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2017年12月

2017年12月16日 (土)

ドローン墜落事故は、大垣市長が示す外道の鑑

 20171215日付の大垣市の「広報おおがき」で小川敏市長の「市長のかがやきメール」を見て哀しくなった。ここまで人の道に外れて、羞恥心もなく、小賢しい表明を16万人市民の目に晒すことができるものかと、呆れもした。市民は小賢しい行政を求めてはいない。もっと市民の人命を考えた血の通った大垣市政を求めている。法律的責任はおろか、道義的責任さえ取らない小川敏大垣市長である。人の道から外れている。こんな市長に大垣市の市民の命を預けてよいのか?

 

事故の状況

 ドローン事故をたとえ話で言うと、自分の息子が金を出して「いかがわしい業者」にラジコン機を大勢集まった上空で飛ばさせて、違法な曲芸飛行をするように指示した。それが原因でラジコン機が墜落して、人の子に怪我をさせた、である。

 自分とは、小川敏大垣市長で、息子とは大垣観光協会、いかがわしい業者とは超零細企業のドローン製造会社、ラジコン機はドローン、曲芸飛行とは「違法な菓子まき」と置きなおすと、今回の事態が良く見える。

 「市長のかがやきメール」で「催しの中では、けがを負われた方が出てしまいました。」とまるでヒトゴトの言い分である。まるで見物客が勝手に怪我をしたと言わんばかりである。まともな人の親なら、責任はともかく、まずお見舞いを、「冒頭で」述べるのが筋である。そのお見舞いも陳謝も一つもない。小川市長に常識はないのか。血も涙のないのかと勘ぐってしまう。「今後は、これまで以上に安全で楽しめるイベントづくりに努めてまいります。」とあるが、「努める」とある表現が無責任である。つまり努力をする意味で(『日本語語感の辞典』)、務める(役目をこなす(『日本語語感の辞典』)に比べて、より無責任な表現である。努力とは、「努力はしました、でもダメでした」となる文脈である。責任逃れの最たる表現である。

 この文章には反省も再発防止もない。当然、将来、もっと大きな事故が起きることを暗示させる。なにせ大垣市は、今回の事故に何の責任もないと宣言しているのだから。

 

物事の順序

 葬式の焼香者の順序でもそれを間違えると、大問題になるのが世の中である。公式の行事の挨拶者の順序でも、それを間違えると大問題である。最初に焼香するする人、行事式で最初に挨拶する人が一番、重要である。テクニカルライティング的にも、重要な事項から順次記載するのが原則である。それから見て、大垣市長のドローン事故への言及は5段落ある文中で、やっと4段落目で、「そういえばドローン事故が合ったね」といやいやながら言及している。この文章には、いかに大垣市民の命を重要視していないことを示している。いかにこの件から大垣市は責任逃れをしようとしているかが露骨に現れている。文章構成に大垣市長の胸の内が全て露見している。

 

無責任姿勢は変わらず

 20171115日付「広報おおがき」でも同じである。文章の末尾に、「そういえばドローンの墜落事故があったね」という扱いの記事なのだ。大垣市長にとっては、大垣観光協会は子供と同じ、子が子なら、親も親である。「子は親の背中を見て育つ」を示している。この1215日付「広報おおがき」の「市長のかがやきメール」では、ドローン墜落人身事故には全く言及がない。市長にとって、そんな些細な事故は知ったことではないのだ。小川敏大垣市長の人命軽視行政が問われている。

 

「ロボフェスおおがき2017」の主役は誰か

 「市長のかがやきメール」の原稿を裏方が書いたのは間違いないが、それの最終チェック者、最終責任者は大垣市長である。裏方は、弁護士と綿密に相談して、一語一句、大垣市に責任が飛ばないように、慎重に言葉を選んで「作文」をしたようだ。その文責として朱を入れる責任が市長にはある。大垣市長とは、行政の全責任の行き止まりの役職である。人間として、道義的責任もある。それが、ロボットの如く、裏方に指示されて盲目的に承認のハンコを押して、「広報おおがき」に上記コメントが掲載されたのだろう。「ロボフェスおおがき2017」の主役は、ロボットとして、裏方に操られているがままになっている小川敏大垣市長自身である。それで大垣市民の安全が確保されるのか。こんなことで大垣市の未来が築けるのか。

 

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2017-12-16

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年12月15日 (金)

身体の保全と危機管理

日本は「農薬大国」

 日本は「農薬大国」で、年間約60万トンもの農薬が生産されている。農薬は主に殺菌剤、除草剤、殺虫剤として使われており、これらの中には、発がんリスクの高い猛毒を含む。我々は普段の食事で、体によいと思って食べている野菜や果物と共に、そのような毒物も摂取している可能性がある。実際、日本人の体内脂肪から有機塩素材(農薬)の残留量が世界平均の3倍も検出されたというデータもある。

 日本の年間約60万トンの農薬を一人当たり年間に換算すると、6kgの農薬を「浴びて」いる計算になる。輸入される外国の農産物に使われる農薬や防腐剤を含めると、恐ろしい量の「毒」を浴びていることになる。

 葬儀屋の話によると、昔に比べて日本人は死後腐りにくくなったという。それだけ多くの防腐剤が、食品を通して体に取り込まれているのだろう。

 

