c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2018年11月 8日 (木)

磨墨知340-2. 家の玄関に骸骨をぶら下げない

 笑顔がご縁を呼ぶ。ご縁とは時間の缶詰である。笑顔で皆さんと接しよう。私でも、しかめっ面の人とは話などしたくない。その分、しかめっ面の人は、ご縁と出会う機会の確率が少なくなる。時間の喪失である。

 

 「顔色や容貌を、いきいきと明るく見せることは、人間としての基本的なモラルである。なぜなら人の顔色は、 家の門口のようなものだからである。広く人と交際して、自由に付き合うには、 門をひらき入口を清潔にし、客が入りやすくすることが大事である。

 ところが、本心は人と交際を深めたいのに、顔色に意を用いず、孔子の格言を信じて、ことさら渋い顔つきを示すのは、入口にガイコツをぶら下げ、門前に棺桶を置いているようなものである。これでは誰も近づかなくなる。」(福沢諭吉)

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2018-11-08 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月 7日 (水)

恵峰先生に厚かましいお願い

 長く馬場恵峰先生の教室に掲示されていて、前から気になっていた書画があった。なにか絵の構成がしっくりこず、購入を躊躇していた。

 書友のTさんも、この書画が間延びしていることには同意見だったので、2018年10月5日、先生に間延びしている空間に、追加の文字を書いてもらうお願いを、恐る恐るした。そうしたら、すぐ「書きましょう」と言って、その場で「無量寿」と「行雲流水」を書き足された。これで全体が締まり、書画が人生を表す絵として、格が上がった。書の大家の先生に厚かましいお願いをしてよかった。すぐに「無量寿」と「行雲流水」を思い浮かべて、書き足す先生の才能はただものではない。

 

この書画の意味

 この書画は人の一生を表わしている。人生の最初は、みんなと一緒に修行をする。その修行は、無量寿をめざすこと。無量寿とは、(梵)amitāyusの訳で、阿弥陀仏の寿命が無量であるところから阿弥陀仏になることをめざすこと。

皆との集団修行がおわれば、人として一人前になり、一人自分の道を歩む。それは「行雲流水」のごとくである。行雲流水とは、空をゆく雲と川を流れる水のように、執着することなく物に応じ、事に従って行動することである。

 いくら頑張っても人生100年である。何を愚かに物事に執着するのか、己を自然の一部の存在として、行雲流水の如く生きよとの教えである。

 そして老いて一人静かに庵で人生を振り返る。その後ろの障子に己の影(人生の歩み)が投影されている。その影の描写がなかなかに良い。

 この絵に「無量寿」と「行雲流水」を書き足して、全体の意味がよくわかるようになった。

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2018-11-07   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月 6日 (火)

磨墨知76. 自分を見失わないように

 自暴自棄での行動や、迷っての判断ミスが最大の時間ロスである。その苦しみは、仏様が与えた己の成長のため訓練である。進むべき方向はどこ? 自分を見失わず、冷静に自分を見つめよう。

 その欲しいモノを手に入れても、それが自分の一部となって価値ある力となるのか。よく考えて手に入れよう。己の人生に力にはならぬ荷物を手に入れると、付加価値なき時間ロスを生む。生まれた時は、みな裸。自分ファーストで、時間を創ろう。

 下記は、平成24年の明徳塾で、恵峰先生がこの原文の書かれた巻物を皆さんに見せて、講義をされた。私は感銘を受けて、その文言を板材に揮毫してもらった。

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2018-11-06   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月 5日 (月)

岩村を散策して出会うご縁

 2018年11月3日、恵那の岩村に前回、お世話になった恩人を探しに行ったが、空振りであった。岩村の町並みを2時間ほど歩き、探しあぐねて、気分転換で岩村城跡にタクシーで登り、山城からの帰りをゆっくりと麓まで下り、岩村の街を散策した。岩村城跡の散策は、後日の報告です。

 その帰路、落ちついた雰囲気の茶屋「きままや」を見つけて、お店の人と世間話をしながら、ぜんざいとコーヒーを賞味して山道の疲れを取った。そこでお店自慢の梅干しを見つけ、購入した。お店の中にお茶会用の赤の傘があり、風情のあるたたずまいである。

 その外は、観光客がガイドの旗に続いてぞろぞろで、大勢の観光客が散歩していた。朝ドラの半分青いの影響のようで、岩村は大賑わいである。

 お店の人に、探している車の話しもして、そのご縁で「狂歌?」を壁に見つけ、木の篆刻と佐藤一斎顕彰会の幹事の先生のことを聞いて、少しの収穫があった。岩村の人情の厚さを再確認した。恩人には会えなかったが、再度、訪問するご縁を頂いたと思うことにした。

