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2017年9月

2017年9月 5日 (火)

インプラント 39(爪の垢)

3.39 千手観音菩薩の爪の垢を

 インプラントの可否の調査方法がわからず、走り回って猫の手も借りたい状況であった。しかしまだ努力が足りない。千手菩薩観音でさえも2つの手だけではなく、千本もの手を使って我々を救おうと尽力をされている。我々、人間界の存在の分際で、打つ手や手段がないとは恐れ多い話である。観音様が千本の手を使われるなら、我々凡人は万策を尽くせば、その決断のための方策や道は見つかるはず。少なくともヒントくらいは見つかるはずである。人間界で発生した事象は人間界で解決する手段が存在する。

 発明の天才、エジソンが長時間の使用に耐える電球のフィラメントを発見したのは9,999本目の材料の試験をした後であった。

 千手観音菩薩の千本もの手の爪の垢を飲むのは大変である。それだけの労力を使うと思えば、然るべき光は見えてくる。万策尽きても、私心のない祈りが道を開く。

 今回の調査結果として、北は北海道から、南は九州宮崎まで、全国の経営者仲間60人余に電話をかけまくって生の声を集約して、図書を調べ、購入してネットで情報を探し、インプラント可否の結論を出した。

 

2017-09-05

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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「桜田門外ノ変」の検証 (19/28)大垣本陣

大垣でご懐妊 ---- 井伊直弼公と大垣

  弘化3年(1846年)1月、世子井伊直元公が逝去され、直弼公の身の回りが激変する。重臣の衆議の結果、井伊直亮公の世子として井伊直弼公が内定したので、即刻、江戸に上るようにとの藩主の直筆が早飛脚で彦根に伝達された。「仰山な行列は避け、なるべく軽装で、供廻りも少人数で」との指示である。

 

ご懐妊

 同年2月、井伊直弼公は藩主の指示で彦根を出発して江戸に向った。彦根から江戸の上る最初の宿が大垣宿本陣である。ここには明治天皇も宿泊されたことがある由緒ある本陣である。埋木舎で井伊直弼公の身の回りを世話していた里和が、彦根から大垣に派遣された。ここで直弼公に初めて夜の伽を勤めることになり、お世継ぎを宿すこととなる。後日、江戸屋敷に行き直弼公のお世話をする予定であったが、懐妊が分かったので彦根に留まることになった。生まれた子は愛麿と名付けられた。後年、直弼公の跡目を嗣いで、37代井伊直憲となる。里和は側室としての地位を得ることになる。

 

文化人たちの交流施設

 大垣本陣は、大垣の文化人たちの交流施設としても利用された。「桜田門外の変」の5年前の安政2年(1855年)には、大垣本陣に160名を超える俳人が集い、美濃派道統14世引継ぎ式が行われた。また、本陣役飯沼長矩の子の長侃は、京都で狂言を野村万造に師事して、大垣に帰ってから竹島狂連を結成して、大垣本陣で稽古や公演を行った。長矩の子の長温は、彫刻職人を屋敷内に住まわせ、植物学の開拓者の飯沼慾斎の『草木図説』の出版準備もここで行った。『草木図説』は日本で最初の近代的な植物図鑑である。大垣本陣は、従来の大名や公家、幕府の役人だけの施設ではなく、文化人が交流する施設の役割も担っていた。

 

明治天皇行在所跡

 明治11年(1878年)10月22日、明治天皇は東海・北陸御巡幸のため、竹島町の飯沼武右衛門邸(大垣本陣)に泊まられた。当時の飯沼邸は嘉永3年(1850年)に改築されていた。右大臣大倉具視、参議大隈重信、工部卿井上馨らを共にしての行幸である。付き添う役人は700名余とある。

 

復元された大垣本陣

 大垣本陣は、昭和20年の大垣空襲で燃えなかったので、修復され、現在の姿がある。当時のままの造りと姿が見学できる。何処で調べたのか、遠くの地からの見学者が絶えない。恥ずかしながら、私は本所を知らなくて9月3日に初めて見学して感激した。土日のみ開館で、無料です。町内の方が交代で説明をされている。

 

図1 大垣本陣

図2 大垣本陣模型

図3 昭和初期の大垣宿本陣の姿(大垣本陣の展示パネルより)

図4 明治天皇の玉座

図5 その隣の部屋 当時のままで再現。天井が高い

 

2017-09-05

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2017年9月 4日 (月)

