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2017年11月

2017年11月22日 (水)

運慶と明慶の佛様に教えられる(2/2)

「運慶様は神様です」?

 日本の佛像彫刻界には運慶をネタにしてメシを食べている人たちがいる。その人たちにとって「運慶様は神様です」である。だから、絶対に批判、悪口は言わない。その人たちが解説する運慶評には、「運慶佛は国宝の佛像だ」との色眼鏡があり、「運慶様は神様です」との固定観念があるので、それを打破して素直な目で運慶佛を見ないと、真の運慶像は見えてこない。

 佛像造りの素人の私から見て、今回の運慶展で見た運慶作の佛像の造形で、ダイヤ、衣、邪鬼、手相、足元、の造りに、違和感を覚えた。

 

ダイヤさん

 ダイヤとは台屋さんのことで、佛像を支える台の模様を彫る佛師である。当時の佛師の集団の中で、台だけを作る専門家がいたかどうかは定かでない。多分、鎌倉時代は、運慶が佛像本体から光背、台までの全てを一人で作っていたと推定される。一人で佛像の全てを彫るのは大変である。今は佛像造りの工房として、各部品が分業で、佛像造りが行われ、台屋さんという佛師が佛像を載せる台を製作している。その彫り方は精緻を極める。現代のダイヤさんの作品と比べると、運慶作の台の彫りが荒いと感じてしまう。

 私も、30年ほど前に、佛像彫刻の通信教育を申し込み、その教材を入手して取り組んだことがある。その最初の課題が、台に彫る模様彫りであった。その後、本業が忙しくなり、佛像彫刻どころではなくなってしまった。また素人が手に負えるものではないことも悟り、佛像は買うものと納得した。

 

邪鬼の意味づけ

 四天王に踏みつけられている運慶作の邪鬼の造りがあまりの貧相なのである。高野山に納佛された松本明慶大佛師作の邪気と比べると、邪気の位置づけとその解釈の差とその出来栄えが違うのである。運慶作の邪気の貧相さは、運慶の解説者は誰も口を閉ざして言わない。言えばその業界から「殺される」とのうわさもあるとか。「運慶様は神様です」が業界の掟であるそうだ。そういった事例は、世には多いもの。そういう洗脳教育を受けていては、芸術品を見る眼が養えまい。運慶展の入場者数は10月24日には20万人、11月14日に40万人を超えたそうで、それから推定すると11月26日の最終日には、50万人を超えると推定される。多くの人は、「運慶様は神様です」という洗脳教育をされて展覧会を見学していると言っても良いだろう。

 その四天王に踏む付けられている邪鬼を、松本明慶師は四天王を支える脇役に昇格させた。邪鬼は誰でもない、己の心の中に住む鬼である。劣等感、妬み心、怒りの心の象徴である。それを抑えて人生の晴れ舞台に立つのが人間である。その前に、己が脇役として主役を下から支える。立派な役である。それを松本明慶師は、高野山に納佛された四天王・広目天と増長天を支える邪鬼に表現した。岩田明彩師の描く邪鬼の眼は輝いている。運慶の時代に生まれた邪鬼の像と隔絶の差である。

 

手相

 運慶作の阿弥陀佛の手相を見て、考えてしまった。その手相に運命戦が無かったのだ。運命線がない人とは、そういう運命とか宿命に無頓着であると手相学ではいう。それに対して明慶師が制作した佛像では、運命線が真っ直ぐに伸びている手相で表現されている。手相までを研究して、佛像を作る松本明慶師のこだわりである。

私も若い頃の一時期、落ち込んで運命学、人相、手相に凝ったことがある。その時に学んだ知識である。それの知識での見解である。

 

目の視線

 運慶作の佛像で、目の視線の先が異様な作品がある。その視線では武の佛像として佛敵に対して、構えがおかしいと感じてしまった。

 

源頼朝用の佛像造りのレベル

 運慶は鎌倉武士の代表・源頼朝より佛像造りを依頼され、多くの佛像を納佛している。その佛像のレベルが、奈良のお寺から依頼された佛像のレベルと差があるのである。運慶は、所詮、戦いには長けても佛像関係には教養の薄い武士に対して、すこし低いレベルの細工で対応したようだ。それが四天王像等の戦う佛像造りに現れている。少し荒い細工の彫刻が目に付く。

 

足元の造形

 運慶の佛像の足元の表現がのっぺらぼうなのだ。運慶の子の康弁作の天燈鬼立像と龍燈鬼立像の鬼の足は、血管と筋肉の盛り上がりが生々しく表現されている。それと比較すると、どうしても運慶作の佛像の足元の造形が見すぼらしいのだ。それが時代と伝統の進化なのだろう。佛像の足元には、靴を履いている佛像もあるが、その靴の表面の彫刻が簡単なのである。

 

彩色塗装

 四天王の造形は素晴らしいが、当時の色彩をそのままにしてあるので、かえって塗装が剥げた部分が顔の造形を異様な姿に映している。全て取ってしまった方が、造形の美が映えて、見栄えはすると思う。家の障子や寺院の柱の朱でも、時代が代われば塗りなおすもの。そのままにして展示がよいのか疑問に思う。

 

佛像の衣の表現

 童子の佛像の手が衣を握りしめて、その先が絞られた状態の表現で、少し不自然で違和感のある造形を発見した。まだまだ運慶の技術が成熟途中の作品と観察をした。運慶は天才かもしれないが、全ての作品が完璧な作品ではあるまい。天才ピカソも、生涯に7万点ほどの油絵を残しているが、傑作も多いが駄作も多い。どんな天才でも、作る作品が全て傑作というわけではない。それを踏まえて観察しないと、全てに絶賛のヨイショの鑑識眼ゼロの目になってしまう。

 

情報という付加価値

 運慶の佛像は古典としての存在価値がある。あの鎌倉時代に、新しい付加価値を佛像に創造したことにある。それを今と同じ価値観で見ると違和感を覚える。あくあまでも古典としての佛像である。文明が進化するように、佛像も時代の技術進歩にあわせて、進化する。

 昔の情報網から得られた知識で佛像を創造するのと、世界の彫刻美術の情報と加工技術の粋を研究した佛像彫刻品のレベルが同じであるはずがない。佛像を見る眼、作る技術は進化している。運慶作の佛像は、あくまで800年前の鎌倉時代での佛像造りの傑作である。その価値と現在の評価価値は同じではない。また佛像を作る佛師の心の問題は別問題である。

 