日本のがん患者の増加

 1975年の医師数が約13万人、がん死者数は約13万人だった。その後の40年間で、医師数は約3万人増加し、がんに関する研究や治療は格段に進歩したのに、2014年のがん死者数は36万人を越えた。

 1970年代の日本の総医療費は10兆円であった。2010年代に総医療費は40兆円までに拡大したが、がん患者は減るどころか3倍に増えている。

 1950年から2010年までの60年間でみて、平均的に肉の摂取量9.8倍、卵6.3倍、牛乳・乳製品が18.2倍と著増し、米が半分、芋類は10分の1と激減した。つまり、肉・卵・牛乳・バター・マヨネーズなどに代表される「高脂肪」の欧米食こそが現代日本人のがんの大きな原因の一つであると推定される。その証拠として、以前多かった胃がんや子宮頸がんなどの日本型のがんは減少して、肺、大腸、乳、卵巣、子宮体、前立腺、すい臓、食道がんなどの欧米型のがんが著増している。

 

「宇宙根源の理」に反した食物

 畜産品は、利益最優先で牛、豚、鶏の成長を早めるため、成長ホルモンが投入されている。畜舎の中に過密状態で育てるため、伝染病にかからないように、多量の抗生物質が飼料に投入され無理に飼育されている。そうやって育った肉や乳製品を多く食べれば、病気にもなるのは「理」に合っている。「理」に適わない食品が体に毒になる。それは「宇宙根源の理」に反した食物である。

 ハムや加工肉を日に50g以上食べ続けると大腸がんになる確率が、18%増加するとWHOから報告があったばかりである。ハムや加工肉は、防腐剤や添加物が多く入っている。そんな肉を長年食べれば、病気になるのが必然である。

 

食は生命

 2000年も前から漢方医学では「食は生命」としている。贅沢な欧米型の現代食生活を謳歌すると、20年後に病気と言う悪魔のサイクルのご縁を頂く。因果応報である。がんという病気を対処療法で治しても、その根本原因である食生活を直さないと病気は治らない。気づいた時には遅いが、遅くても、一日でも早く食生活を正すのが、ご先祖へのご恩返しである。

 

2017-12-15

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安藤忠雄の挑戦

 2017年12月14日、国立新美術館で開催中の「安藤忠雄展―挑戦―」(12月18日迄)に余裕を持って、東京六本木に出向いたが、「安藤忠雄展」だからと安心して(そんなに観客は多くないだろうと)行ったのが間違いであった。

 確かに入場券売り場は空いていたが、会場内の観客が、作品の前から動かないのだ。その動く速度の遅さは運慶展と勝るとも劣らず、である。25メータほどの長さのコーナでは、40作品ほどが一直線に展示され、作品ごとに模型、写真、説明、ビデオのセットで展示され、そこから人が動かないのだ。すり足でしか進まない。特に若い人や女性も作品にくぎ付けである。結局、1時間半ほどを費やしてしまった。久しぶりに見ごたえのある展示会であった。

 

「光の教会」

 中でも圧巻は、会場内に代表作「光の教会」の原寸大モデルが建てられてあったことだ「建築は模型や写真を見るだけでは足りない。実際に体験してもらわなければ、建築家がそこに込めた気持ちは伝わりません。200坪のテラスを展示に使っていいというので、じゃあ1分の1スケールでつくってしまおうと考えた。材料はもちろん本物と同じコンクリートを用いています。展示品ではあるけれど、東京都に確認したらこれは美術館の『増築』扱いになるという。慌てて許可申請をして、何とか間に合わせましたよ」(週刊文春 2017年10月19日号)

 写真や模型では体験できない、生の作品である。教会というキリスト教の関係であるが、宗教を超越して、建築作品の祈りの場の創造として感動した。全ての飾りを削ぎ落し、まるで水墨画を見るような風景である。祈りには、宗教の差などは関係ない。宗教は、その根源はみな同じである。国や民族で、それに合わせて変化して生まれ育っただけで、宗教の基本概念を縦に切ったり横に切ったりして、その見た目が、丸であったり、四角であったりするに過ぎない。

 この「光の教会」だけは、撮影が可能です。

 

光へのこだわり

 安藤氏は光にこだわりがあり、「人生に「光」を求めるのなら、まず目の前の苦しい現実という「影」をしっかりと見据え、それを乗り越えるべく、勇気を持って進んでいくことだ。」、「人間にとって本当に幸せは、光の下にいることではないと思う。その光を遠く見据えて、それに向かって懸命に走っている、無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う。」との考えが、この教会の設計に現れているようだ。

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闘いの勲章

 氏は、建築という分野で、如何に建築の目的を、持てる才能と環境を全て生かして、自然に溶け込む作品作りの邁進してきた。今は、2009年に胆嚢・胆管・十二指腸、2014年に膵臓と脾臓にがんが見つかり全摘した身である。それでも元気に建築を通して希望と夢と勇気を持って生きることの大切さを伝えたいと、今でも毎日、創造に邁進している。まさに超人である。建築作品は安藤さんの命なのだ。だから作品としの「建築の命を育てる」というのも氏の信条である。

 

現地現物

 安藤氏の言葉「私もこれまで、数々の教養人と出会ってきましたが、やはり本当に教養がある人は、「現場に足を運ぶ」ことの重要性を知っているように思います」。「好奇心を失ってしまった人がその気持ちを取り戻すには、とにかく行動してみることです。とにかく現場に行ってみれば、必ずそこで心を動かされる何かと出合えます。そういう体験を何度もしないと好奇心なんて育ちません。」

