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2017年10月

2017年10月31日 (火)

人生深山の峠

 芭蕉の「奥の細道」の旅は、最上川の急流を舟で下り、霊山巡礼登山で旅の峠を迎えた。芭蕉は、山岳信仰の霊山で知られる出羽三山の一つである月山に登った。元禄2年(1689年)6月6日、頭を白木綿の宝冠で包み、浄衣に着替えて、会覚阿闍梨と共に、宿泊地の羽黒山南谷の別院から山頂までの8里(約32km)の山道を登り、弥陀ヶ原を経て頂上に達した。時は既に日は暮れ、月が出ていた。山頂の山小屋で一夜を明かし、湯殿山に詣でた。他言を禁ずとの掟に従い、湯殿山については記述がない。唯一、阿闍梨の求めに応じた句として、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」で秘境の感銘を詠んでいる。現代でも、湯殿山での撮影は禁止されている。

 

馬場恵峰書『奥の細道』

 『奥の細道』の作風は、この峠を境に雰囲気が大きく変わる。芭蕉三百年恩忌(1994年)で『奥の細道全集』(上下巻)を揮毫された馬場恵峰師も、この峠の記述を境に巻を分けて構成された。

 図1 『奥の細道全集』と馬場恵峰書 2011年4月2日

 

人生の奥の細道

 小さな人生にもドラマがあり人生の峠がある。しかし、その峠にもたどりつけず鬼門に入った仲間が、還暦を迎えた時に身近で10名余にも及ぶ。自分が還暦を迎えて、無事に人生の峠に辿り着けた有難さを強く感じる。還暦を迎えてからも仕事仲間の5名の訃報に接した。還暦は人生の峠である。

 人には、語れぬ人生の深山がある。人生で、いつかは足を踏み入れねばならぬ深山である。芭蕉は死者としての白木綿の宝冠で包み浄衣に着替えて、山に入った。人は経帷子に身を包み、人には見せられぬ醜い自分を見るために、山を登る。人生で一度は越えねばならぬ峠である。その峠で、過去の自分の臨終を見送る。

 死者として深山を上り、新しく生まれた赤子になって、上ってきた山道を下る。「他言を禁ず」の戒律は、人には語れぬ醜い己の臨終への佛の経なのだ。峠を下れるだけ幸せである。峠を下れずに、山腹で骨を埋める仲間も数多い。自然が唱える不易流行の経の声を聴き、己が神仏に生かされていることに感謝を捧げる。

 図2 馬場恵峰書『おくのほそ道』上巻 最終頁 日中文化資料館蔵

 

人生のまさか

 2011年4月2日に、恵峰先生宅に日中文化資料館見学ツアーとして経営者仲間と一緒に行くことになった。その折、私は馬場恵峰書『奥の細道全集』を撮影する計画を立てた。ところが3月11日に東日本大震災が起こり、そのツアーが中止となった。しかし私は飛行機の予約もしたし、本来の目的が『奥の細道全集』の撮影なので、キャンセルをせず撮影に出向いた。

 その当日、盛岡の齋藤明彦社長(㈱電創総合サービス)が、まだ津波で犠牲になられ人たちの霊が漂っている浄土ヶ浜の海水を持参され、その海水で恵峰先生に追悼の書の揮毫を依頼された。私は偶然そのご縁に接せることになった。当日は、そのことは知らなかったが、4月16日の明徳塾で恵峰師はその追悼の書を紹介されて、初めてそのご縁を知った。

 還暦までにビジネス戦争で斃れた仲間も多いが、震災のように突然、生前の精進如何に関わらず、命を召される事態は、現世ではざらにある。今回の震災は人生の無常を痛感した事件であった。生きているが奇跡なのだ。頂いた命を大事に使わねばと還暦後の人生の歩みの決意を新たにした。

 図3、4 追悼の詩 馬場恵峰書 2011年4月16日撮影

 

「出版の細道」の道を歩む

 写真集 馬場恵峰書『奥の細道全集』全2巻は2017年12月に発刊予定です。その一部が図2です。この書は私が馬場恵峰師と縁が出来てから、5年程経った2011年頃、師が『奥の細道全集』全2巻を芭蕉300年遠忌で書き上げたという話を「明徳塾」の講義の時に聞いた。『奥の細道』のむすびの地は、私の住まいの大垣であるご縁からから、写真に撮らせてもうことを思いついた。当時、出版は全く頭にはなかった。それからカメラもCANON 7D、7DⅡ、5DⅢ、5DⅣと4世代も変わり、多くの先生の書をスポット的に撮影していく過程で、2015年頃から先生の書を世に出したいと思うようになった。いろいろと出版してくれる出版社を探したが、ないという結論となり、それなら自分が出版元として出版する決断をしたのが経緯である。大きな舗装道路でなくてもよい、未舗装の細い道でも先生の名が残るなら、自分でも本を出版した記録として残るならと、細くても新しい道を創ろうと決断した。 

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2017年10月30日 (月)

