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2017年12月

2017年12月23日 (土)

いろはにほへと

 お墓を作る過程で、2014年に家系図を作成した。その家系図上を俯瞰すると、華々しい人生模様を形作るツワモノどもも、いつしか香も色も消え、全て墓石に記録を留める様は、勝者必滅を示す如きである。自分の人生を振り返り、青春を謳歌し体力に任せて無理を重ねた時もある。若い時には夢多き青春を謳歌したのに、何時しか時も過ぎ、体のあちこちに不具合を感じる頃になって、平家物語の祇園精舎の鐘の声や弘法大師の作と言われる「いろは歌」が自分に迫ってくる。

 

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、紗羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。(『平家物語』)

 自分の肉体と心を持つ自分自身は、自分のものではない。沸様の預かり物と思うこの頃である。いつかは沸様の彼岸に返さねばならない。自分を含めて全ての一族は沸心一体として家系図を彩る様こそが、沸のなせる技である。自分は小さな存在であるが、この世で出来ることを夢見て過ごすことが、夢見ず無為に過ごす人よりも人らしい生き方であると思う。その夢が破れて涅槃に逝っても、夢見た証があれば、その後を追う子孫が生まれてくる。ご先祖が何時かは歩いた道を、生まれ変わった自分が歩いている。

 

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静

 三法印の「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」とは仏教のあるべき姿を現した標語である。「いろは歌」はそれを踏まえた歌として詠まれている。佛と自分が一体となってこそ人の人生である。

 

いろは歌

 色は匂へど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ

 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔いもせず

 無常なこの世の中を今まで歩いてきた。誰一人永遠の繁栄を遂げた人はいない。「今」まさに越えにくい深山に入ろうとしている(有為とは佛語で、直接間接の諸条件、即ち因と縁の和合によって作られている恒常でないもの)。軽薄な夢などは見ず、正気になって涅槃に逝く覚悟である。浮世の幸不幸や貧富の差は夢の如し。有為ではなく無為(因縁によって作られたものではなく、常住絶対の真実である悟り)の世界に向って歩くことが修行である。それが身沸一体の境地となる。今の世を夢と思わずに大きな夢を見つつ、その実現に向けて、一歩一歩絶えまず人生の旅を精進したい。

 

いろは歌とのご縁

 私が「いろは歌」の意味を知ったのは、高野山伝燈大阿闍梨中村公隆著『いのち耀いて生きる』を読んだ2014年7月(64歳)の時である。これも今川順夫氏が中村公隆師の米寿のお祝い会に招かれ、その時の中村公隆師贈呈の御本を私に贈って頂いたのがご縁である。その本を読み、他の著書も手に入れて得た知識である。今川順夫氏とのご縁がなければ、出会わないご縁であった。

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Photo  馬場恵峰書 2012年

24k8a0759  馬場恵峰書『百尺巻頭書作選集』より(久志能幾研究所刊)

2017-12-23

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年12月22日 (金)

大垣市の衰退の兆(3/5)・治水怠慢

 大垣市の行政を観察すると、政治の根幹の治水を放棄して市政100年の宴に熱中しているようだ。天災は忘れたころにやってくる。組織図に見る危機管理体制の欠落、室村町アンダーパス水没事故顛末、大垣駅前地下道の長期閉鎖の恥等での大垣市行政の治水の軽視は目を覆うばかりである。

 水を治める者は国を治めるという。昔から政治を預かるものの務めとして、河川の整備が最大の仕事であった。それができなければ、国は洪水に悩まされ、干ばつに苦しめられ、飢饉になり、年貢は徴収できず、民衆が領土から逃げ出し、国が亡びる。

 現代では、経済の水路である道路行政が治められなければ、経済活動が衰退して、企業はその都市から逃げ出す。

 

1.治水は火葬場の下?

 本来、大垣市の治水に責任を負うべき部署は、大垣市行政機構図(平成29年4月1日現在)を見ても、組織上で火葬場管理の下に置かれている。行政の根幹の治水を総合的に監査する部署は、組織の上位にあるべきだ。大垣市にはその部署がない。大垣市は市民の安全管理部署が火葬場管理部署の下にあるから、事故が起きたら、葬儀は迅速に執り行いますとのブラックユーモアである。

 大垣市の組織では、市民全体の命と安全を取り仕切るの「生活安全部」がなく、日常生活を見る「生活環境部」の一部署の生活安全課しかない。またその部署の位置付けが、かがやきライフ推進部、上石津や墨俣の一地区の下なのだ。組織図の作成で、論理構成欠落で、重要性の優先順位が理解されていない。テクニカルライティングでは、重要な事項から書く。組織図でも同じである。

 大垣市行政機構図を見ても、大垣市民の安全を統括管理すると思われる組織が、末端の組織の中に「生活環境部 生活安全課(防災政策、防災安全、交通安全、公共交通、駐車場、消防防犯)」があるだけである。これは治水に関する部署の重要性が低いとの意思表示である。「(防災政策、防災安全、交通安全、公共交通、駐車場、消防防犯)」の文字も一番小さいフォントで印刷されており、まるで読んで欲しくないとの意思表示のようである。

 

新市庁舎建設が市民安全よりも、16段階も大事

 組織図上で、生活安全課の記載された16階も上部に、「庁舎建設推進室」の部署が記載されている。大垣市行政機構図に、大垣市長の市民に対する思惑が透けて見える。市長が治水をなおざりにして新市庁舎に熱を上げるのは、政権の末期症状なのだ。組織図で見る限り、大垣市長は、治水には重きを置いていない。それよりも新市庁舎建設が大事なのだ。

1p1030854  大垣新市庁舎完成予想図

2.室村町アンダーパス水没事故での本音露見

 2017年11月1日付『広報おおがき』では、10月24日の台風被害での室村町アンダーパスの水没事件の原因が、建設以来62年間も水没に対する対策を放置した行政怠慢を反省せず、今後の再発防止策も報道していない。それが、大垣市が積極的な水防活動をしたとして、大垣行政の怠慢が美談に化けていた。適正な事前の防災対策があれば、こんな活動は不要である。記事では単に、市長と国会議員が視察をして防災に力を入れているポーズを見せているだけである。

 広報誌には「市として、今後その再発防止として治水対策に何をするか」が未記載である。まるでひとごとの様な記事である。過去62年間、大雨が降れば、室村町アンダーパスと林町アンダーパスの水没は頻繁である。大谷川周辺の浸水対策工事も必要なのに、それを放置して、大垣市長は後追いの視察をしたと大威張りである。まるで某国の将軍様の視察報道である。自己宣伝には忙しいが、対策には頭が回らない。浸水の不手際よりも、「ロボフェス大垣2017」の広報で忙しい『広報おおがき』である。その天罰が、そのロボフェス大垣2017」での人命軽視で起きた「ドローン墜落人身事故」なのだ。正に「天網恢恢疎にして漏らさず」で、神仏はよく見ている。天罰である。

