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2020年6月28日 (日)

コロリ対策 私の免疫力向上戦略・戦術(1/3)

 癌になっても新型コロナに罹っても、どんな病気になっても、体に免疫力があれば、コロリとは死なない。新型コロナで死んでいるのは、免疫力が低下した癌患者や高齢者である。癌患者は癌では死なない。癌患者は抗がん剤等の薬で免疫力が低下して、外部から入ってきたバイ菌で肺炎等にかかり死んでいる。

 人生でトラブルに巻き込まれても、人生の復元力(コンプライアンス)があれば、人生で沈没することはない。人はトラブルそのものが原因で、沈没などしない。それを苦に精神を病んで沈没するのだ。復元力とは人生航海で沈没しないための免疫力である。多くの人は、事故に遭い、誘惑や賄賂に溺れて、突然死でコロリと逝く。

 人生航路では、安全に無事に目的地に到達するには、身体の免疫力と心の防御壁を強く(復元力を向上)させることが肝要である。そのため私は、戦略と戦術を立て、下記を実行している。

 仏様は、各臓器を守るために髪の毛や皮膚、骨を手配されたが、心だけは剥き出しのままにされた。だから精神の免疫力を自分で作らないと、心はすぐに傷ついてしまう。

 戦略とは、無駄な戦いを略して消耗をなくし、勝ちに導く知恵である。戦術とは、戦略を実現するための知識である。

 

 身体の免疫力には、身体の健康面への影響で、食事が35%、睡眠が30%も占める。免疫力を下げない基本は、狂った生活、狂った食事をしないこと。体の細胞が喜ぶ生活をすること。

 人生航海で沈没しないためには、災難に遭ってもへこたれず、早く復帰するために、心の復元力(コンプライアンス)を高めることだ。精神力を高め、魂の浄化をすることだ。

 

健康面

35%が食事(医食同源)

 良い水を飲む

 20回の咀嚼

 小食(ご飯は一食100g、左手でゆっくり食べる)

 果物は皮ごと食べる(皮に免疫力の成分がある)

  魚は頭から尻尾まで食べる

 味噌汁等の発酵食品と摂る

 加工食品を食べない

 冷たいものを食べない

 店頭のライス食べない(油が塗布されている)

 油分を食べない

 砂糖を摂らない(甘いモノ、スィーツを禁止)  

 添加物の入ったものを摂らない

 防腐剤の入ったものを摂らない

 乳製品を食べない

 肉は少しだけ

 完全禁酒(酒は少量でも発がん性物質)

 

30%が睡眠(人生寝たモノ勝ち)

 22時には就寝(22時から2時に成長ホルモンが出る)

 18時以降に食べない(12時間の絶食を)

 5時までベッドにいる

 

35%がそれ以外

 病気は対処慮法で治さない。真因を見つけて、それを除去する。

 薬を飲まない(薬は基本的に毒)

 病気と相談する。病気は仏様からの啓示。

 良い環境で過ごす。

 喫煙者と付き合わない

 よく歩く

 太陽に一日に10分間以上当たる 

 体を温める(お風呂) 41度で15分

 入浴後、冷水を浴びる。自律神経が刺激され、免疫力が向上。

 

2020-06-28 久志能幾研究所通信 1647 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月21日 (日)

日の当たる場所を歩こう

 太陽光を浴びるとビタミンDが生成される。人は太陽の下で過ごすことが、健康には必要だ。私は南雲吉則先生の指導で、免疫力向上、ガン予防のため、一日に10分間以上、太陽光を浴びることを指導されている。

 暗い部屋の中で一日中過ごすより、日に一度は太陽光を浴びると心も健やかになれる。暗い場所にいると、どうしても考えが暗くなる。

Photo

 南雲吉則著『病気が逃げていく! 紫外線のすごい力』主婦の友社

 

光を当てる

 ビジネスで大事なことは、何が問題かを見極めること。問題点に光を当てて明らかにすることである。暗くては、その問題点や徳性が浮かび上がらない。問題点が明らかになれば、解決策は無限に出てくる。

 56億7千万年先から仏さまが光を当てるから、暗闇の中で月が浮かび上がる。光を当てないと、何事も浮かび上がらない。それが明徳を明らかにすることである。

 

光に向かって走る

 人間にとって本当の幸せは、光の下にいる時ではない。その光を遠く見据えて、それに向かって懸命に走っている。無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う。

『建築家 安藤忠雄』前文

 

暗闇から光の場所へ

 今いる場所が、日の当たらない部署でもいい。暗闇から光のあるところに向かって歩けばよいのだ。努力をしないと光の場所から暗闇に向かって転げ落ちる。暗闇にいると、どうしても考えが暗くなり、更に暗い方向へ進んでしまう。人間は、坂に上に置かれたボールのようなものだ。止まっていると坂を転げ落ちる。自分が努力すれば、自ずと社会の光となって、回りを照らす行動を取るようになる。理想は光の場所から、さらに輝く場所への昇華である。

