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2017年11月

2017年11月 8日 (水)

予告 New Year Concert

現在、計画中の演奏会の内容が固まりましたので、お知らせします。

2018年1月13日(土)15時より「New Year Concert ドレスデンフィルハーモニー弦楽三重奏団を迎えて」を開催します。

 

出演:ドレスデンフィルハーモニー弦楽三重奏団

    バイオリン:ハイケ・ヤニッケ

    ビオラ:アンドレアス・クールマン

    チェロ:ウルフ・プレッレ

    ピアノ:河村義子

入場料:3,000円

会場:クインテッサホテル大垣(旧ロワジールホテル大垣)3階

  コンサート終了後、出演者を囲んでパーティ:参加費 3,900円

 

プログラム(予定)

 フチーク:剣士の入場(雷鳴と稲妻)

 ガルデル:我が懐かしのブエノスアイレス

 ジョップリン:メイプルリーフラグ,ラグタイムダンス,エンターテイナー

 J.シュトラウス2世:こうもり より ティクタクポルカ

 ジョップリン:ベセナ 

 J.シュトラウス2世:皇帝円舞曲, 美しく青きドナウ

 シューマン:ピアノ四重奏曲 変ホ長調 作品47  他

 

プロフィール

 ドレスデンフィルハーモニー弦楽三重奏団は、1996年結成の国際的なオーケストラです。その卓越した演奏により、国際的文化都市としても知られるドレスデンの大使としての役割を果たしている。ベルリンなどドイツ国内だけでなくニューヨーク、ロンドン、ブエノスアイレス、南アフリカや日本など世界各地の都市で演奏活動を行っている。オラフ ベール ペーター ルーゼル、ゲーデ三重奏団、バーバラ ストイデなど、多くの室内楽奏者たちと共演活動も精力的である。最近では2011年、南アフリカのケープタウンにおけるケープクラシック音楽祭に招かれた。本楽団は、伝統的ザクセン派の弦楽音楽を重んじながら、新しい解釈を加え、室内楽奏団としても、独奏者としての立場もみごとに融合した演奏を完成している。

 

終了後の懇親会

 演奏会終了後、すぐ隣の会場で立食パーティを開催します。演奏者と楽しく会話ができると思います。ご期待ください。

 

ドレスデン情報

 ドレスデンは、ドイツ連邦共和国ザクセン州のエルベ川の谷間に位置している州都である。人口は約51万人(2008年)である。陶磁器の町として有名なマイセンまで約25kmで、エルベ川を通じて交流があった。

 ドレスデンの音楽はザクセン侯宮廷の雰囲気を反映して、古くからイタリアの影響を受けている。シャイト・シュッツらはルター派典礼音楽にイタリア音楽の傾向を付け加えた。ミヒャエル・プレトリウスもしばらくドレスデンで活動した。ドレスデンは17世紀ドイツにおける音楽の中心地のひとつであった。モーツァルトもまたドレスデンで作品の初演を行っている。

 街の雰囲気はやや古典的で、狭い路地が続く町並みには、中世的な雰囲気が漂い、レストランやバーが無数に存在し、週末は地元人達で賑わっている。美術・芸術家などの個展や、演奏会・音楽サロンが街のあちこちで毎週のように開かれ、地元人も芸術に関心が深く、文化・芸術が生活と密接に関わっている。

 森鴎外は、1884年から約4年間のドイツ留学をした。彼は1885年10月11日から翌1886年の3月初旬まで、約5ヶ月間ドレスデンに滞在していたことがある。小説『文づかひ』はドレスデンを舞台にした作品である。

 ゲーテは、ドレスデンがお気に入りであり、何度もこの地を訪れている。彼はエルベ川からみて旧市街地側の川に沿って続く小高い歩道を好んで散歩した。それは森鴎外が滞在するおよそ100年前のことであった。

 

2017-11-08

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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大垣城の歴史とトイレ不敬

大垣城の経歴

 大垣城は天文4年(1535)、宮川安定が築城したと言われる。大垣市内を流れる水門川を外堀に利用して築城され、天然の水門川を掘りの一部として使って、四層四階建ての総塗りごめ様式である。現在では想像がつかないほどの四層の掘りがめぐらされた広大な難関不落の城で、大層優美な巨鹿城、麋城と言われた名城である。関ヶ原の戦いの時は、西軍の石田三成が本拠地とした。

 

関ヶ原の戦い

 関ヶ原の戦いに伴って発生した攻城戦の一つが大垣城の戦いである。9月14日から9月23日まで続いた戦いで、実質的にこれが天下分け目の戦いという史家もいる。この戦いは、西軍が本拠地としていた大垣城を主力が関ヶ原へ移動した後に、東軍の部隊が攻撃したことで発生した。大垣城に駐留していた西軍は9月14日夜、大垣城に守備兵として福原長堯以下7,500名を配置して主力を関ヶ原へ移動した。守備に携わる武将の中に山田去暦がおり、その娘おあんが残した「おあむ物語」がこの戦いの城内記録として残っている。

 9月15日払暁に東軍が三の丸に攻撃を開始した。三の丸はその日のうちに陥落したと思われる。また、関ヶ原の戦いもこの日で決着がついたので、大垣城は敵地に取り残されることとなる。9月16日夜に場内の主要戦力が東軍に寝返り、9月18日に守将達を謀殺し、残存の武将福原長尭のみとなった。福原長尭は二の丸が陥落した後も抗戦を続けたが、徳川家康の使者の説得により9月23日に松平康長に降伏を申し入れ、開城した。福原長尭は剃髪後に伊勢浅熊山にこもるが許されず後に切腹した。

 

関ヶ原の戦い後

 関ヶ原の戦いの後、寛永12年(1635)に戸田氏鉄公が入城して、戸田十万石の居城となった。以後明治維新まで戸田公の治世が続いた。戸田公は名君として、教育や藩の産業の育成に務め、大垣の発展に寄与した恩人である。その功で、大垣は教育の街、博士の街とまで謳われる名声を得た。その文化の発展ぶりは、江戸末期に江馬蘭斎が導入した西洋医学が、京都よりも早く西濃地区の展開されたことで示される。大垣城は昭和11年に国宝に指定されたが、昭和20年7月29日の米軍B29大編隊の大垣大空襲で焼失した。昭和34年に外観はそのままでコンクリート製に再建され、今は大垣のシンボルとして観光名所の第一の拠点となっている。

