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2017年11月

2017年11月30日 (木)

道路行政の無策、年間23億円の経済損失

 大垣市は道路行政が無策である。その象徴として大垣駅前の交差点の問題解決としてその改良が最優先であるが、改善する計画さえ影も形もない。大垣駅前の東西に延びる市内貫通の基幹道路は、大垣経済の大動脈である。東は国道258号線から西は木戸アンダーまで、約1.5キロが片側2車線、両側で4車線の大動脈である。ところが、その一番重要な基幹道路の中央部に位置する駅前交差点で、その道が2車線から急に1車線に狭められていて、いつも大渋滞なのだ。

 月に1回の頻度で「元気ハツラツ市」が開催されると、駅前から南北の走る基幹道路を封鎖するので、車は南に通行できないので、さらに大渋滞となる。それが毎月のことで、大垣経済を大混乱に陥れている。大垣市長は、その問題点に全く関心がない。

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Googlemapより

問題1.高屋町交差点設計ミス

 問題点は、3点ある。その第1が、大垣駅前の高島交差点の設計が、欠陥交差点であること。明らかな交差点設計ミスである。この交差点で、1キロ弱を快適に走ってきた車は2車線から1車線に絞られて、車線変更を強いられて、駅前の交差点で大渋滞となる。これは明らかな道路設計ミスである。

 これは昭和40年代に建設されて以来、50年間程も大垣行政により放置されてきた。小川敏小垣市長の時代でも、17年間も問題放置である。

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 この位置で急に1車線になる。右折の車は少ない。大垣市高屋町交差点

 2017年11月22日09:57

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 大垣市高屋町交差点 中央部よりみて 2017年11月17日13:27

問題2.元気ハツラツ市で基幹道路を封鎖

 第二の問題点は、大垣経済の命道である駅前通りを毎月封鎖して愚かな「元気ハツラツ市」や「まるごとバザール」を開催して、大垣経済を混乱に陥れていること。東西から走ってきても、南に行けないので、さらに渋滞の原因となっている。今まで2車線で走ってきて、急に1車線になるので、慌てた運転手の割り込みで大混雑である。

 さらに「元気ハツラツ市」を開催しても、県外、市外の業者は儲かるが、大垣商店街は儲からず。衰退の一途である。愚かである。

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 雨の日に「まるごとバザール」が開催されて、さらに大渋滞

 2017年11月18日08:45

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 2車線が1車線に狭まって、割り込みもあり大混乱

 2017年11月18日10:07

問題3.高屋町交差点だけで経済損失年間23億円余

他の南北を通る基幹道路の経済ロスを試算すると100億円に迫る

 この基幹道路の首に当たるところが絞られているので、朝夕のラッシュ時は大渋滞で、信号を抜けるのに2回くらい信号を待たねばならない。「元気ハツラツ市」等で南行きが道路封鎖されると、大大渋滞で、この交差点を通過するのに優に20分は時間ロスとなる。

 単純計算で、2017年11月30日(木)朝8時半頃の通行を測定したら1分で18台の通行量であった。トヨタ生産方式で1分100円の原価計算で、その経済損失を計算すると(実際は、朝夕のラッシュ、「元気ハツラツ市」等での大渋滞は計算に入れていないので、もっと大きいと推定)、約23億円の経済損失である。

 18分×2回×18時間×365日×100円=23,652,000円/年

 その分の大垣経済の活動が阻害されている。その他にも、大垣市を南北に縦断する道路が国道258線だけが片側2車線で、それ以外は、室村町アンダーパス、林町アンダーパスは1車線で、朝夕のラッシュ時は大渋滞である。またアンダーパスという心理的トンネル効果で、さらに大渋滞を引き起こしている。本来、もう二本の南北の片側2車線の基幹道路が必要である。それらを含めると、年間100億円に迫る経済損失ではないか。これでは大垣が衰退するのも故あること。

 トヨタグループがトヨタ生産方式で取り組んでいるのが、時間効率である。その象徴がカンバン方式である。大垣の道路状況では、カンバン方式が破綻する。トヨタグループは絶対に大垣市に工場を建てない。トヨタは1秒の節約の積み重ねで、世界一になった。地道な改善の積み重ねである。大垣市は、それが50年間程も時間ロスの病巣が放置されたままになっている。これでは大垣市は他市に経済力で勝てない。新しい工場もやってこない。また、その時間分だけ、家庭団らんの時間が大垣市の無策のために強奪されるのだ。人生においても、経済活動でも、時間は命なのだ。大垣市はそれを蔑ろにしている。

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 室村アンダーパスの夕の渋滞状況 2017年11月8日17:29

7p1090611  室村アンダーパスの朝の渋滞状況 2017年11月9日07:29

問題4.大垣市長の問題意識の欠如

 第4の問題点は、それに対して大垣市長は、何の問題意識も持っていないことが、最大の問題である。問題意識が無いから、将来も改善する計画さえない。それが大問題である。大垣市長は、大垣の未来の道路行政がなく、大垣の基幹道路の未来を見通す能力が無いので、その結果として大垣の未来を見据えた道路ビジョンを描けないのだ。

