ma_人生経営・会社経営 Feed

2020年6月 6日 (土)

コロナ禍から足を洗う

 今まで私は、新型コロナウイルス対策として、外出から帰宅すると、手を15秒間、水道水で洗い、顔を洗っていた。本来、全身をシャワーで浴びると良いのだが、そこまではしていなかった。

 武漢市で新型コロナウイルスに罹患しなかった人は、外出帰宅後に、全身をシャワーで洗浄していたという。

 先日、岐阜県も非常事態宣言が解除された。今回を機に私は、「千里の道も999里を持って半ばとする」としてウィルス対策を再徹底した。

 

靴からの感染

 新たに追加した対策事項は「家に入る前に、靴裏を水で洗う」である。コロナ菌は地表に落ちても、生きている。それが靴の裏に付着して自宅内に入り込む恐れがある。我々が履いている靴も大きな感染源の一つである。私は自宅の玄関前にある水道水で靴裏を洗うことにした。

 武漢ウィルスは、段ボールの表面には最低24時間、ステンレスで最低48時間、プラスチックだと最低72時間は感染力が保っているそうだ。だから飛沫感染よりも、靴に着いたウィルスが家の中に侵入することが怖しい。

 

汚泥の世界を歩く

 我々は人生道を歩いていると、多くの汚泥の水たまりを超えねばならぬ。下手にその飛沫を受けると心まで汚れる。一回くらいならと賭けマージャンを繰り返すと、罪悪感が麻痺をする。前検事総長さえその罠に堕ちた。その悪縁から逃れるには、悪縁から足を洗うに限る。知らず知らずのうちに汚れた心を洗うように心掛けたい。

 

心を洗う

 手を洗い顔を洗っても、足を洗う人は少ない。まして心を洗う人は稀である。知らず知らずに汚れた心を放置するのを罪という。

 表の世界を豊かにしようとするなら、裏の世界も豊かにしないと、宇宙根源の法則から言って、バランスが取れない。プラスがあればマイナスがある。それで宇宙根源の理が適う。基本的な物理の法則である。華々しい栄光があれば、その裏で血みどろな修練の日があったはずだ。まず見えないものに敬意を払い、その心霊の世界を大事にして、心を清らかにしなくてはならない。

 

汚染の露見

 ある日、突然、マスコミに報道されて御用となったのが、前検事総長である。官僚の世界には、そんな例がごまんとある。知らず知らずのうちに、利己主義の垢で心が汚れていたのだ。

 大垣市は汚川の汚染飛沫が少しずつ大垣市全体を汚し、19年経って気が付いた時は、大垣駅前商店街のお店の80%が感染して死を迎えた。公示地価は暴落した。新型コロナウイルスで非常事態宣言を受けた都市と同じで、大垣市は、人通りが絶え、死の街となった。ウィルスがまき散らされたと同じ被害である。日本がデフレから脱却できないのは、心が汚れた官僚が、利己主義でのさばったためである。日本の再建は、心の再建からである。心が人生も日本の未来も支配する。

 今の日本には心の教育である「修身」の教育が必用だ。

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 馬場恵峰書  2012年

 

2020-06-06 久志能幾研究所通信 1620 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月31日 (日)

学ぶとは自分探し

 学ぶために記憶するとは、単に個別の項目を覚えるのではない。個々の項目と他の項目の関連を学ぶことなのだ。本を読んで新しい知識を得るのは、今まで学んで構築した脳内のネットワークを強固なベースにする手段である。

 単に一項目を覚えても、人生では何も役立たない。それが自分の人生とどういう関係があるかまで、掘り下げて学ぶことが学問である。単に覚えることは受験勉強の抹消の技でしかない。学ぶ以上は、その知識が肉体となり、本能となり、自分自身の癖や性格までを直さねば、本当の学問ではない。受験勉強はその入り口での練習なのだ。

 

科学

 科学の「科」とは、「禾」偏に「斗」と書く。稲を収穫して、それを秤で計測することを意味する。科学は幹を枝に分解して、枝を葉と花に分解し、花を「花びら」と「雌しべ」に分解し、細かく細分化して本質を究明する学問である。

 現代は、余りに細分化しすぎたがため本質を見失なっている。病気になり西洋医学がその病名を探求し、治療法を開発するのだが、病気は治りました、病人は死にましたということも起こる。それは部分最適を追及して、全体最適ではない状態に落としている。