 不手際の恥の上塗りで、当日の朝の通勤時ラッシュ時の水没現場には、交通整理の下請け業者は手配をしたが、当事者の担当市職員は誰もいなかった。それが大垣市と大垣市長の本音を露骨に表している。天も呆れ果てて、「ドローン墜落人身事故」を下したのだろう。

 『広報おおがき』が市民に対する情報伝達である以上、市民に対して付加価値がある情報でないと、広報紙の無駄使いである。読む方にも時間と人件費というお金がかかっている。情報とは、「情けの報せ」なのだ。

2scan0165   広報おおがき

3.室村町アンダーパス水没事故の原因

 噂によると、室村町アンダーパスの水没事故は、水門側に設置したセンサーが増水を検知できず、ポンプが動かなかったようだ。センサーの確認が、増水した状態にならないと確認できないシステムであったという。非常時の事前確認ができない「安普請」の構成になっていた。かなり値切っため、業者が相応の設備にしたようだ。出すべきところのカネを掛けないケチの体質が、今回の事故である。業者との癒着にも考えが及んでしまう。17年間の長期政権に胡坐をかいた咎としか思えない。仏様からの天罰であろう。

 

4.大垣駅前地下道の長期閉鎖の恥

 2017年10月24日の台風22号被害で、大垣駅前高屋町交差点の地下道の配線が浸水でダメになり、封鎖となった。それが2か月も経った12月22日現在も封鎖で、開通の目途さえ立っていないようだ。看板を見ると来年の春まで修理ができないようだ。この近辺は、低い土地で大雨が降れば、浸水するのは長年の常識である。それが分かっていて、浸水したら配線関係がダメになる設備を施行した。ダメになっても、すぐ修理・交換できるような設計になっていないのだ。いかに手抜をした設計であるかが明白である。多分一番安い入札で、決めたのだろう。利権や癒着があったかもしれない。必要な機能を無視して、安いだけの工事をするから、このような恥さらしの事態となる。水害への危機意識が全くない大垣市政である。

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 大垣駅前高屋町交差点の地下道

 

大垣の治水課題 

 室村町アンダーパスから僅か西630m距離の木戸町アンダーパスは、今回の大雨でも水没はしなかった。それは大雨に対して適正に排水設計がされているからだ。既存の大垣市経済活動の基幹道路にあるアンダーパス(室村町と林町)に同様な改修工事もせず、「節約」と称して何も手を打たないのは、市長として市民に対する裏切り行為である。新市庁舎に大金を投じて建設するより、大雨が降るといつも冠水する地区の治水工事が緊急課題である。それが理解できなければ水の都の大垣市の市長の資格はない。時間がなかったのではない。時間は62年間もあった。「平成29年度 大垣市予算主要事業一覧表」を見ても、「国道・県道の整備促進」の項目でも本件の改善予算の項目はない。

 それはまるで下記2000年前のシナの居酒屋火事の故事の如く、消火活動に当たった人だけを褒めて、火事の危険を事前に指摘した人を無視した愚かさである。今の市長は2000年前の故事に出てくるシナの居酒屋主人にも劣る。

 

真の恩人はだれか

 昔のシナのある国でのお話し。ある国で居酒屋を経営していた店主に、客の老仙がそのお店の囲炉裏の傍に火事になる危険性がある状況を指摘して注意を喚起した。しかしその店主は、「分かった分かった」と言ってそれを無視して商売を続けた。あるとき指摘通りに火事が起こり、その場にいた客が大騒ぎをして火を消し止めた。店主はそれに感激してその客に過分なるお礼をしたという。その危険性を教えた老仙には礼一つ言わなかったという。

 

真の対策とは

 火事が起きたら火を消す対策ではなく、火事が起こらないような体制にする。大雨が出ても水没、冠水、浸水しないような対策をするのが真の対策である。

 人生の師は、我々が歩む道先での事故を耳にタコができるほど繰り返し忠告して正しい道を示してくれる。本当に礼をすべき人は、自分のことを心配して、口が酸っぱくなるほどに諫言をしてくれた師なのだ。昔も今も人間の本質は変わっていない。諫言に耳を塞ぐのは誰か。今の大垣市長は頭が高く、人の話や諫言を聞かない、と言う噂がある。事実がどうかは不明だが、そういう噂を立てられること自体が不名誉で、不徳である。大垣市の不幸である。

 

地獄界と極楽界を現世から観る

 政治とは、そのまま放置すると庶民が地獄に堕ちる世界を極楽に導く手段である。極楽のあるべき姿と現状の乖離を無くする仕事が行政である。無為に過ごせば水害や災害にあいやすい西濃地区を、災害の心配のない生活環境を実現するのが行政の責任である。昔から三大河川が頻繁に氾濫する西濃地区は、輪中という堤防で自分達の村を守ってきた歴史がある。災害に強い国作りと産業の衰退を防ぎ、新しい産業の誘致・振興を援助する役目が行政である。災害が起きたらそれを修復するのは、単なる対処療法である。火事が起きたら消火をする、発熱に解熱剤を飲むのと同じである。根本原因は何も解決していない。その前に対策を打つのが知恵ある行政マンである。アンダーパスが冠水したから通行止めにする、消防団が出て警戒する、では未来の解決策にはならない。それは後追いの対処療法である。大雨が降れば被害が出ることが明白なのに、市長がしゃしゃり出て視察をして、防災をやっていますとの誇示するのでは恥である。消防団が出て警戒しなくてもよい環境、市長が視察に行かなくてもよいような治水環境整備が市長の役目である。

 今の大垣市長には、来年の市政100年の宴に頭が一杯で、足元の市民の安全には気が回らない。

5img_63911  馬場恵峰書

2017-12-22

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志天王とは

 「欲」とは、生あるものが「谷」に蹴落とされても「欠」けないものである。最大なる欲が生存欲である。宇宙にも沸様にも欲がある。宇宙にも理にそった順法という欲がある。人間の理念が作り出した佛様にも人を救いたいという欲がある。欲のなくなったとき、それは無機質なものに変わり、死を迎える。

 人として欲がある以上は、できるだけ大きな欲を持ちたいと思う。金儲け、性欲、食欲、権力欲、名誉欲などの小さな欲ではなく、人類に貢献するような大きな欲を持ちたいもの。その大きな欲こそが「志」である。その志が夢を作る。志なき人は、単に生存欲のみの畜生の存在でしかない。

 

欲箭清浄句

「欲箭清浄句」と「般若理趣経」にある。宇宙を生かし、宇宙を生み出してきたほどの大きな欲を持って生きよと説かれる。薄汚れた小さな欲ではなく、世の中を良くしていこう、充実して生きようという大欲を持てという。そうすれば自ずと清浄になっていくはずだと。

 

経済

 「経済」はもともと仏教用語であり、「経」とは全ての人が助かる真理を束ねた紐のことである。「済」とは「救う」ことである。つまり「経済」とは世の中の人を救うために沸が行う活動である。経済観念の無き、企業経営は戯れである。理念なき金儲け活動は畜生の餌漁りである。

 