 

光の当たる部署

 私の学生時代は、光が当たらない学校で過ごしたが、そこで頑張ったので、会社ではずっと光の当たる部署を歩くことができた。なんでも光るものを持つと社会では優遇してくれる。人と同じ光ではダメなのだ。同期の国立大学出の仲間に話を聞くと、私みたいに光の当たる仕事をさせてもらったのは少ないようだ。光の当たる部署では、海外経験を含めて多くの経験をすることができた。それが今の私の財産になっている。人生で最大の財産は、経験である。光が当たればその経験も豊富になる。だから頑張って光のある場所を目指すべきなのだ。頑張って動けば、それに見合った成果が出る。 

ゲーテの最期の言葉   もっと光を

4k8a2217s   馬場恵峰書

2020-06-21 久志能幾研究所通信 1640 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月20日 (土)

心の成長は10段階。菩薩を目指す

心の波長

 人間の運命は心が生み出す。良いことを思えば、良いことが起こり、悪く考えれば、悪くなる。

 「怖れるな。怖れることは怖れることを引き寄せる」とキリストは言った。人間の心はその波長に合ったものを引き寄せる。それはラジオ放送局の発信波長が、遠くのラジオのアンテナで受けられ、その電波と共振して音として再生できると同じ原理である。

 

心のアンテナ

 利権を求める電波を発して旅すれば、利権の亡者に出会う。佛を求めて旅すれば、佛にご縁のある人に出会う。常に心が善であれば善を引き寄せ、感謝には感謝が返ってくる。「求めよ、されば与えられん」と東西の神仏は同じことを言っている。夢を求めて人生を旅すれば、夢を叶えるご縁に出会う。求めなければ、決して実現しない。全て己の心が求めたものである。

 心には力がある。その心の叫びが言霊である。その力はプラスにもマイナスにも働く。悪運でもその心の叫びが勝てば、運命を変えられる。その叫びを一番多く、一番大きな音で聴くのは己である。人生は一番多く接した声に影響される。それ故、古の聖賢は心を鍛え、調えることの必要を説いた。

 

仏教は人間の心の状態を10段階に分ける。

 地獄(幸福を感ずることのできない世界)

 餓鬼(欲望の世界)

 畜生(倫理のない世界)

 修羅(闘争を好む弱肉強食の世界)

 人間(精神的なものを求めるが、まだ物欲の強い世界)

 天上(人間以上に精神的なものを求めるが、油断すると地獄に落ちる世界)

 声聞(いい人の教えを聞いて近づこうとする世界)

 縁覚(何かの機縁で自分から悟る世界)

 菩薩(自分が悟り、人を良くしていこうとする世界)

 そして仏の10段階である。

 

心の変化

 この10の世界は別々にあるのではない。一人の人間の中には、時代により、己の成長により、回りの環境変化により、時間経過により、いろいろな心の動きがある。人は常に一つの界にいるわけではない。ある時は修羅界をさ迷い、天上界にも身を置くことがある。ある時は地獄界をさ迷い、罪の意識に目覚めて天上界に目覚めることもある。未熟な心は常に地獄から天井界までをジェットコースターのように疾走している。それが人間である。それが生きている証である。

 

佛を目指して

 菩薩になれと言うわけではない。生きるためには、畜生にならねばならぬ時もある。戦争になれば、餓鬼、畜生にならねば、銃後の妻子供が守れない。しかし平和になれば、せめて修羅界、人間界で過ごさねば、人間として生まれた甲斐がない。

 欲望がなくなれば菩薩であるが、それでは人間として死んだ状態である。生きている限り、さ迷えばよいのだ。未熟な私はいつも迷っている。人間として生きている限り、迷いつつも、菩薩、佛という北極星を目指して精進すればよいのだ。目指す場所さえ明確なら、何時かは目的地に到達する。

 

私の人物観察

 私は上記の10の段階評価で、人を観察している。その前に、自分がどの段階にいるかを、いつも自省している。菩薩界は無理としても、せめて天上界をめざしたいもの。

 大垣市長の小川敏は、過去の行動を観察すると、餓鬼、畜生の世界をさ迷っているようだ。そんなレベルの人を大垣市長として頂くと、大垣市民は不幸である。だから大垣市は没落した。

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 飛天 岩田明彩絵仏師 

 

2020-06-20 久志能幾研究所通信 1639 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月18日 (木)

