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2017年8月

2017年8月 3日 (木)

38.時間の戦略

 戦略とは「何をしないか=(略)」を選択すること。全てに手を出していては、時間がいくらあっても足らない。世界の敵には勝てない。テクニカルライティングでは、何を書かないか、何を最初に書くかが問われる。上司にとって、どのメールを見ないかが、一番大事な戦略である。部下は、その中で、上司の上げた書類(報告書、稟議書)を、早い時期に読んでもらう戦略が必要となる。無駄な戦いを略する為に、5年後のあるべき終末を想定して、それに沿って仕事をする。

 

社長になったら、何をするかではなく、何をしないかを考える。

貴方より優秀な部下が、実務は全てをやってくれる。

社長の退任時にどうあるべきか、そのために止めるべきことは何か?

社長の貴方が動けば部下は育たない。部下の成長の機会を奪ってはダメ。

リーダーになったら、何を捨てて、何をしないかである。

組織のベクトルを合わせる為、何をしないか、である。

定年になったら、何をするかではなく、何をしないかを考えること。

時間があるからと、あれもこれもとするから、何もできない。

自己との戦いを止めよ。

自己と話し合い、己の体と協業せよ。

己の体が上げている悲鳴を聴け。悲鳴を無くすために、何をしないかである。

 

『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-03

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

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誘導弾文書で賞金100万円を射る(改定)

F= m・α      : ニュートン力学の力

E=m・ v 2 /2    : 運動のエネルギー

 上記はあらゆる物質の力、運動エネルギーを表す式である。これはあくまで物質の持つ力、エネルギーを表す式であるが、自然現象だけでなく、他の技術現象、社会現象、文学芸術作品、文書にも当てはまる式だと考える。

 この式を科学技術英語、論文に例えれば、質量mはその書類の内容に相当し、加速度αは文章の修辞、論理構成、展開方法、魅力度に当てはまると考えられる。文書が他人へのコミュニケーション(情報伝達)である以上、その訴えたい事項、伝えたい内容の力は上記二つの要素の積であると考えた。これを考慮していない書類は、えはしたが、相手の心にしていない文書である。

 文書が持つエネルギー

 コミュニケーションとしての文書は、その内容と修辞のありかたで、その文書の持つ力とエネルギーが全く異なる。いくら内容が優れていても、その記述方法(修辞法・論理構成)がお粗末では、著者の意図が、オーディエンス(読者)に届いても、心までは達しない。またいくらその修辞法が優れていても、内容が薄っぺらでは、その相手の心に響かない。文書として、この両者のバランスの重要さを上記の式は示している。

 例えて表現すれば、己の思いを込めた矢を射る時、科学的手法(テクニカルライティング)の技術を最大限に駆使してその文書の威力を高め、標的のど真ん中に命中するように、矢が飛ぶ軌道精度を高める、である。

 私は社内の教育講座で、早稲田大学教授・篠田義明先生の科学工業英語(テクニカルライティング)に初めて接して、強烈な衝撃を受けた。篠田教授のような説得力ある、論理的な講義は初めてで、思わず引き込まれてしまった。それ以来、約30年間弱にわたり、私の仕事のバックグラウンドとして学び続けることになる。ミシガン大学でのセミナーにも2回受講し、会社勤めの間もこの手法を学びつつ、部下や新人教育の講座でも指導をすることになった。このご縁で科学工業英語検定試験1級(30年間で総計500人弱しか合格しない)にも合格して、自信をもって仕事をすることもできた。私はこの学びで、ビジネス戦争で戦うための文書という武器を手に入れた。

懸賞論文で最優秀賞受賞

 このスキルを活用して、前職の「会社創立50周年記念論文」募集に応募して、160通中で最優秀賞に選ばれた。最優秀賞を標的として「ターゲット書類」を射った経緯が上記である。この副賞として欧州国際工作機械見本市(EMOショー)見学と、フランス、イギリスの博物館見学(稟議費用100万円)の機会を得た。これも科学工業英語の日本の第一人者の先生から直接薫陶を受けたのが最大の勝因である。そのご縁で英語の神様の後藤悦夫先生とのご縁ができ、ますます私の英語力、文章力のスキルアップの支えとなった。後藤悦夫先生は若いころ、手術のため2日間だけ英語に接しなかったことがあるが、それ以外50年間、毎日英語に接して勉強をしてこられた。ミシガン大学夏季セミナーにも自費で10回も参加されているミシガン大学夏季セミナーにも自費で10回も参加されている(総費用約1千万円)。前職の会社でも篠田先生の後任として、10年間程この科学工業英語講座で教えて頂いた。

