« インプラント 41(ご縁) | メイン | 介護という地獄 »

2017年9月 2日 (土)

「縁がないというご縁」に気づく

 自家のお墓を改建するにあたり、当初は現在のお墓に入っている親戚と合祀する予定であったが、その親戚より改建を反対されて、実施を諦めた。墓誌にもその親戚の戒名を刻めない情けない事態になった。しかしお陰で別の場所に今回のお墓を改建するご縁となった。その親の子の情けない対応に接したわけであるが、住職から、「この世では縁がないというご縁」を頂いたと解釈すべきと助言を頂き、成り行きに任せることにした。無理を通しても却って悪縁を招くと考えた。縁のない人には「縁の無いというご縁」がある。縁無き衆生度し難し、である。「度」とは秤の意味である。人間界の浅はかな秤では、計りしれないご縁の繋がりがあり、この世では縁のない人である。無理に縁を結ぶと禍になる。黙って身を引くのが、佛様のお計らいであると悟った。

 

問答無用

 2015年11月のパリでのISテロのように、価値観が違って育てられると、話せば分かるとはいかない。無思慮に関わると、問答無用の惨劇となる。1932年(昭和7年)5月15日、海軍青年将校と陸軍士官候補生一団が、ピストルをふりかざして首相官邸に乱入してきた。襲撃犯の一人である三上卓は、犬養毅首相を発見すると即座にピストルの引き金を引いた。だが偶然にも弾が入っておらず不発に終わった。その様子を見た犬養首相は両手を上げて、「話せば分かる」を口にして将校たちを応接室に案内した。興奮状態にあった山岸宏が「問答無用、撃て」と叫び、別働隊であった黒岩勇が応接間に突入して犬養首相を銃撃した。

 30年も50年もある価値観で育ってきた人が、話せばわかるの一言で変わるはずがない。洗脳教育をされてきたサヨクの人が、今更、心を改めるはずがない。北朝鮮がミサイルを日本本土越しに撃ちまくっているのに、それを擁護するような記者質問を東京新聞記者が菅義偉官房長官にぶつけた(2017年9月1日)のが醜態である。そういう輩が社会い跋扈していることを前提に、自分を取り巻く環境で、どう生きていくかが問われている。

 戦場でない世間なら、相手の価値観を尊重して、そっと当方が身を引くのが、この世では正しい選択と思う。いままで60余年を生きてきて、人との葛藤で正論を掲げて、何度も痛い目をあってきた。今回、その「縁がないというご縁」の存在に気がついた。親の子供に対する教育の失敗は、本人の没後23年目でやって来る。

 

人の縁道

 人に道に縁道あり。その道が高速道路の場合もあれば、曲がりくねった山道の場合もある。そこを走る車や人は、目的も能力も違う。その道が同じと思うから、自分勝手に走り衝突が起きる。人は人として、己の道を歩めば交通事故も無い。高速道路と一般道は立体交差で衝突がないようになっている。同じように、走る世界が違うため、他の人とは歩む縁道が違う解釈して、己の世界で、最終目的地に向って、一歩、一歩を歩めばよい。遅いか早いかは別にして、最終目的地は「死」である。それに向って、歩む過程が人生道である。そう思うとき、人をうらやんだり、妬んだりする心が消える。人と葛藤が生じるとき、その人とは歩む縁道が違うと解釈すれば、怒りも消える。

 

2017-09-02

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

コメント

コメントを投稿