3.技術と芸術の対比 政治の位置付け 

3-1) レオナルド・ダ・ビンチ  

 以前(1991年)、パリ行きのジャンボ機の中で隣に座った画商より、「本物の絵の値段は人間一人の命の値段と同じ」と聞いた事がある。今回(1991年)、まだまだ私も若い時に、パリとロンドンの美術館で、絵画史上有名な実物の絵画をまの当たりにみて、その意味の微かな香りを嗅げたのは幸せであった。特に、芸術家であり技術者であったレオナルド・ダ・ビンチは、技術者としてなにかと注目せざるを得ない人である。今回彼の作品を目のあたりに接して何物にも変えがたい感動を味わえた。

 レオナルド・ダ・ビンチは技術者としての側面を持っている。そのため、その画風には何処か数学的に計算つくされた香りが漂ってきて、緻密な設計図を観る趣があり、技術者の一人として安心していられる。これが同時代若しくは現代迄の画家と違う所だと思う。また彼ほどあちこちの美術館、博物館に顔を出している芸術家はない。特に科学博物館まで出演しているのは彼だけである。(図7)

 歴史に残る作品は其なりの雰囲気を持っているが、技術者のハシクレの一人としてこういった物が残せる様な仕事がしたいという気持ちがある。科学工業英語セミナーの篠田先生の講義の出会いは、こんいう機会をもたらせてくれた。篠田先生に出会わなければ、コミュニケーションへの理解が違った方向を向いていたかもしれない。コミュニケーションは私もコンピュータのフローチャートを通じて求めていたテーマであった。それを篠田先生の講義によって頭の整理が出来た。

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  英国科学技術博物館にて  1991年6月9日

 

技術者の表現能力

 技術者と言う人種は、文学者(営業向きの人種と言っては語弊が有るが)と違って100を知っていても10とか20しか表に出さない口の重たい人種である。しかし後者は逆に100を知っていても、それを200にも500にも拡大して表現してしまう傾向にある。こう見るのは技術者としての私の偏見であろうか。

 しかし私は篠田義明先生から「自分の考えたこと、伝えたいことを必要かつ充分に簡潔に、表現する技術を学ぶことが仕事をするうえで重要だ」と教えていただいた。

 芸術と技術の違いは、その作品が個人に帰属するか組織に帰属するかで分かれる。芸術はその個人の持つ能力の最大限の表現となる。これは個人の能力そのものとなるので、数百年前の芸術作品に出会っても我々は感激出来る。しかし技術は集団の能力の結集したものであり、その作品毎にその技術を踏まえて自己発展していく傾向にある。この点から言っても過去の技術の蓄積、伝承は工業国家として欠けがいのない要素と成ろう。そういう点で個人主義の発展した欧米の技術面での最近の凋落ぶり上記の要素が一因と思えてしまう。

 芸術、文学、論文、エッセイ等はその制作上で習得しなければならない技法、手法が存在するが、それ以上に作者の思い、こだわり、心からの込み上げるもの、ある意味の怨念等が籠もっていない作品は、何処か美しいだけで線が細い。

 

3-2) 組織としての芸術、個人としての芸術

 古代、中世、近世、現代の美術を観て感じたことは、組織としての工芸美術品と個人の命の表現としの芸術の違いであった。

 芸術作品はその技法、技術としての発達は古代よりの歴史を見れば、確実では有るが除々にしか変化していないことがよいわかる。これは技術の発展の歴史に比べればその差は自明である。

 芸術の場合は個人の能力に依存する要素が極めて大きく、我々が現代の目で見ても、昔の作品はそれなりの価値観があり、現代のあるかなりの水準以上の才能が無ければ同じ物が生みだせない。だからこそ、こういう芸術作品は永遠に受け継がれていると考える。また当時と同じ感激が現代の我々も味わえる。これは人が命を捧げて編み出した物で、その価値は人間一人の値段と同じなのが理解出来よう。

 技術はあくまでも過去の蓄積の上に成り立っており、個人ベースと言うより組織としての作品の意味合いが強い。我々の技術は過去のだれかの業績の上に成り立っている事を認識すべきある。だからこそその権利として受けた恩恵を、今度は義務として後世に伝える義務がある。この技術伝承の形態の差は美術館と博物館とで良く識別できる。

 そういった意味で古代の王族用の美術、工芸品は多分に組織の匂いが感じられて、作成者の命の息吹が感じられにくく、感動が少ないように思う。これはその作品が命令によって作成され、あたかも工業製品を作るように製作されたせいだと思う。

              以上初稿1991年、2020年6月18日改定

 

経営・政治の設計図

 もともと政治とは自分の思想を実現する仕組みである。その政治の仕組みにトップに思想が表れる。それは経営であり、芸術作品でもある。仕組みである以上は設計図がなければならぬ。政治も経営も芸術作品であるので、そのスケッチ、図面、計画が緻密に計算されてなければ、完成した作品は、不良品になる。

