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2017年12月

2017年12月 9日 (土)

速く早く走れることの意味

 ウサギのように速く走れるとは、速くしか走る能力が無いことである。遅く走ることができない。其の咎は、後から、それも晩年に訪れる。

 飛行機でも速く飛べる機体は、遅く飛ぶと失速してしまい墜落する。ゆっくりの遊覧飛行は出来ない。離着陸のために広大な飛行場が必要で、その騒音は凄まじい。この世に存在するモノには各々に役割があり、速く飛ぶだけが良い能力ではない。一面から見れば長所だが、別に見方では欠点にもなる。人でも同じで、己の能力(性能)の高いか低いは人生の価値には影響しない。与えられた能力を何に使うか(使命)を考えよう。

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29l4a9733 岐阜基地航空祭 2016年10月30日

3img_64001  馬場恵峰師書

世で言う能力の高い人とは

 頭がいい、頭の回転が速いとは、馬鹿になって物事に取り組むことが出来ないこと。物事の損得勘定に最初に考えが行ってしまう。また人が馬鹿に見えてしかたがない。物事を利害関係、合理的にしか考えられず、傲慢になりやすい。合理的にしか考えられないのは、視野の狭い偏った思考能力である。だから嫌われる。

 記憶力が優れているとは、部下の失敗を何時までも覚えていて、部下にその嫌味を言って部下から嫌われる。また己の失敗をいつまでも引きずることにもなる。

頭が良くて早く出世する能力は、エリートコースに乗り、下積みの経験をせず直ぐ課長や所長・役員になって人生を謳歌すること。それが長い人生でプラスなのかマイナスなのかは別問題である。人生は長い目で見るとプラスマイナスゼロの世界である。

 

能力の高い人の末路

 そうやって部長や役員での仕事として人のアラ探しや指示することだけは出来るが、実務や実生活では何も出来ない人間が出来上がる。退職後に、やることが無く、認知症に罹りやすい落とし穴が待っている。長年、気ばかり使って頭を使わなかった警察署長、校長先生等が認知症になりやすいという。接待の宴会続きで旨いものを食べてばかりいると糖尿病、高血圧、肥満の罠が待っている。

 

2017-12-09

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

愛の院内クリスマスコンサート(改定)

 2017126日、1330分より大垣市民病院ロビーにて恒例のハンドベル演奏による院内クリスマスコンサートが開催されて、私はSONY α9と100400㎜望遠レンズを抱えて撮影に赴いた。演奏はビアン・シャンテの皆さんである。その指導と指揮を金城学院大学の吉田年一先生がされた。

 素敵な音色で、クリスマスにちなんだ7曲を演奏・合唱されて院内の患者や見舞客の約百人の皆さんへの素晴らしい慰問になった。大勢の人が熱心に聴き入っていた。私もハンドベル演奏をこういう形で聴くのは初めてであった。

 

愛(AI)の迷い

 今回使用したカメラSONY α9は、無音シャッターであるが、その他に瞳ピント機能があり、ピントが顔全体ではなく、瞳を検出して、瞳にドンピシャでピントが合う機能がある。まさに人工知能AIごとき機能である。その機能は、前回の小坂井聖仁さんのヴァイオリン演奏会では、買ったばかりで操作方法が分からず使えず(機能が多すぎて覚えきれなかった)、今回その機能を初めて使った。

 ところが今回の演奏会で焦点合わせの時、カメラが迷いに迷って中々ピントが合わない。その結果、ピンボケ多発でうまく写真が撮れなかった。後日、メーカに確認したところ、逆光での状態では、顔の瞳の検出が、一番苦手とか。確かに明るい背景の中から、瞳の検出はコンピュータのロジック上で難しいと納得した。AI(愛)にも迷いがあったのだ。そのせいで、演奏中の個別演奏者写真が限定されてしまったことをお詫びします。アイは難しい。

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ハンドベルとは

 ハンドベルは、17世紀ごろに英国で教会のタワー・ベルを何人かで技巧練習をするために、生まれた楽器である。米国で、独立した楽器となり、数人があわせて音楽を演奏する形態が完成し、賛美歌をはじめとして、色々なジャンルの曲を演奏するようになった。その鳴らし方次第で、魅力的な鐘の音が響き渡る。