 

大垣城の敷地内のトイレ

 その観光名所の看板である大垣城の敷地内にあるトイレが汚く、大垣城の経歴からみて恥ずかしいのだ。大垣の恥である。大垣城は大垣藩主戸田公の居城である。大垣の発展に貢献されたその遺徳、ご恩ある居城である。トイレのひどさは、その戸田公の顔に泥を塗るようなものだ。

 大垣城の敷地内のトイレ外観は、一見、お城の一部のようで素晴らしい。しかし内部は不潔な状態である。サビさびのトイレドア、蛍光灯むき出しの下品さ、配線むき出しの無様さ、天井の蜘蛛の巣、表壁の見苦しいセロテープの跡、錆さびのトイレの男女標識、のっぺらぼうの幽霊のような下品なデザインの男女標識等は、観光都市大垣の恥さらしである。いかにご先祖を大事にしていないかの表れである。大垣市長が鶴の一声で、直せば済む話である。それが無い。

 大垣市の職員が「大垣市の公衆トイレの汚さは日本一」というのが実感できる。

 

ご先祖に不敬

 今の大垣市長は、まるで養子に入ったドラ息子が、ご恩ある先祖の廟を埃だらけにして、祭りごとを疎かにして、先祖が残した金で、豪邸としての新市庁舎を建てるようなものだ。だから戸田公を祭る神事で、居眠りをしているかに見える振舞いをするのだ。一市民としての私の思いは、戸田公の居城であった大垣城のトイレとして、豪華でなくてよいから、他市の人に恥ずかしくないレベルの普通の状態にして欲しいだけである。平成21年完成予定の大垣新市庁舎建設費用121億円のわずか1万分の一のお金を掛ければ、このトイレは並みの状態になるのだが、節約がモットーで、ケチな大垣市長は、びた一文金を出さない。その結果が現在の恥さらしな姿である。ご先祖の戸田公に不敬である。私はご先祖を敬わない人間を信用しない。いずれバチが当たるでしょう。

 

図1、2 大垣城

図3 トイレ外観

図4 セロテープ跡が見苦しい白壁

図5 錆びだらけで見苦しいトイレドア

図6、7 錆びだらけの不潔な男女標識

     のっぺらぼうの顔が、幽霊の様で不気味

図8,9 配線むき出しの蛍光灯

図10 蜘蛛の巣だらけの天井

図11 新市庁舎の姿  工事中の市庁舎の前に掲示

    大垣城敷地内トイレとの美観の対比が凄まじい。

    もののあわれである。

 

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2017-11-08

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2017年11月 7日 (火)

元気ハツラツ市で子供達の命が危ない

コンクリート道路上での球技の危険性

 元気ハツラツ市では、歩行者天国になった大通りの南側で、フットサルやバスケットボールの場が設定され、子供たちが遊び狂っている。しかし、その足元はコンクリート道路なのだ。転んでの怪我や、打ちどころが悪くて後遺症が残る大怪我をする恐れもある。子供たちがフットサルやバスケットボールで興じても、大垣駅前商店街の売上には何の貢献もしない。それでもこのイベントは元気ハツラツ市のにぎやかしで3年ほど前から続いている。フットサルやバスケットボールが学校等の土のグランド上でされるなら、何の問題もない。なにを血迷って、また何が不満でコンクリート道路上で子供達の球技スポーツ遊びをさせ、それを黙認するのか。黙認は教師として狂気の沙汰である。大垣市の学校のグランドでは、この種のスポーツが禁止されているのか。

 

水の事故の恐れ

 夏の元気ハツラツ市では、駅前大通りの道路上に小さいプールを設営して、小さい子供たちを水遊びさせている。それを見守る責任は親任せである。親が少し目を離して買い物に行っている隙に、子供が水の事故を起こしたら、誰が責任を取るのか。いくら浅いプールとは言え、小さい子の事故は何があるか予測不能である。自宅のお風呂でも子供が溺れる事故さえ起きている。市の担当者は誰も監視をしていない。市の職員にとって市民の安全など知ったことではないのだ。全て業者任せで、それも数少ない業者がたまにしか見ていない。

 

危険性の訴えに事務局も大垣市役所も門前払い

 多くの人がその危険性を訴えるが、金儲け至上主義の元気ハツラツ市の事務局と大垣市の担当者は、聞く耳を持たない。大垣市長は、何も言わない。安全に対する見回りや管理は、全て業者任せである。その業者も人数が少ないので、常に子供たちを見ているわけではない。大垣市担当者は誰もチェックをしない。なにせそんな部署が存在しない。だから誰も責任を取らなくても済む体制である。それで市民の安全と命が守れるのか。そこに、大垣市長の市民の命を軽視した姿勢が垣間見える。その結果が、11月4日のドローン墜落事故である。決して偶然の事故ではない。大垣市長の不徳の致すところと私は思う。神様仏様はよく見ている。取り返しのつかない事故の前に、警告として小さな事故で、その間違いを教えてくれる。その科学的統計的な教えが、ハインリッヒの法則である。それを謙虚に聞くか、前の十万石まつりでの神事でのように居眠りするふりをして聞き逃すかの問題である。瞑想をしていると言い訳をする場合ではない。神事では真剣に神様に扮した舞人の神事を見守るのが市長の勤めである。教育の現場でも、教師が子供たちの学ぶ姿を黙って見守ってあげるのが、一番効果の高い教育であると同じである。

 