マッチポンプの大垣市長

怠慢を美談に捻じ曲げ

 2017年10月29日に配布された11月1日付『広報おおがき』で、10月24日の台風被害での室村町アンダーパス水没の記事が掲載されていた。その内容を読んで、呆れた。この広報では、今回の水没事件の原因が、建設以来62年間も水没に対する対策を放置した大垣市行政の怠慢であることを報ぜず、今後の再発防止策も報道せず、市が積極的な水防活動をしたとして、大垣行政の怠慢が美談に化けていた。適正な事前の防災対策があれば、こんな活動は不要である。記事では単に、市長と国会議員が視察をして防災に力を入れているポーズを見せているだけである。それで「市は、今後その治水対策として何をするか」が未記載である。まさにマッチポンプ的宣伝記事であった。まるでひとごとの様な記事である。過去62年間、大雨が降れば、室村町アンダーパスと林町アンダーパスの水没は頻繁である。大谷川周辺の浸水対策工事も必要なのに、それにはほうかむりして、後追いの視察をしたと大威張りである。なにかおかしくないか。まるで某国の将軍様の視察報道である。『広報おおがき』が市民に対する情報伝達である以上、市民に対して付加価値がある情報でないと、広報紙の無駄使いである。読む方にも時間と人件費というお金がかかっている。情報とは、「情けの報せ」なのだ。

 

大垣の治水課題 

 室村町アンダーパスから僅か西630m距離の木戸町アンダーパスは、今回の大雨でも水没はしなかった。それは大雨に対して適正に排水設計がされているからだ。既存の大垣市経済活動の基幹道路にあるアンダーパス(室村町と林町)に同様な改修工事もせず、「節約」と称して何も手を打たないのは、市長として市民に対する裏切り行為である。新市庁舎に大金を投じて建設するより、大雨が降るといつも冠水する地区の治水工事が緊急課題である。それが理解できなければ水の都の大垣市の市長の資格はない。時間がなかったのではない。時間は62年間もあった。「平成29年度 大垣市予算主要事業一覧表」を見ても、「国道・県道の整備促進」の項目でも本件の改善予算の項目はない。

 それはまるで下記2000前のシナの居酒屋火事の故事と同じである。消火活動に当たった人だけを褒めて、火事の危険を事前に指摘した人を無視した愚かさを諫めた寓話である。今の市長は2000年前の故事に出てくるシナの居酒屋主人にも劣る。

図1 11月1日付『広報おおがき』

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真の恩人はだれか

  昔のシナのある国でのお話し。ある国で居酒屋を経営していた店主に、客の老仙がそのお店の囲炉裏の傍に火事になる危険性がある状況を指摘して注意を喚起した。しかしその店主は、「分かった分かった」と言ってそれを無視して商売を続けた。あるとき指摘通りに火事が起こり、その場にいた客が大騒ぎをして火を消し止めた。店主はそれに感激してその客に過分なるお礼をしたという。その危険性を教えた老仙には礼一つ言わなかったという。

 

真の対策とは

 火事が起きたら火を消す対策ではなく、火事が起こらないような体制にする。大雨が出ても水没、冠水、浸水しないような対策をするのが真の対策である。

 人生の師は、我々が歩む道先での事故を耳にタコができるほど繰り返し忠告して正しい道を示してくれる。そしてその指摘を無視して弟子は指摘通りの事故を起こし、その火消役の仕事人(医者・消防署・警察署・助っ人)にお世話になって、感謝をする。しかしその火消役は、火事の防止にはなにも貢献していない。本当に礼をすべき人は、自分のことを心配して、口が酸っぱくなるほどに諫言をしてくれた師なのだ。多くの人は、そんな諫言をいう福の神を、貧乏神扱いして遠ざけている。諫言を遠ざけ不運の種を発芽させたのは己である。それを逆恨みさえする類の不祥事がマスコミ上で飛び交っている。昔も今も人間の本質は変わっていない。諫言に耳を塞ぐのは誰か。今の大垣市長は頭が高く、人の話や諫言を聞かない、と言う噂がある。事実がどうかは不明だが、そういう噂を立てられること自体が不名誉で、不徳である。大垣市の不幸である。

図2 耳中常聞耳逆の言  馬場恵峰書

 

地獄界と天上界を現世から観る

 政治とは、そのまま放置すると庶民が地獄に堕ちる世界を天上界に導く手段である。天上界のあるべき姿と現状の乖離を無くする仕事が行政である。無為に過ごせば水害や災害にあいやすい西濃地区を、災害の心配のない生活環境を実現するのが行政の責任である。昔から三大河川が頻繁に氾濫する西濃地区は、輪中という堤防で自分達の村を守ってきた歴史がある。災害に強い国作りと産業の衰退を防ぎ、新しい産業の誘致・振興を援助する役目が行政である。災害が起きたらそれを修復するのは、単なる対処療法である。火事が起きたら消火をする、発熱に解熱剤を飲むのと同じである。根本原因は何も解決していない。その前に対策を打つのが知恵ある行政マンである。アンダーパスが冠水したから通行止めにする、消防団が出て警戒する、では未来に対して何の解決策にもならない。それは後追いの対処療法である。大雨が降れば被害が出ることが明白なのに、市長がしゃしゃり出て視察をして、如何にもやっていますとのアピールをするのはマッチポンプ行為である。消防団が出て警戒しなくてもよい環境、市長が視察に行かなくてもよいような治水環境整備が市長の役目である。

図3 人生の課題と問題  地獄界と天上界

 

真のあるべき行政

 真の行政とは、その存在が意識されないような行政である。昔のシナで天子が身を隠して市井の民に今のまつりごとを質問したら、「天子様のまつりごとなど知らない。おれは幸せに暮らしている」と言った。政治の存在が分からないような政治が、真のよき政治なのだ。このことは2000年前のシナの史書に書いてある。現状とあるべき姿の乖離が課題であり、それを解消する役目が行政の責任者の務めである。問題の火が出てから火を消すのは愚者である。賢者は火が出ないようにする。今回の災害に対して、今の大垣市の姿勢を問いたい。現代の政治家の多くは、問題の真因は放置して、しゃしゃり出て自己アピールをする。黙ってやるべき仕事を遂行して欲しい。経営能力のない政治家がやるべきことをせず、トンチンカンな口出しをするから、おかしくなる。そういえば、東京都政もおかしい。

