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2017年12月

2017年12月31日 (日)

「大垣市中心市街地活性化基本計画」の絵空事

 この計画書(平成27年~33年)は、大垣市長が新市庁舎建設を正当化するための言い訳書であると思われる。この計画書の裏から透けて見える大垣市長の本音は、新市庁舎建設を建て、そこに座りたい、である。中心市街地活性化などは、どうでもいいのだ。お役人が、大名屋敷のような豪華な新市庁舎に居座りたいがため、予算を消化するため。鉛筆を舐めなめ作った「お作文」の計画書である。

 この計画書を念頭に今まで大垣市活性化政策を進めた結果、小川敏市政17年間で、大垣市は36%衰退した。商店街は消滅し続け、このままの傾向が続けば、あと20年弱で大垣市の駅前商店街は消滅する(年率2.6%の衰退速度)。下記のデータは平成11年から24年の13年間の変化であるので、実質的に半減近くに衰退したと言ってもよい。新市庁舎建設だけは計画通り、オリンピック工事で資材が高騰のおりにも関わらず、着々と進んでいる。以下は平成11年から平成24年のデータ(大垣市公表データ)。小川敏氏は大垣市長に平成13年より就任。それから急激に衰退が始まった。大垣市衰退の責任を取って欲しい。

 

大垣市の惨状  (平成11年 → 平成24年)

駅前商店街の店舗数  560店 → 361店    36%減

駅前商店街の従業員数 2,440人 → 1,901人  23%減

駅前商店街の売上   34,656 → 18,048千円  48%減

駅前商店街の売場面積  59,108 → 37,819 m2 36%減

空き店舗数      44 → 36店(嘘)

           「かくれ空き店舗」が集計に入っていない。

           現在、シャッターを下ろしたお店61%

公示地価の下落   152千円 → 135千円   12%下落

 高屋町1丁目53番地(平成21年~平成26年)資料岐阜県(p14)

             

駅前商店街の商店主へのアンケート調査では5年前に比べて

 顧客数が増えた   3.7%

 顧客数が減った  60.2%

 売上が増えた    3.7%   

 売上が減った   63.0%

 市民の買い物調査では、中心地に買い物に行く頻度が増加したのは36.5%である。つまり残り63.5%は、中心部に買い物に行かなくなった。

(p17~19、36)

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「中心市街地の変化」の欺瞞

 「にぎわいが創出された」とあるが、結果は上記のように惨憺たる没落の結果である。それの反省が全くない。その没落の原因の大きな要素が「元気ハツラツ市」の開催である。それに対してPDCAが回っていない。市の行政の経営者として失格である。

 通行量は目標達成とあるが、目標項目自体が、詐欺まがいである。それよりも経済効果で、どれだけ、売り上げが増え、税収が増えたかを目標値とすべきある。

 

目指す中心市街地像

 「歩いて楽しめるともに住みやすい便利な「大垣らしい」魅力と」あるが、大垣駅前商店街のお店が壊滅状態で、さらにシャッターを下ろす店も増える一方で、立ち寄る店もなく、トイレは日本一汚いし、商店街が寂れて、高齢者の買い物難民が氾濫しているのに、「便利な」とは詐欺まがいのいい草である。地元が潤わない「元気ハツラツ市」では、市の中心部が車の乗り入れ禁止で、買いものにも来られない。市の市街地中心地の住民が買い物をするのは3割である。他の7割はそれ以外から来訪するが、「元気ハツラツ市」では市街地中心部が車の乗り入れ禁止で、売り上げが落ちて、便利とはかけ離れた状態である。それによって中心市街地に大渋滞も巻き起こしている。市役所はそんなことは知ったことではないのだ。大垣市中心市街を寂れさせる愚行は、大垣市長の確信犯なのだ。

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「にぎわいの創出」のまやかし

 元気ハツラツ市で、商店主の63%が、売上減少とアンケートで答えているのに、その問題点の解消のためのPDCAを回さず、強引に「元気ハツラツ市」を7年間も強行して、だれかうまい汁でも吸っているのかと疑ってしまう。「元気ハツラツ市」で大垣への来訪者が増えても、地元の商店街に潤わず、外部の露天商や下請け芸能プロダクションだけが儲かるのでは、市街地の活性化にならない。その会計報告もなく、不正が疑われる。

 休日の歩行者・自転車通行量が目標値に達したと誇っているが、それより市街地の活性化の指標なら、商店街の売上、税収の増加を指標にすべきである。「中心市街地活性化基本計画書」で、「各商店の売上向上を図る」と明記しているのだから、その売り上げの増加比率を目標値にすべきである。それなら誰が見ても疑問の余地がない。今は、いくらでも誤魔化しができる目標項目を掲げているので、疑惑だらけある。

 売上高増加比率のほうが経済性で数値が明確である。それが、なぜ通行量が目標値なのか。通行量が増えても売り上げ増に寄与するわけではない。これは詭弁の目標値である。

 

新市庁舎建設が市街地の活性化の疑問

 またなぜ、新市庁舎建設が市街地の活性化になるのか。私も多くの市を訪れたことがあるが、いまだかって市庁舎を観光のため見に行ったことはない。市庁舎は仕事をする場所で、観光施設ではない。これは詭弁の計画である。

 

広場整備事業

 駅前広場の周りにお店が消滅した状態で、誰が広場に集まるのか。商店街を無くしてマンションを建てても、肝心のぶらつくべき商店街が無くなっていれば、お笑いである。駅前の再開発ビルにマンションを買った人も、ビル前のヤナゲン店の食料品売り場のB館が取り壊されて、その利便性が無くなってしまった。住民はその利便性でマンションを買ったのに、詐欺に合ったようなものである。

 

「まちなか住居の推進」のまやかし

 街全体で賑わいを「創出」しても、賑わいで大垣市を訪れる人がお金を落としてくれなければ、それは大垣経済の活性化にはつながらない。街中の住居の推進をするとその分、商店街が減ってしまい、大垣市の活性化の逆の効果となる。 駅前にマンションと予備校が林立し始めたら、それはその街の衰退の始まりを象徴する」は、世の常識である。市長に世の常識は通用しない。