 挙句の果てに、最優先で取り組むべき交差点改良を自身の治世で17年間も放置して、その交差点の横に「カメの池」という目先の懐古趣味の見栄えだけの市街地整備に多額の金を投入している。ますます大垣経済を地獄に陥れるつもりである。大垣市長は経済音痴も甚だしい。愚かとしか言いようがない。ご丁寧に、その平成30年3月の完成予想図を見ても、交差点の改良の気配は全くない。看板での交差点の絵では1車線のままの図が描かれている。カメの池の復活だけを、得意げにうたい上げている。大垣市長は、大垣経済の活性化など知ったことではないのだ。それが大看板に示されて、大垣市長の経済音痴ぶりを誇示している。

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 カメの池の計画宣伝。完成図を見ても車線の改善はない。

 大垣市長よ、カメによりも大垣市民に愛をくれ。

 

改善案

 交差点の地下道を改造して、交差点を広げ、単に1車線を2車線にするだけである。老齢化が進む大垣市で、地下道は老人には危険で辛い通路である。現在は、この交差点がスクランブル交差点に改善されたので、ほとんど誰も地下道を利用していない。地下道の開口部の占有場所を変更すれば、簡単に道路は拡張できる。

 本来、大垣市が主導権を持って改善に取り組むべきだが、今までの経過を見ると全くあてにできないので、大垣の大企業、特にこの近辺の平和堂、大垣共立銀行、十六銀行が、社会貢献として、陳情なり嘆願書なりを県の行政に働きかけをすべきだと思う。他の大垣の大企業も応援すべきである。通勤する社員の全てに恩恵を受ける案件である。それが間接的に、自分の会社の業績向上に貢献する。

 

問題の真因

 問題解決は、それを実行する決断だけである。後は自動的に予算を付ければ済む話である。それがなぜ数十年間もできないのか。何故計画さえないのか。大垣市民として情けない思いである。この問題の真因は、行政に「人」がいないに尽きる。大垣の未来を見据えて大垣市の未来設計図を書ける政治家がいない。チャラチャラしたイベントや見栄えだけの市街地整備だけを得意げにする政治家がのさばるようでは、大垣市経済は地獄に落ちる。現実は、もう半分は地獄に落ちている。大垣駅前商店街の61%がシャッターを下ろした。大垣市は無為無策である。そのツケは大垣市民と子供達が払うのだ。何とかせにゃ、と私は悩んでいる。

 

2017-11-30

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年11月29日 (水)

学ぶとは自分探し

 生物は、動物でなく人間に生まれても、学んで魂の浄化をし続けないと動物の世界に戻ってしまう。犬が躾で成長しても、自ら学んで魂の浄化をすることはありえない「学ぶことで運命的な存在、つまり人間的存在となる(安岡正篤師)」。魂を自分の意思で成長させられるのは人間だけである。テレビを見ながら飲んで食べて寝るだけの生活をすれば、動物園の野獣に成り下がる。まるでサーカスで踊らされている動物である。放送局の目的は痴呆的に番組を見させて商品を売ること。思考能力をなくしたテレビ漬けの人が認知症になるのもワケがある。まず畜生にでなく、人に生まれたという奇跡に感謝すべしである。「人として生まれるとは、1億円宝くじが百万回連続で当たると同じ確率である」と筑波大学の村上和雄名誉教授はいう。

 

人間界曼陀羅

 失敗、成功、喜び怒り悲しみ笑いの喜怒哀楽があって、それを糧に精神の成長をさせてこそ人間である。曼荼羅に描かれている佛様の数々も、人と同じような性格を持つ佛として表されている。決して完全無欠な佛ばかりではない。まさに人間界の縮図が曼荼羅である。

 

四天王の諭し

 人を堕落させる最大の敵は己である。怠惰な己が、己を安楽な動物界に誘い込み地獄に落とす。それを護るのが四天王である。犬のようにキャンキャンと自制心なく話し続けるのではなく、まず人の話を聞けと多聞天が睨み、人間として成長しろと増長天が一喝する。人間として文を書き、読み、口を閉ざして世間を見ろと広目天が睨み、成長したら人のために働けと持国天が一喝する。高野山では、四天王が建つ中門を無事に通過できると、その先に根本大塔の曼陀羅の世界が広がる。

 自分は何のために存在しているのか、己の使命は何か、それを追求するのが生きることである。学び続けると、魂が浄化され、その根本が明かになる。全ては人生の品質をいかに向上させるかである。

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2017-11-29

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大垣市役所がイルミネーション祭で狂騒

 2017年11月25日夜、大垣城の堀石垣の歴史に関して、聞き取り調査のため、市の有力者を訊ねたら、「大垣イルミネーション」の点燈式に出かけられたとの家人の話であった。それならと「大垣イルミネーション」の撮影を兼ねて、大垣公園に出かけた。到着した時は、既に点灯式は終わっており、ジャズバンドの演奏が始まっていた。残念ながら、探した市の有力者には会えなかった。

 

 「奥の細道むすびの地である大垣で行われる「芭蕉元禄大垣イルミネーション」は市民と企業が一体となった手づくりのイベントで、大垣公園を中心に光の空間をつくり上げる。大垣駅や水門川新大橋周辺、大垣駅アクアブリッジなどを約20万球のイルミネーションで彩り、華やいだ雰囲気を演出。同時期に市内各所でもイルミネーションを実施する。家族や恋人、友人たちと冬の夜空に輝くイルミネーション巡りを楽しもう。」とは、大垣市の広報HPの文面である。

 

