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2017年6月22日 (木)

戊辰の役顕彰碑と祖母の悲哀に合掌す

 戊辰の役(1868年、慶応4年/明治元年の干支が戊辰)の120年後の1988年、大垣東ライオンズクラブが大垣市長の小倉満氏(1932年- 2001年3月3日)を団長として大垣市議長を同行し、奥羽訪問親善使節団として福島県白河市を訪問した。現地の東明寺には、会津藩で戊辰の役で戦死した大垣藩藩士が葬られていた。この墓地は「会津戊辰戦役西軍墳墓史跡保存会」の手により管理が行われていた。地元は例年10月23日に西軍墓前祭をしめやかに行い、かって敵軍であった西軍の戦死者にも手厚い法要を行っていた。

 小倉満市長は、大垣藩士が手厚く祀られていることに感銘を受け、これを顕彰する碑を東ライオンズクラブと共同で大垣城内に建立した。時に明治維新120年後の1988年(昭和63年)秋である。まだまだ明治維新前後の歴史は生々しい。井伊直弼公が切って落とした幕末動乱への幕開けは、大垣市内にも痕跡を残している。

 

 碑文には「明治維新に当り大垣藩主戸田氏共公は家老小原鉄心の意を採り戊辰の役にその進路を誤らしめなかった。本年戊辰の年を期に大垣城跡に記念碑を建立しその偉業を顕彰する」とある。

 

大垣藩の戦い

 幕末の幕府側と倒幕側との戦いでは、大垣藩は当初、幕府方として最前線で戦って来たっていたため、倒幕側に方針展開しても大垣藩は東北攻めには最前線に駆り出されて、多くの死者を出すことになる。それでも勇敢な大垣藩は宇都宮攻防戦などで戦功を上げた。一方で50余名に及ぶ戦死者を出した。大垣城内には戊辰の役を顕彰する石碑が建てられているが、藩の保全のために犠牲になった藩兵を弔うためである。倒れられたのは20代の若者が多いのは痛ましい。何時の世も犠牲になるのは有為な若者である。本来の敵である外国勢との戦いで倒れるならともかく、身内内での戦いで死ぬとは残酷である。すべてトップの判断ミスである。

 大垣藩は幕末の騒乱の時、早い時期に倒幕派に転向したので、まだ救いがある。しかし、最後まで幕府側につき、戦わされた会津藩の若者が哀れである。日本が近代国家を建設するためには必要であった犠牲であったようだ。今の我々の繁栄は、尊い若者の犠牲の上に立っている。私は毎朝、散歩の途中でここに寄り、日本国建国のために血を流された方に手を合わせている。

 

顕彰碑に込めた想い

 この碑の稀有なことは、文字が凸で表現されていること。普通の碑文や墓石は凹の状態で彫られている。亡くなった人の墓石や史歴としてもう変わらない事実は凹で彫るのが常である。ところが凸で書かれていることは、まだ今もその藩士の威徳が生き続けていることを現している。碑には、碑の建立者の意向が明白に表われている。大垣市長職は激務で、3代続いて大垣市長は現役で倒れられている。小倉満市長も仕事中に倒れられた。

 

 大垣藩の戦死者は東明寺の西軍墓地に「大垣戦死二十人墓 明治元年十月」と白河口の戦いがあった白河市松並には「長州大垣藩戦死六名墓」が祭られている。日本の夜明けのため命を捧げた若者たちである。その陰に息子の死を嘆く母がいる。乳飲み子を抱えた母がいる。

 

祖母の悲哀

 終戦後の昭和21年、生きて帰ってくると待っていた四男、五男の、戦死通知書でその戦死を知らされた祖母の悲哀を想う。赤紙一枚で招集され、たった一通の戦死通知が来ただけで、遺骨の何も帰ってこない。残酷である。祖母は5人の男子を育てたが、そのうち2名が戦死である。五男はインパール作戦のビルマで、四男がシベリア抑留で亡くなった。三男の父は、地獄のシベリア抑留から生きて帰還できたので、今の私の生がある。四男は我が子の顔も見ずにシベリアの凍土に消え、子は父の顔も知らずに、女手一つで育てられた。両親に育てられた自分の幸せを思う。私は定年退職後、大垣の実家に戻り、父の遺品を整理していて、このお二人の死亡通知書を発見した。この発見が2015年の小田家墓の改建につながるご縁となった。合掌。

 

大垣戦死二十人墓 (東明寺)

 川崎松次良  藤原邦義  22歳

 木村重米   藤原知重  22歳

 渡部順蔵   源 重孝  32歳

 武藤菱之助  藤原重勝  25歳

 米山休左エ門 藤原兼賢  24歳

 長谷川直吉  藤原辰忠  26歳

 加納傳四良  藤原兼住  26歳

 森甚太良   源 政則  23歳

 杉山庄五郎        28歳

 増田九助         42歳

 吉田彦三良  藤原信可

 九鬼国之助  藤原重隆  17歳

 太田七十良  藤原胤重  40歳

 奥富元三良   

 土屋柳冶良  源 秀敷

 河井富助   藤原長栄

 北村吉五良  藤原義方

 藤田辰二郎  藤原辰広

 藤田彦三良  藤原基教

 多賀重助   藤原美則

 

長州大垣藩戦死六名墓 (白河市松並に)

 鳥居勘右衛門

 川井徳太郎

 松井於莵蔵

 

 

図1 戊辰の役顕彰の碑碑文 書は小倉満大垣市長  粘板岩

図2 戊辰の役顕彰の碑(裏面)

図3 大垣戦死二十人墓  『大垣ゆかりの南奥羽』大垣市刊より

図4 長州大垣藩戦死六名墓 『大垣ゆかりの南奥羽』大垣市刊より

図5 県の表彰状

図6 五男の戦死通知 

 

久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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