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2017年10月18日 (水)

己が死鬼衆になるとき

 2014年末に人間ドックで各所の不都合が見つかり、暫く大垣市民病院に通院した。大病院に行くと老人の人生の縮図を見せられる。そこで目にした風景は、自分がまだまだ恵まれていることへの感謝の念と、未来の自分の姿への戒めでもあった。

 最近は私の近所でも介護施設の車椅子の人を運ぶワゴン車が数多く見るようになった。車椅子の人を見ると辛くなる。車椅子の人の多くが、顔が弛緩した状態である。生きているのではなく、生き永らえている趣である。車椅子を押す人が気の毒で見ていられない。介護は美しい姿ではあるが、現実は地獄である。未来の自分はそんな状態で生きながらえたくはないと思う。 

子供の未来を喰う鬼畜

 車椅子の生活は、車椅子になるべくして生活をしてきた咎といえば酷かもしれない。働き盛りの男性の介護退職者が年間14万8000人(2013年)で、この4年間で4割も増えた。年間退職者の15%である。50歳前後で親の介護で辞めた人や役員手前で辞めざるを得ない部長を見ると悲劇である。親は自分の息子の油の乗り切った大事な時期を意図せず食い物にする結果となる。日本の貴重な人財という財産が失われる。数年間の親の介護が終った後は、再就職する道も遠く貧困生活への道に滑り落ちる。親の健康管理の怠慢が原因である。自分の健康管理を若いときからしなければ、将来、己が子供の未来を食う鬼畜となる。己の堕落の咎を可愛い子供が背負う。 

母の病状

 私の母は太っていて69歳のとき、脳梗塞で亡くなった。68歳のとき、高血圧が遠因の脳溢血で倒れた。私は、もっと痩せろと何回も苦言を言ってたのだが、言い方が甘かったと今にして悔いが尽きない。子は親と同じ病気にかかりやすい。同じ食生活を長年続けていたからだ。親の罹る病気を学ぶことは親孝行であり、自分のためにもなる。

 母は手術後奇跡的に回復し一時帰宅もできたが、その後、脳梗塞となり意識がない状態が5ヶ月ほど続き大垣市民病院で亡くなった。入院中の間、80キロほど離れた勤務地から、夜、車を飛ばして病院に見舞いに行くのだが、意識の無い母を見舞うほど辛いものはない。制限速度以上で飛ばす堤防沿いの深夜の道中、少しハンドルを切って橋げたに激突すれば楽になれるとの誘惑に駆られたことも一度や二度ではない。地獄はあの世でなく、この世に存在する。子供に地獄を見させるのは、死鬼衆である。親ならば子供のために己を律するのが、子孝行である。親の健康管理は子にも責任がある。介護は負の仕事で、付加価値を生まない仕事である。人は死ぬ直前まで、現役であるのが幸せなのだ。ピンコロは、良く働いたことへの佛様からのご褒美である。生殺しは地獄である。

 

2017-10-18

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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