下請け企画会社のための無駄遣い

1)静の文化を破壊する騒音の文化 

 「大垣イルミネーション」会場での夜のジャズバンドの演奏は、気温10度以下の冬の寒空で、皆さん防寒具を着ての鑑賞である。その数15名前後、半分近くは関係者かサクラのようだ。そのサクラもいつもの顔ぶれである。空席ばかりが目立つ観客席であった。その場に大垣市長も市の有力者の姿も見えなかった。あまりの寒さで、大垣市民を置いてさっさと退散したようだ。

 冬の寒空で16万人の大垣市民の中で僅か10名ほどの市民のために、経費の安いバンドを呼び、にぎやかしでジャズを演奏するのは、税金の無駄使いである。誰も喜ばない。費用対効果が全くないどころか、大垣市民の税金を使って大垣の恥を宣伝している。それよりも、上品な生の女性合唱団を呼んで、ハンドベル演奏やクリスマスソングを歌えば、静かで雰囲気も良く、皆さんが喜ぶと思う。今のバンドの演出では、美しいイルミネーションと雰囲気が合わず下品である。これでは大垣の知性と教養が疑われる。

 夜も暮れて、周りは静かな住宅地で家族の夕食の時間なのに、近所迷惑の大音量のジャズである。静かにイルミネーションを楽しんだ方が、情緒があってよいと思うが、大垣市役所は「静」とは逆の野蛮な「騒音の文化」に邁進している。松尾芭蕉さんも、墓の中であまりの大垣市政の下品さに嘆いているだろう。

 静けさや 寒夜切り裂く ジャズ騒音   百舌鳥

 闇夜かな 安きバンドが 狂い舞う    百舌鳥

1dsc01067  静かな夜の公園で大音量のバンド演奏。下品の極み

2dsc01057  実質10名弱の観客。後はサクラ

2)大垣行政の節約は口先だけ

 その喧しいバンドを呼ぶ費用や周りの市の職員の人件費も大垣市の税金である。市の職員の時間外手当も税金である。いつも節約、節約と言っている大垣市長だが、こういう行事の無駄な費用には、下請け企画会社に丸投げで、何も言わない。なにか変だ。大垣市長の行政は、理路整然、結果惨憺。

 我々が、子供たちのために音楽会を企画して、一口2万円の義援金をお願いしても、市は金がないとビタ一文出さない。そのため、9月29日のチェロ奏者TIMM演奏会を開催する為、有志の多くが企業を走り回って資金を集めた。私も年金生活者だが、なけなしの10万円を寄付した。それで約80人の子供たちをTIMM演奏会に無料で招待して世界トップレベルの音楽を聴いてもらい、大層喜んでもらった。

 その一方で、この種の10人弱しか集まらないジャズ演奏会に多額の税金を投入しての開催である。下請け企画会社との癒着で、税金を使う仕組みができているとしか思えない。一度決めた行事は、甘い甘~い既得権益として見直しもせず運営される。その行事が大垣市民への貢献とは無関係に、獲得した予算を機械的に全額消化するのが一部の高給取り役人であるようだ。

 

大垣市政は正道から外れている

 大垣市は、その経費を見直したとの話を聞いたことがない。無駄な金を使い、大事な治水、経済活性化、道路行政、市民の便益、子供の未来への投資、文化芸術には金をケチる。その市役所の自己満足自己欺瞞の予算に対して、使用用途の会計報告もないようである。この協会が主催する元気ハツラツ市でも、7年間も会計報告がない。ある商店街のおかみさんが会計報告を求めたら、事務局からなじられたとか。その業者を選定した相見積書もないだろう。一度取り入った業者が喜べば、それでよいようだ。

 

お役所感覚

 そんな感覚で、偉そうに大垣市長の口癖の「節約だ」などと言って欲しくない。そういう人たちからは過労死の問題は起きないようだ。民間企業は、企業の存続をかけて死に物狂いで働いている。私の昔の会社仲間が20人余も、過労死同然の状況で浄土に旅立った。大垣市役所は民間企業と違い、仕事に対する使命感と金銭感覚がマヒしている。民間は地獄で、お役所は役人天国でうらやましい。

 大垣市長は点燈式には出たが、早々に退散してしまったようで、影も形もない。そうでしょうね、会場は寒いんだから。ご老体には、屋外の夜の演奏会は寒く体にこたえるのだろう。大垣市民も、大垣経済が冷え込んでもっと寒いのだ。中小企業の社長さん達は、大垣市長の経済への無為無策が原因で風邪をひいている。大垣市長が、市の行事に寒さで最後まで出席できず、退散するとはなんのために大垣市長であるのか。この時間帯には、他の公務はないはず。大垣市民が、10人程しかその演奏を聴いていない現実を直視して欲しい。そこに現在の大垣市行政の全てが凝縮されている。

 

駐車場問題

 このイベントがあっても、夜で車の通行が皆無の大垣公園の側道が駐車禁止なのだ。昼間でも交通量がほとんどない道路である。昔、無料の駐車帯があったが、平成27年1月から全面駐車禁止となった。市民に不便をかけてお役所は喜んでいる。すぐそばに、丸の内駐車場はあるのだから、この時間帯だけ無料にする「おもてなし」がなぜできないのか。私はその駐車場に止めたが、ガラ空きであった。それでも200円の出費ですんだ。なにせ寒くて会場に長くはいられないから。なぜそんな金額なら、無料にできないか。だから「芭蕉元禄大垣イルミネーション」の参加者は少ないのだ。

