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2017年6月

2017年6月22日 (木)

「恒久平和の碑」が語る歴史

 碑とは、ある意味でお墓と同じである。碑とは、ある事象を祈念して後世のために残す人々の想いの顕われである。

 1991年、大垣公園内に、建立されたこの「恒久平和の碑」は、シベリア抑留から生還したダモイ会の皆さんが二度とこういうことが起きないように恒久平和を祈って建てられた碑である。その碑の陰には、6万人とも10万人とも言われるシベリアの土に帰した邦人がいる。この碑はロシアという死鬼衆により殺された日本人の魂を鎮魂するためでもある。

 

 1991年8月、この碑の石は四国より運ばれて建立された。この碑の建立式で今川順夫氏(株式会社丸順創業者)の挨拶を聞いて、当時の大垣市長小倉満氏が涙ぐんだという。私が2010年秋に大垣に帰郷して、2014年までの毎朝、この碑の前を散歩のため通るが、父の名が刻まれていることを知ることはなかった。「魂(オニ)」が納仏された日に、今川順夫氏のシベリア抑留講演会の案内の回覧を見たご縁で、恒久平和祈念の碑の裏に父の名を発見できた。それ以降、毎日ここで日本の平和とシベリアで斃れた方の冥福を祈念している。そして日本の未来を背負う子供達のために、自分は何が出来るかを考え続けている。

 

 父が生きて帰還できたが故、今の自分の命がある。なぜ人は死鬼衆になるのか。なぜ共産主義は人の命を粗末にするのか。なぜアーリア人は民族皆殺しの死鬼業を平気で犯すのか。自分は恒久平和のために何が出来るのか。口先だけで平和を叫んで滅んだ国が、過去70年間だけでも180カ国にも上る。我々は後世に何を伝えるべきか。何をなすべきか。この碑を見るたびに考えている。

 

最期の一撃(21)後日譚-2 中共のウィグル、モンゴル、満州への侵略 2015年7月14日

 (中部大学 武田邦彦氏のHPを参照)   http://takedanet.com/

 

 自分が今回(2015年)のお墓つくりを経験して、今川順夫氏の気持ちが少し分かった気がする。この碑の建立に多大な貢献された今川順夫氏に感謝している。今川氏とご縁ができたゆえに、1991年に恒久平和祈念の碑の建立式に立つ父の姿を写真で初めて見ることができた。これは沸様のお導きと思う。

 

ご縁の連鎖

 上記文章を6月22日、校正していて、小倉満元大垣市長の逝去日が、桜田門外の変(安政7年3月3日(1860年))の128年後の同じ日に、小川満氏が亡くなられていることに気が付いて愕然とした。私がお墓を改建するご縁となったのは、2015年3月3日に両親の法事をしたことに起因する。祖母のご先祖が、桜田門外の変の時、その行列に同行して(武士ではない)、この事件に遭遇したという。

 30年前の1987年にビーバー・オットー博士が大垣に来られた時、歓迎パーティで挨拶をされたのも小倉満大垣市長(当時)で、大垣市音楽堂にベーゼンドルファー導入に尽力をされたのも小倉満氏である。そのご縁で、2017年4月に私はウィーンでビーバー・オットー博士にお会いした。そのご縁でこの3日前の6月19日、河村義子先生主催のピアノ勉強会の使用ピアノが、ベーゼンドルファーであった。そのご縁で、6月21日のブログ「ピアノが奏でる人生(改定)」に、河村先生がベーゼンドルファーを弾く写真を掲載する顛末となった。(以上2017年6月22日記述)

 

 2015年3月3日、父の13回忌と母の23回忌の法要を済ませた翌日に『致知』4月号が届き、伊與田覺先生の「百歳の論語」セミナーの案内が目に入った。何かピンと来るものがあり、3月5日に申し込みをした。その後、何気なく伊與田覺先生の経歴を見ていたら、大正5年生まれとある。父の生誕年と同じで、健在なら父も100歳である。伊與田覺先生の論語の講義は以前から気になっていて、何時かは聞きたいと思っていた。伊與田先生が父と同年の生誕とは気がつかなかった。昨年納佛された守佛と飛天、法事の直前に納佛されたご本尊様のご縁のようだ。導かれたようなご縁の連鎖に不思議さを感じた日であった。後日、両親の法要の日が「桜田門外の変」の節句の日、3月3日と同じと松居石材商店の松居店主に言われて愕然とした。無意識で偶然に決まった日柄であるが、佛様に導かれたようだ。

 2015年4月22日から、月に一回の全5回コースで、伊與田覺先生の論語講座が品川プリンスホテルの会場で始まった。6月2日の第三回伊與田塾で3時間の講話が終った後、16時から伊與田先生の百歳の誕生祝賀会が同ホテルの12階で執り行われた。その後、先生は5分間ほどの謝辞を述べられた。背筋をピンと伸ばし、話された。真向法をされているようでお元気そのものである。その時、先生と名刺交換をしてツーショットを撮らせていただいた。大正5年生まれの父が生きていれば、こんな写真が撮れたのにと残念に思うことしきりである。父の代わりに長生きをせねばと心に誓った。(以上2015年6月記述)

 

図1 大垣公園内に平成3年8月建立(1991年)

図2 除幕式で挨拶をされる今川順夫氏

図3 「恒久平和の碑」除幕式

図4 「恒久平和の碑」除幕式記念撮影

   2列目左端白い半袖カッター姿が父、中央が小倉満大垣市長、その左隣が今川順夫氏

図5 恒久平和の碑」裏面のダモイ会名簿 父の名が刻まれている

図6 伊與田覺先生誕生祝賀会で挨拶  2015年6月2日

 

久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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戊辰の役顕彰碑と祖母の悲哀に合掌す

 戊辰の役(1868年、慶応4年/明治元年の干支が戊辰)の120年後の1988年、大垣東ライオンズクラブが大垣市長の小倉満氏(1932年- 2001年3月3日)を団長として大垣市議長を同行し、奥羽訪問親善使節団として福島県白河市を訪問した。現地の東明寺には、会津藩で戊辰の役で戦死した大垣藩藩士が葬られていた。この墓地は「会津戊辰戦役西軍墳墓史跡保存会」の手により管理が行われていた。地元は例年10月23日に西軍墓前祭をしめやかに行い、かって敵軍であった西軍の戦死者にも手厚い法要を行っていた。

 小倉満市長は、大垣藩士が手厚く祀られていることに感銘を受け、これを顕彰する碑を東ライオンズクラブと共同で大垣城内に建立した。時に明治維新120年後の1988年(昭和63年)秋である。まだまだ明治維新前後の歴史は生々しい。井伊直弼公が切って落とした幕末動乱への幕開けは、大垣市内にも痕跡を残している。

 

 碑文には「明治維新に当り大垣藩主戸田氏共公は家老小原鉄心の意を採り戊辰の役にその進路を誤らしめなかった。本年戊辰の年を期に大垣城跡に記念碑を建立しその偉業を顕彰する」とある。

 