小学校校長と教育の長の無責任

 もっと狂気なのは、その危険性を黙認している大垣市のヒラメの教育担当の責任者である。元気ハツラツ市のこのイベントを知らないはずがない。見て見ぬふりをしている小学校の校長や先生達は、何をしているのか。事故が起きてからでは遅いのだ。打ちどころが悪くて後遺症が残ったら、誰が責任を取るのか。なにせ大垣市長は市民の命のことよりも、新市庁舎建設のことで、頭が一杯なのだ。それはドローン墜落事故で証明された。十万石まつりで朝10時の神事でも居眠りのような姿を見せるほどお疲れなのだ。体力の限界なら引退すべきだ。それを補佐する担当者が、責任をもって見守らないと未来を背負う子供の命は守れない。今は、昔の森市長の時代のような良き補佐役がいないのだ。

 大垣市は商店街の金儲けのために、子供をダシにして、元気ハツラツ市で客寄せをしている。子供達の命を危険に晒しての金儲けである。大垣市行政がその先棒を担いでいる。大垣市は、現在、金儲け主義の死神に取りつかれている。私は毎朝の散歩の道中にある大垣八幡宮と常盤神社・円通寺の戸田公の霊前で、大垣の安全を祈っている。

 

図1 元気ハツラツ市 フットサル 2017年10月1日

図2 元気ハツラツ市 バスケットボール 2017年10月1日

図3 元気ハツラツ市 水遊び場 市職員不在 2017年9月3日

図4 水遊び場 回りに買い物客はいない。2017年9月3日

    この場の状況で、水遊び場に違和感を感じないのか。

    誰がこの費用を負担するのか。市民の税金である。

 

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2017-11-07

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「ロボフェス大垣2017」で人命軽視を展示

 大垣公園にドローンが墜落した事故が起きた時刻14時5分の約50分後、私は散歩の途中でその会場に通りかかった。その時は、ドローン墜落事故の件は知らず、夕刻のニュースで初めて知った状況である。

 大垣公園の広場はその事故の後始末の雰囲気もなく、事故での安全再確認を行っている気配もなく「98式イングラム」をダシにして小さい子供を集めて、盛大に行事が行われていた。その「98式イングラム」の収納作業で、特装車作業班が、ヘルメットもかぶらず作業をしていた。安全上で、ヘルメットは必要である。着用不要という安全基準があるのか?

 ドローン墜落事故が起きたのだから、本来なら、現在行っている行事を中断して、安全の再点検を実施するのが安全管理部署の基本の行動である。その安全管理部署が大垣市には存在しない。ゴキブリが1匹見つけたら、他に百匹のゴキブリがいると思うのが、危機管理の常識である。トヨタグループでは、そうやって車の乗員の命の安全確保、職場の安全確保を最優先で仕事をしている。大垣市行政は、安全より行事遂行、節約が最優先のようだ。

 ハインリッヒの法則は、労働災害における経験則の一つである。1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する。「ロボフェス大垣2017」や元気ハツラツ市で見た人命軽視の展示のオンパレードは大垣市行政の業病の深さを物語っている。大垣市行政の不始末の責任は大垣市長に帰着する。

 

セグウェイ運行での安全無視

 大垣城ホールの中で「ロボフェス大垣2017」が開催され子供達で盛況であった。ロボット技術に子供達が興味を持つために、イベントを開催する事は素晴らしい。しかし、そこで目にしたのは、安全無視のセグウェイの体験運転イベントであった。ヘルメット着用が義務付けられているセグウェイの運航で、ヘルメットもかぶらずに親子がセグウェイを乗り回していた。並行して走っている女子はヘルメットを着用している。大垣市の安全指導が手抜である。客が集れば、安全などどうでもいいからと、運行しているようだ。ドローン墜落事故の直後の話である。墜落事故などで怪我した市民のことなど知ったことではないという、市の職員の対応ぶりをみて、大垣市が抱える業病を再確認した。ヒラメは、上司の意向通り節約して金をケチれれば、市民の命などは知らないというようである。ヒラメは常に上司を上目使いで見る。

 

セグウェイは「小型特殊自動車」

 2015年7月制定の道路交通法で、セグウェイは正式に「歩道等移動専用自動車」として小型特殊自動車に分類された。「ロボフェス大垣2017」でのセグウェイ運行は、大垣城ホール内での運用ではあるが、それでも小型特殊自動車であるのでヘルメットの着用は必要のはずだ。

 中部国際空港の展望台で、セグウェイに乗って巡回する警備員でも、ヘルメットを着用している。ネットでセグウェイに乗っている人たちの写真を検索しても全員、ヘルメットを着用している。

 2012年2月9日には観光ツアー社会実験として、つくば市内の観光名所を巡る企画が実施された。この実験には、16歳以上で普通自動車免許か普通または大型の自動二輪車免許の所持が必須条件である。

大垣市長と大垣市役所は、市民の安全をどのように考えているのだろか?

 

大垣市長の市民の命を守る責任に対する認識

 大垣市行政機構図(平成29年4月1日現在)を見ても、大垣市民の安全を統括管理すると思われる組織がない。末端の組織の中に「生活環境部 生活安全課(防災政策、防災安全、交通安全、公共交通、駐車場、消防防犯)」があるだけである。これは総合的に市民の安全を統括する部署ではない。イベント等でのドローン墜落事故もセグウェイの安全対策に責任を持つ部署がどこか不明である。「(防災政策、防災安全、交通安全、公共交通、駐車場、消防防犯)」の文字も一番小さいフォントで印刷されており、まるで読んで欲しくないとの意思表示のようである。組織図上で、生活安全課の記載された16階も上部に、「庁舎建設推進室」の部署が記載されている「生活安全課」の上の欄には、鶴見祭場、勝山祭場、かみいしづ祭場が位置する。「生活安全課」は祭場の真下に位置するのだ。大いなる皮肉である。大垣市行政機構図に、大垣市長の市民に対する思想が透けて見える。組織図で見る限り、大垣市長は、市民の安全には重きを置いていない。それよりも新市庁舎建設が大事なのだ。