磨墨智 435-7.待っている間も勉強しよう

何所でもドア、どこでも学習室

 下の写真は図書館の学習室で勉強するため、9時の開館前に、寸時を惜しんで玄関前の広場で参考書を広げて勉強をしながら開館を待つ高校生の姿である。

 勉強に励む姿勢が、世の中の道にあるドアを開ける鍵となる。そのドアを開ける鍵は、本人の意思と精進の真摯さである。どんなドアでも、真摯さないと神様の鍵穴と合致せず開かない。

 この子達が日本の将来を担ってくれる。日本の未来の時間を創ってくれる。我々もこの高校生をお手本に、若い時の情熱を思い出して精進しよう。そこに忘れていた昔の自分の姿がある。認知症や徘徊老人にならないように精進すれば、日本の未来は明るくなる。

 

図1 大垣市立図書館前で開館を待つ高校生  2012年9月30日08:52

 

『時間創出1001の磨墨智』より

2017-09-04

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「桜田門外ノ変」の検証 (18/28)

井伊直弼公の寵愛を受けた「志津」

 2015年6月15日、井伊直弼公が大垣宿を経由して江戸に上ったことを、井伊直弼公の伝記や小説で調べ始めた時に、舟橋聖一著『花の生涯』で志津の名に目が留まった。志津は、井伊直弼公が15年間の部屋住み生活を埋木舎で過ごしたとき、お世話をした女中で、直弼公の寵愛を最初に受けた女性である。早世ではあったが女児も生んでいる。

 その「志津」の名と、私の祖母の名が「志ヅ」と同じなのに気がつき、愕然とした。この小説『花の生涯』を20年前に読み、その名を目にしていて気がつかなかったご縁である。情けないが、あれども見えずとはこのことである。

 松居石材商店の松居店主の話では、彦根では名字に「井」を使うのが畏れ多いので、「松井」ではなく、「松居」としているとか。志津も「津」を使うのに気を使ったのかもしれない。

 

志津

 器量よしの志津は藩の足軽秋山勘七の娘で、16歳のとき埋木舎へ上がって家婢となり、その後、直弼の寵愛を受ける身となった。井伊家の慣わしで、足軽の娘では、妻どころか妾にもなれないので、誰か名のある藩士の養女にしてもらって、せめて側室の地位を望みたいと父は焦慮したという。

その後、志津は直弼を取り巻く女性、村上たか女との葛藤の中でノイローゼのようになり身を引く。その後を理和が直弼の身の回りの世話をすることになる。

 

祖母、志ヅ

 祖母はとても美人であった。街を歩くとき、男が寄ってこないように頭巾で顔を隠してあるいたとか言われている。祖父小田成健と結婚して、祖父が43歳の若さで傷害事件のために亡くなったので、6人の子供を抱えて、その後が苦労の連続であったようだ。努力家で能力が卓越していた小田成健は、42歳で大津警察署長に昇格したのを妬まれ二人の小官吏に襲われてそれが原因で、43歳の若さで亡くなった。その履歴が、44歳で桜田門外に散った井伊直弼公と重なる。夫の早すぎる死の後、不幸な人生を歩んだ祖母志ヅと志津とが重って見えた。

 志ヅは道仙の孫で、志ヅの父は道仙の子の文三であるから、文三は井伊直弼公の寵愛を受けた志津の存在は知っていて、あえて名づけたと思われる。そうでないと、この珍しい名前は付けまい。同じ名では差しさわりがあるので、「津」を「ヅ」に変えたようだ。文三は志津の1世代後の人だから、狭い彦根では志津とも面識があったのだろう。重次郎は芸の関係で埋木舎に出入りをしていて志津を良く知っていたのかもしれない。

 祖母もそれを知ってか知らずか、戸籍上での名は「志ヅ」であるが、通常は「志づ」で通していたようだ。当然、両親から名前の由来は聞いていたであろう。だからか手紙や文書では「志ヅ」が出てこない。その理由がやっと分かった。興味深いのは、昭和24年の行政からの領収書の名前に「小田志津」の宛名が見つかったこと。

 

図1 埋木舎 正門

図2 埋木舎 玄関

図3 長野主膳と井伊直弼公 埋木舎

図4 志津と里和 埋木舎

図5 埋木舎 庭より屋敷を見る

図6 埋木舎 客間

図7 埋木舎 座禅の間

 

2017-09-04

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インプラント 38(価値観)

