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2017年6月18日 (日)

命の経営

 人類社会は科学技術を発展させて高度な文明を創り上げた。しかし2000年経っても貧困も戦争も無くならない。宗教は人の魂を救うのが目的の一つであったが、いまだ宗教戦争が絶えない。人類は宗教の違いで宗教戦争を繰り返してきた。今の宗教戦争は高度な科学技術を使って大量殺人を可能にしている。何のために科学と宗教があるのか。両者とも魂の幸せにためではないのか。

 グローバル経済主義も一つの経営宗教のようである。それが皆の幸せにつながるとして多くの企業がその経典を崇めグローバル経営に邁進したが、結果は一部の富裕層だけがご利益にあずかり、他の大多数は貧困になっていくという格差拡大社会を実現した。それも戦争の一因となっている。

 

 国家も第二次世界大戦以降、約170の国が消滅している。国にも命がある。国の経営を誤ると国民と塗炭の苦しみに陥れる。その責任は国のトップである。会社の営みは人生とよく似ている。前職の会社は、輝かしい経営の学習履歴として、デミング賞、PTM賞、ISO9001,ISO 14001、QS9000等を経験、受賞を重ねてきたが、2005年に同レベルのグループ企業と合併し60余年に及ぶ歴史を閉じた。両社とも現状のままでは、グルーバル競争を乗り切れないと、延命手段として合併という手術を選択した。会社の寿命は60年とも言われる。会社という人格(社格?)は、学習を重ねて経営知識や経営の賞を得ても、その寿命が延びる訳ではない。知恵がでないと、時代に乗り遅れ命が絶たれる。私を育ててくれた会社は、合併して別の会社に変貌して、元の命を終えた。

 

 優秀な経営者でも、経営という命には限りがある。日本の最高学府を出た優秀な学習履歴を持つ経営者が、年老いて経営の不祥事を頻発させて会社の存続を危うくしている事例が多発している。人は経験を重ねて老いれば輝かしい晩年があるはずであるが、そうでない不祥事にこと欠かない。特に晩節を汚すエリートと呼ばれる知能指数の高い人の汚職が絶えない。何のために仏はその人に高い能力を与えたのか、その意味の自覚が足りないためだ。頭がよく、知識、経験をいくら積んでも、企業の存在意味と人生の意味を自覚しないから、経営者としての知恵を生み出せないからだ。2000年前の史記や神話に書かれた人間の愚かな営みは、現在とあまり差がないように思われる。

 

 己を含めて家族、ご先祖の経験を生かして時代をつなぐことの難しさを、還暦を迎えて初めて思い知っている。自分はご先祖に対して、どれだけ進化を遂げたのか。あの世でご先祖に会ったとき、胸をはって、「ただ今帰りました」と言えるかを自問したい。残された時間を、受験日前夜にように遣り残した項目を仕上げるために精進をしたい。今まで先輩諸氏や師から受けた知識や知恵を後進に伝えるのが、吾が使命と思って日々精進している。

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