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2017年12月18日 (月)

磨墨智 589-1.この世の地獄

 2013年、毎日、私は図書館の学習室で国家資格試験の受験勉強に励んでいた。いつも17時半ごろ、60過ぎの男性が、学習室の読書のため姿を現す。18時に一般閲覧室が閉館になるので、学習室に来るのである。その男性は学習室で、ただ雑誌や本を読むだけである。それを見て自分の幸せをつくづくと感じる。その人は「婦人画報」や「週刊ダイヤモンド」等の雑誌の活字を虚ろな目で追っているだけ。時々、学習室内を歩き回ったり、窓辺で物思いに耽っていた。周りで必死に勉強している学生達と対照的であり、周りに迷惑をかけているが、本人の自覚はない。「自分がそういう境遇でないことの幸せを感じなさい」との仏様の啓示だと悟っている。(2013年7月)

 

時間つぶしの地獄

 60過ぎになって、やることがなく図書館で雑誌を読んで時間潰しをしているほど惨めなことはない。こうなっては時間がいくらあっても無価値である。これでこの世の地獄を感じない人は終わっている。余命3ヶ月を宣告された末期ガン患者からすれば、その時間潰しの時間を少しでも分けてくださいと懇願すると思うのだが。本人にその自覚はない。受験地獄とはよく言われる言葉であるが、それで死ぬわけではない。自分の未来に向って挑戦をしているだけである。これを幸せと言わずして、何が幸せか。

 その昔、私も仕事で干されたことがあるが、周りが会社の収益のために忙しく働いているのに、自分は仕事がない。これほど辛いことはない。この辛さを経験したが故、仕事がある幸せが分かる。下記のような境遇になっては、人生は終わっている。そうならないように精進をすべきである。それが時間創造である。仕事は生活の糧ではない。仕事とは生きることそのもの。仕事のない時間は死の時間。

 

 起きたけど寝るまで特に用もなし

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2017-12-18

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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