« 浜松国際ピアノコンクール(8) 血まみれの席 | メイン | 二番じゃダメなんです »

2018年11月18日 (日)

我慢より辛抱を選ぶ

 何事もなすにも時折・・・不安挫折そして行き詰りはある。それは飛躍する為のエネルギーの蓄積の時。根気よく思考熟慮して、決してあせるまいぞ。仕事をするうちに、新たな発想も生まれる。辛抱という木に実は結実する。日々心がけていこう。(2018年 馬場恵峰記)

 

心棒

 人生で、どんなことがあってもブレない心棒があれば、うろたえない。芯がブレなければ、どんな嵐でも耐えられる。その心構えを辛抱という。心棒の木、辛抱の木、信望の木、心房の木とも言う。

 

辛抱

 やりたいことをやらずに我慢などする必要はない。やるべきことをやって、辛抱して、それをやり遂げるのだ。「辛」は、入れ墨をするための針の象形文字である。つらい、つみの意味を表す。やることは、己の体に入れ墨するくらい痛いことなのだ。我慢してやらないのは、楽なのだ。逃げなのだ。

 やれるのに、やりたいことを我慢しても、それができる状態になっても、やれない日が来る。辛抱できる体力が無くなる時がくる。お金が無くなる時が来る。心房が止まる時がくる。何時までもあると思うな、親とカネ。そして命も100年も持たないのだ。

 己にご縁と体力があり、some moneyがあれば、やってしまおう。それに出会うのも行幸である。その対象物(挑戦に値する事象)に出会うのは有難いこと。

 

我慢

 七慢の一つである(佛語)。七慢とは、過慢、慢過慢、我慢、増上慢、下劣慢、邪慢を言う。慢とは「忄」(心)+「曼」〔音〕で、心が伸びたるんで怠るを意味する。

 「我慢」の意味は、①我をよりどころとして心が高慢であること、②我を張ること、③じっと耐え忍ぶこと、である。

 当初の意味の「自分自身に固執する」ところの①の意味から②に転じ、さらに③の意味となった。

 七慢は人が持つ煩悩である。その煩悩を断ち切るのが不動明王の持つ宝剣である。佛法、佛像を作り出した古代の賢者は、人の持つ慢心を知っていた。慢心を持つ人の本質は、2千年前から少しも変わっていない。

1p1040936  不動明王像  松本明慶仏像彫刻美術館の許可を得て掲載しています。 

 

出会い

 2018年10月31日、馬場恵峰先生宅で、先月から気になっていた下記の軸を、決断して入手した。同じ文句の別の軸もあり選択に迷ったが、恵峰先生の推薦で、絹本の軸に書かれた下図の軸を入手した。

1p1060016

2018-11-18 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

コメント

コメントを投稿