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2017年11月

2017年11月16日 (木)

幸運の女神の後頭はハゲ

 幸運の女神には前髪はあるが後ろ髪はない。来たチャンスは前髪で掴めとの格言である。2014年11月20日、仙台の藤崎百貨店で、絵佛師岩田明彩さんから曼荼羅の説明を受けていた。そのとき、その展示コーナ横に天女の佛画が展示してあり、営業マンとしての(?)明慶先生がその佛画の説明をされた。いい絵だな、と納得して手を出そうとしたら、同席の齋藤明彦社長が一瞬先に手を出して、天女様は遠く盛岡市まで拉致され飛んでいってしまった。震災復興で忙しい地を優先して先に盛岡に行かれたのは、慈しみある天女の心遣いであろう。齋藤さんが中国の清龍寺で写経納経した功徳のようだ。

 

天女

 天女とは欲界六天に住む天上界の女性の天である。吉祥天女、弁財天女はそのうちの一天である。六天とは欲界に属する六種の天、すなわち四王天・忉利天・夜魔天・化楽天・他化自在天である。

 幸運の女神と親しい天女にも後ろ髪はなかった。天女の後ろ髪は「かつら」であった。それに騙されると判断の遅れとなる。慈しみの天女が訪れたら、きつく抱きしめないと即去っていく厳しさがある。慈厳を併せ持つ佛様である。縁に対して己の眼力が試される。

 

人生という芸術作品

 芸術品の入手は一瞬の判断が勝敗を分ける。芸術という人生も同じで、一瞬一生で、一瞬の判断の遅れで、天女は手の届かない所に飛んでいってしまう。その一瞬一瞬の判断の積み重ねが、人生を創る。決して偶然の人生はない。自分の決断の連続が人生を創る。経営では社長の決断が、会社の未来を左右する。決断を正しくするには、決断の練習をすること。成功のためには、多くの失敗をするため小さい決断を多くすること。決断をしないのが最大の失敗である。

 明慶先生のモットーが「next one」であることを思い出し、気持ちを取り直して岩田明彩師に同じ佛画の製作をお願いした。その佛画が年内ぎりぎりの2014年12月30日に届き、年の良き締めくくりとなった。

 この作品「飛天」には絵佛師岩田明彩さんの特別の思い入れがあり、今後の「飛天」シリーズの代表作になるよう勉強をされているという。人生では跳ばねばならない時もある。天を翔ける夢の実現に精進している自分には励みになる絵である。ご縁に感謝。

 

図1 一瞬一生 馬場恵峰書 2014年

図2 絵佛師 岩田明彩師作「飛天」2014年

 

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2017-11-16

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年11月15日 (水)

大垣市は危機管理にノー天気

トヨタの危機管理の原則は「現地現物」

 2017年11月23日、台風21号の影響で、室村アンダーパスが水没した。その対応で、大垣市役所の無責任さを某自治会長から最近知らされて改めて、怒りがわいてきた。大垣市民の命を誰が守るのか。

 当日、室村アンダーパスが水没した現場に、市の職員は誰もいない。某自治会長はその事実を、現地現物で確認したと証言した。大垣市は、この対応を業者に任せ切りで、市の担当者は知らんぷりである。毎度のことなので、出向く必要もないと居直っているようだ。その慣れの意識が大事故に繋がるのは危機管理のイロハの常識である。こんな無責任な意識が、大垣市役所に蔓延しているから62年間も水没事故が対策も打たれず放置されている。緊急事態なのに、市の責任者も担当者も誰もいないのは、呆れる。いくら、毎度のこととはいえ、市民の生命に影響する災害・問題が起きたら現地に飛ぶ。それが危機管理の鉄則である。

 市の職員不在の事実を、当日の写真で再確認をした。写真には、市の職員は誰もいない。そこまで大垣市の対応が酷いとは想像外である

図1 室村アンダーパス水没現場 南側 2017年10月23日09:54

図2 室村アンダーパス水没現場 南側 拡大

   市の職員は誰もいない。業者のみ。

図3 室村アンダーパス水没現場 北側 2017年10月23日09:59

図4 室村アンダーパス水没現場 北側 拡大

   市の職員は誰もいない。業者のみ。

 

現地現物

 危機が起きたら現地現物で物事を冷静に観察して対処する。それがトヨタの危機管理である。大垣市役所は、危機状態の時に、全くのノー天気である。マッチポンプの大垣市長が、ポーズで災害後の大谷川視察をしたのを「広報おおがき」で自画自賛しているが、その対策を何も明言はしない。水没している室村アンダーパスの現場には、誰も市の職員を付かせない。その結果、業を煮やした市連合自治会連絡協議会は、大垣市長に改善を申し入れるテイラクである。今までに何度、水没災害が起きたのか。なぜ大垣市には学習能力がないのか。なぜ今ごろ要望書の提出なのか。なぜ大垣市役所が自己判断で動けないのか。

 結論として大垣市長に当事者能力がない。危機管理能力がない。危機意識が無い。その要望書を受け取る小川敏大垣市長が、不機嫌そうにそっぽを向く顔が中日新聞西濃版を飾った(2017年11月9日)。大垣市長の危機管理の意識のなさがさらけ出されている。

