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2017年6月

2017年6月17日 (土)

ブラームスホールで故人を偲ぶ(改定3)

 楽友協会資料室室長ビーバー・オットー博士との面会日前日の4月23日(日)19:30、ビーバー・オットー博士の解説で、六重奏の古楽器演奏会がブラームスホールで開催されることを公演日程表で見つけ、早々にチケットを入手して、楽友協会に出かけた。楽友協会では、年間300回程の演奏会が公演される。

 ちなみに、この時のブラームスホールのチケットは日本円で約3,000円。平日夜のウィーンフィル演奏会で、黄金ホールの特等席(前から7列目)のお値段は82ユーロ(約1万円)であった。それがウィーンフィルのニューイヤー・コンサートになるとプレミアがついて10万円。それでも手に入らないとか。今回、良き席で適正な価格で音楽が鑑賞できて幸せである。

  古楽器演奏会は総勢300人くらいの聴衆で、日本人は地元の3名と私だけ。演奏会の種類によるせいか、年配の方が大多数であった。その中、場違い服装のチャイナの若い女性3名連れがいたが、休息時間後には姿が消えた。

 

ブラームスと大垣のご縁

 ブラームスホール中央のブラームスの胸像が見守り、壁や天井から黄金の蓮の花模様がホールを厳かに照らす中、古楽器の演奏会が開演された。その演奏を聴きながら、127年ほど前の戸田極子伯爵夫人とブラームスとのご縁に思いを馳せた。

 戸田氏共伯爵(大垣藩の最後の城主)は明治天皇の命を受け、明治政府が諸外国と結ばされた不平等条約改正のため、ウィーンに日本公使として赴任して尽力をされた。その美貌と知性で鹿鳴館の華と称された戸田極子伯爵夫人は、身に着けたプロ級腕前の山田流の琴の演奏は、日本の屏風や岐阜提灯を配した異国情緒あふれる日本公使館のパーティ会場で常に主役であった。極子伯爵夫人はパーティで「六段」や「みだれ」等の琴の演奏を披露して、音楽を通して日本文化を当時のウィーン社交界に紹介した。極子夫人は、戸田氏共伯爵の不平等条約改正の活動を陰で支えた。

 戸田家のピアノ教師であったボクレット教授が「六段」等を、ピアノの譜面に採譜した。1888年、ボクレット教授はそれを『日本民謡集』として出版した。パーティに招待されたウィーン音楽界の頂点に立つブラームスが、その譜面に朱を入れたという歴史事実を、お茶の水女子大学の大宮教授が論文に発表された。その資料発見にビーバー・オットー博士も貢献されたようだ。その縁で、ビーバー・オットー博士が1987年に大垣を訪問されることになった。

 ブラームスが戸田伯爵夫人の弾く「六段」を聴き入っている姿を、守屋多々志画伯(大垣出身、文化勲章画家)が屏風絵(畳4枚分)に描き、それが大垣市守屋多々志美術館で展示されている(作品保護のため年に1~2回の展示)。

 

 戸田極子夫人は、貧乏公家岩倉具視の側室槇子(まきの方)の長女に生まれた。極子夫人の美貌は母譲りであったという。14歳で戸田氏共と結婚し、戸田氏共が米国留学中に、殿様の奥方として、また外交官婦人としての教養を、実家の岩倉邸に帰って習得した。極子夫人は琴や華道、茶道などの諸芸に励み、また英語やダンスを学んだ。それが鹿鳴館時代とウィーンで花咲くことになる。

 

 極子夫人は鹿鳴館の華と呼ばれた。鹿鳴館の華と呼ばれれるための条件は、①洋装が似合う、②英語ができる、③ダンスが上手い、④外人と物おじせずに交際できる、である。流石に公家の出で、お殿様の奥様である。129年前の極子夫人の写真を今見ても、今でも立派に通用する現代的美人である。

 なにせ当時の伊藤博文首相が、官邸主催の仮装舞踏会で、極子夫人に庭で関係を迫ったとのスキャンダルが、新聞紙面に躍ったほど。それを各新聞が面白おかしく三面記事に取り上げた事で大スキャンダルとなり、伊藤は辞任に追い込まれる。女遊びが激しい伊藤は、明治天皇からお叱りを受けて、天皇に言い訳するほど女好きだった。それだけ極子夫人は魅力的であったのだろう。それにしても伊藤博文首相は女性を見る目が高い。モニカ・ルインスキー事件で実習生に手を出し弾劾寸前まで追い詰められた元クリントン大統領より、女性を見る目が上である?

 

大垣市守屋多々志美術館 HP lwww.city.ogaki.lg.jp/0000002019.htm

 (リンクが何かの事情で貼れません。「大垣市守屋多々志美術館」で検索ください)

 

 私のピアノの先生である河村義子先生は、この物語をコンサート「ウィーンに六段の調」として過去8回開催して大垣の歴史の広報に尽力されている。このご縁もあり、私は2017年4月にウィーンに飛んだ。

このコンサートの模様はyoutubeにアップされている。

https://www.youtube.com/watch?v=FaSqfewdp-U

 

オットー博士による古楽器演奏の解説

 博士の解説はドイツ語であったので、全く理解が出来なかったが、声に張りがあり名調子である。公演日程表で見ると、かなりの頻度で解説をされている。

 博士は舞台の最前列1番目に座って、舞台と観客を見守っていた。その隣に奥様(後で知った)が座っていて、それから4人おいて私の席であった。自由席であったのでよき席を確保出来た。

 休息時間に日本人の婦人の方と会話を交わしたら、博士と知り合いとのことで、博士の奥様に紹介してもらい、挨拶をして30年前の博士の写真をお見せした。昔の博士の写真に驚いてみえた。良きご縁でした。演奏会後、博士と名刺交換をしたが、演奏会での取り込み中で、詳細のお話は週明けの月曜日でということになった。

 

チェンバロの位置付け

 古楽器演奏会と現代ピアノ演奏会とで、チェンバロの役割がかなり違う。チェンバロがピアノに進化を遂げて、演奏会の主役に出世した。古楽器演奏会の場でのチェンバロは繊細な音ではあるが、迫力が無い印象である。古き良き時代の宮廷音楽会の雰囲気を味わったようである。

 その繊細な音は、当時の宮廷のサロンの雰囲気にはマッチしていたようだ。チェンバロ用に書かれた楽譜を演奏するとき、チェンバロに限界を感じてストレスを感じるピアニストも多い。その一方で、チェンバロは根強い人気もあり、現代でも名工によって製作が続けられている。

 古楽器の弦楽器も同じく、現代のバイオリンとは隔世の感がある。今のバイオリンは大きなホールや広い場所での演奏でも、迫力ある演奏を聴かせる。チェンバロ・古楽器の弦楽器とバイオリン・ピアノとの協演では、迫力が全く違う。

 古楽器は中世ののどかな時代の産物である。それに合った環境で書かれた楽譜通りに演奏するのが良いか、現代の楽器の実力に見合ったように演奏するのが良いか、演奏家の間でも意見が分かれる。面白い見解の相違である。

 私は環境とその楽器が変われば、それに相応した演奏方法に変えたほうが良いと思う。本来の成長した楽器の能力・個性が発揮される演奏方法のほうが、楽器もホールも喜ぶはず。建築家が心血注いで設計したホールにも魂が籠っており、ホールの神様も喜ぶはずだ。

 古楽器の本体材質や弦等の材質は、昔から比べると大幅に進歩している。昔の小さいサロンで演奏する場合はよいが、今の大ホールで演奏すると力不足が露見する。私はブラームスホールの最前列で聴いたから感動したが、遠くの席でならどうだったのだろうか。

 

楽器の器格と人格 

 チェンバロはないと寂しいが、大きな音を立てるとうるさがられる楽器で、演奏の立場が難しい。まるで人が人格者に成長しないと、大きな声でわめくと下品と思われると同じようだ。それ相応の人格(楽器の格)がないと、声量を上げても人の心に響かない。チェンバロがピアノに脱皮して、現在のピアノになるのには長い年月を要した。まるで人の成長のようである。

 