 

経済

 経済を究極に細分化した果てがグローバル経済主義で、理論的には正しく、個別には成功するが、社会全体は不幸になる理論である。個人主義の欧米では、経済万能主義に行き着き、これに邁進中である。ねずみが集団となり、狂ったように暴走して海に突っ込んで行き、全部が滅亡する様を思い描いてしまう。

 

東洋思想

 哲学や宗教、そして東洋思想は、その末端からその根源に向ってその源を探る学問である。木を見ず森を見て、その本質を究明する。東洋医学は西洋医学と違い、その病気のもとになった原因を探し、元から治していく治療方法である。

 

歴史

 歴史を学ぶとは、人間の営みを学ぶことである。2000年前の人間の行動と現代人の行動に、差などはない。史記、十八史略、三国史、ローマ史を読むと、人間の行動は昔と何ら変わっていないことが良く分かる。

 

経営

 経営とは、人間の歴史を学ぶことである。「経」とは、縦糸と横糸の関係を象形文字として現している。いままで連綿として営まれた歴史を、現代という流行の横糸で織りなした状況を、盛んに火を燃やして陣屋のなかで活動している様を表現した字が「営」である。今起こっている事象は、過去の事象の流れのなかで、今の事象はどういう関係にあるかを解明するのが、学びである。

 今の事象だけに振り回されていると、本質が分からず、間違った対応をすることになる。そのために、その関連を学ぶことが、歴史と経営を学ぶことなのだ。オックスフォード大学には経営の学問はない。経営は歴史を学べば、不要であるという考えである。

 

死屍累々

 学びを怠った民族は、滅亡するしかない。教育をなおざりにする組織は衰退するしかない。その事例は歴史の上に死屍累々と山積する。

 万歳突撃を繰り返し、多くの兵士を犬死させた日本軍の愚行は、敗戦まで止められなかった。その血が現代の高級官僚に受け継がれている。

 今の中韓の歴史の対応をみていると、考えさせられる。歴史は繰り返すので、歴史を学ばない愚かな国に振り回されることはない。

 教育を軽視している小川敏に支配された大垣市が没落したのは、故あること。万歳突撃を繰り返すのと同じで、元気ハツラツ市の愚行をPDCAも回さず、10年間も繰り返すのは、旧日本軍と同じである。日本軍は陸軍大学のエリートと呼ばれる軍人が支配した。大垣市も東大出というエセエリートが、愚行を繰り返している。それで大垣駅前商店街の従業員8000人が路頭に迷った。それで大垣市は没落した。歴史は繰り返す。

 

Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow.

The important thig is not to stop questioning.

                  Albert Einstein

昨日から学び、今日を懸命に生き、明日への希望を持て。

大切なのは問うことを止めないことだ。

 

自分探し

 自分探しを怠ると、己を見失い自虐的にも、攻撃的にもなる。挙句にうつ病に罹り、幽霊となり、認知症にもなる。学問をするとは、自分を見失わないための手段である。日本時の65歳以上で15%が認知症になるのは、人として学びを継続しないからだ。何も考えず、痴呆的で洗脳的なワイドナショーのテレビ番組を見続けていることだ。

 人として、当たり前に学び続けて、頂いた命を全うしたい。

 

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 下図の巻物の文面に気に入り、恵峰先生にお願いして板書に書いて頂いた

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2020-05-31 久志能幾研究所通信 1614  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

私の未来予測(今後40年間)と課題

私は死ぬ。

 知人も師も皆も死ぬ。 生は偶然、死は必然。

 人はどんなに長く生きても120歳まで。

  

認知症患者、癌患者の増加

 癌の治療薬は開発できず。対処療法の技術が進歩しても、根本原因を解消しないと、ガンが増加する。40年間かけて出来ないことは、後40年間かけてもできない。食品業界・医療産業が拝金主義を止めない限り、認知症、癌は増える。

 

日本の高齢化

 2050年は25%が75歳以上。今後、老人は増えすぎるので、大事にされない。昔、老人が大事にされたのは、老人が少なかったから。大事にされるのは、数の少ない類。今後、それは子ども。論理的に年金制度は崩壊する。労働者二人で1人の老人を支えるのは大変。

