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2017年5月

2017年5月26日 (金)

 大垣八幡神社

 建武年間、東大寺の荘園大井荘であった美濃国安八郡大井(現大垣市)に、東大寺の鎮護神である手向山八幡宮を勧請したのが始まりという。

1451年(宝徳3年)、現在地に移転する。  

戦国時代の兵火で焼失したが、1647年(正保4年)、大垣城城主、戸田氏鉄が再建する。この再建を祝って始まった例祭が大垣祭の始まりという。 

また大垣八幡神社には、下記の昔話が伝わっている。

昔、大地震が大和国(現奈良県)に地震が起きる。東大寺の僧侶が建物を見回ると、鎮護神である手向山八幡宮の御神体が消えているのに気づいた。慌てた僧侶や神官は全国各地を探し回った。

ある日、使いの一人が美濃国安八郡室村(現、大垣市室村町)に宿泊したさい、夢の中に八幡神が現れ、「私はこの地が気に入った。この先もずっとこの地に住もう。」と告げたという。慌てた使者は近隣を探したところ、安八郡藤江村(現、大垣市藤江町元八幡宮)の林の中で御神体を発見する。

使者はすぐに御神体を運ぼうとしたが、全く動かなかった。そこで近くの寺院の僧侶に相談したところ、「八幡様の御意思です。この地に祀るのが良いかと思います」ということとなり、この地に祀られたという。

 私は高校生の頃、父の勤め先の社宅に住んでいましたが、その名前が「大井荘」でした。定年前の5年間を、33年間住んだ刈谷市を転勤で、元、大和国(現奈良県)に移り過ごしました。そして現在の私の自宅住所は、元、美濃国安八郡室村(現、大垣市室村町)なのです。私は、定年前は、八幡の神様が逃げ出した同じ場所に住んでいて、定年後、八幡の神様が気に入った同じ逃亡先の地に住むことになりました。何のご縁でしょうか。危機管理に長けた、また一度決めたら梃子でも動かない性格の八幡様に自分自身を見るようで、親近感を抱きました(前の会社では機密管理・危機管理も担当していました)。

この室村町にこんな言い伝えがあるとは、この歳になるまで知りませんでした。その時にならないと出合えないご縁があるようです。不思議なご縁を感じました。

恵比須軕のお頭渡しの儀

   1679年(延宝7年)、第4代藩主戸田氏西公が恵比須神を祀るにあたり、先代の出身地である摂津の広田神社に祀られている西宮の恵比須神に、人を派遣し祈願したといわれる。現存の恵比須大神の人形は左甚五郎の作と伝えられる。

伝説によると、恵比須大神の人形の顔面の塗料が剥げていたので、塗り師が塗り変えようと顔面に手を触れた途端、口から火を吹いたといわれる。

 また祭礼の日に雨が降ると、恵比寿様が鼻を垂らすという伝説も残っている。

 本楽の夜、各町の軕が曳き分かれた後、その年の担当町から次の年の担当町へと恵比須大神の人形の御頭を渡す儀式「お頭渡し」が古来と同じ手順で、今も伝統行事として執り行われる。お頭はその次年度の担当地区の代表の家で保管される。ある家では、そのお頭は耐火金庫に納められて大切に保管される。毎月、1日と15日は、保管地区の神社でお頭を飾って神事が行われる。

 船町、伝馬町、岐阜町、宮町の4町内が一年交代で担当している。

  ウィーンは音楽の都、芸術の都。同じように大垣は水の都、文化の都である。大垣も大垣まつりの季節になると、町内で軕山車を曳いて回るときのお囃子の笛の練習音が響きてくる。大垣は音楽の都でもある。大垣は昔から交通の要所に位置して、東西の文化の交流が盛んであった。人の交流のある所に文化の花は咲く。