c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2018年10月18日 (木)

天才に見る表現方法の変化

 2018年10月11日、馬場恵峰先生に、30年前の作品と今の作品の違いを聞いた。曰く「30年前の作品には勢いがある。今の作品には、艶がある」との回答であった。

 10月12日、訪れた松本工房で、松本明慶先生に某資産家所有の七福人像の修復作業を見せてもらった。明慶先生作の30年前の七福神は、粗削りだが、勢いがある姿である。今の明慶先生の作る佛像には艶があると再確認した。前日の恵峰先生の言葉を思い出して、それを再確認した。世界の美術館にある芸術作品を、そういう眼でみると、芸術の奥の深さが分かり、鑑賞が楽しくなるはずだ。

 

格物致知

 自分の人生を振り返ると、確かに若い時は行動に勢いがあった。若気の至りの失敗も多かったが、それも自分が成長するために必要な一過程であったと今にして思う。失敗をして、やはりやってはいけないことだったと体得する。それが知に至るである。それから格物致知という言葉が身につくのだ。本を読んだだけでは、分からない世界である。天才でない凡人の我々は、還暦以上の歳を頂いたならば、それに見合った人生を送りたいと思う。そうすれば人生と言う艶のある自分の作品が完成する。

 今の社会は、年寄りがいのない人が多すぎる。尊敬に値する人が少なすぎる。心の修養が足りないのだと思う。欧米の拝金主義の世界に浸り過ぎているようだ。

 

2018-10-18 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月15日 (月)

極楽・地獄共通仮想通貨をゲット

 先日、私の師に、遺書のつもりで書いた『詞天王が詠う老計・死計』(全230頁)を進呈したら、お礼として、その住職様発行の「極楽・地獄共通仮想通貨」を頂いた。

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極楽通貨

 それを手に入れれば、使っても、使っても減らず、使い出があるという。そういう通貨が人生の仮想通貨であることに思い立った。それをこの世で貯めることを人生目標としたいと、思いを新たにした。

 その通貨の単位は「縁」である。日本国政府発行の「円」よりも信用がある。それを集めることが、人生の蓄財である。

 普通に縁を集めようとすると、足を使い、手間をつかい、頭を使い、心を気配りして、時間を使わないとご縁は貯まらない。その気がないと、貯まらない。「そげんこと、ワシに関係ないバッテン」との姿勢では、ご縁は貯まらない。

 

用を作りに行く

 しがない人が陰口で、馬場恵峰先生が240回も中国に自費で渡航したのを「どげん用ばぁ、あるばってん。でげん中国に行くかえ? 馬鹿かいな」。

 「用があるから行くのではない。用を作りに行くのだ。だからご縁が貯まるのだ。ばかでなければできない」と。

 一日中、やることもなく、訪ねてくる人もいない生活では、ご縁は集まらない。ばかだから還暦で1億円の借金をして、社会奉仕として350坪の土地に「日中文化資料館」を建て、24年かけて借金を完済した。世のために生きているから、92歳でも現役で矍鑠としておられる。

 時代が変わっても、円の切り替えがあっても、貨幣価値が激変しても、びくともしない永遠の「財産」である。その財産は子孫も使える。その財産が、悪縁や腐れ縁では、負の財産だ。よきご縁を手に入れねば、人生に花は咲かない。

 

縁あって花開く、恩あって実を結ぶ

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 私は、月に一回の頻度で馬場恵峰師の書の写真撮影のため、九州の馬場恵峰先生宅に往復1800キロの旅をしている。それで作成した写真集は、大赤字である。

 これは先生の書とその生き方に価値を認め、その気にならないと、足が動かない。いくら金があっても気がなければ行くまい。いくら条件がそろっても、健康でなければ行けない。価値を見出しても、先立つものがなければ、行けない。九州に足を運べる自分の幸せをつくづくと思う。それがご縁の力。

 

2018-10-15 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月 2日 (火)

名入り和歌の色紙を贈呈

 自宅に届いた『苦楽吉祥』の最新号を見て、廣部さんと清水さんが明の名前を襲名されたことを知った。『苦楽吉祥』は松本明慶友の会の会誌である。

 