 断定的な言い方の好き嫌い

 篠田教授の講義は、断定的、論理的で大変分かりやすいと私は感じたが、人によっては、ハッキリと言いすぎ、押しつけがましいとの感じた人も多くいた。そのため、篠田教授の評価は好き嫌いで極端に分かれる。面白い現象である。世の中を象徴しているようだ。嫌いな人は、日本の波風を立てない温厚な世渡りをして、欧米式の白黒を明確にする社会に合わない人が多かった。それを思うと、私の文書は、先生の影響で欧米的の白黒の明白なキツイ文書のため、皆さんから煙たがれたので、出世に響いたかもしれない。前職の会社は温情的なのは良いが、ぬるま湯的、決断の先延ばしが常のスタイルであった。そのため、世の中のエゲツナイ金儲け主義に徹しきれず、グローバル経済主義の荒波に押し流され、65年の歴史に幕を閉じた。

 エピソード

 面白いエピソードとして、私がこの懸賞論文の優勝を自分で予言したとされた。私も社の技術広報誌の編集委員で、応募論文を審査員の一人として担当分の論文を審査した。私の書いた論文と比較すると、審査した論文は格段の格差があり、文書品質が落ちるのである。これで、自分の論文の上位入選を確信した。それを編集委員会の懇親会の場で、話したら、私が優勝を予言したとして有名になってしまった。それほどに、皆さんは文書の論理構成を学んでいないので、論文として体裁がなっていなかった。

 後日談

 この論文のテーマは「人財育成への設備投資」であった。この論文の受賞後、きっと社長や役員からヒアリングなどがあり、社内教育システムが改善されるものと期待していた。そのヒアリングが全くなかった。幸いなことに教育部が科学工業英語の教育システムを充実させた。それは感謝である。

 後日、「会社創立50周年記念式典」があり、永年勤続者、業務での功績者、等の表彰があり、そのあと祝賀パーティとなった。その場で社長が通ってきたが、私の酒で赤くなった顔を見て「やあ、君の顔はいい顔色だね」と言ったきり向うに行ってしまった。直前の式典で、論文最優秀の表彰状を手渡した私を忘れている。この件で、今の会社の限界を悟った。この会社の行く末を心配したが、20年後にその危惧が当たった。ターゲット文書で、相手の心臓に命中させても、相手が不感症だと、いくら良い弾を撃っても効果がないことを悟った。世の中はうまくいかないもの。

 「会社は人財育成が大事だと、どの経営者も口を酸っぱくして言うが、現実にそれを実行する会社は稀である」とドラッカーも達観してその経営書で記述している。教育費は、予算削減の時、真っ先に削減される。それを論文で訴えたが、現実は変わらないことを、この式典で思い知らされた。しかたがないので、後年、自分が技術管理部署の課長に異動になってから、自分で技術部の教育システムを構築して、それを実行・運営した。自分でも7講座程を持って、自ら新入社員教育、中堅社員教育を陣頭で教えた。

 会社が合併してから、新会社の役員・部長が私の技術者教育講座内容に干渉してきて、「技術以外の余分なこと(金にならないこと)は(時間の無駄だから)教えるな」。「会社の歴史」、「修身」、「交通安全の科学」などの講座が中止に追い込まれた。拝金主義、成果主義の氾濫である。旧の会社で4年間続けた講座である。吸収合併された身で、強くは反論できず、宮仕えの身で吸収合併された方の辛さを味わった。周りを見ても、教育など自分の成果にならないので、誰も助けてくれない。大手銀行の吸収合併で、吸収されたほうの管理職の悲哀がマスコミを賑わしていた頃である。保身の知恵はあったので、逆らって飛ばされるような愚は避けた。出来る範囲で、やれることを実行して、教育講座の運営を中心にビジネス文書の書き方の講座に集中して、新人教育を進めた。

 図1 ターゲットを文書で射る

図2 ビジネス戦争の武器は文書

 

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開眼後の四天王像を拝観

 松下幸之助経営塾のOB会が、高野山開創1200年祭の期間中に高野山で開催されるご縁があり、2015年4月24日、開眼後の四天王像を撮影する目的も兼ねて泊り込みで高野山にでかけた。