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 その茶屋の壁に貼ってあった面白い詩(狂歌?)を見つけた。下記が掲示してあった。何時までも若いと思っていたが、私も何時しか初老を迎える年となり、81歳の愚行を笑えなくなった自分を発見した。出歩くと、毎回、新しい発見がある。まだ出かける元気があるだけ幸せと思おう。まだまだ92歳の恵峰先生には負けられない。

 

18歳と81歳の違い

 道路を暴走するのが18歳。  逆走するのが81歳

 心がもろいのが18歳。    骨がもろいのが81歳

 偏差値が気になるのが18歳。 血糖値が気になるのが81歳

 受験戦争を戦うのが18歳。  アメリカと戦ったのが81歳

 恋に溺れるのが18歳。    風呂で溺れるのが81歳

 まだ何も知らないのが18歳。 もう何も覚えていないのが81歳

 我を忘れて没頭するのが18歳。己を忘れてしまうのが81歳。

 借金を忘れないのが18歳。  貸した金だけは忘れないのが81歳。

 眼鏡をかけるのが18歳。 頭に載せた眼鏡を忘れるのが81歳

 ボケーとするのが好きな18歳。  惚けているのが81歳。

 携帯の11桁を覚えられるのが18歳。

   携帯をどこに置いたか覚えていないのが81歳。

 東京オリンピックに出たいのが18歳。

   東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳

 自分探しで旅をしているのが18歳。 

   出かけたまま行方不明で皆で探しているのが81歳

 「嵐」という松本潤を思い出すのが18歳。

   鞍馬天狗の嵐寛寿朗を思い出すのが81歳

  (紫字は著者作)

 

篆刻

 このお店のご主人が木の篆刻をされていて、それが展示されていた。石材の篆刻が普通だが、形状が制限されるので、もっと自由な木に篆刻されている。なかなかに趣がある。木だけに少し緻密さには欠ける。

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ご縁

 ここで世間話として、佐藤一斎顕彰会の幹事の先生を教えてもらった。次回、馬場恵峰先生の揮毫の板を寄贈する話を相談すると良いと助言を受けた。恩人の車は見つからなかったが、新しいご縁が見つかりそうである。

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五平餅を買うのに長蛇の列

 

2018-11-05   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月 4日 (日)

岩村で神隠しに出会う

 2018年11月3日、恵那の岩村に前回、お世話になった恩人を探しに行ったが、空振りであった。

 2018年10月21日、馬場恵峰ご夫妻を岩村に案内した時、帰りの14時15分発の明智鉄道の電車に間に合わない状態寸前になり、焦って近くの停車中の車を見つけて、運転の婦人の方に厚かましくもお願いをして、岩村駅まで送って頂いた。そうしないと、恵峰先生ご夫妻が九州に帰る飛行機に間に合わなかった。第三セクターの明知鉄道は、運行本数が少なく、次の電車は1時間22分後の15時37分発なのだ。それでは完全にアウトであった。

 

恩人探し

 2018年10月31日、九州の恵峰先生宅を訪問して、その時の礼状とお礼の色紙の2枚を預かり、善は急げと11月3日に岩村に足を運んだ。ところが、岩村駅から10分くらいの場所の近辺を車の写真とナンバーを示して2時間ほど探し歩いたが、誰も知らないのだ。白のトヨタIsisだからすぐ探せると思ったが、その車を近くの人は誰も乗っていないという。まるで神隠しにあったようだ。

 車は白のトヨタIsis 岐阜ナンバーの「せ4821」。情報をご存知の方は小田までお知らせください。この方は、車の保管場所標章から見ると恵那市に住まいする方である。岩村には親戚か知人に用があって訪れていたのかもしれない。

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 2018年11月3日 岩村

 

恵峰先生と恵那のご縁

 馬場恵峰先生も以前に恵那までは来たことがあるが、その近くに佐藤一斎の岩村があることは、知らなかったという。その昔、30年ほど前、恵那から8名ほどのお弟子さんが、京都の日本習字本部の恵峰先生の所に、熱心に通ってこられたという。その方たち霊が、今回の恵那・岩村に呼んでくれたのだと感謝していわれる。「この歳で、よもや恵那に行けるご縁に出会うとは」と岩村にご案内したことに大変感謝されたのは、私には想定外であった。地獄で仏に出会うような車の手配も、その方たちの霊が手配してくれたようだ。感謝。

