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2018年12月20日 (木)

出版案内2『金子みすゞ 詩の世界 55恵峰選集』

編集後記

 恵峰先生は力を込めて今まで、軸や色紙に金子みすゞの詩を揮毫してきた。当初、私はそれを横目で見ていただけであった。今回、馬場恵峰師は十mの巻物に金子みすゞの詩を揮毫された。私は、それを撮影、編集して、その過程で改めて金子みすゞの詩を読み直した。

 ここには、素直な心で事象を観察している観音様の目があった。それを金子みすゞは、観音菩薩の目になりきって詩にした。「大漁」で、陸で大漁の祭りをする中、海の底では多くの仲間の葬礼があるとは、佛様の目でしか言えない言葉である。「お魚さんは何も世話にならないし、いたずら一つしないのに、殺されて食べれるなんて可哀そう」も優しい心の表れだ。「私と小鳥と」で、「みんな違ってイイ」なんて、画一教育、競争社会に染まった人では、決して言えない言葉である。皆が同じであることがおかしいのだ。

 二宮尊徳翁夜話の冒頭の「香もなく音もなく天地は経を唱えけり」で感じたと同じ感触を金子みすゞの詩から得た。金子みすゞの詩は観音菩薩様の慈しみの声である。観音菩薩様は、だまって衆生の苦しみの声を観て、助けの手を差し伸べる。よき出会いに感謝。

           平成30年12月7日   小田 泰仙

Photo『金子みすゞ 詩の世界55恵峰選集』よりPhoto_2  大仏師松本明慶作 聖観音菩薩像

2018-12-20    久志能幾研究所 小田泰仙

e-mail :yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年12月19日 (水)

出版案内 『金子みすゞ 詩の世界 55恵峰選集』

 2018年12月19日、馬場恵峰書『金子みすゞ 詩の世界55恵峰選集』(小田泰仙編 久志能幾研究所刊)を出版しました。全60頁、A4版横、価格2600円。

 下記は馬場恵峰師の巻頭言と後書きです。本書では毛筆での記述ですが、このブログではテキストに落としました。原本は10mの巻物です。

 購入を希望される方は、メールにて小田まで申し込みください。発行部数が少ない為、一般書店には回せませんので、ネットでの直販です。

 

巻頭言

 金子みすゞは、昭和5年3月9日、3通の遺書を残して、睡眠薬を飲んで、10日、26歳の短い生涯を閉じた。私(恵峰)にとって考える時、(母は)36歳で弟(毅)を生んで2日後に亡くなった。その事と重ねて見て、私が3歳の時の出来事で、みすゞは「今夜の月のように私の心も静かです」の遺書を残している。

 生誕100年記念に出版の本の中から「人と人」、「人と自然」、「人と宇宙」等、金子みすゞの詩を選55首、此の巻物に走り書きした。

 昭和初期に(昭和2年4月生まれの私)、みすゞは消えた幻の童謡詩人。私たちの心にみすゞの詩が、今もこだまのように筆を走らせる度に私の心に響いてならなかった。

 「大漁」で、朝焼小焼だ、大漁だ、大羽鰮の大漁だ、浜は祭りのようだけど、海の中では、何万の鰮(いわし)の弔いするだろう」と言う詩がある。人の一生、人生の中で、生老病死、所行無常、生活のあらゆる場面で、多くの心の色どりに向い合い、「怒喜愛楽」で人事ではない。自己の人生の歩みの中で、チョット立ち止まって、此の詞文の心を味わい感じて見たらどうだろう。平成の終わらんとする今、静かに回想してみては。

 童謡は大正の初めから昭和の初めにかけて、錚々たる詩人、歌人達、さまざまな試みをなして大きなうねりを見せる。「創作童謡」は子供から大人まで幅広く熱い讀者をファンに得て、わが国の近代詩史にあっても類を見ない輝く詩歌の黄金時代を形成する。大正期の理想自由教育の流れと共に、明治期の文部省唱歌に対置する新しい子供の歌として、芸術性の香りを放つ童謡が、教育の現場にあっても急速に広まって行った。

