさんと通訳の小出さん

図4 ティムさん

図5  CCDサイズ比較

 

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Ccd

2017-10-12

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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