佐藤一斎の言志四録を出版予定

 そのご縁で、私が恵峰先生宅を訪問した機を同じくして10月31日に、佐藤一斎の言志四録の抜粋の恵峰書「言志四録 51選訓集」が、完成した。岩村訪問後、わずか10日間で、その書を書き上げた恵峰先生の情熱には驚きである。早々に写真に納め、今年中に出版予定で仕事を進めている。

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2018年10月31日 馬場恵峰先生 「言志四録 51選訓集」

 

2018-11-04   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月31日 (水)

素晴らしい人生よりも充実した人生

 うまくなったら良い紙に正式に書こうと思って、安い紙に書いて練習しているから上手くならない。どうせ皆さんは上手くないのだから(爆笑)、今、持てる技を全て使って、良い紙に丁寧に、真剣に毎日書くこと。それを継続すれば、必ず上手くなる。どんな揮毫も丁寧に一期一会のつもりで真剣に書く。だから後世に残る作品ができる。」(馬場恵峰師談)

 

充実した人生

 恵峰師は、どんな書でも書画でも直接、表装された軸に揮毫される。神業である。この世の出来事は、すべて一期一会、どんな事象にも、冷静に丁寧に誠意をもって対処すれば、素晴らしく楽しむ人生道を歩めると思う。

そのためには、そのご縁の舞台も、より良き場所、より良き人物、より良き時、より良き方法を選んで対処すれば、より良きご縁の舞台になる。与えられた紙(機会)ではなく、自分で機会を見つけよう。そうすれば素晴らしい人生ではないかもしれないが、充実した人生、後悔のない生き方、楽しむ生き方ができるはずだ。素晴らしい人生は運の支配する世界だが、充実した人生は自分で生み出せる。

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2018-10-31   久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月28日 (日)

磨墨知126. 自燃(=自然)

 人間は燃えているときに仏性を持つ。魂の燃える情熱が時間と障害の壁を打ち破る。仏性には無限の時間を有する。

 醒めた人間は、燃える人を冷ややかに眺めるだけで、何も行動に移さない。覚めているから、すぐ損得計算をして、「ワシには関係ない」と無視である。暇だから悪魔の囁きに耳を傾け、悪魔に魂を売る。悪魔は無為無策無志無動の極楽切符をくれる。その切符は認知症街道にまっしぐらである。

 感動とは心を動かすこと。覚めていると心は動かず、無動である。それでは何も成し遂げられない。

 

用を作って、用に燃える

 馬場恵峰師は、還暦の時、社会貢献として、家屋敷を担保に私財を投じて1億円の借金をして350坪の土地に日中文化資料館を建てた。その借金を24年間かけて、84歳で完済した。

 恵峰師は中国に私費で240回も渡航している。旅費だけで約7千万円が消えた。しかし智慧という財産が残った。人から見れば、「馬鹿かいな、アホかいな、中国にどげんか用があるばってん?」である。恵峰師曰く、「用があるから行くではない。用を作りに行くのだ」。恵峰師は92歳の現在(2018年)も、現役でバリバリである。馬鹿かいな、とあざけった人たちは、早くあの世に旅立って行った。

 馬場恵峰師に健康の秘訣を聞いたら、今は時間があるから、若い時よりも多く勉強している。毎日、朝晩の庭の草取りは欠かさない」。健康とは、体の健全さと心のやすらかさをいう。心身が健康でないと、時間を作れない。

 自分が燃えなければ、勉強はできまい。時間を持て余し、食っちゃ寝、食っちゃ寝では、確実にボケる。「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」では人生の末期が哀しい。老いるほど、人に負けないように自分で燃えよ。それが人生時間を創る。

Photo 日中文化資料館(敷地350坪) 平成元年 建設   

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三昧楼(付属図書館) 平成五年 建設

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2018-10-28   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月22日 (月)

馬場恵峰先生と伊勢神宮・岩村の旅

 恵峰先生は、2018年10月20日、長崎空港から朝一番のセントレア11時10分着のANA機で来名して、名古屋経由で伊勢神宮に行き、夜、大垣のホテルでF先生と会食、大垣宿泊の行程であった。翌日は岩村である。92歳、88歳の高齢者のご夫妻には強行軍で、少々恐縮ではあった。

 当日、宿泊する大垣フォーラムホテルに着いたのは、予定より2時間遅れの夜8時半であった。休日の伊勢神宮の混雑ぶりを見込み違いした。今回、初めて休日に伊勢神宮に参拝した。休日の混雑具合を甘く見たのが原因で、休日の夕刻は、伊勢神宮の周りは大渋滞でタクシーも動かない。渋滞の為、タクシー料金が、五十鈴川駅から片道1130円が1450円に跳ね上がる。

