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2017年6月22日 (木)

「恒久平和の碑」が語る歴史

 碑とは、ある意味でお墓と同じである。碑とは、ある事象を祈念して後世のために残す人々の想いの顕われである。

 1991年、大垣公園内に、建立されたこの「恒久平和の碑」は、シベリア抑留から生還したダモイ会の皆さんが二度とこういうことが起きないように恒久平和を祈って建てられた碑である。その碑の陰には、6万人とも10万人とも言われるシベリアの土に帰した邦人がいる。この碑はロシアという死鬼衆により殺された日本人の魂を鎮魂するためでもある。

 

 1991年8月、この碑の石は四国より運ばれて建立された。この碑の建立式で今川順夫氏(株式会社丸順創業者)の挨拶を聞いて、当時の大垣市長小倉満氏が涙ぐんだという。私が2010年秋に大垣に帰郷して、2014年までの毎朝、この碑の前を散歩のため通るが、父の名が刻まれていることを知ることはなかった。「魂(オニ)」が納仏された日に、今川順夫氏のシベリア抑留講演会の案内の回覧を見たご縁で、恒久平和祈念の碑の裏に父の名を発見できた。それ以降、毎日ここで日本の平和とシベリアで斃れた方の冥福を祈念している。そして日本の未来を背負う子供達のために、自分は何が出来るかを考え続けている。

 

 父が生きて帰還できたが故、今の自分の命がある。なぜ人は死鬼衆になるのか。なぜ共産主義は人の命を粗末にするのか。なぜアーリア人は民族皆殺しの死鬼業を平気で犯すのか。自分は恒久平和のために何が出来るのか。口先だけで平和を叫んで滅んだ国が、過去70年間だけでも180カ国にも上る。我々は後世に何を伝えるべきか。何をなすべきか。この碑を見るたびに考えている。

 

最期の一撃(21)後日譚-2 中共のウィグル、モンゴル、満州への侵略 2015年7月14日

 (中部大学 武田邦彦氏のHPを参照)   http://takedanet.com/

 

 自分が今回(2015年)のお墓つくりを経験して、今川順夫氏の気持ちが少し分かった気がする。この碑の建立に多大な貢献された今川順夫氏に感謝している。今川氏とご縁ができたゆえに、1991年に恒久平和祈念の碑の建立式に立つ父の姿を写真で初めて見ることができた。これは沸様のお導きと思う。

 

ご縁の連鎖

 上記文章を6月22日、校正していて、小倉満元大垣市長の逝去日が、桜田門外の変(安政7年3月3日(1860年))の128年後の同じ日に、小川満氏が亡くなられていることに気が付いて愕然とした。私がお墓を改建するご縁となったのは、2015年3月3日に両親の法事をしたことに起因する。祖母のご先祖が、桜田門外の変の時、その行列に同行して(武士ではない)、この事件に遭遇したという。

 30年前の1987年にビーバー・オットー博士が大垣に来られた時、歓迎パーティで挨拶をされたのも小倉満大垣市長(当時)で、大垣市音楽堂にベーゼンドルファー導入に尽力をされたのも小倉満氏である。そのご縁で、2017年4月に私はウィーンでビーバー・オットー博士にお会いした。そのご縁でこの3日前の6月19日、河村義子先生主催のピアノ勉強会の使用ピアノが、ベーゼンドルファーであった。そのご縁で、6月21日のブログ「ピアノが奏でる人生(改定)」に、河村先生がベーゼンドルファーを弾く写真を掲載する顛末となった。(以上2017年6月22日記述)

 

 2015年3月3日、父の13回忌と母の23回忌の法要を済ませた翌日に『致知』4月号が届き、伊與田覺先生の「百歳の論語」セミナーの案内が目に入った。何かピンと来るものがあり、3月5日に申し込みをした。その後、何気なく伊與田覺先生の経歴を見ていたら、大正5年生まれとある。父の生誕年と同じで、健在なら父も100歳である。伊與田覺先生の論語の講義は以前から気になっていて、何時かは聞きたいと思っていた。伊與田先生が父と同年の生誕とは気がつかなかった。昨年納佛された守佛と飛天、法事の直前に納佛されたご本尊様のご縁のようだ。導かれたようなご縁の連鎖に不思議さを感じた日であった。後日、両親の法要の日が「桜田門外の変」の節句の日、3月3日と同じと松居石材商店の松居店主に言われて愕然とした。無意識で偶然に決まった日柄であるが、佛様に導かれたようだ。

 2015年4月22日から、月に一回の全5回コースで、伊與田覺先生の論語講座が品川プリンスホテルの会場で始まった。6月2日の第三回伊與田塾で3時間の講話が終った後、16時から伊與田先生の百歳の誕生祝賀会が同ホテルの12階で執り行われた。その後、先生は5分間ほどの謝辞を述べられた。背筋をピンと伸ばし、話された。真向法をされているようでお元気そのものである。その時、先生と名刺交換をしてツーショットを撮らせていただいた。大正5年生まれの父が生きていれば、こんな写真が撮れたのにと残念に思うことしきりである。父の代わりに長生きをせねばと心に誓った。(以上2015年6月記述)

 

図1 大垣公園内に平成3年8月建立(1991年)

図2 除幕式で挨拶をされる今川順夫氏

図3 「恒久平和の碑」除幕式

図4 「恒久平和の碑」除幕式記念撮影

   2列目左端白い半袖カッター姿が父、中央が小倉満大垣市長、その左隣が今川順夫氏

図5 恒久平和の碑」裏面のダモイ会名簿 父の名が刻まれている

図6 伊與田覺先生誕生祝賀会で挨拶  2015年6月2日

 

久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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