 

国民が目覚めない限り、日本経済はデフレを継続。

 デフレ化は、先進国は全て同じ。この状況で増税を画策する官僚が跋扈する限り、日本経済の復活はない。その根本原因は、官僚が利己主義になったから。修身の欠如。

 

世界の資本は安い労働力を求めて動く。

 全世界、デフレ化していく。戦争がない限り、デフレは続く。アジアの次がインド、アフリカ、南米と経済発展が展開していく。安い賃金が上がれば、次の安い賃金の国に生産は移る。最貧国が豊かになり、経済発展の循環が終わらないとデフレ経済は終わらない。

 

IT化、AI化で人は幼稚化する

 日本が世界の精神文化の指導者になる可能性がある。創造する人が、世を支配する。

 

AI化は限界。

 AIとは単に回帰分析と条件分岐の集積である。今のビジネスマンの仕事の80%が手続き業務。付加価値のない手続き業務はAIに置き換わる。今の自分の仕事が続くか、胸に手を当てて考えよ。しかし人間の創造性は置き換えられない。それがAI時代を生き抜く知恵。AIは人間のカンには勝てない。AIのロジックを創るのは、人生の素人である。だから創造性があれば、AIに勝てる。

 

防衛力が強化される。

 いざとなったら米国は日本を守ってくれない。米国の青年の血を、日本のために流すのは、米国議会が反対する。私が米国民なら、私でも日本を守るために血を流すことに反対する。日本の防衛力を強化するしかない。今までが異常であった。

 

アジアの没落

 アジア諸国も高齢化の波が押し寄せる。

アフリカの盛況

 今後、アフリカは人口ボーナスの恩恵を受ける。

インドの盛況

中国の没落

 共産党が支配する限り、中国の衰退は避けられない。中国がこの20年間も繁栄できた要因は、技術泥棒と奴隷制度があってのこと。先進国からの技術盗用があって製品は安くできた。開発費が不要だから安く開発できた。その製造で農工民を奴隷扱いの激安労働があってのこと。

 公害規制がないに等しいから、廃液、公害排気を垂れ流して工業製品の生産ができた。それに便乗して日本の拝金企業が中国に進出して、公害対策費をかけずに生産をした。だから安く生産が出来た。中国住民は公害で塗炭の苦しみを味わっている。そんなことが長く続くはずがない。

 帝国の繁栄は100年も続かない。中華人民共和国は1949年に設立された。

韓国の没落

 恨の文化では、発展に限界がある。サムソンの発展は、日本の技術者の盗用技術があってのこと。

EUの瓦解

 宇宙根源の原則で、価値観の違う国の経済統合は無理。今の制度では国家間の格差が固定されて、貧乏国は永遠に貧乏のまま。

米国の没落

 肥満者の増加が米国を弱める。帝国の繁栄は100年しか続かない。オランダ、スペイン帝国、大英国帝国の没落が歴史の証人である。今度はアメリカ帝国等が没落する。

 

今後の課題、自分がやるべきこと

やるべきこと

 私の死が必然だから、後は野となれ山となれ、の精神で生きる。やれるうちに、やりたいことをやる。やりたくても、やれない日が何時か来る。

 自分の死を前提にしないから、生き方が曖昧になる。多くの人は、何時までも生きていられると思って日々過ごしている。人間、還暦を過ぎればいつ死んでもおかしくない。何時までもあると思うな、己の命。もう人生の日暮れなのだ。日暮れて道遠し。人生の大事を急げ。

 

一人で死ぬ覚悟をすること。

 死ぬ時は一人。誰でも死ぬ時は一人。

 第一の死は肉体の死。

 第二の死は、己を覚えていてくれる人がいなくなった時。

 第三の死は、己が生きた証がこの世から無くなったとき。

 佐藤一斎師も安岡正篤師も皆さんの心の中で生きている。そのレベルまで実現できずとも、それを目指して日々精進するだけでも人生の充実感を味わえられる。

 

健康管理をする

 ベッド上で植物人間として生き永らえても意味がない。認知症患者、癌患者にならない取り組みに注力する。健康でないと天命を全うできない。

 

経済力を確保する

 政府は助けてくれないと覚悟する。生涯現役の覚悟で、時代が変わっても、生活でき能力を付ける。お金を貯めるのではなく、稼ぐ能力を付ける。

 