図1 松本明慶師作の佛台

図2 松本明慶師作の邪鬼(高野山納佛) 2014年10月8日撮影

図3 松本明慶師作の邪鬼と四天王の足元(高野山納佛)

    松本工房にて 2014年10月8日撮影

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2017-11-22

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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貧乏根性と金持ち魂

没落への道とは、節約と称して使うべき金を使わず、未来への投資をせず、知恵なき貧者の歩む道。人間の尊厳性に関する金までもケチり、整理・整頓・清潔・清掃のできない金の使い方で、行政が非効率、不潔、下品になり無駄ばかり。あげくの果てにドローン墜落人身事故で、責任を全て業者に押し付ける非道ぶりに落ちぶれる。大垣市の事例は、貧乏物語。

 

繁栄への道とは、知恵を使って無駄を省き、浮いた金で未来に投資するのが、知恵ある富者の歩む道。無駄を省いて使うべき金を、ドンと使う。ますます金持ちになる。その事例が、世界で名古屋より有名になった豊田市物語。

 本件を自分の生き方の反面教師として、自分の人生を見直したい。

 

2017-11-22

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2017年11月21日 (火)

縁は方円の器に遵う

 一円が集まり五円となる。一縁が集まり五縁となり、ご縁となる。一発勝負で宝くじのような縁を漁って歩いても、却って身の毒となる。一円、されど一円である。一縁を大事にする心構えが多くのご縁を頂くことになるのを65の年輪を重ねて、7世代の家系図を作って実感した。宝くじに当たって不幸になった人は多い。家の財産を独り占めにするのは宝くじにあたるようなもの。その結果として、家を衰退させた親族も多い。小さな器に、溢れんばかりのご縁、財宝を入れても器が破綻するかこぼれるだけである。器以上には水は入らない。溢れた水は凶器となる。まず己の器作りから、ご縁は始まる。

 

自分創り

 己の器作りとは、自分の人間性、人格の育成である。それをせずに、金儲けや、地位を先に求めるから、人生で失敗する。己の能力以上に地位を求めると、多くに人に迷惑をかける。学歴が高い、頭がいい(記憶力が高い)のを、人間性・実務能力が高いと勘違いすると、失敗する。人生経営で必要な能力は苦い経験から生まれる智慧である。全ての運命に、順う素直さである。上に立つ人間で必要な能力は、できない己をサポートしてくれる人材の発見と活用である。自分一人がガンバっても成果には限界がある。人のご縁と神仏の加護がないと、いくら才能やお金に恵まれても、世の中で押しつぶされる。それが我が家のお墓つくりの過程と我が家系図と大垣市政を俯瞰して得た私の智慧である。

 

涙と血の汗の経験

 日本の最高学府を出て、有名大商社に就職したが、わずか6年で退職して地元に帰った人がいる。我慢、忍耐が足りないのか、実務で使いものにならなかったのかである。

 入社6年目と言えば、やっと仕事を覚えて、仕事と会社の状況の回りが見えてくる時期である。私が主任に昇格したのは、やっと11年目であった。私が今にして、前職に就職して良かったと思うのは、大きな会社であったので、色んな部署の人と付き合えたことだ。技術部と研究開発部に配属されたので、会社の最先端の情報と多くの人に出会えた。海外経験もさせてもらえた。それが大企業で長く勤めたメリットであったと回想できる。

 それが6年間しか大企業で我慢ができない性格では、経営者として使い物にならないのではないか。その大事な経験という財産を放棄して、実務経験が不十分のまま、地元地方都市で東京の最高学府を出たというブランドだけで、市商工会等でちやほやされたのが、彼の不幸の始まりであったようだ。苦労もせず、若くして高台に登るというのは、人生三大不幸の一つである。市商工会等は、所詮サロン活動で経営のままごと遊びの世界である。涙と血の汗とを流す生々しい実務経営の勉強は、経営者仲間のお遊びサロン活動では経験できまい。

 京セラの創業者稲盛和夫氏や松下幸之助翁は、人生の辛酸を舐めて経営の経験を積んだ。仲良しクラブのサロン活動をして会社を大きくしたのではない。同じ汗と血の混じった涙を流した仲間が稲盛氏や幸之助翁を助けて、会社を大きくした。失敗や屈辱が、二人を大きくした。地方都市のサロンでちやほやされた人間には、理解できない経験である。

 地方の名人といわれた剣士でも、江戸の町道場主と勝負をすれば、簡単に討たれるという。それが地方では、多くの剣士との勝負の経験が積めないからだ。どんな分野でも、多くの血の滲む経験が無くては、名人にはなれない。

 

名経営者の墓標

 鉄鋼の町、ピッツバーグに眠る鉄鋼王カーネギーの墓石に刻まれた言葉;

 Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.

「己より優れた部下を持ち、共に働ける技を知れる者 ここに眠る

   

Andrew Canegie (1835-1919)

 アメリカの実業家。英国スコットランドからの貧しい移民で、線路工夫から身を起こす。後に世界最大の鉄鋼会社となるユナッテッド・スチールを創業する。アメリカ資本主義発展期を代表する企業家、鉄鋼王とも称される。晩年、ニューヨークに音楽殿堂といわれるカーネギーホールを建設するなど公共事業に力を注いだ。

 

私は、いつの日かカーネギーの墓所で、彼の魂の謦咳に接したいと思う。

 

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2017-11-21

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5S尊重で発展の豊田、5S無視で没落の大垣

「そうだ、大垣で暮らすのをヤメよう」

 トヨタは5Sを徹底したことで発展した。5Sとは整理・整頓・清掃・清潔・躾である。企業経営・人生経営の基本である。それで生産性と人間性を上げて、トヨタを世界一にした。そのトヨタから、日産のような不祥事の話は聞かない。

 現在の大垣市長は、この17年間で、不整理・非整頓・不掃除・不潔・否躾と不義理の非5Sを徹底して、大垣経済を衰退させ、人間性を下品にして大垣を没落させた。大垣市は不祥事のオンパレードである。

 

大垣の没落

 昔は学問の街大垣、博士の街大垣、文化の街大垣、交通の要所での文化の街と言われた面影は、今はない。大垣経済を支える卸売業・小売業(大垣の第三次産業の31%)が、この5年間で4%の衰退である。大垣の第三次産業の就業者数は全体の69%を占める。大垣駅前商店街のお店はこの5年で20%が消えた。大垣経済の停滞で大垣の人口が減り(163,134→161,992人(H24年~H28年))、大垣の不動産屋は儲からないので、大垣から名古屋へ進出して出ていく(2%減)。大垣はますます寂れていく。それだけ大垣市に住む魅力が無くなったのだ。「大垣で暮らそう」ではなく「そうだ、大垣で暮らすのをヤメよう」である。唯一増えているのは医療・福祉関係の会社である。この5年間で全就業者数が1%も減っているのに、医療・福祉関係の就業者は40%増なのだ(平成21~26年。大垣市HPより)。それは大垣市の老化の表れで、市の活性化の逆の現象である。その分、大垣市民の税金負担が増える。

