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2017年6月17日 (土)

貴方の信用金庫が破産?

 あなたの信用は破産寸前になっている? 「信用という名の貯金」を貯めないと、人生の財産が貯まらない。お金を貯めた結果は積分値で、信用金庫の出入り微分値である。信礼ありて交友あり

 

信用という名の貯財

 あなたは凸凹財閥「凸凹信用金庫株式会社」の頭取である。この世で一番価値のある財産は「信用」で、これが貯まらなければ、財もたまらないし、自分の夢も実現できない。自分の志は、一人だけでは達成できない。その達成のための通行手形が「信用手形」である。

 人が死を目前にした状況に置かれたとき、納得できた人生であったとその価値を決めるのは、その時の交際の厚さである。多くの人が近づいてきて、離れていく。一体何人の人が残るのか。それは己の生きざまそのものである。多くの恵みを多くの人に与えて、何人の人が残るかどうかだ。その数少ない人が人生の宝物である。その蓄財を決めるのが「信用」である。

 

 カナダの実業家キングスレイ・ウォード氏は『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(城山三郎訳 新潮社刊1987年)の中で、「ビジネス」を次のように定義した。

 

 ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。

  Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken, damn hard to put back together again to its original form.

      “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

 

 この「ビジネス」という言葉は、「人間関係」すなわち「信用」の意と同じである。人との付き合いは大きな財産である、その価値を高めるためには、信用が最優先だ。そのためには、小さな約束を確実に果たすことだ。なにせ、大きな約束は嫌でも守らざるを得ない。大金の貸し借りに事故は少ないが、 100円とか1000円の金の貸し借りでは、とかくルーズになりやすい。この小さなお金が、その人の信用を傷つける。この100円の借金は10万円より大きいとの認識が、人生の信用という財産の毀損を防ぐ。自販機のコーヒのため100円を借りるくらいなら、返し忘れを考慮して我慢すべき。それより、奢ってもらったほうが、よほどスッキリする。ただし奢って貰ったことを忘れないように。小さいことの約束の実行の可否が、大きな約束を果たす練習となる。

 

  お金に関係ない小さな口約束を果たすことが、信用という貯金を増やし、その金利を上げる。小さい約束を確実に果たすことは、その人の事務処理能力が高いことも示し、信用度の指標として高い相関関係にある。一事が万事である。だから、この小さな口約束をどれだけ実行してくれるかも、私が人を評価する基準の一つである。

 「こんど一緒に飯を食おう」等の軽い口約束を守る人は、実に少ない。特に酒の席での約束を守る人は、ほとんどいない。だから、外交辞令まがいの挨拶を乱発し、口だけ調子のいい人とのお付き合いは、避けるに限る。この心にもない外交辞令は、「信用金庫」の不渡手形である。不渡りを出しては、「信用不安」である。その反面、他人に厳しくする以上は、それ相応に自分自身の言動に厳格さが求められる。これが人生における浪費防止になる。

 

 最近よく経験し、不愉快になることの一つが、飲む約束とか、面会の約束を取り交わしてから、都合で一方的にその約束を破棄しながら、その後の巻き返しをしない人が多いことである。人さまのスケジールを壊したのだから、道義上でそれを修復する責任がある。その責任を果たさないのは無責任だ。人とのご縁は特に大事にしなくてはならない。この行為はそれを台無しにする。それは、相手からそんな程度にしかにしか認識されていない証だ。それなら、その人とのお付き合いを見直すべきである。将来そんな人から受けであろう有形無形の損害に対して、得るべきものも少ないと予知される。付き合うべき価値ある人財の蓄積と選別こそが、人生の蓄財につながる。

 

約束時間

 「信用金庫」の格付けを高めるためには、他人との約束時間、特に待ち合わせ時間を守るのが必須である。人さまの時間を尊重しない人間に、信用が付くはずがない。

 曰く「遅刻は最大の拒否表現」。 私はこの言葉をキーワードにしている。人の「信用金庫」の評価に、この待ち合わせ時間の正確さで判断しても、そんなに大きな間違いはない。その人の持つ人格、人生思想、自分への評価(自分がどの程度大事に思われているか)等、なかなかに相関係数の高い指標である。あと42年しか生きれない?残り少ない人生で、付き合う人の選別は人生の密度を高くする。自身の「信用金庫」の格付けが上がる。

 

いつか、、、、は破産への道

 「いつか・・・行こう」,「今度・・・をしよう」や「そのうち・・」等の期日なき約束は、約束ではない。それは永遠に叶うことのない幻の約束である。自他に対する約束では、期日を明確にすべきである。この約束の恐ろしさは、「いつか・・・しよう」とある人に約束したことを、本人はコロット忘れてしまい、約束された相手がその日を楽しみに、何時までも覚えていることだ。だから、「いつか」には「信用金庫」を破産に導く魔性を秘めている。自他に対する約束は意思を持って、その時にその行動予定日をスケジュールに書き込むべし。期日のない約束は、本当の約束ではない。