3.38 自分の経営価値観を持っているか

 芸術家は我が道、獣道を行く。経営者も同じである。経営は芸術に似ている。私の好きな高塚省吾画伯は、「君の絵には汗の匂いがない」と先輩に批評され、それから心して汗の匂わない女を描くことに心掛けたと言う。芸術家としての確固たるポリシー(自我)がないと、成功しない。これは経営でもあてはまる。経営方法は千差万別であり、時代とともに環境が変わる。それに対応した経営が求められる。自分の価値観を明確に持っていないと、時代の流行に流される。流された経営がうまくいくはずがない。特に自分自身への設備投資では、その結果が自分自身に直接、跳ね返る。心して経営判断をすべきである。私の経営の価値観は、健康・安全が最優先である。私の経営の価値観から見て、インプラントはそれに反している。

 下記、高塚省吾著『高塚省吾の絵の話』(芸術新聞社刊1996年2,000円)の読書感想です。ご縁があり「新涼」という名の絵を、高塚省吾画伯に描いてもらった、「汗のにおいのない」清楚な裸婦の絵である。私の「お宝」として大事にしている。

 

学ぶのは舗装道路、創るのは獣道

 所感 高塚省吾著『高塚省吾の絵の話』(芸術新聞社刊1996年 2000円)

 本書は絵の話と言いながら、宗教、西洋東洋の思想・美意識の違い、芸術家の創造性についてその含蓄のある話は興味深い。永い間、売れない画家として苦労をした事は、直接に文脈からは出て来ないが、その深みある文章は、絵心ある人には琴線に響く。言葉と同じように、絵でもすべてを表現しようとする傲慢な西洋文化。其れに対して、あいまい、控えめ、空白、間、含蓄を基本とする日本文化の違い。絵を通して文化、言葉、宗教の世界を画伯が語る。

 私は『トップアート』や画集等での画伯のエッセイを読んで画伯のファンになった。この単行本はその期待を裏切らない内容である。この本は単なるエッセイ集でなく、美術書のコーナに並べて欲しいとの編集者サイドの意思で、美術書の実用面と、文化論の両面を兼ね備えた構成となっている。

 

高塚画伯の持論

 画伯の持論、「よい絵を描くには、批判眼を持たねばならない。『上手い絵』は描いた量に比例し、『良い絵』は考えた量に比例する。」

 私はあるアウトプットを評価するのに、「美しい□□」との表現を好むが、これは「良い(絵)」との表現と同意語である。この表現はいろんなことに当てはまる。文章、作曲、スポーツ等、およそ人間のなす仕事に全てに包括されるようだ。技術者なら、持てる時間を汗に変え、頭で汗をかいて仕事をする。その思考量に依存した「良い仕事、美しい仕事」と評価されたいと思う。

 「学ぶのは舗装道路。創るのは獣道」と画伯は断言する。芸術家と科学者、研究者の置かれた立場は同じだ。累々たる失敗の屍の山の中で、自己の実現は難しい。それをやり遂げるのが芸術家だ。優しく美しい女性群の絵の影に、画伯のそんな孤高な姿と、強固な意思を垣間見る。

 

人の指導

 「人を指導するのは難しい。先生とは指導する役目柄、何かを生徒に言うが、無言の先生もときにはいる。平櫛田中教授は、生徒の作業中を見回るだけで一言も発しない。あるとき、2人の生徒が勇気を持って自作を教授室に持ち込んで批判を乞うたら、先生はじゅっくりと見てから、『もう少し何とかなりませんか』と言った。ある意味では、もっとも誠実な指導者かもしれない」と高塚画伯は回想する。

 人の指導とは、傲慢な行為なのかもしれない。人は往々にして人を教えたくなるもの。人を見下す立場に立つとき、どうしても気持ちは傲慢に、心は浮いた状態になる。その時に、謙虚さの影は薄い。その点で確かに、平櫛田中画伯は、最も偉い先生なのでしょう。私はそんな先生に教えを乞いたいのだが、そうなると不安は限りなく膨らむのだろう。なにせ、道しるべの光を自分で灯さねばならないから。芸術の面で人を指導するなどとは、おこがましいのかもしれない。人に指導されれば、決してその教師以上の存在にはなれまい。それができるのは、職人の世界である。人が人を指導できるのは、ほんの初歩の段階まで。その点で、教師は、現在の位置を示すベンチマーク役で十分なのだ。生徒にそのレベルを示してやれば、あとは本人の努力・天分で教師を追い抜いていく。特に、それが舗装道路を走るのでなく、獣道を進むのであれば。その結果、教育への投入労力とそのアウトプットに大きな格差が存在するのは致し方ないのでは。そのアウトプットが投入量の百分の一、千分の一、万分の一でも、その一の価値は限りなく「億」に近い。だからこそ価値がある。労力を投入するのは本人で、教師が人工を投入するのは不要かもしれぬ。教師は模範を見せて、本人がそれをどう吸収するかを見守るのが正道かも。