大垣藩の戦い

 幕末の幕府側と倒幕側との戦いでは、大垣藩は当初、幕府方として最前線で戦って来たっていたため、倒幕側に方針展開しても大垣藩は東北攻めには最前線に駆り出されて、多くの死者を出すことになる。それでも勇敢な大垣藩は宇都宮攻防戦などで戦功を上げた。一方で50余名に及ぶ戦死者を出した。大垣城内には戊辰の役を顕彰する石碑が建てられているが、藩の保全のために犠牲になった藩兵を弔うためである。倒れられたのは20代の若者が多いのは痛ましい。何時の世も犠牲になるのは有為な若者である。本来の敵である外国勢との戦いで倒れるならともかく、身内内での戦いで死ぬとは残酷である。すべてトップの判断ミスである。

 大垣藩は幕末の騒乱の時、早い時期に倒幕派に転向したので、まだ救いがある。しかし、最後まで幕府側につき、戦わされた会津藩の若者が哀れである。日本が近代国家を建設するためには必要であった犠牲であったようだ。今の我々の繁栄は、尊い若者の犠牲の上に立っている。私は毎朝、散歩の途中でここに寄り、日本国建国のために血を流された方に手を合わせている。

 

顕彰碑に込めた想い

 この碑の稀有なことは、文字が凸で表現されていること。普通の碑文や墓石は凹の状態で彫られている。亡くなった人の墓石や史歴としてもう変わらない事実は凹で彫るのが常である。ところが凸で書かれていることは、まだ今もその藩士の威徳が生き続けていることを現している。碑には、碑の建立者の意向が明白に表われている。大垣市長職は激務で、3代続いて大垣市長は現役で倒れられている。小倉満市長も仕事中に倒れられた。

 

 大垣藩の戦死者は東明寺の西軍墓地に「大垣戦死二十人墓 明治元年十月」と白河口の戦いがあった白河市松並には「長州大垣藩戦死六名墓」が祭られている。日本の夜明けのため命を捧げた若者たちである。その陰に息子の死を嘆く母がいる。乳飲み子を抱えた母がいる。

 

祖母の悲哀

 終戦後の昭和21年、生きて帰ってくると待っていた四男、五男の、戦死通知書でその戦死を知らされた祖母の悲哀を想う。赤紙一枚で招集され、たった一通の戦死通知が来ただけで、遺骨の何も帰ってこない。残酷である。祖母は5人の男子を育てたが、そのうち2名が戦死である。五男はインパール作戦のビルマで、四男がシベリア抑留で亡くなった。三男の父は、地獄のシベリア抑留から生きて帰還できたので、今の私の生がある。四男は我が子の顔も見ずにシベリアの凍土に消え、子は父の顔も知らずに、女手一つで育てられた。両親に育てられた自分の幸せを思う。私は定年退職後、大垣の実家に戻り、父の遺品を整理していて、このお二人の死亡通知書を発見した。この発見が2015年の小田家墓の改建につながるご縁となった。合掌。

 

大垣戦死二十人墓 (東明寺)

 川崎松次良  藤原邦義  22歳

 木村重米   藤原知重  22歳

 渡部順蔵   源 重孝  32歳

 武藤菱之助  藤原重勝  25歳

 米山休左エ門 藤原兼賢  24歳

 長谷川直吉  藤原辰忠  26歳

 加納傳四良  藤原兼住  26歳

 森甚太良   源 政則  23歳

 杉山庄五郎        28歳

 増田九助         42歳

 吉田彦三良  藤原信可

 九鬼国之助  藤原重隆  17歳

 太田七十良  藤原胤重  40歳

 奥富元三良   

 土屋柳冶良  源 秀敷

 河井富助   藤原長栄

 北村吉五良  藤原義方

 藤田辰二郎  藤原辰広

 藤田彦三良  藤原基教

 多賀重助   藤原美則

 

長州大垣藩戦死六名墓 (白河市松並に)

 鳥居勘右衛門

 川井徳太郎

 松井於莵蔵

 

 

図1 戊辰の役顕彰の碑碑文 書は小倉満大垣市長  粘板岩

図2 戊辰の役顕彰の碑(裏面)

図3 大垣戦死二十人墓  『大垣ゆかりの南奥羽』大垣市刊より

図4 長州大垣藩戦死六名墓 『大垣ゆかりの南奥羽』大垣市刊より

図5 県の表彰状

図6 五男の戦死通知 

 

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2017年6月21日 (水)

占いで過去を変える(信用金庫4)

 宗教と同じように、占いに凝ればお金は貯まらない。神さまは、自分の考え方が信じれない人に、お金儲けをさせてくれない。占いを使うと、熟慮が放棄さ、他力本願となる。

 2017年現在、日本の占い産業は、1兆円産業と言われ、第6次産業とさえ言われている。昭和54年(1979年)に流行った「天中殺」の和泉宗章の占い鑑定は、半年待ちの予約が必要で、30分間2万円であった。当初30分で1万円(以前は5千円?)の鑑定料は、氏の著作『天中殺入門』が180 万部のベストセラーになって、2倍に値上がりした。人の足元を見れる商売はぼろ儲けである。これで単純計算すると、収入2億円程になる。

 当時は私も人生に悩み多き時期で、恥ずかしながら和泉宗章氏の鑑定を受けた一人です。占いに凝ると、考えがどうしても消極的になる。これではお金は貯まらない。一時期、占いにかなりのお金を投資した私の反省です。

 

 だから、占ってもらうより、占う立場になること。これは儲かる職業で税務署も捕捉不能なのが魅力的?だ。また必要経費、設備投資が少なく(街の易者は国有一等地利用がタダ?)、不況なら尚更に迷える羊が増えて、商売繁盛でさえある。人生において、いつまでも占われる側の迷える羊では、浮かばれない。なに、占いなど簡単である。米の有名占い師は次のように言う。

 

「人の運命を見る時は、30%の直感力と古来伝わる運命術を応用し、後は相手に媚を売ることです」と。

 

占いで過去を変える

 占いを極めれば、新しい価値観が生まれる。それには一線を超えないとダメである。一般の占いの欠点は、付加価値を生まず、生きる勇気も与えてない。宗教団体は、占いを商売の勧誘道具として活用している。新興宗教団体の餌食になってはなるまい。何か行動(占いも)に移す時は、それで生まれる付加価値を考えたい

 

 その意味で、私はおみくじを引かない。引かなくても、自然界の声なき声で未来を教えてくれている。それが聴こえるように能力を磨くべきだ。それが占いの修行である。未来を占うより、自分自身で未来を創ればよい。その方が当たる確率が高い。

 占いで人の過去を占うなどは、最も無駄である。過去は、履歴書である己の顔に書いてある。人の顔をみれば、その人の過去が分かる。過去は変えられるが、未来は変えられない。暗い考え方で生きていけば、高い確率で暗い未来が訪れる。占わなくても自明で、未来は変わらない。過去の嫌な経験を、修行の時期、成長の糧と解釈すれば、過去は未来のために明るく輝き、変貌を遂げる。過去とは、己を育て鍛えた豊穣なる大地だ。そこに己が学んだ過去がある。嫌な経験や厳しい試練は、己を鍛えた基盤なのだ。

There is no fact, only interpretation.