 高野山では松下幸之助翁が定宿にしていた西禅院に宿泊した。住職さんのご挨拶後、「今なら、時間的に御本蔵の薬師如来様が拝めるので是非ご参拝と」との話しがあり、急遽予定を変更して、金堂の薬師如来座像(高村光雲作)を拝観した。80年前に建立されたが、秘仏として今まで誰も見たことがないとのこと。今回、高野山開創1200年を記念して、初めてご開帳となった。次のご開帳は何時になるか未定で、多分、50年後だろうという。現高野山管主でさえも見たことのない秘仏である。今回の拝観で、僧侶の皆様も涙を流して喜ばれたという。今回よきご縁に出会えて幸いであった。当然、写真撮影は禁止です。

 翌日、6時半からの朝の勤行にも参加をしてすがすがしい気持ちとなった。その前に、早朝の人気のない再建された中門で、開眼後の四天王像を拝観した。前回、納佛前に松本工房で見た四天王であるが、晴れ舞台の威容という感じで、素晴らしい迫力の四天王である。惜しむらくは、足下の邪鬼が、柵が邪魔してよく拝観できない。松本工房での撮影はよきご縁であった。

 

図1 西禅寺  

図2 再建された中門  高野山  2015年4月25日06:05 

図3 開眼した増長天(大佛師松本明慶作) 2015年4月25日

図3 開眼した広目天(大佛師松本明慶作) 2015年4月25日

 

2017-08-03

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仏像の著作権は松本明慶師にあります。

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インプラント 22(機械設計)

3.22 機械設計者からの観点

 図1は、私の歯のCT写真です。歯周病による細菌の影響で、奥歯が割れている抜歯直前の状態です。言わば私の奥歯の遺影です。この写真を眺めるうち、元本職の機械設計者(工学部機械工学科卒、機械設計業務に約30年間携わる)としての目で、人体の不思議さを考えるようになった。

 28本の歯の根元の形状が全て異なり、歯にかかる力を分散して受けるために、微妙な曲線美で作られた歯根元の形状造形美には驚くしかない。一番多く負荷のかかる奥歯の根元は、2つの歯根で支える構造になっている。その形状は応力を均等に受けるための形状になっている。まさに神の造形物である。

 インプラントの場合、ねじの形状が上から下まで同じ形状である。歯にかかる応力では、人工歯根の根元に大きな応力集中がかかる。現状の形状では、その対策の形状となっていない。それを、単なる金属のねじを体に埋め込んで代用させるのは、神の造形物への冒涜ではないかとも思った。下図の左右を比較すると、設計者として、神が人を設計した技量を2つの図で比較すると、人工歯根の設計上の拙さを痛いほど感じる。これでは、長期間の使用に耐えられないと感じた。

 西洋では「自然を征服した」との表現がよく出てくるが、インプラントもその類の思想から生まれたのではないか。宇宙根源の真理に反しているのではないか。そんな思いを抱き、インプラントに疑問がわいてきた。

 

図1 私の歯のCT写真

図2 インプラントのイメージ図

 

2017-08-03

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2017年8月 2日 (水)

洗脳教育の恐怖

 少しずつ、言葉巧みに毒を頭の中に沁みこませて行く。新興宗教団体が行う信徒獲得の手段である。それに染まると、長期間に亘ってもその洗脳教育が解けない。オウム真理教のサリン事件から17年たっても、その洗脳が解けなかった信徒が2014年に逮捕された。その洗脳の恐ろしさが再認識された。子供の幼年期における親の教育の大事さと、ブラック企業での洗脳教育、新興宗教での洗脳教育の恐ろしさを対比して考えたい。

テレビでの洗脳教育

 日頃でもテレビの痴呆番組、グルメ番組、ファーストフード・医薬品の広告の氾濫で、知らず知らずに頭が洗脳され汚染されている。ポテトチップをつまみ清涼飲料水を飲みながら、テレビを見続けるとテレビ痴呆信徒にされる。それが認知症の予備軍となる。昼から刑事ドラマで、毎日人殺しのテレビドラマが氾濫している。これでは凶悪犯罪が頻発するのも当然である。くだらない芸能人のよろめきゴシップで、日本人の品格が落ちるのも故あること。無料でテレビが見えるのは、健康を無視した金儲けという企業の悪魔が裏に潜んでいる。タダほど高いものはない。