 

高塚画伯の決意

 芸術家は我が道、獣道を行く。「君の絵には汗の匂いがない」と先輩に批評され、それから心して汗の匂わない女を描くことに心掛けたと言う。芸術家としての確固たるポリシー・自我がないと、そうはいくまい。女性を描くことでの、作者の伝えたいコミュニケーション内容は作者の明確なポリシーがないと、評価されない。その姿勢が現在の高塚画伯の評価を高めた理由だと思う。

 画家は女性を脱がせるのが商売とか。特に裸婦の第一人者である画伯の気配りは素晴らしい。そのための画伯の気配り,段取りは人間性の機微に通じている。画伯は、女性を脱がすのに、「友達のような気張りをしてあげよう」という。室温、冷房、部屋の外の防御、休憩時間、着替えの衝立、ポーズの修正のアンタッチャブル、相手が女優さんの場合には舞台を見にいってあげるとか、気配りは考えてみると当たり前。これのレベルの気配りは我々の仕事・生活でもやりたいもの。

 裸とは異常な状態である。特にうら若き女性が、個室で画家の前で裸になるのはかなりの決断がいるようだ。プロはともかく、素人のモデルでは、約束してあってすっぽかされたことが何度もあるとか。人は人前で自分の心に鎧を着せてその本心をさらけ出さないように、女性にとっての裸は人の心中をさらけ出すに等しい。自分の心中を簡単にさらけ出さないように、簡単に人前でさらけ出せるものではない。今のマスコミでの裸の氾濫とは別世界のようだ。世間に氾濫する裸群は、人の恥じらいを忘れた雌犬軍団か。雌犬より女性に魅力を感じたいもの。                           

 

2017-09-04

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年9月 3日 (日)

大垣市の衰退を防げ

大垣市衰退の兆し

  現在、大垣市は、駅前にマンションの林立しつつある。それは大垣市衰退の兆しの現象である。駅前のマンションの住民の1/3~1/2という多くは(推定)、名古屋市に勤めている。名古屋市に住むよりも、32分で名古屋駅に行ける大垣駅前のマンションを購入したほうが、利便性が良く、安く購入出来て、資産価値が高いからだ。そういう人たちはいわば越境の名古屋市民である。定期があるので、大垣で買い物をしない。学校など生活の負のインフラ経費だけを大垣市が負担することになるが、正の生産財は、名古屋市経済圏に持って行かれる。負の経費は、駅前マンションの恩恵を受けない他の大垣市民が負担する羽目になる。駅前にマンションが建つと、その分の大垣駅前の商業施設の面積が減少して、市の商業の活性化が削がれて、益々、大垣市民の多くが市外や郊外や県外に商品を求めて買い物に行くことになり、ますます大垣駅前商店街の衰退を加速させる。悪魔のサイクルである。

 

なれの果て

 大垣駅前商店街が衰退すると、大垣市の税収が減り、市のサービス品質が低下する。駅前に買い物や食事に来ても、多くのお店がシャッターを閉めている荒れ果てた情けない姿を見る羽目になる。大垣市は、駅前の商店街への見栄えの投資ばかりで、活性化につながる政策はしない。まるでお化粧だけして、勉強をしない頭が空っぽな学生と同じである。学生は学力がなければならない、商店街はお客がたくさん来て稼がなければ、存在意味がない。

 

越境の名古屋市民

 駅前マンションの住民は自治会に入らず、大垣市に属さない体制となっているので、大垣市の住民との意識が希薄になっていく。大垣市がマンション建設を承認した時、業者から大垣市の自治会への入会の約束を取らなかった怠慢の結果なのだ。駅前マンションの住民は、いうなれば越境の名古屋市民である。大垣市や大垣駅前商店街の衰退など知ったことではないのだ。

 マンションを建てるなと主張しているのではない。住居用のマンションは、住宅地の最適の場所に建てればよい。駅前にマンションを建てることは、大垣市の都市計画として最悪の立地である、と説明しているだけである。

 

