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2017年9月 3日 (日)

介護という地獄

 現在、65歳以上の15%が認知症と言われる。認知症になると、発病から死まで約10年に渡り、世話をしなければならない。そして総計で約1,000万円の介護費用がかかる。親の介護のため仕事も辞めなければならない。全て子供、家族が負担する悲劇である。親を精魂込めて介護しても、「お前は誰だ? 俺をベッドに縛り付けてお前は鬼か」と言われては、絶望である。親の脳死である。お互いの記憶を共有してこそ肉親である。

 

この世の地獄

 本人も徘徊防止でベッドに縛り付けられ、食欲もないのに喉に穴を開けられチューブで無理やり栄養剤を流し込まれる。己の体の痒い場所も掻けず、寝返りもできない状態にされてまで生きたくはない。死にたくても死ねないのは地獄である。死ぬときは、人間として尊厳ある死を迎えたい。無理やり胃瘻までして、生かせて儲かるのは医療機関、製薬会社、介護産業である。全て税金が投入される。そして介護をされ介護をして、される方もする方も不幸になる事件が頻発する。次タイトルは本頁を執筆中に入ってきたニュースのヘッドラインである。

「母の世話にイライラした」暴行し死なせた疑い、容疑の60歳女を逮捕(産経ニュース 2014.7.19)」

 

介護という名の「人喰い」

 介護を受けるとは、その人を介護する人の人生を喰うこと。働きたい人や休みを取りたい人を強制的に介護に駆り立てる。それは他人の人生を奪うこと。職業としての介護なら、その日の勤務が終れば開放されるが、肉親の介護の場合は、24時間365日の拘束である。いつ終わるか分からないから余計地獄の苦しみを味わう。自分のことは何もできなくなる。認知症では、回復の目処がないので地獄である。介護する人の貴重な働く人生が、「共に」失われる。「人喰い」である。日本の損失である。今は豊かな時代であるから成立する「介護」であるが、つい最近の時代までは、姥捨て山の風習が存在した。そうしないと、家族が共倒れになる貧しい時代をご先祖は生きてきた。

 

親の義務

 子供が可愛ければ、生涯現役で働くか学問をするように、心身の健康管理に勤めるべきである。自分が介護を受ける身になることは、子供や肉親を不幸のどん底に落とすことになる。働けるのに働かず、痴呆的なテレビを見続け、添加物が多いファーストフード、スナック類を食べ、運動もしなければ、確実に認知症になる。極楽生活の中に天がしくんだ落とし穴(認知症)は、10年後、20年後に、時限爆弾のように爆発する。親の後姿をみて子供も育ち、同じような生活をすると、子孫も同じように認知症と言う時限爆弾を抱えることになる。親の後姿での教育の恐ろしさは、三田圭子の息子の覚せい剤事件、「みのもんた」の息子の窃盗事件で実証すみである。

 それは税金の無駄遣いであり、国力の低下である。今の元気な老人がもっと働けば、少子化での問題も多少なりとも解決する。40年前は10兆円であった日本の医療費は、現在40兆円まで膨れ上がっている。病人は減らず、認知症患者がうなぎ上りである。昔は、認知症など話題にも上らなかった。1億の人口として計算すると、1家庭あたり年10万の負担増となっている。だれが30兆円を食べているのか。何かおかしい。

 

2017-09-03

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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