 

5Sの第一「整理」

 整理とは、「」を「整える」である。大垣市は行政の人事でをわきまえず、ヒラメの役人をはびこらせた。なにか頼めば「節約だ、金がない」の一点張りで、何事も進まない。17年間も徳のない大垣市長が君臨すれば、自ずと癒着となれ合いが繁殖するのが世の常であるようだ。長期政権で人心を倦ませているようだ。大垣市の経済、人事、行政、教育、行事、道徳で「」に合わない現象が頻発している。に合わない人事で、ヒラメの役人が出世するのが原因であるようだ。

 現在の大垣市の基幹道路が、経済の血路として「」に合わないのに、それを放置して大垣経済の動脈を混乱させたままにしている。大垣市を南北に縦断する基幹道路の治水を怠り、少し大雨が降ると室村町アンダーと林町アンダーパスを頻繁に水没させ、市の経済活動を麻痺させている。大垣市長は、マッチポンプ如き行動を大垣広報誌に掲載させて、失政を誤魔化している。今の大垣市を活性化するには、大垣市を南北に通す経済道路がもう一本必要である。それを早急に建設するのことがに適っているが、大垣市長は経済音痴で、節約精神だけが旺盛でそんなことには、眼中にない。また道路を建設して大垣経済を活性化する長期ビジョンも描けないし、それを実現する政治手腕もないようだ。

 大垣市長は、不要不急の新市庁舎の建設に急いで熱中している。東京オリンピック関係で建設資材・人件費が高騰する時期に、なにも急いで121億円もかけて新市庁舎を建設しなくてもと思う。ほんの少し時期をずらせば済む話である。時期を少しずらすだけで、数十億円が節約できる。それで、なにが口癖の節約精神なのか。新市庁舎を建設しても大垣市の経済は活性化しない。もっと大事なことがあるだろうと市民は泣く。

 大垣市小学校で教室のエアコン設置が他市と比べて極端に遅れている大垣市の小学校のエアコン設置はたったの2.1%である。他市に比べて隔絶している。県内の岐阜市や各務原市、関市、瑞穂市、海津市などの小学校での設置率は100%である。大垣市長は、自分が座る完全冷暖房の新市庁舎建設には121億円もかけるが、たった14億円の経費の小学校のエアコン費用をケチる。それでいて、何が「大垣は子育て日本一」と嘘を広言するのか。建設の順序の整理が不適である。

 大垣市長は節約と称して、金をケチり、街に投資をせず、経済の「」に合わない元気ハツラツ市等の見栄えだけの行事を「整理」せず、来訪客数は多いが、実態は出店の他県の業者だけが儲かるようにして、大垣駅前商店街の売り上げを減少させ、結果として大垣駅前商店街の61%の店が閉店する結果となり、大垣駅前商店街を没落させた。

 大垣市長は、毎月、元気ハツラツ市を開催して、大垣の駅前通りの大動脈を封鎖して、交通の大渋滞を招ねく不合を働いているが、大垣市長は大垣経済の混乱には全く眼中にない。今時そんな政策をしている都市はない。名古屋市でも名古屋祭りでの交通規制は短時間である。大垣市は基幹道路を一日中も交通止めである。「まるごとバザール」では2日間も大垣の基幹道路を封鎖して、交通の大渋滞を招き、市民の買い物難民を増やしており、狂っているとしか言いようがない。儲かるのは他県の業者だけ。それでいて、イベント費用にこの7年間で、1億2千800万円も浪費して、その会計報告が7年間全くない。会計内容が整理されていない。不正を疑われても仕方がない状態である。

 小川敏小垣市長は、養老鉄道運営での負担金で、回りの大垣市に労働を提供する多くの町に対して、恩を忘れ仇で返す非道・不義理を働き平然としている。養老鉄道は、現在は赤字路線であるが、明治大正昭和にかけて大垣の産業の発展に多大な貢献をした。今は第三セクターで運営されているが、その負担金問題で、人口2万人ほどの揖斐川町、池田町等の町が負担する金額に対して、大垣市長は「恩恵を受ける町と市は、平等の負担金だ」と詭弁を使い、平等の負担費用を大きな工業も産業もない零細町村に押し付けた。大垣市は、人口一人当たりで換算すると、池田町・揖斐川町等の約1/4のみ負担という不義を働いている。これには周りの町長は、怒り心頭であるが、赤字路線存続のため、町長たちは黙ってその屈辱に耐えている。人の弱みに付け込んで、大垣発展のご恩も忘れて、人の恨みを買って平然としている小川敏大垣市長を私は恥ずかしく思う。節約を通り越して守銭奴である。大垣の産業の発達の歴史を整理すれば、こんな非道は許されまい。大垣市長には、ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige )という観念がない。ノブレス・オブリージュは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。大垣市長には貧乏人の根性しかない。とても大垣市の市長は任せられない。

揖斐川町 人口 26,078人、 負担金26,256千円

池田町  人口 24,580人、 負担金33,980千円

大垣市  人口166,620人、 負担金61,260千円

数値は岐阜県池田町広報誌『広報いけだ』平成19年3月号より

 

5Sの整頓

 大垣市長は、現代の車社会に適応するように市中心部の駐車場を整備せず、商店街前道路上の駐車違反車を摘発して「整頓」した。そのため大垣駅前商店街の経済がマヒして大垣駅前商店街が衰退した。

 大垣市長は、道路行政でも、見栄えはよい街路樹の「頓」に金を使い、交通の流れを整理する「」にあった政策は何もしない。道路を整理もせず、狭い大垣駅北地区に多くの大規模小売店を整頓させて誘致して、さらに交通の大渋滞を招いている。

 大垣市長は、駅前にマンションと予備校を整頓させて、美しいビルは林立したが、大垣駅前商店街が消滅した。駅前にマンションと予備校が林立すれば、その街は終わっている。その「」に気がつかない大垣市長は、市の経営・経済の「論」を解する能力がない。