 が、私の人生で軍国主義時代に入り、歌そのものも厳しく制限、限定され、軍歌なるもの流行、柔軟な心の表現、統制厳しく制限された。

 戦後は想像を絶する歌と踊りの世界が展開されている現代、みすゞの詩情等、全く今時ナンセンスかも知れないが、人の活きる日々、お互いが自からの人間の心の動きに反省と勇気、己を大切に延命長寿念じたい。

 

此の巻物に想いを込めて書き残して

 金子みすゞの詩は私の人生、一生の中で、時、所は異なれど、今92翁の身で筆り、自分の人生の歩みに少なからず相似たる思いあり。こうして一巻に代表的な詩まとめて見た。相似るとは、私の母は昭和2年私を生み、3歳の時、他界した。母の顔知らず。3歳の時、みすゞは36歳で死んでいる。私の人生、ここに書いたみすゞの詩の心が、童心の私の昔のいろいろの事につながって、今こうして執筆活動書道の歩みが、母、祖父等々の血脈の中で活き続いていることは私だけの魂の世界ここに述べられた。それぞれの詩文の中に働いているような気がしてならない・・・・こうした己の主観がついつい此巻物にこうした筆跡となったと思う。

2018年3月16日 恵峰

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2018-12-18  久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月18日 (火)

巻頭言 『佐藤一斎著「言志四録」51選集』

人生の歩み、皆縁あって花開き恩あって実を結ぶ今、ここに92歳の初冬末日、此一冊「言志四録」なるもの1133条からなる全訳本の中からわずか51条書き納めた。諸々の仕事の片わら、10日間で終わったが、全く思いもかけぬ1冊出来上がった。行きさつは、後記する。

中国に「菜根譚」あれば、日本に佐藤一斎の「言志四録」あると言う。昭和も天皇退位まで、今日31日で半年となった。「新天皇即位が201951日」報道ある今日、この記を成す不思議さ思い、毎日過剰報道に振り回されることなく、たとえ一刻なりと心静かに先達の英知を学び、心にとどめ置き、大いなる己の人生の歩みの中の貴重な精神文化の栄養に活用されたらと思う。「分を知り然る後に足るを知る」(言志四録42条)とあるは、心とどめる訓言であろう。人生の修養の糧として処世や、教育の心得として活用したらと思う。

  20181031日恵峰記

 

上記はこの1225日に出版予定の馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選集』(小田泰仙編集 久志能幾研究所刊)全64頁 価格2800円の巻頭言です。

本書では、毛筆での記述ですが、このブログではテキストに落としました。

購入希望者は、メールにて小田まで申し込みください。発行部数が少ないため、一般書店には回せませんので、直販です。

今日、最終原稿を印刷所に回しました。今から印刷工程です。

 

2018-12-18  久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月17日 (月)

岩村の先賢教育に学ぶ

 2018年12月17日、岩村の佐藤一斎顕彰会会長・鈴木隆一氏に面会して、今回出版する馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選集』の件でご挨拶をした。また今度、揮毫する板書の下打ち合わせとその手配を行ってきた。

 

学校教育

 その時、鈴木隆一氏より岩村での佐藤一斎の学校での教育についてお話を伺った。岩村小学校では、6年生の50数名に対して、佐藤一斎の教えの講義を、鈴木隆一会長が、年間6時間(2時間を3回)を担当されている。素直な年代の小学校生は、水が砂に沁み込むようにその教えを吸収するという。小学校生は、卒業までに、言志四録の名句を30句、暗記するのを努力目標に頑張っているという。日本の未来に少し希望が持てて嬉しかった。

 他にも近隣の山岡中学、岩村中学、恵那南高校でも、先賢講座として、佐藤一斎や下田歌子、三好学の賢人についての講義をしているという。地元の先賢に学ぶのは素晴らしい教育だと思う。

