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2017年6月 6日 (火)

「院内ふれあいコンサート」師縁、奇縁、刺縁、佛縁

師縁の恵み

2017年6月5日14時から、大垣市民病院の玄関ロビーで、「かすみの会」主催の「院内ふれあいコンサート」が開かれた。私は河村義子先生から連絡を受けて、写真撮影のため出かけた。河村先生は私のピアノの先生である。弟子として記録に残さねば、である。

 

 河村先生がこのコンサートを開催されるのは、今回が10回目である。その挨拶で、10年前の第1回目のコンサートの思い出話をされた。半年前に決まっていたこの演奏会一月前の4月、緊急手術をこの病院で手術を受けて、病み上がりの5月に初めて「院内ふれあいコンサート」でピアノを弾かれた。その時は、手術をされた先生や病院関係者への感謝の念を込めてピアノを弾いたと、少し声のトーンが変わって話された姿が印象的であった。そのお礼の意味を込めて、この10年間、毎年、患者さんたちの慰問として「院内ふれあいコンサート」を主宰されている。当初は河村先生がピアノの準備までをされて大変であったが、大垣市が電子ピアノも購入してくれて、全面的な市のバックアップも充実してきて、今の慰問コンサートが続いている。

 音楽は魂を揺さぶり、心に安らぎを与える。それが生の演奏なら患者さんたちへのよきお見舞いとなる。生演奏で、かつ近距離で音楽に接せるのでその感動も格別である

 

奇縁のからくり

 このとき驚嘆した奇縁が、2013年、私が車ではねた被害者のIさんが司会をされていたこと。2013年11月28日17:41、その時、私はお歳暮の所要で日没後に普段は通らない生活道路を走り、暗闇に溶け込んだ歩行者Iさんを見落として人身事故を起こした。私は右折しようと見通しの悪いT字路右折先に気を取られていて、前方より歩いてきたIさんをはねたのだ。

すぐ救急車を呼び、警察に連絡をして、Iさんを搬送した。そのあと、警察の現場検証をすませて、病院に駆けつけた。幸い打撲だけですみ、事後処理をきちんとしたせいか、人身事故扱いでなく民事の物損扱いにして頂いた。自車にはドライブレコーダーを装備していたので、警察に申し出たら、そんなレベルの事故ではないのでデータ不要と門前払いであった。危機管理の準備があると佛様のご加護がある。夜の道には魔物が住む。夜間の運転は控えるべきが教訓だ。

 

  Iさんは大垣市の職員の方で、この「院内ふれあいコンサート」の大垣市としての支援担当をされていた。どこでどんな縁がつながっていることやら。ご縁の不思議さを再確認した。その事故は、誠意を込めて事後処理をして無事示談が終わっていた。今は笑い話でお話ができて幸せである。まさか河村先生の演奏会の司会をされて再会するとは、である。

 

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ、日々大切に、生き活かされる人生を大切に、ご縁を大事に、正しく生きよ」である。

 

刺縁の誘い

 この場で共演者のバイオリニスト天野千恵さんに初めてお会いした。天野さんは、先年の宗次ホールで開催されたコンサート「ウィーンに六段の調」の共演者である。以前も河村先生のコンサートではお姿を見て拝聴をしていたが、直接お会いするのは初めてである。

 天野さんと名刺交換をして感動した。頂いた名刺は、過去40年間で接した中でベストファイブに入る素敵なデザインであった。定年後、私は今までの5,000枚ほどの名刺を保管・整理していた。私は名刺のデザインにはこだわりがあり、名刺占いも自分で開発し、自身の名刺作成では何回も校正や作り直し直している。しかしこれだけ素敵な名刺は初めてであった。よき名刺縁を得た。

 

 私の持論は、名刺を見ればその人の人柄が分かる、である。皆さんも、是非、天野さんの演奏会に行き、天野さんと名刺交換をして素敵な名刺を入手してください。それを参考にご自身の名刺を変えれば、幸運まちがいなし。演奏会に行き日本経済の活性化のお手伝いをすれば幸せがくる。名刺は自身の看板である。その看板が、みすぼらしければ、貧乏神しか寄り付かない。

 

佛縁の声

四つ目のご縁で、お二人が演奏をしている姿を撮影していたら、その背景に彫刻像『聴く』が目に入ってきた。まるでお二人の演奏を聴いているのを啓示しているかようであった。

 2014年12月18日、前日に取り付けた24時間心電図記録機(11月29日、宴席で倒れて循環器系精密検査)を返すため、大垣市民病院に行ったら、玄関にある彫刻に目が行った。今まで何回もその前を通っていたが、気がついたのは初めてだ。その気になるというご縁がないと、在れども観えず、聞けども聴こえず、である。神佛は絶妙の時に、そのご縁を授けている。

 彫刻像の名は『聴く』である。無心に子供が喋っているのを優しい母親が黙って聴いてあげている。背中に積もった雪が、母が背負う業を象徴しているようだ。母親はどんなに辛くても黙って子供の話を聴いてあげている。慈佛である。いわば佛像彫刻である。この彫刻を見て子安観音菩薩像を連想した。人間で最も佛に近い存在が、邪気なき無心の童である。その童も成長して小人(ことな)になり、大人になる。小人は喋りたがり遊びたいもの。大人は聞き役であり見守り役である。早く大人になって欲しいとの母親の思いが伝わってくる。

 当日は久々の積雪17センチの大雪であった。そのため安全を考えてバスで大垣市民病院に行って出会ったご縁である。雪が降らなければ、表玄関でなく、駐車場がある裏の南門から入るので、この縁には出会えない。大雪と病気がセットの佛縁でした。その前日に小久保館長さんが虚空蔵菩薩像のケースを届けに来宅されたが、大雪のため大垣に足止めになったのも佛縁でした。

 

 

図1、交通事故の瞬間

図2 六段のコンサート

図3、4 「院内ふれあいコンサート」 2017年6月5日

        ガラス越しに『聴く』が透けて見える

図5 彫刻像『聴く』 大垣市民病院玄関前 2014年12月18日撮影

図6 コンサート後の記念撮影 天野千恵さん、河村義子先生

 

久志能幾研究所  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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