 経営とは、持てる資源(人、モノ、金、情報、時間)を最大限に活かして、付加価値を創造して、社会に貢献する仕事である。経営の中で、最大の資源である人財を育てるのも大きな仕事である。音楽演奏も経営である。演奏家、楽器、ホール、楽譜の能力を最大限発揮して、聴衆に喜びと感動を与え、人生に生きる喜びという付加価値を与える創造の仕事なのだ。

 

 2017年6月5日、大垣市民病院の広い玄関ホールで、「院内ふれあいコンサート」が開催された。河村義子先生の電子ピアノと天野千恵さんバイオリンの協奏であったが、ピアノだけが電気的に拡声されていた。バイオリンは生の音で、その音色はどんどんホールに広がって出ていき、聴いてもらうのがうれしくて音が舞っているようようだ。バイオリンの音色が広い玄関ホールによく響き渡っていった。電気楽器や古楽器の弦楽器ではそうはいかないようだ。

 

図1 コンサート「ウィーンに六段の調」で使われた琴(2014年10月25日)

   ブラームスが奥の椅子に座っているとして、椅子が置かれている。

   椅子の上は、ブラームスが朱をいれた楽譜が掲載された本の表紙

図2 戸田極子伯爵夫人(影山智洋氏蔵)(明治20年、30歳) 

図2 1987年に大垣を訪問したビーバー・オットー博士を歓迎する交歓会

   『ウィーンと大垣を結ぶ音楽の架け橋』1987年大垣市刊より

   挨拶は当時の小倉満大垣市長(2001年 現役で逝去)

   前列が楽友協会音楽資料館館長ビーバー・オットー博士(当時40歳)と

ブラームスと戸田伯爵夫人の歴史を発掘した故大宮真琴教授(1924-1995年)

その隣が孫の戸田香代子様

   故小倉満市長が、日本百選である市の音楽堂に、ベーゼンフォルファーのピアノ導入で尽力された。

図3 ブラームスホール  古楽器演奏会の合間 2017年4月23日

図4、5 チェンバロ(岐阜サマランカホール所蔵) 素敵な彩色、芸術作品です。

図6 ピアニスト河村義子さんの演奏(2017年6月5日)

図7 バイオリンニスト天野千恵さんの演奏(2017年6月5日)

図8 大垣市民病院ふれあいコンサート 2017年6月5日)

 

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貴方の信用金庫が破産?

 あなたの信用は破産寸前になっている? 「信用という名の貯金」を貯めないと、人生の財産が貯まらない。お金を貯めた結果は積分値で、信用金庫の出入り微分値である。信礼ありて交友あり

 

信用という名の貯財

 あなたは凸凹財閥「凸凹信用金庫株式会社」の頭取である。この世で一番価値のある財産は「信用」で、これが貯まらなければ、財もたまらないし、自分の夢も実現できない。自分の志は、一人だけでは達成できない。その達成のための通行手形が「信用手形」である。

 人が死を目前にした状況に置かれたとき、納得できた人生であったとその価値を決めるのは、その時の交際の厚さである。多くの人が近づいてきて、離れていく。一体何人の人が残るのか。それは己の生きざまそのものである。多くの恵みを多くの人に与えて、何人の人が残るかどうかだ。その数少ない人が人生の宝物である。その蓄財を決めるのが「信用」である。

 

 カナダの実業家キングスレイ・ウォード氏は『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(城山三郎訳 新潮社刊1987年)の中で、「ビジネス」を次のように定義した。

 

 ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。

  Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken, damn hard to put back together again to its original form.

      “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

 

 この「ビジネス」という言葉は、「人間関係」すなわち「信用」の意と同じである。人との付き合いは大きな財産である、その価値を高めるためには、信用が最優先だ。そのためには、小さな約束を確実に果たすことだ。なにせ、大きな約束は嫌でも守らざるを得ない。大金の貸し借りに事故は少ないが、 100円とか1000円の金の貸し借りでは、とかくルーズになりやすい。この小さなお金が、その人の信用を傷つける。この100円の借金は10万円より大きいとの認識が、人生の信用という財産の毀損を防ぐ。自販機のコーヒのため100円を借りるくらいなら、返し忘れを考慮して我慢すべき。それより、奢ってもらったほうが、よほどスッキリする。ただし奢って貰ったことを忘れないように。小さいことの約束の実行の可否が、大きな約束を果たす練習となる。

 

  お金に関係ない小さな口約束を果たすことが、信用という貯金を増やし、その金利を上げる。小さい約束を確実に果たすことは、その人の事務処理能力が高いことも示し、信用度の指標として高い相関関係にある。一事が万事である。だから、この小さな口約束をどれだけ実行してくれるかも、私が人を評価する基準の一つである。

 「こんど一緒に飯を食おう」等の軽い口約束を守る人は、実に少ない。特に酒の席での約束を守る人は、ほとんどいない。だから、外交辞令まがいの挨拶を乱発し、口だけ調子のいい人とのお付き合いは、避けるに限る。この心にもない外交辞令は、「信用金庫」の不渡手形である。不渡りを出しては、「信用不安」である。その反面、他人に厳しくする以上は、それ相応に自分自身の言動に厳格さが求められる。これが人生における浪費防止になる。

 

 最近よく経験し、不愉快になることの一つが、飲む約束とか、面会の約束を取り交わしてから、都合で一方的にその約束を破棄しながら、その後の巻き返しをしない人が多いことである。人さまのスケジールを壊したのだから、道義上でそれを修復する責任がある。その責任を果たさないのは無責任だ。人とのご縁は特に大事にしなくてはならない。この行為はそれを台無しにする。それは、相手からそんな程度にしかにしか認識されていない証だ。それなら、その人とのお付き合いを見直すべきである。将来そんな人から受けであろう有形無形の損害に対して、得るべきものも少ないと予知される。付き合うべき価値ある人財の蓄積と選別こそが、人生の蓄財につながる。

 

約束時間

 「信用金庫」の格付けを高めるためには、他人との約束時間、特に待ち合わせ時間を守るのが必須である。人さまの時間を尊重しない人間に、信用が付くはずがない。

 曰く「遅刻は最大の拒否表現」。 私はこの言葉をキーワードにしている。人の「信用金庫」の評価に、この待ち合わせ時間の正確さで判断しても、そんなに大きな間違いはない。その人の持つ人格、人生思想、自分への評価(自分がどの程度大事に思われているか)等、なかなかに相関係数の高い指標である。あと42年しか生きれない?残り少ない人生で、付き合う人の選別は人生の密度を高くする。自身の「信用金庫」の格付けが上がる。

 

いつか、、、、は破産への道

 「いつか・・・行こう」,「今度・・・をしよう」や「そのうち・・」等の期日なき約束は、約束ではない。それは永遠に叶うことのない幻の約束である。自他に対する約束では、期日を明確にすべきである。この約束の恐ろしさは、「いつか・・・しよう」とある人に約束したことを、本人はコロット忘れてしまい、約束された相手がその日を楽しみに、何時までも覚えていることだ。だから、「いつか」には「信用金庫」を破産に導く魔性を秘めている。自他に対する約束は意思を持って、その時にその行動予定日をスケジュールに書き込むべし。期日のない約束は、本当の約束ではない。

 

破産通告

 「信用金庫」の格付けは、日々更新されている。その格付けを下げるは簡単で、上げるのは並大抵のことではない。その最悪の格付けである「破産通知」は、「不渡手形」が数回続いた場合に、目に見えない形で発行される。その「信用金庫」再建には、信用を築く以上の桁違いの労力と時間が必要となる。それ以前の問題として、通常はその決定が当人には通知されない。なにせ、そんな人に知らせても仕方がない。そこに破産の恐ろしさがある。

 

汚職

 汚職は「信用金庫」の最大の敵である。その行為は、人生の破産を約束する。若き学生時代には将来を約束された超秀才が、汚職で社会的に抹殺される事件が古今東西、後を絶たない。学業や仕事の有能さと、蓄財能力は比例しない。汚職で蓄財するのは、蓄財能力とは言わない。これは畜生にも劣る行為で、「畜財能力」と表現すべきである。だからこそ、お金を貯めて、汚職の誘いにも平然としていられる人格・財格が求められる。小さな損得で、意地汚い人を回りによく見かける。これも、自分がお金に余裕があれば、平然と見下して対応できるもの。金の要る政界で、かの故池田首相に悪い噂が無かったのは、彼の実家が造り酒屋で金に困らない程の資産家であったためである。これは池田家の父親の人徳である。