志天王

 志天王とは、人が誰でも持っている沸性である。それの存在に気がつくかどうかだけの問題である。佛はどこにもいない、己の内におわします。誰でも志天王になる素質を持つ。「志を持って世に尽くせ」と佛が背中を押す。右手に「志」を掲げ、左手に「ソロバン」を持ち、背中に「我慢」を背負って歩むのが菩薩行である。

 

図2 馬場恵峰書「般若理趣経」 

師は三歳で死別した母のために、77歳、祥月命日供養として写経をされた。

真言宗のお寺では、理趣経読誦されますが、長文のため写経文として第17節の終わりにある百字の啓のみとすることもある。この恵船を三回繰り返せば、理趣経一巻読誦と同じ功徳があるといわれている。合掌。南無大師遍照金剛。

『報恩道書写行集 三寶齋恵峰』より

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2017-12-22

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大垣市の衰退の兆(2/5)・危機管理

 大垣市の行政を観察すると、大垣行政の危機管理意識の希薄さが見えてくる。組織図に見る危機管理への対応の不備、ロボフェスおおがき2017での人命軽視状況、元気ハツラツ市等での大垣市の危機管理意識の希薄さは目を覆うばかりである。

 

1.市民の安全が火葬場の下?

 本来、大垣市が安全責任を負うべき部署は、大垣市行政機構図(平成29年4月1日現在)を見ても、組織上で火葬場管理の下に置かれている。危険を予知してそれの管理を総合的に監査する部署は、組織の上位にあるべきだ。大垣市にはその「危機管理室」はない。刈谷市の組織図では、上から3番目に「生活安全部」がありその下に危機管理室がある。大垣市は市民の安全管理部署が火葬場管理部署の下にあるから、事故が起きたら、葬儀は迅速に執り行いますとのブラックユーモアである。

 大垣市の組織では、市民全体の命と安全を取り仕切る「生活安全部」がなく、日常生活を見る「生活環境部」しかない。その部署の位置付けが、かがやきライフ推進部、上石津や墨俣の一地区の下なのだ。論理構成欠落で、重要性の優先順位が理解されていない。テクニカルライティングでは、需要な事項から書く。組織図でも同じである。そこに大垣市長の貧弱な思考回路が伺える。今の市長に大垣市民の命は預けられない。

 

 大垣市行政機構図(平成29年4月1日現在)を見ても、大垣市民の安全を統括管理すると思われる組織がない。末端の組織の中に「生活環境部 生活安全課(防災政策、防災安全、交通安全、公共交通、駐車場、消防防犯)」があるだけである。これは総合的に市民の安全を統括する部署ではない。イベント等でのドローン墜落事故もセグウェイの安全対策に責任を持つ部署がどこか不明である。「(防災政策、防災安全、交通安全、公共交通、駐車場、消防防犯)」の文字も一番小さいフォントで印刷されており、まるで読んで欲しくないとの意思表示のようである。組織図上で、生活安全課の記載された16階も上部に、「庁舎建設推進室」の部署が記載されている。大垣市行政機構図に、大垣市長の市民に対する思想が透けて見える。組織図で見る限り、大垣市長は、市民の安全には重きを置いていない。それよりも新市庁舎建設が大事なのだ。

 

2.ドローン墜落での人命軽視状況

 大垣公園にドローンが墜落した事故が起きた時刻14時5分の約50分後、私はその会場に通りかかったが、大垣公園の広場はその事故の後始末の雰囲気もなく、事故での安全再確認を行っている気配もなく「98式イングラム」をダシにして小さい子供を集めて、盛大に行事が行われていた。その「98式イングラム」の収納作業で、特装車作業班が、安全無視でヘルメットもかぶらず作業をしていた。安全作業上でヘルメットは必要である。大垣行政全体に、危機意識が希薄である。

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 ドローン墜落事故が起きたのだから、本来なら、現在行っている行事を中断して、安全の再点検を実施するのが安全管理部署の基本の行動である。その安全管理部署が大垣市には存在しない。ゴキブリが1匹見つけたら、他に百匹のゴキブリがいると思うのが、危機管理の常識である。トヨタグループでは、そうやって車の乗員の命の安全確保、職場の安全確保を最優先で仕事をしている。大垣市行政は、安全より行事遂行、節約が最優先のようだ。

 ドローンを飛ばすには、人の集まる上空での飛行禁止、モノをまくのは禁止との航空法の規定がある。それを無視して、大垣市は業者に菓子まきを指示した。大垣市民の命など知ったことでないのだ。その結果が、ドローン墜落人身事故である。

 ハインリッヒの法則は、労働災害における経験則の一つである。1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する。「ロボフェス大垣2017」や元気ハツラツ市で見た人命軽視の展示のオンパレードは大垣市行政の業病の深さを物語っている。大垣市行政の不始末の責任は大垣市長に帰着する。

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3.セグウェイ運行での安全無視

 大垣城ホールの中では「ロボフェス大垣2017」が開催され子供達で盛況であった。ロボット技術に子供達が興味を持つために、イベントを開催する事は素晴らしい。しかし、そこで目にしたのは、安全無視のセグウェイの体験運転イベントであった。ヘルメット着用が義務付けられているセグウェイの運航で、ヘルメットもかぶらずに親子がセグウェイを乗り回していた。並行して走っている女子はヘルメットを着用している。大垣市の安全指導が手抜である。客が集れば、安全などどうでもいいからと、運行しているようだ。ドローン墜落事故の直後の話である。墜落事故などで怪我した市民のことなど知ったことではないという、市の職員の対応ぶりをみて、大垣市が抱える業病を再確認した。ヒラメは、上司の意向通り節約して金をケチれれば、市民の命などは知らないというようである。ヒラメは常に上司を上目使いで見る。

 2015年7月制定の道路交通法で、セグウェイは正式に「歩道等移動専用自動車」として小型特殊自動車に分類された。「ロボフェス大垣2017」でのセグウェイ運行は、大垣城ホール内での運用ではあるが、それでも小型特殊自動車であるのでヘルメットの着用は必要である。大垣市長と大垣市役所は、市民の安全を全く考えていない。

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4.元気ハツラツ市での路上球技用の柵の危険性

 元気ハツラツ市で、子供たち用のフットサル用でベニヤを立てただけの安全カバーなしの柵が路上に設置されている。そのベニヤ板の端が、子供が猛スピードでぶつかった場合や、何気なくベニヤ板で手足をひっかけた場合、そのベニヤ板の凸面が鋭利な刃物と同じ作用をする。面取りのしていない角材は、露失した手足の肌に傷を与える恐れがある。柵の支えの角材が危険表示をしていないので、歩行者を躓く危険性もある。

 主催者の商店街事務局の担当者は誰も安全をチェックしていない。安全など頭になく、金儲けで忙しいので、すべて業者任せである。市の職員は見向きもしない。まず大垣市には安全点検の担当部署がない。大垣市長は元気ハツラツ市で人出が多ければ、なんでもオーライである。

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.路上バスケットでの危険性を無視

 元気ハツラツ市で、子供たち用のバスケットの場がコンクリートの路上に設定されている。子供たちが競技に熱中して滑り転んで、中央分離帯のコンクリート製ブロックの頭をぶつければ、命の危険や後遺症の恐れさえある。