 一つのベルが一つの音に対応するため、音階分のベルが必要である。5オクターブで約300万円と高価である。ハンドベルは、金色の鐘であるが、材質は銅や真鍮製である。

 1つのベルは一音程しか出すことができないので、曲を演奏するには、通常、2オクターブ(25個)から6オクターブ(73個)のベルを用意する。1人で4ないし5個程度のベルを担当することが多く、音域によって8人程度、多い場合は15人程度で1チームをつくって演奏することが多い。

 吉田先生が簡単なハンドベルの解説をされて、私は初めてその概要を知った。それからその詳細を調べる機会を得て、学びが多かった。ハンドベルも奥が深い。

 

吉田年一先生

 今日の演奏の指揮をされた吉田年一先生は、金城学院大学非常勤講師で、PRIME(ハンドベルチーム)および名古屋市立大学OB管弦楽団の音楽監督、名城大学管弦楽団、セントラル愛知交響楽団、名古屋室内管弦楽団、アンサンブル・アトレイユ、金城学院大学管弦楽団、金城学院大学ハンドベルクワイアの指揮、指導をする傍らフリーで活躍中である。

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大垣公園イルミネーション点灯式での音楽

 こういう静かで上品なハンドベル演奏が、12月の大垣公園イルミネーション点灯式での音楽にふさわしいと思う。もっとも冬夜の寒空で、女性の皆さんに演奏を強いるのは心苦しい。それを考えると、冬夜の寒い外気中で10人程しかいない聴衆にジャズの音楽を大音量で聞かせて、市民税の大金を下請け業者に流すことに違和感がある。大垣市は、獲得した予算を下請け会社に無理に消化させているようだ。お役所の無駄使いの最たるもの。まるで、年度末に無理やり道路工事で道路を掘り起こすようなもの。

 この院内クリスマスコンサートを、大垣市役所の職員の方が裏方で支援をされていた。それには大感謝です。もっとこういう市民ボランティア活動を、大垣公園イルミネーション点灯式等でも展開して欲しい。そうすれば無駄なお金が節約できる。大垣市長の大好きな「節約」ができる。時期外れの新市庁舎建設で余分に必要になる建設費用の足しになる。 

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ぼやき

 この演奏会場のロビーが、市民病院の受付の横にあるので致し方ないが、初老のおばさんさんが、この演奏を邪魔するような大きな声で、我関せずとして受付の方に話しかけていた。彼女には、横での演奏は眼中にないようだ。大垣の文化水準を晒すようで恥ずかしかった。自分は、将来、ああいう愚かな姿は見せたくないと思う。

 

2017-12-09

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2017年12月 8日 (金)

ウサギと亀の狂騒曼荼羅

 ウサギと亀の競争の寓話では、地道な努力が必要と教えられてきた。それは小人としては正しいのだが、大人なら別の観点での悟りの見方が必要である。

 修証義に曰く「たとい佛に成るべき功徳熟して円満すべしというとも、尚お廻らして衆生の成仏得道に回向するなり、或いは無量劫行いて衆生を先に渡して自らは終に仏にならず、但し衆生を渡し衆生を利益するもあり」。道元禅師は、人の為に尽くすならば、自分は成仏しなくてもよいとまで言っている。

 

人生の勝負

 亀は歩いている途中でウサギが寝ているのを見て、なぜ起こしてやらなかったのか。たかがある場所までの競争ではないか。一緒にゴールをする発想がなぜとれないか。シャカリキに競争しなければならないのか。人生のゴールは死である。隣国の財閥の総帥は、使い切れないほどの財産を前に、集中治療室でこん睡状態にある。うさぎと亀の勝負など、最終ゴールに比べれば愚かな戦いである。それは自分だけよければ良いというのは、利己主義者(グローバル経済主義者)の考えである。幼児曰く「なぜ亀はウサギを起こしてやらなかったの。意地悪ね」。童子の純粋な目とは、佛の目である。目先の小欲に溺れた大人には、考えが及ばない。もっと大慾を持てと、佛はいう。

 