 汚職で自己の誇りある仕事を汚さないためにも、子供のためにも、お金持ちになるべきだ。また子孫への責任としてもそうあるべきである。それは仕事の一部です。そうなれば、どんな状況でも、会社に対して平然として、仕事に励めるのも業務へのアクセルとなり、誘惑に対してさえも、平然としていられる。また惜しげもなく、自分に対しても自己投資が出来るもの。それも、会社に負い目も無くせる。汚職で一番困ることは、神仏は知っていることだ。その事を悟らない当事者の愚かさである。

 

自己破産

 最近日本でも、クレジットカードやサラ金等での利用のしすぎでの自己破産が増えている。欧米では、この自己破産申請を日本とは比べ物にならないくらい簡単にする。なにせ物を買っておいて、物を買いすぎていたことが分かっても、「売ったやつが悪い」との論理が罷り通る。破産した方は、何の罪の意識を感じないまま、「自己破産」に逃げ込むという。なにせ、散々使いまくっても、自己破産で全てチャラになる。自己破産しても、選挙権や銀行ローン等は一定期間出来なくなるが、一般的な社会生活は人並みに送れる。また刑事処罰があるわけではない。

 そんな論理感を持つ国民の運営する国家が、左前になるのは故あること。米国を筆頭とする諸外国には、細心の注意を払って付き合うべきだ。

 

  アメリカは、毎年150万人が自己破産する自己破産大国である。これは米国勤労者の約2%に相当し、50 人に一人が自己破産している計算となる。もともと、「クレジット credit」は cred = to believe( 信ずる) から語源が発生していて、「信頼・信用」が原意である。それを悪用して、自己破産する人間が横行する時代が来るとは、クレジットを発明したユダヤ人も想定外であった。

 クレジットは人間不信のシステムである。昔の日本には、「顔」、「ツケ」という、先進的な制度があった。この制度の素晴らしいことは、財布がなくても、顔さえ体に付いていれば、お店での支払いが不要である。これこそ、信用をベースに置いた近代的制度である。この先進的システムが、「後進的な」クレジットカードシステムに負けるとは、情けない「信用金庫破産時代」になった。

 

信用金庫友の会からのお誘い

 毎日曜日の早朝に会合している某「信用金庫友の会」から入会のお誘いがあった。その会は道徳の普及を目指し、信用、挨拶、礼儀を目標に掲げている。私は、これはと思って、清水の舞台から飛び降りるつもりで始めた66歳からの出版事業の挨拶状、HP、ブログ開設の挨拶状を数十人の会員の皆さんに直接手渡しで配った。そのうち、たった3人だけがメールで返信をくれた。その会の偉いさんには、普通の10倍の値段の上質紙に、カラー印刷した挨拶状、予定のブログ記事を面会して直接進呈した。その一週間後、たった数枚のブログ記事を、忙しいからまだ見ていないという。米国のマネージャーが一書類を見る時間は30秒である。その30秒がとれない幹部の姿を垣間見て、その人の人柄と、自分がどう見られているか、幹部と会員の人格と名目から乖離した会の実態が見えた。この会のうたい文句は何だったんだろかと考えると、人間ウォッチングは実に面白い。

 

図1は、自宅をリフォームして発覚した柱の惨状。白ありに食われた跡が生々しい。信用不安は、知らないところで、己の信用という大黒柱をボロボロにしている。表面からは見えず、地震等の事件が起きた時発覚する。その時は手遅れである。

 

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2017年6月16日 (金)

仕事とは何か 創造とは何か

 遊びと仕事の違いで、一番大きな差は、その付加価値である。佛像に付加価値を生み出すために佛師は命をかける。それに対して、遊びは、仕事の疲れを取る役目でしかない。その付加価値でも、今までにないものを創り出すのは、命をかけた真剣勝負と同じである。

   仕事はやればやるほど、面白くなってくる。それに対して、遊べば遊ぶほど、虚しさが沸き起こってくる。付加価値は生み出せないからだ。付加価値とは世の中への貢献である。誰かが喜んでくれる。いくら将棋や映画が好きでも、遊びでやると1週間でそればかりやれば嫌になる。将棋が仕事である場合は別である。

 

 という文字の偏である「倉」には、傷という意味がある。つくりの「リ」(りっとう)は、文字通り刀のことである。つまり「創」という字は、刀傷を表している。刀傷というのは、戦闘状態のときに敵方に切られてできる。刀傷だから、深く切られれば死ぬことになるが、浅く切られた傷ならば、時代劇の一場面のように、焼酎を吹き掛け、晒をまいて「死んでたまるか!」と気合を入れれば傷跡に肉が噴き、直っていく。そしてその新しい肉と皮膚は、以前に増して強固なものになってくる。これこそが人間の生命力であり、創造の「創」につながる。

 

 平穏無事なことからは、創造は生れない。ビジネスで言えば、傷を受けるとは失敗することを意味する。おおむね人は失敗を恐れて刀を避けようとする。うまく避けられることもあろうが、大抵の場合は刀を避けようとして妙なところに傷を受けるものである。正面から対峙せず、逃げてしまったために脇腹を突かれたりもする。また自分が避けたがために、他の人間が傷を受けることにもなる。

 真正面から切られる勇気を持つことである。傷を恐れてはならない。傷を負ったとしても、それは必ず再生できる。そして再生されたものは、今までよりもきっと強固なものになる。「創造」とはゼロからのスタートとは限らない。今あるものを進化させ、今あるものを組み合わせて新しいものを作ること、新たらしいものに生れ変わらせることが創造である。

 ウォークマンもiPod も何ら新しい技術はない。それでも従来の技術を組み合わせて、携帯音楽という分野を創造した。

 

 傷つかなければ進歩もない   No pain, no gain.

 現状維持に創造はない。現状維持は後退と同じ意味。

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2017年6月 9日 (金)

あなたは文書テロリスト?

文書は、情報伝達の飛び道具。

情報は、情けの報せ。あなたの文書は、無情

情報を達しても、相手にしていますか?

                                 

 クライテリア  CRITERIA(規準に則って)

 テクニカルライティングの要点は「クライテリア」である。先ず方針ありきで、その基本方針・考えが明確でないと、書類作成も仕事でも何事も進まない。米国ビジネス社会では、「読みにくく、内容不明瞭な文書を、上司が読まなくても何ら責任がない」とスチーブンソン ミシガン大学教授は断言する。

 米国ビジネス社会では管理職が、受け取った書類を扱う平均時間は、30秒だ。日本社会では、出した書類を読まなかったら、その読まなかったことが責任とされる社会である。そういう点で、日本のビジネス書類には緊張感がない。それに対して、米国ビジネス社会では書類を読んでもらうため、クライテリアを明確にして文書デザインをしている。

 

 文書デザインという概念は新鮮な響きがある。論理構成のない、なぐり書きされた書類やメール文は、文書のテロである。マネージャには日に何通もの書類、電子メールでは日に100~200通が舞い込む。論理構成のない書類は、相手の時間を奪う泥棒である。テロ文書は家庭ある管理職の帰宅を遅くし、管理職にストレスを与え、パワハラの遠因となりかねない。

 

 文書を如何に「設計」するかは、その基本概念の明確化(クライテリア)、書類の概略構想、スケッチ、詳細記述等と、工業製品を作るのと同じ設計プロセスが要求される。多民族社会では以心伝心が通じない。また個室が常識の米ビジネス環境では、文書、書類が最大の意思伝達ツールである。電子メールが普及した現代では、文書での意志伝達の明確化が要求されている。訴訟社会でPL問題も抱えている米国社会では、その書類に書かれた言葉が大きな責任問題にも発展する。そのためにこそ論理的な文書の設計が必要とされる。

 

 欧米でのレポートには、自分の考えと、根拠ある推奨(主張)の付加が必ず求められる。テクニカルライティング演習の課題で、あるレポートを書かされた。その設定・質問には単に「解説を述べよ」とだけとしか記述がなかったので(何度も確認して)、その通りに書いたら、マセィズ教授からケッチョンを食らってしまった。早速、自信を持って確認したはずの設問について、教授に噛みついたが、教授からは「日本ならその解説だけで許されるが、米国人なら常識的に自分の考えと、推奨(主張)を入れてレポートを作成する」と諭されてしまった。

