c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2019年2月19日 (火)

河村義子先生の中陰を供養する(1/4)

2019210日が河村義子先生の49日の法要であった。馬場恵峰先生の書画の写真を整理していたら、1年前に撮影した写真で軸「中陰を生きる活かす」を見つけて、河村義子先生の49日の法要に想いを馳せ、供養とした。

 

供養

供養とは、故人へのお供えではない。供養の「供」は、人が共に、「養」は養う、育てる、教える、である。故人の遺徳に思いを馳せ、その個人の教えを思い出し、改めて我々を養うのだ。それは祈る人へのお供えでもある、祈る相手は、故人と自分自身である。自分に手を合わせて供養するのだ。

201797日、馬場恵峰師は、葬儀での49日の意味を皆さんが知らないし、親も教えないので、中陰(49日)の意味を掛け軸に書かれて、お弟子さんたちに講義をされた。

Photo_2

馬場恵峰書「中陰を生きる活かす」

201797日揮毫

中陰

中陰とは、人の死後49日間の名称である。人は49日を一期として、また生を受けるという。極悪・極善のものは、すぐ次の生を受けるが、それ以外の者は、もし7日の終わりにまだ生縁を得なければ、さらに7日、第二7日の終わりに生を受ける。このようにして最も長い者は、第7期も終りには、必ず生を受けるという。

今まで、私もこの歳まで、49日の意味も知らず、お勤めをしたのが悔やまれる。これは僧侶でなく、親が子に教えるべきことだ。法要の意味も知らず対抗するから、仏教離れが起きるのだ。

 

1日 死んだのではない。ただお迎えが来ただけなのだ。死は還浄と言って元の場所に還ったのだ。生あるものは必ず死ぬ。その早い遅いがあるだけだ。どうせ、人は120年も生きられない。我々は、土から生まれ、土から生まれたものを食い、土に還る。我々は全宇宙の循環の一環として生かされている。全宇宙に流れる時間に比べれば、80年程の人生の長短は誤差範囲である。

2019年2月10日、河村義子先生の49日の法要が無事に終わってほっとしたとご主人からお話しを聞いて、安堵した。「今頃、故郷のドイツの空を舞っているよ」といわれる。ご家族は義子先生の霊は、ドイツと日本人のハーフだと信じている(?)(注:義子先生は純粋な日本人)。知人の霊感の強い二人が、そろって、義子先生の前身はドイツのガラス職人の娘だという。

2日 泣きたいときは涙の枯れるまで泣くとよい。それが亡き人への供養である。それだけ子供たちは義子先生に慕ったのだ。「子と音」の皆さんは、泣き顔で歌って踊って義子先生の出棺を見送った。

3日 逆境にあって初めて知る真の友情。辛いことに出会って、友情の真贋が露見する。それは天が与えるリトマス紙。その人に価値観が明らかになる。壊れるべき縁が切れ、あるべきご縁が生じる。逆境のとき、助けてくれなければ、この世では敵なのだ。我々の逆境とは、国が戦争をしていると同じ。国でも戦争中に助けてくれなければ、敵である。

4日 人の命は陽に対する霜の如し。たった一つの病気で簡単に人消える。80年間の時間はあっと言う間のこと。「私みたいに死なないで」が後進への義子先生の願いである。自分の命をお大事に。それが己と先生への供養。

5日 一度死んだ者は二度と死なない。人生二度なし。人の一生は、その命を何に使うかが問われた人生なのだ。河村義子先生は人に音楽と愛を教えた。人の死は人生の生きざまを教えてくれる。

6日 人の真価は棺を覆うてからわかる。愚かな私は、義子先生の偉大さが、生前は見えなかった。先日に亡くなられた堺屋太一氏の告別式1,000人であった。堺屋太一氏の場合は元官僚なので義理で来る人が大半であろう。それに対して、地方都市のピアニスト河村義子先生のお通夜350人、告別式650人の参列者は、その偉大さが現われている。