襲名

 松本工房では、襲名では、松本明慶先生の弟子だから「明」の一字を充てる。廣部圭一郎さんの襲名である「明峰」は、私の先生である馬場恵峰先生の一字「峰」ではないかと。なにかとんでもない因縁を感じた。これはお祝いをせねばと思いついた。廣部さんが大仏を彫る姿は、NHKプレミアム「仏心大器」のビデオで何度も見ているので、人ごととは思えないご縁を感じた。

 清水一郎さんは「明道」である。清水さんには、いま仏像製作をお願いしている最中である。

 岩田明彩さんとは、仏画「飛天」で仙台の松本明慶仏像彫刻展で、ご縁のできた絵仏師である。「明」の襲名は今回ではないが、ご縁があったので、先の二人に合わせてお祝いの歌の色紙を贈ることにした。

 

西奔東走

 2018年9月6日、広島で開催された松本明慶仏像彫刻展の会場を訪れた。その場で、皆さんにお祝いを口上した。その後、その足で、長崎県大村市の馬場恵峰先生宅にJR経由で向かった。翌日の写真撮影の合間に、馬場恵峰先生に3名の和歌入りのお祝いの色紙を揮毫して頂いた。翌日は再度広島の明慶展で、その後、京都でサラ・ディビスさんのコンサートである。

 

色紙の揮毫

 馬場恵峰先生が、お祝いの色紙を作る際は、相手に合わせた意味のあるお祝いの和歌にする。その和歌に氏名の字を全て入れる。その歌は、和歌の書式になっていなければならぬ、という原則がある。だから、恵峰先生をして、3人分の和歌を作るのに大きな辞書をひっくり返しながら、丸と1日かかった。

 

贈呈

 その色紙を受け取り、一晩、大村市で泊って、翌日の9月8日、朝一番の電車に乗り、単線の長崎線を「特急つばめ」で博多まで行き、博多から広島まで新幹線を飛ばした。松本明慶仏像彫刻展の会場を再度訪れて、揮毫して頂いた色紙を3名に贈呈した。大変喜ばれた。

 その後、サラ・ディビスさんの京都アルティでの公演を聴くために、新幹線で京都に向かった。なんとまあ忙しいことです。この公演の記録は、「カテゴリー 音楽道」内のブログ記事を参照ください。

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2018-10-02 久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年9月16日 (日)

お金の作り方、私の金銭哲学

 2018年9月15日、京都府民ホールのアルティでのサラ・ディビスさんのコンサートのため京都に出かけた。アルティは、松本明慶仏像彫刻美術館より徒歩5分の場所にあるので、先に美術館を訪れた。昨日は、演奏会後に知人と食事をして帰宅が遅くなり、更に町内で不愉快な事件があり、ブログがアップできず恐縮です。

 

明慶さんのお話し

 美術館では、珍しく松本明慶さんが居られて有益なお話が聞けた。

 「今まで創ってきた仏像の新しいアイデアは、ものになるのに、10年はかかった。いくら私に力があっても、一人ではできない。皆の力があってできたこと。エジソンンも弟子が5000人いて、それを実用化するのに大きな力となった。エジソンのアイデアも、いうなればチャチなアイデアであるが、それを実用化するには膨大に人工がかかる。エジソン一人で、それができたわけではない。松本工房も40人の弟子がいて、その皆の力で今のアイデアが込められた仏像ができている。」と。

 

お金つくりの蘊蓄

 昼時、明慶さんから、美術館前の喫茶店でカレーをご馳走になった。明慶さんに出会って、8年目で初めてのこと。ご縁のカレーを食べるにも、10年くらいはかかるのを実感した?(笑) 食事をしながら明慶さんは「小田さんは、どこからお金を作っているの?」と聞かれたので、思わず私の金銭哲学と、その蘊蓄を述べて感心してもらった。

 「お金を使わないから、お金が残らない、豊かになれない。お金を使わねば、お金はたまらない」と私の金銭哲学を披露した。

 

お金は人生劇場の入場券

 貧しい身なりの独居老人が亡くなって、後から床下に、数千万円の札束が発見されたという話をよく聞く。お金はお足である。お足を足止めするから、お金に恨まれて嫌われるのだ。水とお金は、流さねば腐ってくる。恨まれる。お金を足止めすれば、お金エコノミー症候群になってしまう。それでは豊かになれない。