 中曾根康弘元首相は、首相になる前、百冊近いノートにやりたいこと(国家のデザイン図)を書き綴ったといわれる。だから歴代の首相の中では光っている業績を上げた。

 それに対して大垣の小川敏は、前職の小倉満市長の突然の死で、たまたま市長の座が転げ込んできたので、大垣市をどうするかの計画など全くなかったようだ。だからこの19年間の市政では、無為無策の有様となった。

 芸術も政治もその絵を描くには、設計図が必用だ。大垣市の未来にどういう絵を描くか、その熱い思いがない輩が市長になると、その市は没落する。小川敏に支配された大垣が事例である。

 

人生経営の設計図

 自分の人生も同じで、その設計図、航海図がなければ、有意義な人生は送れない。その設計図も毎年、状況に合わせて修正を加えなければ、世相の変化に対応しなければ人生で沈没する。

 

2020-06-18 久志能幾研究所通信 1637 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月17日 (水)

トヨタ生産方式で自分の人生を変える

何故、自分は変わられたか?

何故、大垣は変われないか?

 

変わる願望の有無

 私には変わりたいと願望があった。だから変われられる方法を模索した。

 大垣市長の小川敏は(表面的には)功なり名を遂げたと思っているから、変わりたいという願望がない。

 私は成長したという願いがあるが、小川敏には、それがない。

 役人の世界は現状維持が最高の状態である。何か変われば利権がなくなるかもしれないという恐怖がある。だから現状維持が第一優先である。お役人の世界では変えてはいけないのだ。

 

「動く」と「働く」(大野語録)

 私が動く場合、必ず成果が出る方法に計算して動いている。具体的に動けば、具体的な回答がでる。

 小川敏は、市民から寄付を強制して、寄付贈呈式の写真を岐阜新聞に載せまくっている。市長として、如何にも「動いて」いるように見せるが、市民の為には全く「働いて」いない。小川敏は、やるべき執務を放り出して事前選挙活動をしている。

 

多様性の有無

 私の取り組みは各方面に、5年毎にテーマを変えて、人生を変える取り組意をしている。多くの経験を積む為に多様性を心がけている。

 しかし役人の世界の長期政権では多様性が許されない。長期政権で、お役人の世界は、変わったことをしてはいけないのだ。

 アメリカがヨーロッパより発展したのは、多様性を許容したからだ。旧態以前たるヨーロッパの伝統では、新しいことはできない。

 東大を出て、権威を維持したい小川敏は、何も変えたくないのだ。それで大垣市が没落して、地価が暴落しても、自分だけは市長職で推定5億円を稼げるから知ったことではないのだ。

 

人を育てる

 私には人を育てたいという願いがある。前職では、こだわりをもって新入社員・中堅社員を中心に、人財育成に取り組んだ。最大の人財育成は、自分の教育である。人を教えるには、自分がそれ以上に勉強しなくてはならない。そのために直接費用だけでも1千万円以上を使った。図書も重量で4トン以上を買い込んだ(冊数では数えきれない)。

 しかし、小川敏にはそれがない。大垣藩の開祖戸田公は教育熱心だったから、大垣を教育の街、博士の街にした。小川敏はその反対である。大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低である。小川敏は、教育費を、自分達の給与に振り向けた。だから大垣市職員の給与は県下一高い。大垣市の教職員の給与は岐阜市のそれより年間200万円も低い。

 

To be

 私は人として何を成すかを意識している。

 小川敏は市長になるのが目的であって、市長として何かを成すかは考えていないから、変わる必要を感じなかった。下記の言葉には大きな違いがある。

How to be a Mayor

How to do as a Mayor

 人間として大事なことは、人間として何を成すかである。小川敏は市長としてやるべきことを何も考えていないから、無為無策で19年間を過ごし、大垣市を没落させた。それで大垣の公示地価は半分以下に暴落した。

 

真因無視

 私は問題が起これば、何故なぜを5回繰り返して、真因を探して対策を打っている。対処療法はしない。そうやって会社での問題解決にトヨタ生産方式で、解決方法の教育を受けた。私の病気もその手法で治した。

 小川敏は「大垣市中心市街地活性化計画」、「大垣未来ビジョン」を大垣の活性化と称して見栄で計画を作るが、大垣が何故そうなったかを考えないから、「大垣市中心市街地活性化計画」は大失敗に終わった。「大垣未来ビジョン」も大失敗が見えている。

 その原因が分かっていても、役人としてその原因を直す気がないから、大垣市は没落を続けた。役人は波風を立てたくないのだ。

 

「チェックとは反省である」(大野語録)

