仕事とは何か 創造とは何か
遊びと仕事の違いで、一番大きな差は、その付加価値である。佛像に付加価値を生み出すために佛師は命をかける。それに対して、遊びは、仕事の疲れを取る役目でしかない。その付加価値でも、今までにないものを創り出すのは、命をかけた真剣勝負と同じである。
仕事はやればやるほど、面白くなってくる。それに対して、遊べば遊ぶほど、虚しさが沸き起こってくる。付加価値は生み出せないからだ。付加価値とは世の中への貢献である。誰かが喜んでくれる。いくら将棋や映画が好きでも、遊びでやると1週間でそればかりやれば嫌になる。将棋が仕事である場合は別である。
創という文字の偏である「倉」には、傷という意味がある。つくりの「リ」(りっとう)は、文字通り刀のことである。つまり「創」という字は、刀傷を表している。刀傷というのは、戦闘状態のときに敵方に切られてできる。刀傷だから、深く切られれば死ぬことになるが、浅く切られた傷ならば、時代劇の一場面のように、焼酎を吹き掛け、晒をまいて「死んでたまるか!」と気合を入れれば傷跡に肉が噴き、直っていく。そしてその新しい肉と皮膚は、以前に増して強固なものになってくる。これこそが人間の生命力であり、創造の「創」につながる。
平穏無事なことからは、創造は生れない。ビジネスで言えば、傷を受けるとは失敗することを意味する。おおむね人は失敗を恐れて刀を避けようとする。うまく避けられることもあろうが、大抵の場合は刀を避けようとして妙なところに傷を受けるものである。正面から対峙せず、逃げてしまったために脇腹を突かれたりもする。また自分が避けたがために、他の人間が傷を受けることにもなる。
真正面から切られる勇気を持つことである。傷を恐れてはならない。傷を負ったとしても、それは必ず再生できる。そして再生されたものは、今までよりもきっと強固なものになる。「創造」とはゼロからのスタートとは限らない。今あるものを進化させ、今あるものを組み合わせて新しいものを作ること、新たらしいものに生れ変わらせることが創造である。
ウォークマンもiPod も何ら新しい技術はない。それでも従来の技術を組み合わせて、携帯音楽という分野を創造した。
傷つかなければ進歩もない No pain, no gain.
現状維持に創造はない。現状維持は後退と同じ意味。
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