 

 間違っていようがいまいが、自分の考えが重要視される米国社会である。これは前記のクライテリアにも通じる。こういう事例は、なかなか日本では体験できない。自己主張を殺した日本の報告書に慣れていた私には、驚きの体験であった。

 最近の米国政治家の過激な発言は、まず恫喝として言うだけは己の意見として展開するのが本能だ。それを割り引いて言い分を聞かねば、言いなりにされる。彼らは狩猟民族で、日本は農工民族である。

 

文書のオーディエンス(読み手) 

 テクニカルライティングは、英語の勉強でなく、文書の論理構成の学習である。文書には、相手に何かの行動を期待し、実際に行動してもらう目的がある。欧米では文書の書き方によって、然るべき行動がなされず、スリーマイルス島原発事故のような人類の危機や、スペースシャトル・チャレンジャーの爆発による人命の喪失、国家の威信の喪失まで招く事例が存在する。

 

 米国スリーマイルス島の原発事故のドキュメントの事例紹介では、米国における文書・報告書・提案書の記述方法が、人類の危機に発展する深刻な事例として紹介された。米スリーマイルス島の原発事故では、事故数カ月前に、その前兆の報告書を技術者が上司に提出していた。しかしその報告書が読みにくく、かつ論文調に書いてあったため、責任者はその報告書を無視した。その結果がスリーマイルス島の原発事故につながった。それが裁判になって、然るべきスタイルで提案書を書かなかった技術者の過失が問われ、結果として、その上司の管理職は無罪になっている。

 

  この事実は、日米の価値観の相違を表している。日本人の私はこの見解を無責任だと思うし、プロならもっと自分の仕事に責任を持てと言いたい。しかしここには米国社会の個人主義、個室を中心とした会社運営形態で、書類だけで情報交換をされる仕事方式が背景にある。その書類の記述方法で論理的に記述する重要性が出てくる。それが欠如した書類は、情報通達ができない欠陥商品である。

 

 そういう点で日本社会は幸せかもしれない。詳細に書かなくても、然るべき状況、立場のわかる人達がそれ相応に解釈して仕事が運ぶ。「後はよろしく」で。またそこまで言わなくてもと言った社会慣習である。しかしこれは、欧米では通用しない慣習である。

 

 曖昧文書が与える損害

 冗長で不明確な報告書のため、1通につき余分に5分間必要と仮定すると、年間損害を、50万円と試算した。しかし、欧米の現実はもっと大きなロス・悲劇を生む可能性がある。

 100円/分  ×  5人  ×  10通/年 ×100人/課= 50 万円/年/課

 

教養ある英語 

 講義を担当したスチーブンソン教授、マセィズ教授は英語がとてもうまかった。お陰で、私の英語力でも授業にはなんとかついていけた。知性のある人は、相手を見て使うべき単語、語彙、スピードを選択する。しかし教養がないと、相手お構いなしの機関銃のような英語を話し、少々英語ができるぐらいでは、全く理解不能となる。両教授の英語を聞いて、教養のある英語とはかくの如し、と認識した。思わず教授に、「英語がお上手ですね」と言ってしまった。これには先生も苦笑い。

 

   日本語でも、日本語が下手な教師がいる。それは相手のレベルを考えない話し方・教え方をする教師である。何事も相手に合わせた情報伝達が基本である。我々は教養ある日本語を使っているかを自省したい。言葉を使うことだけが、コミュニケーションではない。

図1 武道としての情報設計

図2 ミシガン大学での授業風景・スチーブンソン教授(右側中央が著者)

図3 ミシガン大学での授業風景・マセイズ教授

本原稿は1994年ミシガン大学夏期テクニカルライティングセミナー体験記の再校正版です。

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2017年6月 8日 (木)

ターゲット・メールを発射(改定)

貴方のメールは読まれていますか?

読まれずに無視されていませんか?

 

 ウィーン楽友協会に大垣市の代理人として表敬訪問することが、渡欧の1週間ほど前に急に決まった。その当時、「馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集」の出版最終確認と修正で忙殺されていて、楽友協会にアポイントを取る時間余裕がなく、そのままウィーンに向かった。今にして思うと何と愚かなことかと。訪問目的が、美術館目録の寄贈と表敬訪問だから、行けば何とかなる思っていた。

 ところが現地の楽友協会の窓口で、けんもほろろに対応された。窓口女性から「楽友協会の要人にe-mailを送って面会予約をして下さい」である。もしPCを持っていなければ対応不能である。慌ててベーゼンドルファーのマネジャーに、楽友協会の誰にメールを打つべきかをネットで調べてもらった(ドイツ語のHPだから理解不能)。ベーゼンドルファーのマネジャーでも、楽友協会は、敷居が非常に高く簡単には面会予約は取れないとか。ベーゼンドルファーは楽友協会ビルの単なる店子の一つであると。幸いiPadを持ってきていたので、ホテルに戻りメール文を作成した。

 

 前職の会社では、室長、部長、役員には日に100~200通の大量メールが舞い込む。楽友協会には世界中からメールが舞い込むはずだ。その洪水のようなメールの山から優先して読んでもらうには、相応の文書技術が必要である。それは英文も和文も変わらない。聞けば、楽友協会は日本のお役所以上に敷居が高く、返信は2,3週間後が普通だとか。

  そこで役立ったのが今まで磨いてきた和英の文章作成技術とテクニカルライティング技法である。メールでどう書けば、相手がすぐ開封し、すぐ返事をもらえるかを考えた。それを考えた題名と文面にして、面会依頼のメールをホテルから発信した。そのメール題名には話題と目的を入れ、文章の冒頭には単刀直入に要件と、文面には日本,大垣、表敬訪問、守屋多々志美術館の図録寄贈、ブラームス、戸田伯爵夫人、六段のキーワードを散りばめた。小さな辞書しか持ってこなかったので少し苦労をしたが、半日程ホテルに籠ってメール文作成に集中して推敲を繰り返した。そのため予定のウィーン市内観光を諦めることになった。

 返信は半分諦めていたが、2日後に返信が来たのには驚いた。それも亡くなっていると聞いていたビーバー・オットー博士からである。これには心底驚いた。やはり現地現物で、現場に来ないと分からないことがある。

 

 送るメール文に、受信者の心に響く言霊があれば、反応がある確率が高い。お役所的な文面や教科書的な文面では、ダメである。相手の心の中心に突き刺さるメール、それがターゲット・メールである。これは全てのメールで心がけたい要点で、私が前職在職中に、10年間ほど技術者教育で指導してきた。1994年のミシガン大学夏季セミナー受講(自費110万円)が、23年後のウィーン訪問で役立った。自分への投資は、後年に必ず得るものがある。

 

 ターゲット・ストロークとは、相手の心にグサッと突き刺さる言葉や行動、愛情の表現を示すことで、心理学用語である。【ターゲットとは、丸い標的に矢を射ること(Longman Exams 英英辞典)】

 

 退職後、自宅に舞い込む無頓着・無邪気なメールの山を見て、ITマナーの欠如に呆れている。これでは中小企業の経営として無駄が大きく、経費増の原因になっているのではと危惧している。直接に言うと角が立つので、正しいメールマナーの一部を公開します。下図は前職で、新人教育に使った資料の一部です。

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2017年6月 7日 (水)

「静寂の文化」と「喧騒の文化」の精神構造(改定2)

日昇る国の静かな西遊、日沈む国の喧騒なる漫遊

 2017年4月18日の夜、ウィーン・ヒルトンのレストランで夕食をとっていたら、続々とチャイナ人客達が入ってきた。気になってウエイターに聞いてみたら、現在の客の25~30%はチャイナ人で、特に今日は多いとか。日本人は5%くらい。今朝、通ったウィーン市立公園内の黄金のヨハン・シュトラウス像の前で、チャイナ人集団が大騒ぎをしながら写真撮影に興じていた。そのため、人影が入っていないヨハン・シュトラウス像を撮影するため、しばしの時間を待たされた。

 それに輪をかけて各観光地で雰囲気を台無しにしているのが、チャイナ人観光客の洪水である。シェーンブルン宮殿の王宮内部でも目に付くのはチャイナ人観光客の集団だけである。

 