 

「西郷さんの言志録in 岩村」 (岩邑小学校のHPより)

   下記は岩村小学校の佐藤一斎を学ぶ活動である。

 恵那市岩邑小学校では、「ふるさとを愛する子」を育てることを大切にしている。岩村の小学校(恵那市立岩邑小学校)では、佐藤一斎を学ぶ一環として、今年は「西郷さんの言志録in 岩村」をテーマに下記を実施した。

1:ねらい

 子供達が岩村の町のどこに南洲手抄言志録の条文があるかを調べる活動を通して、次の2点をねらう。

(1)西郷隆盛という偉人と一斎先生とのつながりを学習することを通して、佐藤一斎先生の偉大さを実感して、言志四録の条文の理解を深める。

(2)現在、南洲手抄言志録が岩村のどこに掲示されているかの地図がないので、この地図を岩邑小学校の児童の力で創り上げることで、活動の成就感や、地域へ貢献することの達成感を味わわせる。

2:日時

 10月11日(木)8時30分出発~9時05分帰校(小雨決行)

 (朝の会後、8時25分知新門整列完了)(1)項を実施。

3:活動内容

 (1)1年生から6年生までが縦割り10グループごとに分担の場所へ出かけ、情報収集した。南州手抄言志録の句の場所を岩村の町で探しタブレットで写真を撮り、句のある場所をマークする。

(2)6年生が中心となり、集めた情報をどのように活用するかを考える。

(3)岩邑小学校全校児童による「西郷さんの言志録in 岩村」という情報地図を発行し、地域に活用してもらえるようにする。

 

「西郷南洲遺訓」とは

 「言志録」は佐藤一斎(1772~1859)が著した語録である。「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志耋録」の四書を併せて「言志四録」と総称され、全1133箇条で構成されている。一斎が40余年の歳月を費やして編纂した語録である。なお、「耋(てつ)」は「老いに至る」の意味である。「手抄言志録」は、西郷南洲こと西郷隆盛(1828~1877)がこの「言志四録」から101箇条を選び出して座右の書とした。西郷隆盛は、この書を流島の牢獄で繰り返し読み、自己の精神を鍛えたと言われる。佐藤一斎の「言志四録」なくして、明治維新はならなかったと言われている。

 

 2018-12-17 久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年12月14日 (金)

「生き活き教養塾」第一講

 馬場恵峰師は、「生き活き教養塾」をこの12月から1年コースで、開講された。毎月1回、朝10時と夜8時から1時間半の2回の講義で、先生の教室で開催である。これは、恵峰先生がこの10月に岩村に行き、佐藤一斎著『言志四録』の抜粋を揮毫するご縁の出会い、その内容を皆さんに伝えよう発案された。だから後、1年間は死ねないという。その話を恵峰先生から電話で聞いて、2018年12月13日、長崎県大村市に出かけた。鉄路6時間の旅である。

 

開講理由

 「知りたることを教えざるは、借りた金を返さざるが如し。」セミナーや講演会に出て、教えてもらったことや学んだことを人に教えないから、頭でっかちになり、自惚れ、傲慢になり、老化する。教えてもらったら、人に話せ。それが自分に返ってくる。自分だけに留めるから、自惚れになりケチになる。それは、知識泥棒、自惚れである。正しいことを伝えきる人間が人格者である。

 自分だけ分かって、人に伝えきらない人は、卑怯者である。自分さえよければという考え程、人を傷つけるものはない。

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講義のテキスト

 現在、先生は92歳。来年、4月には93歳である。恵峰師は岩村に行って、佐藤一斎から元気をもらったようだ。佐藤一斎は、まだ日本人の心の中に生きている。今回の講義のテキストは馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選集』である。その写真集は12月25日、出版予定です。下記はその講義録である。