 

 目標値で空き店舗の減少とあるが、現実に61%のお店がシャッターを下ろしている状態で、数値がねつ造されている。駅前の通りだけでも68軒がシャッターを下ろしている(2017年9月)。多分に「かくれ空き店舗」が集計に入っていない。お店によっては週に1度しか開店していないお店もあるという。現実は、お昼の稼ぎ時に閉めている飲食店も多い。この「大垣市中心市街地活性化基本計画書」が、いかにいい加減かが、よくわかる。

 

「空き店舗の減少」のウソ

 空き店舗は増加中である。それを胡麻化している。かくれ空き店舗が増大中である。現実に大垣駅前商店街だけで138軒中で68軒の61%が、シャッターを下ろしている(2017年9月現在)。

 

「まちゼミ」の愚策

 「まちゼミ」をして、だれが喜ぶのか。実務を知らないお役人が書いて絵空事である。「まちゼミ」への参加総人員256名で、どれだけ売り上げが増えるのか。現在の残存店舗数71店舗で割れば、1店舗あたり3.6名が参加の「まちゼミ」で、成功裏に終わったと自画自賛の解説がある。それで、どうして売り上げが増えないのか。何故大垣市が衰退し続けているのか。そんな方策で商店街が活性化すると信じているのか。計画自体が、「絵にかいた餅」が明白である。「まちゼミ」開催には大垣市民の税金が投入されている。顧客は魅力ある商品・店舗を求めているが、現実は大垣市長の愚策のため魅力ある店舗が皆無に近くなった。顧客は、中心街の印象についてのアンケートで、12項目中の最下位の項目で「魅力ある商品・店舗」として4.3%の回答しかない。それだけ商店街に魅力がないのだ(p37)。

 

「p37」等の数値は、「大垣市中心市街地活性化基本計画」(全153頁)の掲載ベージである。

 

添付資料 活性化基本計画 181.pdfをダウンロード  

 

2017-12-31

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年12月30日 (土)

トヨタのDNA

 長野県茅野市の蓼科山聖光寺は、トヨタ自動車が交通安全祈願と事故で亡くなられた人の供養、負傷者の早期回復祈願のために建てられたお寺である。毎年恒例の七月の夏季大祭が執り行われ、2017年は7月17日に交通事故者慰霊萬燈供養、18日に交通安全夏季大法要が執り行われ、トヨタ自動車の豊田章一郎名誉会長、内山田会長、豊田章男社長をはじめ関係役員とトヨタ自動車販売店協会などから多数の方々が出席された。協豊会からは信元会長と各地区の代表副会長が出席し、会員の皆様の交通安全を祈願した。詳細は下記、協豊会HPを参照ください。

http://www.kyohokai.gr.jp/whats_new/%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%AE%89%E5%85%A8%E3%82%92%E7%A5%88%E9%A1%98-3/2017/

 

 この大祭の行事は、他の自動車メーカではあまり聞いたことの無い。これは豊田佐吉翁が、トヨタ自動車の創業者の豊田喜一郎氏に、「俺は織機で御国に尽くした。お前は自動車で御国に尽くせ」との遺言と豊田綱領に「神仏に尊崇報恩感謝」と記したように神仏への敬いの心の現われである。豊田佐吉翁の頭には金儲けではなく、報国の精神があり、結果として事業が成功したのであって、金儲けがうまかったから、成功したのではないと思う。

 トヨタ中興の祖と言われる石田退三氏は、交通事故死者が1万人を超えていた交通戦争と言われた時代、会社の執務室に観音様(お地蔵様かも)の像を置き、毎日、犠牲者を悼み交通安全を祈念していたという伝聞がある。

Photo

  聖光寺  2014718日  協豊会ホームページより

豊田綱領 (豊田の5つの精神)

 1.上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし

 1.研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし

 1.華美を戒め質実剛健たるべし

 1.温情友愛の精神を発揮し家庭的美風を作興すべし

 1.神仏を尊崇報恩感謝の生活を為すべし

 昭和10年10月30日、豊田佐吉の6周忌にあたって、全従業員が整列した佐吉翁の胸像まえで、佐吉翁の信任が厚かった取締役支配人・岡本藤次郎が朗読・発表(試作車を完成させ、国産自動車生産の目処がたった時)

 

 社是に「神仏を尊崇報恩感謝の生活を為すべし」とはなかなか書けない言葉である。その精神がトヨタのDNA中に流れているようだ。目には見えないご先祖や神仏を大事に精神が今のトヨタを創ったと思う。

 

欧米企業の会社理念

 欧米の企業の会社理念(社是)には、神仏への感謝、ご先祖、お国へのご恩返しの思想はないようだ。あくまで個人主義の延長で、会社として会社主義の極まりが多い。それの行き着く先が成果主義、グローバル経済主義で、結果として富の偏在、格差の拡大ではないか。

 

日本の自動車メーカの社是

 日本の主要な自動車メーカの社是を比べてみると、日産とマツダの社是にはミッションという言葉がある。日本企業の社是とは違和感がある。共に欧米の企業に乗っ取られた会社である。それが故、欧米の価値観が社是に表れている。

 ミッション(mission)とは、ラテン語のmittere(ミッテレ。送る、つかわす)から派生した語であり、人や人のグループに与えられた、特に遠方の地へ行き果たすべき役割、使命、任務である。イエス・キリストが弟子たちに与えた、遠方へ行き福音を広く人々に伝えるという使命には、強い目的意識、強い使命感等の意味がある(自分を超えた何かによって宣告されるように感じられる)。だからミッションと聞くと殉教者的な犠牲を強いられるイメージがあり、日本の風土に合わないと思う。リストラ後の日産を辞めた社員の言動を見ていて、つくづくとそれを感じる。それで会社として成果が上がるとは思えない。けっかとして創業90年後にルノーに乗っ取られた。その挙句、2017年に拝金主義に起因すると思われる検査員の不正事件を起こしている。その記者会見の場に、ゴーン会長は姿を見せない。誰がそんな拝金主義、成果主義オンリーの風土を作ったのか。