芭蕉元禄大垣イルミネーション

 展示されたイルミネーションは、各学校、企業、団体がデザインを競って趣向を凝らしているので、その趣向を見る分には楽しい。

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2017-11-29

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年11月28日 (火)

人気アクセスランキング

 2017年11月24日のエディオン人気アクセスランキングで、「ドローン墜落人身事故の責任は大垣市」が18位にランクされました。

11月28日20時現在の累積閲覧回数は、14,173回です。

2017-11-28  久志能幾研究所 小田泰仙 

西部戦線異状なし 

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 上記の資料は、私の定年退職4~6年前に、新入社員の教育用に作成したプレゼン資料である。「自分の体は自分で守れ」というメッセージを込めて作成した。組織にとって、一人の死は、「西部戦線異状なし」の相当する些細な事象なのだ。当時、勤続30年間で事故や病気で亡くなった仲間が多くいたので、新入社員に教訓として資料を作ったが、還暦を迎えてその数が増え、65を迎えて更にその数が急増するとは想像外であった。合併でのストレスやグローバル競争社会に侵蝕されたのが影響しているようだ。合併でグローバル経済教に侵された状況を見せつけられ、ますますその感を強くした。前職の会社の合併は、対等合併との話ではあったが、実質的には吸収合併であり、私も含めて多くの社員がストレスを感じたようだ。

 新会社になって、この教育講義は、近視的視野で、短期の己の成果しか見ない拝金主義者のD役員とM部長に禁止をされた「技術以外の余分なことは教えるな」である。合併前の会社では、5年も継続してきた新人向けの修身の講座であった。新会社の役員は、修身などくそ喰らえで、金儲け一本道である。最近は、ブラック企業の不正事件、捏造事件がマスコミでオンパレードである。物質文明に取りつかれた日本の人心が病んでいる。

 

無事の有難さ

 「無事」であることは、いかに「有難い」ことかは、事故や死に直面しないと悟れない。「今日無事」の意味を、65年間の経験を積んで初めて体得した自分の愚かさを今感じる。今日無事でも明日は分からない。

 私の定年退職までに一緒に仕事をした仲間や縁あった仲間が数多くの鬼門に入った。列挙するとその多さに愕然とする。自分も自殺を考えなかったことがないわけではない。自分が無事に65歳を越えたことに、仏様ご先祖・両親のご加護を感じる。以下は自分にご縁があったビジネス戦士の墓碑銘。合掌。

 

仕事をするとは、生きる意味とは

 下記の墓標を見ると私の勤めた会社はブラック企業であったのかもしれない。しかし、私にとって多くの職場と世界の舞台で、私を育ててくれた会社でもあった。多くの仕事仲間と上司が私を育ててくれた。当時、徹夜も厭わず深夜まで働いていたが、それが苦痛とは思わなかった。

 友人によると、私の勤務した会社は採用時に、次男や親兄弟のない青年を多く採用していたそうで、入社した人間は嫌でも働かざるを得ない状況にしていたとも聞く。どんな環境でも人によって、受け止め方は異なる。極楽浄土みたいな職場では、人は育たないのかもしれない。『夜と霧』を執筆したヴィクトル・E・フランクルは、アウシュビッツで己の生きる意味を見つけて、死の収容所から生還した。若く元気な青年が生き延びたわけではない。何の為に生きているのか、生かされているのかを分かったものだけが地獄から生還した。1945年のシベリア抑留でも同じである。父が生きて生還したから、今の私の命がある。

 「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」(ニーチェ)。「生きる目的を見いだせず、生きる内実を失い、生きていてもなんにもならないと考え、自分の存在価値をなくし、がんばり抜く意味を失った人は、(いくら若く頑強な体でも)、あっけなく死んでいった。」(「夜と霧」ヴィクトル・E・フランクル)

 

戦友の墓標

1973年 4月1日の入社当日の夜 大学の学友・Sが自殺。(別の会社に入社)電気コードを体に巻いてタイマーをかけて自殺。自殺理由は不明。同じ機械科で物静かで優しい性格で、成績はクラスで2番の優秀な子であった。

1987年 K係長(享年40歳前後・生産技術部)米某自動車工場に機械納入中の現場で、心臓発作で死去。私の担当した機械の開発試験で直々に厳しい指摘でお世話になった方。私も開発に携わった機械の納入時の事故である。

1997年頃 T主任(享年40歳前・知財部)が寮の一室で朝、死去。バブル崩壊後の不況で、特許室から現場応援に出され、三河の寮に単身で勤務していた矢先のこと。子供もまだ幼い。葬儀場で奥さんの顔を直視できなかった。たぶん無理な現場での心労が重なったのか。1994年にミシガン大学に研修にいった時、現地で大変お世話になったのに。

1998年頃 K主任(享年40歳前後)宴会後、サウナで寝込んで死亡。技術部の設計仲間。この事故後、保養所の宴会後のサウナは禁止された。

1998年頃 N主査(享年55歳前後・ソフト開発)白血病で死亡。私の開発に携わった機械のソフト開発で大変お世話になった次長さん。

1998年頃 S元部長(享年60歳余) 糖尿病の併発病で死去. 研究開発部で私の直属の上司。定年退職後の早すぎる死。デミング賞を取るために無理な生活を強いられて病気になられた。奥様が夫のためにと作った栄養過多な食事を、夜遅く取り続けた結果が、糖尿病である。