 その昔、エコノミックアニマルと蔑まれた日本人は今いずこ。今は話題にも上らない。当時は日本も勢いがあった。実質以上に日本人の影が海外で薄く、チャイナにお株を奪われている現実を目にして、考えてしまった。日本もチャイナ以上に経済大国なのだから、もっとお金を使って見聞を広げる為出歩くことが勧められる。用があるから、旅行するのでなく、用を作りに出歩くもの、成熟した人間の行動だと思う。行けばそれに見合った収穫はある。

 

欧州事情の激変で、「ホールドアップ!」命令

 日本人からの旅行客が少なくなったため、ウィーンと成田間の直行便が、昨年9月に廃止された。しかし上海とウィーン間の直行便が新設された。現実は正直だが、情けない。そのため今回は、関西国際空港発、オランダ・キスポール空港経由のKLMで、15時間かけてウィーンに向かった。乗り継ぎのため4時間の時間ロスである。

 

 キスポール国愛空港は、出張で30年ほど前に利用して、良い印象を持っていたので、今回の渡欧でのKLM選定は、その理由の一つであった。しかし「紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹝跡なし」(修証義)で、キスポール国際空港は、この30年間の拡張に次ぐ拡張で、巨大化して激変しており、乗り継ぎが大変になっていた。なおかつ時差ボケで、キスポール空港で降りての通路分岐点で「乗り継ぎ」と「入国」の標識を見落として、降りた乗客達について行って入国ゲートに行ってしまった。一方通行なので、戻れないので大騒ぎである。結局、係官に連行(?)されて、元のルートに戻ったが、かなりの時間ロスである。オランダの空港職員2名が親切に元のルートに案内をしてくれた。感謝です。当然、そんな旅行者が多いようだが、日本からキスポール国際空港経由でウィーンに行く日本人乗客は、私ひとりであった。これでは直行便が廃止になるのも致し方ない。

 

 また現在の欧州の移民問題で、入国審査が厳格を極めて困惑であった。入国審査場では、足印のある所に脚を開いて、「ホールドアップしろ!」で、股の下まで手で触られてのボディチェックであった。その担当官は、生粋のオランダ人ではなくアフリカ系の人であったのが皮肉である。最初から違法移民の犯人に扱いの入国審査であった。入国審査場は、多民族、多人種のデパートの様な様相で混乱を極めていた。結局、到着ゲートから出発ゲートまで3キロほどを歩いたことになり、心身とも疲労困憊である。直行便の便利さに憧れた。

 入国審査は「シェンゲン協定」では、EU内の最初に降りた国で厳格に行うので、ウィーン国際空港の入国審査は全くなかった。オランダの入国審査で懲りたので、構えていったのに肩透かしであった。

 

文化レベルの評価指数

 文化レベルの差は音楽や言葉の周波数からも示唆される。宗教的な場所や高級レストラン等の場所では静かで低い声で会話がされる。決してきんきらきんの甲高い音や声ではない。邦楽や琴の音やキリスト教の教会で弾かれるパイプオルガンの荘厳な響きは、低い周波数の音である。静を重んじる茶道の文化も日本が世界に誇る精神文化の極致である。

 その言語の持つ周波数を見ればその人種の文化レベルがわかる。公共の場所で甲高い声を上げ、傍若無人に振る舞う隣国人が、文化レベルで高いわけではあるまい。ウィーン市立公園内のヨハン・シュトラウス像の前で奇声を上げながら集団で写真撮影に興ずるチャイナ人を観察すると文化水準が分かる。

 

 関西国際空港行き「はるか」の静かなグリーン車内で、英国の若者たちがスマホ画面を見ながらネットゲームに興じて、時折甲高い奇声を車内に響かせていた。今は金を出せばグリーン車に乗れるが、本来相応のマナーが要求されるはず。英国の若者集団には礼節がなかった。紳士の国である大英帝国も落ちぶれた。昔、世界を制覇した大英帝国がチャイナに媚を売る時代となった。その没落の一端を、「はるか」車内の英国若者達が発する奇声の周波数から垣間見た。

 

英語の周波数帯域   2,000〜12,000 Hz

仏語                  1,000〜2,000

独語                     100〜3,000

日本語                   125〜1,500

  福田修 (著)、豊田倫子 (著)『仕事が早くなる文章作法』より

 

 甲高い声でキンキンした喋りが、文化レベルが高いとは言えまい。耳触りのよいトーンでお話をしてこそ文明国である。その国の言語の周波数帯は、文化のレベルを表している。渡欧して感じる西洋の文化と日本の文化の差は、音へのこだわりの差である。西洋の文明は自己主張の強い身勝手なマナーにある。西洋では自分が出す声の騒音に無頓着である。高級レストランや特別ラウンジ、また公共交通の車内でも携帯電話で喋り捲っている人がいても、誰も注意をしない。その禁止の放送や掲示もない。食事のマナーでスープのすする音を立てるのはマナーに反すると教えられてきた身には、納得しかねる事象である。日本の携帯電話での公共の場所での携帯電話使用の抑制をアナウンスする行為は、世界的に文化的にはるかに進んでいる。

 

 色にも音があり、メッセージがある。原色の色は、直接的、激情的などぎつい音色や乱れた周波数を連想させる。その服装の色使いを見れば、文化レベルがわかる。ウィーンの静かな雰囲気で、チャイナ人集団の原色の服装の氾濫は、雑音、騒音である。まるで街頭宣伝カーのスピーカーの騒音である。せっかくの雰囲気が台無しである。日本人は自然の恵みの風景の色彩の移ろいから、自然を支配する天の声を聴いて見て育ってきた。かの国は、日本とは感性の面で隔絶の差がある。

 図3 色彩によるコミュニケーション 

 

音への配慮における東西差

   西洋では言葉は武器である。自己主張をするのは正当な行為で、喋らなければ、自己主張しなければ負けである。攻撃だけで察しや他人への配慮は考えない文化が、高度とは思えない。野蛮である。2010年に定年退職記念でイタリア旅行をした時、フィレンツェ行きにイタリア新幹線ユーロスターの一等車(JRグリーン車の半額程度)を利用したが、その静かな車内で、ビジネスエリート風の女性が携帯電話で長時間大きな声で喋り捲っていたのが印象的であった。金儲けのためなら、周りの迷惑など知ったことか、のようだ。その思想が染み込んでいたのがご先祖である。彼女は世界中に植民地強奪競争に出かけていったご先祖の末裔である。ウィーンでもヒルトンホテルの静かなレストラン内や市内電車内で携帯電話のオンパレードである。だれも気にしている風には思えない。当方は不愉快千万であったが、そんなことは気にも留めない風潮であったのが、日本と海外の文化の高低差を感じた。

 図4 ユーロスターの一等車内  

 

  それに輪をかけて下品なのが、チャイナ人の集団での傍若な大きな喋り声のオンパレードがある。特に中国では大きな声で自己主張しないと、生存競争に負けるので、大声の文化は歴史的に身についた文化のようである。不況の欧州は、チャイナが落とす金に平伏している。もっとも日本も同様である。日本はもっと毅然としたいもの。

 

 最近の風潮で我慢できないのが、老人が身に着けた鈴の音である。静かな場所で、チリンチリンとうるさくてかなわない。コンサートホール内でも、席のあちこちでチリンチリンと聞こえると幻滅である。本人はお守りとして無頓着に身に付けたが、年老いているせいで耳が遠く、周りへの迷惑に気が付かない。若い女性は、イヤホン装着で、自分の立てる鈴の騒音が気にならないようだ。周りに気を使わなくなるのは精神の老化である。それはオバタリアン化

 

「戦いの文化」から「雅の文化」への進化

   西洋と日本では左脳、右脳の文化の差があるのかもしれない。秋の虫の音でも、西洋人には騒音としか聴けないが、日本人の耳には心地良いさえずりとして聞いている。それが文化レベルの差かもしれない。

 西洋は戦いの文化で、日本は雅の文化である。戦いや過当競争の文化の下では、情緒やわび、さびなどあったものではない。それより自己主張、金儲け、現世の快楽である。西洋の音楽が極めて人為的な構成があるが、日本の音楽は自然体で、宗教的な安らぎさえ感じられる。ブラームスが戸田伯爵夫人の弾く六段の調べに興味を持ったのは、その西洋とは異質な宗教的な響きへとの出逢いだったかもしれない。

