人生とはリースの大黒袋
松下幸之助翁は「人生は90%までが、いわゆる人知を超えた運命の力によって既に決まっている。人間の知恵才覚で左右できるのは、残りの10%に過ぎない。そう考えれば、人生、得意のときも、淡々と素直に謙虚に、わが道を歩んでいくことができよう。」と運命を断じた。しかし今回のお墓作り、ご先祖探しの旅で、人知を超えた運命の力は90%どころか、人生の95%から99%にも及ぶことを感じた。人間の人生とは、運命を運ぶ大黒天に背負われた大黒袋ではないかと思うようになった。
袋に入れるもの
人は生まれたときに、天より人間という形の袋が授けられる。その袋は運命を運ぶ大黒天によって担がれて、ひたすら死という終着地に向かって運ばれてゆく。人間にその行き先を拒否はできない。人生旅の終着地に着いたとき、大黒様はその袋を火葬場にお役目として放り込む。お釈迦様を含めて一人の例外もない。袋としての人間に、死後で残るのは僅かな灰でしかない。人間として生きた証として、運んでもらっている間に、その袋の中に何を入れ、それをどう昇華するか、どう料理するかが問われる。袋に入れて集めた多寡が問われるのではなく、集めたものをどう活用したかが問われる。
幸いなことに、その袋は人間の成長に合わせて伸縮自在に変貌する。その変貌の程度は自己鍛錬に依存する。その袋の中に何を入れて、何を入れないか、入ってきた縁の整理整頓清潔清掃(4S)ができるかであり、入ったものをどう料理するかが問われる。その如何によってその袋が価値ある宝袋にもゴミ袋にも変身する。その中身がダイヤモンドにも毒にも変身する。
その袋の布は、血も肉も通う生身の生命体である。その袋に過度な美食美酒を入れすぎて、袋がアルコール侵蝕されて穴があくこともあろう。節制を忘れた人間の強欲のなせる業である。その袋は天からのリース物件である。大事に使わないと、契約途中で天から解約通知が舞い込む。その袋を大事に使っても、最大100年後には、天にリース返却しなければならない。自分の体はご先祖が天にお願いして手配してくれたリース物件である。それを忘れて、酒池肉林、甘味飽食に溺れるから、契約違反としてリース途中解約となる。
その袋に分不相応に財を入れすぎて、袋の底が破れ、破綻することあろう。己の器の大きさを自覚せずに、棚ボタの財宝を入れすぎたためである。集めることだけを考えて、利他として分けることを忘れた天罰である。
大黒袋を守る
その袋を目掛けて飛んでくる非難や試練という攻撃の矢で傷つき、穴があき袋が破損することもあろう。どれだけ袋の表皮の強度を上げる鍛錬をしたかである。試練という鍛錬をしない限り、か弱い材質の袋のままでは、人生に価値あるものを袋に入れることが出来ない。天は心という器だけは、傷つきやすい裸のままに創られた。それを自覚して人生を歩まねば、言葉と言う凶器で自他の心を傷つける。人生道は担いだ大黒袋を大事にして歩みたい。その自覚なき人生では、道半ばで沈没する。
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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