 多くの人が元気ハツラツ市での、このイベントの危険性を訴え、中止を要望しても、大垣市商店街連合会と大垣市は、聞く耳を持たず、金儲け至上主義で、このイベントを3年間も強行している。大垣市商店街連合会と大垣市は、子供達に対して安全配慮義務違反である。怪我人、死亡者が出たら、大垣市長の責任問題である。これの罰則法律が曖昧なので、大垣市は大手を振って安全配慮義務違反を実行している。

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.水の事故の恐れを放置

 夏の元気ハツラツ市では、駅前大通りの道路上に小さいプールを設営して、小さい子供たちを水遊びさせている。それを見守る責任は親任せである。親が少し目を離して買い物に行っている隙に、子供が水の事故を起こしたら、誰が責任を取るのか。いくら浅いプールとは言え、小さい子の事故は何があるか予測不能である。自宅のお風呂でも子供が溺れる事故さえ起きている。市の担当者は誰も監視をしていない。市の職員にとって市民の安全など知ったことではないのだ。全て業者任せで、それも数少ない業者がたまにしか見ていない。

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大垣市長は「市民の命を守る」との意識が皆無

 ヒラメの教育担当責任者は、己の保身とゴマすりで上を見るのに忙しく、子供の命など見る暇はない。大垣駅前通り周辺の住民の自治会長は、見て見ぬふり。噂によると、大垣市商店街連合会に丸め込まれているという話も漏れ聞く。子供の安全に責任あるはずの自治体連合会も黙っている。3年間もこの危険なイベントが継続されても、校長先生の会合で、話題にも上らないようだ。子供達を思う良識ある大垣の大人は消滅したのか。情けない思いである。

  

2017-12-21

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2017年12月20日 (水)

F1フォーミュラとして殿様飛蝗を彫る

 2017年11月14日、上野の国立博物館で開催中の「運慶展」と東武百貨店池袋店で開催中の「大仏師松本明慶仏像彫刻展」に出かけた。その展示会で、明慶師が身を乗り出して説明を始められた小さな作品があった。それが「古木に殿様飛蝗」の作品であった。先に会場を一巡して、目には留まっていたが、別に気に留めるまでもなく、他の仏像に気を取られて、通り過ぎていた作品であった。明慶師の説明を聞いて興味を持った。それは彫刻のF1フォーミュラ級の作品であった。その作品に持てる技術の全てを投入して、技術の修得と技の誇示として作られた作品であった。それは自動車メーカが全技術を投入して、F1フォーミュラカーを製作してレースに参加するのに似ている。それで開発された技術を大衆車に展開される。明慶師もその技術を仏像づくりに投入される。

 

松本明慶師の解説

 天才肌の松本明慶師は、まず言葉から説明をされた。バッタとは「飛ぶ」と「虫」扁に「皇帝」と書く。バッタは持てる複眼で、飛ぶ先をしっかりと見据えて、それを目掛けて一気に飛ぶ。人生は、跳ぶ前の良く見よ、である。それが殿様バッタである。別名、大名バッタともいう。縁起物で、将来の飛躍を叶えるお守りだという。単純な私は、松本明慶師の名説明にコロッと丸め込まれて、入手する決断をした。芸術品の入手の決断は一瞬である。展示会の最終日、二度目の明慶展に出向いたら、同じもう一体の作品に売却スミの印が付いていた。目を付ける人はいるものだと感心した。

 

殿様飛蝗の詳細

 その「古木に殿様飛蝗」が、2017年12月20日(先勝)の今日、自宅に納佛された。自宅に届けられた作品を見て、驚きの再確認である。古木の長さ150mm、飛蝗は40mm。枯木とその上に居座る飛蝗は、一体で彫られた楠の一本彫りである。頭の角だけが、別部品の特殊素材で作られている。それをカメラの接写機能で撮って、その写真を拡大してみて、また驚きである。バッタの前足は、太さ1.9mm程度。どうやってこんな細い足を、なおかつ宙に浮いているように彫ったの?と言いたくなる。少し刃物に力をかけすぎれば足が折れて無くなってしまう。その太さ1.9mm程度の足の表面が、その足を擦れば鳴き音を出せるような質感で飛蝗の足が彫られている。足の皮の状態がリアルである。枯木の年輪も、本物の年輪のように彫られている。元は楠の角材である。古木の表面の状態が、忠実に彫られている。明慶師の仏像づくりで培った技のこだわりに脱帽である。明慶師が、その出来栄えに自慢したくなるのも納得できる。この殿様飛蝗のお値段は軽自動車一台分である。この殿様飛蝗に負けないように、自分も将来をしっかりと見据えて、飛躍をしたい。仏様が殿様飛蝗に姿を変えた。私の守り佛である。

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2017年12月19日 (火)

お墓とは生の証し

 お釈迦様は、あの世があるとは言われなかった。ただ「死ぬまで精進せよ」とだけ言われた。お釈迦様は最期まで精進の旅を続けられて、旅の途中で涅槃に逝かれた。

 

お墓の起源

 太古からお墓は存在した。それが動物と人間を分ける印である。太古の時代は、人間が死後に化けて出てくるのが恐ろしく、化けて出てこないように足や腕を折って埋葬した形跡も見受けられる。それだけ死を恐れたのだろう。

 人は弱い存在で、何か目に見える形に手を合わせ拝みたいようだ。空中に手を合わせるのでは、掴みどころがない。その拝む対象を形にしたのが仏像であり、お墓ではないか。その故人を偲ぶ形を表す形態として、お墓が存在すると思う。だからそのお墓には、祭る人の意思が明確に表われる。

 文は人なりと言うように、お墓に建立した人の人格や家風が表われる。祖先を大事にする家は、それに見合ったお墓が建立される。

 

自家のお墓の再建

 2015年、ご縁があり100年は持つと保証されたお墓を再建した。埋葬された人の骨は80年で土に帰るという。お骨を大自然の大地に返す装置がお墓なのだ。それを知って、ご先祖様が土に帰るまで安心して眠りに付けるようなお墓にした。大地震が起きてもお墓が倒壊しないように、竿、本体、足が一体の墓石構成とした。お墓のベースも一枚板の石芝台とした。それは、芝台に雑草が生えないようにして、メンテナンスフリーにする目的もあった。

 

死の意識と生への希望

 人生はお墓を作ってからが本当に人生だと思うようになった。ミッチェル女史も『風と共に去りぬ』のラストシーンを書いてから、他の章を書き始めた。お墓に入る自分を想像して、お墓の格や先に入っているご先祖様に対して、恥ずかしくない人生を送りたいと思う。お墓建立は、自分の人生への決意表明なのだ。

 お墓を意識することは、当然、死を明確に意識することだ。死を意識するからこそ、今の生が明確に浮かび上がる。疎かにはできないご先祖から頂いた命である。近直の縁者だけでも、赤い8本の糸で繋がった吾が命。その糸が一本でも切れていれば、この世には存在し得ない吾が命である。そんな大事な命だからこそ、これからの命を日々輝かせる精進は、ご先祖への恩返しなのだ。

 