人生の競争相手

 人生の競争相手は佛である。その佛がうさぎと亀の二役を演じて、己を試す。その佛が自分の至らない点を真摯の教えてくれる。ウサギと亀の教えを、人生の教えとして佛が曼荼羅で舞う。

Photo  馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」より 

2017-12-08

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ANA営業論理をゴリ押し

ANAブランドの毀損

 文末のメール文は、私の意見に対するANAからの回答である。内容を見て、馬鹿らしくなり返信はしなかった。返信をしないというのも、明確な意思の表示である。

 ANAの回答書は、相手がどう思うかなど知ったことではなく、あくまでANAの金儲け営業方針のゴリ押しで、「食」の広報の正当性を主張しているだけである。ANAの主張が正しいかどうかは、問題ではなく、顧客がどう思うかが問題なのだ。どんな主張も、立場や顧客や国や時代が変れば、180度変る。ANAの経営理念に照らして、それが正しいかどうかだけを判断すればよい。今回の事例は、それから逸脱しているから怒りが起きる。

解釈の違い

 世に事実はない、解釈の違いがあるだけ。ニーチェ

 There is no fact, only interpretation.

 コミュニケーションとは、二つの立場が衝突した時、各自がどう解釈したかで、成り立つ事象である。ハーレムでスリにあえば、盗られた方が愚かで、盗ったほうは、英雄である。立場でその解釈は全く異なる。ANAと顧客の立場は、全く異なる。それを超越して顧客が頼りにするのが、その企業の経営理念である。それが遵守されていなければ、コミュニケーションは成り立たない。

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顧客満足に反する

 顧客は、和食の魅力、地方の魅力の広報を期待して、ANAを選んで搭乗するわけではない。あくまで、安全に快適にスピーディに運んでくれる付加価値を期待して航空会社を選んでいる。

 私は「和食の魅力発信」と「地方の魅力発信」などには興味がない。それを広報したいのなら、機内誌に掲載すれよい。この項目は、航空会社の使命ではない。それに力を入れるとは、その分の経営資源が、安全へ割くべき資源から除かれること。航空会社の安全への使命の放棄である。これはあくまで金儲けの一環の宣伝活動である。ANAの行動指針に反している。

 

経営理念に反する

 「めしの友」や地方の食文化の紹介も情報過多の時代、それを見るか見ないかの選択は、乗客にある。それを強制的に見させるのは拷問である。機内雑誌に載せれば済む話である。テレビなら自分でスイッチを切ればよい。機内放映ではそれができないので、意見を提示している。それを無視して、ANAの主張をゴリ押しするのは、企業理念とグループ行動指針(ANA's Way)に反している。客席で不愉快な思いをさせるとは、負の付加価値創造である。企業理念に反した社員を、放置すると企業が潰れる。それほどに企業理念は重要である。会社を興すのも、衰退させるのも、企業理念の社員への浸透さにある。

 

経営理念遵守部署と確認部署と同じ?

 最近の企業の不祥事は、すべて企業理念の軽視から始まっている。ANAの機内放映のビデオは自社制作とのことだが、そんな金を使うなら、もっと本業の安全に経営資源を使って欲しい。

 

 ANAや日航は経費削減のため、中国やアジアの安い整備会社に外注し、故障や不具合が続発している。日航、ANAともに発生した不具合の多くを国交省に報告していないとの噂がある、「墜落しなければバレない」の姿勢のようだ。中国やアジアで整備する問題点は、中国人が適当に手抜き整備するというだけでなく、「整備をチェックするのも中国人」である点だ。整備する人も、整備状況を確認する会社も同じで、酷い場合には同じ人が兼任している場合すらあるという。泥棒と警察官が同じでは、ANAの遵法精神は今いずこ?