 もし、市連合自治会連絡協議会が改善要望書を出されなければ、大垣市長は何も動かず、今まで62年間やってきた無為無策を続けていただろう。これは破れ窓理論でも、恐ろしい結末が予想される。「たかが水没くらいで」との意識が大垣市長、大垣市役所役人に蔓延して、大垣市民の命を軽視する風潮で、大垣市ドローン墜落人身事故が起きたと断言できる。大垣市ドローン墜落人身事故の原因は、「ロボフェス大垣2017」開催責任者の大垣市が、管理監督不行き届きであるのが真因である。行事開催責任者は、市民の命の安全に万全を期すべきだ。事故は、ハインリッヒの法則から見ても、決して偶然ではない。神仏の啓示でもある。今の大垣市長に大垣市民の命は預けられない。

 

現地現物とは、

 現地に行き、自分自身の目で見て、完全に状況を理解せよ。

 Go and See for Yourself to Thoroughly Understand the Situation(現地現物)  “THE TOYOTA WAY”JEFFREY K.LIKER

 「現地現物」の意味は、上記英訳の表現が秀逸なので掲載する。事故が起きたら、まず現地に飛ばないと、何事も解決しない。現地にいけば、なぜ事故現場から630mしか離れていない木戸アンダーパスが無事で、室村アンダーパスが水没かの疑問が湧くはずだ。大垣の責任担当者が市役所の机でふんぞり返っていては、永遠に問題は解決しない。

 

割れ窓理論

 割れ窓理論とは、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論。アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリング(英語版)が考案した。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。壊れ窓理論ともいう。

 同じように、小さな事故を放置すると、もっと大きな事故が起きることにもなる。室村アンダーパス大水没事故を、小さな事故として無視して、現場にも顔さえ出さないから、大垣市は災害・事故に対して危機管理意識が希薄な市に落ちぶれていく。そんな気のゆるみから、ドローン墜落人身事故が起きた。

 

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2017-11-15

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佛師の目指すもの(改定)

己が作る佛様(仕事)に、魂は有りや無しや

  2017年11月9日と14日、大佛師松本明慶佛像彫刻展で松本明慶師が語られた佛像造りの持論を以下に記載します。以下「私」は明慶師のことです。

 佛像はたんなる置物ではない。まして投資対象の美術品でもない。その佛像にそこに人格(佛格?)を感じて、思わず手を合わせてしまう何かが無ければ、単なる置物でしかない。

 明治時代の高名な佛師が作った布袋さんを見ても(図録で説明された)、そこに知性や品格が感じられなく、手を合わせて何か頼み事をしたくはならない。布袋さんを作るにしても、そのお顔をみれば、思わず相談をしたくなる、手を合わせたくなる、拝みたくなる何かが無ければならない。布袋さんが座って足裏を見せている足裏をコチョコチョとすれば、その布袋さんがくすぐったくて、動くかのような佛像造りを、私は目指している。(著者がその目で見れば、展示されている布袋さんのお顔は品があり賢そうなお顔である。)

 その観点でその高名な佛師が作った布袋さんを見ると、その何かがない。単に高名だからという目で、佛像を見ると、それは投資の対象の美術品を見ているに過ぎない。

 

佛格の向上

 私(明慶)は、誰が見ても人から崇めれるような人格(佛格)の佛像造りを目指してきた。それは私の師匠から教えられたこと。

 5年前に彫った佛像と今の佛像を見て、そこに佛像の人格に、成長の跡が見えなければ、己の成長が止まっているのだ。そういう目で己の作品を見ないと、人が手を合わせてくれる佛像は彫れない。そのように、日々肝に銘じて私(明慶)は佛像造りに精進しているし、弟子たちにも指導している。

 明治時代の高名な佛師が作った布袋さんを見ても、肩幅の狭さから見て頭の大きさが異様に大きくて、そのままでは頭が支えられない体の骨格のバランスで佛像が作られている。足の大きさも、体の大きさからみてアンバランスである。彫刻は絵と違い、どこから見ても破綻のない形にしないと成り立たない。そこに彫刻の難しさがある。

 布袋さんの目を見ても、瞳の部分に穴をあけて、そう見えるようにしているだけである。松本工房が作る佛様は、目の彩色だけでも専門の佛彩色師がいる。そこには写実的な表現ではなく、「写質」的な表現を目指した佛像造りがある。運慶の佛像でも水晶の瞳を入れた工夫で、リアリティを増す技法を編み出している。佛像を写実的に作っても、それには有難味がない。私は写実的ではなく、写質的に作ることを心がけている。

 観音様を見ても、額の狭い貧相な顔立ちの佛様では拝む気になれない。そこに写実的ではあるが、魂の写質感がないからだ。思わず手を合わせたくなる神々しい質感が必要である。

 