 

社是の位置づけ

 社是とは社員の目指すべき行動規範で、自分達に夢に実現のため会社としてやるべき規範である。「是」とは正しいこと、つまり会社として正しい道を示した行動規範である。神仏を敬いご先祖を祭り、自主的に仕事に仕えて社会に奉仕をする。結果として会社の業績が向上し自分達にも返ってくる行動と、神からの強制で社会に奉仕をする行動とを比較すると、その差がお墓つくりに重ね合わせて見ると興味深い。

 トヨタ以外の3つの会社の社是では感謝というメッセージが感じられない。「私達が偉いから車という最高の製造物を君たちに作ってやってあげるのだ」との上から視線が伝わってくる。

 日産のビジョン&ミッションは、提供、寄与、プログラム開発とか何か他人事である。過去の遺産を食い潰して、結果としてトヨタより儲かっていない日産の社長が10億円という報酬を得ているのは日本人として違和感がある。強欲の極みで格差社会の象徴のように感じる。

 

日産のビジョン&ミッション

 ミッション

  「未来への投資」

 未来を志向する人々が、“どのような社会に生きたいか”を実験し、体験し、思索する機会を提供する

 目標

  ミッションを実行することにより、社会的価値の創造に寄与する

 活動方針

  ・多様性を促進するプログラムを開発する

  ・社員の社会参加を促進するプログラムを開発する

 

マツダの社是

 Vision(企業目標)

  新しい価値を創造し、最高のクルマとサービスにより、お客様に喜びと感動を与え続けます。

 Mission(役割と責任)

  私たちは情熱と誇りとスピードを持ち、積極的にお客様の声を聞き、期待を上回る創意に富んだ商品とサービスを提供します。

 Value(マツダが生み出す価値)

  私たちは誠実さ、顧客志向、創造力、効率的で迅速な行動を大切にし、意欲的な社員とチームワークを尊重します。環境と安全と社会に対して積極的に取り組みます。そして、マツダにつながる人々に大きな喜びを提供します。

 

ホンダの社是

 基本理念

  人間尊重   自立、平等、信頼

  三つの喜び   買う喜び、売る喜び、創る喜び

 社是

  わたしたちは、地球的視野に立ち、世界中の顧客の満足のために、質の高い商品を適正な価格で供給することに全力を尽くす。

 運営方針

 ・常に夢と若さを保つこと。

 ・理論とアイディアと時間を尊重すること。

 ・仕事を愛しコミュニケーションを大切にすること。

 ・調和のとれた仕事の流れを つくり上げること。

 ・不断の研究と努力を忘れないこと。

 

日本国憲法が、日本国民、日本政府の行動を縛るように、会社社是は、会社の行動を決める。社是を見れば、その会社が分かる。

 

2017-12-30

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2017年12月29日 (金)

豊田佐吉翁のご縁

 江戸時代の鎖国から開国への転換は、井伊直弼公の決断に起因する。それがもとで桜田門外の変(1960)が起きて、井伊直弼公は暗殺される。私のご祖先は桜田門外の変のとき、武士ではないが、その大名行列の中にいた。

 時代は幕末の騒動を経て、明治維新(1868)を迎える。開国して西洋の文化が入ってきて心をときめかせた若者が、三河の片田舎の豊田佐吉である。スマイルズ著『自助論』に啓発され、母が内職で夜遅くまで手織りの織機に苦労をしている姿に発奮し、母を助けようと自動で機織機の矢を動かす発明に没頭した。それが豊田式自動織機の始まりである。彼は1890年(明治23年)11月11日、豊田式木製人力織機を発明して、特許申請をした。彼は、その後、豊田式織機株式会社を設立して、成功者となった。後年、その特許を英国に売却したお金で、トヨタ自動車が生まれる。

 『自助論』は、300人以上の欧米人の成功談を集めた成功哲学書である。本書は、佐吉の歴史も知らず、訳者竹内均氏の生き方に感銘を受けて、竹内氏の訳本だからと読んだ本である。本書は「桜田門外の変」の前年1859年に刊行された。そして明治になり開国で豊田佐吉が手にする縁が生じた。その100年後、自分もその本を手にした。

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産業技術記念館の見学

 2001年から8年間、私は会社で技術者教育に携わり、新人・中堅技術者の教育の一環として、産業技術記念館の見学を引率した。トヨタグループの産業技術記念館は、豊田佐吉が明治44年に自動織機の研究開発のために創設した試験工場の場所と建物を利用して建設された。ここは展示機械の全てが動く状態で展示されている世界最大の動態博物館である。

 最初に、豊田佐吉翁の伝記ビデオを鑑賞してから、豊田式自動織機の実演や、自動車の部品を製造する工程や自動車を組み立てる工程を見学した。実際に鍛造のプレスマシンで、素材から製品が出来上がるのを目の前で見せられて、若手技術者は興味深々であった。

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 豊田式自動織機の実演に見入る中堅技術者

3img_2584  鍛造工程の実演

拝金主義、成果主義の弊害

 下図は新会社の新入社員を引率して、産業技術記念館を見学した時の写真。これが若手の成長を祈念した最後の引率研修となった「余分な事は教えるな。技術だけを教えればよい」という成果主義に染まった上司と教育方針が合わず、ある理不尽な事件を機に、私は閑職に飛ばされた。教育の成果は10年後であるが、拝金主義者の目は、そこまで見ていない。

 私の後任の担当者は教育には全く熱意がなく、この見学教育講座は立ち消えとなってしまった。なにせこの講座を実施しても、自分の業務成果として貢献しないので、成果主義に染まった会社では、誰もやる人がいなくなってしまった。この見学研修は、バスを仕立てて遠方からの見学出張となるので、教育担当者には手間がかかるので嫌がるのである。同じトヨタグループがこの種の教育を若手技術者にしているのにと、歯がゆい思いで私は会社を去った。金儲けオンリーの成果主義者には、10年後の若人の成長など、知ったことではないのだ。自分の時代に成果が上がればよいのだ。