駅前にマンション林立の原因

 その原因は市の活性化を全く視野にない現大垣市長の怠慢にある。ヤナゲン(平和堂)が耐震強度の関係を含め老朽化したB館を、新たに建て替えようと回りの土地も含めて大きな店舗を計画したが、隣の地主が土地を手放さないので、平和堂のトップが大垣市長に市として大垣駅前商店街の活性化として、その調停をお願いに行ったら、「行政は民間のことには口を出さないので、当事者同士で解決して欲しい」とケンモホロロであったという(伝聞)。それで埒が明かないので、やむなく跡地をマンション業者に売ったという。その結果が、ヤナゲンB館跡地への新マンション建設である。ますます大垣市駅前の衰退が「恥じ」まる。現大垣市長は、市の経済活性化には貢献しない立派な市庁舎の建設に精力を注ぎ、市経済の活性化には目を背けている。「今の大垣市長はなにもしてくれないね」と商店街の店主の怨嗟の声が満ちている。ヒラメの役人もその声に耳を貸さない。企業経営でも、立派な本社ビルが建つと、その企業の衰退が始まるというジンクスが有名である。

 

節約という頑迷妄信

 大垣市長は投資と節約の区別が理解できていないようだ。これは日本政府の安倍首相も同じである。節約を大義名分として国内に投資をしない現政府が、日本の経済成長の足を引っ張っている。国内インフラに投資しないので、他のアジア諸国に経済競争で負け始めている。空港整備、湾岸整備、高速道路、高速鉄道、高速通信の整備の金がかかるが、節約といって投資をしなければ、経済の国際競争で、海外企業に負ける。学生の学業と同じで、勉強(投資)をしなければ、学力(経済競争力)が付かず、上の学校に行けない、受験戦争で負ける。それと同じことが、節約を前面に打ち出して投資をしない大垣市の経済でも起きている。必要なお金を作るのが政治家の仕事である。予算を取るための説得資料作成が大変だと、やるべきことから逃げ回っている。大垣駅前の商店街が衰退して、大垣市民が名古屋市に買い出しに行く羽目になる。大垣市長の怠慢で、名古屋駅前の商店街が勝者となるのだ。

 長たるものは、やったことへの責任は当然であるが、やるべきことをやらなかったことにも責任を取らなければならない。

 「会社でも国家でも、指導者に人を得なければ、混乱し、いずれ衰える」(松下幸之助翁)

 

政治の怠慢の行き着く先

 大垣市の「大垣駅前通りの活性化」を過去多くの政治家が唱えて続けて、はや50年が過ぎた。その間、どんどんとお店のシャッター通り化が進んでいる。市がリーダーシップと取る具体的な活性化の方策をさぼったから、当然の最高の結果として駅前の商店街の衰退となった。目の前の結果が全てである。平成29年度大垣市の予算計画を見ると、「快適で機能的なまちづくり(都市基盤)」で、駅前商店街の活性化の具体的予算はない。活性化に思しき予算は、下記の項目であるが、50年前から活性化と言いながら、何をいまさら、「郭町東西街区事業化推進調査事業」なのか、である。

 

・市街地再開発事業           (単位:千円)

   市街地再開発準備組合等運営補助金    300

   郭町東西街区事業化推進調査事業   53,400

 

図1 駅前に立った新マンション

  駅前の一等地に建てた付属の商業施設が中途半端なので、テナントに学習塾、医院、クリーニング店、夜の飲み屋しか入っていない。空き店舗も多い。これでは、駅前商店街の活性化はできない。最初にボタンをかけ間違っている。

図2~5 「元気ハツラツ市」(大垣市駅前商店街 2017年9月3日 15時)

  元気ハツラツ市で、多くの歩行者がにぎやかに歩く中でシャッターを下ろした商店の多さが目に付く。錆びのあるシャッターが目に付き、大垣市民として、他市の人に恥ずかしい。

 

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介護という地獄

 現在、65歳以上の15%が認知症と言われる。認知症になると、発病から死まで約10年に渡り、世話をしなければならない。そして総計で約1,000万円の介護費用がかかる。親の介護のため仕事も辞めなければならない。全て子供、家族が負担する悲劇である。親を精魂込めて介護しても、「お前は誰だ? 俺をベッドに縛り付けてお前は鬼か」と言われては、絶望である。親の脳死である。お互いの記憶を共有してこそ肉親である。

 

この世の地獄

 本人も徘徊防止でベッドに縛り付けられ、食欲もないのに喉に穴を開けられチューブで無理やり栄養剤を流し込まれる。己の体の痒い場所も掻けず、寝返りもできない状態にされてまで生きたくはない。死にたくても死ねないのは地獄である。死ぬときは、人間として尊厳ある死を迎えたい。無理やり胃瘻までして、生かせて儲かるのは医療機関、製薬会社、介護産業である。全て税金が投入される。そして介護をされ介護をして、される方もする方も不幸になる事件が頻発する。次タイトルは本頁を執筆中に入ってきたニュースのヘッドラインである。