偉人の治水事業

 1966年から1981年まで活躍した故松野幸泰氏が、岐阜県知事、国会議員、大臣を務めていた時には、伊勢湾台風を教訓とした治山・治水等の安全な県・国土づくりを推進させた。当時、大垣市に隣接する安八町を、行政の力で治水工事を完成させて、今まで大雨毎に浸水に泣いていた同地区を水害のない町に変えた。その後、同町の水害は聞かないし、今回の大雨でも無被害である。それでこそ、水を治めるものが国を治める、の鑑である。今の大垣市にはその恵みがない。

図4 大垣市室村町アンダーパス 2017年10月24日撮影

    いつも冠水の注意表示がある。

図5 大垣市木戸町アンダーパス 2017年10月29日撮影

    10月24日冠水無し。冠水の注意表示なし。

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2017年10月29日 (日)

人生の便り

 食が体を作り、縁が人生を創る。食の排泄物が、体の健康状態と食の正悪を現し、運命が出会ったご縁の正悪を示す。

 

食生活の乱れがポリープの原因

 2009年ごろ体調を崩したため、病院で検査を受けたら大腸ポリープが出来ており摘出手術をした。5個のポリープが出来ており、その4個までは良性の腫瘍であったが、そのうち1個が悪性と良性の中間の腫瘍であった。当時、会社の合併後のドタバタで業務上で精神的に追い詰められて最悪の状態であった。食生活も良くなく、その結果として大腸ポリープに罹患したようだ。当時は便通も悪く、排便後に紙で拭いてもなかなか汚れが取れなかった。精神的に追い詰められて一時的に鬱状態にも陥っていた。

 そのままでは将来、大腸がんになるとの恐怖から、生活習慣と食生活を反省して、バランスの良い食事として、野菜が多くし肉食が少なくして、間食を少なくした食生活に変えた。それからは、気持ちのよい便通となった。現在は、便通もよく、紙で拭いてもほとんど汚れがつかない状態である。栄養過多の、野菜の少ない西洋式の食事を多く取れば、便秘、大腸ポリープ、大腸がんになりがちなのも自然の理である。

 

悪縁の穢れが不運の原因

 悪縁に取り巻かれ、それの消化をする羽目になると、人生の行動の成果(排泄物)である運勢が悪くなるのは自然の成り行きである。消化に時間のかかる喰えない輩と付き合うと、その悪縁の穢れをとるのにエネルギーを使い、人生を正しく歩めなくなる。結果として病気や事故との遭遇である。人のご縁の選別には、厳しい人物鑑定が必要である。孟母三遷はその典型の故事である。

 私は「信用金庫」という人物鑑定手法で、人を観察して、これはと思ったら躊躇無く交際を絶つようにしている。お陰で悪縁の人との付き合いを無くすことができた。今まで危ない目にあってきたが、早めに縁を切ってよかったと思う事例が数多くある。

 良き師を探すのも大事であるが、悪縁に捉まらないようにするもの大事な人生を歩む心得である「人生は悪手の山の中を歩いているようなもの」とは将棋名人の米長邦夫氏の言葉である。我が家の家系図を俯瞰して悪縁に捉まって不幸になった親戚が多いのを見て、上記の事例を再確認している。特に嫁がその家を潰した例が多く見受けられるのが哀しい。

「信用金庫」という人物鑑定手法

  自分は財閥□□家の「信用金庫」頭取である。この世で一番価値のある財産は「信用」で、これがたまらなければ、お金もたまらないし運命は拓けない。なおかつ自分の人生目標が実現できない。自分の志は、一人だけでは達成できない。その達成のためにご縁を得る交通手形が「信用」である。

 人が死を目前にしたとき、納得できる人生であったと思えるのは、交友関係の厚さではないか。多くの人が近づいてきて、離れていく。一体何人の人が残るのか。それが生きざまの証である。多くの恵みを多くの人に与えて、数パーセントの人が残る。その数パーセントの人が人生の宝である。その蓄財を決めるのが「信用」である。

 カナダの実業家キングスレイ・ウォード氏は『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(城山三郎訳 新潮社刊1987年)の中で、「ビジネス」を次のように定義した。

 「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

  Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken, damn hard to put back together again to its original form.

   “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

 

ビジネスとは信用

 この「ビジネス」という言葉は、「人間関係」すなわち「信用」の意に置き直される。茶道の「一期一会」にも通ずる言葉である。人との付き合いは大きな財産である、その価値を高めるためには、信用を守ることが最優先だ。そのためには、小さな約束を確実に果たすことが最優先である。なにせ、大きな約束は嫌でも守らざるを得ない。例えば、大金の貸し借りに事故は少ないが、 100円とか1,000円の金の貸し借りでは、とかくルーズになりやすい。この小さなお金が、その人の信用を傷つける。この100円の借金は10万円より大きいと認識することが、人生の信用という蓄財になる。自販機のコーヒ等のため100円を借りるくらいなら、返し忘れを考慮して我慢すべきだ。それより奢ってもらったほうが、よほどスッキリする。小さいことの約束の実行の可否が、大きな約束を果たす練習となる。