 2009年から2010年にかけてトヨタが、米国で言いがかりのクレーム(「トヨタ・バッシング」)に苦しめられている時、豊田章男社長が、米国通商省の長官と娘さんをこの産業技術記念館に案内して面目を取り戻したというエピソードもある。

(この一連の騒動は、2011年2月8日、急加速問題の原因調査をしていた米運輸省・米運輸省高速道路交通安全局による最終報告で、トヨタ車に器械的な不具合はあったものの、電子制御装置に欠陥はなく、急発進事故のほとんどが運転手のミスとして発表された)。

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2017-12-29

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トヨタ自動車とのご縁

 そのトヨタ自動車が今あるのは、明治時代初期に豊田佐吉翁が自動織機の発明に没頭し、豊田式自動織機の特許をイギリスに売却した資金で、新事業への展開したことにある。豊田佐吉翁は、トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎氏に、「俺は織機で御国に尽くした。お前は自動車で御国に尽くせ」と言い残した。企業・産業を起こすものは、志が必要である。単なる金儲けが目的では、目指す次元に差がでる。御国(公共)に尽くすためには、材料、設計、工作機械、生産技術の全てを自前で国産化しないと、当初の理念が達成できないとの考えから、車作り、人作り、会社のしくみ作りを始めている。そこに今のトヨタの礎がある。

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   トヨタ初の純国産乗用車トヨダAA型(1936年)のモックアップ

   産業技術記念館にて

モノづくりの原点

 国の産業の発展を目的に全て自分達の手で開発したことから、トヨタ生産方式、カンバン方式、現地現物といった日本のモノづくりの原点、手法が生まれてきた。実際に手を汚し、苦労をしないとモノつくりの技は手に入らない。設計図から生産設備まで買ってきて、金儲けのために日本で生産を始めた日産からは、そんな開発の苦労話から生まれたノウハウの伝承は聞こえてこない。

 豊田喜一郎氏は米国のフォード工場に視察に行った時、切削油タンク中の切りくずを確認するため、ピカピカのスーツ姿のまま、ワイシャツやスーツが汚れるのも厭わず、その汚れた廃油の中に手を突っ込み、切りくずを取り出しハンカチに包んで持ち帰ったという。欧米の経営者なら絶対にしないことだ。

 

企業DNAの影響

 企業DNAの影響の恐ろしさは、50年後、100年後に影響する。トヨタ初の純国産乗用車トヨダAA型(1936年)と日産初の乗用車ダットサン12型(1933年)の外観をトヨタと日産の二つの初代乗用車を並べてみると、技術は未熟ながら純日本文化の繊細な造りこみをしたトヨタ車と、欧米式のがさつな日産の車つくりの差が一目瞭然である。(著作権の関係でその写真が掲載できないので、両車の車の形は、画像検索でネットにて確認ください。)

 日産からは検査員の不祥事とか、成果主義での葛藤の生臭い話が多いが、不思議とトヨタからはそんな話がない。持っている企業DNAの差のような気がする。

 

VOLVOのDNA

 下図は私が1985年のVOLVO出張時に、VOLVO担当者から贈られたVOLVO車模型。右はVOLVO初代の車。角ばった1927年のデザインは、その後のVOLVO車を象徴する。会社のDNAは遺伝する証だ。左の車は、私が開発した研削盤で研削するクランクシャフトを搭載したVOLVO740。100年経ってもその企業DNAは脈々と受け継がれている。だだボルボがチャイナの資本に吸収されたのは悲しい現実である。理念だけあっても算盤勘定がないと生きていけない。

Volov

 自分はどんなDNAを子孫に残すのか。それが日々の生きざまで問われている。子孫は己の後ろ姿を見ている。

 

2017-12-29

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2017年12月28日 (木)

児玉家墓所にお参り

 松居石材商店の店主さんの案内で、彦根市の長久寺にある児玉一造氏(東洋綿花株式会社(トーメンを経て豊田通商と合併)の創設者)のお墓にお参りをした(2015年7月2日)。そこには豊田佐吉翁の長女、愛子さんも分骨されて眠られておられる。児玉一造氏の弟の利三郎氏は、愛子さんの娘婿である。豊田利三郎氏は豊田自動織機製作所の社長(初代)とトヨタ自動車工業の社長(初代)を務めた。

 児玉一造氏のお墓は先祖代々のお墓として建立されている。墓石は六甲の御影町の本御影石(現在採掘禁止)で、立派な造りの墓所である。

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 豊田家家系図

 

豊田家とのご縁

 約42年前に、5代目社長の豊田英二氏(当時社長か会長)が、センチュリーではなく、カリーナEDで自ら運転してここにお参りに来られた。その後、多賀町の石田退三氏のお墓にお参りに行かれた。当時、私も入社後の10年目にして始めて車を購入し、それがカリーナであったことを思い出した。私は、豊田英二氏(当時会長)とは直接の会話はできる立場ではなかったが、仕事の関係で至近距離にてお目にかかったことがある。

 今回のお墓造りの過程で、北尾家の叔母の父の木下重兵衛氏(豊田紡織専務)が、石田退三氏からたいへん可愛がられたとの話を聞いた。また叔母の夫の父の和田善次郎氏が豊田英二氏を教えた間柄であり、豊田英二氏がお通夜に弔問に和田家を訪問したとのこと。それを見て、お寺さんが急遽、お経代を2倍に値上げしたとかで、ぼやかれていた。叔母は石田退三氏の自宅(刈谷市)のに連れて行かれたこともあり、豊田章男氏(現トヨタの社長)の幼少の頃の姿を見たことがあるとのこと。

 

二宮尊徳翁のご縁

 もう一つの話しが、二宮尊徳翁とのご縁である。北尾家の叔母の夫君の母の在所が、下館で油問屋を営んでおり、その家の離れに二宮尊徳翁が半年間暮らしたとの話を今回聞いた。世間のご縁は不思議な繋がりを持つことを知った。

エピソード

  松居石材商店の店主の案内で、彦根長久寺にお参りをしたら、ここは皿屋敷のお菊さんのお墓があるお寺だと言う。驚いてネットで調べたら、下記の情報が得られた。

 