 事実はない。解釈の違いがあるだけ。 ニーチェ

 

 もともと古代志那では易は乞食の職業で、現在のタレント業の川原乞食と同じ類である。街頭の易者をつくづく見るに、貧相で学識があるとは見えない風体が多く、なぜこんな輩に、人生の大事を話すのか。そもそも占いは現状・未来を予言してくれる(ように見える)が、何ら解決策は提示してくれない。運命を切り開き、決断をするのは己である。とは言っても、人間とは弱いものだ。せめて、占いは自分の反省材料に使うべきだろう。何か悪い掛が出た時には、今の行動の見直しか慎重さを促す神の声と聞くなら、使い道もある。

 

「親愛なるブルータスよ。その過ちは、我々が悪い星の下に生まれたからではない。過ちは我々自身の内にあるのだ。」シェークスピア『ジュリアス・シーザ』

 

占いの位置づけ

 占いの鑑定料、宗教のお布施のどちらも、「高ければ高いほど、御利益がある」と迷える羊に思い込ませる。「少しでも安く、良い物を」との資本主義の市場原理は働かない。買っていただく立場と、売ってやるとの立場では、価格設定が全く異なる。

 占い・宗教は、いつも価格切下げの地道な原価低減(VA)活動で、鞭打たれ、苛められる製造業の我々からは、垂涎の商売である。しかもVA活動は、その地道な活動と多きな利益貢献の割りには、あまり評価されない。利益貢献がなく形だけの賞が過大評価される現実が哀しい。だからこそ、「やるなら宗教教祖、占い教祖になるべきだ」が独立を夢見る人への助言です?

 

古代の職業観

 古代支那の占いに「四柱推命」があり、現代でも幅をきかせている。東洋哲学の陰陽道を基本としたこの占いでは、世の全ての事象を陰陽に分けている。それを「四柱推命」で各職業に当てはめると、陽の「正財」と「陰の偏財」に2分される。

「正財」とは、世の中で生産を司る仕事。

「偏財」とは、生産に直接寄与しない職業。

どういうわけか、この2つの偏財の職業(占い師と河原乞食(タレント))が現代日本で、もてはやされているのは異様である。本来占いとは、裏道でひっそりと息づくもので、表道には出てこないものだ。

 現代社会は、泥臭く油臭いと思われる製造業が不当に虐げられていて、学生の人気が離散している。表の「正財」の職業が存在して初めて、裏の職業が存在する。現代では、カッコ良く、賃金の高い非製造業(製造業のテラ銭稼ぎの)の職種ばかりが学生に人気がある。主客が逆転したこんな風潮で日本の未来は・・・と嘆く私は、古代の人間か?

 

占い活用の極意

 占いは使わないにこしたことはない、とういう考え方もある。伝説によると、昔の支那のある皇帝は一旦緩急ある時に備えて、高給を払って占い師を召し抱えていた。しかし、皇帝は死ぬまで占い師から助言を受けることがなかった。つまり皇帝の治世は平穏に終始したのである。これは占いを活用する極意といったものであろう。(千種堅談『婦人公論 1980.2月号』)

                                     

占い師の条件

 ・人並み以上の常識・知識・洞察力

 ・豊富な人生経験

 ・人並み以上の体力・精神力

 ・人を引きつける話術(結婚詐欺師をも上回る技能が必要)

 ・最低3つの占いの知識

 

 占い師は、占なわれる人の悪い「業」を受けることになり、精神的疲労は甚大であるという。なにせ客は深刻な悩みを抱いた人が多い。その話を聞くだけでも疲れる。その悲劇のどん底の藁をもすがる気持ちで占い師を頼って来ている当人から、いかようにも解釈できる「鑑定」で金を巻き上げるのである。このために体力と精神力のタフさは欠かせない。

 一般に技術者は100を知っても確実な内容の10ぐらいしか表現しないが、文学者は10を知って100を表現するくらい芳醇な創造力があると言われている。占い師はこの微かな情報を、膨大な話にして相手を、納得させる技術が必要とされる。だから占い師を志す人は「ああ言えば、上祐」と言われた氏ぐらいの話術・心臓が欲しい。またその本当の運命を読み取っても、商売上であえて口に出しては言わない点に(ペテン師としての)占い師たる奥ゆかしい教養が見いだせる。

 

 最近の不況・就職難のためか、占い師志望の人が急増している。その自由業としての立場と収入の多さ、資格がなくてもなれる点が魅力だという。しかし千人の占い志願者中、プロになれるのは3人だけが現実である。上記の条件を満足する人格・能力なら、どの道に進んでも社会的な成功は間違いない。なにも占い師に成りさがる必要がどこにあるか。

 だからもし占ってもらうなら、然るべき占い師を選別するために、占い師の人相を鑑定する知恵を身につけてからにすること。まてよ、それだけの知識と洞察力があれば、占なってもらう必要などはない?

 

 街頭や路地裏のうらさびれた易者を見るに、いつも次のことを思う。

「何で自分の将来が占えなかったの? 街の易者にまで落ちぶれて・・・」

 なにせ古代志那では易者は乞食の商売。人生で迷ったら、せめて恩師や人徳ある人に相談するのが賢明な手段である。宗教や占いに走る恐ろしさを1995年にオウム真理教事件が証明してくれた。

 

占い師の条件

 自分の心に咎めるところがあれば、いつとなく気がうえてくる。すると、鬼神と共に動くところの至誠が、乏しくなってくるのです。そこで、人間は平生踏むところの筋道が大切ですよ。(喜仙院談(勝海舟『氷川清話』より)

 

運の無駄遣い

 人生での「運の総量」は決まっている。それを大事に使うか、無駄遣いするかによって人生が変わる。米長元名人は、「惜福」という表現をしている。その点で、運の性格は「お金」に似ていて、財産として貯蓄することが可能である。ただし、貯めてあるかといってあてには出来ないし、ただ一度の手抜きが酷いしっぺ返しになることもある。神様が運営する「運銀行」の「預金残高」がないと、間違いなく人生での酷い仕打ちを受ける羽目になる。己の信用金庫と神様の運銀行の財獲得戦争である。

 

運の価値分析(VA)

 世には運のよい人がいるものだが、その人はそれ相応の運の使い方をしている。「運のいい人」と片づけずに、謙虚に我が身の行動を省みたい。「運」を価値分析して、運を貯金する姿勢が、幸運を招く。少なくとも、不運を避ける手段にはなる。

 

図1 どんな暗い夜でも、どんな厳しい冬でも、時期がくれば日が昇り、春がくる。未来を見るのに占いなど必要がない。世の中は自然の理で回っている。自然の中ではちっぽけの自分は、目の前の仕事を愚直に進めればよい。

 

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書の著作権は馬場恵峰師にあります。所有権は久志能幾研究所にあります。

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ピアノが奏でる人生(改定)

 ピアノはハンマーでピアノ線の弦を叩くことで音を創る。大きく叩けば大きな音が生まれ、小さく叩けば小さく鳴る。弦が叩かれて共鳴板に響いた大きな音も、何時かは闇夜のしじまに消える。大きなエネルギーを持って生まれた音も、何時かは無の空間に引き戻される。音楽として連続した音を出すには、ハンマーで弦を叩き続けなければ、音は静寂の中に消えてゆく。叩いて音を出し続けてこそ、ピアノは音楽を奏でることができる。