地域、国の洗脳教育

 米国の銃の乱射事件が起きると、立て続けに同じような事件が頻発するのも、洗脳教育と同じ作用がある。犯罪が頻発するハーレムに育った子供が、犯罪に走るのに抵抗がないのも、同じ洗脳教育である。2015年12月の韓国人の靖国神社爆弾事件も、韓国政府が50年間の反日教育をしてきた「成果」である。柔軟な脳の発達期に反日教育で洗脳すれば、畜生の仕業をしても、国中で賞賛の声が満ちる国と成り下がる。反面狂師として興味深い狂育成果物である。人は、数多く見た通り、教えられた通りの人間になる。良きことを多く見ればよき人生が、悪いことばかりに取り囲まれて育てば悪しき人生が創り出される。

墓石の汚れ

 墓石でも同じことが言える。一度染みこんだ鉄分は、高圧高温洗浄でもその汚れは落ちにくい。特に柔らかい石を墓石に使っていると、水が長年内部にしみこんでいるので、その汚れを落とすのは大変である。その水垢が落とすにはシュウ酸を入れた温水が必要となる。雨が降った後に水の染みこんだ墓石を見ていると、己の自我が確立していない状態で、洗脳教育を知らずに受けて地獄に堕ちる人たちの姿が墓石に重ねて見えてしまう

言葉の毒と佛様の言霊

 日々使っている言葉が人を傷つけ、自分自身を傷つける。自分が吐く言葉の影響を一番受けるのは自分である。言葉に含まれる何気ない小さな毒が、長年に亘って心に蓄積すると、毒薬をあおるような被害を受ける。母の励ましが子供を育て、子供の心を傷つける言葉が子供を殺す。言葉とは「こと魂」である。汚い言葉を吐く人、人を傷つける言葉を言う人とは、距離を置いたほうがよい。近づいてくる縁が全て善ではない。毒ある縁を避け、良き縁に接せるのが、佛の智慧であるし、佛縁を大事にする心である。

 

図1 雨の後で水を吸い込んだ墓石。

 石が柔らかいと水を吸う。寒冷地だと、吸い込んだ水分が凍結して、その繰り返しで墓石がボロボロになる。建立50年余にして傷みが目に付いてきたので、ご縁があった機に、吸水率の少ない石を選定して改建した。

 

2017-08-02

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491.部下をピラニアの川へ放り込め

491.生き延びて欲しい部下をピラニアのいる川へ放り込もう

 生物は危機状態になると、アドレナリンが分泌されて、とてつもない力を出す。活きる力が5倍になる。生き延びるとは時間を創ること。

 シラスを水槽に入れての長距離陸送では、約50%のシラスが死ぬ。ところがその水槽にピラニアを入れると、死亡率は10%に減る。シラスはピラニアに食われまいと、死に物狂いで逃げ回る。その時にアドレナリンが多量に分泌される。ピラニアも水槽の全てのシラスを食べるわけではない。食べられるのはせいぜい10%だけ。自然界は共存共栄している。10%のシラスは、ピラニアがいなくても生存競争で負けることになっていた。

 「背水の陣」、「火事場の馬鹿力」も同じ意味である。自分を危機状態に置いて生きるべし。ぬるま湯的な生活からは、生ある価値は創造できない。成功者は全て逆境から立ち上がっている。

『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-02

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3.4 生活環境

家への投資

 1995年頃、家を建てた友人・知人宅を訪問して、将来の自分の建てるべき家の研究をしていた。その訪問先々で何時も疑問に感ずるのが、書斎の存在の有無である。見せてもらった2軒の家は、建坪が50~70坪と大きな家であったが、そこには肝心のお父ちゃんの書斎はおろか、机さえ無いことが奇異を抱かせた。狭い家ならともかく、標準以上の建坪で、主人の机がないのは問題であろう。それでは、「家を建てたクライテリアがない」である。家の主人は、子供ではなく父親である。父親が学ぶ姿勢を見せず、その学ぶための場所もないのは、子供の教育上で落第だと何時も感じている。私は、人生での最大の投資先は、人の教育であると思う。書斎や机はそのための設備資産である。高学歴社会の現代社会では、親が学ぶ姿勢を示すことが必要だ。教育ママの元祖として、中国の孟子の母の故事「孟母三遷」は有名である。これこそ環境が、教育上いかに重要かを示して例であると思う。上記はそのバリエーションの事例である。この20年後の2015年、40年来のその友と価値観が合わなくなり、別れた。