 お金に無関係の小さな口約束を守ることが、信用という財産を増やし、その金利を上げる。小さい約束を確実に守ることは、その人の事務処理能力が高いことも示し、信用度の指標として高い相関関係にある。一事が万事である。だから、この小さな口約束をどれだけ実行してくれるかも、私が人を評価する基準の一つにしている。「こんど一緒に飯を食おう・・」等の軽い口約束を守る人は、実に少ない。特に酒の席での約束を重視する人は、皆無に近い。だから、外交辞令まがいの挨拶を乱発し、口だけ調子のいい人とのお付き合いは、避けるべきた。心にもない外交辞令は、「信用金庫」の不渡手形である。不渡りを出すようでは、「信用不安」である。 他人に厳しくする以上は、それ相応に自分自身の言動に厳格さが求められる。この心がけが己の人生を護る。

 

2017-10-29

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子供の未来を食う死鬼衆

若い子のゲーム中毒

 私が大垣市立図書館で、若い子達と席を並べて国家試験のための受験勉強をしていると、目に付くのが若い子のスマホのゲーム中毒症状である。このゲームの魔力が若い子をダメにしている。私は彼らがゲーム蟻地獄に足を取られる姿を見る度に、どうにかせねばと苛立っている。

 若い子が学習室でも勉強中にゲームを始めると、1~3時間くらい連続してゲームに嵌っている。なにせそれを止める親の目はない。親は図書館で勉強していると信じている。愚かな親である。その間、無為な時間が過ぎている。無為ならまだしも、怠惰な心を植え付け、自分を律する心が死鬼衆に喰われている。脳がゲーム脳に浸食される。学生時代の貴重な勉強時間が毎日数時間も侵されれば、確実に学力低下である。そんなレベルの学生を会社は採用しない。まともな就職が出来ず、アルバイトやフリータへの道へ転落である。

 

死鬼衆としてのゲーム会社

 ゲームは非生産的な娯楽である。思考の抵抗力のない若い人を、ゲーム機やゲームソフトでゲーム中毒にさせるのは、麻薬を売るに等しい。若い人の青春が潰れていく。「若い時の命」と言う大事な時間が大出血で失われていく。誰がその血を貪って利益を上げているのか。ゲーム機、ゲームソフトを売るメーカである。血税で運営している学校や図書館がゲーム魔で蝕まれている。

 若い人たちが日本の未来を背負ってくれる。その若人を堕落させ、麻薬同然のゲームで金儲けするのは死の商人であり死鬼衆である。若人が世界の学生に負ければ、日本は沈没である。若いときの1時間の勉強価値は、年老いてからの1時間労働の5倍の価値(私の実感)がある。若いときに勉強しなければ、年収1000万円の課長職の給与が、フリータの給与で一生を過ごさねばならぬ。一生、年収は200万円である。

 

日本の未来の損害

 仮に日本の1学年の全学童の10%が毎日1時間、ゲームに没頭するとだけで、1兆8250億円の日本の損失である。それが6年間も続けば10兆円を超える。それを誰が食べているのか。

 損失金額=1時間×365日×50千円×10%×100万人

     =1兆8250億円/年 (一学年で)

       (時間アワーレートを5倍の50千円で試算)

 

 ソニーが業績回復をゲームで稼ごうと狼煙を上げている。ゲーム業界はゲームソフト開発にしのぎを削る。そんな死鬼衆まがいのビジネスに血道を上げるソニーなんか潰れてしまえ。貧すれば鈍す。若人の生血を吸うビジネスに手を出すソニーに未来は無い。さようなら、僕達のソニー。

 

ゲーム中毒の弊害

 スマホのゲーム利用者は約6割・・・・うち半数が毎日ゲームを起動

  MMD研究所は、「スマートフォンゲームに関する調査(利用実態編)」を実施した。同調査によると、スマートフォン所有者のうち、ゲームを利用したことがある人は61.7%で、そのうちの51.6%がゲームを毎日起動することがわかった。 スマートフォンゲームの1日の平均起動時間は、77.1%が30分未満である一方、10.3%の人は1時間以上であった。 

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 調査期間は、8月8日から8月11日。調査対象はスマートフォンを所有している15歳~59歳の男女566人。(インターネットコム) (2013年8月21日 読売新聞)

 

音楽を聞きながらの学習の弊害

 高校生や大学生が、音楽を聞きながら、学習室で勉強をするのも死鬼衆に犯されている。そういう人達に限って、大きな音を立てても平然としている。本人は音楽を聴いているので、自分が発する迷惑音に気がついていない。世間の声に耳を塞いでいる。音楽を聞きながらでないと勉強できないとは、就職しても音楽がないと仕事が捗らないことで、日本産業界の損失である。これは税金を使って、仕事のできない訓練をするという税金泥棒である。現在、5~10%の学生が学習室で、イヤホンで音楽を聞きながら勉強している。

これを見るとオウム真理教のヘッドギアを思い出す。これでは日本の学生の質が低下するのも故あること。音楽は疲れたときに脳を休めるために聴くならともかく、のべつまくなしに聴くのでは、思考回路が低下する。同じように痴呆的にテレビを見続けるのも、ヘッドギアを装着するのと同じである。

公共の図書館学習室ではスマホのゲーム、ヘッドフォンの音楽は禁止すべきである。

 

2017-10-29

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2017年10月28日 (土)