 

 人として生を受けても、いつかは死の世界に引き戻される。生まれた以上は、世を響かせる音を出すことだ。人間として世の中に問いを発し続けてこそ、生きている証である。それの問いが消えたとき、静寂な死の世界が広がる。

 世の中に響かない活動は、死の演奏である。動いて、話して、書いて、モノを生み出してこそ、世に問う音が響く。世の中という共鳴板に共鳴してこそ価値がある。己の力で鳴らない隣の弦を共鳴させてこそ生きている証である。ベーゼンドルファーのピアノ(92鍵)にあるプラス9本の弦は、弾かれず鳴りはしないが共鳴して音に芳穠さを与える。自分の弦を鳴らしても、単弦が鳴るだけでは、音は死の闇に吸い込まれる。デッドの人生劇場では成果が闇に吸い込まれる。場と付き合う人を変えて、ライブの世界に身を転じてこそ、仕事をする価値が生まれる。出した音に共鳴してくれる聴衆があっての人生である。

 

 同じ鍵盤を弾いても、ハンマーが叩いて出す音は同じではない。叩く速度や加速度が違えば音も変わる。だから何千回、何万回と弾き込まないと納得できる音は完成しない。練習の励むのは技量を身につけるためだけではない。人間としての変容を目指すのだ。人間が変容してこそ、出す音が変わる。自分の修行(練習)量によって出る音に差があることが分かるには、鍛錬という修行をつんだ後である。職人として同じ製品を作るにしても、名人と呼ばれる人は、日々向上を目指しており、その作品に違いが生まれる。同じ鍵盤を叩いても、回りの状況や指に込める思いの差により、出てくる音は輝きもするし、悲しみを漂わせる音色ともなる。出す音は、回りで自分を支える聴衆とのハーモニーなのだ。

 

人生のご縁が並ぶ鍵盤の前で、どのキーを弾くかは自由である。自分と言うハンマーでご縁を叩いた結果が、自分の命の響きなのだ。「命」とは、「人」を棒(「―」)で「叩」くと書く。人の人格では、ご縁(仕事・人・事件)の叩き方が問われる。一音一音を叮嚀に慎重に心を込めて叩きたい。

 

 私はいくら指が動いても音に輝きがなかったら、ピアノ本来の持っている良さは出ないと思うんです。確かに指が動くことも大事ですが、良い音色を出せるか否かは、自分の耳が納得するまで、その音を何千回、何万回と繰り返すことでしょうか。(ピアニスト 川上ミネ 『致知 2014-2 p76』)

 

自分が生きた証を音の余韻として、どれだけ永く世に残せるかが、生き様として問われる。人生舞台の幕が開き、自分の仕事(演奏)が人生ホールに響き渡る。幕が開く前の血の滲む訓練が問われる瞬間である。自分が鍵盤を叩いた練習量に比例してその音は遠くにまで響いていく。そのエンディングでどんな曲を奏でるのかを考えたい。死に様まで考えた編曲・演奏をして、人生劇場を飾りたいと思う。幕は下りても演奏の余韻は残る。心地よい余韻を残して人生舞台を去りたいと思う。

 

ウィーン楽友協会資料室長のビーバー・オットー博士博士の漢字名は、「音 美波」である。サントリーホールの社長の命名とか。あまりのぴったりの名で感心してしまった。音は空気の振動である波による現象である。波は水の振動である。船が港を離れて沖に向かっていくとき、その後には航跡が残る。人が浄土の旅立つさまは、船が汽笛を鳴らして静々と岸から離れてゆく状況によく似ている。その航跡を乱れた跡ではなく、美しい航跡として長く人の目に焼き付けて去りたいものだ。

  

図1 ベーゼンドルファーを弾く河村義子先生(2017年6月19日 大垣市音楽堂)

図2、3 サマランカホール(岐阜市)

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高利貸しが掲げる錦の御旗(信用金庫3)

 「商売敵が優秀な弁護士を雇っても、なんら恐ろしくいない」とある経営者は言う(福富太郎氏の著書より)。しかしその商売敵が宗教に凝ると、それはとてつもない恐怖になると言う。心に炎を点火する宗教の効用は大きい。

 

 オウム真理教の教祖や幹部は、教団を創立する前の一時期、ある新興宗教団体入信していた。そこでマスメディアによるマーケッティング手法を学び、その効用を自書に記述している。オウム真理教は、それと同じ手段で布教活動を始めた。その手法があまりにも似ているで、その宗教団体の広報部が呆れたという。

 教祖曰く「神仏への感謝は自分の労働を振り当てるのが本当だが、それができない人は、それに相当するお金を供出すればよい。感謝の念が大きければ、それだけ多くの労働を振り当てるはずだから、お金に換算してその分を提供すればよい。」と。

 思わず多額の御布施をしたくなるような理路整然たる論法である。しかし、真の神仏は己の心の中にある。神仏に頼るのは己に信念がないからだ。信念無くしてはお金も成功も寄ってこない。宗教にのめり込むと、お金がいくらあっても足りない。喜ぶのは教祖だけ。「神仏を敬えども頼らず」が原則である。

 

 その新興宗教の教祖とオウム真理教の教祖共に、若い時に日本の法律を犯し、服役しているのは、その後の歴史を暗示している。これは一時期、その新興宗教団体の教祖の本を読み、説法を某支部で直接聞いた身としての感想です。上記の教祖様の説法を試しに直接聞いてみて、違和感で目が覚めた。

この教団の某支部に試しに行ってみたら(1980年頃)、出迎えた受付の人が「お帰りなさい」で、帰るときは「いってらっしゃい」であった。宗教商売がうまいと感心した。妄信した信者なら、大感激である。信者から金を巻きあげる算段が至れり尽くせりである。

 その教祖の書いている多量の本は、今まで見聞した本のパクリが多かった。ゴーストライターの作に違いない。自分で文章を書いて、本を出版した経験に照らしても、忙しい教祖がそんなに多量に本を出せるわけがない。

当時、私もまだ20代後半で、人生の悩み多き時であった。私の人生の同じ時期に、私よりも優秀な若者達が、超能力を身につけられるとの宣伝に騙されて、オカルト教団に堕ちていった。世の中、そんなに安易に超能力を身につけられるなら、誰も苦労をしない。とかく優秀な人は、泥臭い手間を避け効率的な手法に走り勝ちだ。優秀な人は頭だけで考えて、挫折を知らないから、簡単に騙される。私は、人生挫折だらけであった。

 

「神に頼るとはなんたることだ。自らの力で自らを助けたまえ」ベートベン

 

「宗教」とは:「希望」と「恐怖」を両親とし、「無知」に対して「不可知なもの」の本質を説明してやる娘。(A・ビアス著『悪魔の辞典』1911年)

 

宗教と企業経営の差

 宗教の「宗」とはウ冠に神事を意味する「示」で構成される。ウ冠とは己の家を表す。つまり己の家の教えであり家訓である。自分の信念に基ずく行動ができるなら、貴方は宗教家教祖である。だから私は小田教、つまりオダブツ教の教祖である。