「JALとANAが機体整備を中国に外注 墜落事故の危険も」を参考に記載しました。http://www.thutmosev.com/archives/72741051.html

 今回の不祥事でも、回答書から見ると、広報を担当する部署と、それをチェックする部署が同じようだ。一事が万事である。恐ろしくて、日航、ANAには乗れない。

 

グループ経営ビジョン

 ANAグループは、お客様満足と価値創造で世界のリーディングエアライングループを目指します

グループ行動指針(ANA's Way)

1.安全(Safety):安全こそ経営の基盤、守り続けます。

2.お客様視点(Customer Orientation):常にお客様の視点に立って、最高の価値を生み出します。

3.社会への責任(Social Responsibility):誠実かつ公正に、より良い社会に貢献します。

 ANAホームページより

 

ANAからの回答メール

ANA/機内上映の番組につきまして [受付番号: 171128-004810]

2017/11/28 (火) 18:11

 平素よりANAマイレージクラブ会員として、弊社便をご利用いただき、厚く御礼申し上げます。

 この度は、11月23日弊社373便(名古屋-長崎)ならびに11月24日弊社374便(長崎-名古屋)ご利用の際の上映番組の内容につきまして、ご意見を頂戴し、恐縮に存じます。

 本件につきましては、担当部署に確認致しましたので、報告申し上げます。小田様からいただきました資料、「めし友図鑑」、「SKY EYE」はANAオリジナル番組となります。特に「めし友図鑑」は日本が誇る和食の中心である「お米」の生産における開発秘話と共に、そのお米に合う「めしの友」を紹介すると言うコンセプトの番組となっております。

 「SKY EYE」につきましてはTaste of Japanの一環で制作している地方創生の番組として、それぞれの県の魅力を食文化も含め紹介しております。両番組ともに、その地方の魅了を伝える中では「食」の紹介は欠かせないものと考えております。弊社といたしましては、「和食の魅力発信」と「地方の魅力発信」の為の重要な要素として「食」を取り扱っている次第でございますこと、何卒ご理解賜りたく存じます。

 小田様から頂戴しましたご指摘は、すでに担当部署に報告しており、今後の番組制作の際の、参考とさせていただきたく存じます。

 小田様におかれましては、お忙しいなか、貴重なお時間を割いて、お声を寄せていただきましたこと、心より御礼申し上げます。

 弊社対応には、至らぬ点も多々あろうかと存じますが、今後とも、お客様にご信頼いただけるサービスがご提供できますよう努めて参りますので、弊社便への変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

 ANAウイングス株式会社 客室部福岡客室乗務室 課長 〇〇〇〇

 

2017-12-08

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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累計閲覧数15,000回突破

 当ブログ開設以来195日目の2017127日深夜、累計閲覧回数が15,000回を超えました。見て頂きありがとうございます。今後も精進してまいります。

2017-12-08  小田泰仙

2017年12月 7日 (木)

ANA機内で帝国滅亡の兆を観る(改定)

 私は年に12回ほど、馬場恵峰師書の写真撮影と通院のため、中部国際空港と長崎間をANA機で往復している。そのANA機内放映の内容が、退廃したローマ時代末期の飽食の様を見るようで辛い。ローマ帝国の滅亡は、外敵の侵略のためではない。ローマ人が退廃して内部から崩壊したのだ。飽食に明け暮れ、飽食を宣伝し、TVグルメ番組が幅を利かす日本の現状は、ローマ時代末期の飽食の様と同じではないのか。日本は金儲け主義の企業が、日本を衰退の道に追いやる。航空会社の企業使命は、乗客を安全・安心・快適に目的地に運ぶこと。この機内放映行為は経営理念に反している。現在は、安全・安心・不快適である。これは現在のテレビ番組も同じである。

 

痴呆的な恍惚表情を見せつける拷問

 機内放送の映像では、食べるシーンばかりのCM映像を何度も何度も流す。僅か小一時間内に、多い時は10~20回も、である。「うまい、うまい!」といって恍惚の表情を浮かべ、痴呆的な顔の映像を、何度も繰り返し見せるのは映像暴力である。見るに耐えられず不愉快になる。機内で身動きが取れないので、目に飛び込んでくるのを拒否もできない。身動きもできず、見たくないものを強引に見せられるのは拷問である。新幹線や他の施設、海外の航空会社では、こんな拷問はない。テレビなら消すか、その場を去ればよいが機内では、それもできない。いつから日本は、人の飲食姿を見せつける下品な会社が跋扈する国に成り下がったのか。

 