布袋

 布袋は中国唐代末に出現した四明山の僧で、名は契此。禅画によく登場する。よく太ったお体に常に杖と袋を持っている。袋の中には財宝が入っており、人々に分かち与えたという。その袋の名は「堪忍袋」である。だから、布袋はその「堪忍袋」の口元を固く握りしめている。財宝の入った堪忍袋を破らなければ、人生のお宝は散逸しない。人生の財宝とは外にあるのでなく、己の心の中に存在する。堪忍袋の口を緩めるから金が貯まらない。ご縁が来ない。その布袋の前に尺杖が置かれている。それは人間界と佛の世界を区切る結界である。俗世間の意識のままでは福はやってこない。その尺杖が、布袋さんの前にあるかないかでも、その佛像の印象ががらりと変わる。自分を戒める結界(戒め)を持つかどうかで、己の人生は劇的に変わる。布袋は弥勒菩薩が下生するまで、その分身として市井に出て放浪し、悠々自適に各地をさ迷い歩くと言われている。その布袋を、佛格の高い佛像として表現したのが図1の布袋(明慶師作)である。

 図1 布袋 『慈悲 大佛師松本明慶作品集』小学館刊より

 

カエルの人生

 私(明慶)は、カエルを彫るときはカエルの人生まで考えて、カエルを彫刻する。カエルの生態、骨格、カエルの各器官まで調べて、彫刻する。その為に、松本工房の庭には、カエルの生態が観察ように蛙を飼っている。カエルの彫刻に、持てる技の全てを投入してフラグシップの作品を修行として作る。その修練があって、本物の佛像を作る腕が磨ける。(だから小さなカエルの彫刻作品のお値段が、小型自動車一台分となる)

 

自分が作る佛様

 以上の明慶師の話は、佛師だけの話ではないと感じた。我々が仕事で作り出す製品にも魂が宿る。それは工業製品だけでなく、プロジェクトの生成物、教育での形、政治、経営、農産物、商売の形、文学、音楽での創造物の全てに当てはまると思う。トイレ掃除にも、仕上がったトイレの姿に魂が宿る。どれだけ、その佛像(仕事)つくりに、己の人格を上げて取り組むかである。人格の低い人間からは、低いレベルの仕事しか生まれない。佛像造りは、自分つくりである。そのために自分の人格を磨かねばならぬ。

 

私の佛像作り

 私は技術者として長年、工作機械の研究開発に携わってきたが、次の製品は、今の製品よりもより高い性能、付加価値を与えるべく心血を注いできたと自負できる。また技術管理部で担当した技術者教育の仕事も、形は見えないがそのカリキュラムや教材、教え方に、去年よりも今年はどんな付加価値を与えて、若い技術者に、先人が残した技を伝えられかに心魂を注いできたと自負できる。教育のその形は見えないが、その教育としてのソフトを作成して、それを磨き上げるのが私の佛像作りであった。その出来上がった佛像が、教育に関心のない金儲け至上主義の上司に破壊されたのは悲しい過去である。経営者は、教育は大事だと口では言うが、実行をする経営者は稀であるのが、現代経営の悲劇である。

 現代の工業製品の最先端を行くソフト制作でも、例えば会計ソフトでも、いくらソフト作成技量が優れていても、会計学が分からなければ、使い物になるソフトは作れない。その仕事の基本がない職人や事務職員、お役人が世の中の仕事に質を落としている。

 今は、自分が作った佛像を、誰にも壊されないように、己が己の戒めを守り、自分を教育するシステムを構築して、自分が佛像となるように精進をしている。

 

行政の佛づくり

 最高学府を出た行政の長が取り仕切る、中央政界、地方都市行政で、住民無視、放漫経営、利己主義経営、お役人根性の仕事が最近目につくのが嘆かわしい。日本の政治でも野党が批判だけで提案が無く、己が醜態を見せる野党野合、その党首のスキャンダルだらけでは日本が良くなるはずがない。政治が作る社会は、佛像造りと同じである。そこにどれだけの魂を込めて政治をするか。どこから見ても破綻のない治世に仕上げるかが問われる。大垣市のように国として治めるべき治水を放置して、市の経済の血路である道を頻繁に水没さえる愚政を62年間も続けるのは、罪悪である。市民の命の軽視イベントをいくら開催して盛況でも、死傷事故が起こる危険性が高いし、実際にドローン墜落人身事故が起きている。

 いくら東大を出た長を頂いても、市の行政として、やるべきことを実行しないのは、形を作って魂入れずの仏像造りと同じである。ご先祖の霊前での神事で、居眠りのような姿をみせるのは、不敬も甚だしい。頭はいいが、知恵と徳がない長を頂くと、市民が不幸になり、市が寂れていく。現実に寂れてしまった。それでいて市庁舎だけは立派になっていく。世も末である。

 

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2017-11-15

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図1の布袋様の写真掲載は、松本明慶師の許可を得ています。

2017年11月14日 (火)

運慶と明慶の佛様に教えられる(1/2)

 2017年11月14日、上野の国立博物館で開催中の「運慶展」(11月26日迄)と東武百貨店池袋店で開催中の「大仏師松本明慶仏像彫刻展」(本日が最終日)に、出かけて、運慶と明慶の両方の仏様に再会して、多くの教えを頂いた。

 

準備万端で出発

 先日の11月12日(日)は、入場2時間待ちとの情報があり、累積入場者数が30万人を超えたとのニュースで、しっかりと構えて出向いた。前回の見学で長蛇の行列に懲りたので、チケットは前日に大垣のコンビニで入手して、現地に8時40分に着く段取りで、朝5時50分に自宅を出て東京に向かった。恥ずかしながら、お上りさんの為、今回は上野駅構内で迷ってしまい、少し時間を無駄にした。上野駅公園口改札に着くと、改札横の構内チケット売り場は、9時前のせいか数人しかお客がいなかった。何も前日に焦って買わなくても、良かったと思ったが、博物館に到着して、前日に入手で正解であったことが判明する。