長久寺・お菊の墓   (滋賀県彦根市後三条)

 あのお菊さんの幽霊が出るという「皿屋敷」伝説は、全国で約50箇所ほどあるらしい。その中の1つが彦根に残されている。しかも、問題の“お皿”まで保存されているというから、驚きである。

 彦根藩の譜代藩士である孕石(ハラミイシ)家の嫡男・政之進と、そこへ奉公する足軽の娘・お菊は相思相愛の仲であった。ところが、政之進には亡くなった親が取り決めた許嫁がいた。しかもお菊と政之進とでは身分が違いすぎる。そこで思い余ったお菊は、孕石家の家宝である、藩主拝領の10枚組の皿の1枚を割ってしまう。家宝の皿を割ることで、家か自分かどちらが大事なのかを確かめたかったのである。政之進は最初、お菊の過ちであると思い、その罪を許した。だが、割ったのが 自分の本心を知るための手段であるとわかった政之進は、残り9枚の皿を刀の柄で叩き割り、お菊を手討ちにした。そして自らも仏門に入り、お菊の冥福を祈ったという。

 上の伝説を読んで、違和感を覚えた人もいるかもしれない。“お菊”という名前の女性と“皿を割る”という行動、そして“奉公していた女性を手討ちにする”ことだけが共通点で、後は全く通説とは違う話なのである。

 この話であるが、実にディテールが詳細であり、却って本物の「皿屋敷」伝説の方が陳腐なものに感じるほどである。実際に彦根藩には孕石家が存在し(しかもかなり上級の家柄)、政之進の代で本家は断絶し、跡を継いだ分家が今も続いているらしい。また長久寺の 無縁墓の中にはお菊さんの墓が存在している(本来は長久寺の末寺にあったのだが、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、現在この地に安置されている)。そして何と言っても、この悲劇の元になった皿が存在するのである。

 現存する皿は全部で6枚。話によると、残っているはずの3枚は展示会などで貸し出している最中になくなってしまったとのこと。由来としては、関ヶ原の合戦の時に藩主井伊直政が徳川家康から拝領し、大阪の陣で孕石家の当主が褒美で頂いたことになっている。時代的なものを考えると、相当立派な作りの皿であるこ とがわかる。

 さらにこの寺には、お菊さんの供養のために、藩主正室以下、江戸屋敷にいた女性292名の名を連ねた寄進帳が存在する。かなり身分の低い者のために、これだけの人数の者が供養のための記帳をするのは、きわめて珍しい。言い換えれば、それだけの手厚い供養が必要な“事態”があった証拠ではないかと推測できる物件なのである。

お菊の皿は、 長久寺に保管されているが、通常は非公開。予約をすれば拝観可とのこと。

http://www.japanmystery.com/siga/chokyuji.html

 

 この世は、どこまでいっても男女のドラマがある。ご先祖を思えば、どこかで踏みとどまれるのにと思う。何か為す時に、ご先祖様に手を合わせれば、間違った道へ進むのを止めていただける。

 

2017-12-28

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2017年12月27日 (水)

墓標から見える指導者の人徳(改題)

石田退三氏の墓所参拝

 作成した自家の家系図を眺めるほどに、ご先祖に不幸が多いことが気になり、2015年7月7日、ご先祖供養として総諷経を長松院で上げていただいた。その日の午後、松居店主の案内で多賀町(彦根市の隣町)の石田家の墓所を参拝した。石田家の墓は1尺2寸の竿石の大きさで立派な佇まいである。華美ではなく品のある厳かなお墓であった。三河の牛岩石を使い、威風堂々としたお墓であった。この時、松居店主が気づいたのが、石田退三氏の法名であった「豊光院釈精進」とあり、「豊田を光らせた釈迦のような精進をした者」と表現された法名である。お釈迦様の最期の言葉が「精進せよ」であった。法名はその人の生前の威徳を偲ぶ名前である。トヨタの大番頭と呼ばれた石田退三氏に相応しい法名である。

 

石田退三氏の人柄

 「石田退三氏はきわめて腰が低く、私どものような人間にも対等にお話をして頂いた」と先代の松居店主が回顧されている。6代目の現松居店主は、直接に石田退三氏と話したことはないが、奥様やその子孫の皆さんとお話をする機会が多くあり、その人たちも偉ぶらず誰とでも対等のお話をされるという。やはり石田退三氏の後姿が、家風として奥様や子孫に伝わっているようだ。

 腰が低くても、トヨタの大番頭として、やるべきことをやるべきときに決断をして、トヨタを大きく成長させた。その前提として徹底した節約で金を貯め、トヨタの戦後の危機を乗り切り、貯めた金を設備投資に回した。児玉一造氏から薫陶を受けたDNAがあったからだ。

 「自分の城は自分で守れ」が信条であった。私の前職の会社も一時期、左前になって親会社のトヨタに援助を仰いだら、「自分の城は自分で守れ」とのありがたいお言葉だけの援助を頂いた。確かに自助努力をしないのでは、企業は生き残れない。単なる金の援助だけでは、一時しのぎの援助となり逆効果である。

 松下幸之助翁は、石田退三氏を師と仰ぎ、松下電器の役員はたびたび石田氏のところに行って話を聞くのが通例となっていた。

 

エピソード

 以下、先代の松居店主が石田退三氏から直接聞いた話である。石田退三氏がまだ児玉商店に奉公をされていた頃、児玉一造氏の家に豊田喜一郎氏が訪ねてきた。その時、児玉氏は外出しており、いつ帰るか不明であった。石田退三氏が喜一郎氏に「上に上がってお待ち下さい」と何度言っても、豊田喜一郎氏はじっと土間でかなりの時間、待っていたという。豊田喜一郎氏は児玉一造氏に、自動車造りのために資金の援助をお願いに来たのだ。帰ってきた児玉一造氏は、豊田喜一郎氏から話を聞き、細かい取り決め無しで資金を用立てたという。それを見て石田退三氏は、児玉さんが豊田さんに対して全幅の信頼を持っておられる姿に感動されたという。その後、石田退三氏は児玉一造氏の薫陶を受けて、経営手腕が磨かれた。それがトヨタが倒産の危機に瀕した時、そのトヨタを再興するために、それが役立ったようだ。後年、石田退三氏は児玉氏から言い含められてトヨタに経営を助けるために派遣された。本人はトヨタなどには行きたくなかった(?)とかいう噂もある。それでも石田退三氏は、児玉氏が全幅の信頼を寄せていた豊田喜一郎氏に誠心誠意、尽くしてトヨタを大きくした。それで今のトヨタがある。