 大垣市は平成30年に大垣駅前広場にカメの噴水公園を整備して見栄えの「整頓」をする計画である。その前の大垣駅前の交差点道路で2車線が1車線に減少する超変則道路を長年、無為無策で放置して交通の大渋滞を起こさせている。大垣経済活動の重要な道路行政は無為無策である。大垣市長には、交通の流れを整理するよりも、懐古主義のカメの池の整頓が大事なのだ。

 

5Sの清掃

 大垣市長は、大垣市公共トイレの清掃費をケチり、大垣を不潔な街にした。その環境で、不潔が当たりまえという子供を育てている。子供は大垣市長の背中を見て育つ。大垣市長と大垣市役所役人は、己の心の汚れを清掃しない。

 

5Sの躾

 大垣市長は、子供たちを元気ハツラツ市の金儲けのイベントに駆り出すという精神で、躾無視で子供の心を荒廃させた。今、学校では万引きや窃盗をしても悪びれない子供が氾濫している。先生たちは子供を警察から引き取るのに走り回っている。

 子供たちが元気ハツラツ市で、コンクリート道路上で球技をして危険が明白でも、教師達は知らんふりである。大垣市に人事権と予算を握られているので、教師達も何も言わない。

 県の条例違法である住宅地の拡声器使用を、元気ハツラツ市の行事で大垣市長が率先して違反しているので、大垣市役所役人と市民の順法精神がマヒしている。

 大垣市役人はに合わない行事の客寄せで血眼になって、人命軽視のイベントに熱中している。違法であるドローンの菓子まきで起きたドローン墜落人身事故では、幸い怪我人だけで済んだが、まかり間違えば人命が失われた事故であった。しかしこの事故でも大垣市は全く反省も謝罪の姿勢がない。業者に責任を全て押し付けている。人の道に反している。大垣市の役人のがなっていない。大垣市役人の精神が荒廃している。大垣市役所職員は、大垣市民の命などなんとも思っていない。小川敏大垣市長は、本件に関して謝罪会見もなく雲隠れで口を閉ざす。

 

2017-11-21

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年11月20日 (月)

人生の危機管理

 ある日突然、脳梗塞、心筋梗塞に襲われ、後始末の言付けさえ言えず、旅立たねばならない事態が多くある。そのことを我が家の家系図を作ってみて、身内に多く見た。いくら自分の健康に自信があり、身内に名医を抱えていても、心筋梗塞という閻魔様の一撃(ぎっくり腰は魔女の一撃という)には、全く手の施しようがない。

 桜田門外の変で命を落とした井伊直弼公も、なまじっか北辰一刀流免許皆伝の腕があったため、襲撃の予告があったが、そのまま江戸城に行列を進めた。組織で動いているので、護衛は部下に任せるのが上に立つ人の務めである。襲撃側の最初の一撃である短筒の一発が直弼公の腰を貫き、籠の中で身動きができなくなった。いくら腕があっても、後はなす術がない。時代の最先端の武器が、旧態依然たる防衛側の隙をついた。

 

佛の警告

 日頃から高血圧という佛様からのメッセージを無視すると、脳梗塞、心筋梗塞に襲われる。高血圧という体の警告が出ているのに、生活習慣を正さない愚かな人間が悲惨な結末を迎える。井伊直弼大老暗殺は、300年続いた泰平に世の歪が噴出して結末である。泰平の歪を直そうとして直弼公は荒療治をしたが、世の末の本質を理解しない暴走徒が、桜田門外の変を起こした。急激な治療が人間の体を痛めると同じで、江戸幕府の体制も瓦解に進んでいった。

 

己はブラック企業の社長?

 ブラック企業の経営者は従業員の健康を無視して過重な労働を強いる金儲け亡者である。それが原因で過労死になる従業員も多い。その家族が企業を訴える時代となり、問題が顕在化してきた。同じ理屈で、体に必要以上の食べ物やアルコールを摂取すれば、胃も腸も肝臓も大忙しで、己の細胞に深夜勤務の過度の労働を強いて食べたものの消化・分解の仕事をしなければならない。体の臓器が超過勤務をしても処理しきれない残物が、体のあちこちに脂肪として堆積される。それが体の閻魔帳である。だからその人の体を見れば食生活の全てが自明である。神佛は食べ物が体に入ってこれば、えり好みせず消化をするするという体のしくみを造られた。そんな大事な体に、ブラック企業のような仕打ちをすれば、病気という罰があたるのも自然界の「理」である。それが最高の結果なのだ。それを「なんで私だけが」というのは不遜である。

 

己は主

 「主」とは「王」座に立つ自分の姿「、」である。それは蝋燭台の炎を象徴している。どんな蝋燭も何時かは燃料が切れて消える。燃えて燈をともしている間に、何を照らすかが人生で問われる。自身の60兆個の細胞の王として、己は体を支配して、何を食べようと飲もうと夜更かしをしても自由であるが、その横暴な行いは全て自分に返って来る。

 

2017-11-20

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大垣市トイレが汚いのは、市長のケチが原因

解決策

 トイレ掃除の頻度を2倍4倍に上げて、掃除に係る費用を増額すれば、すぐにトイレは綺麗になる。その掃除の経費を節約と称してケチるから、「大垣のトイレの汚さは日本一」と大垣の恥をさらす結果となる。この問題は市長の鶴の一声で解決する。

 

事象

 2017年11月18日、19日と大垣観光協会主催「芭蕉元禄大垣 楽市・楽座 まるごとバザール」が開催されたが、今回は、いまだかってほど汚いトイレの状態に遭遇した。新大橋の公共トイレが汚れていて、それが一日中放置された。私はトイレを使用するのに躊躇して、大垣城内のトイレを使った。そこもいつになく汚かったが、新大橋の公共トイレよりはましであった。夜になってやっと掃除をしたようだ。

 「芭蕉元禄大垣 楽市・楽座 まるごとバザール」で人出が多く、平常より数倍の人が利用するのだから、それに対応した掃除体制が必要である。それを大垣市役所は節約精神旺盛で、監督する人件費もケチり、管理監督不行き届き丸出しで放置したようだ。市内の百貨店のトイレは、日に4回の掃除をするという。大規模小売店やスーパーマーケットでは、掃除部隊が別室で待機していて、要請があればすぐに掃除をするという。それがジャパンスタンダードである。大垣市役所は、発展途上国並みの対応である。

 図1,2 2017年11月18日 新大橋公共トイレ

   図3   2017年11月18日 大垣城内トイレ

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汚い原因

 大垣市役所が、トイレ掃除の経費を節約と称してケチっているから。大垣市長がそれを黙認しているから。

 