金儲け主義の果ての姿

 最近の日本は隣国のように段々と下品になってきている。日本人の品格下落の助長を日本の代表する会社・ANAがやっている。金儲け万能の会社と思わざるを得ない。日本人は食いすぎで病気になり、30年前は10兆円であった医療費が40兆円になり、その負担を国民に強いている。その一因が、あまりに多い食物関係、特にファーストフード・清涼飲料、加工食品関係のTVのCMではないだろうか。その延長線上の病状が、肥満、ガン、認知症患者の増加である。金儲け主義のグローバル経済主義の果てが、1%の富裕層と99%の貧困層の格差社会への転落なのだ。テレビという洗脳教育兵器の恐ろしさに、目が覚めないわが国民が情けない。最近は、そのテレビも偏向報道、フェイクニュースを平気で流す媒体にまで堕落した。そのマスコミは、良識から指摘があってもそれに対して居直る恥知らずである。早く我々が目を覚まさないと日本が滅亡する。

 

 

食欲の位置づけ

 食欲睡眠、交尾は、人間の原始的機能で、原始動物そのものの欲望である。動物なら好き嫌い、恐怖を感じる感情動物である。人間は、考える、創造するという精神レベルの存在である。その原始的機能の食べるという欲望をさらけ出し、金儲けのために食べるシーンを見せつけるのは、動物以下である。

 それは単なる野獣としての肉体的欲望の姿そのものである。文明人は、それを作法とか文化として隠すのが教養ある姿勢である。それを、CMとして痴呆的な恍惚表情で食べるさまをさらけ出すのは、未開人と同じではないか。ANAが食文化を追及して、広めるのを社是として展開しているようだが、それが航空会社のやるべき使命ではない。航空会社の使命は、安心・安全・快適に乗客を目的地に運ぶこと。企業メセナとは芸術、文化の支援であり、原始動物レベルの食い物文化を広めることではない。

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企業メセナ

 メセナ(フランス語: mécénat)とは、企業が主として資金を提供して、文化・芸術活動を支援することである。メセナの代表的なものに財団などを通じた資金的バックアップや、企業が主催するコンサートやオペラの公演、スポーツなど各種イベントの開催などがある。

 企業がメセナに貢献すべき理由として、『企業は経済活動のために環境に負荷を与え資源を浪費する。同時に文化を支える人材を労働力として収奪してしまうため、文化で次世代に還元する必要がある。』と言われている。mécénat は、フランス語で「文化の擁護」を意味する。

 ANAが推進している食い物文化の広報は、「文化の擁護」ではない。ANAは金に目が眩んで、勘違いしている。文化とは、原始的レベルの話しでなく、精神レベルの話なのだ。

 

サブリミナル効果という犯罪

 映画のフレームの中にポップコーン等のジャックフードの画像を挿入すると、映画放映の休息時間に、無性にその食べ物を食べたくなるのをサブリミナル効果という。それは法律で禁止された手段である。それと同じことを、堂々と機内放送で実行しているのが現在の国内航空会社である。テレビなら消せばよいが、機内では如何ともしようがない。中部国際空港から長崎への便はANAに限定される。客は航空会社を選べない。これは、陰でこそこそするサブリミナル効果どころではなく、堂々としたメインリミナル効果である。これは暴力である。

 教養の高い人は公衆の面前で、生理現象である食べる姿は見せない。痴呆的な表情で食べ続ける姿を、「金儲けのため」に乗客に見せる企業行動は狂気である。そのために高い航空運賃を払っているのではない。繰り返し飽食の映像の放映は洗脳教育の一種で、日本人の愚民化に手を貸している。これは日本を代表する航空会社の企業ブランド毀損事例である。経営診断での興味深い「失敗事例」にはなる。私は今、執筆中の本の事例に、本件を追加する予定だ。

 

サブリミナル効果

 1900年、米国の心理学教授Dunlapは瞬間的に見せるshadowがMüller-Lyer illusionの線の長さの判断に影響する、と述べた。20世紀半ばにはマーケティング業者が広告にその技術を用い始めた。1973年には、ゲーム「Hūsker Dū?」の宣伝にサブリミナル刺激が用いられ、それが使われたという事実がウィルソン・ブライアン・キイの著書で指摘されたことで、米国連邦通信委員会で公聴会が開かれ、サブリミナル広告は禁止されることになった。日本では1995年に日本放送協会(NHK)が、1999年に日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止することを明文化した。