 児玉一造氏を師と崇めていた石田退三氏は、お墓も児玉家墓所のデザインを踏襲して、少し小さいサイズのお墓を建てた。それが、私が参拝したお墓である。

 

近江絹糸の因縁

 それと対照的なのが彦根で繊維会社を創業した夏川嘉久治社長である。近江絹糸(後のオーミケンシ)は1917年に滋賀県彦根市で創業された。私の父が勤めた会社である。その夏川嘉久治社長は、いかにも大企業の社長であるような態度で業者に対応したという伝聞がある。謙虚さが無く、驕りで頭が高ったのだ。その会社は3代続かなかった。子孫は彦根を離れ、近畿に住まいを移して、そのお墓もお参りがされてないようで、荒れていた。いくら立派なお墓でも、手入れがされていないとお墓も荒れる。住まいを遠方に移すとは、そのご先祖のお墓も置いて去るということである。墓参りも疎かになりがちである。諸行無常を夏川さんのお墓を見て感じた。

 同じ時代に生きた石田退三氏と夏川嘉久治社長の因果が興味深い対照を見せる。トヨタは世界的な企業に成長し株価8,116円であるのに、その近江絹糸の株価が74円の会社に没落した現状は、鮮やかな対比である(株価は2015年7月7日現在)。それがお墓の現状の姿に冷酷に投影されている。我が家の家系図での歴史に照らして、考えさせられる因果応報である。

 繊維業界の環境が激変したのは事実であるが、東レや帝人のように炭素繊維や医療品分野等の最先端技術で、現在でも世界に羽ばたいている会社も存在する。すべてトップの人徳と先見性と指導力次第である。 

 私の家族の生活を支え、育ててくれたオーミケンシにはご恩を感じるが故に、その夏川社長の会社経営としての顛末に忸怩たる思いがある。

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 壊される直前のオーミケンシ大垣工場 2010年

3img_2918   家族と父の定年まで過ごした社宅・大井壮 2010年

  壊される直前の姿

墓石の品質の差

 石田家のお墓は昭和37年に建立されている。傷みも無く立派な佇まいのままである。それに比較して昭和38年に建立した我が家のお墓の石(並松(なんまつ))に、綻びが目立つことに思い至った。石田家の墓石は三河の牛岩石で、今は稀少石材になってしまい、1尺2寸もの大きな竿石の石材は枯渇して入手不能という。あっても小さい材料しか手に入らない。高いものにはワケがある。それを石田家のお墓が53年の年月で実証した。高価で高品質と安価で低品質の石の差は、年月が明らかにする。

 

ダーウィンの法則

 強いもの(企業)が生き延びるのではない。いかに素早く環境に適応したものだけが生き延びる(ダーウィン)。それには組織を指導するリーダが、謙虚に素直にものごとや時代の流れを見極めて経営判断をしないと、没落・滅亡である。一人の指導者の如何で組織は繁栄もするし、滅亡もする。組織のリーダの配下には、多くの部下、従業員、家族がぶら下がっている。それに責任があるリーダの頭が高くては、判断に誤りが出る。

 

大垣市の墓標

 今の小川敏大垣市長には、頭が高く人の話を聞かないという噂がある。それが遠因で小川敏市長の行政17年で、大垣市は衰退し、大垣駅前商店街の61%がシャッターを下ろしたという現実がある。下した商店のシャッターとは、大垣商店主達の墓標である。大垣市商店街の墓標である。シャッターには、商店に伝わる歴史がある。シャッターを下ろすとは、その商店の死である。

 大垣市を久しぶりに訪れる人が「大垣はずいぶん寂れたね」という声をよく聞く。すべて小川敏大垣市長の愚政が原因である。なにせ最高学府を出たという意識があるようで、人の話を聞かない。大垣の活性化には逆の効果となる政策ばかりに17年間も執着して、経営の基本のPDCAを市の経営で回さず、滅亡に向かって盲進している。先を見る眼が無く、100年先の計画も無く、目先のカンフル剤のようなイベントばかりに力を注ぐ。その挙句が、ドローン墜落人身事故である。頭は良くても経済音痴である。大垣が衰退するのも故あること。

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  大垣駅前商店街のシャッター通り

  お昼時の商店街で誰も歩いていない。2017‎年‎9‎月‎8‎日(木)‏‎14:03 

1201709221  大垣駅前商店街 赤はシャッターを下ろしたお店  2017年9月現在  

2017-12-27

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2017年12月26日 (火)

伊勢神宮に「前詣」

 2017年12月26日、伊勢神宮への初詣ではなく、初詣前の年末に恒例の「前詣」としてお参りをしてきた。初詣では、人出が多く過ぎて落ち着いて参拝ができないので、いつも年末にお参りしている。神様は365日、24時間営業です。何も神様がてんてこ舞いの忙しい三が日に出向くより、農閑期ではないが、「神閑期」に出向いてお参りをすることを私は旨としている。神様の身になって考えよう。今日は、天気も穏やかでよき参拝日和である。人出もそこそこで、落ち着いてお参りが出来た。例年、いつも見かけるチャイナ人の騒々しい集団もおらず、穏やかな参拝風景であった。

 

御垣内特別参拝

 御垣内に入る前に特別参拝として神主からお祓いを受けて、神主に先導されて、玉石を踏みしめながら、神殿に向かった。神殿前では、特別参拝として一人で御垣内の神殿に向かって、今年の達成できた出版事業へのお礼と来年度の決意を申告してきた。神様の前ではお願いを祈ってはいけません。お礼だけです。