夢が己の墓標 

 自分の夢や人生目標が、死後に残る墓標である。それが自分の足跡を残すお墓と考えると、生きていくうえで励みになる。頑張ってその夢が実現できれば、それは人生の生きた証となり、金字塔となる。二度とない人生、己が建てる墓標は立派にすべし。

 

戒名

 今度、戒名を授けてもらう計画である。戒名は生前に導師より付けてもらうのが正式だと今回初めて知った。戒名とは、導師が弟子のために来世で自分用の寺院を建て(院号)、そこで修行に精進するために授ける名前である。お葬式のときに戒名を付けるのは、緊急的、簡易的な処置である。人生は知らないことばかりである。65にして64の非を知るである。

 

各界ごとの生老病死

 生物の死だけが、死ではない。どんなものにも生があり死がある。学校での界での生が入学であり、死が卒業である。学校での通信簿や卒業証書が墓標である。会社での生が入社であり、死が定年である。ある会社に就職すれば、必ず40年後に、定年という会社人生の死が訪れる。その期間に世に対して仕事で成し遂げたことが己の墓標である。その墓標を誇れるものにして、会社を去りたいもの。その後に、第2、第3の人生があり、それぞれに生があり死があり、その期間の精進の程度によって相応の墓標が残る。少しでも世のためになる墓標を残してその界に実績を残し、その界を去りたいもの。

1039a12111  馬場恵峰書 伊勢神宮ご神水で磨僕

2017-12-19

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年12月18日 (月)

大垣市の衰退の兆(1/5)・責任逃れ

ドローン墜落人身事故の責任は大垣市

真因の推定と疑問点

 2017年11月5日にロボフェス大垣2017で起きたドローン墜落人身事故で、12月6日、国土交通省大阪航空局国交省が業者に厳重注意をしたとの報道があった。それで一件落着である。しかし、以下の疑問が残り、大垣市、国交省、警察署・業者との談合・癒着があったのではとの疑惑が残る。

 大垣市と同じである大垣観光協会が企画をして、指示をして、お金まで出して、現場立ち合いをして、そのイベントで起きた事故である。ドローン会社だけが告発されて、大垣市役所が刑事訴訟の対象にならないのはおかしいし、道義的責任は逃れられないはずだ。大垣市に大半の責任があると推定される。こんな責任逃れが許されていくようでは、大垣市民の命の安全はどうなってしまうのか。

 

事故の状況

 2017年11月4日、大垣市で開催中の「ロボフェス大垣2017」でドローン墜落事故が起きた。午後2時5分ごろ、上空から来場者に菓子をまいていた小型無人機「ドローン」(直径約85cm、高さ約55cm、重量約4kg)が約10mの高さから落下し、5~48歳の男女6人が額や肩を擦りむくなどの軽傷を負った。当時周辺には子供約100人とその家族ら計約600人がいた。このニュースは全国ニュースだけでなく、全世界にも発信された。

 ドローンは大垣観光協会側の委託を受けた各務原市のドローン製作会社「合同会社 空創技研プロペラ」代表櫻井優一氏(37)が操縦していた。櫻井氏は、国土交通省大阪航空局で今回の飛行許可を事前に得たと説明しているが、申請書類と実際のドローンは別の機体であったことが後で判明した。ドローンの飛行では、上空からモノをばらまいたり、大勢が集会している催し会場上空の飛行は禁止である。

 

ドローン運用ガイドライン

平成27 年11 月17 日 制定(国空航第687 号、国空機第926 号)。航空法第132 条の3の適用を受け無人航空機を飛行させる場合の運用ガイドライン(国土交通省航空局)。

飛行させる場所に関わらず、無人航空機を飛行させる場合には、以下のルールを守ることが必要です。

日中(日出から日没まで)に飛行させること

目視(直接肉眼による)範囲内で無人航空機とその周囲を常時監視して飛行させること(目視外飛行の例:FPV(First Person’s View)、モニター監視)

第三者又は第三者の建物、第三者の車両などの物件との間に距離(30m)を保って飛行させること

祭礼、縁日など多数の人が集まる催し場所の上空で飛行させないこと

爆発物など危険物を輸送しないこと

無人航空機から物を投下しないこと

※航空法に定めるルールに違反した場合には、50万円以下の罰金が科せられますので、ご注意ください。

 

状況証拠

(1)大垣市観光協会の位置づけでの大垣市の責任

大垣観光協会は大垣市の外部団体である。その職員の多くは大垣市役所からの出向者であり、予算は大垣市から出ている。つまり、大垣観光協会は大垣市に人事権と予算を握られた民間企業的に言えば、連結決算に含まれる子会社なのだ。だから大垣観光協会の職員は、大垣市役所職員と同じである。だから大垣観光協会の職員は大垣市の市長の顔色をみて仕事をしている。大垣市に対して成果を上げなければならないプレッシャーがあるはずだ。その仕事での人身事故が、大垣市に責任がないわけがない。

(2)大垣市の管理監督責任

 当日の事故があった午前中に、業者はドローンを使って4回も菓子まきをしている。テスト飛行も10回もしている。それには大垣市関係者も立ち会い、。目撃もしたはず。ドローンでの菓子まきが違法であるので、それを止めさせる義務が立ち合い者責任者にある。中学生でも分かる話である。

 大垣市に提出したはずの飛行申請書のドローンと実物が違っていたのを、担当者はチェックしないのは、業務遂行の怠慢である。業者がいいわけしているような「勘違い」のレベルではない。大垣市の入智慧による書類偽造も疑われる。このイベントは人の命に係わる業務である。業務上過失傷害罪である。管理監督不行き届きである。

(3)大垣市の宣伝記録からみた責任

 「ロボフェス大垣2017」の大垣観光協会のHPで、「菓子まき」を宣伝している。大垣市某高官が「大垣市が業者に菓子まきを指示するわけがないだろ。業者が勝手にやってんだ」と関係者にわざとらしく言い訳をしている。しかし、大垣観光協会のHPで菓子まきを宣伝している以上、大垣市が菓子まきを指示、もしくは承認していないとは、否定はできまい。大垣市の責任は免れない。行事の主催者の大垣市は、その行事に全責任を負うのが社会の常識である。

 ご丁寧に、菓子まき用のケースを取り付けたドローンの全景写真をHPで掲載している。それを知らない大垣市某高官は愚かである。こんな人に大垣市民の命を預けていいのか。

 その宣伝文章にある「伝統の”菓子まき”がドローンと結びついたユニークなアトラクション!大垣公園にて開催。」との文言は大垣市と違い、その伝統のない各務原市の業者は考えつかないはずだ。これは大垣の伝統を踏まえた大垣観光協会でしか思いつかない。

 このHPの中止案内でも、「都合により」とあくまで責任逃れの文体である。伝統ある菓子まきを機械にさせる発想が貧困である。神仏への冒涜である。

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 図1 ロボフェス大垣2017のHP(大垣観光協会)