 まともな企業であれば、セキュリティ業務室や保安業務室は、人事部の直下に置かれて、組織上で上位の位置づけである。トヨタグループではそれが常識である。トヨタグループの主要企業が集っている刈谷市の行政機構図では、上から企画財政部、総務部があり三番目に生活安全部が位置づけされ、その部署の中に危機管理課が設けられている。

 それが大垣市の政機構図ではずっと下位の位置づけで、目を凝らさないと、どこにあるか分からない有様である。それが大垣市長の考えの全てを表している。大垣市の組織を見れば、大垣市の未来が見える。今の大垣市長に、大垣市民の命と未来は預けられない

 

図1 大垣公園 2017年11月4日15時53分

図2 大垣公園 「98式イングラム」の収納作業 ヘルメット未着用

図3 大垣城ホールの中で「ロボフェス大垣2017」

図4 セグウェイ ヘルメット着用 2017年11月4日

図5 ヘルメットなしのセグウェイ運転

図6 ヘルメットなしの親子のセグウェイ運転

図7 中部国際空港展望台でセグウェイ 2017年11月1日

図8 大垣市行政機構図(平成29年4月1日現在)

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2017-11-07

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2017年11月 6日 (月)

大垣市ドローン違法行事は,なぜ許可されたか(改題)

ドローン墜落事故と大垣市トイレ問題は、同根の業病

 2017年11月4日、大垣市で開催中の「ロボフェス大垣2017」でドローン墜落事故が起きた。午後2時5分ごろ、上空から来場者に菓子をまいていた小型無人機「ドローン」(直径約85cm、高さ約55cm、重量約4kg)が約10mの高さから落下し、5~48歳の男女6人が額や肩を擦りむくなどの軽傷を負った。当時周辺には子供約100人とその家族ら計約600人がいた。このニュースは全国だけでなく、全世界にも発信された。

 ドローンは協会側の委託を受けた各務原市のドローン製作会社「合同会社 空創技研プロペラ」代表櫻井優一氏(37)が操縦していた。櫻井氏は、国土交通省大阪航空局で今回の飛行許可を事前に得たと説明している。ドローンの飛行では、上空からモノをばらまいたり、大勢が集会している催し会場上空の飛行は禁止である。それが許可されたなら、行政の不正な関与も疑問視される。同社は平成27年4月に創業で、経験年数、実績は浅い。その違法な行為が簡単に許可されたのはおかしい。書類の虚偽申請か行政の便宜関与としか考えられない。

 ドローンを飛ばすためには、下側6メータの範囲を空けなければならない。10メータも上空を自由自在に飛んでいる飛行物体で、「飛行の下側6メータの範囲を空けます」と申請書類に書くなどは、行政と癒着をするか、行政の入れ知恵で申請書類をねつ造しないと、許可が達成できないはずだ。疑問が湧き起こるばかりである。なぜ違法の大垣市のドローン飛行が許可されたか、真相を究明してほしい。

 

事故会社のお寒い実態と責任

 「合同会社 空創技研プロペラ」はHPで検索しても、資本金と代表者が表示されるだけで、従業員数も売り上げも、会社理念も何も記載されていない。つまり操縦者兼社長の創業2年余の超零細企業である。安全性等にどれだけ取り組んでいる会社なのか全く不明である。その少ない会社情報の項目に、それもわざわざ「休業日は日曜日」と明記である。もっと顧客に知らせるべき大事な項目があるだろうと言いたい。

 その社長自らがドローンを操縦して事故を起こしたのだ。操縦専門のスタッフがいる規模の会社ではないのだ。ドローンの製品も寄せ集めの部品で造った零細企業の手づりの製品である。一流メーカの安全が保障された製品ではないのだ。なぜそんな会社にイベントを委託したか。それはコストが競争入札で一番安かったためであると推定される。安全という観点は無視されて、この業者が選定されたのは、事故という事実が物語っている。

 

大垣市が抱える業病

 それは、大垣市が抱える業病なのだ。大垣市長のなんでも節約、安ければすべてよしという思想が、ヒラメの部下や関係者に伝染して、市民の命や安全など知ったことではない環境を作っている。安くさえあれば、見栄えがあり、話題にさえなれば、安全などどうでもよく、全てよしという思想に汚染されているとしか思えない。事故と同時期、同地区で開催されていた元気ハツラツ市でも違法な拡声器の使用で、近隣住宅地に大騒音をまき散らしての行事である。住宅地に住む幼児の環境保護など金儲けのためなら知ったことではない、が大垣市行政の姿勢である。今回の事故は起こるべくして起きた事故である。不幸中の幸いで、死者が出なかったが、死亡事故になっていれば、全世界に大垣の恥をさらすところであった。全ては安価至上主義、市民の人命軽視、住民無視の市政、の大垣市長の責任である。同じケチの思想で、問題が起きているのが大垣市トイレ問題である

 

大垣市トイレ問題

 大垣市は、数年前に水門側沿いにある3つの公衆トイレを江戸風の外観のトイレに建て直した。そのトイレがコスト至上主義の安普請のため、排水処理が手抜をされているようで、頻繁に詰まって、床がいつもべたべたで汚らしい。外観をこげ茶色の風体にしてあるので、内装も同じようで暗い。そのため清潔感がなく、汚れがあっても目立たないが、ますます汚らしい。トイレの汚さは、大垣市の職員さえもが「大垣市公衆トイレは、観光都市のトイレの汚さでは日本一」と断言するほどである。

 

安普請でトイレ建て直し

 大垣市街中心部の水門側沿いのトイレは、40年ほど前に当時の森市長が、観光地としての公衆トイレを恥ずかしくないようにと刷新する英断をして、費用3000万円で建築した。商店街の店主達の中には、そんなのは不要という意見があったが、森市長(当時)は商店街と何度も話し合いをして納得してもらっての建設であった。

