賽の河原のピアノ弾き(改定)
『失敗したところでやめてしまうから失敗になる。
成功するところまで続ければ、それは成功になる(松下幸之助翁)』。
諦めるから、失敗になる。三日坊主を殺すのは自分の内なる劣等感という鬼である。邪気を振り払い、ひたすら目標に向かって、壊されても崩されて賽の河原の石を積み上げ続ける。そうすれば内なる地蔵菩薩が助けの手を差し伸べる。自分を救うのは自分である。
賽の河原の石を積み上げ続けられるのは、純真な心を持ち続けた童だけである。中途半端に大人になり、純真さが薄れ、雑草が心に芽生えると、石を積み上げる気力も失せる。人から見て「馬鹿じゃなかろうか」としか思われないことをしなくなる。それは成長ではなく退化である。バカではないかと思われることを平然とやり続けられる人間になりたいもの。
ピアノには誰しも憧れるが、習得は難しい楽器である。必死に練習をして、やっと弾けるようになったバイエルの練習曲でも、翌日になると指が絡んで上手く引けないことが多々あり、自分の才能の無さに忸怩たる思いをさせられる。ピアノを習熟するには毎日8時間の練習を10年間すればよいというが、それだけの情熱をほかの面に向ければどんな道でも成功者になれる。プロ相当の腕になるには、死屍累々たる賽の河原の石積の試練を乗り越える継続の情熱が必要である。才能よりも弾きたいという情熱をいかに継続させるかである。それに打ち勝った人だけが、三日坊主の鬼の手から逃れられる。
写真1はベーゼンドルファーModel 250(92鍵)で、ウィーンのオペラ座で100年間弾かれ続けた歴史を背負う。このピアノを弾ける舞台に辿りつく前に、賽の河原に消えたピアノ弾きはどれだけいることか、想像すると哀しい。
100年間も現役で活躍したピアノが、全ての弦を張り直し、全面修復されてベーゼンドルファー東京ショールームに展示された。その調律には調律師井上雅士さんとピアニスト伊藤理恵さんの協業があった。ウィーンの乾いた空気の中に響き渡るような音作りを目指して調律が進められた。共にウィナートーンに精通していているお二人である。井上雅士さんは22年間もウィーンに滞在し、並みのウィーンっ子よりもウィナートーンが体に染み込んでいる。井上さんは、多くのウィーンっ子の友人達と切磋琢磨しながらウィナートーンの音作りに励んできた。井上さんは、当時住んでいたアパートに、ウィーンの乾いた空気を突き抜けて届く教会の鐘の音を今でも懐かしく思い出すという。
2016年3月13日、ピアニスト岩崎洵奈さんの演奏で、このModel 250と現フラグシップModel 290 Imperialとの弾き比べのミニコンサートが開催された。私は招待されて東京に出かけた。
人生で情熱を傾けられる道を見つけて、人からは「馬っ鹿じゃなかろうか」と呆れれても、そんなことは意に介さず、我が道を歩き続けられる人は素晴らしい。そういう人は、迷わず胸張って浄土へ向って歩き続ける。思いを心に刻んだ三日坊主が生きながらえると、三途の河で地蔵菩薩に逢える。
下図1はModel 250を弾くピアニスト岩崎洵奈さん
下図2はピアニスト伊藤理恵さん
下図3はピアニスト岩崎洵奈さんと調律師井上雅士さん
(図2,3はベーゼンドルファーHPより)
下図4はウィーン市中央部に位置するカルス教会(1737年建設)
久志能幾研究所 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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