 企業も一種の宗教活動である。トヨタ自動車なら豊田教、松下電器産業(当時)なら松下教である。その社是をみると、宗教法人の文言とあまり変わりがない。怪しい新興宗教団体の活動と正しい企業活動の違いは、金儲けか付加価値創造・社会貢献かの違いである。

 豊田綱領5条は「神仏を尊崇し 報恩感謝の生活を為すべし」である。

 松下電器産業の社是の「私たちの遵法すべき精神」は「感謝報恩の精神感謝報恩の念は吾人(ごじん)に無限の悦びと活力を与うるものにして此の念深き処如何なる艱難(かんなん)をも克服するを得真の幸福を招来する根源となるものなり」とある。松下電器産業の名が無ければ、どこの新興宗教かいな、との文言である。

 

 これがグローバル経済主義会社や外国企業では、株主利益最優先の経営理念となる。金儲けこそが第一優先である会社の宗教教義である。言い換えれば高利貸しの宗教活動として存在する。社会への貢献、社会的責任などは、くそくらえである。だから過労死、燃費偽造、リコール隠し、不法行為などの不祥事が多発する。教団幹部(経営者)以外の人間は、生産の道具(奴隷)であって、人間ではない。そのようにその宗教の教祖様が定義をした。グローバル経済主義会社にとって、株主への利益が最優先で、人間ではない従業員の賃金は安ければ安いほど利益が出て喜ばしい。賃金は経費扱いである。賃金が高くなれば、利益が減るので、安易に別に国に工場を移転する。従業員の生活など知ったことではない。欧米との貿易戦争とは、金儲け万能主義・拝金主義と、日本の理念経営の戦いである。それが理解できない隣国は、真の敵を見失い、日本を仮想敵国にして右往左往している。

 

オウム真理教事件に思う  宗教が人の与える免罪符

 宗教が人間を駆り立てる力は、計り知れない。それをオウム真理教が1995年に起こしたサリン事件が証明した。やくざが違法行為をする時は、違法行為だとの後ろめたい認識と、「親分への義理立て」が存在する。それに対して、宗教絡みの犯罪は、やる行為事態が正しいとの確信犯で実行するから恐ろしい。「たかがやくざの親分」と「神様」では格が桁違う。このオウム真理教信徒の中に、命の盃を受けたはずの大親分を見限って、やくざ稼業を廃業した組長代行まで含まれていた。

 

 宗教が異教徒を人でないと定義すると、悲惨な殺戮が起こる。聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的の中世の十字軍遠征でも、神様のご指示との錦の看板を背に、異教徒に残虐の限りをつくした。十字軍には神様からの免罪符があるので罪の意識はない。今の欧州に吹き荒れるテロも、神様の免罪符があるとして洗脳教育された愚者の凶行である。

 どの宗教でもその原則は、「汝殺すなかれ」である。そうしないと、人間としての種が滅んでしまう。人間以外の種で、同じ種の殺し合いをする動物はいない。殺すことを是とするのは異端の宗教である。人間が人間を平然と殺すことができたのは、その宗教の教えの中で、異教徒は人ではないと定義したためだ。その大義名分があったから、植民地略奪時代の西洋人が、有色人種を平気で搾取し、殺戮し、民族滅亡に追い詰めた。インカ帝国もその例で亡んだ。

 

 会田雄次教授がその著書『アーロン収容所』で、現地人の泥棒が食糧庫に盗みに入り射殺されたとき、英国将校が、「end」と言って、つまらなそうに足で蹴とばしたと記している。人間ならdeadだが、人間でないので、endである。だから人としての尊厳ある後始末は不要である。それが当時に西洋人のアジア人に対する見かたであった。日本人の思想では、生あるものや自然には全て神仏が宿るとして向かい合ってきた。それゆえ、日本では民族大虐殺などは歴史上であり得ない。

 日本の思想は幸せな和の教えである。しかし日本以外ではそれが通用しない。それを認識しないと、なぜ戦争が起きるかが理解できない。和の精神が全てだと思うから、非武装中立などとの幼児の妄信が横行する。それを唱えた社会党は消滅した。その残党の一部が民進党に行き吠えている。自分の家でも寝る時は戸締りをする。国家ならなおさらに国民の財産を守るために防衛しなければ、国が亡ぶ。チベット国は共産主義に侵略され、国民の20%が殺されて国が消滅した。それは単に国を守る軍隊が無かっただけの理由である。

 

 宗教が正しい方向で使われるなら、その力と恩恵は素晴らしい。真実の宗教は心に炎を灯してくれる。万物の長と言われる人間でも、間違った価値観に染まり、間違った方向で火が付けば、無尽蔵の殺戮を平然とする。地下鉄サリン事件や、広島の原爆投下のように。米国も日本人が白人なら、決して原爆は落とさなかった。米国にとって日本人は、(当時は)単なるイエローヤンキーで人間ではなかった。米国エネルギー省の出版物中では、原爆投下は、「爆発実験」の項に分類されている(マーティン・ハーウック著『拒絶された原爆展』(みすず書房))。当時の日本人は人間と見なされていなかったので、原爆の実験材用に使われた。サリンや原爆のあれだけの開発エネルギーを正しく人生に投入できるなら、この世で実現できない夢はない。

  1995年3月24日に記した感想を今の時点で見直し(2017年6月21日日記)

  

無宗教の偉大さ

 日本の信者数     2億1972万人

 日本の宗教法人総数  18万3581

                  文化庁 1994年度『宗教年鑑』より

 (日本の人口は1億2千万人。意思を持って信者になるのは高校生以上である。それから推定すると8,000万人が実際の信者数)。データは古いが今も傾向はあまり変わらないはず。

 

 宗教を信じている人の割合

  宗教を信じている  26%

  宗教は信じていない 72%

  無回答        2%

    『読売新聞』1996.06 世論調査より   有効回収数 2,064 人

 

 宗教を信じている人は全体の25%だから、単純計算すると信仰心ある人は、一人で8つの宗教を信じていることになる。平均的日本人は、神道で出産のお礼をして、神社で七五三を祝い、教会で結婚式を挙げ(神殿の場合もある)、土地購入で神道の地鎮祭を挙げ、仏式で葬式を執り行う。5月のメーデーではフランスの国歌を歌い(歌詞は「国王の首を切れ・・・」の過激表現)、12月はクリスマスを祝い、除夜の鐘を聞きながら、第九を聞き、明けて正月は初詣に行く。

 はて?これでも8つの宗教にはならない。上記世論調査データは日本人の精神構造の摩訶不思議さを表している。A・ビアスは『悪魔の辞典』の中で、「無宗教は、世界中の偉大な信仰のなかで最も重要な信仰」と定義している。万物に神仏が宿るという考えは、一神教からみれば無宗教である。その無宗教が日本を世界に冠たる経済大国にした。それをA・ビアスは、100年近く前に予言していた。

 

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2017年6月20日 (火)