5Sの定義

 5Sとは、整理・整頓・清掃・清潔・躾である。その清掃が出来なければ、経営者としては失格である。掃除は義務ではなく、仕事の一環としての責務である。それが企業経営の生産性向上の基本である。それを放棄するのは、仕事の放棄である。業績の良い企業はトイレもきれいである。汚いトイレに象徴されるように、大垣市は没落の一途である。トイレが汚れているのは大垣市長と大垣市役所の職員の心が汚れているからだ。汚れていても何にも感じない感性となっている。それが問題である。それでは癒着やなれ合いが横行して、ドローン墜落人身事故が起きても、誰も責任を感じて動かない体制となっている。責任どころか、業者に責任の押し付け合いである。今のトイレの汚い状態が、大垣市長と大垣市行政の全てを表している。

 

ケチとは

 ケチとは「計値」と書き、二つの選択肢を値踏みして、どちらを選ぶかを決める行為において、その価値が分からず、金勘定だけに目が眩み、大事でない方を選択する吝嗇行為である。掃除は値踏み(計値)をする事項ではない。人間の尊厳に関する事項である。大垣市長と大垣市役所は、ケチに徹して「清潔」という人間性の尊厳を捨てたのだ。動物に近いほど、清掃はないし、清潔感はない。発展途上国のトイレは綺麗ではない。トイレの清潔感で、文明度が分かる。大垣の文明度は地に落ちた。全ての責任は大垣市長である。大垣市長の鶴の一声で解決する問題である。それができないのだ。

 ケチとは己の狭い視野で値踏みをすること。ケチな人は目先に囚われて、短絡的・短期的な視野でしかものが見えないので、10年後に損をする判断をする。佛様の差配は人智を超える。回り道にお宝が埋まっている。佛様も元は人の子、陰徳を積めば佛様も恩義を感じて、10年後に利子をつけて倍返しの報恩をされる。

 ケチの究極の姿が、植民地獲得の侵略戦争、民族虐殺、利己主義、成果主義、グローバル経済主義である。一時的には儲かったように見えるが、結末は妬みの文化の氾濫、冨の偏在、格差の拡大、移民問題・テロ問題(植民地政策時代の落し前)、1%の人だけが富み、99%が不幸になる社会への転落である。

 人は、ものが見えているようで、実際はその本質の10%しか見えていない。残りの90%は人智を超えたベールに覆われている。人は狭い視野でものを見て、全て分かったと自己満足の値踏みをしている。それがケチの根性である。

 

経営者コンサルタントの目

 私が会社訪問して必ず見る場所がトイレである。トイレを見れば、その会社のレベルが分かる。イエローハットの創業者は、トイレ掃除で会社を大きくした。私が勤めていた会社の「本社工場とそのトイレは汚かった」と知人のIT関係の社長から指摘を受けた。その会社も吸収合併されて消えた。故あること。

 

上野公園の野外トイレ

 2017年10月26日、上野の運慶展に出かけたが、上野公園の屋外トイレを見て驚嘆した。上野公園は大垣のイベント時より遥かの多くに人出であるが、トイレが格段にきれいなのだ。日に何回も掃除をしているようだ。それがジャパンスタンダードである。大垣は発展途上国スタンダードである。情けない。

 

我が家のトイレ

 2015年に自宅のリフォームの一環としてトイレを改装した。きれいで清潔なトイレは気持ちがいいし、その日の働く元気のもとである。

 図4 自宅トイレ

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人生は思った通りの人生となる

 人生では毎日が選択・決断の連続である。その選択・決断で、毎日10ある選択肢のうちから一つの選択肢を選ぶのだが、その選択では自分が未来に思い描いた夢が実現できる可能性が少しでも高い選択肢を、自然と選ぶもの。その毎日の少しずつの選択の積み重ねが、自分の人生を創る。それが10年、20年も連続するといつの間にか、自分の夢が実現されているのが人生である。

 家庭料理でも奥さんが作った手料理で、それに手を付けるか付けないかを奥さんが見ていて、夫があまり手を出さない料理は作らなくなる。段々と夫好みの料理ばかりとなる。それと人生はよく似ている。

 大垣市のトップが節約と称して、金をケチるから、ヒラメの役人はそれを見て自身の保身としても人間の尊厳にかかわるトイレ掃除の金までもをケチるようになる。ヒラメの下々は、己の出世と自身の保身のため、市長と同じ考えを踏襲しようとする。市長の思いが部下に伝わり、市の費用の全てに金をケチるようになる。人生は、また市の行政は、自分や市長の思った通りの人生、市政になる。すべてはトップの考え方が表れる。人生経営のトップは自分である。市の経営のトップは市長である。

 

人生の賞味期限

 どんなものにも賞味期限がある。トイレの掃除も賞味期限がある。それが切れる前に掃除をしないと、汚れが見立ち汚くなる。大垣市役所はトイレ掃除の賞味期限以上にトイレ掃除をしない予算を組むから、汚いのだ。その金をケチるから、問題が起きてくる。単に掃除の間隔を適正にするだけある。それを節約と称してケチるから、恥をさらす。

 現在の大垣市長は、市長の賞味期限以上に5期も居座るから、賞味期限が切れた市政が横行し、癒着、なれ合い、腐敗、問題が多発する行政になる恐れがあるのだ。掃除・交代・任期の期限が来たら、掃除をする、取り換える、交代する、身を引くのが人生の要訣である。人生は何時までも続くわけではない。その見極めをしないから、疲れで大事な神事で居眠りをしているような姿を曝す結果となる。東芝の衰退も、老体の耄碌経営者が居座ったのが原因である。大垣市が滅亡しないために、手を打たねばなるまい。

 

2017-11-20

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2017年11月19日 (日)

老いて学び

 人間の成長とは、出来ないことが出来るようになることではない。加齢を重ね、昔できたことが出来なくなった自分を発見して、その問いに答えることが、人間の成長である。成長とは過去の自分を捨てることである。佛像彫刻においても、材料の多くを削って捨てなければ、真の佛の姿は現れない。削り捨てるべきは、厚い自分の殻である。それを捨てるには多大な苦痛が伴う。

 人は加齢という佛力によって、持っていた資産(若さ、体力)が剥ぎ取られて、新しい自分が顕在化する。駿馬も老いれば騾馬に劣る。しかし裸になった自分に、新しい真の自分を発見する。今まで固定資産だと思って持っていたのは人生会社のバランスシート上の流動資産であった。時期がくればそれは不良債務に変貌する。それに気がつくのが成長である。