 私はこの言葉には共感できる。実際に「安藤忠雄展―挑戦―」の会場に来なければ、また運慶展などで、まじかで実物を見ないと、その感動は伝わらない。トヨタの現地現物の考え方そのものである。だから、私はなるべく機会があればどこでも出向くようにしている。

 

安藤忠雄

 日本の建築家。大阪出身。東京大学名誉教授。高校卒業後、独学で建築を学ぶ。「住吉長屋」で日本建築学会賞を受賞。独自な建築表現を確立し様々賞を受賞。世界的な評価を得ている。東京大学工学部で教授、イエール大学、コロンビア大学、ハーバード大学、南カリフォルニア大学などで客員教授を務めた。そのほか、多くの公職を歴任した。

 

2017-12-15

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2017年12月13日 (水)

心温まる弦楽の響き・名古屋パストラーレ合奏団

 2017年12月13日、今日はヴァイオリニスト天野千恵さんからの招待で、宗次ホールでの名古屋パストラーレ合奏団「大人の素敵なクリスマス~心温まる弦楽の響き~」に出かけた。演奏中の写真撮影は叶わなかったが、演奏会後の記念撮影を頼まれて、撮影を兼ねて出かけた。

 クラッシク音楽だからと安心(?)していたが、ホールは全310席が満席である。それも団体さんが入っているとか。その人気をみて驚いた。1時間前に会場に着いて正解であった。それでも20人ほどが列を作っていた。

 私はヴァイオリ演奏には疎く、今回初めて本格的な弦楽合奏団の演奏を、ホールの最前列席で聴いた。私の特技は、講義でも講演会でも、演奏会でも、羞恥心なく、最前列席に座ることである。「足りない能力は、最前列席に座ることで、補うことができる」が私の信条である。

 

演奏の鑑賞・観察

 今回、生まれて初めてヴァイオリの演奏を詳細に、かつ7人のヴァイオリニストの弾き方の比較を至近距離4mから鑑賞・観察することになった。素人の見方で今更ながら恥ずかしい告白だが、初めて各ヴァイオリの役割があり、演奏の内容、受け持つ部分が違うことを発見した。今までは複数の楽器の合奏としか「聞いて」いなかったが、今回、演奏家を近くから熟視・熟聴すると、いままで見落としていたお宝が見えてきた。特に今回は演奏会中の撮影はなかったので、演奏を聴くことに集中できたのがよかった。それで人生の多くの発見があった。

 

演奏スタイル

 まず、発見したことは、天野さんの演奏スタイルが、他の演奏家と動き、動作、感情の込め方が違うことだ。あくまで7人の中の比較であるが、腕の上げ方とか、スピードとか、感情の込め方が実に音楽的なのだ。目の前で動きのある演奏を見ると、他の演奏者との差が歴然とする。それは彼女たちが着ているドレスのヒダの揺れを観察するとよくわる。ヴァイオリを奏でる音楽にも、ドレスのヒダの揺れかたが、その心の動きを表現していることを発見した。

 

演奏パートの差

 伴奏のような役割のヴァイオリニストの奏でる音は、主役を引き立てようとするが如く、控えめな弾き方が目に付いた。今までは見えていなかった世界である。主役のヴァイオリの演奏と伴奏の演奏がよき協奏となって、気持ちよく音が響いている。まるで会話をしているようだ。この世は全て主役ばかりでは舞台は回らない。脇役というお役が、人生の使命としてお役目を全うして、織りなす音楽織物である。まるで四天王を支える邪鬼の姿である。邪鬼も四天王を支える尊い仏様である。

 

ヴァイオリン比較

 7人のヴァイオリンを観察すると、天野さんの楽器が一番古そうである。演奏会後に寄ったヤハマのピアノ販売課長さんの話では、ヴァイオリンは1700年代の楽器が今でも一番良いとか。お値段も1千万単位で、往々に1億円単位のものも多いとか。ピアノとはまた別世界の楽器である。なおかつ大人が今からピアノは習ってもサマになるが、ヴァイオリンでは、そうは問屋が卸さないという。今にして、私は定年後に取り組んだ楽器として(ボケ防止として)、ピアノにしておいてよかったと思う。

 

隼戦戦闘隊の隊長の立ち位置

 今回は天野千恵さんが、ソロ演奏もあり、指揮のリーダ的役割も演じられた。主役は楽団の真ん中に位置すると思っていたら、彼女は一番左端に位置して、演奏をしていた。その演奏のそぶりを見て納得した。真ん中の位置では、全員を見ようとすると、頭をその都度、回さないと見えない。ところが一番左端にいて横を向いて演奏すると、目の前に全員が一直線にならんでいるから、全員を見るのに、首を振らなくてもよいのだ。。

 隼戦戦闘隊の隊長が、編隊を汲んだ場合の位置は、一番前ではない。一番前は先頭に立って突撃する軍曹の位置なのだ。隊長は常に編隊全体が見通せるその後ろ上で飛んでいる。なにか編隊に異変があれば、すぐ援助に駆けつけることができる位置にいる。私も、昔は勘違いをしていて、リーダは一番前だと思っていた。それで任せられたプロジェクトで真っ先に突撃をして、ふと後ろを振り向くと、誰も付いて来ていないことを発見して愕然とすることが度々あった。それはリーダとして良き学びであった。今回の天野さんの立ち位置を見て、それを思い出した。