「母の世話にイライラした」暴行し死なせた疑い、容疑の60歳女を逮捕(産経ニュース 2014.7.19)」

 

介護という名の「人喰い」

 介護を受けるとは、その人を介護する人の人生を喰うこと。働きたい人や休みを取りたい人を強制的に介護に駆り立てる。それは他人の人生を奪うこと。職業としての介護なら、その日の勤務が終れば開放されるが、肉親の介護の場合は、24時間365日の拘束である。いつ終わるか分からないから余計地獄の苦しみを味わう。自分のことは何もできなくなる。認知症では、回復の目処がないので地獄である。介護する人の貴重な働く人生が、「共に」失われる。「人喰い」である。日本の損失である。今は豊かな時代であるから成立する「介護」であるが、つい最近の時代までは、姥捨て山の風習が存在した。そうしないと、家族が共倒れになる貧しい時代をご先祖は生きてきた。

 

親の義務

 子供が可愛ければ、生涯現役で働くか学問をするように、心身の健康管理に勤めるべきである。自分が介護を受ける身になることは、子供や肉親を不幸のどん底に落とすことになる。働けるのに働かず、痴呆的なテレビを見続け、添加物が多いファーストフード、スナック類を食べ、運動もしなければ、確実に認知症になる。極楽生活の中に天がしくんだ落とし穴(認知症)は、10年後、20年後に、時限爆弾のように爆発する。親の後姿をみて子供も育ち、同じような生活をすると、子孫も同じように認知症と言う時限爆弾を抱えることになる。親の後姿での教育の恐ろしさは、三田圭子の息子の覚せい剤事件、「みのもんた」の息子の窃盗事件で実証すみである。

 それは税金の無駄遣いであり、国力の低下である。今の元気な老人がもっと働けば、少子化での問題も多少なりとも解決する。40年前は10兆円であった日本の医療費は、現在40兆円まで膨れ上がっている。病人は減らず、認知症患者がうなぎ上りである。昔は、認知症など話題にも上らなかった。1億の人口として計算すると、1家庭あたり年10万の負担増となっている。だれが30兆円を食べているのか。何かおかしい。

 

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2017年9月 2日 (土)

「縁がないというご縁」に気づく

 自家のお墓を改建するにあたり、当初は現在のお墓に入っている親戚と合祀する予定であったが、その親戚より改建を反対されて、実施を諦めた。墓誌にもその親戚の戒名を刻めない情けない事態になった。しかしお陰で別の場所に今回のお墓を改建するご縁となった。その親の子の情けない対応に接したわけであるが、住職から、「この世では縁がないというご縁」を頂いたと解釈すべきと助言を頂き、成り行きに任せることにした。無理を通しても却って悪縁を招くと考えた。縁のない人には「縁の無いというご縁」がある。縁無き衆生度し難し、である。「度」とは秤の意味である。人間界の浅はかな秤では、計りしれないご縁の繋がりがあり、この世では縁のない人である。無理に縁を結ぶと禍になる。黙って身を引くのが、佛様のお計らいであると悟った。

 

問答無用

 2015年11月のパリでのISテロのように、価値観が違って育てられると、話せば分かるとはいかない。無思慮に関わると、問答無用の惨劇となる。1932年(昭和7年)5月15日、海軍青年将校と陸軍士官候補生一団が、ピストルをふりかざして首相官邸に乱入してきた。襲撃犯の一人である三上卓は、犬養毅首相を発見すると即座にピストルの引き金を引いた。だが偶然にも弾が入っておらず不発に終わった。その様子を見た犬養首相は両手を上げて、「話せば分かる」を口にして将校たちを応接室に案内した。興奮状態にあった山岸宏が「問答無用、撃て」と叫び、別働隊であった黒岩勇が応接間に突入して犬養首相を銃撃した。

 30年も50年もある価値観で育ってきた人が、話せばわかるの一言で変わるはずがない。洗脳教育をされてきたサヨクの人が、今更、心を改めるはずがない。北朝鮮がミサイルを日本本土越しに撃ちまくっているのに、それを擁護するような記者質問を東京新聞記者が菅義偉官房長官にぶつけた(2017年9月1日)のが醜態である。そういう輩が社会い跋扈していることを前提に、自分を取り巻く環境で、どう生きていくかが問われている。