(4)業者への指示という犯罪

 マフィアのドンがある人物の殺害を手下に指示したら、その犯罪責任は、ドンにある。同じように、お上からみたら「手下の」業者に菓子まきを命令して、人身事故が起きたら、大垣市に責任があると同じである。零細企業の業者が勝手に、莫大な費用の掛かる装備を発注して、ボランティアとして菓子まきをするわけがない。ドローンで菓子まきをする業務にも業者の人件費がかかっている。だれが負担するのか。大垣観光協会である。つまり大垣市役所である。

(5)ホームページの履歴 

ドローン業者は全面降伏で、平謝り状態であるが、そのホームページに菓子まきに宣伝ページをそのままで、その履歴は残ったままにして、法律違反の菓子まきの受注活動をしていたとの証拠をホームページに残したままにしている。【今後の出演】「現時点では特に予定はありません」との表示は意味深長である。あえて行政に対して大垣市が注文したという証拠を残すため、抗議として残していると私は解釈した。つまり、菓子まきは正規の業務として、大垣市から受注して、正規の料金を受け取っていた証拠である。大垣市が違法であることを知りながら、菓子まきを発注して、ドローン業者に市民税からのお金を払ったとしか考えられない。超零細企業のドローン会社が、無償で菓子まきをするわけがない。それでは会社経営が成り立たない。

(6)ドローン製造会社から見た大垣市の責任

 業者は菓子まき用のドローンの下に取り付けるボックスを特注して設計、製作している。そのボックスを付けたために荷重が増加したので、プロペラも新設計・新作をしている。膨大な製造コストである。依頼者に費用を負担してもらわねば、超零細企業の合名会社「空創技研プロペラ」が遂行できるわけがない。

 菓子まき用のボックスを金属で造ると、重量が増えるのでプラスチックで造っているようだが、その設計費、金型費用は半端ではない。百万単位のお金がいる。事故を起こした超零細企業のドローン製造会社が慈善事業でやるわけがない。大垣市の指示、費用負担があって初めて運営できる。その菓子まきをするため、ボックスの蓋を遠隔操作で開閉する仕掛けを作る必要がある。そのテスト費用を含めても膨大な費用がかかっている。ドローンを改造して、遠隔操作で蓋を開閉して菓子を落とす仕掛けには、精巧な仕掛けのボックスと操作のソフト、操縦装置も作らねばならない。業者が勝手に「善意」で、無償(多大な経費)でやれるようなレベルの仕事ではない。市の費用負担と命令があってしか設計も制作も、菓子の購入も、それをまくという作業は、大垣市の許可がないとできるはずがない。それも事故前の午前中に4回も菓子をまいている。その時、大垣市の職員が立ち会っている。違法なのに何故、大垣市職員は黙認したのか。だから大垣市の関与は否定できない。その責任は発生する。

(7)「広報おおがき」での大垣市、市長の言い訳

 大垣市広報で「けがを負われたかたが出たようです」、「今後は安全に努めてまいります」と付け足しのように言い訳をしている。以上から最低でも道義的責任があるのに、あまりに無責任な発言である。完全に責任逃れをしている。責任が全くないなら、ドローン墜落事故への言及の必要はない。

(7)マスコミ報道に見る大垣市の関与

 なぜ地元の新聞では「空創技研プロペラ」の名が表に出ないのか。なぜマスコミでは大垣市の責任が全く表に出ないのか。なにか裏で情報操作されていると勘ぐってしまう。朝日新聞の慰安婦事件のねつ造や、CNNのフェイクニュース、TBSの偏向報道に見られるように、私にはマスコミが信用できないのが今の心境である。

(8)マスコミ報道内容の疑惑

 今回のドローン墜落人身事故の記事で、岐阜新聞、中日新聞、日本経済新聞、読売新聞、産経ニュース、朝日新聞、毎日新聞、北海道新聞、名古屋テレビ、yahooニュース、の各記事を調査した。

 不思議なことに、大垣観光協会や大垣市役所の責任を問う記事が一つもない。業者の社長が、申請書類を間違えたことばかりに焦点が当たっている。裏でなにか情報操作をしているとしか思えない。

(9)大垣市役所内の記者室の背景

 大垣市役所内に、大垣市長室のすぐ近くに「記者室」がある。そこで記者が控え、休息をしているようだ。常識として大垣市役所からお茶くらいはでるだろう。新聞記者は、大垣に関する記事の情報も、秘書室からもらわねば、記事が書けない。情が移らないと言えば嘘になるだろう。地元紙を見ていると、ヨイショ記事としか思えない内容の記事が目に付くことが多い。もっと市民の命に係わる問題を見て欲しい。

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図2 記者室のすぐ向うが大垣市長室(大垣市庁舎)

 

(10)業者の業務遂行レベル

 この会社の自治体向け業務宣伝のHPの紹介文を見る限り、レベルの高い会社ではない。この社長の紹介文書は、論理的でなく、お粗末な子供の文章である(空創技研プロペラのHPを参照)。テクニカルライティング的には落第の文章である。社長の顔写真を見ると、お人よしの憎めない人相である。きっと警察に追及されれば、簡単に罪を認めてしまい、大垣市の責任までを抗弁する能力はないと見られる。警察に誘導尋問されて、全て自分で罪を認めてしまったのだろう。警察も落としやすい程度の人間であったはずである。まんまと大垣市は、ドローン製造会社の社長に罪を全て押し付けてしまったと推定される。

(11)各務ヶ原、大垣市の企業の癒着の疑念

 事故を起こした業者の会社の所在地は、岐阜県各務原市テクノプラザ1丁目1番地「VRテクノセンター3F」内とある。この団体は各務ヶ原市の管轄のようだ。大垣市や関連企業と連携して、暗黙の圧力をかけたかも知れない。事後の経過を見ると、それさえ疑われる。

 「VRテクノセンター」の出資会社 (38社)は、岐阜県、独立行政法人中小企業基盤整備機構、各務原市、中部電力(株)、 (株)十六銀行、セイノーホールディングス(株)、川崎重工業(株)、 大日本土木(株)、富士通(株)、三菱電機(株)、(株)大垣共立銀行、岐阜信用金庫、(株)トーカイ、富士変速機(株)、シンクレイヤ(株)、(株)市川工務店、カヤバ工業(株)、岐阜県金属工業団地協同組合、岐阜車体工業(株)、(株)Japanエアロ インスペクション、 レシップホールディングス(株)、シーシーアイ(株)、三井住友海上火災保険(株)、清水建設(株)、ソニーイーエムシーエス(株)、太平洋工業(株)、(株)インフォファーム、天龍ホールディングス(株)、(株)アシストエンジニア、(株)トーエネック、(株)ナベヤ、(株)丸順、武藤嘉商事(株)、山崎建設(株)、(株)セガ、川崎岐阜協同組合、大日コンサルタント(株)、中部事務機(株)である。

 「VRテクノセンター」の出資会社は、大垣市の企業や大垣市に関係する企業も多く、何らかの圧力をかけやすい状況と思うのは、考え過ぎだろうか。事故を起こした会社が、今後の仕事をしていくうえで、関係会社から言い含まれ、大垣市の責任が及ばないように全ての責任を受けるため、何らかの取引があり、見返りがあったかもしれない。その圧力はかけやすいし、ありうる事態だと私は推定した。証拠はなく、あくまで推定の域である。推定有罪である。