1p1090870_1 宗次ホール

2p1090870_2  演奏会後の舞台

3p1090870_3  名古屋パストラーレ合奏団の皆さん

名古屋パストラーレ合奏団

 名古屋パストラーレ合奏団は1980年、愛知県立芸術大学音楽学部・器楽専攻科の同窓生により結成されたヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスなど弦楽器13名による室内オーケストラである。今年で結成37年の由緒ある合奏団である。

 結成当初より「アンサンブルの神様」とも呼ばれた故・浅妻文樹氏(東京芸術大学教授 )の熱心な指導をうけ、1981年より定期演奏会を開始、その後着実な活動を重ね、これまでに第18 回を数えている。

 1991年2月、愛知県芸術文化選奨・文化賞を受賞。これまでに名古屋市や愛知県主催の演奏会に招かれる。また1990~1993年中部電力のコンサートに出演。中部5県で数多くの演奏会を行い、大好評を得る。1997~2010年名古屋市、大府市、北名古屋市、知多市などでコンサートを開催。2011年武豊春の音楽祭、2013年と2015年知多半島春の音楽祭に出演。2015年12月に熱田文化小劇場で、2016年12月に名古屋陶磁器会館でコンサートを開催した。

 宗次ホールでは、2012年「ランチタイムコンサート」に初出演、2014年より年1回のペースで開催、今回で5回目となる。

 レパートリーはバロックから現代まで幅広く、弦楽合奏の知られざる名曲の発掘や新作の紹介にも力を入れている。

 

今回のご縁

 私は、河村義子先生の演奏会で、たびたび天野千恵さんが共演されたので、そのご縁で今回の演奏会を知ることになった。感謝。今回もこの演奏会にヴァイオリニスト小坂井聖仁さんとお母さんが見えていて、偶然再会を果たした。ご縁は繋がっている。

 

2017-12-13

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2017年12月12日 (火)

クリスマスコンサート2017 第一部

ハープの演奏

 2017年12月3日、大垣フォーラムホテルでの「クリスマスコンサート2017」第一部で、足立優美さん(ソプラノ)、天野千恵さん(ヴァイオリン)、天野世理さん(ハープ)の協奏であった。

 その前に天野千恵さんからハープの紹介があった。私もハープの演奏をまじかで聴くのは初めてである。ハープの演奏は天野世理さんで、天野千恵さんの娘さんである。世理さんは祖母からピアノを、母よりヴァイオリンの手ほどきを受けた。現在、東京藝術大学音楽部1年に在学中である。

 

ハープの構造

 ハープは弦が47本で、手前の弦の材質がナイロン、中間がガット(羊の腸)、奥の長い弦がピアノと同じワイヤーである。ペダルは7本で、足で音の変化を付ける。半音を上げたり下げたりする。だから演奏スタイルは、見た目は上側の弦を弾きながら優雅に演奏しているように見えるが、下側は足をパタパタと忙しい。しかし、ハープ本体に隠れて、その足の動きは観客からは見えない。まるで白鳥が湖で優雅に泳いでいて、水面下で必死に足をかいでいるような姿である。両手でハープを抱えるようにして両側から、和音とメロディを弾く。ピアノの弦を両手で弾くような雰囲気である。その気になってハープの下を眺めると、ハープ本体の下側の胴体部が大きくなっているのを今回初めて発見した。

お値段はピアノほど。今回は東京から運んできた。通常はホール備え付けで、皆さんで共有である。ピアノのような扱いである。

 

演奏

 最初に天野千恵さんと天野世理さんがヴァイオリンとハープの協奏で、その後、足立優美さんと天野世理さんがソプラノとハープの協奏でバッハ~グノーのアヴェ・マリアを演奏された。その後、シューベルトのアヴェ・マリアを協奏された。足立優美さんが最初のドイツ語で、その後、日本語で歌われた。

 最後に天野千恵さん、天野世理さん、足立優美さんの3人で、聖なる夜(オー・ホーリ・ナイト)を演奏し、足立優美さん最初に英語で、次に日本語で歌われた。

 私は、本格的なクリスマスコンサートを聴くのは初めて、よき音楽会であった。

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 天野千恵さん

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 ハープの下側の大きさが良くわかる

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 天野世理さん 手の動きが良くわかる

7dsc01956_2  弦の色分けがよくわかる

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足立優美さん

 

ハープの起源

 ハープの起源は狩人の弓と考えられている。最も古いハープの記録は紀元前4000年のエジプトと紀元前3000年のメソポタミアとされる。シュメール王朝時代の遺跡からはほぼハープの原型と思われる楽器が発見されており、壁画の記録からも奏法もハープと同じものと見られる。古代の叙事詩やエジプトの壁画に現れている。聖書にもハープは登場し、ダビデ王が最も著名な演奏家である。実際にはその「ハープ」は十弦の一種のリラであった。レバーハープは演奏中にキーチェンジが可能になり、17世紀の後半に生まれた。これが発展し、近代的なコンサートハープが生まれた。

 