危機管理能力を向上する

 国は国防、自分は危機管理で身を守る。自分の城は自分で守る。今後、老齢者を狙うハイエナ・詐欺師が増える。国さえ油断できない。国も己の年金・資産を狙っている。国も借金が多くて金がない。使命感を喪失した官僚が金に飢えれば、金を持っている老人を狙うのは、自然の成り行き。

 国家は、経済と政治と軍隊で成り立つ。自分は経済力と人生経営力と危機管理力で生きねばならぬ。

 

心を管理する

 豊かな精神状態を作る。人間としての自分の完成を目指す。人は動物として生まれ、人間に成長して死ぬ。畜生の根性のままで死にたくはない。

 

日本に恩返しをする。

 日本が精神文化の指導者になるための種まきをする。自分がこの時代に生かされ、育てられた御恩を、知的財産の蓄積、精神文化向上への貢献で返す。後世に生きた証の痕跡を残す。その手段の一つが、書籍の出版、芸術家の支援。

 

4k8a99231s   馬場恵峰書、文言は著者

2020-05-30 久志能幾研究所通信 1613  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月29日 (金)

遮音ガラスを通して「信用破綻」の音が響く

 自宅の一室を完全防音のピアノ室に改装しようと、遮音サッシの見積りを2社から取った。遮音サッシのガラスの厚み10mmである。一部屋分の窓の取り換えで100万円弱と高価である。

 普通の二重ガラスサッシは、断熱の効果があるが、ガラスが薄く質量がないので、遮音にはあまり効果がない。遮音には、厚いガラス(全体質量が大きい)が必要である。それをY社関連会社の音響専門の社長から教えてもらった。

 現在、当家の部屋は二重ガラスの窓に、更に二重ガラスの内窓を追加している。合計4枚のガラスで外部と遮断している。自宅の窓の全ては、この内窓を付けている。それで今まで、200万円程の金を使っている。

 ところが、その装備では断熱はできるが遮音が完全ではない。そのサッシを手配したサッシ屋に遮音の技術知識がなく、単なる断熱の二重ガラスサッシを手配していたことが露見した。

 

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見積金額が逆転

 今回、見積りを音響の専門会社であるY社の関連会社から取った。それに今まで出入りしていたサッシ屋が「是非うちにも見積りをさせて欲しい」とやってきた。

 ところがその金額が最初のY社関連会社の見積金額より高かった。Y社の製品は通常、定価販売であるので、高い金額は覚悟していた。ところが今回はY社が少し値引きをしてくれたようだ。

 

見かけ取りが発覚

 それで、今まで信用していたサッシ屋から正規以上の高い値段で買わされていたことが発覚した。なおかつ、サッシ屋のくせに、遮音の専門的技術知識なく、間違ったガラスを設置していた。

 それで「貴社は見積価格が他社より高い」と言ってそのサッシ屋を断った。ところが、後日、平然と数十万円も安い値段で、是非当店にと再見積書を持ってきた。私は、そのサッシ屋に「値段の高い安いで断ったのではない。貴店は信用も技術もないことが露見したからだ。貴店からは二度と買わない」と最後通牒を出して、縁を切った。

 私のビジネスの哲学は「一度でも、裏切った人とは縁を切る」一度あることは、二度三度と続くのだ。これが私の「人生の危機管理」である。私は自分の「信用金庫」を大事にしている。

 

「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

    Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken, damn hard to put back together again to its original form.

    “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

 

2020-05-29 久志能幾研究所通信 1611  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月28日 (木)

「モノを視える化」して雑念を片付け隊

持ち物の定位置化

 会社勤め時代は、トヨタ式の5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)を徹底していた。自分の机の引き出し内にブルーシートを敷いて、事務用品の形に切り抜き(姿置き)、その品の定位置化を図っていた。

 最近、加齢現象で物忘れが良くなり、モノが散乱しても気にならなくなった(?)ので、よく持ち物を忘れることが多くなった。出先でシマッタ!と思うことが多くなった。

 その対策で、外出時の持ち物の定位置化を図った。正規ではブルーシートの切り抜いての「姿置き」をするのだが、今回は簡略式で、ポストイットで形を作って「姿置き」の代用とした。やはりトヨタ式は確実である。持ち物の忘れる確率が減った。その効果として、