・論理式での判断

 論理とは数学である。考えられる項目を足し算して、その結果の総合判断で、その事実の善悪を判定する。それが論理構成での思考である。

 

 観察事項1 大垣観光協会の位置づけ       ×

 観察事項2 大垣市の管理監督責任        ×

 観察事項3 「ロボフェス大垣2017」HPから見た関与 ×

 観察事項4 「伝統の菓子まき」との文面     ×

 観察事項5 大垣市高官の関与否定の虚偽発言   ×

 観察事項6 業者への菓子まきのイベント指示   ×

 観察事項7 業者のホームページの履歴      ×

 観察事項8 菓子まきの装置の開発、資金提供   ×

 観察事項9 「広報おおがき」の大垣市長の言い訳 △

 観察事項10 マスコミの報道の偏り        ×

 観察事項11 大垣市役所内の記者クラブから見て  △

 観察事項12 ドローン業者のレベル        × 

 観察事項13 各務原市と大垣市の繋がりと癒着疑惑 △

------------------------------------------------------------  

+)    結論「大垣市に責任がある」

 

論理から導かれた結論

 大垣市役所のドローン墜落人身事故に対する責任は、免れられない。一歩譲っても、道義上の責任はある。某大垣市高官のように、責任がないと知らん顔をするのが異常である。大垣市として全く謝罪がないのは、大垣市民を愚弄している。業者に全ての責任を押し付ける大垣市役所は狂っている。

 2017年12月15日付「広報おおがき」の「市長のかがやきメール」でも、大垣市長は、本件からひたすら逃げ腰である。本件の総責任者である大垣市長のお詫びも謝罪もないのが異常である。責任を全て業者に押し付けているようだ。

 大垣市民の人命軽視の行事を頻繁に強行している現状の大垣市政は、近い将来に死亡事故を起こす恐れがある。大垣市役所を統括する今の大垣市長に大垣市民の命は預けられない。

 取るべき責任を放棄する政治が横行すると、モラルハザードを招き腐敗と堕落の行政に落ちぶれて、ますます大垣の衰退が進む。破れ窓理論の展開となる。大垣市役所の誰も責任を取らない今のままでは、無責任な行事が続き、いつかは死亡事故が起きる恐れがある。それを私は一番恐れる。

 2017-12-18

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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磨墨智 589-1.この世の地獄

 2013年、毎日、私は図書館の学習室で国家資格試験の受験勉強に励んでいた。いつも17時半ごろ、60過ぎの男性が、学習室の読書のため姿を現す。18時に一般閲覧室が閉館になるので、学習室に来るのである。その男性は学習室で、ただ雑誌や本を読むだけである。それを見て自分の幸せをつくづくと感じる。その人は「婦人画報」や「週刊ダイヤモンド」等の雑誌の活字を虚ろな目で追っているだけ。時々、学習室内を歩き回ったり、窓辺で物思いに耽っていた。周りで必死に勉強している学生達と対照的であり、周りに迷惑をかけているが、本人の自覚はない。「自分がそういう境遇でないことの幸せを感じなさい」との仏様の啓示だと悟っている。(2013年7月)

 

時間つぶしの地獄

 60過ぎになって、やることがなく図書館で雑誌を読んで時間潰しをしているほど惨めなことはない。こうなっては時間がいくらあっても無価値である。これでこの世の地獄を感じない人は終わっている。余命3ヶ月を宣告された末期ガン患者からすれば、その時間潰しの時間を少しでも分けてくださいと懇願すると思うのだが。本人にその自覚はない。受験地獄とはよく言われる言葉であるが、それで死ぬわけではない。自分の未来に向って挑戦をしているだけである。これを幸せと言わずして、何が幸せか。

 その昔、私も仕事で干されたことがあるが、周りが会社の収益のために忙しく働いているのに、自分は仕事がない。これほど辛いことはない。この辛さを経験したが故、仕事がある幸せが分かる。下記のような境遇になっては、人生は終わっている。そうならないように精進をすべきである。それが時間創造である。仕事は生活の糧ではない。仕事とは生きることそのもの。仕事のない時間は死の時間。

 

 起きたけど寝るまで特に用もなし

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2017-12-18

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2017年12月17日 (日)

ドローン墜落事故が啓示する大垣行政の退廃(総括)

 2017年11月5日にロボフェス大垣2017で起きたドローン墜落人身事故は、大垣行政の退廃を象徴する事件であった。これは大垣行政の退廃の事象を示す氷山の一角で、このままでは大垣市は衰退の一途から急落・没落への道に転げ落ちる。ドローン墜落人身事故は、その前兆として天が下した天啓である。至急、対策を打たねば大垣が滅びる。結論は大垣市の方向を指揮する人の問題に尽きる。以下、下記4部構成で本件を論じる。

 

大垣市の衰退の兆・事故顛末(1/4)

 ドローン墜落人身事故は大垣市の責任

 事故の状況証拠

 結論としての大垣市の責任

大垣市の衰退の兆・危機管理(2/4)

 大垣市は危機管理意識が希薄

 組織図に見る大垣市の危機管理の不備

 室村町アンダーパス水没事故

 大垣駅前地下道の長期閉鎖の恥

 ロボフェスおおがき2017での人命軽視状況

 元気ハツラツ市での人命軽視状況

大垣市の衰退の兆・倫理人道(3/4)

 大垣市幹部は人の道に外れている

 ドローン墜落人身事故の責任逃れ

 神事で居眠りごとき

 トイレの汚さ

 やるべきことを後回しで新市庁舎建設

 小学校のエアコン設置率が県下最低(相応の市の中で)

 子育て日本一の嘘 

 文化に金を出さない

 人を育てない

 子供を金儲けのダシに使い

大垣市の衰退の兆・経済政策(4/4)

 大垣市衰退の原因の政策

 治水の怠慢

 経済の血路の放置

  トンチンカンな商店街振興策

 カメの池より大事なことは?

 商店街見殺し作戦?