ダブル・アクション・ペダル・ハープ

 現代西洋音楽の独奏やオーケストラ、室内楽などで広く用いられているハープは、ダブル・アクション・ペダル・ハープである。このハープでは、47本の弦を変ハ長調全音階で張り、7本のペダル(上から順にフラット、ナチュラル、シャープ)を足で操作して、各オクターブのハ、ニ、ホ、ヘ、ト、イ、ロそれぞれの弦を同時に半音上げたり、全音上げたりできる。この仕組みにより、様々な調を演奏できる。しかし熟練してもペダルの操作を全て瞬時に行うことは不可能なため、オーケストラなどでは2人で演奏して、ペダル操作の不完全さを補う場合がある。音域は6オクターブ半を持つ。ピアノの音域が7オクターブなので、ほぼ同じ演奏能力を持つ。弦には識別用の色があり、各オクターブのハ(C)の音が赤、へ(F)の音が青(黒)となっている。

 この項、wikipediaより編集

 

2017-12-12

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2017年12月11日 (月)

リース佛件の告知

 己の体は、ご先祖様、佛様からのリース物件なのだ。リース契約とは、リース期間が終れば借りた品物を全て返却するのが原則である。一般のリース物件は耐用年数でその期間が設定されている。耐用年数後は廃棄処分されるようにリース期間が定められている。リース期間中に使用者の誤使用や酷使で毀損したら弁償するかリース解約となる。

 

人間の体は仏様からのリース佛件

 人間の体は平均80年リースの貸借品の佛件である。借り物だから、大事に使わないと大家さんがこれ以上酷使されてはたまらないとリース終了前に物件を引き上げてしまう。リース契約の破棄通知とは、己の体の放漫経営からくる病気の宣告である。大家さんという佛様が体の使用状況をみていて、37兆個の細胞の直訴により、閻魔帳を見て審判を下し、佛剣でリース契約書を叩き切る。それを「何で私だけが」、「運が悪い」、ではリース会社社長の佛様は困惑である。全て自業自得であるのに。

 

リース期限の告知

 自分の体は自分のものと思って酒池肉林で漫遊するのは不遜である(その誘惑に駆られるのは生きている証し?)。社長なら、数10人、数百数千人の社員、家族がぶら下がっている。己の体調不良が原因で経営判断を誤れば、社員が路頭に迷う。中小企業の起業10年後の生存率は5%である。社長の一秒一刻の判断ミスが、会社の命取りとなる。不健康な体では、まともな経営判断は出来ない。

 体の不調は、佛様からのリース終了の通告なのだ。二重顎、肥満、物忘れ、組織トップの座への執着心、聞く耳を持たない傾向、尊大な姿勢は、その症状なのだ。通常は2期の任期の座に5期もしがみ付くには、その典型的な症状である。自分では認知できないので、人からの助言だけが頼りである。しかしその助言が聞こえなくなるのが、この業病の特徴である。この病気は第三者からの強制的な引退勧告しかない。時には死神がその役を演じる。

 大垣市長の職は激務である。そばから見ていて気の毒になる。なにもそんな座にしがみ付かなくても、とは思う。既に先代2人の市長が、現役で倒れた。

 

天之機緘不測

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ、日々を大切に、己の体を大切に、生き活かされる人生を大切に、与えられた運命を正しく生きよ」と佛は諭す。

 今日、12月11日は、東日本大震災から6年9か月目である。死者不明者2万2000人超の大震災であった。下図の衝立は、東日本大震災で倒壊した神社の再建で端材となった桧を使って、大工新立広美さんが作られた。それに馬場恵峰師に揮毫をお願いした。当時、私は年金生活者になったばかりであったが、岩手県の齋藤明彦さんとご縁ができ、この震災の被害に遭われた山田町と日本赤十字に計50万円を寄付した。この衝立とのご縁は、仏様からのお返しと思い手を合わせている。合掌。

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2017-12-11

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「おおがきマラソン2017」が照らす光と陰

宴に酔い痴れて

  陰とは、釈尊が56億7千万年先から光を照らして、暗黒に闇の中に浮かび上がる真実の後ろにできる陰影である。今回のマラソン大会で、大垣市の抱える闇の部分が明らかになった。

 

 この大垣マラソン大会の趣旨は「近年の健康志向の高まり等によりマラソンランナーが増加する中、市民だけでなく県外からも多くのランナーにエントリーしてもらえるような大垣らしい魅力のあるハーフマラソン大会を開催し、市民の健康増進をはじめ、中心市街地活性化や交流人口増加による地域活性化を図る。」である。

 ハーフマラソンの部は、大垣駅通りをスタートとし、旧揖斐川橋梁、墨俣一夜城、ソフトピアジャパン、奥の細道むすびの地記念館を経由し、大垣駅通り(大垣城東門前付近)をフィニッシュとするコース。ランニングの部[2.5km]、ウォーキング・ジョギングの部[2.5km]は、大垣駅通りをスタートとし、奥の細道むすびの地記念館を経由し、大垣駅通りをフィニッシュとするコース。

 

 しかし、その実態は、健康増進はともかく、「中心市街地活性化や交流人口増加による地域活性化」には程遠いものであった。人・モノ・金を過度に節約しすぎて、見栄だけだけで、運営していた。今の大垣市には、背伸びしすぎの分不相応な大会であった。まず足元を固めよと言いたい。

 