 一万円札は日本銀行券で、お金ではない。本当のお金とは「金塊」である。一万円札の日本銀行券は、人生劇場の入場券でご縁の交換チケットも兼ねている。それも有効期限があり、生きている間しか使えない。

 

退職金が紙くずに変身

 たまに預金封鎖、銀行券更新があり、紙くずになることがある。母方の祖父が退職金を銀行に預けていたが、昭和22年に新円切り替えの憂き目にあい、紙くずとなった。その話をよく母から聞いた。お金を銀行に預けていたためである。お金は「天」に預けねばダメである。

 

お金の魂

 お金は使ってこそ価値がある。お金を正しく使うと、お金がお友達を連れて帰ってきてくれる。正しく使わないから、大切に扱わないから、お金が己を見限って逃亡するのだ。

 モノには精霊が籠っているが、お金には魂が籠っている。お金の「魂」は、己の心に住む鬼が云うと書いて「魂」である。お金の使い方に、己の本心が現れる。その本心を見透かして、お金は逃げもし、寄ってもくる。全て己の心が決めること。

 

ご縁兌換券

 お金はご縁の出会い用の交換券である。お金を使って、出かけ、良いものを買い、良い出会いを見つけ、新しいご縁を捕まえるのだ。そのご縁が自分の未来を創る。そのお金を銀行や床下に閉じ込めて、預金通帳を見て自宅で一人、ニタニタしていては、幸運の女神とは出会えないし、誰も寄り付かない。

 

馬場恵峰先生の無価珍

 馬場恵峰先生は、自費で中国に240回以上も行かれた。一回30万円の旅費として7千万円ほど使った。形には何も残っていないが、しかし頭の中には智慧とご縁がお宝として貯まった。それを無価珍という。無価珍とは、計り知れない価値あるお宝という意味である。それで今の馬場恵峰先生がある。現在92歳、現役で、頭脳明晰である。60歳の時、社会貢献として1億円の借金をして350坪の土地に日中文化資料館を建設した。24年をかけて、借金を完済した。84歳の時である。

1img_3558   日中文化資料館

2img_3557   付属図書館

人への投資

 私は買うなら一番良いものを、付き合うなら一流の人と、そのためにお金を惜しまない。トータルでは、その方が人生経営が効率的で安く、お得なのだ。だから預金通帳の残高は少ないが、無価珍というお宝は貯まった。

 お陰で超一流の先生達の謦咳を聞くことができた。早稲田大学名誉教授篠田義明先生、ミシガン大学のスチブンソン教授、マセイズ教授、馬場恵峰先生、松本明慶先生、三好輝行先生とご縁ができた。

 

本への投資

 その出会いと同じ価値のある本の出会いのため、私は本代もケチらない。昨年は、書籍代が65万円であった。本の内容を、自分で経験して、それを本にすることを思えば、1000円の本代は、安いのだ。そう思って本を買っていたら、いつの間にか、本の総重量が4トンを超えた。高さ2.4m×長さ20mの本箱分の蔵書の量である。それの本棚(3列のスライド本箱)と収納書庫もリフォームで700万円をかける羽目になった。本は重いので床の補強が大変であった。その投資をして多少は智慧が付いた。

 

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日本企業の守銭奴

 今の日本の景気が良くならないのは、貧乏人が預金通帳を見てニタニタしていると同じである。企業は社員の給与を上げず、内部留保に努め、設備投資も控えている。これでは、企業は成長しない。社員は給与が上がらないので、財布の紐を閉めてお金を使わない。悪循環で、これでは景気が良くなるわけがない。

 

布袋様

 布袋様は弥勒菩薩の化身である。菩薩とは如来を目指して修行の佛道を歩く仏様である。布袋様は、現世で自由奔放に諸国を背中に袋を背負って歩く禅師である。その袋を堪忍袋という。その堪忍袋に無価珍を貯めている。無価珍は、諸国を歩き回ることで、経験を積み、智慧が付き、それが何物にも代えがたいお宝となっている。布袋様は、その堪忍袋の口をギュッと握りしめて、それが外にこぼれないようにしている。でもたまには、堪忍袋の口を緩めて、怒りを見せて、持てる智慧を少し出すのも、仏様の愛嬌である。豊かになるために、布袋様を見習って生きよう。先人が考えた智慧は素晴らしい。

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 馬場恵峰書画

2018-09-16  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年5月19日 (土)