学問の神様から商店街再生の助言

 2017年10月24日、久留米の真島消化器クリニックで診察を終えた後、太宰府天満宮にお参りに出かけた。現地に15時30分ごろ到着をした。西鉄太宰府駅のすぐ前から、天満宮の門前町が広がっていて、至極便利な場所である。博多からでも電車で35分ほどの距離である。

 平日の夕刻なので、人出が少なくゆっくりお参りできると思ったら、全く想定を裏切られた。外国からの団体の観光客で大混雑なのだ。チャイナ、コリアからの団体客の集団の氾濫である。たぶん、日本ツアーの一環で、当日最後の見学地として天満宮を訪れ、近くで宿泊するのだろう。博多で宿泊しても近い。チャイナ、コリアからはフェリーでも飛行機でも、至極便利な場所にある太宰府天満宮である。

 太宰府駅から門前町を通って天満宮本殿まで、徒歩でゆっくりと歩いて15分ほどで到着した。その間、回りは近隣諸国の外国語の大声で騒々しい。それでも手水の場では、騒々しい近隣諸国人はガイドにその意味を説明されて、おとなしく手を洗っていた。韓国は受験地獄の国である。その為か、その観光客が学問の神様の太宰府天満宮様に合格祈願なのか真剣にお参りをしていたのには感心した。

図1 門前町の混雑

図2 天満宮への道

図3 手水場

図4 天満宮本殿

 

天開稲荷社

 天満宮本殿から500m先に天開稲荷社が位置する。そこまではかなりの上り坂になっているので、外国の観光客の団体も来ないので、静かに参拝が出来て良かった。天開稲荷社のすぐ横の小道を少し上ると、奥の院がある。そこにもお参りをして下山した。

図5 天開稲荷社

図6 天開稲荷社奥の院

 

筆の供養塔

 書道に興味があるので、天開稲荷社にいく道沿いにある筆の供養塔に思わず目が釘付けとなった。流石に学問の神様菅原道真公をお祀りした神社である。菅原道真は書道三聖として崇められ、書道の神様として信仰されている。筆塚は使い終えた自分の筆に感謝して納める場所で、七夕揮毫会の表彰式の日、筆塚祭が斎行される。

図7 筆の供養塔

 

天満宮門前町商店街

 魅力あるお店が軒を並べて盛況である。何処の入ろうかと迷うほどである。お店を選ぶ楽しみも、この種の観光の楽しみである。

 天満宮の参拝の帰りに、御餅屋さんの二階の喫茶室で休憩して太宰府市名物の梅ヶ枝餅と抹茶セットを頂いた。アツアツの梅ヶ枝餅が美味しく、真島消化器クリニックからは禁止されている餡入り御餅を、それもお代わりまでしてしまった。お餅の外側はパリッと香ばしく、内はもっちり、あんこの塩加減が絶妙で、素朴さの中に上品さが感じられた。病みつきになりそうな味である。

図8~11 天満宮門前町商店街のお店

 

学問の神様の声 --- 商店街再生に向けて

 大垣八幡宮の境内にも、天満宮の「支社」(?)として大垣天満宮のお宮が鎮座する。私も毎日、散歩の途中で寄って学問成就をお願いしている。その学問の神様天満宮からのヒントを今回の旅で得た。

 

魅力ある商店街への再生

 大垣駅前商店街の再生は、魅力ある集客力の高い目玉商品の再発見と商店街の魅力を上げれば、可能だと思う。そのヒントが太宰府天満宮の門前街の商店街にあった。大垣市の観光の目玉商品とは、大垣城や奥の細道関係の歴史遺産が豊富ある街である。観光施設までの道中に、門前町のような魅力ある商店街があれば、繁盛して大垣駅前商店街の再生になると思う。今は、入りたくても、そんなしゃれたお店が皆無に近い。現在の大垣駅前商店街のお店は、店舗デザインやショールーム的なセンスに欠けている。そのためお店に入るのも躊躇されるお店も存在する。きちん専門家にデザインをさせて、魅力ある店舗の設計と再構築が必要である。

 

多数の外国観光客を取り逃がし

 現在でも、大垣には外国人観光客が大勢宿泊している。大多数は、関空で降りて観光し、バスで大垣などの中部地区の地方都市の泊まり、翌朝、東京に向けて観光にでかけ、成田・羽田から帰国する。またその反対のコースもあるが、やはり途中の中部の中継地点で宿泊する。大垣を訪れる外人観光客は多いが、大垣市の宣伝が下手なので、大勢が素通りである。大垣市役所は大事なお宝を取り逃がしている。大垣市が運営している元気ハツラツ市みたいなピント外れの客寄せ行事では、客の落とすお金は、すべて市外、県外の業者に流失してしまう。ますます商店街が寂れる一方である。元気ハツラツ市は、納税者の為にならないお役所仕事の典型である。行政の失敗事例の「行政の失敗遺産」として登録をすべき産物である。

 

学問無くして市の発展無し

 学問をしないお役人根性の頭では如何ともしがたい。40年前は頭が良く日本の最高学府を出ても、大学を出てから学ばないから、謙虚さを失い、頭は錆びつき聞く耳さえないオツムのお役人に成り下がる。それでは、市民が被害を受けることになる。もっと目を外に向けて学べと言いたい。豊田佐吉翁曰く「障子を開けて見よ。外は広いぞ」

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2017年10月27日 (金)