ランナーの評価

 ランナーのみんなの満足度評価点は、一回目の昨年は44点(100点満点、2016年、293人)で、2回目の今回、やっと79.2点(2017年、292人)になったに過ぎない。揖斐川マラソンの満足度は87.6点(2016年、393人)と大きな格差がある。ランナーの評価は正直である。

 https://runnet.jp/report/race.do?raceId=165533

 

死のカンフル剤

 この種のイベントは、大垣市がシャカリキに取り組んでいる元気ハツラツ市と同じ発想の行事である。まるで瀕死の病人に、カンフル剤を投与して、一時的には元気になったように見えるが、実態は、ますます病状を悪化させている。今必要な対策は、一時的な客寄せではなく、恒常的に観光客が寄り集まる市街地整備である。今の政策では、イベント当日だけは賑わうが、他の日は、誰も歩いていない死の街に落ちぶれさせている。「大垣マラソン2017」の宴に酔い痴れている場合ではないのだ。

 今回のマラソン大会の目的は、「中心市街地活性化や交流人口増加による地域活性化」のはずが、街には活性化の陰も形もない。買い物客も、応援で出かけてくる歩行者も見かけず、商店街は死の街である。なにせ市の中心部と各所が全面交通止めで、買い物の市民は市の中心部に近寄れない。他のイベントなら、歩行者が買いものに商店に顔をだすが、マラソン大会ではそれがない。ランナーは誰も商店に近寄らない。走るのが忙しくて、それどころではないのだ。走った後も放心状態で、それどころではない。マラソン大会で市の活性化などという目的が本末転倒である。市の経済活動を破壊している。

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誰も歩いていないスタート・ゴール近くの商店街 201712101022

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 日曜日は、一番賑やかな商店街の一等地に誰も歩いていない

 2017年12月10日11:10

イベントを行う資格

 マラソン大会で「中心市街地活性化や交流人口増加による地域活性化」という発想が幼稚である。マラソン大会は、豊かな市が社会へ行う貢献活動で、営利目的ではないのだ。発想が貧困な大垣市が、やる行事ではない。マラソン大会を開催するなら、大垣市としてまず市街地の活性化を成功させてから、有徳の余裕として、社会奉仕活動の一環として行う行事である。「おおがきマラソン」は、その発想が本末転倒で、多忙な餓鬼道の行事に成り下がっている。先にやるべきことがあるだろう、が一市民の声である。

 

まともな飲食店がない

 「走った後に多めに金を出してもいいから、食事をしたいと思っても、お店が無い」(ネット上でランナーの声)。なにせ、この17年間の小川敏大垣市長の悪政のため、商店街・飲食店の多くがシャターを下ろし、駅前商店街は壊滅状態である。

 揖斐川マラソンでは、沿道に多くの屋台やテントが並び、飲食を提供するという。今回のイベントでは、わずかに大垣市の2つのテントと1カ所で味噌汁とぜんざいを提供していたに過ぎない。そのため、長蛇の列である。なぜ、歩道に屋台を誘致しないのか。大垣市はやることがお粗末すぎる。

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トイレがない

 公式サイトではスタート、フィニッシュ地点で臨時のトイレを設置とあるが、その地点で臨時のトイレは見かけなかった。大嘘である。日本一汚いという噂の既存トイレに、長蛇の列になっていた。揖斐川マラソンでは、仮設トイレが50台程も並ぶという(昨年走った知人の情報)。節約志向が旺盛で有名な大垣市長の元、そんな気配りがないようだ。大垣の恥部である。

 

大垣城武徳殿の無駄使い

 着替え室として遠くの大垣城ホールが提供されたようだが、もっと近くに大垣城敷地内に、放置された大垣城武道館を活用すれば、ランナーに利便性が高いと思うが、そんなことは、節約精神旺盛な大垣市長の頭にも浮かばない。市の施設を放置して、無駄遣いをしている。いまは、先人が心身を鍛えた神聖な場所が、ごみ屋敷同然のもの置きに成り下がっている。そんな行政の姿勢では、市街地の活性化の達成は無理である。

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小川敏氏の顔は「大垣の顔」として恥ずかしい

 小川敏大垣市長の顔を今回、近くから見つめる機会があった。その顔には汚い歯が並び、二重顎の肥満体で、醜い姿であった。一大垣市民として、大垣市長の顔は「大垣市の顔」として恥ずかしい思いである。リンカーン大統領は「40過ぎたら、己の顔の責任を持て」といった。人の顔は人生の履歴書である。それまでの生活や思想の履歴が顔に表れている。米国では、歯並びは会社社長として、手入れが必須の経営案件である。社長はいつも顧客に顔を見せねばならない。タレントでも清潔感をアピールするために、歯の手入れは怠らない。そうでないと顧客やファンから信用されない。

 旨いものを沢山食べて、体を自己管理できない生活をすれば、肥満になるし、二重顎にもなる。肥満のせいで大事な神事でも居眠りのような姿をさらす顛末となる。米国ビジネス社会では、肥満体の人間は、管理職になれない。自分の体が管理できない人間に、組織の管理はできないという論理である。

 大垣市長は公人である。大垣の顔として、まともな顔と体を保つ責任がある。それが、みすぼらしく汚い歯、肥満、二重顎では、大垣の恥である。小川敏大垣市長の顔は、市長の椅子にしがみ付いている老体の醜態を、もろに表している顔だと感じた。健康に不安のある市長に行政は任せられない。