7日 目にしみる位牌の白さ日々改めて生命の尊さを知る。あの活動的で温かかった義子先生が白い位牌になった姿を見て、改めて義子先生の死の実感をする。

8日 出逢いが別れの始めなれば、ご縁大切に。64歳でピアノを始めようと猫足のグランドピアノを購入した。その前に、ピアノを置く部屋を改築した。そのご縁で、ヤマハのО販売課長さんから河村義子先生を紹介された。下手でうるさい生徒を扱うのは、包容力のある先生である必要があったようだ。住む場所との関係もあり、ビッグな義子先生に指導を受けることができるご縁を頂いた。今後、その指導内容を活かさねば義子先生に申し訳ない。それが供養となる。これも良きご縁の賜物である。

9日 誰でもがいつかは死ななければならぬ人生。5年後の死を前提に全力で生きて活動された義子先生の教えを受け止めて、己の生き方に反映するのが、供養である。

10日 死なれて始めて知る親の恩。死なれて、河村先生に変わる人がいない現実に戸惑い、先生の偉大さを再確認する。

11日 亡き親は俺に似るなと子を想い。

12日 亡き人が喜ぶ事をするのが最大の供養。義子先生が取り組んできた事業(志)を継続するのが、残された者の最大の供養だと思う。それは大垣の芸術文化の高揚、子供たちの教育である。大垣市がその面に怠慢だから、大垣が衰退している。痴呆的堕落的な水饅頭共食い記録に血道をあげ、小川敏市長を先頭にして痴呆道を疾走している。私にはそれを阻止する責務がある。

13日 お経は亡き人へかよう心の便り。お経は佛様にあげるのではない。自分自身の魂に聞かせるのだ。それこそが供養である。

14日 人を責めず、自らを省みる。15日 手のシワを合わせて合掌すれば幸せになり、手のふしを振り上げれば不幸せになれる。


1

馬場恵峰書「中陰を生きる活かす」(部分)

11

12

義子先生は、一番弟子の朱音さんに、「我が娘よ」と実の娘扱いで接した。朱音さんへの厳しい指導をする義子先生。後から心配そうに朱音さんの演奏を見守る義子先生。

2017年クリスマスコンサートのリハーサル。大垣フォーラムホテルで

13

 ページターナー役の朱音さん。義子先生の厚い信頼がないと、ページターナーは任せてもらえない。TIMMコンサートで。2017929日、大垣市音楽堂

 

2019-02-19  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年2月 8日 (金)

50m巻物「静楽養愚詩文録」編集後記

 河村義子先生の逝去に出会って、延び延びになっていた馬場恵峰先生の巻物の出版の準備が完了して、201928日、印刷会社に試し刷りの原稿を送った。下記はその編集後記である。

 本巻物では、馬場恵峰先生の生き様と歴史、およびその時に心情が50mの巻物に書かれている。3月初旬に出版予定です。

 

編集後記

20181225日、突然にピアニスト河村義子先生の訃報に接した。享年61歳で若すぎる死である。河村先生は、5年前の検査で病巣が見つかったが、手術をすると多くの生活の機能が失われるとのことで、最後までピアニストとして生きたいとして、その手術を止めて対処療法の選択をされ、病魔と闘いながら、この5年を全力で生きられた。私は5年前からのお付き合いであるが、それに気が付かなかったが、結果として先生の最後の仕事のお手伝いをするご縁を頂けたことを嬉しく思う。寿命は運命に多く影響されている。河村先生が、その運命を受け入れて、人間としての尊厳を保って、最期まで全力で生きられた後姿を、先生の最後のレッスンとして学んだ。

今の私の生あるは、時と場所と親を選ばず生まれたが、多くの因縁で多くご先祖と多くの出会うべき師との縁があり、今の私がある。決して偶然ではないと感じている。

河村先生の生きざまに感動しながら、それを馬場恵峰先生の生きざまにダブらせている。現在、馬場恵峰先生が、92歳でありながら全力で生きておられる姿に感動する。これは佛様のご加護以外にないと思う。

 この巻物の書の中で、恵峰先生の歴史と生きざまが記述されていている。私は多くの示唆を得た。特に人は時と場と親を選ばず生まれるが、必ず多くの因縁で必然のような人生となっている。それを受け入れ最善の努力をすると天が助けてくれる。そんな巻物を撮影するご縁を頂いたことの感謝である。

