ウサギと亀の狂騒曼荼羅
ウサギと亀の競争の寓話では、地道な努力が必要と教えられてきた。それは小人としては正しいのだが、大人なら別の観点での悟りの見方が必要である。
修証義に曰く「たとい佛に成るべき功徳熟して円満すべしというとも、尚お廻らして衆生の成仏得道に回向するなり、或いは無量劫行いて衆生を先に渡して自らは終に仏にならず、但し衆生を渡し衆生を利益するもあり」。道元禅師は、人の為に尽くすならば、自分は成仏しなくてもよいとまで言っている。
人生の勝負
亀は歩いている途中でウサギが寝ているのを見て、なぜ起こしてやらなかったのか。たかがある場所までの競争ではないか。一緒にゴールをする発想がなぜとれないか。シャカリキに競争しなければならないのか。人生のゴールは死である。隣国の財閥の総帥は、使い切れないほどの財産を前に、集中治療室でこん睡状態にある。うさぎと亀の勝負など、最終ゴールに比べれば愚かな戦いである。それは自分だけよければ良いというのは、利己主義者(グローバル経済主義者)の考えである。幼児曰く「なぜ亀はウサギを起こしてやらなかったの。意地悪ね」。童子の純粋な目とは、佛の目である。目先の小欲に溺れた大人には、考えが及ばない。もっと大慾を持てと、佛はいう。
人生の競争相手
人生の競争相手は佛である。その佛がうさぎと亀の二役を演じて、己を試す。その佛が自分の至らない点を真摯の教えてくれる。ウサギと亀の教えを、人生の教えとして佛が曼荼羅で舞う。
2017-12-08
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
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