石碑の揮毫

 彦根は書聖・日下部鳴鶴の出身地である。そのご縁ある彦根城博物館の看板石碑の文字が残念である。もっと正しい書体の豊かな感性の文字であってほしい。

 

日下部鳴鶴

 彦根城博物館には、明治の三筆の一人と言われた書聖・日下部鳴鶴の書が時折展示される。彼は、それまでの和様の書体から唐様に日本の書法の基準を作り変え、数多くの弟子を育成した。彼は書聖とも日本近代書道の父とも称される。彦根は日下部鳴鶴の出身地である。

 彼の義父の日下部三郎右衛門は、「桜田門外の変」時の護衛組長である。彼は最期まで大老・井伊直弼の籠の側で戦い、力尽きて闘死した。彼の名は、桜田門外殉死八士の碑の冒頭に名前が刻まれ、豪徳寺の井伊直弼公の菩提の後ろに祀られている。

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029l4a8378 桜田門外殉死八士の碑。向うが井伊直弼公の菩提 豪徳寺(東京)

 

 義父の死後、生活は困窮を極めたが、日下部鳴鶴は明治になって藩命により明治政府に仕え、大久保利通の第一書生として身近に接する。彼は、大久保利通を父のように思い接したという。その大久保利通は、明治11年(1878年)5月14日紀尾井坂で暗殺されるが、その第一発見者が日下部鳴鶴である。まだ温もりのある大久保利通の骸を抱きしめて、彼は天命を悟ったのだろう。義父とは言え、二人の父を政争で失ったのだ。これを機に、彼は誰にもその理由を告げず官を辞して書の道に進む。

 この彦根城博物館は明治以前の資料を展示するのが目的なので、日下部鳴鶴の書の展示が少ないのは致し方ない。しかしその日下部鳴鶴の図書も販売しているのだから、日下部鳴鶴の書を常設しても問題なかろうと思う。

 

彦根城博物館

 2018年4月12日に馬場恵峰先生をこの博物館に案内をしたが、この時は日下部鳴鶴の書の展示はなく、この秋に企画展があるということで、九州から来られた恵峰先生には残念なことであった。

 その後で、先生が指摘したのが、玄関の彦根城博物館の名前の入った看板碑の書体である。書体として残念だという。全て右肩上がりの字体で、全体バランスが取れていない。右に上がれば、左に下がる。それが自然の法則である。馬場恵峰先生にとって、日下部鳴鶴は書の師の宗家にあたる。馬場恵峰先生の師の原田観峰師が、日下部鳴鶴の書体をお手本に日本習字を創業した。だから日下部鳴鶴にご縁ある博物館の看板にこだわったのだ。

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 彦根城博物館

 

関ヶ原町歴史民俗資料館

 それに対して看板の書を絶賛されたのが、翌日の5月13日にご案内した関ヶ原町歴史民俗資料館の看板文字である。この字は、日下部鳴鶴の書のようで、今まで見た博物館の看板文字の中で一番の出来だという。

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恵峰先生揮毫の碑文

 恵峰先生には、自家の墓石と墓誌の揮毫をして頂いた。今回、その墓誌の碑文を見てもらうために先生を彦根に招待した。普通の書家は、恐ろしくて石碑の字は揮毫しないという。なにせ長期間も、字が後世に残るから嫌がるのだ。並みの書家ではない恵峰先生は、大村市内に数多くの碑文を揮毫されている。201733日、先生の案内で大村市にある先生が揮毫した石碑を見せてもらった。梅田のNTTテレパーク堂島ビルにある「大村藩蔵屋敷跡」の碑文も恵峰先生の揮毫である。

07 「大村藩蔵屋敷跡」は馬場恵峰師の揮毫

 梅田のNTTテレパーク堂島ビルにて 2015年10月8日撮影

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 「動員学徒の碑」(馬場恵峰師の揮毫)(大村市)201733日撮影

O4k8a9886 「史跡 玖島城跡」(馬場恵峰師の揮毫)(大村市)201733日撮影

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 「本経寺大村家墓碑群」(馬場恵峰師の揮毫)(大村市)2017年3月3日撮影

 

2018-05-19

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年5月 6日 (日)

「徳不孤 必有隣」とのご縁

 徳は孤ならず 必ず隣有り(論語)