 この巻物の撮影は半年前にすんでいたが、写真の編集する過程で、撮影ミスに気が付き、また同時に多くの雑事の囚われ、再撮影と編集が延び延びになっていた。河村先生の突然の逝去に接し、人生の歳月のスピードの速さに目覚め、大慌てで本書の編集を急ぎ、出版にこぎつけた。河村先生が背中を押してくれたと思う。感謝です。

 

 

2019-02-08    久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年1月29日 (火)

見聞触智新気開道

 2019年1月16日に、馬場恵峰先生宅を訪問したら、教室の前面に軸の「見聞触智新気開道」が掲示されていた。聞けば、これが恵峰先生の今年の抱負だという。

 意味は「見聞をして智に触れ、気を新たにして、道を開く」。

 やはりじっとしていては駄目。動いて見聞を広めるべき。そうすれば知恵を獲得できる。いつまでもめげていては駄目。気を新たに行動すれば、道が開けるのだ。不幸に落ち込んでいたが、先生宅でこの書を見て励まされた。

 帰りにお土産として、此の軸を恵峰先生より進呈された。感謝。

P11202771

2019-01-28 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年1月23日 (水)

寄贈者募集 言志四録の板書

 下記で、板書に揮毫予定です。先に下記の文言を恵峰先生に揮毫をしてもらい、後日、寄贈者名を決めて署名予定です。これ以外に好きな言葉を選んで寄贈されても結構です。言葉がダブっても構いません。現在でも、人気ある言葉は複数枚、岩村の軒下に掲げられています。今回は栗の木で10枚です。次期のロットでは欅を選定しました。2つを比較して、その後の使用する木を決定します。

 

会社の宣伝に

 岩村には昨年、朝ドラ「半分、青い。」の効果で年間40万人の観光客が訪れました。この地に板書を会社名で寄贈すれば、その板書が会社の宣伝になります。会社の信用と格が上がります。個人で寄贈して、将来、孫たちが「これはお爺ちゃんが寄贈したのだ。立派な信条を持ったお爺さんだった」と人に自慢できるでしょう。

 

日本を再興したい

 この板書は100年間以上も後世に残るのです。自分も知人を岩村に案内して自慢できるでしょう。自分の名が残るのです。恵峰先生の書が残ります。それが日本の精神文化の高揚の一助になります。言志四録の文言を一つでも覚えれば、人生が変わります。皆さんの言動が日本の未来を変えます。皆さんの志の一燈が日本を変えるのです。今のままでは、日本の精神文化は欧米の拝金主義に侵されて沈没です。私はそれを防ぎたい。

 

下記を揮毫する計画 (紫字は寄贈者決定スミ)

1.少にして学べば即ち壮にして為すことあり 壮にして学べば即ち老いて衰えず 老いて学べば即ち死して朽ちず

 言志晩録60  寄贈 久志能幾研究所 小田泰仙

2.一燈を掲げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只一燈を頼め

 言志晩録13  寄贈 弘前市 新戸部八州男

3.人は当に自ら己が才性に短長有るを知るべし。

 言志後録13  寄贈 京都市 小久保健司

 4.太上は天を師とし その次は人を師とし 其の次は経を師とす

  言志志録2  寄贈 波佐見町 福田琢磨

 5.人は当に自ら吾が心を礼拝し 自ら安否を問うべし 

  言志晩録177  寄贈 大垣市 小田

 

6.宇は是対待の易にして 宙は是れ流行の易なり 宇宙は我が心に外ならず (後録20)

 7.春風を以て人に接し 秋霜を以て自ら粛す  (後録33)

8.我は当に人の長処を視るべし 人の短処を視る勿れ (晩録70)

9.凡そ事を作すには、須らく天に事ふるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず(言志四録3)

10.晦に処る者は能く顕を見 顕に拠る者は晦を見ず(後録64)

11.己むを得ざるに薄りて而る後に諸を外に発する者は花なり(志録92)

  準備万端整えれば、自分のために花は咲かざるを得ない。人も成長すれば、天から与えられた使命を果たす義務がある。人が一生懸命に使命に励むとき、人は美しい花を咲かせる。