ところが、誰の入れ知恵か、数年前にその立派なトイレを江戸風にしようと建て直すことになった。その費用が1000万円以下で建築された。費用が3分の一以下になれば40年前の物価を考えれば9分の1以下の費用である。安くなった分だけ、当然どこかで手抜きがされた。その手抜の部分の一つが排水部分である。そのため頻繁に排水が溢れるという事態となった。内装も安い化粧合板の暗い内装で、暗く安っぽくなった。前のトイレは。まだまだ使える堅牢な排水構造で、機能も完全な構成であった。それを、わざわざトイレを建て直した。その費用で誰か美味しい汁を吸ったのかと勘ぐってしまう。担当した建築工事業者も、堅牢に作ってあるので壊すの大変であったぼやいていたという。その時の市民の意見聞取りでも、このトイレに関係のない遠くに住む住人に、大垣市役所は、書類の形式を整えるだけのために意見収集をしたと言う。トイレ近隣の商店街の住民の意見の声を、大垣市役所は「無視」したという。

 

トイレ費用節約を筆頭にしたケチ思想の顛末

 現在は、そのトイレ掃除の費用も「節約」しているようで、日本一の汚さである。観光都市大垣として恥さらしである。すべて「安かろう、悪かろう」という経済原則に則った当然の結末である。安全とトイレにはお金をかけないと、文化都市として恥ずかしい。それが節約第一主義、機能は二の次の考えの今の大垣市長は、日本の恥であるということに思い至らない。頭がいいのと、知恵があるのは別である事例である。その結果が、今回のドローン墜落事故である。大垣市長のケチの思想が、死亡事故にも発展する恐れがあった事態であった。

 

トイレが会社や家庭の状態を示す

 トイレをみれば、その会社や家庭のレベルが分かる。それは経営コンサルが会社診断をする時に必ず見る項目である。イエローハット創業者の鍵山秀三郎氏も、トイレ掃除に情熱をかけて会社を大きくした。岐阜県出身の野田聖子議員も帝国ホテルでの修行時代にトイレ掃除に情熱をかけて、人格と会社を磨いた。大垣市はトイレを汚い状態にしたままにして、大垣市の恥をさらしている。それでいて、大垣市長は金のかかる新市庁舎の建設に余念がない。それも治水の失政、市内の交通渋滞放置、市民の命の軽視、静かな住宅地を拡声器での生活破壊、トイレの汚さを放置して、である。

 

本件は、大垣市民の命に係わる情報です。再発防止のため、多くに人に転送下さい。

2017-11-06

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2017年11月 5日 (日)

増長天が見下ろす我が臨死体験

 1999年(49歳)の時、ある研修で臨死体験の実習をさせられた。その時の己の情況を、18年の時間を経て眺めると、己が増長天になって天上から見る思いである。死の床にある己を上から見下ろす。視点を変えて見なければ観えない世界がある。一つ上の界から己を見ると、なんと己が愚かであるかが見えてくる。

  

感動と理動

 臨死体験の実習は理不尽に設定された。本来、不慮の事故とはいつも理不尽である。緊急事態が起きたとの想定で、それから逃れるため己だけを助けるアピールスピーチを強要された。結果として、私のスピーチは無視され、信頼していた唯一のパートナーからも裏切られ、講師から罵倒、酷評され、散々の目にあった臨死体験実習であった。理不尽な状況で、理性で戦おうとした己の愚かさが、今になって増長天の立場で見ると良く分かる。

 理性的に考える能力とは、なんと空しい力であるかを悟った体験でもあった。理性的に考える能力とは、理性的にしか考えられない偏った能力である。死の直前の場では、理性的な言い訳など何の意味も無い。なにせ理不尽な設定での臨死体験である。己を助けるために許された1分間のスピーチの訴え(ある意味の命乞い)は、理性的であるほど空虚であった。人は死に臨んでは、理性など無意味である。人は理性では動かない。「感動」はあっても、「理動」はない。人を動かすのは感情である。不合理でも相手の好悪で心は動いてしまう。そう思うとき、理性で見ていた世の雑事が空しく感じられる。

 命乞いをして認められれば、自分の命の代わりに仲間の一人の命が消える。人を死に追いやってまでして生き延びたいのか。たかが模擬の臨死体験実習で、何を一人でもがいているのか。人の生死は佛様の管轄範囲であり、人の管轄範囲は健康管理、人事管理までである。おこがましい越権行為の臨死体験に、何でそんなに落ち込んだかと、今にして己の愚かさを感じる。

 

佛動

 人は理では動かない。また感動をしても、多少は心を動かされても、それで生死を分ける決断の行動になるとは限らない。その時、己を動かすのは己れの奥から聞こえる佛の聲ではないか。感動ではない、理屈でもない、しかし動かざるを得ない何者かの聲が己を動かして、前に進ませる。その聲に素直に従うのが天命ではないか。

 

天命を知る

 50歳は天命を知るべき歳である。人は必ず死ぬことを知るなら、じたばたするのは見苦しい。死に接して、じたばたしたのは、人生に覚悟ができていなかったのだ。当時から18年間も経ち、多少は成長した今の時点で、増長天として当時を振り返っている。佛様は何のために己に命を授けてくれたのか。その命を永らえるために、何をすべきか。理性を前提に生きてきた己の生き様を見つめ直す機会となった。

 臨死体験をしてから人生観と死生観が少し変わったが、その後の修羅場の宮仕え期間を経て、人生観が少し風化しかかっていた。それが定年後に出あったご縁の数々で、人生観・死生観が進歩したのを感じる。

 いつ死んでも、後悔のない人生を歩みたい。一日一生、一日は一生の凝縮なのだ。そう思ってから、物事の決断に先送りはしないようになった。即決することが多くなった。間違った決断でも、気づいたら後で修正すればよいと居直ることにした。右か左か、どうせ多少の道草があるかもしれないが、行き着く先は同じである。そう思うと、気が楽になる。与えられたご縁を活かす方が、より大事であると思うようになった。

 

真の己の姿

 「真」とは人が逆さまになっている象形である。一説には、戦いで首を切り取った胴体の象形で、首のない敵の胴体を並べて数えることから、「真」の文字が使われたという。事件・病気・トラブル・研修・試験という佛光に照らされて、己の真の姿が闇夜に浮き上がる。目を覆って見たくない、己の影に真の姿が露見する。それを天界から増長天が見つめている。己を第三者の目で見よ、見たくないものを見よ、触れたくないものにも触れよと増長天の目は云っている。そうなった原因は、全て己であると。たとえ天は知らなくとも、己の内なる鬼は知っている。魂の叫びに耳を塞いできた咎が事件である。