 

図1 B-787  関西国際関空~キスポール国際空港(キスポール到着ゲートで)

図2 B-737 キスポール空港~ウィーン国際空港(キスポール出発ゲートで)

図3 色彩によるコミュニケーション 

図4 ユーロスターの一等車内 (写真のビジネスマンは紳士でした)

    2010年11月17日  

写真 ヨハン・シュトラウス像の前で大騒ぎをする原色服装のチャイナ人集団

(2017年4月18日 ウィーン市立公園)

 

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  2017年6月6日 HPを更新  当研究所の書庫を公開

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「強奪の文化」が「共栄の文化」を張り倒す

 欧州の王宮は壮大さの豪華な文化を誇示している。日本の御所は緻密さの文化を謙虚に披露する。日本は1300年前の平安時代に、源氏物語の宮廷文化を育てている。西洋ではその種の小説が出てきたのはその1000年後のルネッサンスの時代である。2017年4月20日、ウィーンが誇るのシェーンブルン宮殿(世界遺産)を見学したが、内部の意外な下品さに目がいった。

 

 この宮殿は17世紀初頭に完成して、1743年の大改築を経て現在の姿になっている。確かに荘厳で大きな作りであるが、近寄ってみるとその細工がガサツな作りなのだ。金やけばけばしい装飾で人目を驚かすのだが、近寄って観察すると、造りががさつで、日本人の繊細な神経では耐えられないレベルである。ドアや壁に付けられた金の装飾品は荒い細工である。ドアの塗装もペンキを塗っただけのような安っぽい仕上げである。当時としては素晴らしい出来かもしれないが、京都御所の造りと比較して美の価値観の相違もあり、私の目で見ると耐えられない。ただ大量で広い宮殿として作り上げたという価値はある。人を驚かす、見せびらかす方針としては良いが、文化的に高度であるとはとは思えない。内部は撮影禁止なので写真が撮れなかった。撮影されると粗が出て恥ずかしいのだろうと推察した。京都御所の一般公開日は、撮影が自由である。

 

シェーンブルン宮殿を生んだ文化

 シェーンブルン宮殿は、ハスクブルグ王朝の繁栄の謳歌を誇示する宮殿である。ハスクブルグ王朝は1580年から1640年までポルトガル王を兼ね、海外植民地を含めて「日の沈まぬ帝国」を実現した。その植民地からのアガリと国土の農奴からの搾取で、王侯貴族は贅沢三昧の生活で、豪勢な見せびらかしの宮殿として建てられた。

 

 植民地政策とは、平和な無抵抗の異国に、武力で押し入り、言いがかりをつけて領土を強奪して現地人から搾取するシステムである。つまりやくざ、強盗である。国を守る武力を持たなかったアフリカ、アジア、中南米の国々が植民地にされた。日本がその毒牙を逃れられたのは、武士集団が存在したからである。

 英国に至っては、人を廃人にするアヘンをチャイナで大量に売りさばいて金儲けをして、それが摘発されたので国の軍隊で殴り込みをかけて(アヘン戦争)、チャイナの領土を強奪した。アヘン戦争は、ヤクザ組織が麻薬販売で摘発されたので、弱い警察署に殴り込みをかけたようなものだ。それも闇の犯罪組織でなく、英国政府が堂々と実行するのだから、呆れてしまう。それでも英国は紳士の国と称されているのだから、何かおかしい。

 

 アヘン戦争でチャイナが毒牙に襲われる情報を知った日本の知識層が危機感を抱き、国を思うが故、鎖国政策方針の攘夷派と開国派のあいだで激しい幕末の騒乱が巻き起こる。まず開国して欧米の技術・文化を取り入れ国力を上げてから、対応すべきであるとして大老井伊直弼公は、天皇の勅許を得ないまま、独断で開国の決意をする。それが1860年の桜田門外の変につながり、井伊直弼公は暗殺される。天皇を取り巻く人材に、世界情勢に疎く視野の狭い人間が多かったのも一因である。井伊直弼公が命を犠牲にして開国したお蔭で、今の日本の繁栄がある。その世界の時流に愚鈍であった隣国は、内政問題のあけくれ、国を亡ぼすことになる。歴史の流れは残酷である。自分の国が守れない国は、自然淘汰される。過去70年間に180以上の国が消滅している。それは会社組織も同じ。会社の30年後の存続率は0.021%である。自分の城は自分で守れ、である。

 

 今の欧州の繁栄は、世界の植民地からの血税で生まれた。現在の欧州での移民問題、テロ問題の真因は、数世紀前のご先祖が犯した罪の落とし前なのだ。だからそう簡単には解決しない。なにせ当事者の欧州人が、過去の犯罪の意識がないから。有色人種は、当時は人間とは認められていなかった。今でも欧米社会には、有色人種への見えざる壁が存在する。当時のローマ法王がそう認めている記録も存在する。当時西洋で存在する生き物は、支配階級の貴族と平民、奴隷と非人間の異教徒の有色人種である。当時は、異教徒は人間でないから、どれだけ搾取しても、殺しても神様は咎めないと教えられていた。

 

日本の文化の背景

 それと比較すると天皇家の皇居は質素である。天皇は最高の権威者であったが、富の最高君臨者ではなかった。権威はあったが、それを実行する力は持たなかった。狭い日本国土で、天皇は常に民衆と共にあったし、そうでないと世界最古の歴史を維持できなかっただろう。天皇は武力で世界の土地を強奪するために海外派兵をすることもない。日本では農奴の搾取も、植民地からのアガリもなく、歴代幕府は天皇家の貧しさに呆れることもあったという。歴代幕府は天皇家を権威として祭り上げ、幕府は実質的な政治を担当した。昭和の時代も政府が勝手に軍国主義を進めた。天皇には実質的な権力がなかった。それが日本の歴史である。天皇家はいつも民衆と共にあった。日本の天皇は、日々国民の幸せと護国豊穣をただ祈るだけが最大の仕事である。そんな王族は欧州にはない。

 

 それと対照的なフランス王朝は、贅沢を極めて、民の苦しみが理解できなかった。ハスクブルグ家から嫁いだ王女マリー・アントワネットに至っては、民衆の嘆願デモを見て「パンがないなら、ケーキを食べればよいのに」と。圧政に苦しんだ民衆は、決起して国王を断頭台に送り、王朝は絶えた。欧州の王族は民衆とは隔絶した人種であった。西洋の王族は飽食と狩りと女あさりに暮れていた。当時の貴族の絵を見ると、おしなべて醜い肥満体である。それを念頭に宮殿を見ると、その見せびらかしで、豪華に見えるが文化的、実質的にみすぼらしい背景が分かる。それに比べて京都御所はキンキラキンの豪華さはないが、品格があり厳かな造りである。

 

国の成長・文化の成長

人の成長でも、若い時は脂ぎったステーキを食べ歩き、酒池肉林をあこがれるが、成熟して知性が完成すると健康的な食生活と落ち着いた生活を目指すように、国にも同じような成長過程があり、それが文化に現れる。中世の欧州文化は日本に比べて幼いと思う。教養の高い人や国は、見えないところに金と心配りをする。それが高度な文化の証である。とかく成金は見せびらかしたくなるもの。当時の民衆の識字率は極めて低いが、日本の民衆の識字率は世界から隔絶した高い値であった。日本の幕末には70~90%の識字率であったが、英国の大工業都会でも20~25%である。それだけ文化レベルの層が厚かった。欧米から来た当時の西洋人が、この事実に驚いて記録を残している。

 

写真1 シェーンブルン宮殿(18世紀)

写真2 シェーンブルン宮殿(18世紀)

 上から下々を眺めていたら民衆の痛みは分かるまい

写真3 京都御所の清涼殿の王座(平安時代 8世紀)2012年11月10日撮影) 

シェーンブルン宮殿の豪華絢爛たる王座に憧れる成金が見れば、貧弱と見るだろう。

写真4 京都御所の御三間(2012年11月10日撮影) 

「安政6年(1859)3月、有栖川宮幟仁親王は孝明天皇から祐宮(明治天皇)の御手習師範となることの命をうけました。その後、幟仁親王が御三間にて裕宮におめにかかっている場面の再現です。」(パネル説明文)