人の運勢

 個人の運勢は、家相50%、名前30%、残りが個人の努力で決まると言われる。全面的には賛成できないが、家相がその人の運命に大きな影響を与えることは否めない。狭い、暗い、汚い家では、働く意欲、明日への活力もでてこまい。その点で家相は科学的である。生活VAとしての後ろ向きの姿勢ではなく、明日への投資とて家を建てるのは良いことだ。ただし、そこに主人のクライテリアが明確でなくてはなるまい。知的生活をおくるために書斎は不可欠だ。

やぐらこたつ

 私は、やぐらこたつが嫌いです。この製品は、世界に誇れる省エネの暖房機器として存在して、生活VAのための道具としては最高だが、知的生産活動には不適です。これは居心地が良すぎるし、長く入っていると腰が痛くなって横にならざるを得なくなる。そうなると後は夢心地の天国が待っている。私は高校生のころ使っていたが、それ以来使用を止めた。やぐらこたつは時間泥棒だ。やぐらこたつ、テレビ、お酒のセットは痴呆症生活への3種の神器です。

  TVショーで、ある医師が東北の老人の寿命の短さについて「コタツが、老人を動かなくさせている」との達観を述べていたそうだ。コタツが人の寿命の最大の敵、元凶だという。(赤池学記「匠の博物館」 朝日新聞 1995.04.22)

 人生時間を削るコタツの恐ろしさは、この点でも糾弾される。

部屋の照明                              

 これはケチらないのが正しい生活VAです。人間、暗い所ではろくな考えがでてこないし、人間が暗くなる。暗い人間に運は回ってこない。智恵の価値を考えると、照明の電気代は投資として考えるべき。アメリカの人間性工学の研究では、照明の明るさにより、その仕事効率に差がでるという研究論文もある。また家具を含めて職場の労働環境が悪いと、1日に最低40分間の時間ロスになるとの研究もあり、自宅の書斎への設備投資を考えるべきだ。

 その反対になるが、別の観点として、部屋を暗くし、蝋燭の明かりが(クリスタルのランプがお勧め)部屋にちらばる中、静かなクラッシックやジャズ流して、グラスを傾けながら、思索に耽るのも効果的だ。私はスウェーデンで、ハンドメイドのクリスタルランプ(蝋燭)を手に入れ重宝している。現地では、お客様の接待時、レストランでのテーブル明かりにこのクリスタルランプが利用されている。風で炎がゆれ、ランダムに光りが散らばる趣は何とも言えない。

 資料⒊1 ホワイトハウス

 

資料⒊1 ホワイトハウスー国の主人の家相     1994年8月11日記

 年間150万人もの観光客がワシントンを訪れるが、その中でもホワイトハウスは超人気スポットである。あまのじゃくな私は、この旅行の「クライテリア」を「美術館・博物館におけるコミュニケーション技術の観察」と定義して、そんな俗っぽい名所には行きたくもないと思っていた。だが、なぜかコーコラン美術館に行くため、横を通ったら行列に巻込まれてホワイトハウス・ツアー(無料)に引きずり込まれしまった。なんと意思の薄弱なことやら。でも正解でした。

 ここは準美術館扱いをしてもよいほどの内容がある。ここへの入場には、セキュリティのための手荷物X線チェックを受け、金属探知機のゲートを通らなくてはならない。また内部は撮影禁止です。

 各部屋の造形、調度品、飾られている美術品等を見ると,まるで一つの美術館の趣がある。各部屋の造りも格調が高いが、けっして華美ではなく、どちらかというと質素でさえあるのが気持ちがよい。各部屋も「グリーンの間」、「青の間」、ファーストレディ用の客間「赤の間」、居間、図書室、食堂等と独特の名前が付けられ、内部装飾、絵画、調度品などに格式を感じる。暗殺されたリンカーン大統領と、ケネディ大統領の遺体を安置したこともあるレセプションルームの雰囲気は、この建物の歴史を感じさせる。各装飾から、ヨーロッパから新大陸に移住した人々が、旧大陸を思いはせて、古きヨーロピアンスタイルで装飾した気持ちが分かる。

 この大統領官邸まで公開してしまうアメリカのオープンさには脱帽です。寡聞にして、日本の首相官邸の観光ツアーは聞いたことがない。古い、狭い、汚いとの評判の日本の首相官邸は国の恥であろう。首相官邸新築のGOサインを出した中曾根さんはえらいと思う。国民の税金の無駄遣いの批判とは別に、出すべきものは出さないと世界から笑われる。