 

 図1 増長天が見下ろす我が臨死体験

    松本明慶大佛師作 高野山納佛 

    馬場恵峰書

 図2 論語 馬場恵峰書

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2017-11-05

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年11月 4日 (土)

大垣のあるべき姿 「問題と課題」

大垣のあるべき姿

 ・魅力ある商業都市としてしての大垣

 ・岐阜県第一の工業都市としての大垣

 ・世界に誇れる文化・芸術の都市として大垣

 ・日本に誇れる教育都市としての大垣

 ・歴史の街としての大垣

 ・市行政として経営が誇れる大垣

 

 問題とは、現在、起きている悩ましい事象である。その解決は、火事を水で消すがごとくの応急処置で対処療法である。真の解決にはならない。

 課題とは、あるべき姿と現在の状況の乖離である。真因を明確にして取り組まないとあるべき姿には到達しない。

 

 問題と課題を分けないから、対策が曖昧になり、少しも大垣が良くならない。現在の市が実施しているのは、全て対処療法である。形を作っても、真因を理解せず、魂を込めないから、衰退が止まらない。

 

大垣が抱える問題

 商業都市としてしての大垣

  小売卸業に従事する人口がこの5年間で4%も減少して衰退傾向である。

  駅前商店街は61%が店を閉め壊滅状態。魅力ある店が少ない。

  交通インフラが未整備で、商業経済の発達を阻害している。

  行政のトンチンかんな町興し策で却って衰退を早めている。

  商業圏が南北で分断され、大垣市の活性化の阻害となっている。

  先に商業施設を誘致して、お粗末な道路インフラで、大渋滞を招いている。

工業都市としての大垣

  第二次産業就業者がこの5年間で6%も減少して衰退している。

  経済血路の道路が老朽化。治水が貧弱で大雨で交通マヒが頻発。

  62年間も治水の問題が解決されていない。

  交通行政が現代の車社会に不適合で、経済の発展を阻害。

教育都市としての大垣

  補導される生徒が増加して教師が走り回っている。

  昔の「教育の町、大垣」は風化寸前

  行政が、子供たちを金儲けの元気ハツラツ市に駆り出す堕落ぶり。

 文化都市としての大垣

  大垣の文化レベルが下がってきている。

  文化行政に理解のない長が大垣の発展を妨げている。

  大垣の歴史資源、観光資源が有効活用されていない。

 行政が硬直化

  長期政権で、役人がヒラメ化

  節約と称して、未来への投資がない。

  行政に経営のPDCAを回せず、市の行事で赤字を垂れ流し。

  商店街の活性化とは逆行する元気ハツラツ市の運営を見直しもせず、続行。

  ロボフェス大垣2017で「98式イングラム」をダシにして小さい子供を集めて、安易に市の活性化を謳っている。それが本当に子供の教育上で役にたつのか疑問に思う。お金もかかるのに。子供の情操教育には金を出さない大垣市である。

  新大垣市庁舎への投資よりも、治水の投資、経済活性化の投資が先である。投資の優先順位を間違えている。

 

問題が起きた真因

 現在は大垣市を導くよき指導者がいない。350年前から続く指導者の歴代藩主戸田公が方向性を明確にして教育重視の治世をしたから、明治になり「教育の大垣」、「博士の街、大垣」が花開いた。当時の大垣の西洋医学の導入は、京都よりも早かった。すべては人の問題である。

 会社のレベルが社長以上の社格にならないように、市も市のトップの人格以上にはならない。どんな人も老いは避けられない。トップが老い、耄碌すると、市の行政もお粗末になる。子供のレベルが、家庭の親のレベルで決まると同じである。会社を変えるのは社長、組織を変えるのは組織のトップである。子供を変えるのも親である。組織はトップの顔色を見て行動するヒラメ組織員から構成されている。若返りがなく新陳代謝のない組織は、腐敗や癒着が横行しやすい。これはどの時代でも歴史的に証明されている事実である。17年間の長期政権は長い。

 2009年~2012年で民主党が政権を担当して、どんな悲惨な日本の政治なったかは、日本の歴史の汚点として記録されている。全てトップのレベルが行政のレベルを決める。よくも揃いも揃って3人の首相がお粗末をしてくれたもの。よき反面教師役でもあった。私は民主党には投票しなかった。

 現在の日本のデフレは政府の責任である。未来に投資をしなくて消費税を上げ金融政策ばかりするから、ますますデフレになる。今の日本に必要なのは減税と財政投資である。日本政府と同じような政策を大垣市がやっているから、大垣市は衰退している。今、必要なのは節約でなく、未来への投資である。

 

大垣の課題

 商業都市としてしての大垣

  魅力あるお店作りを指導して、商業が盛んな活力ある街に変革する。交通インフラ、駐車場を車社会に適合するように整備して、客が楽しく買い物ができる街づくりを推進する。

 工業都市としての大垣

  西濃地区の交通の要所として、道路網、鉄道網を充実させる。

  水害に強い町造りを推進する。それで企業を誘致する。

 教育都市としての大垣

  「教育の街、大垣」の名を取り戻し、教育レベルを向上させる。

  親の教育を充実させる。今の問題の多くは親の責任。

  日本の教育モデルケースを目指す。

 文化都市としての大垣

  文化・芸術の都として世界に名を轟かせる。

  文化施設の有効活用をする。

 歴史の街としての大垣

  観光の町として観光客に対する補完的サービス体制を充実する。

  歴史的観光資源を有効活用して、観光地として有名にする。

 行政としてあるべき大垣市政

  行政として正しい経営をする人材を登用して、市を活性化をする。

 

2017-11-04

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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祈りとは感謝