 現在、映画やテレビ放送などではほとんどの場合、使用を禁止されている。

 当初は心理学、知覚心理学だけの領域であったが、現在は広告研究、感情研究、社会心理学、臨床心理学など幅広く様々な関心から研究されている。

 1957年9月から6週間にわたり、市場調査業者のJames M. Vicaryは、ニュージャージー州フォートリーの映画館で映画「ピクニック」の上映中に"実験"を行なったとされている。ヴィカリによると、映画が映写されているスクリーンの上に、「コカコーラを飲め」「ポップコーンを食べろ」というメッセージが書かれたスライドを1/3000秒ずつ5分ごとに繰り返し二重映写(フィルムのフレームを差し替えたと信じている人が多いが誤解である)したところ、コカコーラについては18.1%、ポップコーンについては57.5%の売上の増加がみられたとのことであった。しかし、ヴィカリは、アメリカ広告調査機構の要請にも関らず、この実験の内容と結果についての論文を発表しなかった。(この項、wikipediaより編集)

 

図3 機内のどこからもで食べるシーンを見せつけられる。

   嫌やでも目に飛び込んでくる。拷問である。

図4~9 食べるシーンが繰り返し繰り返し放映される

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 本記事の原案を、航空会社の名前を伏せて、ブログに11月1日に掲載しました。その後、個別にANAに意見を求めたが、それに対して顧客無視で、ANA経営ビジョンに反した回答書を受け取った。それはANAの主張をゴリ押しする回答であった。それを踏まえて以前の記事を改定して再掲載します。

 2017-12-07

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2017年12月 6日 (水)

好きで継続、時を活かせ

 2017年夏、馬場恵峰先生宅で、気になる文章の書を見つけた。それは自宅で飾るには少し大きすぎたので、師にお願いして普通の色紙二倍の大きさに揮毫をお願いした。この書を自宅の玄関に飾り、家の出入りの度に目に留まるようにした。この文章は、書だけでなく、仕事を含めてすべての事に当てはまる。

 

何事も上手になるには好きで継続、時を活かせ

1. 実行して見たら出来るかも知れないのに、なさず、学ばず ……歳月流れ老化道、早く気付いて、志華輝く道歩み幸せつかめ

2. 手の三分、練磨の繰り返し、目で三分を覚え、脳裏に刻むこと、そして耳から学ぶ四分が最強の力、糧となり、充実する。

3. 多忙でも時間活用心得て、何事でも基本をしっかり学び身につける事だ。

4. 続けていると、自然に、いつか好きになるもの。又、忙中に自然その時間も生まれてくる。

5. 習字(自)--書道--書芸と進歩せよ。

6. 字は苦手だ……と学ばないまま、生涯、つかまず成果も残さず、心寂しいものである。優劣でなく、希望を持ち活動を

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2017-12-06

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2017年12月 5日 (火)

エイリアンとの闘い

マイクの位置決めで一騒動

 2017年12月3日、大垣フォーラムホテルでの「クリスマスコンサート2017」のリハーサルで、ヴァイオリニスト天野千恵さんの演奏風景を撮影した。そのとき、私は天野さんの後ろ上部のマイクスタンドの姿が気になって、その位置を変えるように音響担当者にクレームを付けた。ところが、「ヴァイオリン演奏の収録では、この位置が常識で、公共放送の演奏会でもこの位置だ」と変更に抵抗をされた。

 天野さんに私が撮影した画像をカメラ液晶画面で見せたら「イヤ~だ! まるで後ろからエイリアンに操られているようだ」という。それから、マイクの位置を、前や下や横に色々と変更してみて、やっと目立たず、収音にも影響のない位置を見出して、天野さんも納得して演奏を開始することができた。いままで何年もこんな不細工な風景のマイクスタンドで人目に晒していたのかと呆れた。