 博物館の入場券売り場は30~50名ほどの長蛇の列で、その切符を入手しないと、入場待ちの列の最後に並べないのだ。開場45分前に約150人の行列である。その最後尾に並んだあと、どんどんと列が長くなっていった。アホほどの人出である。そのアホの一人が私である。

 

見学の結論

 結局、開場の9時30分まで約45分間を待つことになったが、第一陣で入館できたので、前回と違い、かなりゆっくりと見学ができて良かった。前回、一度は見て回っているので、今回は約1時間余で、余裕を持って見ることができた。2回目で詳細の鑑賞ができて良かった。

 行列で待っている間に、回りの人と雑談をしていて、以前に興福寺の阿修羅像がこの博物館に来たときは、今回と同じように一体の阿修羅像の周囲から見ることが出来たそうだが、それを一周するのに1時間もかかったという。今回の行列をみて、なるほどと感心した。行列時に仲良くなった周囲の4名の人に、「大仏師松本明慶仏像彫刻展」の無料招待券を進呈して、喜ばれた。ついでに私のブログの宣伝もさせて頂いた。(笑)

 今回は、公式「運慶展図録」を明慶美術館館長から勧められて入手した。3千円の図書であるが、それだけの価値がある図録であった。皆さんも購入をお勧めします。

 

松本明慶仏像彫刻展

 「運慶展」を約1時間10分ほどで見学して、その後、池袋に向かい、「大仏師松本明慶仏像彫刻展」を2時間程見学して帰宅した。運慶の佛像と、それから繋がる慶派の仏師として800年後の伝承者松本明慶大仏師の作品を、まだ記憶の新しい状態で比較すると、興味深い差異が見られる。会場で明慶先生とツーショットで収まり、明慶先生から運慶の仏像について解説を拝聴した。その内容は次回(2/2)で報告します。

 こちらも2回目なので、余裕を持って見学をして会場を後にした。松本華明さん(奥様)から、京都国立博物館で開催中の展覧会に行くことを勧められた。なんでも日本には国宝の美術品が600程あるそうだが、今回は、その内200品ほどが展示されているそうで、「運慶展」以上に大人気で長蛇の行列とのこと。早朝か、金土曜日(20時まで開館)の遅い時間帯がよいと教えて頂いた。

 

京都国立博物館 開館120周年記念「日本国宝展」

 2017年は、法令上で「国宝」の制定が始まって120年にあたる。昭和51年(1976)に京都国立博物館で「日本国宝展」が開催されて以来、41年ぶりの「国宝展」が開催されている。

本展覧会で、絵画・書跡・彫刻・工芸・考古の各分野から、歴史と美を兼ね備えた国宝約200件が4期に分けて展示され、わが国の悠久の歴史と美の精華が顕彰されている。

 Ⅰ期 10月3日(火)~10月15日(日)

 Ⅱ期 10月17日(火)~10月29日(日)

 Ⅲ期 10月31日(火)~11月12日(日)

 Ⅳ期 11月14日(火)~11月26日(日)

 

反省

 本来は、火曜日は私の断食日であるが、「運慶展」の見学であまりに疲れてしまって、つい昼飯の誘惑に負けて東武百貨店のレストランで食事をして、禁断のご飯と味噌汁のお代わり(無料)までしてしまった。私も無料には弱いのです。きっと仏様は許していただけると思う。合掌

 

図1 8時43分の上野駅構内チケット売り場

図2 8時52分の行列状況 約150名

図3 9時16分の入門前の状況

図4 9時18分の当日券チケット売り場

図5 9時27分 私の後に続く行列状況

図6 9時33分 入館直前の行列状況

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2017-11-14

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2017年11月13日 (月)

大垣市は職務怠慢、管理監督不行き届き

大垣市公共トイレの汚さは日本一。5つの何故

1.なぜトイレが汚いか?

  その掃除頻度が少なく、たまにしか掃除をしないから。

2.なぜ、たまにしか掃除をしないのか?

  掃除の有無を追及されないから、掃除記録をチェック表に残さない。

3.なぜ市職員はチェックしないのか?

  市の職員は怠慢のため誰もチェックしないから、チェック表も無い。

4.なぜチェック表がないのか?

  市の職員としての意識が低く、人格も低いから。

  チェックをしても、しなくても、己の評価には関係ないから。

5.なぜ、市の職員の人格が低いのか?