 私は失敗した時、人から裏切られた時、必ず再発防止を図る。裏切られたら、その人とは縁を切る。

 小川敏は市の行事の失敗をチェックしないから10年一日で変われない。小川敏は反省しない。小川敏はPDCAを回さないから、何時までも同じ失敗を繰り返している。だから大垣市は変われない。変われないどころか、地獄へ一直線の落第生に変身である。

 

経営能力の欠如

 会社の経営と人生経営は同じである。自分の人生を「主」として経営をすることを考えている。

 小川敏は、伊藤忠商事でうまく成績を上げられず、追い出されたか、いたたまれなくなって退職したようだ。だから、そんな能力だから、大垣市の経営がうまく行くわけがない。自分の家業もまともに盛り立てることができなかったのに、大垣市の経営がうまく行くわけがない。小川敏の家業は今も昔も超零細企業である。

 

狂った頭で計画

 常に第三者の目と頭で、今の自分の計画を見直している。師の意見を聞いて、人生の方向を修正している。

 小川敏が「大垣新市庁舎が大垣中心市街地活性化の要となる」と宣伝するのは、狂っている。誰が考えても、そんなことはあり得ない。それを言い訳に、小川敏は岐阜県下で市民一人当たり一番負担金の大きい市庁舎を建てた。狂っている。変わるためには正常な頭でないと、変われない。

 

「省人化」(大野語録)

 私は機械で出来ることは、機械に任せている。ITへの投資は、金銭効果、時間効果があることを確認して導入する。

 小川敏は、馬鹿の一つ覚えのようにIT化、ロボット化をやるが、工数を減らしても、人が減らないから、自動化の意味がない。IT化、ロボット化をしても、その保守費やその保守をする人間が増えるという愚かさをしている。

 売名行為としてIT化、ロボット化をやるから、大垣が変われるはずがない。小川敏は、その費用対効果を絶対に口外しない。

 

費用対効果を考えないから、変われない

 私は身銭を切るから、費用対効果を考えて金を出す。

 小川敏は、馬鹿の一つ覚えのようにIT化、ロボット化をやるから、金ばかりかかって成果が出ない。なにせ小川敏にとって、その費用は市民税で人の金である。見せびらかしとしてIT化、ロボット化をやるから、大垣が変われるはずがない。小川敏は、その費用対効果を絶対に口外しない。

 

全体効率

 私も投資をする場合、一点豪華主義をすることがあるが、常に全体最適を心がけている。

 小川敏は一点豪華主義で、売名行為でやり、全体効率を考えなから変われない。

 

整理整頓清掃

 トヨタの神髄は5S(整理整頓清潔躾)。それがトヨタを世界のトヨタにした。

 小川敏は清掃費をケチり、大垣市の清掃をしないから、ますます汚くなり、変われない。

 

2020-06-17 久志能幾研究所通信 1635 小田泰仙

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2020年6月16日 (火)

汚川を流れる長大高多の狂気が、大垣衰退の原因

長期無為無策政権、大きすぎで高額な市庁舎、高額で多すぎる100周年忌念行事、高額な役人給与、多数に拘る同窓会

 際限なく「長」や「大」、「高」、「多」を求めたものは、大抵「病」や「狂」に入っていく。そして「病」や「狂」のある所には、必ず堕落や犯罪が生まれる。「大」や「長」、「高」、「多」を極めると人間の手に余る状態に陥る。

 

長期の害

 いまだかって、長期独裁政権で腐敗のしなかった例はない。いくら制御しようとしても、そのものは内部暴走を始める。取り巻きや、利権を得ようとする輩が暴走して制御不能にさせてしまう。中国共産党100年間、北朝鮮50年間、小川敏の大垣市政19年間を見れば、それが納得できる。小川敏の市長選6選への執着は狂気に見える。

 長期政権は、独占的な利権を招く。どんな生物でも組織でも、成長には多様性や他の血が必用である。それが長期政権では否定される。だから成長できず、没落する。新しい血が入らず、同族だけの婚姻が続くと異常児や虚弱児が多く生まれるのは、自然の理である。長期独裁政権では新しい血は拒否される。アメリカには多様性があり成長がある。大垣市政には多様性はなく、没落である。

 

大の弊害

 南方で生育するラワン木は、成長が早く、すぐ大きくなる。しかし、速く大きくなりすぎて、組織が強くならず、自身の重みに耐えかねて、ラワン木は倒れてしまう。

 人類はより高いバベルの塔を目指して、より高い塔を作ってきた。それが神仏の怒りをかい。失意のうちに崩壊している。

 

高額の弊害

 大垣市制100周年記念行事で、小川敏の執念で100個の行事を無理やり作り出せば、費用がべらぼうに跳ね上がる。3億5千万円もの無駄遣いである。その費用は90周記念行事の3倍となった。今回の大垣市のコロナ対策費がわずか2億円余で、岐阜県下一の低額さである。それと比較すれば、その異常さが浮かび上がる。