 探す時間が激減

 忘れる確率が激減

 室内が美しくなった

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Dsc09718s   姿置きの状態

 

心の定位置化

 人生の残り時間を意識して、探しもので無駄な時間を費やすのを止めたいものだ。

 現世では、己の雑念や煩悩を5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)しないと、心が荒れて迷う時間が増える。私は毎朝、仏壇の前で、手を合わせ、読経をして心を整える。朝、目が覚めて今日一日頑張れることにお礼を述べ、今日の決意を誓う。夜は一日の無事を感謝してその日の反省をご先祖と仏様に報告して、心を安らかにして床に入る。

 オダブツ教では6S(整理・整頓・清潔・清掃・躾と信仰)で、人生の生産性向上と魂の浄化を計っている。

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2020-05-28 久志能幾研究所通信 1610  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年5月27日 (水)

運の悪いヤツとは付き合うな

 かのナポレオンは、運の悪いヤツを部下にすることを徹底して避けた。運の悪い部下を持つと、自分の運が悪くなるという哲学であった。時にはジプシー女にも占わせたり、自分でカード占いをしたという。

 運の悪いヤツは、運が悪くなる生活リズムで生きている。運の悪いヤツは顔が陰気である。話すことが陰気である。その行動が後ろ向きである。運の悪いヤツと付き合って、その波動を受けると、自分まで運が悪くなる。だから運の悪いヤツはとは付き合ってはダメなのだ。

 

冥資

 サラリーマン生活での中間管理職は、部下をそう自由に選ぶことはできない。同様に上司を選ぶこともできない。それをできないと考えると、益々運が悪くなる。誰に聞いても、その対策案で納得できるものはなかった。

 強いて言うと「冥資」を受けられる徳や運を身に付けるしかあるまい。「冥資」とは知らない間に受ける佛の加護である。

 

要領

 「冥資」を受けるには要領をよくすること。要領とは物事の勘所であり、物事をうまく処理する手段である。地獄のシベリア抑留から生還された丸順の今川順夫最高顧問(当時)は、「生きて帰れたのは、(良い意味で)要領がよかったから」と言っておられる。

 同じく地獄のアウシュビッツ強制収容所から生還したヴィクトル・E・フランクルは、その著書『夜と霧』の中で言う。地獄の強制収容所で生き延びた者は、生きる目的を持っていた。生きる目的を達成する為には、要領よくせねばならぬ。頭でっかちの利口では駄目だ。賢くなければ、運が良くならないし、生きていけない。

 

耐える時

 サラリーマンとして悪運の強い上司の下に異動となったら、我慢するか反抗するかの選択が問われる。大企業では往々に有名大学出のエリートが上司になっている。だから、それに逆らと大変だ。私は、宮仕えとはそういうものと覚悟(達観)していたので、心の中では舌を出していたが、表面的には、じっと耐えてサラリーマン時代を過ごした。悪運という嵐が頭の上に来ているなら、じっと耐えて身を低くするしかない。悪運の風をまともに受けては倒れてしまう。柳のように受け流せばよい。それが宇宙根源の理である。物理学の応用である。

 その私が、その上司のもとから、別の部署に異動した。その時、上司が変わるとこうも環境が変わるものかと驚いた。サラリーマン生活は上司次第である。

 

反抗して死を選ぶ

 一年下の同僚のD君は、頭が切れたが、いつもその上司に立てついたため、海外に飛ばされた。上司は彼が性格的に営業は不向きと知りながら海外の営業職に飛ばした。それが原因で、彼は帰国後、心労がたたり54歳の若さで病死した。私はその上司の推定殺人だとおもう。

 サラリーマンが嫌なら独立することだ。それができないなら、嫌われないように保身するのがサラリーマンの智慧である。それが賢者である。運はよくならないが、最悪は避けられる。私の両親は、上司への盆暮の心づけを欠かさなかったので、その危機を避けられた。今にして思うのは、これは危機管理上の保険であった。親のご恩に改めて感謝している。

 前職はそれがまかり通るブラック企業であった。D君は頭が良かったが、世間を渡る如才が足りなかった。つまり要領と賢さが足りなかった。メンタル面でもタフでないと宮仕えは勤まらない。