2003年 D主担当員(享年54歳・営業) 病没. 私の1年後に同じ設計課に入ってきた仲間である。机を並べて、仕事をして、一年先輩として色々と情報を教えた仲である。欧州に赴任して苦労をしたようで、その影響で病気になったようだ。私がパリに出張したとき(1991年)に会ったが、元気がなかった。現地法人で心労ある激務であったようである。彼は技術屋で営業には向かないタイプである。上司Uに逆らったので、海外に飛ばされたと聞いた。

 長年、当社は仏の現地法人に食い物にされ、赤字を垂れ流していた。後に清算してやっと出血が止まったが、遅すぎた経営判断であった。経営者の決断が遅れると、社員の命に影響する事例である。営業に向かない性格を知りながら、また現地の厳しさも知りながら、異動させたのは推定殺人だと思う。そういう冷酷な人が上司であると、部下は不幸である。経営者は、資源(人モノ金)の最適配分を考える責任がある。それを人の好き嫌いで差配するのは、経営者失格である。一流大学大学院を出ただけでのエリートが、優れた経営者ではないことの実例である。

 この事例では、上司に嫌われた場合の悲哀を見せ付けられた。サラリーマンが嫌なら独立することだ。それができないなら、嫌われないように保身するのがサラリーマンの智慧である。私の両親は、上司への盆暮の心づけを欠かさなかったので、私はその危機を避けられた。今にして思うのは、これは危機管理上の保険であった。両親のご恩に改めて感謝している。この写真で彼を見ると、明らかに、疲れていることが見て取れる。またこの中にもう一人、私の仲間がいて、メンタルで倒れている。海外勤務は、精神面でタフでないと勤まらない。

 2003年頃 I社長死去  50歳過ぎ 突然死. 機械の外注設計の社長。20年来のお付き合いで、腕のいい設計社長であった。お宅にも泊めて頂いたことがある。突然の訃報を聞いて、驚いた。

2004年 Y社長 出張先ホテルのシャワー室で突然死。 壮絶な戦死である。合併の段取りで心身ともご苦労をされたようだ。Y社長からはIT戦略会議の場で何回も厳しい指導を頂いた。葬儀では駐車場の交通整理でお手伝いをさせて頂いた。葬儀は身内のみとのことであった。身内とはグループ会社の社長を意味し、葬儀場のお寺に黒塗りのセンチュリー、レクサスの高級車が60台も集結して壮観であった。グループ会社の社長にとって、戦友を亡くしたが、明日はわが身との思いがあったろう。グループ会社は、グローバル競争の嵐に巻き込まれ、Y社長の死は5000人規模の会社の統廃合が始まる前兆であった。優良会社A社は上場直前であったが、分割吸収され消滅した。氏は親会社の役員から当社に社長として来られたので、生きて合併を推進すれば、悲惨な身内の死はもっと減ったと思う。この死で合併は相手のペースで進んだ。社長の死は、合併への仏さまからの警告だったと今にして思う。

2006年 新会社発足。建前は対等合併だが実質は吸収合併。

 5000人規模の会社の死である。会社にも70年の寿命があった。

2007年 S主査(享年55歳前後・営業) 突然の死去. 朝、体調が悪いといって、病院に行きそのまま帰らぬ人となった。大阪に単身赴任。合併での犠牲者である。家族は会社と断絶状態である。奥様は会社からの葬儀参列も霊前花も一切拒否。峻烈な意思表示をされた。彼には教育部主催の篠田教授のテクニカルライティング講座、秘書室での対応、営業部での仕事等で、色々とお世話になり親しかった。

2008年 S室長(享年50歳前後・設計)  過労死。 技術部の仲間。合併での犠牲者だと私は思う。賢明な奥様は、夫の過酷な勤務状況・勤務時間を克明に記録していて、会社に突きつけた。自分の身を守るのは記録である。しかし、記録では夫の命を守れなかったのは哀しい。

2009年 Y主担当員(享年59歳 技術部) 癌で死亡。進行性の癌。合併での心労による犠牲者。新会社になり仕事がしんどいと話していた。私の開発した機械の見積もりを担当。優しい性格の仲間。

2012年4月 学友・F(享年63歳)  癌発病後4ヶ月で死去

 同じ卒研仲間で某自動車に入社。定年後の再雇用で、そろそろ自分の時間が欲しいとの元気な姿の写真の入った年賀状を頂いた矢先のこと。「食事でもどう?」と家に電話をしたら先日亡くなったと……

2012年 総務部のO元課長死去(享年62歳くらい)

 工場のフェステバルで一緒に会場運営準備をした仲間である。

2013年 元部下のO君死去(享年40歳前後)

2014年 元部下のY君死去(享年55歳)

 

 私の同期24名中、退職時に在籍していたのは8名のみ。後は退職、転籍。その他、部下でうつ病になったのが3名。精神異常が1名。周りの職場を見るとうつ病者は数知れず。私も退職前の一時期、陰湿ないじめでうつ病寸前になった。病院に行けばうつ病と診断されるのが明白であったので、関係の本を読み漁り自力で直した。

 グローバル経済で拝金主義が横行し、社員が不幸に陥る現実を直視しないといけない。それが責任者の勤めである。役員・部長は成果主義に染まり10年後のことは眼中に無い。会社がおかしくなれば、日本国もおかしくなる。現代の日本の姿である。私の勤務した会社が吸収合併されて消滅したのは、亡くなった戦友達の怨念かもしれない。

 