 

伊勢神宮参拝

 今回、伊勢神宮に参拝して、神楽殿での雅楽の奉納、正宮の板塀内での特別参拝と馬場恵峰ご夫妻に喜んでいただけた。恵峰先生は、このために揮毫した「天照皇大神」の軸を伊勢神宮に奉納された。それは斎戒沐浴しての揮毫である。それと同じ軸をお土産として、私も頂いた。

 今年、恵峰先生は、中国の黄山(1840m)の頂上を5時間も走り回ったという呆れた話を聞いた。現地の中国人も先生の齢を聞いて祝意を述べたという。先生の元気さには脱毛(?)である。今回、足の悪い三根子先生に少々負担をかけて恐縮である。

 

伊勢神宮異聞

 伊勢神宮への参道沿いに、石灯籠が整然と並んでいた。岸信介や吉田茂奉納の石灯籠もあったという。最近、それの上部がバスのバックミラーと接触して、上部が落下して老人が亡くなられたという。その上部は固定されていなくて、置いてあっただけという。そのため安全のため、参道の石灯篭の全撤去が決まった。現在撤去工事中で、今残っている石灯篭が今回の見納めだという。タクシーの運転手さんが教えてくれた。

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 撤去工事中の石灯篭

会食のご縁

 当日の夜、私の30年来の師であるF先生に、恵峰先生との会食に付き合っていただいた。恵峰とF先生の波長が合い、人生論・教育論を当夜と翌朝の朝食会場で長い時間語り合って頂いた。私もその場に同席させていただき幸せであった。それが夜10時半まで続き、レストランに迷惑をかけたが、快く対応して頂いた大垣フォーラムホテルさんに感謝です。

 その翌日の会話も盛り上がり、懇談時間が想定外に延びたので、10月21日の朝の岩村への旅があわただしくなった。また大垣駅に行く途中で、大垣市制100周年記念行事の未来博で、ソフトピアジャパンの近辺の大渋滞に巻き込まれたのも想定外であった。

 

運命のいたずら

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人間の人知では到底はかり知ることができない。今回、それを実感した。

 F先生とのご縁は、私が仕事の関係で別の事業部に飛ばされて(元の部署ではポスト不足で昇格できないため、異動となり別の事業部で課長に昇格した)、そのご縁でF先生とご縁ができた。

 恵峰先生と私のご縁も、所属していた会社が合併で消失したため、奈良に異動となり、そのご縁で知り合うことになった。

 この二つの私には不本意な異動がなければ、絶対に会うことのない3名のご縁であった。自分が天の大きな差配の力で動かされているのを感じた。今回、恵峰先生とF先生の出会いは初めてである。F先生が、恵峰先生の経歴と書に興味を持たれて、今回の会合が実現した。一流の人は、一流の人の匂いが分かるようだ。他の人を会食に誘うため探したが、適任者がおらず、藁をもすがる思いでF先生に打診したら、快諾を頂いた。それが、大正解であった。恵峰先生とF先生は、私の人生の4人の師天王のうちの2名である。

 

お弟子さんの霊が呼んだ

 恵峰先生ご夫妻が、JR中央線の途中の武並駅と恵那駅の街並みを見た時、非常に懐かしがれて、大感激された。それは私には想定外。聞けば、昔のお弟子さんが、恵那におられて、8名ほどで京都の日本習字本部に先生から学ぶために頻繁に来られたとか。生きておられれば80歳90歳のため、「多分そのお弟子さんたちの霊が恵那に我々を呼んでくれたのだ」と感謝された。大村市では、恵那市の知人は誰もいないとか。

 また恵峰先生の曽祖父が、日本中を探して、ここの土地の会社を探し当て、陶器用の特殊機械の製造をお願いした歴史があるという。遠く九州の波佐見町から恵那まで会社を探しに来たという。曽祖父は、その家に泊めてもらい、機械の発注の手配をされたとか。この関係で、今でも岐阜からは多くの年賀状が届くという。今回の恵那への旅行を案内して、翌日にその件で九州の恵峰先生から電話がかかってきて、そのご縁を感謝された。耳の不自由な先生が電話をかけて来るのは稀有のこと。よほど嬉しかったようだ。佛様のご配慮である。

 

岩村への道中

 岩村に行く行程では、移動時間の関係と三根子先生の足を考えて、恵那駅からタクシーを飛ばした。以前に岩村を事前調査した時、岩村にはタクシーが一台しかなく、それもその当日にお休みであったので、安全を見て恵那駅からタクシーを利用することにした。タクシーの道中で聞けば、女性の運転手さんは九州出身とか。岩村に3人いる運転手さんの内の一人が、入院中とか。恵那駅からのタクシー料金は5500円ほど。恵那駅から岩村駅へいく明知鉄道は本数が少ないので、時間制約がある場合は、タクシー利用がおすすめ。