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2017年6月 6日 (火)

「院内ふれあいコンサート」師縁、奇縁、刺縁、佛縁

師縁の恵み

2017年6月5日14時から、大垣市民病院の玄関ロビーで、「かすみの会」主催の「院内ふれあいコンサート」が開かれた。私は河村義子先生から連絡を受けて、写真撮影のため出かけた。河村先生は私のピアノの先生である。弟子として記録に残さねば、である。

 

 河村先生がこのコンサートを開催されるのは、今回が10回目である。その挨拶で、10年前の第1回目のコンサートの思い出話をされた。半年前に決まっていたこの演奏会一月前の4月、緊急手術をこの病院で手術を受けて、病み上がりの5月に初めて「院内ふれあいコンサート」でピアノを弾かれた。その時は、手術をされた先生や病院関係者への感謝の念を込めてピアノを弾いたと、少し声のトーンが変わって話された姿が印象的であった。そのお礼の意味を込めて、この10年間、毎年、患者さんたちの慰問として「院内ふれあいコンサート」を主宰されている。当初は河村先生がピアノの準備までをされて大変であったが、大垣市が電子ピアノも購入してくれて、全面的な市のバックアップも充実してきて、今の慰問コンサートが続いている。

 音楽は魂を揺さぶり、心に安らぎを与える。それが生の演奏なら患者さんたちへのよきお見舞いとなる。生演奏で、かつ近距離で音楽に接せるのでその感動も格別である

 

奇縁のからくり

 このとき驚嘆した奇縁が、2013年、私が車ではねた被害者のIさんが司会をされていたこと。2013年11月28日17:41、その時、私はお歳暮の所要で日没後に普段は通らない生活道路を走り、暗闇に溶け込んだ歩行者Iさんを見落として人身事故を起こした。私は右折しようと見通しの悪いT字路右折先に気を取られていて、前方より歩いてきたIさんをはねたのだ。

すぐ救急車を呼び、警察に連絡をして、Iさんを搬送した。そのあと、警察の現場検証をすませて、病院に駆けつけた。幸い打撲だけですみ、事後処理をきちんとしたせいか、人身事故扱いでなく民事の物損扱いにして頂いた。自車にはドライブレコーダーを装備していたので、警察に申し出たら、そんなレベルの事故ではないのでデータ不要と門前払いであった。危機管理の準備があると佛様のご加護がある。夜の道には魔物が住む。夜間の運転は控えるべきが教訓だ。

 

  Iさんは大垣市の職員の方で、この「院内ふれあいコンサート」の大垣市としての支援担当をされていた。どこでどんな縁がつながっていることやら。ご縁の不思議さを再確認した。その事故は、誠意を込めて事後処理をして無事示談が終わっていた。今は笑い話でお話ができて幸せである。まさか河村先生の演奏会の司会をされて再会するとは、である。

 

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ、日々大切に、生き活かされる人生を大切に、ご縁を大事に、正しく生きよ」である。

 

刺縁の誘い

 この場で共演者のバイオリニスト天野千恵さんに初めてお会いした。天野さんは、先年の宗次ホールで開催されたコンサート「ウィーンに六段の調」の共演者である。以前も河村先生のコンサートではお姿を見て拝聴をしていたが、直接お会いするのは初めてである。

 天野さんと名刺交換をして感動した。頂いた名刺は、過去40年間で接した中でベストファイブに入る素敵なデザインであった。定年後、私は今までの5,000枚ほどの名刺を保管・整理していた。私は名刺のデザインにはこだわりがあり、名刺占いも自分で開発し、自身の名刺作成では何回も校正や作り直し直している。しかしこれだけ素敵な名刺は初めてであった。よき名刺縁を得た。

 

 私の持論は、名刺を見ればその人の人柄が分かる、である。皆さんも、是非、天野さんの演奏会に行き、天野さんと名刺交換をして素敵な名刺を入手してください。それを参考にご自身の名刺を変えれば、幸運まちがいなし。演奏会に行き日本経済の活性化のお手伝いをすれば幸せがくる。名刺は自身の看板である。その看板が、みすぼらしければ、貧乏神しか寄り付かない。

 

佛縁の声

四つ目のご縁で、お二人が演奏をしている姿を撮影していたら、その背景に彫刻像『聴く』が目に入ってきた。まるでお二人の演奏を聴いているのを啓示しているかようであった。

 2014年12月18日、前日に取り付けた24時間心電図記録機(11月29日、宴席で倒れて循環器系精密検査)を返すため、大垣市民病院に行ったら、玄関にある彫刻に目が行った。今まで何回もその前を通っていたが、気がついたのは初めてだ。その気になるというご縁がないと、在れども観えず、聞けども聴こえず、である。神佛は絶妙の時に、そのご縁を授けている。

 彫刻像の名は『聴く』である。無心に子供が喋っているのを優しい母親が黙って聴いてあげている。背中に積もった雪が、母が背負う業を象徴しているようだ。母親はどんなに辛くても黙って子供の話を聴いてあげている。慈佛である。いわば佛像彫刻である。この彫刻を見て子安観音菩薩像を連想した。人間で最も佛に近い存在が、邪気なき無心の童である。その童も成長して小人(ことな)になり、大人になる。小人は喋りたがり遊びたいもの。大人は聞き役であり見守り役である。早く大人になって欲しいとの母親の思いが伝わってくる。

 当日は久々の積雪17センチの大雪であった。そのため安全を考えてバスで大垣市民病院に行って出会ったご縁である。雪が降らなければ、表玄関でなく、駐車場がある裏の南門から入るので、この縁には出会えない。大雪と病気がセットの佛縁でした。その前日に小久保館長さんが虚空蔵菩薩像のケースを届けに来宅されたが、大雪のため大垣に足止めになったのも佛縁でした。

 

 

図1、交通事故の瞬間

図2 六段のコンサート

図3、4 「院内ふれあいコンサート」 2017年6月5日

        ガラス越しに『聴く』が透けて見える

図5 彫刻像『聴く』 大垣市民病院玄関前 2014年12月18日撮影

図6 コンサート後の記念撮影 天野千恵さん、河村義子先生

 

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2017年6月 5日 (月)

「おしん」は、14,341円で身売りされた

 テレビドラマ「おしん」の奉公物語は、身売りの話である。飽食が溢れる現代日本でも、飢えの苦しみの時代があったのは、つい87年前の話である。昭和5年(1930年)から9年にかけて東北地方で日本史上最後の大飢饉があり、農村経済が崩壊し子女の身売りまで発生した。たった米俵一俵(14,341円、平成25年の米価)で最愛の娘が売られていった。この飢饉は世界恐慌から始まるブロック経済の進展などもにあり、満州事変に繋がり戦争に突入していく背景ともなった。そんな食の悲劇を現代日本人は忘れている。現代の肥満・成人病の蔓延は、佛様からの鉄槌なのだ。

 「おしん」の親が一家崩壊を避けるため、娘を14,341円で売らねばならなかった悲劇を、己の肥満に照らすと醜態である。現在、中国や米国等で貧富の差が拡大して社会不安が高じている。人は拝金主義に走り、富者は飽食に明け暮れ貧者は飢餓に苦しむ。人間は少しも進歩をしていない。むしろ堕落している。そのため2000年前の教えがそのまま通じる。

 

現代人が見る地獄絵

 科学技術の進歩は、守護佛の四天王をも騙す化学調味料を作り出した。その化学調味料は、六根の感官(眼・耳・鼻・舌・身・意)としての四天王を殺す。化学調味料はその四天王の舌を麻痺させ、人の関門である口を通過してしまう。悪いことに麻薬的に美味し過ぎるので、止めもなく食べ続けてしまう。心が緩んだ隙に鬼が入り込み、美味しさの虜にしてしまう。行き着く先が、高脂肪体質、高血圧、メタボ、過食症、スナック菓子シンドロームの悪魔のサイクルである。美食が豊富にありすぎる極楽に身を置き、悪魔の誘惑に負けると贅沢病・死病に苦しめられ地獄に堕ちる。極楽三昧の因果で死病に罹り、最期になって「カネはいくらでも出すから助けてくれ」と医師に泣き付くのでは天国から地獄である。豊かになった現代人が見る地獄絵である。

 