母の遺言

 1991年、母は脳溢血で倒れ、一度は手術が成功して回復したが、その後、脳梗塞が進行して、1992年7月に市民病院に再入院した。そして、だんだんと意識が薄れていき4ヶ月ほど植物人間状態になり、12月に息を引き取った。お盆過ぎの日、自宅に帰る前に病院に寄ったが、意識が大分錯乱状態であったようで、私に「○○(私の元上司)は、ひどいやつだ。気をつけろ」と何度も何度も私につぶやいた。そんなことはないよと、なだめるのに大変だった。当時は、脳梗塞の進行がそんな言葉を発していると考えていた。

 今にして当時を振り返ると、何か鬼気迫る雰囲気であった。20年経って仲間の墓碑銘を見つめると、その言葉が迫ってくる。母の潜在意識が、この世に残していく最愛の息子へ発した叫びであったようだ。母は苦労をしたが故、人の本質を見抜く力を持ち、それが薄れていく意識の中で口に出たようだ。母は地元の中小企業社長(入社時の私の保証人)が、一目も二目も置いていた女傑であった。この社長と対等にやりあえる人はざらにはいない。旧家の10人兄弟の長女として采配を振った賢明な母であった。しっかり者過ぎて、私は煙たかった。母は○○の高卒の妻の存在を、夫が役員になったのでそれを鼻にかけていると見抜き、私に注意を喚起していた。結果はその通りとなり、妻の言動で夫が影響を受ける会社人事の事例を冷静に観察できた。妻に影響されるような役員は、経営者失格である。

 私はその上司から離れてから(飛ばされて)運勢が向上した。1991年、会社創立50周年記念論文で最優秀賞(賞金100万円)を獲得した。その報告が母への最後の親孝行となった。1993年、課長に昇格はしたが、上司夫妻に嫌われていたため昇格が遅れたため、喜んでもらうはずの母は、この世を去っていた。

 ご縁があったその会社も、2010年4月(定年5ヶ月前)、大手に吸収合併されて消えた。前の会社の消滅4年後のことである。

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2007年、馬場先生から頂いた板書。「今日無事」の言葉は重い。今日無事でも明日は分からない。

2017-11-28

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年11月27日 (月)

演奏会の撮影デビュー

 2017年11月27日、今日は名古屋・伏見・電気文化会館で、小坂井聖仁さんの「ヴァイオリン・リサイタル(ドイツより完全帰国の記念に)」(田村響さんとのピアノ協奏)の撮影会でした。14時30分に現地に着いて、約6時間の撮影をこなし、22時20分に帰宅して、お風呂を浴びて(その前にほんの少しのピアノ練習をこなし)、今原稿を書いています。

 私にとって、9月の大垣音楽堂でのTIMMコンサートに続いて、プロによる本格的なホールでの演奏会撮影とビデオ撮影は、今回が二回目の体験でした。やはり場数を踏まないと、撮影の腕は上がらない。その前に、河村義子先生の演奏会での撮影で場数を踏んでいるのがためになっている。今はお金ではなく修行として演奏会の撮影をしている。このために、今回は無音シャッターのフルサイズ一眼レフSonyα9と100~400mmの望遠レンズをそろえての段取りで、今回がそのデビュー戦でした。やはりこの音楽の演奏会の分野は機材がモノをいう世界です。

 今日は、無音シャッターであったのと、撮影専用の小部屋の提供を受けたので、観客の回りに気兼ねなく、15時から21時まで、ほとんど休みなしで約1000枚の写真(連写ではなく、一枚ずつのシャッターで)と5時間のビデオ撮影をこなした。今回は小坂井さんも田村さんも力が入っていて、リハーサルの時間が長かった。私は老体を鞭打ち、体力的にもフトコロにもきつい労働であったが、楽しい仕事でもあった。やはり新しい挑戦は楽しいもの。ボケ防止には良い仕事であるが、ボケ防止にはお金がかかるのです。今日の詳細は、別原稿で報告します。

 

2017-11-27

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年11月26日 (日)

人生経営でご縁に学ぶ(改題)

 2017年11月26日、名古屋モーターショーに初めて行ってきた。出かけることで多くのご縁に出会うことを再確認した。犬も歩けば棒に当たる。東京モーターショーには、仕事では何回も行っているが、名古屋で、私用での見学は初めてである。久しぶりのモーターショー見学で少し疲れた。何時のように大変な人出である。運慶展や国宝展とは客層と演出が全く異なり、疲れ方も全く違う。こちらは肉体的疲労が甚だしい。

 今回の見学目的は、今度購入したい新車の下見である。車歴17年の車を更新したいが、良い車がなく悩んでいる。私の好みのFRでセダンの良き車がないのだ。いまはFFやワンボックスカーばかりである。走りのこだわると、FFやワンボックスカーでは不満なのだ。ボケ防止には車も良いものだ。

 

昔の仲間の動向

 そこでばったりと昔の仲間に出会って、しばし話しこんでしまった。その私がいた部署で一緒に働いた昔の仕事仲間の動向を聞いて、改めて考えこんでしまった。その仲間の多くが冷遇されていたのだ。中国に二名、タイに二名、チェコに1名(2回)、米国に1名と当時の基幹職全員が、海外のそれも発展途上国に飛ばされていた。その多くは赴任して帰国後、定年か、そのまま子会社に出向である。エゲツナく下品と噂のあった通りの相手先会社の仕打ちである。会社人事では人の能力は関係がない場合が多い。私は、その部署の仕事レベル全体をみて、私の所属した部署の人間の方が優秀と見ていた。それが偏向人事で全員が飛ばされた。