  国の助成金を誤魔化すような人格が低い職員が多いから。17年間の長期政権で、癒着と緩みが蔓延して、市職員のモラルが低下しているから。経費節約という美名の元、ケチの精神が蔓延しているから。

 

大垣市職員の不正

 トイレの美観に、市の職員の人格のレベルが表れる。会計検査院の調査で、大垣市は国庫負担金の不当に療養給付負担金406万円を請求していたことが露見した。それは県内のワーストワンある(2017年11月9日付新聞報道)。市民として恥ずかしさの極みである。出すべき大事なところの金をケチる市役所の雰囲気が、下々の職員にこのような不正請求として現われる。トイレの汚さは、この一環の問題である。単にトイレが汚いだけの問題ではない。

 

トイレ掃除チェック表の欠落

 まともな施設のトイレには、必ず掃除チェック表が掲示されている。ところがまともでない大垣市公共のトイレには、この掃除チェック表は、12.5%の場所しか掲示されていない。以前はあったそうだが、この3年ほどで無くなったという。無くなっても市の職員の誰も、指摘をしない。掃除チェック表があっても、見えないように折り畳んであったり、裏返しである。普通のトイレは、そのチェック表が誰にも見えるように掲示されている。それも公共施設なら、日に数回の頻度での掃除である。大垣は数日に一回の場合も多いと、近くに住む人は証言する。大垣のトイレは発展途上国並みである。

 そのトイレ掃除チェック表の有無を確認しないのは、市の職員の職務怠慢であるし、税金泥棒である。市が寂れる原因の一つである。大垣市にとってトイレ掃除費は、無駄な費用なのだろう。それがトイレの汚さに現れる。それは大垣市の心の汚れである。行き着く先が、大垣市ドローン違法行事での墜落人身事故である。ドローン墜落人身事故は決して偶然ではない。佛様の啓示である。

 

図1 名神高速道路SAのトイレチェック表の掲示

  2017年11月10日 京都霊山墓地大垣藩招魂碑前祭への道中で

  これがジャパンスタンダード

 

大垣市公共トイレの掃除チェック表有無(男子トイレ)

 貴船橋手洗い場   ×

 新大橋手洗い場   ×

 水門川沿い(西)  ×

 船町公園      〇

 四季の広場     ×

 大垣城内      〇

 大垣公園      ×

 清水駐車場内    ×

 東外側橋駐車場内  ×

 丸の内駐車場内   ×

 大垣市立図書館内  ×

 学習館       ×

 文化センター    ×

 文化センター外側  ×

 木戸公園      ×

 西公園       ×

       2017年11月13日に確認

 

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2017-11-13

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累積閲覧回数が13,000回を突破

 2017年11月12日深夜、当ブログの累積閲覧回数が13,000回を超えました。ブログ開設以来171日目での記録です。エディオンブログ「人気の記事ランキング」で、カテゴリー「大垣を良くする階」の記事が2つも入りました。

 また、当ブログ「久志能幾研究所通信」で、トップ9にカテゴリー「大垣を良くする階」の記事が4つも登場しています。それだけ、皆さんの関心が高いようです。「人気の記事ランキング」トップ20入りは、全国で皆さんが見てくれているという励ましのメッセージです。

 

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11位 大垣市ドローン違法行事は,なぜ許可されたか(改題)

18位 「ロボフェス大垣2017」で人命軽視を展示

        2017年11月13日現在

 

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        2017年11月13日現在

  今後も大垣を良くするため、問題点の把握、改善提案、あるべき姿の提示を継続します。大垣市政の問題は、日本の問題でもあります。大垣の市政に日本行政の悪さが凝縮して病状として表れています。大垣市役所の善処を期待したい。

 

2017-11-13

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2017年11月12日 (日)

大垣市の人命軽視宣言

 「クール大垣」でなく「狂う大垣市」をアピール

  2017年11月12日に届いた『広報おおがき』を見て、激怒を通り越して悲しい気持ちになった。ここまで大垣市役所は落ちぶれたかとの憐みの思いである。

 冒頭の記事に「ロボフェスおおがき2017を開催」とある。その文面の最後にそのほかにも、チアリーダー型ロボットのステージイベント、大学や高校などの研究内容の展示・体験など、ロボット技術にまつわる多彩なコーナーが設けられ、4日には、菓子まきをしていたドローが落下してけが人が出るトラブルがありましたが、2日間大いに賑わいました」とある。

 この記事文中の写真に、ヘルメット無しの親子のセグウェイ乗車写真がある。人命軽視の極みである。

 

 この文面には、ドローン違法飛行での墜落事故に対して大垣市役所が責任を感じることもなく、ひとごとの話をしている。謝罪さえない。ドローン違法飛行での墜落人身事故は「そのほかにも、」で扱うべき雑事で、それも「最後の最後に記載された取るに足らない事故」との扱いである。菓子まきが違法であったことも、それを指示したのが大垣市であることも、安全無視の一番安い業者を選定したのも大垣市の責任であることには、全く触れていない。

 「落下して」とは、自然物が上から落ちることを表現する漢字である。意図をもって飛ばしたドローンが落ちるのは、「墜落」である。大垣市役所は、中学生でも間違えない漢字の使い方が、できないほど知性が劣る。

 「けが人が出る」とはひとごとの表現である。人が勝手に怪我をしたとの表現である。「偶然の事故で怪我人がでたようです、気の毒ですね」との無責任な表現である。本来なら「市民の皆様に怪我人を出す不手際をして申訳ありません」と表現すべき人身事故である。