ウィーン楽聖のお墓に参拝

  2017年4月20日午前、ウィーン中央墓地に参拝した。ウィーン中心部から車で15分ほどの場所にある中央墓地墓地に着き、正面の第2門をくぐり、しばらく墓地の中央の道を進むと、白亜の教会の左手前の一角が、ブラームス、モーツアルト、ベートベェン、シューベルト達の楽聖達のお墓がある名誉地区に着く。あいにく小雪混じりの天候で、春服の身には寒かったが、よき参拝であった。各お墓の前にはお花も添えられていている。楽聖の功績を称えて、世界から墓参する人が絶えない。静寂な雰囲気で、格調高いお墓の作りである。

 ヨハンシュトラウスの墓所は、美術館に展示されるべきレベルの彫刻で、さすがオーストリア国歌を作曲した音楽家の墓所である。音楽の都の威信を表しているようだ。

 

 惜しむらくは、ここでもチャイナ人達がうろうろして折角の荘厳な雰囲気が台無しである。チャイナのグループが、ブラームスのお墓の前でスマホの自撮りをしてはしゃいでいたのには幻滅である。墓所は観光地ではない。異教徒であっても、故人の墓所には敬意を払うのが、人間としての最低のマナーだ。それがないから、日頃の生活が殺伐として、血なまぐさい宗教がらみのテロが頻発する。

 

 その後、正門からみて正面奥に建つ白亜のカール・ルェガー教会に参拝した。その内部はユーゲントシュティールの装飾が施され、美しくも華美でない荘厳な雰囲気である。内部に数人の観光客がいたが、しばらくして皆さんが退出されたので、静寂な教会内の祈りのベンチに腰を掛けて、しばし思索にふけった。死んでしまえば、キリスト教も仏教も宗派は関係ない。生あるものは必ず死ぬ。その手続きとしての方便で宗教があるだけで、生前にいかに世のために尽くしたかが、問われるだけだ。静かな教会内でその思いを新たにした。

 

  ウィーン到着日の4月27日、ネット情報で尊敬する渡部昇一師の訃報に接して、虚しい思いに駆られた。師はその著書で95歳まで生きる術を述べられていたので、まさか86歳で亡くなられるとは意外であった。ご冥福をお祈りします。師の訃報に接して人生を急がねばとの思いも湧いてきた。

 

 興味深かいのは、死の場所にある教会と生の現場にある教会の内部の造りの差である。現世の場の教会は荘厳ではあるが、壮大で威圧的である。それに対して死の場所の教会は優しく穏やかな時が流れる雰囲気である。

 

図1 上:ウィーン中央墓地 楽聖の名誉墓地区域   2017年4月24日

  左からベートーヴェン、モーツアルト、ヨハンシュトラウス、ブラームスのお墓 

図2 ブラームス(手前)とヨハンシュトラウス(奥)のお墓

図3 墓所で自撮りをするチャイナ人グループ

   聖なる場所で自撮りしてはしゃがないで欲しい。不敬です。

図4、5 カール・ルェガー教会の礼拝堂

    死の場所にある教会で静かで端正で厳かである

図6 ウィーン市の中央に建つ市最大のカルス教会の礼拝堂

   生の場所にある教会で荘厳で威厳がある。石の文化の象徴の建物。

 

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2017年6月19日 (月)

神様と信用金庫(信用金庫2)

祈り

 祈りとは、神様への感謝と未来の「約束・契約」である。純粋で一方的な祈りは、修道院や俗世間と隔絶した修行者にのみに許される。

 「・・を実現させてください、・・・にならせて下さい」等のお祈りは、一方的なお願いの押し売りである。本当の祈りとは、「・・・を実現するために自分は・・・をします」との自分の神様との約束・契約である。その契約内容を知っているのは貴方だけ。この誰も知らない小さな約束を守れない人が、「信用」という蓄財を築けるはずがない。毎日の祈りは、この信用を築く礎になる。この小さな約束を履行する積み重ねが、実社会での大きな信用を得る第一歩となる。自分自身の小さな約束を守れない人に、神様が願いを聞くはずもない。

 何事もギブ・アンド・テイクが基本で、テイクだけの祈りは情けない。祈りとは「信用金庫」頭取の貴方が発行する「信用手形」である。

 不渡手形を出した場合のしっぺ返しは大きい。この「破産通知」は目に見えない形で発行されだけに、気づいた時は手遅れです。その巻き返しには、信用を築く以上の桁違いの労力と時間が必要とされる。

 

祈り

 祈るということは頭を冷静にして自分と対峙し、謙虚になり、反省することです。運命に振り回されるのでなく、自分の運命を正しく把握することがツキを呼び込む第一歩です。 翠真佑(みどりまゆ)『週刊 東洋経済 1989.02.25号』

 

南無阿弥陀仏

 「南無」とは「お任せします」、「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀仏様に全てをお任せします」を意味している。助けていただくのも、そうしていただけないのも、全てお釈迦様が一番いいようにしてくださる。そう思って、お任せしたことに感謝の意を表して、手を合わせるのが「祈り」である。その全面委任のはずのお祈りに、勝手にお願いを追加するのは、論理構成が間違っている。ビジネスでは正しい論理構成が求められる。勝手なお願いは、祈り行列の割り込み行為である。その姿勢では神様の信用は薄い。「人事を尽くして天命を待つ」、」「天は自ら助けない人を助けない」、東西の宗教は同じことを教えている。

 

「祈願する:PRAY  〔動詞〕」

明らかに取るに足らないたった一人の嘆願者のために、宇宙の全法則が廃棄されることを願う。      A・ビアス著『悪魔の辞典』(1911年)

 

壊れ物

 腹が立つと、物に当たりちらし、叩いたり壊したりする人がいる。それが会談中の場合にも、机を叩く等の場合に多々見受けられる。これは、された人間にとって実に不愉快な行為である。昔、私の部下でこの態度を取った輩がいて私の神経を逆撫でにした。そんな輩に限って立派な言葉を吐き、このお粗末な行動が、その人格に相応しい哀しい性として映る。

 物を大事にしない人は、人や人との付き合いも大事にしない。物に当たることはその物事態は壊れないかもしれないが、人間関係に小さな綻びや、金属疲労のような心の内部疲労を生み出す。

 物には魂が宿っている。「品物」は「ものを言わない」分,その仕返しは無言です。その仕返しは回り回って当人に降りかかる。物を大事にしない人が、神様(=お金、物、人脈)に好かれるわけがない。好かれない人に神様の信用はなく、幸運は寄って来ない。

 

人徳の貯金 

 人は叱られるだけ、まだ見込みがあると思わなければいけない。人は見切られると、注意さえされない。そのためにこそ、人徳の蓄積が重要だ。人徳の貯蓄と、「信用金庫」の貯蓄は正の相関関係がある。最近、管理職の立場で部下を見るとき、人徳のない部下には冷酷にならざるを得ないのは、人の好き嫌いとは別の次元の問題である。ただでさえストレスの溜まる宮仕えで、叱ると確実に不愉快な反応が返ってくる部下への注意は、億劫になる。会社全体のことを考えて、私はそんな人材へ労力は投入しない。それを考えるだけで確実に仕事の能率が下がる。だからこそ、叱られる資格があるのも大いなる人徳である。