 私の前職の会社の合併は、旧T社(私の勤務した会社)と旧K社(合併先会社)と名目は対等合併であったが、3対4の出資比率であったので、人事では吸収合併扱いで、私の前職の会社の人間は冷遇をされた。合併の比率で1%でも多い方が、合併後の人事で主導権を握る。異動で二つの会社に同等の人材がいれば、大比率会社の人間が国内で偉くなり、それに相当した海外部署に小比率会社の人間が出されるという図式である。元部下の一人だけは理事にはなったが、そこで定年になり終わりである。本来役員になっても不思議ではないのだが。他に役員になった人がいるが、当時からなぜあんな人間が役員かと皆が疑問を感じた人間である。どうも上層部が、彼を使って旧T社の人間をまとめるのに重宝したようで、その役員会で上にもいけず、出されるわけでもなく、飼い殺しのように平の役員を勤めている。会社の人事は、人間の仕事能力は二の次で、如何に上層部に気に入られるかである、を再確認した。

 

悲劇の原因

 前職の会社が吸収合併された悲劇の原因は、旧K社の社長、役員の責任である。ぬるま湯的な経営で、学閥内での出世、親会社によりかったぬるま湯的経営で、決めるべきことを決めない経営であった。そのツケがまわって、創業65年で吸収合併をされる身となった。その被害は、社員に及ぶ。会社が無くなったことに責任ある社長、役員達は退職金、顧問手当でぬくぬくとしている。

  先の太平洋戦争でも、兵士は優秀であったが、軍部の上層部は愚かで、同じ間違いを何度も繰り返していた。米軍や英軍は同じ過ちを何度もするパタン―ンを見抜き、対策を打って日本軍を玉砕に導いた。その時代から日本経営は少しも進歩をしていないようだ。

私の学び

 いつの世も、悲劇を見るのは下々である。役員とはdirectorで、方向を示す人との意味である。その責任ある人が、経営に岐路で正しい決断をしない。決断もせず、間違った方向を示した。そんな人たちが会社を潰した。経営者の仕事は決断である。それが出来なかった。その反面教師として、私は決断が早くなった。周りの人が呆れるほど。前職の会社の消滅は、よき学びであった。

 その会社に入社する選択権は我々にはない。私が入社した当時は、不況で会社に入れて頂いた扱いである。そのよき会社の縁を選ぶのは、種々のご縁の錯綜から生まれるようだ。その会社も寿命は30年である。どのように人生を送るか、自分の役割に全力を尽くすしかないと悟ってきた。

 

勤めた会社のご縁、住む所のご縁

 会社の選択は、己の責任であり、理不尽な扱いを受けるのが世の常である。最近も、知人が理不尽な人事でその会社を辞めることになった。世の中は、ブラックや不正業務で捏造がまかり通る社会に落ちぶれてしまった。グローバル経済主義の弊害だと私は思う。そうならない経営をするべきである。

 住む場所は往々に両親とか別の縁で決まる場合が多い。しかし選挙権でその義務を果たすことができる。その住む都市の行政の責任は、国の社長は首相であり役員は国会議員である。市の社長は市長であり、その役員は副市長、市議達である。間違った方向に走りがちの行政で、国民・市民が正しく行政をチェックしないと、国や市の行政は迷走する。その被害は、国、市の経済状態と、国民、市民、商店の店主、中小企業経営者の生活に及ぶ。またその子供たちの未来にも影響を及ぼす。国、市の経営者の責任は重い。

 

市民・国民の義務と反省

 国の行政も市の行政の出来不出来は、我々が選んだ議員によって決まる。なんでも反対する党に投票する人がいる。世界の民主主義国家で、共産党が存在するのは日本だけだ。それに投票をする人もいる。日本を共産国家にしたいのだろうか。信じがたい選択である。不倫を働いた元議員に再選のお墨付きを与えた甘い選挙民を騙して、その女性議員はまた不倫を働いて平然としている。これは投票をしたその地区の選挙民が、人を見る眼がなく愚かとしか言いようがない。選んだ議員、市長、議員が適正な行政をしているかは、見守らないと、我々が被害を受ける。言うべきことをきちんと言わないと、行政に殺される。子供たちがかわいそうだ。前のめりで少し勇み足になっても、及び腰で何も言わない市民にはなりたくない。

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上図は2017年11月24日、馬場恵峰師宅を写真撮影のため訪問したおり、師に揮毫して頂いた色紙。文面は私の作です。

 

2017-11-26

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お詫びと訂正

 2017年11月25日のブログで、大垣城の外堀の石垣は、400年前と報告しましたが、大垣の歴史の専門家に再確認をしたところ、間違いであることが判明しましたので、お詫びと訂正をいたします。

 大垣城の内堀は石垣で積んだのですが、水門川を利用した外堀の土手は、江戸時代までは自然の泥壁であったとのこと。現在は、内堀が埋め立てられています。水門川を利用した外堀は、治水として明治・大正・昭和初期に石垣が整備されたようです。詳細は不明とのこと。この外堀の石垣は、今見ても緻密な石組みで、現在の職人で、これを再現するのはかなり困難であると推定されます。何とか外見だけでも、この100年間程、大垣を支えたの歴史遺産として残して欲しいものです。すぐそばに高層ビルの市庁舎を建てるので、その建物の圧力で今の泥の構造の壁のままでは、耐荷重が持たないようです。