12.閑想客感は志の立たざるに由る。一志既に立ちなば百邪退聴せん。(後録18)

  つまらぬ事に心が騒ぐのは、人生の目標が立っていないからだ。目標を経てたら、一心不乱にたゆまぬ努力をするべきだ。

 

以下順次、言葉を選定予定

寄贈を希望される方は小田まで連絡下さい。

 2019-01-23 久志能幾研究所 小田泰仙

 e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月22日 (火)

岩村小学校を訪問

 2019年1月21日、鈴木隆一会長に佐藤一斎の板書を贈呈して、その後、車で恵那駅まで送ってもらう途中で、「岩村の小学校を見学しませんか」という話になり、お言葉に甘えて小学校に向かった。なんでも岩村の藩校の趣を再現した門があるので,ぜひ見て欲しいとのことであった。

 その小学校は町から4,5キロ離れた山の中にあり、生徒のほとんどは徒歩で通学しているという。冬は通学の山道に雪も積もり通学が大変そうである。しかし若い時に体を鍛えるためには絶好の場所だという。

 その学校の門は、昔の藩校の門を再現したデザインになっていて、風格があった。その門の中に、孔子の書画と佐藤一斎の言志四録の一節の板書が掲示されていて、感心した。生徒は毎日この書を見て学校に登校するのだ。また玄関を上がると、正面に額入りの大きな書で三学戒「少にして学べば壮にして成すことあり…….」(神渡良平書)が掲示してあった。学校が言志四録モード全開である。

1p1060718   正門

2p1060721   正門の裏側

3p1060723  小学校の玄関

4p1060722

5p1060715  正門の中

6p1060720

7p1060731  三学戒 神渡良平書

小学校での言志四録の勉強

 鈴木隆一会長は、岩村小学校で、6年生の50数名に対して、佐藤一斎の教えの講義を年間6時間(2時間を3回)担当されている。素直な年代の小学校生は、水が砂に沁み込むようにその教えを吸収するという。小学校生は、卒業までに、言志四録の名句を30句、暗記するのを努力目標に頑張っている。日本の未来に少し希望が持てて嬉しかった。鈴木隆一先生は、前職は高校の校長先生である。退官後の時間を佐藤一斎顕彰会の会長として、また言志四録を子供の未来のために教える仕事に携わってみえる。素晴らしいことだ。

 

お嫁入り先が急遽決定

 この訪問時に、鈴木先生が思いついて校長先生に、贈呈した板書を見せることを思いつき、また岩村に寄贈予定の板書の一部を、小学校学校、中学校にも掲示するのも一案だと提案された。確かに、岩村に来る観光客より未来を背負う地元の子供たちの眼に毎日触れさせるほうが、日本のためにはなると合点した。

 それで校長先生に面会を求め、この板書の経緯を説明したら、一目で気に入ってもらい、ぜひ一枚を学校にと、この板書のお嫁入り先が決まってしまった。それは三学戒「少にして学べば壮にして成すことあり…….」でした。子供たちにもこの句は、人気ベスト5に入る句とか。この句は私の選定の寄贈板であるので、名誉なことだと嬉しくなった。吉村校長も言志四録の話しになると熱が籠って、他の小学校校長とは一線を引く存在感があった。子供たちには頼もしい先生である。

 この板書の寄贈を希望される方も、学校にも贈る前提で句を選定されると良い。先生の話を聞くと、巷の大人より、ここの小学校の生徒の方が、言志四録に関する知識がありそうだ。

8p1060727

  鈴木隆一会長と吉村良校長  校長室で

94k8a1864

 たまたま、校長先生にお会いできたのは、奇跡である。当日、私は、近年まれにみるトラブルに遭遇して、その対応で奔走した。それで当初の午前中の鈴木さんとの面会が、午後にずれてしまった。そのお陰で出会ったご縁である。面会が午前中なら、当日は多忙であった校長先生と都合が合わず面会は叶わなかった。これは仏様が仕組んだトラブルのようで、結果オーライのご縁となった。私も危機管理として学びがあり、再発防止が出来た。

 

2019-01-22 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月21日 (月)