 それで大垣市の活性化になればまだしも、それが全くなかった。翌年の公示地価が例年どおりに下落である。それも小川敏が市長になって19年間、公示地価が下がり続けている。公示地価は市長の通信簿である。市場の評価は神の如くの評価である。小川敏は市長として無能との神の評価である。

 その無理な取り組みをすれば、どこかでその弊害がでる。その陰で利権も汚職も発生するだろう。巷ではその噂が絶えない。大垣市制100周年記念行事の際中、大垣の夜の店では、大垣市関係者の数が異常に増えたとの声であった。

 

多数を目指して暴走

 小川敏は、2019年、高校同窓会の会長になったので、「今度の同窓会の出席者を市制100周年記念として、100名以上集めろと狂気の執念で幹事に檄をとばした。それはガキの発想である。いつもの同窓会の参加者は、80名ほどだが、今回は120名ほどになったという。余計なことをするから、その同窓会費用が実質高くなった。完全なる小川敏の狂気の暴走である。

 

生と死

 人は寝て1畳、立って半畳、食べて一合、飲んで一升である。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。何もあの世に持って行けない。

 人は死という期限を意識しないから、人生をさ迷う。職位の任期とは、その職務の死である。定年とは死である。人の生とは、死が前提である。プロジェクトとは、必ず終り(死)のある仕事である。それを考えず、小川敏が市長の座にしがみ付くから、大垣市の存続に問題が起きた。だから大垣市は没落した。人生は、一つの座にしがみ付いているほど、与えられた時間は多くないのだ。それを分からない輩を愚か者という。

 

智と賢

 知識はあっても、智慧のない輩を愚者という。悪知恵を使うのは仏様への裏切りである。仏様は悪事恵を出すために、才能を授けたわけではないのだ。往々に知識だけある輩が悪知恵を出す。それは、賢いとは言えない。

 智慧を持つのが智者、それを状況に合わせて上手に活用するのを賢者という。智慧だけではダメなのだ。智慧があり賢くなければ、成仏できない。成仏とは、何事かを成し遂げること。あるべき姿に成就することを言う。それがプロジェクトの死である。美しい死を迎えるため、最大の努力をしたい。

 小川敏が市長になって、大垣市が没落した。大垣市は、成仏ではなく、地獄に堕ちたのだ。

 

智と賢の象徴

 だからそれを象徴して、寺院では釈迦如来の両脇を守る脇侍の菩薩として、右に文殊菩薩、左に普賢菩薩が祀られる。自宅では、私の守り仏の虚空蔵菩薩の両脇に、文殊菩薩、普賢菩薩を祀っている。私が三佛に手を合わせると、三佛の目が人生の色の意味を示唆してくれる。小川敏のように愚かに生きなくてよかったと思う。小川敏は人生の反面教師として最高の愚かさである。

 

2020-06-16 久志能幾研究所通信 1634 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月13日 (土)

ブルーエンジェルズ、窓際族にされ悔し涙

 1971年10月、国際航空宇宙ショー(会期1週間)に米海軍のブルーエンジェルズが曲技飛行を披露するため、名古屋空港(小牧)にやってきた。

 ブルーエンジェルズは、国際航空宇宙ショーでの展示飛行を行うため、前日、その練習飛行をした。しかしF-4はジェットエンジンが双発で、出力が大きく、それが4機で編隊を組み、超低空を舞い、エンジン出力を最大にしてアクロバット飛行すると、轟音と振動で近隣住民から「窓ガラスが割れた」「屋根瓦がずれた」などの苦情が同基地に殺到した。そのため、翌日の曲技飛行は中止となり、大人しい展示飛行が1回のみとなった。

 

左遷

 「国際航空宇宙ショー」事務局の当初の計画では、ブルーエンジェルズの展示飛行が最大の見せ場になるはずであった。それが肝心の曲技飛行が中止となり、単なる編隊飛行の披露だけになった。少し演技飛行をしたが、騒音防止で高度を取り、エンジン出力を上げない大人しい飛行であった。前日に迫力ある練習飛行を見た私には、拍子抜けする演技飛行であった。まるで仕事の鬼が窓際族になったようなものであった。

 

抗議表示

 その飛行も着陸ギアを出しての飛行である。戦闘機が着陸ギアを出すとは、相手に対して降伏の意思表示を意味する。この一連の飛行写真を整理していて、50年経って初めてこのことに気がついた。ブルーエンジェルズは、この行動で、自分達の抗議を精いっぱいの抗議をしていたのだと。

 