 今回の事例で写真を眺めると時代考証に少し疑問点が湧いてきましたので、再検証するため、100~400㎜の望遠レンズとフルサイズのカメラで石垣を再撮影した。その写真を詳細に確認して、昨夜から今夕に掛けて、市の有力者・専門家の5名ほどを訪ね歩き、根ほり葉ほり聞きまくって上記のことが判明しました。「400年前の石垣」という伝聞は、歴史の素人(市の有力者)からの話しで、それが誤報であり、それをそのまま信じた私の責任です。歴史事実の裏を取るのは専門家に確認する必要があります。今回の誤報に対してお詫び申し上げます。

 

2017-11-26

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2017年11月24日 (金)

運慶展でリュックサックに学ぶ


   運慶展のような混雑した会場では、リュックサックは禁止すべきと思う。リュックサックを背負っていると、往々にして後ろの人への気遣いが疎かになる。今回もリュックサックを背負った人が、無神経に振り向いて私にリュックサックをぶつけた。その御仁は、それも気づかず向こうに行ってしまった。そんな人は仏を鑑賞する資格がないと思うのだが。
 京都国立博物館での国宝展では、館内アナウンスでリュックサックを前で抱えるようにと注意があったが、それを守っている人は少なかった。

友との別れ
   5年ほど前に、このリュックサックの件で40年来の友と別れる事件があった。私はリュックサックの意見を友に伝えたのだが、友はリュックサックの利点を持論として滔々と展開した。問題は、その持論が正しいかどうかではなく、相手がどう思うかである。自己の意地ではなく、社会の意思がどうなのかである。その持論の正否は時代、環境、個人の思想で頻繁に変わる。その気配りのない人柄を見せつけられて、嫌気がさして別れる決断をした。今でも正しい決断であったと思う。最近のなんでも反対の野党や不倫政治家は、正論もどきの言い訳を滔々と展開するが、国民がどう思っているかには、考えが及ばない。その結果が先の総選挙の結果だと思う。

己が背負う業
   己は永年生きてきて、多くの業を抱え背負っている。前に抱えた業はわかるが、背負った業は自分では見えない。それを教えてくれるのが、師であり友なのだ。その声を真摯に聴かないと人生は開かれない。芥川龍之介作の「蜘蛛の糸」で己の下にぶら下がってきたのは罪人ではなく、己が背負う業なのだ。それを軽くしない限り、天が授ける幸運の糸はすぐ切れてしまう。それを再確認させて頂いた運慶展であった。

2017-11-24

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2017年11月23日 (木)

人の目指す姿

角熟

 人は人を目指して、人となる。人は神や佛を目指してはならない。人を救うのは、人であり神佛ではない。己の心に巣くう鬼を、別の慈佛が見守り、己を救う。それが悟りの世界である。邪悪な鬼心と清らかな佛心の両方があり、その二つの鬼佛の自制レベルを高める修行が、人間の成長である。

 人は精神面と知識面の二つの世界を持つ。それが人間の幅である。精神面の浄化と技術面の両方の成長を目指して修行をするのが、人間の修行である。人が完全無欠の人間になってしまったら、「人でなし」になってしまう。それは、神であり「成佛」である。人は角張った欠点を抱えたままでよい。角のある欠点を補う長所を伸ばすのが、正しい成長である。それが「角熟」で、そうなれば欠点が人間味となる。人は角張っていてよい。角が柔らかであればよいのだ。

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図1 人の成長

曼陀羅

 「成佛」の姿である大日如来は、曼荼羅の中心に位置して、回りの菩薩がそれを取り囲んでいる。曼荼羅とは、サンスクリット語のnandalaの音写した言葉で、本来の意味は「本質、中心、真髄などを持つもの」を表し、佛教では佛の悟りとその世界を意味する。特に密教においては、聖域、佛の悟りの境地、世界観などを佛像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表した図をいう。

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 図2 東寺講堂 立体曼陀羅配置図

 東寺弘法市HPより  http://www.touji-ennichi.com/info/koudo_j1.htm

菩薩

 菩薩とは成佛を目指す修行中の佛である。曼陀羅の世界には、天や邪鬼、阿修羅、菩薩が存在し、多くの佛が大日如来を支えている世界が現実の世界の象徴として存在する。すべて佛の姿の現れである。人の内なる心には、慈佛の心もあれば鬼の心もある。両方を兼ね備えて人である。片方だけの人はありえない。曼荼羅には、微笑みの金剛波羅密多菩薩と憤怒の不動明王が左右に配置されている。口を開いて一喝している増長天があれば、口を閉ざして睨んでいる広目天が陰陽の対で存在する。この世は全てプラスがあればマイナスがある。良いことばかりの世界など存在しない。地獄があってこそ極楽がある。地獄から極楽に向かう修行が菩薩行である。

 

立体曼荼羅

 人の心を表した姿として佛像がある。弘法大師が京都の東寺講堂に、立体曼荼羅として人の心の世界が佛像を介して再現された。高野山の根本大塔の内部にも同じ立体曼荼羅が極彩色で再現されている。己は曼荼羅の世界で、何処に位置するのか、それが問われている。内部は撮影禁止なので、ご自身の目でご覧になることをお勧めします。または図録か画像検索で参照してください。

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図3 京都 東寺 講堂4dsc01155 図4 高野山 根本大塔 

2017-11-22

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