協賛募集 言志四録の板書寄贈

日本の精神文化を再興 

 私は、日本の精神文化のゆかりの地である岩村に、佐藤一斎の言志四録の文言の板書を恵峰書で岩村の町並みに掲げることを計画しています。現在、岩村の町並みの軒下には、約200枚の言志四録の文言の板書がかかっている。残念なことにそれは機械の字で、なおかつ風雪に侵されて風化寸前の板書が多い。

1p1040485

 岩村にて 2018年3月4日

 

 今回、それを馬場恵峰書で、言志四録の名言を再現します。10年計画で100枚の板書を入れ替える計画です。馬場恵峰先生は、日本の近代書道の父と呼ばれ明治の3大名筆といわれた日下部明鶴の伝承者です。その板書の木も100年は持つ木を選定しています。今回は栗の木を選定しました。サイズは18×78×3cmです。

 つきましては、その協賛者を募集します。文言の選択は自由です。現在、7名の方がこのプロジェクトに賛同されています。寄贈希望者は、メールにて私に問い合わせをしてください。

 

効果

 この書を寄贈することで、岩村の町おこしにもなり、日本の精神文化の再興にもなります。寄贈者も皆さんに、寄贈したことに併せて、自分が選定した文言を信条としているとの宣伝になります。寄贈は個人でも、企業でも構いません。

 ゲゲゲの鬼太郎で有名な境港市の水木しげるロードには、妖怪のモニュメントが177体あり、その多くが寄贈です。それが境港市の町おこしになっています。人口3万3千人の町で、年間200万人の観光客が訪れます。この妖怪モニュメントが大きな貢献をしていると思います。

2p1060084

 宮川大助氏の寄贈 境港市 水木しげるロード 2018年11月27日

 

3枚を寄贈

 現在、雛形として3枚の板書が完成しました。2019年1月17日に馬場恵峰先生宅を訪問して板を受け取りました。今日の2019年1月21日、岩村を訪問して佐藤一斎顕彰会の鈴木隆一会長さんに3枚の板書を贈呈してきました。詳細は明日か明後日に報告します。

3p1060708

4p1060711

51060712

2019-01-21  久志能幾研究所 小田泰仙

 e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 5日 (土)

磨墨知595. 神さまに感謝の気持ちを

 感謝の気持ちが時間の恵みを生み出してくれる。それは価値ある時間である。すべての事象を神様仏様からの時間創出のために試された試験だと受け止めよう。

「こんな状況でも、前向きに時間を作れるかい? 落ち込んでいる時間が勿体ないよ。あんたの残りの時間は余りないかもしれないよ」。

 

言霊の燈台

 日暮れて道遠し。人生道を急ごう。暗い夜道で頼りになるのは、師が照らす人生道の燈火である。その燈火は師の言霊で、それが人生航路の燈台である。

 下記の書は、今度出版予定の馬場恵峰書「養心日活本」の一頁である。これは馬場恵峰先生が中国から買ってきた珍しい色紙に揮毫した18の人生訓をまとめて、それに私の所蔵の恵峰書と私のエッセイを追加した書である。師の言葉が人生を導いてくれる。

4k8a48111

1p1050231   大垣市 住吉燈台 水門川

Dsc01741  大垣市 水門川にかかる江戸時代の燈台

Photo_3   シシリア島チェルファの灯台      地中海を航行する船のガイド役である

20111110日)

.

2019-01-05   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

出版案内 『佐藤一斎著「言志四録」51選訓集」』

  馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選訓集」』(小田泰仙編 久志能幾研究所刊)を、2018年12月25日付けで出版しました。A4版、全64頁、一部カラーを含む。価格2800円、送料360円です。

 印刷部数が少なく、一般書店では販売できませんので、直販です。メールにて小田まで申し込みください。

 昨年末に河村義子先生のご不幸がありましたので、出版案内が遅れました。

Photo

 

Photo_4

2019-01-05   久志能幾研究所 小田泰仙

 e-mail:yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 3日 (木)

磨墨知594. 禁初詣、初詣も叶わぬ哀しみ

 神仏は365日24時間営業です。有名な神社仏閣は、正月三賀日は超混雑で、参拝には多大な時間ロスが発生する。それを避けるのが時間創出である。それより家で神社の方向に向って一年間の無事のお礼の拝礼をした方がよい。初詣に行くなら三賀日を避けてお参りすればよい。その浮いた時間で勉強・仕事をすることだ。それが世のためになる。