 「4日には」との表現も、ひとごとで、記事枠がまだ余裕があるので記載すると、そういえばドローンの墜落事故があったね、との印象を与える文である。

 「トラブル」との言葉の選定も無責任である。「トラブルとは、もめごとの意で、会話や硬くない文章に使われる外来語」と中村明著「日本語 語感の辞典」(岩波書店)に定義がある。だからこの「菓子まきをしていたドローが落下して、けが人が出るトラブルがありましたが、」との表現は、くだけた記事の『広報おおがき』でのまるでひとごとの表現である。

 「トラブルがありましたが、」「が」も、その話は置いといてと、「2日間大いに賑わいました」と自分たちの宣伝に余念がない。「人命など知ったことでない」の本音が出て、馬脚が出た表現である。たかが、「」、されど「」の助詞の使い方である。

 「多彩なコーナーが設けられ」も無責任な表現である。だれがこのロボット技術展示をしたのか。勝手に業者が展示したのだと言わんばかりの表現である。これらの展示は、大垣市の要請を受けて展示をしたのだ。大垣市は、ドローン人身事故を誤魔化すために、その主催者を誤魔化す表現をしている。

 

「人命軽視遺産の記事」として価値あり

 だれが人命軽視のコストが一番安い業者を選定して、違法なドローンでの菓子まきを指示したのか。大垣市市役所である。ここに大垣市の深層心理が全てさらけ出されている。これはお役人の責任逃れの最高傑作の文書である。お役所の書いた「人命軽視遺産記事」として永遠に残すべき文書である。この記事を掲載する最終許可を与えたのは誰なのか。

 

大垣市の「狂うおおがき市役所」アピール

 この記事の下段にある大垣市長執筆の「市長のかがやきメール」では、この大垣市に全責任がある「ドローン違法飛行の墜落人身事故」に対する件は全く記載がない。本件は、安全配慮義務違反であると思われるが、それには全く謝罪もない。つまり市民がまかり間違えば死亡事故に繋がったドローン違法飛行での墜落人身事故に、責任を全く感じていない。大垣市民の命など知ったことではないのだ。それがこの広報からひしひしと伝わってくる。企業で不祥事が起きたら、記者会見で、社長が謝罪をするのが世の常識である。大垣市は世間知らずか、無責任か、人命軽視の為なのか、その謝罪会見さえもがない。大垣市には、そんな些細なことよりも、「クールおおがき地域プロモーション」が大事なのだ。大垣市はクールでなく狂っている。

 人の命を軽視する市長に市政は任せられない。小川敏市長は大垣市民のために辞任すべきと思う。それが世のためである。将来の死亡事故を起こさないためにも。

 

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2017-11-11

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年11月11日 (土)

大垣市民の安全は火葬場の下

 大垣市は安全配慮義務違反のオンパレード

元気ハツラツ市の路上球技用の柵が危険

 元気ハツラツ市で、子供たち用のフットサル用でベニヤを立てただけの安全カバーなしの柵が路上に設置されている。そのベニヤ板の端が、子供が猛スピードでぶつかった場合や、何気なくベニヤ板で手足をひっかけた場合、そのベニヤ板の凸面が鋭利な刃物と同じ作用をする。面取りのしていない角材は、露失した手足の肌に傷を与える恐れがある。柵の支えの角材が危険表示をしていないので、歩行者が躓く危険性もある。

 主催者の商店街事務局の担当者は誰も安全をチェックしていない。安全など頭になく、金儲けで忙しいので、すべて業者任せである。市の職員は見向きもしない。まず大垣市には安全点検の担当部署がない。大垣市長は元気ハツラツ市で人出が多ければ、なんでもオーライである。

 

バスケットボール球技での危険性

 元気ハツラツ市で、子供たち用のバスケットの場がコンクリートの路上に設定されている。子供たちが競技に熱中して滑り転んで、中央分離帯のコンクリート製ブロックに頭をぶつければ、命の危険や後遺症の恐れさえある

 

大垣市は危険性を無視

 多くの人が元気ハツラツ市での、このイベントの危険性を訴え、中止を要望しても、大垣市商店街連合会と大垣市は、聞く耳を持たず、金儲け至上主義で、このイベントを3年間も強行している。大垣市商店街連合会と大垣市は、子供達に対して安全配慮義務違反である。怪我人、死亡者が出たら、大垣市長の責任問題である。これの罰則法律が曖昧なので、大垣市は大手を振って安全配慮義務違反を実行している。

 2017年11月4日のドローン違法飛行で墜落事故を起こした件でも、大垣市(観光協会)は責任を認めようとしない。すべて業者がやったこと、と突き放しているようだ。ドローン製造会社の社長が警察から事情聴取を受けているが、もっと罪が重い大垣市担当者の取り調べがないのが不合理である。誰がドローンで上空から菓子をばらまく(違法行為)ように業務指示をしたのか。だれがコスト至上主義で、安全無視の格安業者を選定したのか。業者が、菓子投下を自主的にやるわけがない。全て大垣市の売名行為での業務命令があっての事故である。死亡事故にならなかったのが不幸中の幸いである。大垣市の人命軽視のイベントでは、これは氷山の一角である。

 