大垣十万石まつり 神事と市長の不敬

 2017年10月8日10時より、大垣十万石まつりに先立って、常盤神社にて神事が執り行われた。最初に常盤神社に祀られている戸田公の廟例に祝詞が上げられた。続いて神楽の舞が奉納された。その後、戸田家の現在の当主を筆頭に、市の関係者、常盤神社保存会の幹部の方が、拝礼して榊を神前に奉納した。その後、神社本殿前で、関係者の記念撮影が行われた。

 神事における神楽の舞は、私も初めて見る舞であった。以前に伊勢神宮の神楽殿で、還暦を無事迎えられたお礼として奉納したおり、神楽殿で神楽の舞を拝見した時以来である。大変厳かで、清々しい気持ちになった。

 この神事を撮影して、偶然に写真に写った大垣市長の居眠りをしているような姿に、常盤神社の神様からの啓示を受けた。この小川大垣市長には、大垣市は任せられない、である。

 

図1 神事

図2 雅楽奉納

図3 舞楽の奉納

図4 戸田家当主の拝礼

図5 神事が終わり神主退席

図6 神事の後の記念撮影

   多くの素人カメラマンが高級カメラを構えて撮影していた。

 

常盤神社の歴史

 この神社は、嘉永5年(1852)5月、大垣藩の藩祖戸田一西公250年忌に当たり第九代藩主師正公が、追悼の意を表すために祀廟を大垣城内に創建して、この神霊を祀廟に奉祀して、伊勢神宮より常盤明神の神号を受けた。明治維新の廃藩置県の後、明治6年、八幡神社の境内に遷座再営された。明治24年の濃尾大震災で本殿が倒壊したが、明治35年、藩祖一西公300年忌を記し、社殿を現在置に新築した。大正5年に初代藩主氏鉄公の神霊を合肥して、社格も県社となったが、昭和20年7月29日の米軍B29による大垣空襲で、大垣城と共に焼失した。戦後の昭和25年、復興の気盛り上がり、社殿の再興となった。昭和41年、藩主二代目氏信命から11代氏共まで十柱を合祀することになった。これは大垣市の発展の基は、270年に渉る、戸田家歴代藩主の恩恵によるところが大きいという氏子の要望に基づいている。

 今回の歴史調査で、常盤神社の建立年が、私の生まれ年と同じと知って、大変厳かな気分になった。

 

歴史を語る狛犬

 常盤神社本殿前で、社殿を守っている狛犬の体は、昭和20年7月29日の米軍B29による大垣空襲で、ナパーム弾を浴びて石の色が変色している。この狛犬は、大垣の歴史を語る証人でもある。大垣室村町四丁目地蔵尊が、2015年に「引退」をされたので、大垣市寺内町大悲禅院の谷汲観音菩薩像とこの大正5年生まれの狛犬だけが、大垣空襲を語る数少ない証人になっている。

 

図7 常盤神社

図8、9 狛犬

 

大垣市長の不敬

 この神聖な神事の間、小川大垣市長は居眠りをしているような姿を曝していた。姿勢が不敬である。神事の最中、小川大垣市長が偶然写りこんだ写真53枚中で、2,3枚を除き、後は全て目を閉じて居眠りしているらしき姿である。当方が意図せず、神事の記録写真を撮るためカメラを向けたら、市長の居眠りらしき姿が写り込んでしまった。神意が授けた醜態写真である。この事実は、大垣藩の発展に心魂全霊を捧げ、大垣を深く憂う戸田公の霊の神意であると思う。午後の疲れた時ならともかく、朝10時の十万石まつり最初の神事である。その神事は、戸田公への大垣発展の報恩として執り行われる神事である。大垣市長の体力の限界なのか、神事など関心がないのかは不明であるが、事実として、神様の前で、公衆の面前での居眠りまがいの姿である。多くの市外から来た観光の素人カメラマンも、高価な一眼レフカメラで珍しい神事の様子を熱心に写真に撮っていた。それにも写っているはずだ。大垣の恥さらしである。

 そんな人をトップに頂くのは大垣市の不幸である。舞楽でも、神様に扮した舞人が「コラ、大垣市長、目を覚ませ」と怒っている様な舞であった。市長が目を覚まさないと、大垣市の行政は迷走を深め、衰退の一途である。

 

大垣市の惨状

 この5年間で、大垣市全産業の就業者数は1%減、事業所数は5%減である。大垣駅前商店街は寂れ(61%壊滅状態)、商業都市として大垣の就業人口の7割を占める第三次産業の卸売業、小売業の就業者人口は、この5年間で減る一方である(4%減)。この5年間で負の産業である医療・介護業者の就業人口だけは40%増である。その分、市民の税金の負担が増えている。製造工業の第二次産業の人口は、6%減である。商店街を殺す元気ハツラツ市に、経営の基礎も知らない大垣行政はPDCAを回すこともなく、愚劣TV番組もどき元気ハツラツ市の痴呆的出し物に踊り狂う。元気ハツラツ市の1億2千600万円の会計報告も不明。

 道路行政は職務怠慢、治水工事も62年間も無責任に放置で、大雨になると基幹道路が頻繁に水没して、大垣経済の血道が大渋滞である。それなのに、大垣市長は何も手を打たない。個人の生活の姿勢が、顕著に現れるのがトイレの清掃状態である。大垣市内のトイレの汚さは著名都市の中では天下一である。そこに行政の質の劣化が見える。その昔、「教育の大垣」「博士の大垣」と言われた街に、子供窃盗団が横行している。市内の書店がその被害で赤字に陥っている。子供は悪いことをしたとの自覚が薄く、むしろ自慢さえしている。学校の先生は警察に、窃盗を働いた子供の貰い下げに奔走している。その親は知らんふりである。