  その意味は、「本当に徳のある人は孤立や孤独であることはない。純粋で高潔な人や謹厳実直な人は、とかく近寄りがたく敬遠されがちであるが、いかに峻厳、高潔で近寄りがたくても、真に徳さえあれば、必ず人は理解しその徳を慕い、教えを請う道人や支持するよき隣人たちが集まって来る。」である。

 人は、自ら学び得たことや、技量が世間に省みられず、認められないことは耐え難い。往々に、己の主義主張や心操を曲げて、世間に迎合してしまいがちである。しかし、道を求め続け、学を究め続ければ、おのずから理解者は現れ、支持する人も出てくるのだ。

 陰徳陽報として、目立とうが目立つまいが、人の嫌がることを陰徳として喜んでさせていただく下座行に徹すると徳は高まり、人々は慕い集ってきて孤にしてはおかない。

 

理解のご縁

 2018年4月13日の朝、馬場恵峰師を彦根市の松居石材商店にご案内した。その応接室にかかっていた額が「徳不孤」であった。私には、あまりに達筆すぎて読めなかったが、恵峰師はすぐ理解して、解説をしてくれた。それが上記である。

 この額は、松居石材商店の先代が、鳩山一郎氏を自宅に泊めてもてなしたことへのお礼として、鳩山一郎氏がその場で揮毫されたという。石屋さんだから、家に揮毫用の太い筆もあるのです。

 後日、政治家大野伴睦氏が、この額を見て「一郎の字だ、一郎の字だ」と喜んだという話を松居さんの叔母がしていたという。残念だが、今はその叔母さん以外に、その生き証人はいない。伝聞である。

 一介の石屋さんに鳩山一郎氏も大野伴睦氏も訪問してくるとは驚きである。松居石材商店は創業文政12年(1829年)で、創業189年のお店である。文政12年の前年には、シーボルト事件が起きている。文政12年は、「桜田門外の変」の起きた31年前である。私もよき石屋さんとご縁ができて嬉しい。

 

鳩山一郎

 鳩山一郎氏は、(1883年(明治16年)- 1959年(昭和34年))は、日本の政治家、弁護士である。第52・53・54代内閣総理大臣で、位階勲等は正二位大勲位。55年体制最初の内閣総理大臣を勤めた。

 鳩山一郎氏が提唱した「友愛」は、1938年に出版されたリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの著書『The Totalitalian State against Man』(直訳: 全体主義国家対人間)を原点としている。「友愛」の論語版が「徳不孤 必有隣」のようだ。

 

大野伴睦

 大野伴睦氏は、(1890年(明治23年)- 1964年(昭和39年))岐阜出身の日本の政治家で、東京市会議員を経て衆議院議員となり、衆議院議長、国務大臣北海道開発庁長官、日本自由党幹事長、自民党副総裁を務めた。没後、従二位勲一等旭日桐花大綬章。

 氏は典型的な党人政治家として知られ、「伴ちゃん」の愛称で親しまれた。また、「政治は義理と人情だ」「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」等の名言を残した。今まで私には、新幹線駅「岐阜羽島駅」を誘致した政治家としか頭になかった。今回、大野伴睦氏を見直した。

 

ご縁の不思議さ

 今まで、お墓を作るための打ち合わせで、この松居石材商店を訪問してこの額を何回となく見ていたが、今回、馬場恵峰師を松居石材商店にご案内したご縁で、その意味を初めて理解した。少し恥ずかしい。また鳩山一郎氏と大野伴睦氏に、いまさらながら親しみを覚えた。

 2018年5月4日、松居石材商店のご主人を改めて訪問して、この額の写真を撮らせて頂いた。ご縁に感謝。

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2018-05-06

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2018年5月 5日 (土)

日下部鳴鶴書の伝承者

 馬場恵峰先生は、原田観峰師の一番弟子である。原田観峰師(1911~1995)は日本習字の創立者である。原田観峰師は、窯元12代目の馬場恵峰師(当時43歳)を見込んで、窯元当主を廃業させ、京都に単身赴任で呼び寄せて一番弟子として修行をさせた(昭和45年)。それで今の馬場恵峰先生がある。

