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2017年8月

2017年8月 1日 (火)

時間創出1001の磨墨智 527.赤の女王 

527.赤の女王仮説

 全力で走っていないと取り残される。回りはそれ以上で動いている。取り残されるとは、仲間を失い、自分の時間を失うこと。

 

孫悟空とアリスの戦い  

「私の国では・・・」と、アリスはあえぎながら言いました。「さっきのように長い時間とても早く走れば、普通は別の場所に行けるんですけど・・・」「何というのろまな国じゃ!」と女王は言いました。「この国ではな、同じ場所にとどまりたいと思えば、力の限り走らなければならないのじゃ。もし別の場所に行きたいのなら、少なくともその2倍の速さで走らねばな」(ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』)1865年

現代の技術競争

 技術開発やビジネスの世界は、まるでお釈迦様に力比べを挑んだ孫悟空の物語を再現している。この『鏡の国のアリス』の引用を読んで、孫悟空の物語を思い浮かべた。お釈迦様の掌の外が世界標準で、掌の上が自分たちの技術レベルなのだ。どこにベンチマークを置くかで、世界観が変わる。全力で走っていても(走っているつもりでも)、周りが見えないと所詮は、お釈迦様の掌の上で走り回っている猿と同じで、自己本位の世界での力比べある。「開発が出来た、出来た」とはしゃいでも、それは雲の中に立つ5本の柱(お釈迦様の指)に、孫悟空が「我ここまで来たり」と自慢げに書き付けた愚行と何が違うのか。完成したと思った時に、時間は止まり、周りから置いていかれる。それをガラパゴス化という。全力で走って、やっと現状維持である。智恵を出さないと負ける。それは150年前に『鏡の国のアリス』が寓意で表現している。

経済が停滞ではなく、政府の頭が停滞

 その事象は現在にも当てはまる。添付の資料は、2005年にある海外現地法人の新入社員に,英語の講義をした時に使った資料である。それから12年が経ったが、日本の経済状況は変わっていない。なにせ政府の経済政策が、緊縮財政一本やりである。既述の「天声人誤の竹槍で14万人が殺された」でも述べたように、政策が変わっていないので、12年前の説明資料が今でも通用する。情けないことだ。日本政府には学習能力がない。政府は、お釈迦様の手の上で踊っている。世界は全力で走り去っていく。

 

2017-08-01

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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平成の四天王像を彫る(1/2)

 松本明慶先生が作られた四天王が、来週にも高野山に納佛されるので、間近で拝観できるのは今しかないとのお話しが、三好輝行先生(福山市)からあり、松本工房(京都市大原野)に出かけた(2014年10月8日)。

 広目天と増長天が今回、新たに造佛された。広目天と増長天は江戸時代に焼失した大佛であるが、今回、高野山の中門が再興されるのを機に、明慶先生に造佛が依頼された。残存していた持国天と多聞天は江戸時代に製作された大佛であるが、傷みが激しいので松本工房で大修復の作業が行われて、仁王立ちの威容の姿が復活した。

 四天王とは、欲界の六欲天の中、初天をいい、この天に住む仏教における四尊の守護神をいう。この四天王が住む天を四王天ともいう。この天に住む者の身長は半由旬、寿命は500歳で、その一昼夜は人間界の50年に相当する。

持国天 - 東勝神洲を守護する。乾闥婆、毘舎遮を眷属とする。

増長天 - 南瞻部洲を守護する。鳩槃荼、薜茘多を眷属とする。

広目天 - 西牛貨洲を守護する。龍神、毘舎闍を眷属とする。

多聞天 - 北倶廬洲を守護する。毘沙門天とも呼ぶ。

中門再興のご縁

 高野山は、816年に空海が開いた真言密教の聖地である。壇上伽藍を中心とする宗教都市はユネスコ世界遺産でもあり、2015年4月には開創1200年を迎えた。その記念事業として計画されたのが、172年前に焼失した「中門」の再興である。「中門」は密教の聖域である「曼荼羅世界」への正門にあたる。その「中門」に四天王像を安置すべく制作者として松本明慶師に白羽の矢が立った。明慶師は「慶派」と称される平安時代から続く一派の継承者である。運慶や快慶などの流れを汲む、現代の仏像彫刻の第一人者である。

 今回の四天王像の修復・新進に際して、平成24年夏、高野山の高僧たちが松本明慶師宅を訪ね、両像の造立を依頼した。「先生しかしおりません。ぜひともお受けいただきたい」。修復・新造には、二年半あまりの歳月が費やされた。修復した二体は、持国天像と多聞天像で、中門が焼失した172年前の火災から奇跡的に救い出された。二体の修復に師は、「江戸時代の手法に従い、忠実に修復することを心がけました。作業中は常に、先達の仏師たちと語り合うような気持ちでいました」と語る。