 祈りとは、頭を冷静にして自分と対峙し、謙虚に反省する修行である。神佛やお墓の前で祈ることは、自分に与えられた神佛・ご先祖のご恩に感謝し、ご恩に報いる決意をすることだ。生存欲だけで生きていると犬畜生レベルに成り下がる。それでは魂の成長は、感謝の域には達しない。魂の浄化があってこそ、祈りと言う行為になる。犬猫が祈っているのを見たことは無い。

 

祈りの姿勢

 お祈り時間の長い人は不幸な人が多い。幸福な人はお祈り時間が短い。それはお祈りではなく、神仏・ご先祖への感謝の報告である。不幸な人が、自分のやるべきことを放棄して神仏へのお願いに時間をかける。そんな時間があれば、公園の草取りでも、家の前の道の掃除でも人様のお役に立つことをやればよい。お祈り時間の長い人は全て他力本願である。それで幸福になれるはずがない。

 「まず自分のやるべきことをやってくれ。そうすれば10年後に利子をつけて返してあげよう」が神佛の御心である。それを「お賽銭を入れた。人様以上に長くお祈りをした。直ぐに配当をくれ」では神も仏もあったものではない。神社仏閣は、お願いをしてお賽銭を入れれば、ご利益が出くる自動販売機設置場所ではない。そう信じている人は、お祈りの時間が長い。

 仕事とは祈りである。幸福な人は、仕事をすることで、社会に貢献している。そして儲かれば税金を納めて、社会のお役にたっている。幸せな人は奪う人ではなく、与える人である。祈りの長い人は、棚ぼたを信じて口を空け、待つだけの人である。

 

お祈り教の我儘

 図1の老女のお祈り時間は約20分間余と長い。ご丁寧にお寺の入り口に自転車を置き、入口を封鎖してのお祈りである。お参りにくる人に迷惑になるので注意したが、「片方が空いているので問題ない」と意地になって反論する。人様へのご迷惑は、己のお願いの祈りに没頭して眼中にはない。こうなっては仏様もお手上げだ。自己の祈りが利己的に埋没すると、祈りという行為が社会への奉仕という意味から乖離してしまう。社会の一員としての祈りであってこそ、真の祈りである。新興宗教団体の祈りも、同じようにその宗派だけの利益を願う。哀しい祈りである。

 その後、彼女は隣の八幡神社でも同じように長時間のお祈りをしていた。ここでも東口鳥居下のど真ん中に自転車を置いての他人迷惑なお祈りである。南園堂の不空羂索観音様や大日入来様、延命地蔵菩薩様だけでは心もとないので、八幡神宮の天照大神様にも二股をかけている。二股をかけられては、観音様も気を悪くするでしょうに。祈りに没頭すると、回りが見えなくなる。オウム真理教徒も、同じようであった。

 

「苦 → 滅」のショートカットキー

 人のことは笑えない。己が勤めるブラック的な「〇〇利益万能教会社」への盲従で、反社会的行為に手を染めていないだろうか。グローバル経済主義教に染まり、己の企業の利益だけを追求する経営をしていないだろうか。最近は有名企業の不正事件が後を絶たない。それは、成果主義の過大なノルマから逃れる為、正しい研究開発工程や正規の検査工程、正規の材料選択の工程(苦)を放棄して、苦労のない手抜き・データ改竄・不正で、目的を達成(滅)するというショートカットキーを使っているからだ。

 老女の姿から自らも反省をしたいもの。信心なきお祈りは、ショートカットのお守りのお札を貼るようなもの。フォルクスワーゲンの排ガス不正、日産の検査不正、近隣諸国の技術パクリなどは、拝金主義教が生み出した。

 

祈りとは修行

 祈りとは自分を謙虚にするための修行である。謙虚と感謝の気持ちがなければ、周りが見えなくなる。大義名分に囚われると、見えるものも見えない。あれども見えず、である。

 エネルギー総量一定の法則で、自分だけ幸せのエネルギーを独占すると、他の人は不幸になる。その落とし前はどこかでせねばならぬ。家系図で見えた結論は、その落とし前を子供や孫が被っている。人を不幸や苦労を自身が背負ってこそ、徳ある人の道である。

 他力本願の祈りとは、全能の神仏を超越し、ニュートン法則や相対性理論の宇宙法則を捻じ曲げて、己のためだけの欲望を願う行為。(アンブローズ・ビアス著『悪魔の辞典』)

 

 図1 お寺の入り口を塞いでの祈り

 図2 神聖な鳥居のど真ん中に自転車を置いての祈り

 図3 般若心経 馬場恵峰書

    無苦集滅道は般若心経の真ん中に書かれている。

 図4 苦集滅道とはPDCA

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2017-11-04

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年11月 3日 (金)

連絡 カテゴリー「o-大垣の歴史」を追加

表記カテゴリーを追加し、今までカテゴリー「歴史」にあった記事を一部含めました。

2017-11-03 小田 泰仙

たらい舟川下り

 関ヶ原の戦い(1600年)のとき、大垣城が石田三成の西軍本拠地であったため、大垣城は徳川家康が率いる東軍に包囲された。その時大垣城内にいた石田三成の家来山田去暦の娘「おあむ」(当時16歳前後)が、落城寸前に、城の堀をたらいに乗って密かに大垣城を脱出して戦火を逃れた。おあむの父山田去暦は、娘と共に大垣城に籠っていた。大垣城落城前に、矢文が大垣城に打ち込まれ、「去暦は家康様の手習師匠であったので逃がす」とあった。それで去暦が娘とたらい舟で逃げたという。やはり師匠というのは偉いもの。家康も戦時で敵方であっても、昔の師匠には恩で報いた。その歴史伝承に由来する「たらい舟川下り」行事が、2003年から大垣の水門川で行われている。現在は春秋の2回実施されている。それに由来する松の木が大垣城内にそびえている。

 図1 おあむの松

   当初の松は昭和の終戦前に枯れたため、現在は第二世代である。

 図2 大垣城

 図3 大垣城とその前に戸田氏鉄公の騎馬姿像

 