 

人生バランスシートの劣化

 還暦を迎えて国家試験の受験に挑戦していた。その過程で、人生バランスシト(自分の体・脳・心という資産)の劣化が明らかになった。若い頃の記憶力なら相応の努力をすれば、60点の合格点はなんとか取れるはずだが、老化劣化した記憶力では、同じ間違いを繰り返す醜態を体験した。目を酷使するので、若い頃には問題なかった目の障害が顕在化した。その原因の表面的症状は高血圧に現れていた。血管内部にコレステロールのカスが付着して血流が流れにくくなり、高血圧となっている。同じ現象が脳内の血管にも起こっているはずで、若い時のような頭の血の巡りの良さが無くなっている。体の中で網膜は一番弱い血管で、長い間、過酷な使用をしたため、目の網膜の血管の流れに支障がでる網膜の病気となった。その結果、試験結果が若人に劣ることになった。

 

人生バランスシートの改善

 その治療として血圧の降圧剤を飲むのは対処療法である。その根本原因を特定し、その対策の治療を始めた。血管の内部が細くなっているので、血圧を上げて血を流そうと体が動いているのに、血圧を下げては、血の巡りも悪くなるはずである。そのため医師から処方される降圧剤は服用するが、血管の内部のつまりを無くすための改善行動(食事・運動・生活スタイル)を真剣に取組んだ。1年程の取り組みで、相応の効果が見られるようになった。

60年かけて酷使してきた人体という組織は、それ相応の時間をかけて経営改善を施さないと、元には戻らない。今までの宮仕えで、過度な長時間労働、睡眠時間の不足、精神面での痛めつけ、体に良くない添加物まみれでカロリー過多の外食や不規則な食生活で、心身を痛めつけていた。このままは道半ばで倒れた多くの仲間の後を追うことになると気がついた。

真因を解明して対処

 病気の真因を完全に元に戻すのは無理だが、その根本原因が分かれば、対処は可能である。何もせずに医師の処方する降圧剤だけを服用していては、つるべ落としのように体が衰退する。国家資格受験という過度な負荷をかけて、体・脳・心の問題点が判明した。体の異変の根本原因が判明したのが、年老いて学びに挑戦した最大の成果であった。そのまま放置すれば、失明、心筋梗塞、脳梗塞に罹患した恐れが高い。今でもその危険性はあるが、それを認識して生活スタイルの改善に取組んだので、その危険性がかなり低減したようだ。ご先祖から頂いた命は、学び続けて後進に何かを残すために使いたい。

 

少にして学べば壮にして為すこと有り。

壮にして学べば老いて衰えず。

老いて学べば死して朽ちず。   佐藤一斎著『言志四録』

 

 青少年時代に学べば、壮年になって為すことがある。

 壮年時代に学べば、老年に なって気力が衰えない。

 老年時代に学べば、死んでもその業績は朽ちない。

 

Photo 馬場恵峰書 実践至道  2008年

2017-11-19

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ドローン墜落人身事故の責任は大垣市

真因の推定と疑問点

 大垣市と同じである大垣観光協会が企画をして、指示をして、お金まで出して、現場立ち合いをして、そのイベントで起きた事故である。ドローン会社だけが告発されて、大垣市役所が刑事訴訟の対象にならないのはおかしいし、道義的責任は逃れられないはずだ。大垣市に大半の責任があると推定される。

 

事故の状況

 2017年11月4日、大垣市で開催中の「ロボフェス大垣2017」でドローン墜落事故が起きた。午後2時5分ごろ、上空から来場者に菓子をまいていた小型無人機「ドローン」(直径約85cm、高さ約55cm、重量約4kg)が約10mの高さから落下し、5~48歳の男女6人が額や肩を擦りむくなどの軽傷を負った。当時周辺には子供約100人とその家族ら計約600人がいた。このニュースは全国ニュースだけでなく、全世界にも発信された。

 ドローンは協会側の委託を受けた各務原市のドローン製作会社「合同会社 空創技研プロペラ」代表櫻井優一氏(37)が操縦していた。櫻井氏は、国土交通省大阪航空局で今回の飛行許可を事前に得たと説明しているが、申請書類と実際のドローンは別の機体であったことが後で判明した。ドローンの飛行では、上空からモノをばらまいたり、大勢が集会している催し会場上空の飛行は禁止である。

 

状況証拠

・大垣市観光協会の位置づけでの大垣市の責任

 大垣観光協会は大垣市の外部団体である。その職員の多くは大垣市役所からの出向者であり、予算は大垣市から出ている。つまり、大垣観光協会は大垣市に人事権と予算を握られた民間企業的に言えば、連結決算に含まれる子会社なのだ。だから大垣観光協会の職員は、大垣市役所職員と同じである。だから大垣観光協会の職員は大垣市の市長の顔色をみて仕事をしている。大垣市に対して成果を上げなければならないプレッシャーがあるはずだ。その仕事での人身事故が、大垣市に責任がないわけがない。

・大垣市の管理監督責任

  当日の事故があった午前中に、業者はドローンを使って4回も菓子まきをしている。テスト飛行も10回もしている。それには大垣市関係者も立ち会ったはず。目撃をしたはず。ドローンでの菓子まきが違法であるので、それを止めさせる義務が立ち合い者責任者にある。中学生でも分かる話である。

 大垣市に提出したはずの飛行申請書のドローンと実物が違っていたのを、担当者はチェックしないのは、業務遂行の怠慢である。業者がいいわけしているような「勘違い」のレベルではない。大垣市の入智慧による書類偽造も疑われる。このイベントは人の命に係わる業務である。業務上過失傷害罪である。管理監督不行き届きである。

・大垣市の宣伝記録からみた責任

 ロボフェス大垣2017の大垣観光協会のHPで「菓子まき」を宣伝掲載している。某大垣市高官が、「大垣市が業者に菓子まきを指示するわけがないだろ。業者が勝手にやってんだ」と関係者にわざとらしく言い訳をしている。しかし、大垣観光協会のHPで菓子まきを宣伝している以上、大垣市が菓子まきを指示もしくは承認していないとは、否定はできまい。大垣市の責任は免れない。行事の主催者の大垣市は、その行事に全責任を負うのが社会の常識である。

 ご丁寧に、菓子まき用のケースを取り付けたドローンの全景写真をHPで掲載している。それを知らない某大垣市高官は愚かである。こんな人に大垣市民の命を預けていいのか。

 その宣伝文章にある「伝統の”菓子まき”がドローンと結びついたユニークなアトラクション!大垣公園にて開催。」との文言は大垣市と違い、その伝統のない各務原市の業者は考えつかないはずだ。これは大垣の伝統を踏まえた大垣観光協会でしか思いつかない。