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2017-12-11

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年12月10日 (日)

神様仏様・天野様・ご先祖様

 2017年12月3日、大垣フォーラムホテルの「クリスマスコンサート2017」で、ヴァイオリニスト天野千恵さんが、愛用のヴァイオリンの紹介をされた。そのヴァイオリンはイタリア製で、制作年代が1740年頃、モーツァルトが活躍した時代だと言う。天野さんに、このヴァイオリンが受け継がれる前に6世代の演奏家が使っていた楽器だという。お値段は外車一台分とか。その弓だけでも普通乗用車が買えるとか。弓の材質は楓で、ガットは漂白をしない白の馬の尻尾の毛である。それに合わせてドレススタイルも配慮されたとか。

 電気で拡声しないでもヴァイオリンの音色は、ホールの隅々まで響き渡っていた。やはり名器のアコースティック楽器の音色は素晴らしい。

 9月に来日したチェリストTIMMの愛用のチェロも、300年ほど前の制作で、天野さんのヴァイオリンとほぼ同じ年代である。1740年頃と言えば、私の初代のご先祖・北尾道仙の没年の頃である。北尾道仙没年の享保19年とは、1734年である。ご先祖の北尾道仙は観世流の謡の師匠であったようだ。そのことをお寺の過去帳から発見できて、お墓を再建するご縁となったのが2015年である。そのご縁でお墓の字も馬場恵峰先生に揮毫をしていただいた。今回の演奏会も含めて多くのご縁が繋がっていることに感慨を深めている。

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演奏スタイル

 天野千恵さんが今回演奏した曲は、クリスマスコンサートに相応しいバッハ~グノーのアヴェ・マリアで、演奏時の天野さんの動きが少なく、写真撮影は楽であった。小坂井聖仁さんが演奏した曲は、演奏時の動きが激しく、カメラマン泣かせであったが、曲により、人により演奏家の動きが全く異なることを知った。ピアノでも河村義子先生は、派手に動くピアノ演奏スタイルには反対で、静かに動きの少ない正統派の姿で弾かれる。演奏家により、その演奏スタイルは千差万別である。カメラマンの苦労は絶えない。

 

2017-12-10

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ドローンと隠遁した大垣市役所

ドローン墜落人身事故に大垣市は道義的責任

本来は大垣市が主犯であると思われる。

 

 2017年11月5日にロボフェス大垣2017で起きたドローン墜落人身事故で、12月6日、国土交通省大阪航空局国交省が業者に厳重注意をしたとの報道があった。それで一件落着である。しかし、以下の疑問が残り、大垣市、国交省、警察署・業者との談合・癒着があったのではとの疑惑が残る。

 下記の状況証拠を鑑みると、大垣市の無責任体制、市民の命の軽視主義、なれ合い主義、利権主義等に汚染された役人が、大垣市を衰退に導いたと推定される。なんとかしなければ、大垣市は衰退の一途である。大垣を訪れる人が「大垣はずいぶん寂れたね」という声を最近はよく聞く。大垣市の衰退は、大垣市役所の無責任体制、市民の命の軽視主義がその元凶と思う。

 

今回の行政指導の疑惑

 なぜ、航空法第132 条の3の違反が指摘されないのか。

 報道では、「大阪航空局によると、厳重注意をしたのは岐阜県各務原市の「空創技研プロペラ」で、飛ばしたドローンとは別の機体で申請していたこと、会場の風速を適切に計測していなかったことなどから、「安全意識や法令遵守の精神が欠如していた」と判断、行政指導として厳重注意をした。」だけである。

 航空法で禁じられている「①第三者又は第三者の建物、第三者の車両などの物件との間に距離(30m)を保って飛行させること。②祭礼、縁日など多数の人が集まる催し場所の上空で飛行させないこと。③無人航空機から物を投下しないこと。」の三項目に関しては、全くお咎めがない。お咎めの報道さえもされない。申請書類の不備と風速を測定していなかったの2点だけの厳重注意である。

 

推測される疑惑

 上記の①~③の法律違反を公式の問題にすると、大垣市役所の責任問題と、国交省の書類審査のいい加減さの責任問題が露見してしまう。それで、担当者に累が及ばないように、それは不問にして、全て業者に責任を押し付けて幕を引いたとしか思えない。業者と裏取引も疑われる。ドローン業者も今後の役所からの仕事の受注を餌に、丸め込まれたかもしれない。大垣警察署も大垣市役所を捜査はしたくないだろう。長い付き合いである。

 なぜ人身事故を起こしたのに、罰則規定にある50万円以下の罰金刑が科せられなかったのか。ことが大きくなると、国交省もいい加減な認可の責任が問われかねないので、それを避けて穏便に済ませたかったとしか思えない。

 

状況証拠

1.ホームページの履歴 

 ドローン業者は全面降伏で、平謝り状態であるが、そのホームページに菓子まきに宣伝ページをそのままで、その履歴は残ったままにして、法律違反の菓子まきの受注活動をしていたとの証拠をホームページに残したままにしている。【今後の出演】 「現時点では特に予定はありません」との表示は意味深長である。あえて行政に対して大垣市が注文したという証拠を残すため、抗議として残していると私は解釈した。つまり、菓子まきは正規の業務として、大垣市から受注して、正規の料金を受け取っていた証拠である。大垣市が違法であることを知りながら、菓子まきを発注して、ドローン業者に市民税からのお金を払ったとしか考えられない。超零細企業のドローン会社が、無償で菓子まきをするわけがない。それでは会社経営が成り立たない。