 個人の運勢は、家相50%、名前30%、残りが個人の努力で決まると言う人もいる。家相がその人の運命に大きな影響を与えることは否めない。狭い、暗い、汚い家では、働く意欲、明日への活力もでてこまい。そういう点で家相は科学的である。同じことが国の運命にも当てはまると思う。国の主人は大統領、首相である。この広く、明るく、気品溢れた建物は、国の主人である大統領に米国を世界一の国にさせる働きをした要素の一つである気がする。日本も、現在の国力に見合った首相官邸を早く建ててほしい。

 入口と正面の鉄柵内側の芝生に置かれた全天候型スピーカが、混雑した人々に案内と解説をしていた。このサービスぶりには、観光地としての気配りとパーフォーマンスを感じた。

 著作権の関係で、「グリーンの間」、「青の間」、「赤の間」の写真が掲載できませんが、「ホワイトハウス 内部」で画像検索してください。ホワイトハウスを見学すると、“THE WHITE HOUSE An Historic Guide" が入手できて、内部の写真が手に入る。

 

2017-08-02

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インプラント 21(逆選択)

3.21 逆選択

 経済学の専門用語に「逆選択」という言葉がある。これは「質の良い財よりも、質の悪い財が多く市場に出回るような現象」を意味する。この現象は情報の非対称性が存在する場合に発生する。例えば中古車の売買で、良い中古車ではなく、故障しがちな中古車(レモン)ばかりが供給される現象をいう。販売店は、販売する中古車のどれが良くて、どれが悪い中古車かを知って販売する。買う方はそれが分からないという情報の非対称である。

 医療の場合には特に、医師の持っている情報と患者が持っている情報には、より大きな非対称性が存在する。医師に都合の悪い情報は、患者に提供されない。その結果、医者に都合のよい選択肢が氾濫することになる。今回のインプラントの例や豊胸手術の例が相当する。それは国が認めていない治療方法である。

 この項目は、国家試験の科目の一つである経済学の中の頻出問題である。それだけ現実の経済で問題が頻発しているとの試験問題作成委員の認識だろう。その検定試験問題でも難解なレベルの問題が多く出ており、私は過去問を解く度に何回もミスをしている。それだけ、素人は騙されやすい。

 モラルハザード(道徳的危機)

 「逆選択」に対応する言葉が「モラルハザード」である。行動に関する情報に非対称性がある場合にモラルハザードという問題が生じる。モラルハザードは逆選択とは逆に契約後に生じる。それは当事者間で契約が結ばれた後に行動が観察できないので、一方の当事者が当初予想されたとは異なる行動を取る事態となって、契約が想定した条件に当てはまらなくなる状況をいう。

 保険に入ったため、本来の対応が疎かになる状況をいう。この原稿を書いているとき、自家の屋根瓦の葺き替えを実施した。ところが業者が、屋根の養生を怠り、たまたま早朝に雨が降り、2階の天井が汚れて、天井のやり直しをする事態となった。その業者いわく「大丈夫です。保険に入っているので、保険で直します」と平然としている。こういう事態が出ると、結果として保険料金が上がり、回りまわって、リホーム費が上がり、顧客に迷惑をかけることに気がつかない。これこそ道徳的危機である。

 インプラントは普通の歯よりも厳密な手入れが必要なのは、インプラント業界では常識である。しかし、インプラントは永久に持つとの宣伝で、患者が手入れを疎かにするケースが多い。自分の歯の手入れが出来なかった不精者が、インプラントの手入れを十分にするとは、矛盾がある。そして、インプラント歯周病にかかり、インプラントを外さねばならない状況に陥る危険性が高いことを告知しないのは、モラルハザードと呼ぶのではないか。

 

インプラントの歯周病

 インプラントは材質がチタンとセラミックなので、虫歯にはならない。しかし、インプラントを埋入しているのは自身の骨で、その周囲には歯茎がある。磨き残しなどがあると、インプラントの根元に歯垢がたまる。それが菌に侵されて悪化すると、天然歯と同じように歯周病菌によりインプラントを支えている周りの骨が溶けていく。そうなると、インプラントを支えている土台(骨)が無くなった状態になるのでインプラントはぐらつき、やがては抜け落ちてしまう。

 天然歯には骨との間に歯根膜という組織があり、その膜から血液供給がされているが、インプラントと骨の間には歯根膜は存在しない。歯肉も顎の骨も血液から栄養をもらい抵抗力を備えている。だからインプラントは天然歯よりも抵抗力が弱く、細菌に感染しやすい。

 

2017-08-02

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平成の四天王像を彫る(2/2)