 市長にも悪運の強いヤツがいる。それが市民生活に影響するので、たちが悪い。本人は幸せだが、市民が不幸である。会社で悪い上司の下に異動させられたと同じである。どうすればよいか、永遠の課題である。

 

運の悪いヤツは、

 時間にルーズである。

 健康に気を付けない。

 約束を守らない。

 ウソを言う。

 酒癖がわるい。

 (体に悪いと知っていて)煙草を吸う。

 笑顔がない。

 ご縁を大事にしない。

 出会いを自分から求めない。

 チャンスを大事にしない。

 愚直なことを大事にしない。

 陰徳をおこなわない。

 神仏を信じない。

自分が運の悪くなる言動や考えをしていないか、自省したい。

Dsc065671s  松本明慶大仏師作 普賢菩薩、 書は馬場恵峰書

 普賢菩薩とは、梵名でサマンタバドラといい、「普く賢い者」の意味であり、彼の世界にあまねく現れ仏の慈悲と理智を顕して人々を救う賢者であることを意味する。また、女人成仏を説く法華経に登場するので、特に女性の信仰を集めた。密教では菩提心(真理を究めて悟りを求めようという心)の象徴とされ、同じ性格を持つ金剛薩埵と同一視される。そのため普賢菩薩はしばしば金剛薩埵の別名でもある金剛手菩薩とも呼ばれる。「遍吉」という異名があり、滅罪の利益がある。この項、wikipediaより)

2020-05-27 久志能幾研究所通信 1608  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月25日 (月)

「武田信玄公の訓語」で己を照らす

 武田信玄は20歳で、父を追放して武田家の家督を継いだ。年若くても一国一城の主である。それで年長者を束ねていかねばならぬ苦労をした指導者であった。反感を持って己を見ている部下たちを統率する苦労を味わった指導者である。

 武田家24武将を描いた掛け軸は、武田家の結束を表す絵として有名である。その絵には、23人の武将しか描かれていない。24人とは信玄を含めて24武将である。信玄は織田信長のような絶対君主ではなく集団合議制の指導者のような位置付けで、全体を統率していた。

 そういう状況で体得した人生訓が、「武田信玄公の訓語 心についての12か条」である。だから凡人の私には、一つ一つの言葉が納得される。

 

後継者

 いくら名君でも後継者問題は永遠のテーマである。武田信玄は父より後継者の座から排除されたので、クーデターを起こして、逆に父を追放した。時に20歳である。信玄はそれだけの知力も決断力も胆力もあった人物である。

 その血筋を引いた信玄の長男義信は、息子たちの中では、能力的にも一番優れていたが、父・信玄と同じようにクーデターを起こす計画をして、それが露見して寺に幽閉され自害に追い込まれた。血は争えない。だから一番優秀な長男を自害に追いやったので、後継者は武田勝頼になってしまい、それが武田家滅亡の道筋となった。

 

堪忍

 その時に信玄に7番目の訓語「堪忍」があれば、長男を生かせる調があったはず。そうなれば武田家は存続したかもしれない。それが頭の隅にあってこの7番目の訓語堪忍ある時は事を調す」ができたかもしれない。そうなれば、長篠の戦いはなく、馬場春信公は死なず、別の運命となったはずである。そうなれば、私と馬場恵峰先生の出会いはないことになる。ご縁とは不思議なものである。

 

愛嬌

 信玄は若くして統領になったので、古参の家臣が信玄を馬鹿にして言うことを聞かないことが多かったはずだ。その悔しさは、私も年上の部下を持って痛感した。上司と言っても、それは会社から与えられた職位であって、経験は古参の部下の方がある。その中でリーダとして責務を果たすには、構えなければならぬ。心に余裕がないと愛嬌どころではなく、必死なのだ。それが「我慢ある時は愛嬌をうしなう」である。指導者は常に笑顔で愛嬌がなければならぬ。それも指導者として成長するために獲得すべき能力である。

 

武田信玄公の訓語 心についての12か条

心に物なき時は体やすらか也

我慢ある時は愛嬌をうしなう

欲なき時は義理をおこなう

怒りなき時は言葉やわらかなり

誤りなき時は人を恐れず

驕りなき時は人をうやまう

堪忍ある時は事を調す

私なき時は疑うことなし

勇ある時は悔ゆることなし

くもりなき時は静かなり

迷いなき時は人をとがめず

貧りなき時は人にへつらわず

武田信玄公の訓語心についての12か条也

疾如風除如林侵掠如火不動如山

 