 このHPの中止案内でも、「都合により」とあくまで責任逃れの文体である。伝統ある菓子まきを機械にさせる発想が貧困である。神仏への冒涜である。 

 

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   図1 ロボフェス大垣2017のHP(大垣観光協会)

・業者への指示という犯罪

 マフィアのドンがある人物の殺害を手下に指示したら、その犯罪責任は、ドンにある。同じように、お上からみたら「手下の」業者に菓子まきを命令して、人身事故が起きたら、大垣市に責任があると同じである。零細企業の業者が勝手に、莫大な費用の掛かる装備を発注して、ボランティアとして菓子まきをするわけがない。ドローンで菓子まきをする業務にも業者の人件費がかかっている。だれが負担するのか。大垣観光協会である。つまり大垣市役所である。

・ドローン製造会社から見た大垣市の責任

 業者は菓子まき用のドローンの下に取り付けるボックスを特注して設計、製作している。そのボックスを付けたために荷重が増加したので、プロペラも新設計・新作をしている。膨大な製造コストである。市の依頼で費用を負担してもらわねば、超零細企業の合名会社「空創技研プロペラ」が遂行できるわけがない。

 菓子まき用のボックスを金属で造ると、重量が増えるのでプラスチックで造っているようだが、その設計費、金型費用は半端ではない。百万単位のお金がいる。事故を起こした超零細企業のドローン製造会社が慈善事業でやるわけがない。大垣市の指示、費用負担があって初めて運営できる。その菓子まきをするため、ボックスの蓋を遠隔操作で開閉する仕掛けを作る必要がある。そのテスト費用を含めても膨大な費用がかかる。ドローンを改造して、遠隔操作で蓋を開閉して菓子を落とす仕掛けには、精巧な仕掛けのボックスと操作のソフト、操縦装置も作らねばならない。業者が勝手に「善意」で、無償(多大な経費)でやれるようなレベルの仕事ではない。市の指導と命令があってしか設計も制作も、菓子の購入も、それをまくという作業は、大垣市の許可がないとできるはずがない。それも事故前の午前中に4回も菓子をまいている。その時、大垣市の職員が立ち会っている。違法なのに何故、大垣市職員は黙認したのか。だから大垣市の関与は否定できない。その責任は発生する。

・マスコミ報道に見る大垣市の関与

 なぜ地元の新聞では「空創技研プロペラ」の名が表に出ないのか。なぜマスコミでは大垣市の責任が全く表に出ないのか。なにか裏で情報操作されていると勘ぐってしまう。朝日新聞の慰安婦事件のねつ造や、CNNのフェイクニュース、TBSの偏向報道に見られるように、私にはマスコミが信用できないのが今の心境である。

・業者の業務遂行レベル

 この会社の自治体向け業務宣伝のHPの紹介文を見る限り、レベルの高い会社ではない。この社長の紹介文書は、論理的でなく、お粗末な子供の文章である(空創技研プロペラのHPを参照)。テクニカルライティング的には落第の文章である。社長の顔写真を見ると、お人よしの憎めない人相である。きっと警察に追及されれば、簡単に罪を認めてしまい、大垣市の責任までを抗弁する能力はないと見られる。警察に誘導尋問されて、全て自分で罪を認めてしまったのだろう。警察も落としやすい程度の人間であったはずである。まんまと大垣市は、ドローン製造会社の社長に罪を全て押し付けてしまったと推定される。

・大垣市記者クラブ室の背景

 大垣市役所内に、大垣市長室のすぐ対面に記者クラブの控室がある。そこで記者が控え、休息をしているようだ。常識として大垣市役所からお茶くらいはでるだろう。新聞記者は、大垣に関する記事の情報も、秘書室からもらわねば、記事が書けない。情が移らないと言えば嘘になるだろう。地元紙を見ていると、ヨイショ記事としか思えない内容の記事が目に付くことが多い。

・マスコミ報道内容の疑惑

 今回のドローン墜落人身事故の記事で、岐阜新聞、中日新聞、日本経済新聞、読売新聞、産経ニュース、朝日新聞、毎日新聞、北海道新聞、名古屋テレビ、yahooニュース、の各記事を調査した。

 不思議なことに、大垣観光協会や大垣市役所の責任を問う記事が一つもないことである。業者の社長が、申請書類を間違えたことばかりに焦点が当たっている。裏でなにか情報操作をしているとしか思えない。

・各務原、大垣市の企業の癒着の疑念

 事故を起こした業者の会社の所在地は、岐阜県各務原市テクノプラザ1丁目1番地「VRテクノセンター3F」内とある。この団体は各務ヶ原市の管轄のようだ。大垣市や関連企業と連携して、圧力をかけたやもしれない。事後の経過を見ると、それさえ疑われる。

 「VRテクノセンター」の出資会社 (38社)は、岐阜県、独立行政法人中小企業基盤整備機構、各務原市、中部電力(株)、 (株)十六銀行、セイノーホールディングス(株)、川崎重工業(株)、 大日本土木(株)、富士通(株)、三菱電機(株)、(株)大垣共立銀行、岐阜信用金庫、(株)トーカイ、富士変速機(株)、シンクレイヤ(株)、(株)市川工務店、カヤバ工業(株)、岐阜県金属工業団地協同組合、岐阜車体工業(株)、(株)Japanエアロ インスペクション、 レシップホールディングス(株)、シーシーアイ(株)、三井住友海上火災保険(株)、清水建設(株)、ソニーイーエムシーエス(株)、太平洋工業(株)、(株)インフォファーム、天龍ホールディングス(株)、(株)アシストエンジニア、(株)トーエネック、(株)ナベヤ、(株)丸順、武藤嘉商事(株)、山崎建設(株)、(株)セガ、川崎岐阜協同組合、大日コンサルタント(株)、中部事務機(株)である。

 「VRテクノセンター」の出資会社は、大垣市の企業や大垣市に関係する企業も多く、何らかの圧力をかけやすい状況と思うのは、考え過ぎだろうか。事故を起こした会社が、今後の仕事をしていくうえで、関係会社から言い含まれ、大垣市の責任が及ばないように全ての責任を受けるため、何らかの取引があり、見返りがあったかもしれない。その圧力はかけやすいし、ありうる事態だと私は推定した。証拠はなく、あくまで推定の域である。推定有罪である。