平成の増長天、広目天の創造

 明慶師は四方を守護する四天王像のそれぞれの役割に思いをめぐらせた。増長天が槍を持っているのは、邪悪なものから守るためだ。その象徴として胸の甲冑にトンボをあしらった。トンボは前にしか飛ばない。決して退却しないぞ、という強い意思を示した。広目天の胸にはセミをとまらせた。悪鬼や怨霊を排除する気迫の象徴として、お寺の鐘が遠くまで鳴り響くように、佛法の教えが響き渡るように、との象徴である。広目天は、広く見渡すのが役目だ。どこまでも声が届くセミによって存在感を示し、「全てを見ている」ことを表現した。いずれも、伝統的な四天王像にはなかった形態である。

 「強さを表す四天王の顔は、怒るだけではだめ。見つめられたら嘘をつけない。そう思わせる表情にしなければ」と。師は木の中にいる仏をいかに引き出すかに、心を砕いた。「開創1200年の節目に遭遇し、佛師として最も充実しているときに携わることができた。ご縁以外のなにものでもない」と師はその喜びを語る。

 完成した二体は精緻を極め、膨れ上がった腕の血管や鎧の形状などがリアルに表現された。「私としては最高の出来栄えになりました。今後千年以上、中門で耐えてくれるでしょう。高野山を守り続けてほしい」。明慶師は「平成の四天王像」を見上げながら願われた。 

己の邪鬼

 邪鬼とは己の醜い心の象徴である。邪鬼とは脇役で、主人公の天を見栄えよくするお役目がある。歌舞伎でも脇役がいて初めて主役が映える。人生舞台は主役ばかりでは、幕が上がらない。己が一人多役で処々の役割を演じて、人生劇場が移り行く。己が邪鬼のときもあれば、佛のときもある。人の心は諸行無常で流転する。己の醜い心があるからこそ、同居する美しい心が映える。人の心に陰影があってこそ、人格に深みが滲み出る。

 人生の四方の守りを固め、その姿を四天王の姿で象徴する。己の世界(国)を支えるため(持国天)、大きく成長し(増長天)、種々の眼を世界に向けて(広目天)、法を日に何回も聞き(多聞天)、佛の王国を護るため己の欲望という敵と闘う。時として頭をもたげる我儘な心(邪鬼)を己が足で踏みつけ、法と筆で己という佛を守る。その邪鬼も菩薩行として背中を差し出し、足場を供する佛に変身する。邪鬼としての邪心があるから、心の菩薩行が修行となる。邪心がなければ、最初から佛様であり、修行をする必要はない。欲望があるから人間なのだ。谷に落とされても欠けないものが「欲」である。欲を無くしては、生きる甲斐がない。人は生を受ければ、成長しようという欲を持つことだ。その欲を夢に昇華してこそ現世の佛である。

平成の邪鬼の創造

 その邪鬼を能舞台で主役を支える脇役として、明慶師は平成の邪鬼として「創造」した。その解釈の差は、江戸時代作の持国天と多聞天に踏んづけられた邪鬼の姿と対照すると興味深い(図6,7)。明慶師のアドバイスで、絶妙のポイントから邪鬼を撮影することができた。現在は高野山中門の柵の中に安置されているため、柵が邪魔してこのような写真は撮れない。良きご縁でした。(図4,5)

天は目で語る

 今回、松本明慶先生が製作された広目天、増長天は、目が素晴らしい。天の前に立つと、己を睨みつける目が飛び込んでくる。己の邪気に満ちた心を見透かすような恐ろしい目である。その目の中に佛の心を観る。江戸時代に製作された大佛は、目の視線が6m上で、真っ直ぐ正面を見ている目なので、その大佛の心が伝わりにくい。それが江戸の大佛と平成の大佛の大きな差である。拝観者を睨みつける目の姿勢に、明慶先生が創造した平成の大佛の付加価値がある。目の彩色は仏像彩色師の岩田明彩先生がされた。

己という敵

 高野山という一つの国の中門で、四天王が四方を護りで固めている。それを個人に当てはめる象徴として四天王がある。我を滅ぼすのは我である。己の退廃が、人生を台無しにし、自分の所属する国を滅亡に導く。己を護るのは己である。

 持国天とは国を支える、労働の姿の佛である。汗水たらして働いて税金を納めることで国を支える。それを親の脛をかじって遊びほうけたり、働けるのに生活保護を受けたりして、税金を納めないのは無賃乗車である。血の税金で建設したインフラ(道路、橋、空港、電気ガス水道、国の体制等)を無賃で使うというキセル行為である。年金生活者でも、働くことはボランティアでも道の掃除でも多くの方法がある。働かない後姿を子孫に見せるから、子供が堕落する。