 当時20名の窯元の社長の身から、修行の弟子扱いになり、給与はうん分の一の7万円に急降下である。ボーナス無し、深夜まで働いても残業手当なしの生活である。週に二回は徹夜の日々である。当時、原田観峰師は独裁者で、口答えは許されず、多くの同僚が辞めたという。今でいうブラック企業並みである。だから恵峰師は、京都では良い思い出がないという。それ以来、師は京都には足を運んでいない。当時、先生が、京都から九州に帰ると旅費だけで3万円が飛んでしまう。だから2年間、帰郷もせず京都で頑張られたが、体を壊して九州に帰られた。その間、三根子先生が九州で5人の子供を抱えて、書道を教えながら家庭の生活を支えられた。頭が下がる。多くの塗炭に満ちた苦労があり、今の恵峰師がある。単に字が上手かったから、今の書道の腕が出来上がった訳ではない。

 ほぼ同じ時期(昭和48年)、私は前職のトヨタ系の会社に入社して、初任給は7万6千円、残業代も多大で賞与もありの生活である。先生のそれと比較すると自分の恵まれかたに対して、先生に肩身が狭い。

 

原田観峰師の功績

 原田観峰師は、明治44(1911)年3月21日、福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)に生まれる。幼少期より筆をとり、卓越した書の才能をすでに見せ、勉学も優秀であったという。明治の三筆と言われた日下部鳴鶴の書を学んで、日本習字の元となる字体を作った。昭和28(1953)年、同地で西日本書道通信学会(公益財団法人日本習字教育財団の前身)を創立し、「正しい文字・美しい文字」の普及活動を展開した。日下部鳴鶴の書が、芸術の字ではなく、誰でもどこでも、何時でも読める字を書いてきた。だから原田観峰師の字もだれでも読める明快な字である。原田観峰師は、平成7(1995)年に亡くなるまで、多くの受講者のため、手本執筆と講習会等に奔走し、その半生を書道教育に尽くした。

 

弟子の相伝

 日下部鳴鶴は馬場恵峰先生の宗師に当たる。だから、恵峰先生がよく「俺の字は、日下部鳴鶴の字とそっくりだろう」という。2018年4月12日、馬場恵峰師を彦根市の長松院にご案内して、井伊直政公出陣の掛け軸をお見せしたら、揮毫された日下部鳴鶴の字を示して、「「英」と「春」の字は俺(恵峰先生)の字とそっくりだろう」と説明された。それが師弟関係での字の相伝だという。確かに、私の家にある馬場恵峰先生の掛け軸の字とそっくりである。弟子の相伝を納得した。

1p1100350  馬場恵峰師 長松院にて  2018年4月12日

2p1060924 日下部鳴鶴書  「東作」は若い頃の雅号

31img_4428 馬場恵峰書 「英」に注目

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 馬場恵峰書 「春」に注目

 

2018-05-05

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2018年5月 3日 (木)

身閑夢亦安養心

 2018年3月28日、大村市の馬場恵峰先生宅に写真撮影のために訪問したおり、壁にかかっていた「身閑夢亦安養心」の掛け軸が目に留まった。読み方を聞くと「身のどかにして、夢また養心を安んず」である。これは恵峰先生が心がけている信条とか。またその軸は、日本では入手困難な貴重な中国製である。なにか閃くものを感じて、即、譲っていただく決断をした。

 この軸は特殊な模様の入った紙材で、先生の書き賃よりも軸の原価のほうが高い。

 

忙と閑

 「忙しく」慌ただしく日々を過ごしても、良き人生は送れない。しいと(のどか)は対極にある。「忙」とは「心」を「亡」くした状態である。

 「閑」とは門の間に木を置き、他からの侵入を防ぐ仕切りの意味を表わす。一人静かに考える環境と時間を作りことである。そうしないと人生の道を誤る。

 ギリシャ時代の哲学者(スカラー)は、労働は奴隷にさせて、自身は閑だから哲学を考えていた。閑だから考えれるのだ。哲学者のスカラとは、ラテン語で閑という意味から派生した言葉である。学校(school)もスカラから派生した言葉である。閑だから学べるのだ。

 

組織の長の役割

 行政の長の中には、全ての行事に顔を出して、自分の顔を売ることに余念のない市長がいる。忙しすぎて、大事な市の行事の神事で居眠りさえする。抹消的なことに執着して、大事な百年の計には頭が回らない。些細な行事は副市長やその委員長に任せればよいである。市長がしゃしゃり出ても何の付加価値も生まない。それはルーチンワークで、戦術のレベルである。組織の長は、戦術ではなく100年の計、戦略を考えねばならぬ。