 著書は、それを読むだけでは、解釈が難しい。それを説明してくれる道案内人が必要である。それを聞いて、今度は己が人の説かねば、その著書の真意が伝わらない。

 佐藤一斎著『言志四録』久須本文雄全訳注(講談社)は、全913頁の大作であるので、読みこなすのが大変だ。だから良き解説者について学ぶのがよい。私(恵峰師)も、今回、言志四録の抜粋を読み、書に揮毫して、初めて理解できたことが多い。

 

師とは

 太上は天を師とし

 その次は人を師として

 その次は経を師とする   佐藤一斎「言志四録2」

 

 太くて大きいは最上の人、天地自然を先生とする。その次の人は、尊敬する人を師とする。その次の人は、教えを師とする。だから指導者は仏教を知らねばならぬ。

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眼耳鼻舌心意の6つを浄化するのを信仰という。これが般若心経の真意である。それを学ぶのが天を師とすること。

 

生きる道

 死んで墓に毛布を掛けられまい。自分の身近な人に、生きている間に喜びと感動の毛布を掛けるのを慈悲という。それが真心である。

 人の生きる道を教える勉強として、この講座を始めた。人のために学んで欲しい。

 「他山の石に学ぶ」の、他とは、多くの山(産業)のこと。石とは「意思」のこと。人の言うことに耳を傾ける。その日頃の積み重ね(努力)が、人格となる。これを「努力に勝る天才なし」という。

 

目は心の窓

 ものは心が観ている。心がその気にないと、あれども見えず、である。

 心の窓が曇っていると、人を見るとイラっとする。

耳は自分の行動を浄化するための器官である。

 他人様の諫言は、自分を浄化するためにある。

 菜根譚に曰く、耳には痛いことばかり、それが自分の成長になる。

口は消化するための器官

 人に話したことだけが、自分に返ってくる。話さないから、自分の頭に残ない。口は、言葉を消化するため。糧を食べるのではない、他の命を頂くのだ。

足は自分の意思を決定するために使う器官。

  その気になり、その意志がないと、足が動かない。

  生きているうちに持つのが「師」。全員が持っているのが「死」。

手は自己の表現器官。

  書道は字の書き方の勉強ではない。字を通して、明日の人生の豊かさを育成するためにある。書いてまとめることで、新しい発想を得る。その表現を機械(PC)に任せるのが今の時代。それでいいのか。その時代だから、手で書いた手紙が人を感動させる。

 書かなければ、自分のモノにならない。今回、私(恵峰師)は、佐藤一斎「言志四録」を揮毫して、初めて身に染みた。

 

挨拶

 挨拶は礼儀ではない。挨拶は、めぐり逢いの喜びの声であり、感謝の表現なのだ。心の表現が挨拶である。「こんばんは」は体裁だけ。挨拶に心が籠っていなければ、意味がない。めぐり逢いとは、命と命のふれあいである。死人に口なしはその裏の言葉。挨拶が、人の心を引き出す。挨拶は人格の表現である。だから、いい加減な挨拶しかできない人に幸運は巡ってこない。今の子供は挨拶ができない。その原因は、全て家庭教育の悪さにある。親がその大事さを子供に教えていない。親の責任である。

 

自惚れ

 自惚れは持たねばならぬ。しかし、自惚れてはならぬ。自惚れを持つほど勉強せねばダメである。自惚れがないのは、努力していない証拠。うぬぼれた人は、指導者を持たない人である。

 つまらないことに心が動く人は、目標を立ててない人である。目標を立てれば、それに向かって絶えまない努力をすればよい。それが人間の生き方である。

 教育は人が儲かること。するほうは、儲からない。それをケチッてモノを買わない。知識を得ようとしない。そんなケチでは人生が台無しになる。

 モノを作るのは自然が天才である。腐るとは、肥料になること。くさされ、ののしられて、笑われて、それが自分の肥やしとなる。それが成長の肥やし。きれいごとだけでは、成長はない。

 人に話さないから、腐る。人に与える。与えないから、それが毒素になる。

 