 

神様だって忙しい

 なにも神様が超多忙な時に、初詣に行かなくてもよい。神様の身になって考えよう。芋を洗うような雑踏の中では、静かに反省とお礼が言えない。神様だって、以前は人の子なのだ。芋を洗うような振る舞いに呆れている。

 三賀日でも、混雑の少ない時間帯を選べば、超混雑でロスする時間が激減する。そうやってお参りして、人生を豊かにして、人より多く稼げるようになれば、お賽銭も多く奉納できる。そうすれば神様は喜んでくれる。神社仏閣の設備の維持更新にも多くのお金を寄進できるのだ。

 その昔、元旦に熱田神宮に初詣の参拝をしたが、入り口の鳥居を通って、拝殿まで辿り着くまで1時間を要した。大事なご先祖から頂いた時間(命)を浪費して、今にして神様に対して申し訳ない気がする。

 

宇宙の法則を捻じ曲げ?

 初詣に行ってお願いさえすれば、それが叶うと思っているのは愚かである。そんな極楽とんぼのような考えで、願いが叶うわけがない。この世では、死に物狂いの努力をして、棒ほど願ってやっと針ほどしか願い事は叶わない。

 神仏に祈ることは、自分を謙虚にして、ただ感謝の表明と自分の決意表明だけなのだ。生きている事さえ稀なのだ。生きているのではない。生かされているのだ。

 それなのに、感謝以外に、押しつけのお願いのため初詣だけ神仏に手を合わすのは不遜である。それで願いが叶えば、全宇宙のニュートン、アインシュタインの法則を捻じ曲げてしまう。それを僅か10円のお賽銭で、あれもこれもなんて、お笑いである。逆に罰が当たりますぞ。

 

生産の平準化

 トヨタ生産方式では、生産の平準化が原則である。それが無駄を省き利益を生む。日頃、神仏に足を向けず、世間体とお願いごと生産で三賀日だけお参りするのでは、人生のご利益は少なかろう。日頃から神仏に手を合わせ、お参りしていれば、三賀日はお参りを無しにしてもよい。

 

師の最期の教え

 1分間、拝殿までの行列に並ぶと、100円のロスである。初詣はその1分の何十倍もの時間がかかる。初詣の時間ロスが勿体ない。その分の己に課せられた使命・天命に使う時間が無くなるのだ。時間は命である。命を使うと書いて、「使命」である。使命に反した効率の悪い時間を使ってはならない。己に与えられた時間は、もう残り少ないかもしれないのだ。いくら頑張っても後40年は生きられない。

 「貴方も何時か死ぬのですよ」。それが河村義子先生の最期の教えであった。義子先生は、人生の残り時間を人の3倍も4倍ものスピードで走り抜け、現役のまま斃れられた。河村義子先生は、私が12月9日17時に届けた12月8日の米原バレエ公演「白鳥の湖」ビデオを、病床で見ながら、12月15日の大垣公演のために、最後の音楽監修をされた。

 河村義子先生がそのビデオを見て、弟子の小林朱音さんは義子先生から感想や最後のご指導を受けた。義子先生は、「素晴らしいよ」と泣いて喜こばれ、小林朱音さんは「師匠に少しは恩返しができた」と感涙である。

 12月16日、義子先生は再入院され、帰らぬ人となった。再入院の連絡をされたメールでは、穏やかな文面でそんな気配はみえなかった。少し落ち着いてからお見舞いと思っていたら、12月25日の突然の訃報で茫然自失である。

 その後ろ姿が、弟子への生きる教えである。義子先生は、62歳の初詣に行けなかった。2018年12月25日、7時33分寂滅、享年61歳。

Dsc00799

 2018年12月8日 米原 ルッチプラザ ベルホール310 「白鳥の湖」

 オデット:高木美智子  王子:都築空良  ピアノ:小林朱音

 林葉子バレイアカデミー

 