 戦場でない世間なら、相手の価値観を尊重して、そっと当方が身を引くのが、この世では正しい選択と思う。いままで60余年を生きてきて、人との葛藤で正論を掲げて、何度も痛い目をあってきた。今回、その「縁がないというご縁」の存在に気がついた。親の子供に対する教育の失敗は、本人の没後23年目でやって来る。

 

人の縁道

 人に道に縁道あり。その道が高速道路の場合もあれば、曲がりくねった山道の場合もある。そこを走る車や人は、目的も能力も違う。その道が同じと思うから、自分勝手に走り衝突が起きる。人は人として、己の道を歩めば交通事故も無い。高速道路と一般道は立体交差で衝突がないようになっている。同じように、走る世界が違うため、他の人とは歩む縁道が違う解釈して、己の世界で、最終目的地に向って、一歩、一歩を歩めばよい。遅いか早いかは別にして、最終目的地は「死」である。それに向って、歩む過程が人生道である。そう思うとき、人をうらやんだり、妬んだりする心が消える。人と葛藤が生じるとき、その人とは歩む縁道が違うと解釈すれば、怒りも消える。

 

2017-09-02

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インプラント 41(ご縁)

3.41 御仏の導きによるご縁

 インプラント手術のキャンセルのきっかけには、朝の散歩でご縁ができた南園堂の世話人からの電話であった。この人とは朝の散歩の関係で知り合い、家のリホームをお願いしていた。以前に私のインプラント手術を話したら、手術の直前にインプラント事件を特集したTV番組を見て、心配して私に電話をしてくれた。前からインプラントには一抹の心配があったが、理屈の上では問題ないと判断していたので、そのままになっていた。この電話は私の迷っていた背中を押してくれた。これは御仏の導きではないかと思い、ひとまず手術をキャンセルした。ンプラント手術2時間前の当日のこと。今にして思えば御仏のご配慮である。

 

南園堂の世話人とのご縁

 今の自分が直面している課題(縁)に思い巡らせながらする朝の散歩は、頭の活性化につながるのか、様々な考えがわいて来る。人生とは旅である。そこで出会う縁をどう解釈するかが、人生の分かれ道ではないかと思う。縁をご縁にするかどうかの経営判断をするには最適の朝の「四季の路」の旅でもある。

 朝の散歩は、2010年9月末に、38年間(37年5ヵ月)勤めた会社を定年退職し、故郷の大垣市に活動拠点を移してから、朝の日課として「四季の路」を歩いている。「四季の路」は、大垣市が俳聖松尾芭蕉の『奥の細道』の旅で詠まれた俳句の碑を市内中心部の水門川沿いに建立し、「ミニ奥の細道」として整備した遊歩道である。毎朝5時半に起床して、仏壇の前でのお勤め後、日の出に合わせて散歩に向かう。自宅から徒歩10分(820m)の距離にある八幡神社と南園堂でお参りをして、そこから「四季の路」を散策して住吉燈台に向かい、住吉神社、市中央部の大垣公園、濃尾護國神社、大垣城、四季の路を通って帰宅する。自宅から住吉燈台まで約25分、往復で1時間弱、道々、芭蕉『奥の細道』の紀行で詠まれた俳句の碑を横目で見ながらの「ミニ奥の細道」朝の旅である。

 

南園堂とのご縁

 この道中の途中にある南園堂は、興福寺(奈良市)の日本で唯一の別院である。年1回開催されるお寺の不空権羂索観音様のお祭りには、興福寺の管長様以下6名の僧侶がお見えになりお勤めをされる。同堂の延命地蔵菩薩のお祭りには、副管長様が見えて読経のお勤めをされる。その後、奈良などでは簡単にはお会いもできない副管長様と親しくご一緒にお昼の会食をいただくご縁があった。今回の南園堂の世話人の役員さんからの電話は、そんなご縁でのお告げと解釈した。

 

大悲禅院の住職とのご縁

 このお寺は、大垣城の南東鬼門の守護寺のご住職(当時、70歳)で朝の散歩のとき、たまたまお会いできて、立ち話で伺ったこと。

 「昨日(10月13日)、「大垣せんべい」をかじったら歯が折れた。インプラントを考えたが、先日のインプラント特集テレビ番組を見て、恐ろしいと感じた」

 このお寺には、大垣藩初代藩主の戸田氏鉄公が入部されたとき持参された秘仏が安置されている。年2日間のみ、この秘仏がご開帳されてお参りができる。昨年、私は初めてお参りをさせていただき撮影の許可を頂いた。このご住職様との今朝の会話も、本資料執筆中のことで、不思議なご縁の賜物であった(2012年10月14日早朝)。この御住職様とは過去2年間でも数回しか、朝に出会うことはなかった。この日もいつものように、朝の散歩の途中でお参りに寄らせていただいた。そのご縁のお陰であるかと思う。ありがたいこと。この御仏の導きの巡り会わせで、インプラント手術を避けることができたのかも知れない。合掌。