2.大垣市の担当者が立ち会い

 事故があった日の午前中に4回の菓子まきをして、大垣市の担当者が立ち会っている。それで、大垣市は全く責任が無いとはいえまい。最低でも道義的責任は免れないが、大垣市は厚顔のままで、責任逃れで遁走である。

3.大垣市観光協会のホームページ宣伝

 大垣観光協会のホームページでも菓子まきを、伝統とハイテクとの融合だと得意げに宣伝している。それが、大垣市某高官が「大垣市がそんな指示をするわけがないだろ。業者が勝手にやったんだ」と言いふらしているようだ。責任逃れの言い訳としか思えない。大垣観光協会は、大垣市から予算と人事権を握られている。大垣観光協会は大垣市そのものである。

 マフィアの犯罪でも、その指示をしたドンの責任は逃れられない。ドローン業者は、いわばマフィアの下っ端である。零細企業の業者は、ドンである大垣市が金をだして指示した仕事は断れまい。その場合、どこに責任があるか、明白である。

 

添付資料 ドローン業者の菓子まき宣伝ページ 335.pdfをダウンロード   

 

不幸中の幸い

 幸い今回のドローン墜落では被害者が怪我だけで済んだが、少しタイミングがズレれば、死亡事故になった事例である。なにせ5キロの鉄の塊が天から落ちてきたのだ。もし何もなければ、大垣市は頭に乗って色んなイベントでドローンを使い、死亡事故に繋がる事態になったであろう。今日、2017年12月10日、約6,000人が集まった「おおがきマラソン2017」で、ドローンを使い、ランナーのゴール直前か、大垣市長参列の表彰式で何かをまく計画をしたかもしれない。そういうイベントが度重なれば、必ず死亡事故になる事態が起きるはずである。2017年11月5日のドローン墜落人身事故で、軽傷で済んだのは、不幸中の幸いで、神仏の啓示である。

 

ドローン運用ガイドライン

平成27 年11 月17 日 制定(国空航第687 号、国空機第926 号)

航空法第132 条の3の適用を受け無人航空機を飛行させる場合の運用ガイドライン (国土交通省航空局)

 

飛行させる場所に関わらず、無人航空機を飛行させる場合には、以下のルールを守ることが必要です。

日中(日出から日没まで)に飛行させること

目視(直接肉眼による)範囲内で無人航空機とその周囲を常時監視して飛行させること(目視外飛行の例:FPV(First Person’s View)、モニター監視)

第三者又は第三者の建物、第三者の車両などの物件との間に距離(30m)を保って飛行させること

祭礼、縁日など多数の人が集まる催し場所の上空で飛行させないこと

爆発物など危険物を輸送しないこと

無人航空機から物を投下しないこと

※航空法に定めるルールに違反した場合には、50万円以下の罰金が科せられますので、ご注意ください。

 

2017-12-10

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2017年12月 9日 (土)

予告 「50m写経巻物」出版

 表記の書籍「五十尺竿頭進一歩感写経軸(巻) 卒寿記念恵峰」を2017年12月24日に出版します。12月7日に出版業者と打ち合わせをして、印刷工程に入りました。

 予価 3,000円 白黒印刷(表紙のみカラー)

 A4 横  全71頁

 

 馬場恵峰師が卒寿記念で50mの写経の巻物を書き上げたという話を聞いたのは、2016年11月29日の百m巻物の三度目の写真撮影をしていたときである。師はこの巻物で、般若心経を十種類の書体で書き上げたという。2016年12月8日、卒寿記念恵峰写経書展を見て、その写真撮影をした。その写真集を編集する段階で、50mの写経の巻物の一部を掲載せねば、画龍点晴だと痛感した。それで急遽、2016年12月22日に、写真撮影のため、長崎へ飛んだ。写真撮影で50m巻物を扱うのに、一人では無理なのでいつもの撮影協力隊の皆さんに応援を依頼した。年末の忙しい中で、自称(?)「熟女・一応主婦」の皆さんが快く手伝って頂けたことに感謝です。いつもは早割、シニア割引で長崎に飛んでいるが、年末のため、いつもの格安のシニア料金が通常のビジネスクラス並みの料金に跳ね上がっていたのは想定外でした。

 今回の撮影分を含め、この1ケ月間で、計3回も長崎に出向くことになり何か導かれた縁を感じた。今回、この50m写経軸を撮影するにあたり、前から懸案であった当家の墓誌を作り直す過程で、その裏面に彫る文章を再作成する決断ができた。計二十回弱の推敲を繰り返して完成した当家墓建立の経緯文である。その文面を先生に揮毫して頂くご縁ができたのも今回の写経軸の撮影での佛縁であると思う。ご先祖も喜んでおられると思う。

 当初、三冊目の出版書籍は、「奥の細道」の予定でしたが、やはり卒寿記念として「50m写経巻物」も出版しておくべきと考え、急遽、予定を変更して出版に至りました。

添付ファイル 目次50m1_20171207.pdfをダウンロード

下図は、出版物は表紙のみカラー、他は白黒です。

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 表紙

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 10種類の書体で書かれた般若心経

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 50m巻物を広げる恵峰師

 

2017-12-09

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