 

 管理職として注意せねばならないのは、部下を「叱る」と「怒る」との区別である。叱るとは、感情が入らず、部下の育成としての冷静な指導である。怒りは、単なる個人的な感情の爆発でしかない。だから叱られるのは、まだ見込みがあると喜ぶべきだ。その反対に、「怒られる」時は首をすくめ、怒りが頭上を通過するのを傍観していて、内容は無視すればよい。そんな上司は長くはないし、将来の出世もたかが知れている。しかし、その「たかが知れたはずの人」が偉くなった場合には、その会社が出会う悲劇は壮大である・・・。せめて、怒られたら自分の失敗を反省し、再発防止は図ること。

 

昇龍感孤(昇りつめた龍は、孤独を味わう)(出典不明)

 龍とは古代中国では皇帝を意味する。人を指導する立場の人間は、この言葉を肝に命じるべし。この言葉は、トップが部下の諫言を謙虚に聞く態度が求められることも示唆している。単なる怒りは、自己の反省と謙虚さの欠如である。その結果を招いた一因は、自分の指示ミス、指導ミスではなかったのか? 少しでもその責任があれば、怒れないはでずある。怒れる資格のある人は、完全無欠の人か自己反省の出来ない人・・。

 その昔、課内で上司より頭の切れる先輩が、そんな傲慢な上司に対してこれを実行し、怒られても平然としていたら、その上司から、「私が真剣に怒っているのに、君は顔色も変えず平然としている!」とまた怒られた笑い話がある。

その上司は、その後さらに偉くはなったが、結局恥ずかしい不始末をしでかして会社を後にした。そんな自己制御のできない性格のためと、本来偉くなってはいけなかったのに偉くなったため、後日の会社運営に消しがたい爪痕を残した。この人が反面教師の役目を果たしてくれたせいか、私は部下を怒るのが億劫になってしまった。怒る前に、上司として反省してしまう自分が情けない。そんな情けない私にしたこの人には、感謝と怒りが沸きおこる。

 

 「人は誰でも易者になれる」とは、本田技研の創業者・本田宗一郎氏の言葉である。あからさまに言わなくても、人はその言動・顔つきを見れば、おおよそのことは分かる。またアメリカ建国の父リンカーンは人事の決定の際、「人は40歳になったら、顔に責任を持たねばならない」と明言し、ある人物の登用を退けている。40年も人間稼業をやっていて、志ある人物とそうでない人の顔つきが、同じであるはずがない。人徳・信用・志の有無は、別に星占いなどをしなくても、自ずと雰囲気的に伝わってくる。それが識別できないなら、自分自身を反省しなくてはなるまい。だから社会で生きていくために、ほんの少々の人相学の知識があると申し分ない。人相学は星占いより、はるかに有効な情報を与えてくれる。顔は信用金庫のバランスシートである。

 

 肖像画美術館

 1994年夏に、ワシントンD.C.のスミソニアン博物館群の中の肖像画美術館を訪問した。米国の歴史に残る業績をなし遂げた偉人の顔をじっくり一同に眺めれる美術館で、たかが肖像画であると思っていたが、入館するまでその面白さはしょうぞうがつかなかった。

 

  神坂次郎著『だまってすわれば  観相師・水野南北一代』(新潮社1988年)

 「〔飽食時代〕への警告と教訓にみちた一代記!」がこの本のキャッチフレーズです。波瀾に満ちた観相師を、人相学を通した目で巡る歴史物語である。極めて面白い。

 

人相

 新興宗教教団の信徒の顔をつくづくと見るに、能面のような張りのない顔付が多いのが気にかかる。何か人生に目的(善悪は別にして)のある人は、それ相応の燃える何か感じられる。少なくとも宗教にのめり込むと、自身の意思・責任・感情は棚上げして、神頼みの他力本願になるせいであろうか。

  

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2017年6月18日 (日)

第二の人生は自力で離陸、力の限り飛べ

 青春の人生は、両親や友人、師の援助があって人生の離陸ができた。会社生活では、多くの仲間の支援で安定巡行飛行ができた。会社生活の長距離飛行の後、無事着陸(定年退職)ができた。それは定期航路のジェット旅客機に乗って目的地に向かって飛んでいたようなもの。

 定年後は自力で離陸して、自力でペダルを踏んで、力の限り西方浄土を目指して飛ばねばならぬ。頼れるエンジンは、自分の足だけである。その保全、体力維持は不可欠である。天候、風向きを見極め、体力を見極め、飛び立たねば、離陸さえできない。力尽きれば墜落だ。己の精進が飛行距離を決める。

 自力、自力といっても、陰で多くの仲間が援助をしてくれている。それがあって初めて飛んでいられる。そのご恩に報いるためにも、美しく優雅に長く飛び、その航跡を後進によき思い出として残したい。

 

 2003年、人力飛行機による日本飛行記録を樹立したチームエアロセプシーのリーダ鈴木正人さんとご縁ができ、その記録達成の過程を取材させてもらった。私も飛行機好きで、その人力飛行機の魅力に取りつかれ、一時期、チームエアロセプシーの飛行訓練の追っかけをした。人力飛行機の開発物語は、仕事と人生に重なりあうものがある。

 

 

図1 離陸には細心のチェックが欠かせない。2004年5月29日

        チェック表で入念にチェックをする鈴木正人さん

図2 離陸のため、飛行前の入念な調整中のパイロットの中山さん。

   毎朝のロードトレーニング40kmを欠かさないという。

図3 いざ出陣で「極楽とんぼ」に乗り込む中山さん。後ろで支えるのは鈴木正人さん。

図4 離陸。チームの仲間が援助している。

図5 力の限りどこまでも極楽を目指して水平飛行を続ける。

図6 多くの仲間の支援があって飛び立てる。

   着陸後(死後)の後始末も仲間の支援が欠かせない。一人では死ねない。

  

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命をケチる

 戸田極子伯爵夫人は、岩倉具視の三女である。その岩倉具視の件の調査の関係で、2016年9月20日頃、東北の知人に電話をしたら、彼の27歳のご子息が自殺をされたという。そのためとても、聞きたいことも聞けなかった。これも戸田伯爵夫人の調査がなければ接せることのなかった事件である。自殺という重たいテーマのご縁をいただいた。

 

 人は一人では生きてはいけない。今の生まれた命や支えて頂いている多くの人たちのことを思えば、自殺はありえない。自分一人で、自力で生きていると思い詰めるから自殺になってしまう。先祖、親、師、隣人、友人の恩があって生きていると悟れば、自殺はありえない。絶望の時、相談する師がいないと、路頭に迷う。所詮、人間界で起きた事象は、人間界で解決できる。思い詰めるとあの世に行っても解決はできない。家族や師との会話があれば、自殺は防げるはず。家族、師とのコミュニケーションを大事にしたい。

 

 1973年4月1日、私の入社日の夜、同級生が自殺をした。クラスで成績2番の秀才である。夜の就寝前に電気コードを体に巻き、タイマーをかけての自殺である。原因は不明だが、44年経った今でも、頭の隅から消えない事件である。

 