 

破産通告

 「信用金庫」の格付けは、日々更新されている。その格付けを下げるは簡単で、上げるのは並大抵のことではない。その最悪の格付けである「破産通知」は、「不渡手形」が数回続いた場合に、目に見えない形で発行される。その「信用金庫」再建には、信用を築く以上の桁違いの労力と時間が必要となる。それ以前の問題として、通常はその決定が当人には通知されない。なにせ、そんな人に知らせても仕方がない。そこに破産の恐ろしさがある。

 

汚職

 汚職は「信用金庫」の最大の敵である。その行為は、人生の破産を約束する。若き学生時代には将来を約束された超秀才が、汚職で社会的に抹殺される事件が古今東西、後を絶たない。学業や仕事の有能さと、蓄財能力は比例しない。汚職で蓄財するのは、蓄財能力とは言わない。これは畜生にも劣る行為で、「畜財能力」と表現すべきである。だからこそ、お金を貯めて、汚職の誘いにも平然としていられる人格・財格が求められる。小さな損得で、意地汚い人を回りによく見かける。これも、自分がお金に余裕があれば、平然と見下して対応できるもの。金の要る政界で、かの故池田首相に悪い噂が無かったのは、彼の実家が造り酒屋で金に困らない程の資産家であったためである。これは池田家の父親の人徳である。

 汚職で自己の誇りある仕事を汚さないためにも、子供のためにも、お金持ちになるべきだ。また子孫への責任としてもそうあるべきである。それは仕事の一部です。そうなれば、どんな状況でも、会社に対して平然として、仕事に励めるのも業務へのアクセルとなり、誘惑に対してさえも、平然としていられる。また惜しげもなく、自分に対しても自己投資が出来るもの。それも、会社に負い目も無くせる。汚職で一番困ることは、神仏は知っていることだ。その事を悟らない当事者の愚かさである。

 

自己破産

 最近日本でも、クレジットカードやサラ金等での利用のしすぎでの自己破産が増えている。欧米では、この自己破産申請を日本とは比べ物にならないくらい簡単にする。なにせ物を買っておいて、物を買いすぎていたことが分かっても、「売ったやつが悪い」との論理が罷り通る。破産した方は、何の罪の意識を感じないまま、「自己破産」に逃げ込むという。なにせ、散々使いまくっても、自己破産で全てチャラになる。自己破産しても、選挙権や銀行ローン等は一定期間出来なくなるが、一般的な社会生活は人並みに送れる。また刑事処罰があるわけではない。

 そんな論理感を持つ国民の運営する国家が、左前になるのは故あること。米国を筆頭とする諸外国には、細心の注意を払って付き合うべきだ。

 

  アメリカは、毎年150万人が自己破産する自己破産大国である。これは米国勤労者の約2%に相当し、50 人に一人が自己破産している計算となる。もともと、「クレジット credit」は cred = to believe( 信ずる) から語源が発生していて、「信頼・信用」が原意である。それを悪用して、自己破産する人間が横行する時代が来るとは、クレジットを発明したユダヤ人も想定外であった。

 クレジットは人間不信のシステムである。昔の日本には、「顔」、「ツケ」という、先進的な制度があった。この制度の素晴らしいことは、財布がなくても、顔さえ体に付いていれば、お店での支払いが不要である。これこそ、信用をベースに置いた近代的制度である。この先進的システムが、「後進的な」クレジットカードシステムに負けるとは、情けない「信用金庫破産時代」になった。

 

信用金庫友の会からのお誘い

 毎日曜日の早朝に会合している某「信用金庫友の会」から入会のお誘いがあった。その会は道徳の普及を目指し、信用、挨拶、礼儀を目標に掲げている。私は、これはと思って、清水の舞台から飛び降りるつもりで始めた66歳からの出版事業の挨拶状、HP、ブログ開設の挨拶状を数十人の会員の皆さんに直接手渡しで配った。そのうち、たった3人だけがメールで返信をくれた。その会の偉いさんには、普通の10倍の値段の上質紙に、カラー印刷した挨拶状、予定のブログ記事を面会して直接進呈した。その一週間後、たった数枚のブログ記事を、忙しいからまだ見ていないという。米国のマネージャーが一書類を見る時間は30秒である。その30秒がとれない幹部の姿を垣間見て、その人の人柄と、自分がどう見られているか、幹部と会員の人格と名目から乖離した会の実態が見えた。この会のうたい文句は何だったんだろかと考えると、人間ウォッチングは実に面白い。

 

図1は、自宅をリフォームして発覚した柱の惨状。白ありに食われた跡が生々しい。信用不安は、知らないところで、己の信用という大黒柱をボロボロにしている。表面からは見えず、地震等の事件が起きた時発覚する。その時は手遅れである。

 

久志能幾研究所  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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