戦時の武士の娘の務め

 そのおあむも父と大垣城内に籠城していて、敵方の討ち取った首を洗ったりお化粧をしたりするお役目をしていた。戦いの後の論功行賞で、討ち取った敵方が偉い侍であるように、武士の娘たちが駆り出されて生首のお化粧を担当していた。大垣城内では、若い娘たち(おあむは16歳前後)がその生首の山の横で寝泊まりをしていた。それが、当時の戦場での日常茶飯事の姿であった。今の平和な世界を当たり前と思ってはなるまい。ほんの400年前の話である。

 

戦争が起きない体制つくり

 狸親父とも陰口を叩かれる徳川家康が偉いのは、戦争の悲惨さを何度も体験して、戦争の起こらない巧妙な体制を構築して、戦乱に明け暮れた戦国時代を平和な280年間の治世に移行させたこと。それ以前の天下人は、だれも戦争のない社会を作る意思などがなかった。家康は我慢に我慢を重ねて、家康は天下を取り、国内の戦争ができなくなる平和の仕組みを作った。その家康の訓言の書を恵峰先生宅で見つけて、何か感じるところがあり、入手した。歳をとると、三英傑のうち、家康の偉さが見えてきた。その秘訣は「まず長生きをする。そのための健康管理に精進である。また我慢に我慢を重ね、無為な戦いはしない」である。それが家康を最終的な勝者にした。織田信長は49歳で、短気が原因で本能寺に斃れた。秀吉は天下統一をしながら、欲を出して海外に戦いを求めて、それが滅亡の遠因となった。秀吉は才覚があったが、真の知恵者ではなかった。

 図4 東照宮訓言 馬場恵峰書

  1999年に揮毫された軸であるが、私が2015年に目に付くまで、誰も買わなかった作品である。その時、なにかご縁を感じた作品である。

 

彦根とのご縁

 家康は石田三成を徹底的に抹殺した。あまりの三成の頭が良すぎて恐怖心を感じたのだろう。今後の平和を乱す男として見たのかもしれない。そのおあむも幼いときは、彦根に住んでいた。父去歴の主君の石田三成が彦根の佐和山城で居を構えていたためである。私の生まれ故郷は、その佐和山のある古沢町である。ここには井伊家の菩提寺清凉寺が建っている。

 

脱出の体験

 この伝承にあやかり、その脱出の感触を記録に残すために自分もたらい舟に乗舟した。その記録として知人に写真を撮ってもらった。乗舟した最初の2011年は単なるもの珍しさだけであった。地元大学の学生アルバイトが舟頭であった。学生アルバイトでも、この行事に直前にたらいを漕ぐ猛訓練をして船頭を務める。この記録の時の2012年の舟頭さんは、朝日電気の取締役会長さん(75歳)であった。心がけが変わると人生の船頭さんも変わる。舟頭さんはお宮の氏子代表や高校のOB会の総幹事も勤めてみえるとか、東京で執り行われた守屋多々志画伯(大垣出身の文化勲章受賞画家)の葬儀にも地元から参列した4人のうちの一人であるとの話しまでをたらい舟上で聞いた。社会奉仕活動として、たらい舟頭になるのも一興である。

 図5 たらいの運搬

  終着点からクレーンで釣り上げて、出発点に運ぶ。

 図6 たらい舟の準備 2012年

 図7 船頭さん達の朝礼 2015年

 図8 舟くだり 2011年

 図9 舟くだり 2011年

 図10 舟頭さんは朝日電気の取締役会長さん 2012年

 図11 舟上から 興文橋を見上げて 2012年

 図12 舟上から 前方は終着地点  2012年

 図13 舟くだり 終着地点 上側は船町燈台 2012年

 図14 舟くだり 2013年 ライフジャケット着用

  2013年からライフジャケットの着用が義務付けられた。これは天竜川川下り船の転覆事故(2011年)を受けての対応である。今まではライフジャケットなしである。水門川の水深が浅いので問題はないのだが。

 

たらい舟川下りの乗船

 たらい舟川下りには、大垣市観光協会に事前予約が必要だが、いつも早くから満席である。しかし朝一番に行って、枠があいていれば乗船できる。私はいつもそうして乗船している。たらい舟に二人乗船で一人1,000円で、一人乗船の場合は2,000円である。約2kmの水門川水路を約30分で下る。ほぼ歩く速度と同じである。天竜川川下りでの船の転覆事故を踏まえて、2013年からライフジャケット着用である。しかし水門川は人の立てないような深い場所はない。少々やり過ぎである。この行事のために、水門川の船着き場の先で堰を作り、水かさを上げる段取りをしている。そうしないと、たらい舟の底が川底の浅瀬についてしまう。舟をうまく操らないと浅瀬に乗り上げてしまうので、そのかじ取りが難しい。舟着場は船町の燈台の真横である。

 乗舟時に観光説明のうまい舟頭さんに当たると、直々に周りの景色を見ながら歴史の解説を聞ける。それに外れると、たらいで下る間にテープに録音した観光案内の声が流れる。普通の専門の船頭さんは無口で、ほとんど喋らない。私の場合、朝日電気の取締役会長さんが船舟を担当されて幸せであった。

 

たらい舟川下り運行の準備活動

 たらい舟川下り、船川下りも、水門川の水深が浅いので、そのままでは船の底がつかえて運行できないので、この行事の間だけ、堰を設けて水位を上げる段取りをしている。市民のボランティア活動や大垣青年クラブ、業者の協力で、水門川の藻や掃除活動をして、このたらい舟川下りと船川下り行事の準備活動がなされる。こういう陰の支援があって成り立っている行事である。水門川は大垣市民の川として皆で守っている。水門川の水は、都市の川としては素晴らしく清らかである。水門川には30万匹の鯉が生息していると言われる。

 

 図15 水門川の堰き止め

 図16 水門川掃除 大垣青年クラブの奉仕活動

 図17 水門川掃除 大垣青年クラブの奉仕活動

 図18 水門川掃除 業者 

    水門川を堰き止めなければ、水深は浅い。

 

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2017-11-03

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