天の人事、左遷人事

 ブルーエンジェルズのクルーたちは、ファントムの狭いコクピット内で拘束されて(酒も飲めず、寝られず)、長時間かけて太平洋を横断して日本に来た。日本の観客のため、命を賭けて、持てる技量を最大に発揮して、事前演技練習をしたら、それが小牧の地では問題になった。ブルーエンジェルズには、全く落ち度がない。

 ブルーエンジェルズは、航空宇宙ショーの華々しい主役の座から窓際族に追いやられた。世界最高の技術を持つと自負する彼らには、最大の屈辱である。日本の事務局は彼らに恥をかかせたのだ。

 

地の人事

 まるで自分の会社生活での人事を鏡でみているようだ。会社のため、全力で仕事に取り組んだら、それが一部の人間のご機嫌を損じ、告げ口をされて閑職に飛ばされた。自分としては、正しいことをした。役員会で承認されプジェクトを別に対象に適用したら、私の行動に不満を持つ輩がそれを告げ口した。それと同じである。

 ブルーエンジェルズの隊員達は「日本になんかもう二度と来ねぇよ!」と言い残して、日本を去った。その心情がよく理解できる。

 世界最高の技量を持つ彼らでも、全く落ち度がなくても、そういう不遇を受けることが人間社会の葛藤だと分かると、自分が受けた理不尽な人事など、長い人生では不思議でない事件だ。最近、そう達観できるようになった。

 

三流会社の人事

 会社での人事は、所詮、好き嫌いだけのことである。役員は、自分の大学の後輩が可愛いのだ。どうしてもその後輩を依怙贔屓する。そういう人事が横行すると、会社は傾いていく。それで前職の会社は市場から消えた。

 日産、東芝、東電、三菱自動車、JR西日本、松下電器、ソニー等そういう会社が、東大出の社長を筆頭に日本社会に跋扈していたが、ある日、不祥事が露見して栄光の座から消えた。

 当時、私の職場でエリートとして依怙贔屓を受けた輩は、ひいきしてくれた役員がいなくなり、閑職に飛ばされた。彼も近いうちにその職場で定年を迎えるようだ。もう一人は、大学に逃げて帰った。

 会社の人事という些少な事には気を止めず、自分は自分の信じた道を歩めばよいのだ。

 天網恢恢疎にして漏らさず

 天之機緘不測  (菜根譚)、

  天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知れない。

 

 以下は、ブルーエンジェルズが正式の演技飛行を撮影した写真である。編隊飛行のみの大人しい飛行であった。

 その翌日は雨であった。ブルーエンジェルズが流した悔し涙のような雨であった。

 

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00060007s  1971年11月1日撮影  Canon PEPLLIX  FL200mmF3.5

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雨の中のブルーエンジェルズ

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00060036s   1971年11月2日撮影  Canon PEPLLIX  FL200mmF3.5

  

2020-06-13 久志能幾研究所通信 1630 小田泰仙

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2020年6月10日 (水)

私の枯れ葉作戦 「私のカレハ 左利き♪」

 還暦を過ぎると、人から受ける評価は散々である。やれ、ぬれ落ち葉、枯れ葉、落ち葉拾い、使用済み核燃料等と酷いものである。

 考えてみれば、60年間以上も体を酷使してきた。記憶力も低下し、目も悪くなり、鼻も悪くなり、耳も遠くなり、舌も回らない。その昔は、百の舌があると豪語したのに(昔の私のペンネームは「百舌鳥」。二枚舌ではありません。)。最近は人から金を借りるとすぐ忘れてしまう。しかし貸した金は忘れない。足も衰えた。頭の毛も心臓の毛も薄くなった。

 

戒名後の人生開花

 今回、戒名を授かったのを機に、これからの生き方を変えることにした。

 まず不要なモノを捨てる。不要なモノが高い土地を占有している。探し物も不要なモノがノイズとなって、探す時間を増やしている。自分の残り時間は、限られているのだ。

 二つ目が今まで、使えるのに、使っていないものを活用する、である。それで見つけたのが、左手である。身に備わった2つある器官で、均等に使っていないのが、手である。右利きに私は、右手ばかりを使ってきた。還暦後は、右手にお休みをしていただき、左手の出番を作ることにした。

 それで右能の活性化にもなり、食事もよく噛んで、ゆっくりと食べるようになって、健康には良い結果である。

 人体の器官は使わないと退化する、が原則である。左手でも使っていれば、右手とそん色なく活用できる。頭も使っていないと、認知症になる。

 

2020-06-10 久志能幾研究所通信 1628 小田泰仙

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2020年6月 8日 (月)