 

岩村散策

 岩村の街並みの外れまで行くのには、岩村駅からずっと上り坂であり、三根子先生の足では辛いのだ。それでタクシーで岩村の町並みの外れの高い位置まで行き、そこで車を下ろしてもらい、緩やかな約1㎞下り坂を岩村駅に向かって、岩村の街を見学しながら歩いた。

 当初の予定は、岩村山城と佐藤一斎記念館を訪問する予定であったが、時間の関係で割愛せざるを得なかった。

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岩村の街並みを散策する恵峰先生

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出版・寄贈の事前調査

 岩村で、今度、出版予定の恵峰揮毫佐藤一斎の『言志四録』の中の金言をどのようにするかを、恵峰先生と現地で確認しながら、岩村の街を散歩した。また各家の軒先に掲げられた佐藤一斎の金言の約200枚の木板を、別の形にする案を先生と相談しながら散策である。軒下の掲示された木板への揮毫では、どうしても風雪での劣化が避けられない。その対策を検討中である。

 もう一つの構想は、現在の佐藤一斎の金言の板を、恵峰師の揮毫で、有志を募って岩村に寄贈する。その板材にその寄贈者の名も小さく入れる。そうすれば寄贈者は、これを目当てに何度も岩村を訪問するし、知人に自慢もできるだろう。そうすれば岩村の町おこしのお手伝いにもなる。

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 この文言が人気あるようで、多く飾られていた。下図の板は風化している。

 2018年3月4日撮影

石碑からの学び

 道中に置かれた石碑の佐藤一斎の言葉の書体についても、恵峰先生より書道の面で教えて頂いた。文字の配置の点で、3文字の部分と4文字の部分の配置を逆にするとよいとのこと。これではバランスが悪いという。また全体の字の形は良いのだが、「一」の字体についての一言、解説があった。「一」の長さや形についての解説である。「憂」の上の「一」と中央部の「一」とが、長さの点でバランスが悪いという。

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岩村で出会った佛様

 帰路、岩村駅に歩いていく途中で、今の三根子先生の足では、明知鉄道の電車の出発時間14時15分に間に合わないことに気が付いて焦った。思いついて、街路の前方に停車中の車を見つけ、運転席の女性に、駅まで乗せてもらうことをお願いした。この電車に乗らないと九州への飛行機便が間に合わない。実に厚かましいお願いであったが、主婦の方は快く、進行方向の逆方向の駅まで乗せて頂いた。仏様の助けにあったようであった。名前は告げられなかったが、厚くお礼申し上げます。岩村の方の人情の温かさに感激である。

 その電車も遅れてきた我々3名を待って、出発してくれた。明知鉄道さんにも大感謝です。電車を待たせてごめんなさい。おかげで無事、18時10分セントレア発のANA便に間に合った。実にきわどい行程であったと思う。岩村からタクシーの手配は難しいのです。間に合ったのは、全て岩村の皆さんの人情の厚さのお陰と仏様のご配慮の賜物です。ありがとうございました。

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 明知鉄道 岩村駅    2018年3月4日の事前調査時

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 恵那駅  2018年3月4日の事前調査時

 

2018-10-22  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

今ここ、次はなし

 2018年10月10日、知人のN社長から電話があり、予定していた馬場恵峰先生との研修旅行の同行ができなくなったとの連絡である。「次回は参加させていただく」であった。しかし、「今ここ」しかご縁はなく、次回はないのだ。ご縁がないのだ。明日は分からない。これは一期一会である。

 半年も前に、10月20,21日の馬場恵峰先生との伊勢と岩村への旅行で日程を仮押さえをした人達が、直前確認で4名もドタキャンした。これも仏様の啓示だと思い、この計画を変更して、恵峰先生・三根子先生と私だけの旅行に切り替えた。

 これに懲りて、次回の計画はしない予定である。チャンスは2度とないのだ。自分でその運命の流れが見える様になった思いである。そのお陰で先生と一緒に伊勢神宮、F先生との会食、岩村を回る機会を仏様が恵んでくれた。そう思うことにした。

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2018-10-22  久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

連絡

 2018年10月20,21日と馬場恵峰先生が名古屋地区に来られたので、その接遇とその後の体調不良(風邪)でブログはお休みしました。今日は記載します。

 2018-10-22  小田泰仙