 一方で、大垣新市庁舎だけが立派になるようだ。大企業でも、本社ビルが立派になると、衰退の危機があるというジンクスがある。この状態に大垣の守護神の戸田公の神霊様も心配をしておられる。大垣市民が、この非常事態に気が付いていないのが問題である。今回の事象が神様からの啓示である。

 

図10 大垣市長の居眠りらしき姿

   頭上の戸田公が騎馬姿でお怒りである。

図11 市長の居眠りらしき姿に怒る神様の代理舞人

   「市長、目を覚ませ!」

図12 大垣市長の居眠りらしき姿

   神様「もう知らん、勝手に寝てろ」

図13 大垣市長の居眠りらしき姿

図14 大垣市長の居眠りらしき姿

図15 拝礼の順番待ちの間にも堂々の居眠りみたいな姿

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2017-10-27

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2017年10月26日 (木)

連絡 カテゴリー「s-佛像彫刻」を追加

カテゴリー「s-佛像彫刻・大佛師松本明慶」を追加します。

sは彫刻(Sculpture)の略です。

2017-10-26 小田 泰仙

上野で運慶の佛に出会う

 今日、2017年10月26日、上野の東京国立博物館で開催中の「運慶展」に行ってきた。現存する運慶作と伝わる31体の佛像の内、22体を展示するという史上最大規模の運慶展である。現地に12時30分に着いて、18時に大垣の自宅に帰着した。それからひと休みをしてこの原稿を書いている。

 

入場前の行列

 「運慶展」では、土日は混むとの予想であったので、平日の今日、余裕を持って出かけたが、上野駅に着いてその予想が裏切られた。上野駅構内にチケット売り場があり、会場の待ち時間が40分との掲示があった。そのチケット売り場でも、約70名の行列である。現地のチケット売り場で買うと大変だと思い、列に並んで入場券を入手した。窓口で切符を入手するまでに、20分を要した。東京国立博物館の現地に着くと現地のチケット売り場は、30名ほどの行列で、上野駅とどちらで買った方が良かったのか、疑問を感じた。それでも東京国立博物館のゲートを通り、行列の最後尾に並ぶと、30分待ちとの看板表示であった。やはり行くなら、朝一番で行った方が良いようだ。朝一番でも30分待ちの行列との情報である。

 

鑑賞の渋滞

 上野駅に到着して小一時間ほどしてやっと入館できたが、それからがまた大変であった。どこにこんな暇人やアホが大勢いたかと(私もその一人)、老いも若きも老若男女が大混雑である。第一会場で17体ほどの運慶作の佛像が展示されていた。その佛像の前から、人が動かない。皆さんは佛像にくぎ付けのように立ち止まって凝視している。後で計算したら、1体の佛像に3~5分間ほどの時間をかけて、そろそろとすり足で歩いて佛像を一周して鑑賞している。見ては、立ち止まり、そろそろと凝視しながら移動している。それほどに素晴らしい作品ばかりであった。よく飽きもせず凝視し続けていると呆れた(私も人のことは言えない)。今回の展示方法が素晴らしいのは、佛像が全方向から鑑賞できるように後ろ側にも回れるように展示されている。また展示ケースのない仏像は至近距離1メータから拝顔できる。ケースに入った仏像は至近距離50センチから鑑賞できる。いままでこんなに近くで鑑賞できる展示会はなかった。それは素晴らしい展示方法であった。

 第一会場と第二会場で運慶作22体、その父、子孫の作品等で約70体の仏像をしっかり鑑賞して、所要時間は1時間40分ほど。40分ほどで鑑賞できると思っていたが、すっかり予想が外れてしまった。疲れはしたが、心地よい疲労感のある鑑賞であった。

 

運慶願経

 想定外の展示は、展示の最初に国宝「運慶願経(法華経巻第八)」の巻物が展示されていたこと。巻物に書かれた写経で、とても美しい書体である。運慶がこんな素晴らしい書を揮毫するとは知らなかった。治承4年(1180)、平重衡の軍勢が放った火により東大寺、興福寺の主要伽藍が焼失した。運慶は幼少から両寺院の仏像、伽藍に親しんでいたはずで、当時の信仰心厚い運慶の胸を引き裂いた事件だったはず。運慶は焼け残った東大寺大仏殿の木を軸にして法華経八巻の書写をして仏像造りの成就を発願した。紙は工人に沐浴精進させて作らせ、水は比叡山横川、園城寺、清水寺から霊水を取り寄せて墨をすった。巻第八の奥書に快慶をはじめ結縁した同僚の仏師の名前がある。写経を1行書くごとに三拝三礼して、仏像造りの成就祈願の写経である。平安時代・寿永2年(1183)、運慶がまだ20歳代の時の写経である。字体を見て馬場恵峰師の書体を思い浮かべた。それほどの達筆の写経である。よきものを見せて頂いた。

 

なぜ、人は仏像を眺めるのか

 現代は宗教離れがいわれて、無宗教者が横行しているようだが、この会場では、そんな話が嘘のようである。皆さんがじっと佛様の顔を凝視している。その佛像の顔も、端正な阿弥陀仏のお顔もあれば、荒々し不動明王、四天王、邪鬼の顔もある。端正な静かな姿の観音様もあれば、躍動感あふれる四天王の姿もある。童子の仏の生き生きとした表情の佛様も見える。多様な表情の僧侶の姿もある。その多くの佛像の中に、己の姿を見る。己の中には佛も住めば、鬼も住む。時には憤怒の怒りも覚えて社会を睨むこともある己である。その姿を見ると鏡を見るようで安らぐのかもしれない。自分でも何故、仏像を見るのか、まだ答えが見いだせていない。