以後、順次このブログで掲載します。

2017-12-17

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心温まる弦楽の響き(改定)

名古屋パストラーレ合奏団・妙音天が奏でる

 2017年12月13日、ヴァイオリニストの天野千恵さんからの招待で、宗次ホールで行われた名古屋パストラーレ合奏団「大人の素敵なクリスマス~心温まる弦楽の響き~」に出かけた。演奏中の写真撮影は叶わなかったが、演奏会後の記念撮影を頼まれて、撮影を兼ねて出かけた。

 クラッシク音楽だからと安心(?)していたが、ホールは全310席が満席である。それも団体さんが入っているとか。その人気をみて驚いた。開場1時間前に会場に着いて正解であった。それでも20人ほどが列を作っていた。

 私はヴァイオリ演奏には疎く、今回初めて本格的な弦楽合奏団の演奏を、ホールの最前列席で聴いた。私の特技は、講義でも講演会でも、演奏会でも、羞恥心なく、最前列席に座ることである。「足りない能力は、最前列席に座ることで、補うことができる」が私の信条である。

 

演奏の鑑賞・観察

 今回、生まれて初めてヴァイオリの演奏を詳細に、かつ7人のヴァイオリニストの弾き方の比較を至近距離4mから鑑賞・観察することになった。素人の見方で今更ながら恥ずかしい告白だが、初めて各ヴァイオリの役割があり、演奏の内容、受け持つ部分が違うことを発見した。今までは複数の楽器の合奏としか「聞いて」いなかったが、今回、演奏家を近くから熟視・熟聴すると、いままで見落としていたお宝が見えてきた。特に今回は演奏会中の撮影はなかったので、演奏を聴くことに集中できたのがよかった。それで人生の多くの発見があった。

 

弦楽器は弁天様を連想させる。

 弦楽器は弦をこすって音を出す。ピアノは弦を叩いて音を出す。叩くのとなでるように擦るとでは、出てくる音に差があるのは当然である。叩くには力一杯叩けるが、擦るには力の限界がある。そのため弦楽器が女性的、ピアノが男性的な感触を持つと思う。弦楽器は弁財天様を連想させる。弁財天の琵琶の音色は弦楽器そのものである。弁財天は、妙音天、美音天とも呼ばれる。

 箕面・龍安寺の弁財天は、タカラジェンヌの芸の神様として崇められている。箕面に近い池田市の宝塚歌劇劇団のタカラジェンヌは、芸の上達を願って、弁財天に願をかけるため、このお寺をよく訪れるという。その弁財天様は琵琶を抱えている。

 弦楽器の弦は、こすれば必ず摩耗する。トライポロジイ的には、表面の微細組織が破壊され、それが音として外に出る。それが女性の身を粉になって働く姿を連想する。琵琶のようにこすって出す音は、叩いて出す音よりは、柔らかい音である。それに対して、ピアノは弦を叩いて音を出す。叩く姿は戦闘的で、男性的な姿を連想する。叩いて音を出すのは、刺激的な音で、こすって音を出すのに比べれば、多分に刺激的で甲高い力強い音である。今回の演奏会が「心温まる弦楽の響き」とのタイトルであり、弁天様による弾き手により、心温まる音楽が聴かせてもらえた。聴いて、見て、音色を確かめて、その弁天様を連想させられた。神様仏様弁天様、ありがとうございました。

1img_0827_2  弁財天

2img_0827_1  箕面市 龍安寺

演奏スタイル

 一つ発見したことは、天野さんの演奏スタイルが、他の演奏家と動き、動作、感情の込め方が違うことだ。あくまで7人の中の比較であるが、腕の上げ方とか、スピードとか、感情の込め方が実に音楽的なのだ。目の前で動きのある演奏を見ると、他の演奏者との差が歴然とする。それは彼女たちが着ているドレスのヒダの揺れを観察するとよくわる。ヴァイオリを奏でる音楽にも、ドレスのヒダの揺れかたが、その心の動きを表現していることを発見した。

 

演奏パートの差

 伴奏のような役割のヴァイオリニストの奏でる音は、主役を引き立てようとするが如く、控えめな弾き方が目に付いた。今までは見えていなかった世界である。主役のヴァイオリンの演奏と伴奏の演奏がよき協奏となって、気持ちよく音が響いている。まるで会話をしているようだ。この世は全て主役ばかりでは舞台は回らない。脇役というお役が、人生の使命としてお役目を全うして、織りなす音楽織物である。まるで四天王を支える邪鬼の姿である。邪鬼も四天王を支える尊い仏様である。

 

ヴァイオリン比較

 7人のヴァイオリンを観察すると、天野さんの楽器が一番古そうである。演奏会後に寄ったヤハマのピアノ販売課長さんの話では、ヴァイオリンは1700年代の楽器が今でも一番良いとか。お値段も1千万単位で、往々に1億円単位のものも多いとか。ピアノとはまた別世界の楽器である。なおかつ大人が今からピアノは習ってもサマになるが、ヴァイオリンでは、そうは問屋が卸さないという。今にして、私は定年後に取り組んだ楽器として(ボケ防止として)、ピアノにしておいてよかったと思う。

 

隼戦戦闘隊の隊長の立ち位置

 今回は天野千恵さんが、ソロ演奏もあり、指揮のリーダ的役割も演じられた。主役は楽団の真ん中に位置すると思っていたら、彼女は一番左端に位置して、演奏をしていた。その演奏のそぶりを見て納得した。真ん中の位置では、全員を見ようとすると、頭をその都度、回さないと見えない。ところが一番左端にいて横を向いて演奏すると、目の前に全員が一直線にならんでいるから、全員を見るのに、首を振らなくてもよいのだ。。

 隼戦戦闘隊の隊長が、編隊を汲んだ場合の位置は、一番前ではない。一番前は先頭に立って突撃する軍曹の位置なのだ。隊長は常に編隊全体が見通せるその後ろ上で飛んでいる。なにか編隊に異変があれば、すぐ援助に駆けつけることができる位置にいる。私も、昔は勘違いをしていて、リーダは一番前だと思っていた。それで任せられたプロジェクトで真っ先に突撃をして、ふと後ろを振り向くと、誰も付いて来ていないことを発見して愕然とすることが度々あった。それはリーダとして良き学びであった。今回の天野さんの立ち位置を見て、それを思い出した。

3p1090870_1  宗次ホール

4p1090870_2  演奏会後の舞台

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名古屋パストラーレ合奏団

 名古屋パストラーレ合奏団は1980年、愛知県立芸術大学音楽学部・器楽専攻科の同窓生により結成されたヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスなど弦楽器13名による室内オーケストラである。今年で結成37年の由緒ある合奏団である。

 結成当初より「アンサンブルの神様」とも呼ばれた故・浅妻文樹氏(東京芸術大学教授 )の熱心な指導をうけ、1981年より定期演奏会を開始、その後着実な活動を重ね、これまでに第18 回を数えている。

 1991年2月、愛知県芸術文化選奨・文化賞を受賞。これまでに名古屋市や愛知県主催の演奏会に招かれる。また1990~1993年中部電力のコンサートに出演。中部5県で数多くの演奏会を行い、大好評を得る。1997~2010年名古屋市、大府市、北名古屋市、知多市などでコンサートを開催。2011年武豊春の音楽祭、2013年と2015年知多半島春の音楽祭に出演。2015年12月に熱田文化小劇場で、2016年12月に名古屋陶磁器会館でコンサートを開催した。

 宗次ホールでは、2012年「ランチタイムコンサート」に初出演、2014年より年1回のペースで開催、今回で5回目となる。

 レパートリーはバロックから現代まで幅広く、弦楽合奏の知られざる名曲の発掘や新作の紹介にも力を入れている。

 

今回のご縁

 私は、河村義子先生の演奏会で、たびたび天野千恵さんが共演されたので、そのご縁で今回の演奏会を知ることになった。感謝。今回もこの演奏会にヴァイオリニスト小坂井聖仁さんとお母さんが見えていて、偶然再会を果たした。ご縁は繋がっている。

 

2017-12-17

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