大垣市長には危機管理という観念がない

大垣市長には「市民の命を保全」という意識が無い。

 この種のイベントで、事前にその安全性をチェックする部署が大垣市には存在しない。その部署がないので、訴えてもたらい回しである。事故が発生しても責任を取る部署がないので、市の職員は安泰である? 担当者は、商店街の事務局か、市長が責任をとればよいと考えている。市のお役人は、自分に火の粉が降りかからなければ、人のことなど知ったことではないのだ。

 ヒラメの教育担当責任者は、己の保身とゴマすりで上を見るのに忙しく、子供の命など見る暇はない。大垣駅前通り周辺の住民の自治会長は、見て見ぬふり。噂によると、大垣市商店街連合会に丸め込まれているという話も漏れ聞く。子供の安全に責任あるはずの自治体連合会も黙っている。3年間もこの危険なイベントが継続されても、校長先生の会合で、話題にも上らないようだ。子供達を思う良識ある大垣の大人は消滅したのか。情けない思いである。教育の町大垣は今いずこ?

 

大垣市では、市民の安全が火葬場の下?

 本来、大垣市が安全責任を負うべき部署は、組織上で火葬場管理の下に置かれている。危険を予知してそれの管理を総合的に監査する部署は、組織の上位にあるべきだ。それ以前に、大垣市にはその「危機管理室」はない。刈谷市の組織図では、上から3番目に「生活安全部」がありその下に危機管理室がある。大垣市は市民の安全管理部署が火葬場管理部署の下にあるから、事故が起きたら、葬儀は迅速に執り行いますとのブラックユーモアである。

 なぜ、大垣市の組織では、市民全体の命と安全を取り仕切る「生活安全部」がなく、日常生活を見る「生活環境部」しかなく、その部署の位置付けが、かがやきライフ推進部、上石津や墨俣の一地区管理部署の下なのか。思考回路の論理構成が落第である。何が重要かの優先順位がわかっていないのだ。

 テクニカルライティングでは、物事の記述を重要な事項から順に書くことが大原則である。それは物事の思考全てに当てはまり、組織図の構成を考える場合でも同じである。今回の選挙でも、野党はモリカケ問題ばかり追求して、もっと重要で国の存亡に係わる北朝鮮ミサイル問題を放置したから野党が大敗したのだ。国民はバカではない。良識ある大垣市民は、市長の貧弱な思考回路を憂い、小川市長に大垣市民の命は預けられないと感じている。

 

図1 フットサルの柵 柵の支えが躓きの危険性

図2 フットサルの柵 安全カバーのない危険性 

図3 フットサルの柵 女子の足が露失。危険

図4 バスケットボールの状況 コンクリート路上危険

図5 バスケットボールの足元の中央分離帯ブロック 危険

図6 大垣市組織 火葬場の下に生活環境部。安全部はない。

図7 刈谷市組織 上位3番目に生活安全部(危機管理室)

 

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2017年11月10日 (金)

第37回 霊山顕彰会研修旅行

 2017年11月10日、7時前出発、20時帰宅で、第37回霊山顕彰会岐阜県支部の研修旅行として、東福寺と旧三井家下賀鴨別邸、京都霊山墓地、霊山歴史館を訪れるバスツアーに行ってきた。今年、私が公益財団法人霊山顕彰会岐阜県支部に入会して、初めての研修旅行であった。

 京都霊山墓地は明治元年(1968)5月8日、太政官布告により、7招魂社(京都、山口藩、水戸藩、鳥取藩、福岡藩、熊本藩、高知藩)が建立された。そこに明治維新に命を捧げた志士368柱(3116柱合祀)が祭られている。

 京都へのバスの途上で、横幕孜先生から、京都霊山墓地の経緯等の歴史の講義を受け、基礎知識を受けたうえで参列した。この霊場には、岐阜県招魂場とて梁川星厳と所郁太郎の碑が建てられている。今回は碑の碑前祭を中心に報告する。

 

岐阜県招魂場で慰霊祭

 京都霊山墓地では、梁川星厳と所郁太郎が祭られた岐阜県招魂場で厳かに慰霊祭が執り行われ、霊山顕彰会岐阜県支部の44名が参列した。慰霊祭の前に慰霊碑を掃除をして、お花、お水を手向けて、住職による読経、梁川星厳作の詩吟を大垣詩吟の会の皆さんが慰霊として吟じた。その後皆さんが新しい日本のために命を捧げた偉人に合掌した。私は初めて参列して感銘を受けた。

 この周りの土地全ては、以前は白居家の神道のお墓であったがそれが全て維新の志士のための墓地として提供されたという。岐阜県招魂場には、梁川星厳に縁ある人達のお墓が取り囲んでいた。

 

梁川星厳

 梁川星巌(1789年~1858年)は、美濃国安八郡曽根村の郷士の子に生まれ、文化5年(1808年)に山本北山の弟子となり、同3年(1820年)に女流漢詩人・紅蘭と結婚した。紅蘭は江馬細香の妹である。星巌は紅蘭とともに全国を周遊し、江戸に戻ると玉池吟社を結成した。

 梁川星巌は、梅田雲浜・頼三樹三郎・吉田松陰・橋本左内らと交流があったため、安政の大獄の捕縛対象者となったが、その直前(大量逮捕開始の3日前)にコレラにより死亡した。星巖の死に様は、詩人であることにちなんで、「死に(詩に)上手」と評された。妻・紅蘭は捕らえられて尋問を受けるが、翌安政6年(1859年)に釈放された。

