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2018年11月19日 (月)

二番じゃダメなんです

 自分の心の中には、4尊の佛様が葛藤している。四流佛は、いくら助言をしても全く動かない不動迷王である。「そんなことは分かっているわい」と、助言をすると怒るので、不動明王様もお手上げで、もうホットけ、である。

 三流佛は、雑事に追われて「忙しい、忙しい」と日々を送り、一歩前進二歩後退を繰り返す不賢忙殺である。自分の悩みを忘れる為に、現実から目を背け、諫言に耳を塞ぎ、雑用に取り組むことで悩みから逃れる佛である「急ぎ事ではないが、人生でもっと大事なことは何かを考えよ」と普賢菩薩様は嘆く。

 二流佛は、物事を遅れずに早からずソツなく過ごし、その場で足踏みをする高見見佛である。分かっていてもつい傍観者の立場になってしまう仏様である。ブツぶつと仏にぼやきはするが動かない「傍観ではなく、その本質の音を観よ、もっと動け」と観音菩薩様は諭す。

 一流佛は、一歩前進、障害に出くわし半歩後退はするが踏み止まり、決して諦めない極道菩薩である。道を極めるのに労を惜しまない極道者の佛様である。

 

己の心で四佛が乱舞

 四尊は全て自分の心中におわします佛様である。日々、場面によって主役となる佛が違う。ある時はアクセルのお役目をするし、ブレーキのお役目もする佛様である。全ての仏が、己の心の状態に合わせて、神出鬼没で人生ステージに乱舞する。人生演出家としての己に根性がなく、その配役決めで迷うと、役者の佛様は右往左往で、波瀾万丈の人生劇場となる。

 

似番菩薩

 「二番じゃダメなんですか?」と耳元で囁く妖怪がいる。この妖怪は、二重国籍問題はひとごとのようにして、ブラーメンで人を攻めるのが得意である。「耳を洗い目を拭って相手を見て、己の魂の叫びを聴け」が、魂の真の声である。「魂」とは自分の内なる「鬼」が本心を「云う」と書いて魂である。親切がましく助言をする佛の本心を見極めたい。本心を隠し、言行が振れ、自分の経歴詐称をする妖怪の本質を見極めないと、ニセモノ人生を掴まされ、自分の人生も日本の政治もダメにしてしまう。一流の佛でなければダメなんです。一番を狙っても入賞さえ難しいのに。二番とは限りなくビリに近い順位である。

 

極道菩薩

 手を合わせれば、観音菩薩の化身である極道菩薩が、救いの手を差し伸べ、己の背中を押してくれる。手を合わせるとは、自分を静かに内観して、その内なる声を聞くことである。人生での戦う相手は、自分の内なる四体の佛である。

 どの佛が浄土に導いてくれるか考えてみよう。人生の第4コーナに突入したのなら、二番じゃぁ駄目なんです。ゴールまで、もう時間がないのです。閻魔大王がゴールで、待ち構えている。

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衆生の救いを求める声を聞き、救いのため足を踏み出し、手を差し伸べているお姿。救いの手のため、人の腕の長さに比べて長い。 大仏師松本明慶作 聖観音菩薩像

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2018-11-19 久志能幾研究所 小田泰仙

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