1dsc01981  変更前  天野千恵さん

2dsc01996  変更後

音楽という芸術作品

 後でこの件を確認すると、公共放送の演奏会でのマイク位置は、確かにその位置ではあるが、その位置はずっと上で、上から吊り下げてあった。そのため、カメラには映らない様になっていた。今回のホテルの会場では、そのマイクを上から吊り下げるのではなく、マイクをステージ上のスタンドからぶら下げる構成であったので、その姿が演奏者を後ろから襲うエイリアンの姿であった。音響担当者は、あくまで音だけに関心があり、全体でどういう風に観客の目に映るかには、気が回らないようだ。私は、演奏の風景の絵として、美しくなく雰囲気が台無しだと感じて苦情を呈した。音響効果担当者も芸術家の範疇である。芸術家なら、音楽という作品作りで、自分の音響の分野だけの視野ではなく、もっと広い視野で、物事を観察して欲しい。音響効果担当者も、もっと美的センスを持って欲しい。見た目の美しさ、照明の全てに対して、美的感覚で気を使って欲しいと思う。どんな美味しく素晴らしい食材でも、センスの悪い器では、その味が不味く感じる。

 これは全ての仕事の通じる話である。プロなら、自分の担当分野だけでなく、関連分野にも気を使うべきだ。

 

エイリアン(営利闇)

 専門家は、自分の分野だけの損得で視野が狭くなりがちである。それがエイリアン(営利闇)で、己の利益しか考えない姿である。現在のグローバル経済主義者も同じく、エイリアンである。自分達だけ儲かればと、社会全体の利益には考えが及ばない。己たちだけの利益を確保するゲーム理論分野で、ノーベル賞が授与される経済学者が頻出しているが、実際の社会では貧富の差は拡大して、多くの人が不幸になっている。なにかおかしい。ノーベルさんも墓場の中でお嘆きだろう。

 

2017-12-05

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鬼神の監視 

ドライブレコーダーの眼

 青森の社長からの紹介で、地元の某社長の会社に車検を依頼したが、その過程で不祥事が発覚した。ドライブレコーダーはその不祥事を記録していた。その社長との過去の付き合いでは、何か違和感が度々あった。今回、それが納得させられた。今回の不祥事を機に、その社長とは縁を切った。

 

露見の経緯

・三好輝行先生宅を訪問した2013年10月25日、車検を依頼

・納車後に、ガソリンがほとんど無いことが露見。

  3割ほどはガソリンが残っているはずだが、記録から見ると納車までにかなり走行している。車検指定工場なら、陸運局まで行くまでもないはず

・説明中に社長の無断携帯

  彼は、納車の説明時、携帯に電話がかかってきて、私に断りも無く話を始めた。彼は、私の目の前で携帯電話をするのが今回で4回目である。以前にきつく注意をしたが、直らない。客の前で断りもなく電話をするとは、目の前の私よりも他の客が大事であるとのメッセージである。侮辱であり、時間泥棒(命=時間)である。時間を大事にする私には許せない。

 

ドライブレコーダーの記録動画

 ガソリン残量の疑惑に関し、自車のドライブレコーダーを思い出した。その記録を再生してみると、業者としてあるまじき行動と声が録画されていた。以前から彼の行動には違和感があり、その原因が判明した。ある人に感じる違和感とは、己の内なる佛が発している警告である。鬼神の警告を見逃さないことで、人生航路を無事に航海できる。

 

鬼の諦め

 本来なら彼を詰問すべきだが、諦めた。以前に、きつく叱ったこともあったが効果がなかった。自分も叱るのが空しく感じる。言っても仕方のない人には誰も注意をしない。鬼が何も言わないのは、恐ろしいこと。

 「諦める」とは物事の真実が明らかになることである。仏教用語で、まこと、真理を意味する。諦は、「言」と音符の「帝」からなり、しめくくるの意味を表す。言葉でしめくくり、つまびらかにする意味を表す。師から言ってもらえる内が花である。そうでないのは、彼が今まで積み上げてきた負の積善の結果である。佛の顔も三度まで。それを過ぎると、佛が閻魔大王に変身する。

 

信用のまた貸し

 人を紹介するとは、自分の信用金庫のまた貸しの行為である。半面教師としての鬼の教えであった。私も彼の会社の車検の紹介活動を知人達にしており、赤面の至りである。鬼の眼は、己の魂を見透かし「人を見る目をもっと養え」と言っていた。

1   ドライブレコーダーの記録動画

鬼の眼

 このドライブレコーダーは前職の会社で在職中、自動車技術会関西支部活動でお世話になった富士通テンの製品である。並製品より高価(約4万円)であったが、ご縁のある会社なので、この会社の製品を指名買いした。