コロナ対策4 強制換気

 新型コロナウイルス対策として、定期的に、事務所の空気を換気扇で強制的に一定時間運転して、空気を入れ替えるようにした。

 空気を入れ替えると、頭脳の活性化に良い影響があるそうだ。澱んだ空気を吸っていては、良い発想も生まれない。

 人が1日にする呼吸回数は約2万5,000回、1人あたり1時間に6畳分の空気が必要になるそうだ。新しい発想を生むには、脳に新鮮な空気を送らねばならぬ。

 ちなみにインフルエンザに罹患した人がいた場合、その人の咳やくしゃみから出たインフルエンザウイルスは、空気中を2時間~3時間ほど舞うという。

 この機に、澱んだ空気を運ぶ仲間を入れ替えるのも、人生の転機である。

運命を変えるには、

住む場所を変え、

付き合う人を変え、

過ごす時間を変え、

吸う空気を変え、

頭の中を変え、

行きつけの場所を変え、

やることを変え、

等々・・・・

 

 何かを変えれば、何かが変わる。具体的に動き、具体的に何かを変えれば、具体的な答えを仏様が与えてくれる。コロナ禍を機に腐れ縁を断ち切ろう。

 

2020-06-08 久志能幾研究所通信 1624 小田泰仙

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2020年6月 7日 (日)

終活 戒名決定、墓誌に刻み、朱を入れる

 2020年6月5日(大安)、私の戒名を刻んだ墓誌をお墓に設置した。終活の最終章である。

 2019年10月12日、癌の手術後半年が経ち、体調も落ち着いたので、手術前に菩提寺より提案のあった戒名の候補2つの中から、一つを選定して、墓誌に刻む段取りをした。手術前に葬儀の段取りをしたとき、戒名の提案も受けていた。

 2019年10月29日、馬場恵峰先生宅に出向き、墓誌に刻む名前の揮毫をしていただいた。

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 馬場恵峰先生  墓誌の揮毫中 2019‎年‎10‎月‎29‎日

 

 その後、いろいろとトラブルがあり、結果として1年以上もかかって墓誌の完成となった。結局、2015年に建立したお墓の墓誌は、3回も作り直すこととなり、死ぬ準備も大変であることを体験した。おちおち死んでなんかいられない状態となった。

 

学び

 このトラブルでの学びは「此の世で絶対ということはない。人は間違える。」である。真実は「間違ったまま、知らずに進展していることが多い。知らないのが華。」である。要は「後は野となれ山となれ」である。その真実を知り、それを修正する力が己にあるかが問われる。今回は、ご先祖の力で、それを軌道修正できたことを有難く思う。普通の人では、この修正ができなかったと思う。これもご縁である。

 

名前、戒名

 現世の名前は、両親が子供にこうあって欲しいと名付けた願望の名前である。親が自分の境遇を省みて、子供に希望を持ち、付ける名前である。ところが往々に、子供はその名に見合わない生き方をする人が大部分である。

 それに対して戒名とは、引導を渡す菩提寺の僧侶が、来世で佛になるため仏道を修行をする己のために付ける名前である。現世の生き方を見て、こうあるべきとの「戒め」の名前である。戒名は、親が付けた名前の一字を取り、己の生き方に見合った一字を住職が付加して戒名とする。

 

院号

 院号とは、引導を渡す僧侶が、来世で己のために建ててくれるお寺の名前である。院号のお寺は、自分専用のお寺なので、少々、お金が必用だ(?)。厳格なお寺では、お金を出しても、院号を頂けない場合もある。それは故人の問題ではなく、子供がどれだけ信心深いかを、お寺がみているようだ。

 私が観察する所では、ぶっちゃけた話、故人の子供が、日頃、お寺が各種の寄付を募った場合に、真面目に寄進をしているかで決まるようだ。お寺さんも現金なもの、よくその故人の子供の人の行動を観察している。

 

応急処置の戒名

 普通の人は、葬式の時に故人に戒名を授かるが、それは応急処置である。正式には、生前に、住職がその人と打ち合わせをして、戒名を決め、受戒会の儀式をするのが正式である。

 

朱を入れる

 生前に墓誌に戒名を刻む場合は、本人がまだ生きている証として、戒名に朱を入れる。その朱も墨の朱である。安いやり方ではペンキの赤で色付けするが、ペンキでは石にしみ込んで、後からその色が取れないというトラブルがある。安い石屋に頼むと、そのトラブルが発生するようだ。ご用心。

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  戒名に朱を入れた墓誌

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戒名前、戒名後

 戒名を授かると、あの世で生きる(?)ために、今後の人生は、あの世での予行練習の日々となる。戒名に恥じないような生き方を目指すようになる。それで生き方に張リができたようだ。それで、安易に人生を過ごすことなく、正しい生き方となる。おちおち死んでなんかおられない。戒名を生前に授かることは、良く生きる為、良く死ぬために良いことである。

 

2020-06-07 久志能幾研究所通信 1621 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。