食の極楽ポイントの開発に鎬を削る

 清涼飲料水を筆頭に、ファーストフード店で販売される食料品には大量の砂糖や化学調味料が入っている。それは麻薬のように習慣化して毒として体を蝕む。食品メーカはどんどん消費して儲かるように仕向けている。食品メーカは、食べ出したら「止まらない止められない」という極楽ポイントの味の開発に余念がない。困ったことにその毒は、大層美味である。美味しいものには毒がある。

 

 日本でも食生活や生活様式の欧米化に伴い,肥満人口は増加の一途をたどり,今や推計2,300万人に達している(男性1,300万人,女性1,000万人)。特に男性の場合、どの世代でも10年前、20年前より大幅に肥満者の割合が増えている。特に40代から60代の肥満者は30%を超える。このうちの約半数は病気を持たない“健康な肥満者”である。残りの50%の1,100万人は糖尿病や高脂血症,高血圧症,膝関節症などの生活習慣病を合併しており,これが医師の治療を必要とする「肥満症」である。

 

薬は基本的に毒

 工場生産の加工食品は、塩、脂肪、砂糖が飽食の罠の鍵となる成分を含む。味覚を刺激するだけでなく、食品の魅力を上げて再購買を狙う目的で味付けが研究開発される。多くの研究開発費をかけ、脳に抵抗しがたい魅力を封じ込める味付けがされる。それが健康への悪影響などは知ったことではない。売れるかどうかだけが評価の対象である。多大な研究開発費を投じた商品は、大量生産をしないと自転車操業が回らない。低脂肪、低糖、無糖という表示にマーケティング、心理作戦に金をかけ、消費者のサイフを虎視眈々と狙う。それが別の「毒」を盛る恐れにもなる。その昔の人工甘味料には、発ガン性成分が含まれていた。病気になると大量の薬の投与となり、医療機関と薬剤関係が儲かり、ますます病気を作ることになる。

 

 薬とは、炎上(患部)場所に消防車が放水すると同じである。火元には効果があるが、火元以外にも大量に水が浸透して、火事でない部位(健康な部位)も被害を受ける。毒である薬は、健康な部位も無差別に攻撃する。抗がん剤でガンは治りました、患者は死にました、が現実である。薬投与は対処療法である。病気になった根本原因を除去しないと、別の病気が発生する。根本治療では、医療機関は儲からないので、原因は追究せず、対処療法だけの投薬にまい進する。

 

 現代病の対策のため新たな医薬品の開発が進み、その開発費の回収のため業界は過剰な医療を強いる。1970年の日本の医療費総額が10兆円で、現在は40兆円を超える。それでいて半病人は増え続けている。化学調味料という麻薬のような薬物中毒に犯されては、四天王様も不動明王様もお手上げである。

 

人生の極ウマモノ

 人生での極ウマモノとは、高級料亭接待、賄賂、特別扱い、下半身接待と過保護教育である。美味しすぎて、一度嵌ると抜け出せない。人生の蟻地獄である。おいしい物にはワケがある。

 過保護教育とは、人生のご馳走を子供に食べさせて満腹状態にすること。そうなれば、あとは堕落しかない。親は子のためにと思って金を使うが、それは地獄への特急切符である。

 

 2014年12月5日、韓国のナッツリターン事件が起きた。大韓航空前副社長の趙顕娥被告も同じ極ウマのものばかりを親から食べさせられてきた。本人には自覚がない故に、会社と国の名誉を辱める結果となった。財閥のオーナーに徳が無く、お金が使い切れないほど多量にあると、お金の腐臭が世の中に撒き散らされる。過保護に育てられた金持ちの子供たちや芸能人の子息は、どの国にも繁殖している。最後に地獄を見るのは過保護に育てた親なのだ。

 

 子供を愚かにする一番の方法は。多大なお金を与え、見た目は溺愛のごとく贅沢をさせても、愛情を注がないこと。そうすれば、頭が切れて知識だけは豊富だが、人間としての欠陥がある情緒不安定の人間に育つ。政治家でいえばスターリン、レーニン、鳩山由紀夫、小沢一郎がその例である。スターリンは2,300万人を虐殺した。

人間の魂は地道な育成方法でしか完成しない。愛情こめて育てることしかない。贅沢で過保護、愛情なしで育てられた人間は欠陥人間である。「人間」とは人と人との間で、相手を慮ることができる人。

 

下図1、2 隣家の火事跡(2005年10月30日 火事の翌日)

下図3、4 私の家の被害(2005年10月30日 火事の翌日)

私の家への延焼を止めるため、消防署が放水してくれたので、延焼は防げたが、高圧放水で、家の中がグチャグチャになった。延焼がなく、大垣消防署さんに感謝です。同じようなことが、薬という毒を飲むと、自身の健康な細胞に同様な被害が及ぶ。

 

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2017年6月 4日 (日)

賽の河原のピアノ弾き(改定)

 『失敗したところでやめてしまうから失敗になる。

  成功するところまで続ければ、それは成功になる(松下幸之助翁)』。

 諦めるから、失敗になる。三日坊主を殺すのは自分の内なる劣等感という鬼である。邪気を振り払い、ひたすら目標に向かって、壊されても崩されて賽の河原の石を積み上げ続ける。そうすれば内なる地蔵菩薩が助けの手を差し伸べる。自分を救うのは自分である。

 賽の河原の石を積み上げ続けられるのは、純真な心を持ち続けた童だけである。中途半端に大人になり、純真さが薄れ、雑草が心に芽生えると、石を積み上げる気力も失せる。人から見て「馬鹿じゃなかろうか」としか思われないことをしなくなる。それは成長ではなく退化である。バカではないかと思われることを平然とやり続けられる人間になりたいもの。

 

 ピアノには誰しも憧れるが、習得は難しい楽器である。必死に練習をして、やっと弾けるようになったバイエルの練習曲でも、翌日になると指が絡んで上手く引けないことが多々あり、自分の才能の無さに忸怩たる思いをさせられる。ピアノを習熟するには毎日8時間の練習を10年間すればよいというが、それだけの情熱をほかの面に向ければどんな道でも成功者になれる。プロ相当の腕になるには、死屍累々たる賽の河原の石積の試練を乗り越える継続の情熱が必要である。才能よりも弾きたいという情熱をいかに継続させるかである。それに打ち勝った人だけが、三日坊主の鬼の手から逃れられる。

 

 写真1はベーゼンドルファーModel 250(92鍵)で、ウィーンのオペラ座で100年間弾かれ続けた歴史を背負う。このピアノを弾ける舞台に辿りつく前に、賽の河原に消えたピアノ弾きはどれだけいることか、想像すると哀しい。

 

 100年間も現役で活躍したピアノが、全ての弦を張り直し、全面修復されてベーゼンドルファー東京ショールームに展示された。その調律には調律師井上雅士さんとピアニスト伊藤理恵さんの協業があった。ウィーンの乾いた空気の中に響き渡るような音作りを目指して調律が進められた。共にウィナートーンに精通していているお二人である。井上雅士さんは22年間もウィーンに滞在し、並みのウィーンっ子よりもウィナートーンが体に染み込んでいる。井上さんは、多くのウィーンっ子の友人達と切磋琢磨しながらウィナートーンの音作りに励んできた。井上さんは、当時住んでいたアパートに、ウィーンの乾いた空気を突き抜けて届く教会の鐘の音を今でも懐かしく思い出すという。

 2016年3月13日、ピアニスト岩崎洵奈さんの演奏で、このModel 250と現フラグシップModel 290 Imperialとの弾き比べのミニコンサートが開催された。私は招待されて東京に出かけた。

 

 人生で情熱を傾けられる道を見つけて、人からは「馬っ鹿じゃなかろうか」と呆れれても、そんなことは意に介さず、我が道を歩き続けられる人は素晴らしい。そういう人は、迷わず胸張って浄土へ向って歩き続ける。思いを心に刻んだ三日坊主が生きながらえると、三途の河で地蔵菩薩に逢える。

 

下図1はModel 250を弾くピアニスト岩崎洵奈さん

下図2はピアニスト伊藤理恵さん

下図3はピアニスト岩崎洵奈さんと調律師井上雅士さん

(図2,3はベーゼンドルファーHPより)

下図4はウィーン市中央部に位置するカルス教会(1737年建設)

 

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