・論理式での判断

 論理とは数学である。考えられる項目を足し算して、その結果の総合判断で、その事実の善悪を判定する。それが論理構成での思考である。

 

 観察事項1 大垣観光協会の位置づけ       ×

 観察事項2 大垣市の管理監督責任        ×

 観察事項3 ロボフェス大垣2017HPから見た関与  ×

 観察事項4 「伝統の菓子まき」との文面     ×

 観察事項5 大垣市高官の関与否定の虚偽発言   ×

 観察事項6 業者への菓子まきのイベント指示   ×

 観察事項7 菓子まきの装置の開発、資金提供   ×

 観察事項8 マスコミの報道の偏り        ×

 観察事項9 ドローン業者のレベル        ×

 観察事項10 大垣市役所内の記者クラブから見て  △

 観察事項11 各務原市と大垣市の繋がりと癒着疑惑 △  

-------------------------------------------------------------

+)    結論「大垣市に責任がある」

 

論理から導かれた結論

 大垣市役所のドローン墜落人身事故に対する責任は、免れられない。一歩譲っても、道義上の責任はある。某大垣市高官のように、責任がないと知らん顔をするのが異常である。大垣市として全く謝罪がないのは、大垣市民を愚弄している。業者に全ての責任を押し付ける大垣市役所は狂っている。大垣市民の人命軽視の行事を頻繁に強行している現状の大垣市政は、近い将来に死亡事故を起こす恐れがある。大垣市役所を統括する今の大垣市長に大垣市民の命は預けられない。

 

2017-11-19

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2017年11月17日 (金)

京都国立博物館で国宝展を見学

 2017年11月17日の今日、京都国立博物館で開催されている国宝展に行ってきた。松本明慶仏像彫刻展で、松本華明さんからこの展示会を教えてもらい、京都に出かけた。ところが、運慶展でもどこにこんなアホがいたかと思った人出であったが、国宝展では、それを上回る人出で、どこにこんなバカが大勢いるかと思うくらいであった。私はアホでバカでした。

 現地に、タクシーを飛ばして開場45分前に到着したが、結局私の前に500人ほどの行列ができていた。運慶展では、開場45分前で私の前の行列は150人であったが、今回はその3倍である。幸い、入場の第一陣の約1,000人の中の一人として入館できたので、なんとか朝一番の陣で入館ができた。

 それも米原駅で新幹線ひかりへの乗り換え時間が3分間しかないので、構内を全力疾走して、ひかりに滑り込みで間に合い、このテイラクである。それが間に合わないと30分後の到着であった。また運慶展での学びとして、京都駅で入場チケットを事前に入手しての段取りであった。事前入手がないと20分ほどの時間ロスとなるので、京都駅内の京都観光案内所で、事前入手が望ましい。

 

会場で

 今まで、教科書等で見たことがある約200点もの国宝が、整然と並んでいた。一番驚いたのは、2階の書のコーナである。このコーナが想像を絶する大混雑なのだ。運慶展よりもひどいくらいの混雑ぶりで、少しも前に進まない。それでも今日は平日の金曜日でこの有様。そんなに日本に書を愛する人がいたのかと驚いた次第である。もう一つのコーナが考古学の展示で、あまりの人込みで、ここは少し見ただけで退散した。それでも入場して退場するまでで、約1時間半を要した。それだけ見ごたえのある展示であった。この規模の展示は41年ぶりとのこと。この展示会は11月26日まで。

 お昼前に見学が終わったが、精神的に疲労困憊で、頭を冷やすため徒歩で京都駅に向かい(約25分)、他には寄らずにそのまま大垣の帰路についた。

 

展示コーナ

 書の展示では、日本の三跡の一人の藤原行成の書の名品が巻物で展示されていた。それを皆さんが読みながら凝視してすり足で進んでいる。だから少しも列が進まない。それほどの名品であった。残念ながら空海の書は、展示終えである。写経の巻物の展示では、写経の一字毎に佛が宿るとして、一文字毎を金色の線で丸く囲った写経巻物が展示されていた。素晴らしい名筆である。

 東寺に展示されている両界曼陀羅図の金剛界、胎蔵界の軸も展示されていて、以前、東寺で見た時よりも、見栄えがよく展示されていた。

 仏像、仏画も展示されていたが、古典的価値の作品のようで、美術品としての見地では、少し物足りない思いである。

 著作権の関係で、作品の掲載はできませんので、画像検索でネットで見てください。

 

名品の生病老死

 その国宝が生まれた当時は、色鮮やかで素晴らしい作品でも、年月での色の退化は如何ともしがたい。遺産的価値と、現時点とでの美術品としての価値は別のような気がする。色褪せて判別が難しい源氏物語絵巻や仏画を見ると、その感を強く感じる。

 

名画や名品の定義。名縁とは

 私の名画の定義は、捕まってもいいから美術館から盗んでみたくなる絵や美術品が名画、名品である。しかしいくら名画、名品でも巨大な作品や威圧感を感じる作品をウサギ小屋の日本の自宅においても、致し方あるまい。自分の身丈に合った作品が、自分にとって名画、名品なのだ。その点で、美術館や国宝には、それに合格する作品は少ない。私も世界の美術館を100カ所ほど回ったが、その中で、盗んできたくなるような作品には、ほとんど出会っていない。悲しいことである。

 世の中で、どんな素晴らしい出会いでも、それを受け止める自分の器が大きくなければ、その価値が分からない。そのために自分を成長させねばならない。そうでないと、世の中にある素晴らしいお宝に出会っても、素通りである。猫に小判である。

 

図1 京都国立博物館の入門前の行列 開場45分前

図2 京都国立博物館に入館して開場を待つ行列 開場30分前

   約1000人(横四人で行列、手前で折り返し)向うが入り口

   2017年11月17日09:00

図3 京都国立博物館内から見た外の行列風景 開場直後

図4 退門後の京都国立博物館 2017年11月17日11:13

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2017-11-15

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New Year Concert パンフレット

ドレスデンフィルハーモニー弦楽三重奏団を迎えて

 表記コンサートのパンフレットが完成しました。添付ファイルをご参照ください。

 久志能幾研究所は、New Year Concertの協賛企業です。

 

チケット取り扱い: 松栄楽器本店、ユタカ音楽、シューベルトホール

問合せ先: 0584-82-6575(シューベルトホール)

メール: gracel@earth.ocn.ne.jp

 添付ファイル newyearconcert_A4_8.pdfをダウンロード

2017-11-17

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