大自然の偉大さを知れ

 絹は人間がどんな努力をしても作れない。あの気持ちの悪い蚕があの素晴らしい衣服の原料となる絹を作る。その絹を使って素晴らしい衣服を作るのは、人間の英知である。大自然の神、天照大神を祀る天皇家は、美智子皇后陛下が御自ら蚕を飼ってみえる。天皇陛下は、御自ら稲を植えられる。

 

箸が二本ある意味

 箸の一本はご先祖様、もう一本が私の意味である。ご先祖様と私が、ご飯(現世の糧)を挟み、橋渡し(箸わたし)で私の口にご飯を運ぶ。だから「ハシ」と「ワタシ」の語源である。人はご先祖様があって、今の私がある。

 

生き方の要点

  1. 一念を貫け。それは三千世界に己の念が通じる。不平等をなくせ。人を差別しない。仕事をさせてもらったと感謝せよ。それを、二兎を追い、仕事をさせてもらったのに、その給与が安いとぼやいては、一念を貫いていない。傲慢である。それでは二兎を追っている。一念を思うのを祈りという。
  2. 忘れよ。忘れないから、愚痴になる。恩に着せたら、おしまい。こうしてくれるはずと思わない。それを忘れよ。
  1. 人の長所を見る人が教育者、教養のある人

  人の短所は誰でも指摘できる。しかし凡人には長所が見えない。

  1. 過去の経験を、上手に生かす。

   すべて必然で起きたご縁である。

  1. 怒りを無くそう

    怒ればすべてがうまくいかない。感謝を忘れた人間は長生きできない。

  1. 身内(部下、子供)に人間性を語り続けよ。

マタイ伝に曰く

 恵峰師が若いころ、教会の牧師に下記を説法されて感激したという。

 それは宗派を超越した教えである。恵峰師は、全ての宗派を勉強された。

 1.ずること

    神を信じても仕方がない。人を信じよ、である。

 2.をもつこと

    希望を持って生きよ。

 3.をもつこと

    自分だけのものにしない、である。

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2018-12-14 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月 7日 (金)

磨墨知416. 人は学びながら年をとる。

 無為に時間を過ごし、年をとるのが老化、学びながら年をとるのは加歳。

 加歳には時間蓄積があるが、無為に過ごせば老化が進むだけの時間浪費であり、何も残らない。認知症が口を開けて待っている。

 一生学び続ければ、魂の成長がある。霊魂は不滅である。

   One does grow old ever learning.

 

 添付の書は、2018年12月25日発行予定の馬場恵峰書『佐藤一斎「言志四録」51選集』の一部です。昨日、原稿の最終校正が終わり、今日(12月6日)から試し刷りの工程です。

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2018-12-07 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年12月 5日 (水)

出版案内 『金子みすゞ 詩の世界』

2018年12月4日、馬場恵峰書『金子みすゞ 詩の世界 55恵峰選集』の校正が完了し、印刷所に原稿を回しました。出版は12月19日予定です。本書は、書道の連綿体のお手本として最適です。

 価格2600円、全60頁、一部カラー印刷、本文は白黒印刷、A4横の形式です。発行部数が少なく割高になるので、価格を抑えるため、カラー頁は一部だけにしました。希望者はメールにて連絡ください。下記は、本書の編集後記です。

 

編集後記

 恵峰先生は力を込めて今まで、軸や色紙に金子みすゞの詩を揮毫してきた。当初、私はそれを横目で見ていただけであった。今回、馬場恵峰師は10mの巻物に金子みすゞの詩を揮毫された。私は、それを撮影、編集して、その過程で改めて金子みすゞの詩を読み直した。