 

有難い

 今日、無事お参りできたことが、幸せで有難い事象である。お参りしたくても、そのお参りができなき人も身近にいる。その当たり前が、如何に有難いかが自分では分からないのだ。友人が手術を受けて、今年は伊勢神宮にお参りできない現実を比較として目の前に突きつけられて、また己の腰痛で歩くのに決して楽しくはない現実に直面して、お参りできることが有難いと分かるのだ。人は失ってみないとその有難さが見えない。「無事」の有難さに感謝。今日無事でも、明日は分からない人生である。あと30年間もお伊勢参りができるわけでもあるまい。せめて今日一日を大事に生きたいと思う。

 

特別参宮章

 例年は特別参拝の人が多く、2,3人の組で並んで参拝であるが、今日は珍しく前後に並んだ人がいなくて、一人で参拝ができて嬉しかった。伊勢神宮の式年遷宮での造営資金へ寄進をすると「特別参宮章」が贈られる。これがあると御簾が垂れ下がった御垣内の神殿前で、神主に案内をされて参拝ができる。服装は背広・ネクタイのフォーマルな服装が必要である。

1p1040153  五十鈴川駅

2p1040157  伊勢神宮内宮宇治橋 2017年12月26日10:58

3p1040159  五十鈴川

4p1040160  正宮の手前の参道

5p1040161  正宮 これより先は撮影禁止

6p1040162  伊勢神宮内宮宇治橋

7p1050005

 馬場恵峰書「今日無事」

 

2017-12-26

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2017年12月25日 (月)

人生の原点復帰

 自分は何処から来て、何のために生きて、何処に行くのか、それが分からないと人生で迷いの世界に入り込む。人生の不動の原点とは、ご先祖様のお墓である。お墓は、改建等で場所が移動することもあるが、原則的には不動である。それが今回のお墓作りと20年間の研削盤開発設計の経験から得た結論である。何時かはご先祖と一緒にお墓に入る自分である。それが分かればこの世の覚悟ができる。その墓がない人生とは、はかない人生である。人生の岐路に立ち向かったとき、ご先祖のお墓の前で手を合わせると、心が落ち着き、迷いの無い決断が下せるのにはワケがある。ご先祖様が背中を押してくだっている。

 

研削盤と人生

 私は円筒研削盤設計開発に20年間従事した。研削盤とは、砥石を高速で回転させその切れ刃で、主軸の取り付けられた工作物を回転させながら工作物を真円に加工する工作機械である。いまになって、研削盤での加工とは人生の縮図であるとの思いに至った。

 砥石は自分自身である。工作物は自分のやるべき仕事である。工作機械のベッドは己の社会的基盤である。研削液は社会との潤滑剤としての社交性である。土台がしっかりしていないと、わずかな振動や事件に揺れてビビリの原因となる。それは自分の基盤も工作機械のベッドも同じである。

 砥石が固定金具で偏荷重なく正確に固定されていないと、高速回転中に砥石割れの事故を起こす。人間がきちんとした自立心がなく育つと自殺や事故に会うのによく似ている。

 

人生の剛性

 自分の人生も研削盤も、仕事への体制は、こなす仕事や加工物への計算上のモデルとして、バネで支えられた剛体として例えられる。支えるバネが弱いと、加工する反力に負けて、効率的に加工ができない。自分を支える思想や体力がないと大きな仕事に対処できないと同じである。

 

振れ止め

 剛性の小さな工作物(例:クランクシャフト)を加工する場合は、加工する砥石の反対方向に、振れ止めという装置で支えをする。そうしないと工作物が撓んで、精密に加工ができない。人生で捉えどころがない対象物に取り組む場合は、目に見えない社会のご援助を頂いて取り組むから成功する。それは己の人徳とご先祖の力がなせる業である。

Photo  研削加工の数学モデル図

 

潤滑剤

 いくら切れ味のよい砥石で研削しても研削液がないと焼けの原因となる。いくら頭が良くて頭が切れても、世の中を渡る潤滑剤としての社交性を持たないため、世の中に受け入れられない輩が多いのも現実である。

 砥石で加工すると表面が荒れて磨耗するので毎回、ドレス(目立て)をしなければならない。その度ごとに砥石は小さくなっていく。自分の体を消耗させ寿命を短くしながら人間社会で仕事をしていく己の姿である。

 

自分の位置検出

 砥石が磨耗すると、砥石が工作物と接する最先端の位置が分からなくなる。遮二無二働いて、何のために働いているか自分を見失うとき、自分の位置づけが分からなくなると、仕事への真摯な対応が出来なくなる。同じように、加工する砥石最前端位置が分からないと正確な寸法に工作物を仕上げることができない。砥石自体は砥粒とボンドと気泡でできた石の結合材である。まるで人の心のように掴み所のない存在である。そのままではとても鉄を削れない。鈍角を持つ砥粒が高速で回転すると、鋭角の刃物のように鉄を削ることができる。心が志を持つと社会を動かす力があるのに似ている。

 その砥石の表面は高速で回転しているので、直接には砥石寸法を測れない。そのためAE(アコーステックエミッション)センサーを用いてその位置を検出する。センサーが砥石と当たり破断する音を感知して間接的に位置を割り出すのである。人間も仕事や試練との遭遇で、自分の対応や結果で、自分の心の成長を悟り、その社会的位置を確認するのと全く同じである。

 

原点復帰

 砥石の直径が分かり、砥石の最先端位置が分かって、砥石台がどの位置にあるかが不明である。そのために機械原点を設けて、加工をする前に原点復帰をして自分の位置を確認して、あるべき位置まで前進して研削加工を始めることが出来る。それが原点復帰である。時としてCPUが暴走して機械位置が分からなくなることがある。迷ったら原点復帰が必要なのは、機械も人間も同じである。

 今日は12月25日、クリスマスでキリスト様が生まれた日。キリスト様の原点は天国です。キリスト様は天国に生まれて、天国に帰って行かれた。この世で2000年にわたって人々の心に残る大きな仕事をされた。宗派の違いは、単に国の文化の違いである。どの宗教もその教えの本質は同じである。少しでも世のためになる仕事を残して旅立ちたいもの。