天の創造の模索

 一方、増長天像と広目天像の二体は、明慶師が一から彫りあげた。「鎌倉時総の仏師・運慶の仏をどうやったら超えられるのか。依頼を受けてから悩み抜きました」。伝統の呪縛を打ち破るべく、明慶師はイタリアへ向かった。目的は、ミケランジェロの代表作「ピエタ」に向き合うこと。明慶師は、ミケランジェロが何を求め、何故、死の間際まで「ピエタ」を彫り続けたのかを探りたかった。明慶師は「ピエタ」を長年見たいと思っていたが、己の腕がミケランジェロのレベルに達するまでは、と我慢をして修行に励んでこられた。師はその「ピエタ」に対面して衝撃を受け1時間も身じろぎせずに双眼鏡で凝視を続けた。そして、自分は一何を目指して仏を彫るのか。イタリアでの自問自答を経て、ようやく二天像の構想が固まり、制作ヘ向かった。その経過はNHKBSプレミアム『旅のチカラ---ミケランジェロの街で佛を刻む松本明慶イタリア』に詳しい。四天王の復元、製作の過程を松本明華さんが会報『苦楽吉祥』に執筆されている。ご縁があり、私は松本明慶師と2010年に大垣の「ヤナゲン創業百年記念 松本明慶仏像彫刻展」で出会い、その9日後、定年退職記念旅行でローマに飛び、「ピエタ」に出会い衝撃を受けた。明慶師がローマに飛ぶ5年前である。

カエルの人生

 どんな四天王を作るべきなのか、「口は出さない。思う存分造ってほしい」が高野山側の答えだった。明慶師は、「飛鳥・天平以来、千数百年の伝統をもつ仏像製作の世界にあって、文化は進化していく」という持論を持たれる。「自らも現代の文化を担う一人」という気構えで製作にあたった。

 「カエルを彫るときはカエルの人生まで考えて彫る」というのが明慶師の心構えである。実際、松本工房でカエルを飼ってその生態を観察してまでして、カエルの彫刻をされる。竹の上で雄雌のカエルの求愛の姿を、もてる術を全て投入されて彫られた。右下の雄カエルが、左上の雌カエルを見つめる目が愛おしい。作品は一見、竹に見えるが、櫻の木の一木彫りである。お値段は小型乗用車一台分と同じである。(図5)

 

図2:バチカン サン・ピエトロ大聖堂  2010年11月10日

図3:ピエタ像  2010年11月10日 (撮影著者)

図4:高野山中門 開眼法要後  2015年4月25日_

図5:青竹に蛙  (櫻/薄彩色/総丈23cm)2015年5月11日

   宇都宮東武「大佛師松本明慶佛像彫刻展」パンフレットより 

 

2017-07-31

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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 仏像の著作権は松本明慶師にあります。

 

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インプラント 20(枯れた技術)

3.20 トヨタ生産方式での判断  原則8 

技術を使うなら、実績があり、枯れた、人や工程に役立つ技術だけを利用する

  インプラントは新しい技術である。まだ日本では実績がないといえる。そういった技術を自分の体に適用するなら、自分がモルモットになるつもりなら良いが、そうでないなら、慎重になるべきである。

自動車業界の評価試験体制

 トヨタグループで、テストコースの新設が新聞を賑わしている。グローバル化で世界との競争が激化しているためである。テストコースは100億円単位の金の要る高価な設備である。しかしテストコースからは一銭の利益も生まない。それにまして、維持管理費が膨大である。それでも、世界の部品業界で生き延びていくためには、テストコースの設備が欠かせない。それは、新技術の安全確認のためにはテストコースでの実証試験が欠かせないためである。車では、その部品の性能が人の命に直結している。

 前職の会社は5,000人5,000億単位の規模の「中小企業」部品メーカであったが、このテストコースの費用を捻出する余裕がなく、同程度の規模の会社に吸収合併する憂き目になった。そして私が32年勤続した創業60年の会社が消滅した。吸収する側も、単独ではテストコースを造れる余裕はなかった。そして前の会社の名前を捨てて、新会社名にすることになった。合併して1兆円規模の会社になったので、やっとテストコースを建設できた。そんな厳しい時代である。グローバル競争時代の部品業界において、5,000億円程度の売り上げ規模では「中小企業」扱いである。

インプラント企業の安全性試験?

 日本国内で流通している製品で、50社から100社のインプラントメーカーがあると言われている。韓国製や他国のメーカーも含めると150社にも200社にもなる。インプラントにおいて、中小零細のインプラントメーカが、相応の安全確認試験をしているとはとても思えない。あるのは人体実験である。それゆえ、歯科医とインプラントメーカーが、多くの患者にインプラントを勧めて、データを集めているのが現実の姿ではないか。要は患者はモルモットである。インプラントは自動車部品と同じように人の命に直結しているのに、その評価体制に疑問を感じる。

 

2017-08-01

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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