 

図1 上野駅構内のチケット売り場の行列 12時09分

図2 東京国立博物館で行列最後尾    12時39分

図3 入門直前の列           12時43分

 

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2017-10-26

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年10月25日 (水)

連絡 大垣関係のカテゴリー名変更

大垣関係のカテゴリー名の頭に「o-」を付けて検索しやすくしました。

   o-四季の路

  o-大垣の文教

  o-大垣まつり

  o-大垣を良くする階

2017-10-25  久志能幾研究所 小田泰仙 

経営のカスの視える化と治療

病気の精密検査と治療

 2017年10月24日、日帰りで4か月毎の定期検診のため、久留米市の真島消化器クリニックに出かけた。その後、帰路の飛行機の時間までに余裕があったので太宰府天満宮にお参りをしてから帰宅した。天満宮参拝の話は、門前町の賑わいぶりに感心したので、第二報で報告する。

 4か月前の診察では、2017年4月の10日間のウィーン訪問での洋食のためか、血管に溜まったカス(プラーク)の改善が芳しくなかった。今回は、その後、それを反省して精進を重ね、その結果を楽しみに出かけた。その精進の甲斐があってか、血管プラークの症状はかなり改善された。2週間前の名古屋市立大学病院での目の網膜静脈閉塞症の診察でも、その症状がかなり改善された結果を得た。

 

図1 私の血管内にたまったプラーク層の改善

 1年前から改善。2017年10月24日 真島消化器クリニックにて

 プラークの厚み1.74mm →1.59mm→ 1.33mm

 放置すると高血圧が進み脳梗塞、心筋梗塞、ガン等を誘発する。

 

根本治療

 この病気の治療は基本的に食事療法である。糖分、油分を避けて野菜を豊富にした和食を摂る食事療法である。糖分や油分、ファーストフードなどの質の悪い食物が血管内にプラークを堆積させる。それが高血圧、脳梗塞、心筋梗塞、ガン等を誘発する。薬を飲んでの対処療法ではダメなのだ。真因を突き止め、治療として医食同源で、食事と生活スタイルを変えないと病気は治らない。その前に、現状把握として、自分の血管の状況がどうなっているかの検査が必要である。私は、4か月毎に真島消化器クリニックでプラークの厚みを検査してもらっている。大垣から久留米までの旅費は高額であるが、死病に罹ってから、「金は幾らでも出すから助けてくれ」と医師に泣きつくことを思えば安いもの。死んでもいい(?)が、健康は自分の手で守らなければ駄目である。生死は神仏の管轄範囲、健康は自分の管理項目である。

 

人生経営と持てる経営資源

 人生とは、一定量のご縁(人)、お金、寿命(時間)、情報という経営の資源「ヒト・モノ・金・情報」をいかに効率的に組み合わせて使って、どれだけの付加価値を後世に残すかである。どんなに資源を持ち過ぎても、人の寿命という時間制限があるので、余分な資源は無駄になるだけである。人の寿命もその範囲は10年20年程である。その値も人の長い歴史から言えば、誤差範囲である。どれだけ資源を集めても、持っていても、あの世には持って行けない。所詮、その資源は、人生仮想コインの利用回数券でしかない。使えなければビットコインも紙屑である。その人生仮想コインも、健康という使う為の道具を大事にしないと、賞味期限切れになってしまう。情報も頭に入れる量には限度がある。携帯の番号11桁が覚えられない人間様のオツムで、入れる量は知れている。どんなものでも一定量を超えると暴力になる。道でも流す車やモノが多すぎると大渋滞になる。水路でも、流す水が多すぎれば氾濫する。

 

人の病気と組織の病気は同じ

 組織でも、新陳代謝がなく大垣市のように17年間もの長期政権では、組織内に腐敗物が溜まり、組織が腐ってくる恐れがある。停滞すれば腐臭が漂う。長期になれば組織は硬直化して癒着も起きやすい。人の血管で例えれば、甘いもの、油分、人工の添加物を多くとれば、血管内部にプラークとして蓄積して、高血圧、脳梗塞、心筋梗塞、ガン等を誘発する。同じように組織でも、美味しい仕事や脂ぎった仕事で、甘い汁を吸い極楽を味わうとすると、物事が停滞して腐敗、汚職、市民無視、ヒラメ症状、お役人根性丸出しの症状になってしまう恐れがある。長期政権で癒着が横行しやすい環境になっている恐れもある。長がイエスマンのヒラメに取り囲まれて、頭を使わないからボケてきたのかもしれない。

 

大垣市都市構造の病気

 大垣市の都市構造でも、人間の組織構造と同じで、健康管理・設備管理を怠ると病気にもなる。老化した道路網を放置すると、渋滞が発生する。都市の病気である。体が弱るように、大垣市が衰退する。大垣駅前通り商店街のように。道路の排水設備を定期的に更新しないと、都市の大動脈の基幹道路で冠水、水没する事態となり、大垣市の経済血路の道路がマヒする。脳梗塞・心筋梗塞と同じである。この事象は全て、大垣市の行政の怠慢による人災である。 

図2 冠水した大垣市室村町アンダーパス(地下道)

昭和30年(1955)の建設以来62年間、設備更新を放置した結果である。

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2017-10-25

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