Photo_2  馬場恵峰書

たまたま、今回が第500通目の記事となりました。感謝。

2017-12-25

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2017年12月24日 (日)

「五十尺竿頭進一歩感写経軸」出版案内

 表記の写真集『五十尺竿頭進一歩感写経軸』(50m写経巻物)を2017年12月24日に出版しました。購入を希望される方は、メールにて申し込みください。

 価格 3,000円 白黒印刷(表紙のみカラー)

 A4 横  全71頁

 送料360円

 

 本書は、2016年12月8日、卒寿記念恵峰写経書展での作品を集めて『報恩道書写行集』を出版したが、その写真集を編集する段階で、50m写経巻物の一部を掲載した。

 当初、三冊目の出版書籍は、「奥の細道」の予定でしたが、やはり卒寿記念として「50m写経巻物」も出版しておかねば片手落ちだと考え、急遽、予定を変更して出版に至りました。多量に売れる本ではないので、部数を限定しての出版です。

 馬場恵峰師に、「なぜ写経をするのか」と尋ねたことがある。その答えは「写経が一番のご先祖供養になる」であった。写経の一字一字に佛が宿る。そう思って筆を走らせる。それがご先祖供養である。今回、『報恩道書写行集』と『五十尺竿頭進一歩感写経軸』をセットで仏壇に供えてご先祖に出版を報告した。出版できるのも、命があってのこと。感謝である。合掌。

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 50m巻物を広げる恵峰師

 

2017-12-24

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Wolliクリスマスコンサート

 2017年12月24日、大垣のオカサンホテルのレストラン「へれんけらあ」にて、「ウォリのピアノ弾き語りクリスマスコンサート」に出かけ撮影をした。ウォリは、クラシックコンサート企画の小出さんのご子息である。彼女が、来年1月13日、ドレスデンフィルハーモニー弦楽三重奏団を大垣に招聘する段取りをされている。そのご縁で、今回の撮影を依頼された。

 レストラン「へれんけらあ」は、知的障がい者の就労を支援しており、料理のプロや主婦が「日替わりシェフ」となって、知的障がい者の方と一緒に活躍している。また大垣特別支援学校の生徒さんの実習の場となっている。この演奏会は、チャリティコンサートとしてオカサンホテルの岡田正昭社長が企画をされた。

 今回は、いつものアコースティックピアノではなく、今回初めて、キーボード演奏の弾き語りのビデオ撮影と写真撮影を経験した。演奏者、会場の状態、聴衆の違い等でやはり違った分野の演奏では学ぶことが多かった。

 クラシック音楽会では、演奏者はほとんど喋らないが、ピアノ弾き語りでは、走者のお話しが楽しい雰囲気を醸し出してくれる。クリスマスにちなんだ曲の演奏と弾き語りである。

14k8a8949  ウォリと岡田正昭社長の挨拶

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声という楽器

 まずピアノ弾き語りでは、最大の楽器は、「声」である。体自体が楽器であるので、それを表現するための楽器の表面(顔)の表情が千差万別であることを発見した。その声を出す時、ウォリは感情をこめて歌っているときは、目をつぶっているときが多く、これがカメラマン泣かせであった。今回は、瞳にピントが合う「瞳センサー」を持ったSONYα9で撮影した。それが目をつぶられては、「瞳センサー」泣かせである。それでも目を開けた時の顔には、暗い会場の最後部席からの撮影でもドンピシャで、瞳にピントが合い、最新技術の素晴らしさを確認した。

 またピアノ弾き語りでは、声が最大の楽器であるので、顔の前に常に黒いマイクがかぶって、それもカメラマン泣かせであった。マイクが顔の被らない瞬間を狙って撮影のタイミングを取ることになった。演奏会場が広ければ、最適な撮影場所を探せるが、こじんまりとした会場の為、撮影位置も制限されてしまった。

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老女の演奏妨害

 演奏中に遅れて入ってきて老女が、身に付けた鈴を鳴らしながら、隣の席に着いたので怒れてしまった。それもそのすぐ後に、演奏途中なのに席を立って、鈴を鳴らしながらビデオ画面の前面を無神経に横切って出て行ったので怒り心頭である。演奏中の出入りはマナー違反である。

 最近は、「自分だけが幸せになりますように」とお守りで鈴を身に付ける人が多い。それが演奏会や図書館等で、静かな環境であるべき場所で無神経に音を立てるので他人迷惑なのだ。鈴の音を出す本人は、その音に常時接しているので不感症になり、音を出すことに無頓着になっている。先週、聴いた宗次ホールでは、開演前直前に係員が、携帯電話と鈴の音の注意をしていて、気配りに感心をした。音楽会に参加するマナーとして、鈴を外して参加することを常識にして欲しい。最近はどこに行っても、チリンチリンと気に障る音が多い。それだけ隣人に配慮の無い人が増えたのだ。静かなことが誇りの日本文化を破壊しないで欲しい。

 

人生を見渡す心眼の狭窄症

 私は会場の最後列席の右端でビデオとカメラ撮影をした。私の前の右側と左側に通路を空けて椅子を並べた。ところが、その老女が右側からわざわざビデオとカメラの前を横切って私の横に来て座った。それも演奏が始まって撮影中のことである。座る前に全体を良く見れば、ビデオと私のカメラが目につくはずなのだが。左側から着席すれば、その邪魔にならないのが明白なのに、である。

 夏の夜、部屋にいた虫が何度も窓に突進して、外に出ようとする光景を見ることがある。少し横にずれれば、窓が開いているのでそこから外に出られるのに、わざわざそれを無視するが如く、閉じた窓ガラスに何回も突進してぶつかっている。それと老女の愚行が重なって見えた。人生で、障害にぶつかっても、少し冷静に後ろに下がって眺めれば、その障害を通過する解決手段は、すぐ横に存在するのに、我々は自身の考えに固執して愚行を繰り返すことが多い。反面教師として、老女に手を合わせた。あのように愚かに歳は取りたくないもの。

 

2017-12-24

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