 東京の松陰神社内の吉田松陰墓所の右側2つ目が幕末に思想家頼山陽の三男・頼三樹三郎の墓である。頼三樹三郎は安政6年(1859)に、安政の大獄に連座して、刑死した幕末の志士である。頼三樹三郎は、梁川星巌がコレラに罹り死亡する時、側にいて看取った縁がある。梁川星巌は、江戸時代後期、学問の大垣といわれた時の漢詩人で、現在の大垣の代表的文人である。梁川星巌の妻は江場細香の妹である。江場細香は、頼山陽の永遠の恋人であった。

 梁川星巌の資料や経歴の書画は、「奥の細道むすびの地記念館」(大垣市船町)に展示されている。

 

大垣の偉人 金森吉次郎

 京都霊山墓地は、明治100年を経て荒れ果てていたが、松下幸之助翁が尽力をされ、整備をされた。同時に明治維新の志士の業績をたたえる為、霊山歴史館を建てられた。日本の未来を懸念され、過去の偉業に光を当てた松下さんは偉い。

 それよりも、今回初めて知ったのが大垣の偉人である。松下幸之助さんが大金を投じて整備された時よりも、50年も前の明治41年9月に、大垣の金森吉次郎が、京都霊山招魂社社表を寄贈し、社前四辻角に大道標建立を願い、大森府知事に設計を依頼、極上長崗岩、尺角高六尺二重台、表面に「霊山招魂社道」。「風致と維持資金のため、扁柏(桧)千本・杉500本寄付」との記事が『大垣青年会誌』に記載されていることだ。

 

金森吉次郎

 元治元年(1864年)~昭和5年(1930年)、大垣輪中(現:大垣市魚屋町)に生まれる。父の金四郎は篤志家として外国貿易や製糸業を手がけた大垣屈指の資産家である。明治21年、25歳の時、大垣輪中が揖斐川の洪水で一面湖となった時に、人々の推挙により救済委員となり、治水事業に関わり始める。その後、県会議員、衆議院議員などを歴任した。「治水のもとは治山である」が持論で、水害の根本解消のため、木曽三川改修の実現を生涯の目標として、父から譲り受けた全財産と一生を治水と山林事業に使い尽す。また、治水の先人である平田靱負ら薩摩義士の事績を掘り起こし、記念碑を建てるなど、薩摩義士の顕彰にも貢献した。現在、大垣城の前に顕彰の銅像が立っている。

 今日まで、こんな偉人が大垣にいたことを私は知らなかったのが恥ずかしい。今回の旅行で、横幕先生のバス内講義で初めて知った次第です。今回は良きご縁の出会いであった。また戸田極子伯爵夫人のご縁も、今回の京都霊山墓地で見つけた。これは次回の報告です。

 

図1 京都霊山護国神社

図2 京都霊山墓地

図3 岐阜県招魂場

図4 岐阜県招魂場 読経

図5 岐阜県招魂場 読経

図6 岐阜県招魂場 慰霊の詩吟

図7 霊山歴史館

 

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2017-11-10

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2017年11月 9日 (木)

正しく見ていますか? 見えていますか?

 2017年11月9日~14日、大佛師松本明慶仏像彫刻展が、東武百貨店池袋店で開催されている。私は、本日東京に出かけた。会場には560点(公式には540点)の仏像彫刻作品が展示された。通常のこの種の彫刻展では300点ほど展示であるが、今回は非常に数が多かったので、見回るに大変であった。その詳細は、後日報告します。

 東京に向かう新幹線の中で、珍しく進行方向左側の席になり、天候が良かったので「左手に富士山が良く見えます」との車内アナウンスで、思わずお上りさんの如く、カメラを向けて写真を撮ってしまった。そこで新しい発見があった。

 

現代の歪んだ風景

 シャッター速度2000~250分の一で写った写真を見て考えてしまった。遠くの富士山は美しく写っているが、手前の電柱や建物が傾斜して歪んで写っている。これは電子シャッター特有の現象であるが、これで現代の歪んだ世相に考えが及んでしまった。

 現代のマスコミ上では、フェイクニュースや偏向記事が氾濫している。真実の姿が、誇張されて、故意に事実が歪められ、我々に伝えられている。それは属してる社会、会社、時代、組織が超スピードで走っているため、誰かの利益のため、歪んで我々に真実の姿が伝えられ、我々の目には歪んで映されているためである。その事実が歪んでいることに多くに人は気が付いていない。多くの人は洗脳教育の如く、それが真実だと思いこまされてしまっている。

 遠くのもの(古典、経典、故事、偉人の真言)は、時代が変わっても風雪に耐えた事実であるので、歪まずに我々に正しく伝わってくる。我々は、素直な目で近直のものを見ないと、道を誤る。それを、今日の富士山の写真を見て感じた。富士山は千年の時代を通して美しい姿を我々の目に写してくれる。大佛師松本明慶仏像彫刻展に出向くので、そのご褒美で仏様が与えてくれたご縁であったようだ。

 

図1~3 歪んだ鉄塔、電柱、建物

   遠くの富士山は美しくそびえている。

 

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2017-11-09

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