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Dsc0971233  馬場恵峰書

 

2020-05-25 久志能幾研究所通信 1606  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月20日 (水)

自分は歴史の駅伝走者

 お金(体、時間、命、ご縁)は、神仏・ご先祖様よりの一時的な預かりもの。それを有効に使うのも、無為に使うのも全て己の人格レベルがなせること。

 己の後姿を神仏のお目付けとして、子供・部下・世間が見つめる。それでその家・組織の興亡が決まる。

 三田圭子、「みのもんた」の息子の不祥事がその良い例である。

 小川敏の後姿を見て、部下は動く。だから大垣市は没落した。

 今の己の姿がご先祖の功徳の積分値である。だから人生の興亡は誰のせいでもない。自分の役割は、連綿と続くご先祖からの駅伝走者である。自分が走る走る区間が、現代史である。

 ご縁ができたら、自分のため、家族のため、国のため、そのご縁を活かせ。それが御恩返しである。

                2014年1月26日 初稿

 

2020-05-20 久志能幾研究所通信 1599  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

53年前のブルーインパルスが「非断捨離」飛行

 

 保存してあった写真・フィルムを整理して、53年前の白黒フィルムをデジタル化した。そこに53年前のブルーインパルスの曲技飛行が写っていた。そこに53年前の岐阜基地航空祭に出かけた高校生の私が写っていた。

 今流行りの「断捨離」をしなくてよかったと思う。人生とは記憶の積み重ねである。記憶、記録とは人生なのだ。その記録まで廃棄しては、人生を歩んだ意味がなくなる。それは人生の認知症である。そうまでして想い出のアルバムまでを「断捨離」するのは異常である。記憶は日々薄れていくが、写真が残っていれば、それを思い出して、人生の歩みを確認することができる。

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 カメラ:CANON PERIX 、レンズ CANON FL200mm

 写真はトリミングなし

 1967年5月28日 岐阜基地 航空祭にて

 

2020-05-20 久志能幾研究所通信 1598  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年5月18日 (月)

私の金銭哲学

健康

 健康のためには金を惜しまない。安い食い物にはワケがある。美味しいものには毒がある。美しいバラには棘がある。激安食材、美味しーい食品は、添加物、化学調味料、農薬まみれで、10年後の病気の原因となる。10年後、医者への支払いで時間と金が消える。

 

ご縁

 ご縁を得るためには金を惜しまない。その人との出会いが人生を黄金に変える。山河を歩む人生で、黄金のような人物に出会うのは、砂丘で砂金に出会うようなもの。その探知に金を使え。

 出会いを求めないと、そのご縁は生まれない。私はご縁を求めて、世界で超一流の人とご縁ができた。その謦咳に接するだけでもお宝である。

 

自己投資

 金ができたら、自分の成長のために金を使え。そのために無駄遣いはするな。自分の一部となって、自分を助けてくれるものに金を使え。それは経費でなく投資である。

 自分株式会社の効率アップ、時間創出、機会創出のために金を使え。時間は金で買える。付加価値の低い役務は、金で解決せよ。

 

もの

 一番高いモノを買え。一生使えるものを一度だけ買え。高いモノには、創造者の汗と魂が籠っている。モノには事も機会も含まれる。教育も「事」である。レベルの高い教育に投資せよ。教育は、時間(命)を全うするための道具である。道具は使いこなせ。金を残して死んでも、誰のためにもならない。時間を活かして使え。時間が命を創造する。

 

活かせ

 そのためには、活き金を使え。死に金とは、お金を泣かすこと。お金(ドイツ語)は女性名詞である。女を泣かせて、幸せは掴めない。お金を活かし、お金に喜んでもらうように金を使え。そうすればお金さんが、お友だちを連れて帰ってきてくれる。

 お金にも神仏が宿る。その使い方如何で、恩返しもあれば、罰当たりもある。お金は目的を持って、感謝して貯めて、恩に報いるために使え。

 

2020-05-18 久志能幾研究所通信 1594  小田泰仙

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