 12月26日のお通夜の席で、魂友の天野千恵さんが、義子さんの鎮魂と追悼のために「G線上のアリア」をバイオリンで奏でられた。天野さんは棺に横たわる義子先生の顔を見ながら、語りかけるようにその荘厳な調べを内藤先生の電子ピアノと一緒に奏でられた。横で聴いておられたご主人は目頭を押さえてみえた。私はそれを至近距離で見ていて目頭が熱くなった。写真は控えます。

 

「人生の本」の執筆者

 今年の元旦の朝、目が覚めて、最初に目が行ったのは、下記の馬場恵峰先生の軸であった。2年前に手に入れた軸である。いつも私の寝室に掲げているが、今まではあまり意識して見ていなかった。今回の河村先生の逝去の関係か、魂の周波数がそれに共鳴して、目が釘付けになった。

 何時、我々の命が無くなっても不思議ではない。東日本大震災のような災害が来れば、明日の命もわからない。病魔が襲うかもしれない。だからこそ、時間(命)を惜しんで、自分の天命・使命のために時間を使うのだ。その過程が、自分の人生の本となる。河村義子先生は、最高の「人生の本」を遺してくれた。合掌。

039a34461

 馬場恵峰先生書 

 

2019-01-03     久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 2日 (水)

聖観音菩薩の慈愛

気新光照

 気を新たに、師の教えの光に照らされて、道を歩く。

 いつまでも落ち込んでいては駄目と自戒のブログを書いている。河村義子先生の遺言は「湿っぽいお葬式はイヤ。音楽で明るく送って欲しい」でした。師のように社会を明るくする貢献を全力でしてこそ、それが師への恩返しだと思う。河村義子先生との別れは辛いが、それよりも、そんな尊い義子先生とのご縁に出会い、ピアノレッスン、演奏会の写真撮影、演奏会のお手伝いの関係で、師の最後の5年間を共に過ごせたことを喜びとしたい。

 

院号

 師の戒名は、「聖観院教音義愛大姉」。観音様のような義子先生に相応しい戒名である。戒名の前に付ける院号とは、導師が故人のために建てる来世でのお寺の名である。そのお寺で佛になるべき精進を続けなさいとの引導である。院号は生前の業績に相応しいお寺名をつける。河村義子先生にピッタリの院号である。院号は金儲け主義のお寺なら、誰でも金で買えるが、厳格なお寺では、お金を積んでも相応の業績がないと院号を付けてもらえない。それから見て「聖観院」とは高貴な院号名である。「聖観音菩薩」の観音様名からとった名前である。

 2011年、当家に納佛された大佛師松本明慶師作の佛像が「聖観音菩薩像」である。私が61歳の時で、その2年後に河村先生との出会いがあった。河村先生の享年は61歳。河村先生は、私の中学の英語の先生である内藤信吾先生の娘さんである。今回の葬儀の場で、内藤信吾先生の奥様に初めてお会いできて、何か因縁を感じた。

Img_32292 聖観音菩薩像  楠 1尺

 大仏師松本明慶師作、絵仏師岩田明彩師の眼入れ

 

戒名

 戒名は、本人の名を一字とり、生前の活動に相応しい名前を付ける。故人は引導する導師の弟子となり、来世で佛道に精進するため授ける名が戒名である。河村先生の戒名は、「音を教え、愛に義を奉じた」という名前である。「大姉」は敬称で、「信女」より格が高い。この戒名は、変にうがったところがなく、そのまま生前の人柄が偲ばれる素晴らしい戒名です。

 

義子先生の遺徳

 平成29年5月26日より始めたブロブで、昨年末(585日間)で累計閲覧総数55,700余回、記事総数987通になりました。師が寂滅されて7日間、ブログを休みましたが、その訃報のブログ1通だけで、過去最高の閲覧数を記録して、改めて故河村義子先生の遺徳の偉大さを感じました。故河村義子先生のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

補足説明

 「気新光照」は、2011年12月10日、馬場恵峰先生に年賀状の雛形を書いてもらう時に教えてもらった言葉です。当時、3月11日に東日本大震災があり、日本中が沈み込んでおり、その翌年の年賀にお祝いの言葉「謹賀新年」では、はばかれたのです。

2019-01-02 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。