 増長天とは成長する自分である。大きくならないと見えない世界がある。小さな世界に考えがとどまっていると、自己中心的な動物界の存在に陥る。目の前に見えている壁の向こう側を、成長して観えるようにしなければならない。体だけ大きくなっても、見識が高くないと、見えるものも見えない。小人(ことな)から大人(おとな)になる修行をつむことである。

 広目天とは、種々の眼を世界に向けて観る佛性である。佛性は己の中にある。その佛性でものを見るとは、目先に囚われず時間軸の長い目で観ることだ。一面だけで見ず多面的、全面的、広角的に見ることである。枝葉末節の囚われず、根本の本質を見ることだ。今のマスコミは、あまりに枝葉末節の事象を、針小棒大に書き立てる。日本のマスコミは増長天のようには成長していない。その広目天は筆と巻物をもって、人生の邪悪から自分を護っている。その武器は剣ではない。筆で書いたものが自分を守り、他の不正を明らかにする。筆で書いたものこそが、自分の生きた証である。それが最大の自己防御となり、自己実現の一つとなる。

 多聞天とは、世の中の法を何回も聞く仏のことだ。世の真理は法に書いてある。何時でも何処でも誰にでも通用することが「法」である。それを無視して行動するから、世の中で失敗する。人は忘却の天才である。だからこそ、大事な人生の「法」は耳にタコが出来るくらい何回も聞くことだ。多聞天は佛でありながら、何回も「法」を聞く姿を表している。佛でない人間なら、多聞天のその数十倍は聞かねばなるまい。四天王は護るための剣は持っていない。己を護るのは剣ではない。筆であり、法であり、成長であり、目である。

 

図1:広目天  松本明慶先生作。目は岩田明彩師の彩色

図2:増長天  松本明慶先生作。目は岩田明彩師の彩色。

        ピンポイントの拝観位置にて

図3、4:足元の邪鬼は脇役である。踏みつけられているのではない。

   脇役がしっかり主役を支えている。邪鬼はお役目に生き、目が活きている。

図5、6:修復された持国天と多聞天  江戸時代の作

図7:見る視点の差

 

2017-08-02

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

仏像の著作権は松本明慶師にあります。

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2017年8月 1日 (火)

時間創出1001の磨墨智 435d. 熟年の別れ

435d. 成長しないと40年来の友を失う

  最近、お互い定年を迎え時間ができて、親交を深める時間が増えたが故、40年来の友と別れることになった。原因は相手と話が合わなくなったためである。前は遠方でもあり、たまに会うだけの付き合いであったので問題が露見しなかったが、長時間付き合うようになり、友に違和感を覚えることが増えた。人は年相応に成長する。それは人によって成長度合いが異なるが、そのギャップが大きくなりすぎると、会うのが辛くなる。友とは自分を成長させてくれる時間の塊である。その時間価値がずれると逆に重荷となる。

熟年での別れ

 この事件で最近の熟年離婚問題に思いをはせてしまった。夫は仕事一筋にわき目もふらず定年を迎えて、交友関係で見聞を広めてきた妻から定年離婚を申し出られる事例が増えたという。その状況が理解できたように思う。上智大学名誉教授渡部昇一氏(当時)もその著書で、長年の友でも、使うお金で釣り合いが取れなくなると、付き合うのに障害となると書いている。一緒に食事をするにも、お店の格の選定で意見が微妙に相違して、ずれが生じて誘いづらくなったという。政党も国民の意識の成長と共に歩まないと、2013年参議院選挙での社民党のように消える運命に押し流される。国も成長しないと衰退する。

 人は年相応に、人格、教養、資産を高めないと、長年の友を失うことになる。長年、時間をかけて培った友という人生の資産を失いたくないもの。そのためには人並みに成長しなくてはならない。ちなみに定年退職後の5年間で、二人の40年来の友人と別れた。周りの知人に聞いても、同じような体験をしている。

人生経営は自転車操業

 万物は流転成長している。自分は成長しているだろうか? 時間は自分をどんどん追い抜いていく。成長が止まったとき、自分の時間も止まる。友が、妻が、会社が、時代が、自分に離縁状を突きつける。時代に自分が追い抜い抜かれると、人生の別れ..。人生経営は自転車操業。走り続けないと倒れてしまう。

 

2017-08-01

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