 ここには、素直な心で事象を観察している観音様の目があった。それを金子みすゞは、観音菩薩の目になりきって詩にした。「大漁」で、陸で大漁の祭りをする中、海の底では多くの仲間の葬礼があるとは、佛様の目でしか言えない言葉である。「お魚さんは何も世話にならないし、いたずら一つしないのに、殺されて食べれるなんて可哀そう」も優しい心の表れだ。「私と小鳥と」で、「みんな違ってイイ」なんて、画一教育、競争社会に染まった人では、決して言えない言葉である。皆が同じであることがおかしいのだ。

 二宮尊徳翁夜話の冒頭の「香もなく音もなく天地は経を唱えけり」で感じたと同じ感触を金子みすゞの詩から得た。金子みすゞの詩は観音菩薩様の慈しみの声である。観音菩薩様は、だまって衆生の苦しみの声を観て、助けの手を差し伸べる。よき出会いに感謝。

             平成三十年十二月七日    小田 泰仙

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  出版の一部。実際の出版物は白黒です。

 

2018-12-05 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月30日 (金)

磨墨知415. 今、勉強しよう。今、精進をしよう

昔勉強したというなら、今勉強するがいい(アラン)。

 昔必死に働いたなら、今、もっと全力で働くがいい。昔勉強したこと、働いたことは過去の遺物で、自慢になんかならない。時間創出は「今」が問われる。昔のことは日々に疎し。老いると、どんなに感動しても日々に時間概念が希薄になる。今を継続しよう。

 現在92歳の馬場恵峰師は、学生時代より、今のほうが勉強しているという。時間はたっぷりあるのだ。勉強しない方が損なのだ。だから、92歳で現役である。人は学びを止めた時、人でなくなる。それは認知症への道に転落である。痴老の恥は晒したくないものだ。

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2018-11-30 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月18日 (日)

我慢より辛抱を選ぶ

 何事もなすにも時折・・・不安挫折そして行き詰りはある。それは飛躍する為のエネルギーの蓄積の時。根気よく思考熟慮して、決してあせるまいぞ。仕事をするうちに、新たな発想も生まれる。辛抱という木に実は結実する。日々心がけていこう。(2018年 馬場恵峰記)

 

心棒

 人生で、どんなことがあってもブレない心棒があれば、うろたえない。芯がブレなければ、どんな嵐でも耐えられる。その心構えを辛抱という。心棒の木、辛抱の木、信望の木、心房の木とも言う。

 

辛抱

 やりたいことをやらずに我慢などする必要はない。やるべきことをやって、辛抱して、それをやり遂げるのだ。「辛」は、入れ墨をするための針の象形文字である。つらい、つみの意味を表す。やることは、己の体に入れ墨するくらい痛いことなのだ。我慢してやらないのは、楽なのだ。逃げなのだ。

 やれるのに、やりたいことを我慢しても、それができる状態になっても、やれない日が来る。辛抱できる体力が無くなる時がくる。お金が無くなる時が来る。心房が止まる時がくる。何時までもあると思うな、親とカネ。そして命も100年も持たないのだ。

 己にご縁と体力があり、some moneyがあれば、やってしまおう。それに出会うのも行幸である。その対象物(挑戦に値する事象)に出会うのは有難いこと。

 

我慢

 七慢の一つである(佛語)。七慢とは、過慢、慢過慢、我慢、増上慢、下劣慢、邪慢を言う。慢とは「忄」(心)+「曼」〔音〕で、心が伸びたるんで怠るを意味する。

 「我慢」の意味は、①我をよりどころとして心が高慢であること、②我を張ること、③じっと耐え忍ぶこと、である。

 当初の意味の「自分自身に固執する」ところの①の意味から②に転じ、さらに③の意味となった。

 七慢は人が持つ煩悩である。その煩悩を断ち切るのが不動明王の持つ宝剣である。佛法、佛像を作り出した古代の賢者は、人の持つ慢心を知っていた。慢心を持つ人の本質は、2千年前から少しも変わっていない。

1p1040936  不動明王像  松本明慶仏像彫刻美術館の許可を得て掲載しています。 

 