   

大垣せんべい(日本のお菓子)

 大垣せんべいは150年前の創業当時(幕末の安政6年(1859年))のままの製法で作られており、材料に卵を使っていないため、その硬さは日本一と思われる。その味は美味で、一度味わうと病み付きとなる。私の好物の和菓子のひとつである。大垣の3大銘菓のひとつである。150年前の製法そのままで、変な添加物は入っていない良質な和菓子である。食べ過ぎの危険もなく、コーク類を飲まねばならない味でもなく、健康を考えた場合、この種のお菓子が日本人には最適である。

 

欧米の菓子類

 欧米の肥満の原因のひとつが、ポテトチップスに代表される脂っこい菓子類で、それにあった砂糖の大量に入ったコークを飲まざるを得ない習慣である。私も米国で食事をして2週間ほど過ごした時期、最初は飲めなかった1リットルのコークが、後半は平気で飲めるようになった。これが健康によい訳がない。甘い清涼飲料水は虫歯や歯周病の原因にもなり、歯を失うことになる。そしてインプラントのお世話になるのである。欧米人は肥満体が多く、それが原因で日本人よりも平均寿命が短いと推定される。それ故、インプラントの長期間の影響はあまり考えなくてもよいのかも知れない。

 

図1 四季の路の終着 住吉燈台

図2 南圓堂 大垣市

図3 南圓堂 南園堂での読経  興福寺の副管長様

図4 南園堂延命地蔵菩薩前での厳経

   僧侶は奈良市・興福寺の副管長様  2011年8月24日

図5 大悲禅院 大垣市

 

2017-09-02

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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獣心呑器  現世は来世の前兆

 今、己が立っている階段には、次のステージの幾(きざし)が現れる。大学入学でもその前の高校時代に、受験地獄を経験し、大学という天国に行く前に、高校で進学クラス、就職クラスと分けられ、進学クラスも、国立大学コース、私立大学コースと選別をされる。人間も、人生の第4コーナを回った高齢者になると、来世に向うため、天上界、人間界、畜生界、地獄界に選別をされる。現在を見れば来世でのポジションは分かる。

 

終末の四界

 天上界は、生涯現役で天寿を全うする人達で、5%である。あと15%の人が頭もそこそこしっかりしたまま、世に迷惑をかけず死を迎える。

 人間界は、普通に老化して、病気になって亡くなる人達で、60%である。

 畜生界に行く人は1割で、己の不摂生の限りを尽くし、余命1年と医師から宣告されてから、焦って金はいくらでもだすから助けてくれと医師に泣きつく人達である。かのアップルの創業者で世界一の大金持ちのジョブズ氏でさえもガンには勝てなかったのに。いまだ死病からお金で助かった人はいない。

 地獄界は認知症の患者で、10%(65歳以上の高齢者2874万人のうち280万人。(2010年))である。自分のことが分からなくなり、肉親を不幸のどん底に落とす人達である。すべて2・6・2の法則に分類される。

 

入界の法則

 自分が第二の人生に向うとき、今までの因果応報で選別されて入る「界」が決まる。天の采配は非情で正確であるが、全て己が招いた結果である。せめて最悪の地獄界(認知症)には罹患しないように、今からでも遅くないので精進すべきである。病気は発病すべくして、その原因を己が作っている。過度な酒・タバコの飲用、食べすぎ、太りすぎ、過度な偏食等である。頭を使わないという習慣である。

 若いときは生物の法則で成長し、健康も若さの慣性で維持できたが、60歳を過ぎると、人は坂の上に乗せたボールと同じ状態に置かれる。何もしなければ、自然とボールは下に転げ落ちる。頭は錆びる一方である。それを防ぐのが、自分の健康管理である。健康とは体の管理と、心と頭の健やかさを保つということである。現代社会の、痴呆的、退廃的な誘惑に負けて美味しいものを食べすぎ、頭も使わず遊びほうけると、病気にもなるし、痴呆にもなる。自然の「法」である。「法」とはサンズイ(水)が上から下に去ると書く。何時でも何処でも誰にでも当てはまる法則である。

 

図1 認知症患者は65歳以上の15%に上る(日本経済新聞2014/07/09より)

 

2017-09-02

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