 この製品は、エンジン稼働中の間、常時録画タイプである。常時上書きで過去2時間分の走行記録が録画される。事故の場合はどちらに非があるか、証拠として自分の身を守ってくれる。事故があった場合は勿論、常時録画がされているので、警察にこの記録を証拠として提出する場合では、自分の日頃の走行状況も録画されるので、違法な運転はできない。常に警察官(「鬼」)に監視をされて運転をしているようなものである。結果として安全運転をすることで、交通事故の確率も大幅に減る。それが時間創造である。自身の内にいる「鬼」を無視しての運転は出来ない。安全運転の人生航路である。

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 「魂(オニ)」白檀 松本明慶師作、眼入れは岩田明彩師

手術の録画

 眼の手術で大変お世話になった三好輝行先生(三好眼科)も、ご自身の手術を全て録画されている。その数52,000件。医療訴訟に備えてのことではあるが、手術の全てを鬼が監視していると同じである。腕に自信がないとできない行である。(2013/10/31記)

4  馬場恵峰師書

2017-12-05

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年12月 4日 (月)

仏の「子と音cotoneKiDS」

 2017年12月3日、大垣フォーラムホテルで「クリスマスコンサート2017」が開催された。その出し物の中で一番魅力的であったのが「子と音cotoneKiDS」の出演であった。松本明慶師は、「人間で一番仏に近い存在が、赤子である」という。それから考えると、音楽に没頭している純心な子供たちも、仏に一番近い存在ではないかと思う。

 その仏のような純心の子供たちを愛情あふれる「育ての鬼」の先生達が真剣に指導をしている。この演奏のリハーサルでは、4人の「愛の鬼」がその一挙動一挙動を指導していた。その指導に素直に従っている「子と音cotoneKiDS」である。その後ろで、親御さんが優しい眼差しで見学していた。微笑ましい姿である。「仕事の鬼」の目に、うれし涙である。

 この世は仏も住めば、鬼も住む。何事も鬼になって取り組まねば成功しない。仕事のオニの松本明慶師は、創った作品に「魂(オニ)」と命名した。そのお値段、車一台分。己の心の中の「鬼」が「云う」と書いて、「魂」である。魂は嘘を言わない。仏と同じく純心である。

 

仏のサプライズ

 そのクライマックスのサプライズは、このクリスマスコンサートが終わり、観客が出口で「子と音cotoneKiDS」からお土産を受け取る時であろう。出口で可愛い子供たちが待ち構えて、お土産を渡す姿は微笑ましい。私もこのサプライズを事前には知らず、思わずカメラを連写してしまった。

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 会場出口でお土産を渡す「子と音cotoneKiDS」のサプライズ

294k8a8807  お客さんたちをお見送りした後で記念撮影

「子と音cotoneKiDS」とは

 「子と音kotoneKIDS」は河村義子先生が、音楽を通して子供たちの感性や心を育てていきたいという理念で始めた活動である。小中高生を中心にした仲間達が、歌って、踊って、鍵盤ハーモニカや打楽器、ピアノなどいろんな演奏にチャレンジして、音楽を楽しんでいる。

 今までの活動では、グルマンパンの森企画「春の感謝祭」「クリスマス感謝祭」、クリスマスコンサート2014(音楽堂ロビー演奏)、院内ふれあいコンサート(大垣市民病院)のなどに出演している。定期のワークショップ(レッスン)を、月2回(隔週日曜日)を行っている。講師は伊藤応子、粟野真由美、河村義子、高田伸子他である。現在、メンバーを募集中です。

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 3人の先生が演技の振り付けにかかりっきり

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 愛情あふれる指導で熱が入る。それが腕の形に現れる。

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 エレクトーンを弾く先生も真剣です。

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 首脳会談ではなく、「鬼脳会談」のひと時

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 リハーサルを見守る親御さんと指導の「愛の鬼」様たち

 安心して後ろで見ていられる演奏レベルになったようです。

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 本番での演奏

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 松本工房作 松本明慶師監修「童地蔵」、字は馬場恵峰師書

 2017-12-04

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