 

夢の実現

 忙しい忙しいと自慢するように走り回っている経営者がいる。私は彼を自分の時間を作れない愚か者だと軽蔑している。それでは戦術に溺れている実務者でしかない。それは部下に仕事を託す才覚のない経営者である。部下が育たないから、ますます忙しくなる。それでは夢の実現など、夢の夢の悪夢である。

 この軸を自宅に持ち帰り、早々に座敷に吊るして毎日この軸を眺めている。心が安らぐ日々である。私はこの軸を眺めながら、閑(のどか)に20年後の夢が実現できる戦略を練っている。 

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 梱包のために軸を下す恵峰先生 2018328

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  珍しい模様の入った軸。恵峰先生は、表装された軸に直接揮毫される。

 

2018-05-03

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2018年5月 2日 (水)

岩村の石室千体佛に参拝

 7年に一度だけ開帳される岐阜県恵那市岩村町一色の「石室千体佛」が、2018年4月22日から5月6日まで一般公開されており、私は5月1日に参拝した。

 岩村駅に着いて、当初、私は隆崇院に石室千体佛があると思い込んでいたので、目的地とは反対方向の隆崇院の方向に歩いたので、時間ロスをしてしまった。途中でおかしいと気が付き、途中で石室千体佛御開帳のご奉仕の方に出会い道順を教えて頂いた。感謝。

 岩村の街並みを歩くと、白い紐が岩村の街並みの中心地から約1キロ離れた「石室千体佛」の中尊一体まで結ばれ、道しるべの役割にもなっていた。

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 小山の上が石室千体佛

石室千体佛

 石室千体佛は経塚で、寛永9年(1632)、岩村城主松平乗寿が住民の安泰繁栄などを祈願して建立した。乗寿は菩提寺の瀧厳寺に命じて浄土三部経千部を石筐(石の箱)に蔵め地中深く埋蔵し、その上に石室を設け一千体の阿弥陀像を安置した。埋めて上に石室を設け、千体の阿弥陀佛像を安置したとされる。

 石室千体佛は110年を経て荒廃してきたので、岩村城主の乗賢は大給松平本家の下総国佐倉城主松平乗邑と相談し、寛保元年(1741)に協力して修繕再営した。石室を改修するとともに佛像も新しくつくり替え、前の古い佛像は供養して地中に埋蔵した。

 佛像は1001体ある。中尊一体はご身長一尺四寸(約42cm)座光共に三尺六寸(約109 cm)で小佛千体は三寸(約9 cm)で座光共に四寸(約12 cm)であるが、小佛千体のうち10体は100体ごとの首像として四寸(約12 cm)座光共に五寸五分((約17 cm)と少し大きい。一千体とも金彩(金箔)が施してある。

 石室千体仏を再営した乗賢も乗邑も乗寿の曽孫であり、三人とも老中の大役に任じられ、乗邑は将軍吉宗と組んで享保の改革を断行した。

 (平成30年3月 恵那市教育員会作成の説明書より)

 

拝観と写真撮影

 石室内部の仏様は身を屈めてのぞき込まないと拝めない。親切な配慮として手前に鏡が置かれており、そのお姿が鏡に映っている。金箔が施された佛像は、数が千体もあるせいで壮観であり、有難味が感じられる。また7年ぶりの御開帳で、かつ写真撮影が許されているので、有難い。

 多くの寺院で仏像の写真撮影が禁止されているが、是非、解禁をしていただきたい。禁止をしてお寺さんにどんなご利益があるのか。お寺で売っている写真が売れなくなるのが、原因のようだ。料簡が狭いではないか。佛道に反している。

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街の風景

 今回の石室千体佛のご開帳では、岩村がNHK連続テレビ小説「半分、青い。」のロケ地で、ドラマとの相乗効果もあり多くの観光客が訪れていた。また4月9日放映の「鶴瓶の家族に乾杯」でも取り上げられたようで、街では「オジサン、テレビに出ていたね」とお店の人に声をかける観光客も多くいた。