出会い

 2018年10月31日、馬場恵峰先生宅で、先月から気になっていた下記の軸を、決断して入手した。同じ文句の別の軸もあり選択に迷ったが、恵峰先生の推薦で、絹本の軸に書かれた下図の軸を入手した。

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2018-11-18 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月11日 (日)

出版予告「金子みすゞ 詩の世界 55恵峰選集」

 上記の馬場恵峰書による写真集の編集が完成して、現在、試し刷り中です。最終校正を経て、12月上旬に出版予定です。A4版、全60頁、予価2600円。

 馬場恵峰師による仮名の美しい毛筆の巻物の写真集は、連綿体のお手本となります。

 本書は10m巻物に書かれた55の詩を一作品ずつ一頁に収めました。

 表紙、裏表紙、前書き、後書きはカラー、本文は白黒印刷です。

 本書は20181031日に撮影しました。

 

馬場恵峰師の前書き

 金子みすゞは、昭和539日、三通の遺書残して、睡眠薬を飲んで10日、26歳の短い生涯を閉じた。私にとって考える時36歳で弟(亡毅)を生んで二日後亡くなった。その事と重ねて見て、私が三歳の時の出来事。「今夜の月のように私の心も静かです。」遺書を残している。

生誕100年記念に出版の本の中から「人と人」「人と自然」「人と自然」「人と宇宙」金子みすゞの詩の世界選55首、この巻物に走り書きした。昭和初期に(昭和2年生まれの私)みすゞは消えた。幻の童謡詩人、私達の心にみすゞの詩が今もこだまのように筆を走らせる度に私の心に響いてならなかった。

「大漁」朝焼小焼だ。大漁だ、大羽鰮の大漁だ。浜は祭りのようだけど、海の中では何万の鰮のとむらいするだろうという詞がある。人の一生、人生の中で、生老病死、諸行無常、生活のあらゆる場面で多くの心の色どり向い合い「怒喜愛楽」人事でない、自己の人生の歩みの中で、チョット立ち止まって、此詞文の心を味わって見たらどうだろう。平成の終らんとする今、静かに回想して見ては。

童謡は大正の半ばから昭和の初めにかけて、錚々たる詩人、歌人達がさまざまな試みをなして大きなうねりを見せる。「創作童謡」は、子供から大人まで幅広く熱い読者をファンを得て、我が国の近代詩史にあっても類を見ない輝く詩歌の黄金時代を形成する。大正期の理想自由教育の流れを共に明治期の文部省唱歌に対置する新しい子供の歌として芸術性の香りを放つ童謡が教育の現場にあっても急速に広まっていった。

が、私の人生で軍国主義時代に入り、歌そのものも厳しく制限、限定され、軍歌なるもの流行、柔軟なる心の表現、統制厳しく制限された。戦後は想像を絶する歌と踊りの世界が展開されている現代。みすゞの詩情等、全く今時ナンセンスかも知れないが、人の活きる日々、お互いが自らの人間の心の動きに反省と勇気、己を大切に延命長寿念じたい。恵峰

 

馬場恵峰師の後書き

 この巻物に想いを込めて書き残して置く。

 金子みすゞの詩は私の人生、一生の中で、時、所は異なれど今92歳翁の身で筆を執り、自分の人生の歩みに少なからず相似たる思いあり。こうして一巻に代表的な詩まとめて見た。相似たるとは、私の母は昭和2年私を生み、三歳の時他界した。母の顔知らず、三歳の時、みすゞは26歳で死んでいる。私の一生、ここに書いたみすゞの詩の心が童心の私昔のいろいろの事につながって、今こうして執筆活動・書道の歩みが、母、祖父等々の血脈の中で活き続いている事は、私丈の魂の世界ここに述べられた。それぞれの詩文の中に働いているような気がしてならない・・・・こうした己の主観がついつい此巻物にこうした筆跡となったと思う。

 平成30316日午後3時結 恵峰

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2018-11-11  久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。