 1988年4月2日、知人の父親が鉄道飛び込み自殺をした。当日は一人息子の入社日である。それが遠因で息子の人生が暗転した。しばらくして、彼は会社を辞め、その後も数回の転職を繰り返すことになった。なにも息子の入社日に自殺をしなくてもとは思うが、本人はそれさえ考えが及ばないほど追い詰められていたのだろう。その為だと思うが、彼の孫は3人とも日本の最高学府を卒業しながら、10年間も就職浪人である。なにか考えさせられる。

 

 2000年頃、私は地獄の研修を受け、臨死体験までさせられた。自分の死にゆく姿を見て涙を流した後、その研修講師K氏から自殺未遂の話を聞かされた。K氏は元会社経営の社長で、会社経営に行き詰まり、絶望して車ごと崖から飛び降りるつもりでアクセルを目一杯踏んだ。その時、家族の顔を浮かび、崖の直前でブレーキを踏んだという。自分を支えてくれている家族が、自殺を引き留めてくれた。

 

 私も思詰めて、自殺まで考えていた時期がある。師と仰ぐ人に相談に行っても、その師が「忙しい」とかの言い訳で逃げられると、百年の恋にも似た師への尊敬の念が雲散する。何時でも何処でも相談に乗ってくれるのが、真の師である。それは現世の人とは限らない。本の中にも真の師は存在する。私は師と崇めていたT氏の本質が露見してから、その人は単なる人生の水先案内人であると悟り、距離を置いた。 

 

 自分を支える一番の御恩ある御本尊が自分の体である。その命が短くなるのが分かっていて何故、不摂生、煙草、暴飲暴食に走るのか。己の体を痛めつける生活習慣、食生活(飽食)は緩慢なる自殺である。過労死も、仕事と命を天秤かけて値踏みをして、仕事の方が大事とした判断の結果である。過労死をして誰が喜ぶのか。仕事とは、人に喜ばれてナンボである。命を粗末にする人を、計値(ケチ)という

 計値(ケチ)とは、命と快楽・仕事を天秤にかけ、値踏みをする愚行である。食欲の快楽に身を委ねる情けなさ。その仕事をしてくれる人は他にもいる。世の為になる仕事は、皆で行ずればよい。仕事を自分一人でやろうとするから、無理が出る。偉大な仕事は、多くの人が協力して成し遂げられる。人を悲しませては、その仕事に傷がつく。己の命の代わりはない。多くの御恩に支えられて、自分が生かされている。自力ではない。

 

 ケチとは己の狭い視野で値踏みをすること。ケチな人は目先に囚われて、短絡的・短期的な視野でしかものが見えないので、10年後に損をする判断をする。佛様の差配は人智を超える。回り道にお宝が埋まっている。佛様も元は人の子、陰徳を積めば佛様も恩義を感じて、10年後に利子をつけて倍返しの報恩をされる。

 ケチの究極の姿が、植民地獲得の侵略戦争、民族虐殺、利己主義、成果主義、グローバル経済主義である。一時的には儲かったように見えるが、結末は妬みの文化の氾濫、冨の偏在、格差の拡大、移民問題・テロ問題(植民地政策時代の落し前)、1%の人だけが富み、99%が不幸になる社会への転落である。

 

 人は、ものが見えているようで、実際はその本質の10%しか見えていない。残りの90%は人智を超えたベールに覆われている。人は狭い視野でものを見て、全て分かったと自己満足の値踏みをしている。それがケチの根性である。

 人は実態の10%しか見えないのに、あたかも全て分かっているかのような顔をして、経済学者は学問の竹光を振り回す。もしそれが正しいのなら、経済学者は全て大富豪や成功者になれるはず。学者とは、単なる知識を切り売りする者である。学者は、本質を凡人にわざと難しい表現をして煙に巻く。得た知識から知恵を生み出す人が、智者で人生で儲ける人だ。得た知識を死蔵するだけでは、情報センタの門番でしかない。知識を実社会で、知恵に変換して活用してこそ、付加価値が生み出せる。

 

先に生まれた人から浄土へ逝く。何も焦って追い越さなくとも、お迎えは来てくれる。人生道では追い越し禁止である。頂いた命をお大事に。生きるとは祈りである。

 

図1 生きる 2016年9月27日 馬場恵峰師揮毫

 

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命の経営

 人類社会は科学技術を発展させて高度な文明を創り上げた。しかし2000年経っても貧困も戦争も無くならない。宗教は人の魂を救うのが目的の一つであったが、いまだ宗教戦争が絶えない。人類は宗教の違いで宗教戦争を繰り返してきた。今の宗教戦争は高度な科学技術を使って大量殺人を可能にしている。何のために科学と宗教があるのか。両者とも魂の幸せにためではないのか。

 グローバル経済主義も一つの経営宗教のようである。それが皆の幸せにつながるとして多くの企業がその経典を崇めグローバル経営に邁進したが、結果は一部の富裕層だけがご利益にあずかり、他の大多数は貧困になっていくという格差拡大社会を実現した。それも戦争の一因となっている。

 

 国家も第二次世界大戦以降、約170の国が消滅している。国にも命がある。国の経営を誤ると国民と塗炭の苦しみに陥れる。その責任は国のトップである。会社の営みは人生とよく似ている。前職の会社は、輝かしい経営の学習履歴として、デミング賞、PTM賞、ISO9001,ISO 14001、QS9000等を経験、受賞を重ねてきたが、2005年に同レベルのグループ企業と合併し60余年に及ぶ歴史を閉じた。両社とも現状のままでは、グルーバル競争を乗り切れないと、延命手段として合併という手術を選択した。会社の寿命は60年とも言われる。会社という人格(社格?)は、学習を重ねて経営知識や経営の賞を得ても、その寿命が延びる訳ではない。知恵がでないと、時代に乗り遅れ命が絶たれる。私を育ててくれた会社は、合併して別の会社に変貌して、元の命を終えた。

 

 優秀な経営者でも、経営という命には限りがある。日本の最高学府を出た優秀な学習履歴を持つ経営者が、年老いて経営の不祥事を頻発させて会社の存続を危うくしている事例が多発している。人は経験を重ねて老いれば輝かしい晩年があるはずであるが、そうでない不祥事にこと欠かない。特に晩節を汚すエリートと呼ばれる知能指数の高い人の汚職が絶えない。何のために仏はその人に高い能力を与えたのか、その意味の自覚が足りないためだ。頭がよく、知識、経験をいくら積んでも、企業の存在意味と人生の意味を自覚しないから、経営者としての知恵を生み出せないからだ。2000年前の史記や神話に書かれた人間の愚かな営みは、現在とあまり差がないように思われる。

 

 己を含めて家族、ご先祖の経験を生かして時代をつなぐことの難しさを、還暦を迎えて初めて思い知っている。自分はご先祖に対して、どれだけ進化を遂げたのか。あの世でご先祖に会ったとき、胸をはって、「ただ今帰りました」と言えるかを自問したい。残された時間を、受験日前夜にように遣り残した項目を仕上げるために精進をしたい。今まで先輩諸氏や師から受けた知識や知恵を後進に伝えるのが、吾が使命と思って日々精進している。

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