 石室千体佛を参拝した後、ぶらぶらと岩村の街をのんびりとぶらついた。五平餅を食べ、ラムネを飲み、あつあつの焼き栗を食べて、ささやかな幸せを感じた。ハンバーガー店などのファストフード店がないのが気持ちよい。

 今回の岩村訪問の目的は石室千体仏参拝以外にもう一つは、岩村の街並みの軒先に掲げられている佐藤一斎の言葉を書いた板の調査である。現在、あるプロジェクトを計画している。

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2018-05-02

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite  Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年4月26日 (木)

恵峰師「たねや美濠美術館」見学

 2018年4月12日、彦根市「たねや」内にある「たねや美濠美術館」に馬場恵峰先生ご夫妻をご案内したら、そこには、井伊家が集めた殿様用の陶器や書画が展示されていた。元窯元の主で陶芸に造詣の深い馬場恵峰先生は、目を細めて鑑賞されていた。

 

たねや美濠美術館

 この美術館には、江戸後期から明治中頃までの約70年間に光彩を放った「湖東焼」の銘品の多くが展示されている。湖東焼は、彦根の宝である。金襴、赤絵金彩、色絵、染付、青磁のほか、九谷焼や伊万里焼の写しなど、多彩かつ華麗な品々が約55点も展示されている。

 湖東焼と彦根藩井伊家は深い関係にあり、その造形の深さや独特の風合いには、彦根の歴史が映し出されている。湖東焼は幕末の激動の時代の荒波に呑み込まれて、各地に散在してしまっていた。その湖東焼を、ふるさと彦根の地で現代に残し伝えたいと、「たねや」が2003年9月「たねや美濠美術館」を開館した。同じ湖東焼の名品が、埋木舎にも展示されている。

https://taneya.jp/shop/shiga_mihori_museum.html

 

 私は、この「たねや」にはこの数十年間、年に数回も訪れているが、まだ入ったことがないのはお粗末であった。今回、たままた馬場恵峰先生ご夫妻を昼食に案内して、この美術館に案内することを思いついた。先生を「たねや」で昼食にご案内することを思いつかなければ、一生入館しなかったかもしれない。

 

無事是貴人

 この美術館の一角に井伊直憲公の軸が展示されていた。それが「無事是貴人」である。井伊直憲は桜田門外の変で暗殺された井伊直弼公の跡継ぎである。父の非業の死を自分の人生に顧みて、殿様との立場で「無事」であることの有難さをつくづくと実感していたのだろう。井伊直憲公も井伊直弼公と同じく禅の造詣が深かったのだろう。それが「無事是貴人」だと思う。

 井伊直憲公は書家ではないので、字体自体は馬場恵峰先生の書とは違うが、よい掛け軸であった。こんど長崎に行った時、恵峰先生に「無事是貴人」を揮毫してもらおうと思う。

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 2018年4月20日、馬場恵峰先生宅を訪問したとき見つけた書です。即、入手しました。

24k8a9394 馬場恵峰書 「今日無事」

貴人とは

 禅語「無事是れ貴人」の「無事」とは、平穏無事の無事でもなく、また、何もせずにブラブラすることでもない。「無事」とは、仏や悟り、道の完成を他に求めない心をいう。「貴人」とは貴族ではなく、貴ぶべき人、すなわち仏であり、悟りであり、安心であり、道の完成を意味する。

 私たちの心の奥底には、生まれながらにして仏と寸分違わぬ純粋な人間性、仏になる資質の仏性がある。それを発見し、自得することが禅の修行であり、悟りであり、仏になることである。私たちは、それを外に求めてさまよっている。

「求心歇(や)む処、即ち無事」と、禅師は喝破する。求める心があるうちは無事ではない。「放てば手に満てり」という言葉があるが、「求心歇む処」が無事である。その無事が、そのまま貴人である。

 「但だ造作すること莫かれ、祇だ是れ平常なれ」と、臨済禅師は無事を詳解する。「面倒くさい」「むずかしい」の反対語に「造作なく」という言葉がある。当然のことを造作なく当然にやることが平常であり、無事である。いかなる境界に置かれても、見るがまま、聞くがまま、あるがままに、すべてを造作なく処置して行くことができる人が、「無事是れ貴人」という。

『白馬蘆花に入る -禅語に学ぶ生き方-』細川景一著 1987年 禅文化研究所刊より 原文の一部を簡潔な表現に修正しました。)

 

2018-04-26

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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